<2019年・城主のたわごと2月>




2018年1〜4月、正月の「松戸七福神巡り」に始まり、

野馬レリーフ、積雪、印西「笠神城・小林城」、そして桜(^^)




     
  冒頭は定例通り、宣伝(^o^)↓

日常編は文章も少ないし、日常編だけ読まれてもそんなに嬉しくないので(笑)、ここで恒例・前レポの宣伝を行う(^。^)。

〜おしながき〜「埼玉〜栃木南編
「4月のたわごと」(千葉北西・埼玉〜栃木南1)
■8月・埼玉県川口市、栃木県栃木市・佐野市
<川口「長徳寺」、@裏門〜本堂>
<川口「長徳寺」、A三重塔〜仁王門>
<川口「長徳寺」、B仁王門・参道・山門>
<東北道で茨木まで移動>
<皆川城址>
<金剛寺(皆川氏菩提寺)>
<佐野市葛生、お昼ご飯(^O^)>
<佐野氏菩提寺「本光寺」>
<佐野氏本城「唐沢山城跡」に向かう>
「6月のたわごと」(栃木南2・東京)
■8月・栃木県佐野市
<「唐沢山城跡」到着、@枡形・天狗岩>
<「唐沢山城跡」、A竜神宮・大炊井・神橋> 
<「唐沢山城跡」、B神橋・桜の馬場・南城> 
<「唐沢山城跡」、C本丸・二の丸・三の丸>
<「唐沢山城跡」、D和合稲荷・組屋敷・避来矢山>
<唐沢山を降り、西に向かう>
<「興聖寺」(清水城跡)>
<樺崎寺跡〜佐野やすらぎの湯(^_^A)>
読んでねっ(≧▽≦)!(既に読まれた方は今回のに進んでネ(^^))

その前のも……↓

〜おしながき〜
武蔵千葉氏編
湯島天神(天満宮)編
2016年「4月のたわごと」(東京板橋)
■10月・東京都板橋区
<板橋区郷土資料館@「武蔵千葉氏展」>
<板橋区郷土資料館A「旧田中家住宅」>
<赤塚城跡「本丸〜滝不動」>
<「松月院」(伝・武蔵千葉自胤の墓)>
2017年「2月のたわごと」(東京湯島〜千葉北西部)
■8月・東京都千代田区・文京区
<「湯島天神(天満宮)」@〜参道両脇〜>
<湯島天神(天満宮)A〜社殿・男坂・女坂〜>
■8月〜9月・千葉県柏市・松戸市
<夏から初秋へ>
良かったら読んでねっ(≧▽≦)!

この前後も、境根原古戦場ウォーキング(2016年6月号)、松戸の根本城跡(同7月号)、北総の龍腹寺(同11月号)、松戸の中根城跡・上本郷城跡・上本郷館跡ウォーキング(2017年4月号)、北総の龍角寺に松戸戸定邸(4〜6月号)、東京の清澄庭園・手賀沼の鷲野谷城跡(8月号)、松戸の根本城跡、萬満寺(9月号)、茨城の東林寺城跡(2018年1月号)

など、小ネタ史跡巡りはあったので、ご覧になりたい方はメニューからどぞ( ^^) _旦~~

あとは、その前からの流れ通り、さらに前の「足利編」も出しておく(^^ゞ↓

〜おしながき〜「足利編」1〜4
2015年「9月のたわごと」(足利1)
■7月・東京都港区〜栃木県足利市
<虎ノ門「光明寺・明和大火の供養墓」>
<皇居〜首都高〜東北道〜館林〜足利>
<足利市に到着、1泊目夜〜2日目朝♪>
同「11月のたわごと」(足利2)
<足利の朝から振り返る>
<「足利学校」@、外観〜「入徳門」〜「稲荷社」>
<「足利学校」A、「学校門」〜「杏壇門・大成殿」>
<「足利学校」B、「南庭・方丈(外観)・裏門」>
<「足利学校」C、「方丈・庫裡・中庭・北庭」>
<「足利学校」D、「宥座之器・衆寮・木小屋・庠主墓所・遺蹟図書館」>
<門前通り>
<鑁阿寺>
2016年「1月のたわごと」(足利3)
<鑁阿寺、2(つづき)>
<「太平記館」を見てから、お昼ご飯(^O^)>
<勧農城跡(岩井山赤城神社)> 
<長林寺>
<法楽寺>
<両崖山>
<心通院>
<北東へ向かう>
<樺崎寺跡(樺崎八幡宮)>
同「2月のたわごと」(足利4・千葉北西部)
■7月・茨城県足利市・佐野市
<樺崎寺跡(樺崎八幡宮)、2(つづき)>
<佐野「やすらぎの湯」(日帰り温泉)>
<羽生パーキングエリア(東北道)「鬼平江戸処」>
宜しくねっ(≧▽≦)!

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そして、東北・北関東の旅もヨロシクね!

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各種お得な交通手段
「お得に東北へ行こう!」

リンク貼ったけど、「東北観光博」は自民政権はやらないみたい。「閉幕」になってますた(^_^;)。
旅*東北」なるサイトが後を引き受けてるっぽいけど、バナーがない(^_^;)。。
東北の歴史」というページが史跡巡り向きって事みたい(説明が殆どないけど。。)

この所、仕事と健康維持(闘病とも言う)などで大層忙しく、一日があっという間に終わる毎日である。
仕事とは、亭主の補助業務(経理・確定申告・書類作成・備品調達・リハーサルサンプル……社員は私だけ:笑)。

そんなわけで、又ずいぶん間が空いちゃったが(^_^;)。。
……そうそう、11月(2018年)に超久々にオフ会をやったんだけど、そこでも……、
「レポもう全然追いつかな〜い(((( ;゚Д゚)))」
「自分もー(≧▽≦)」
「同じー\(^O^)/」という話が出た出た(笑)。

ここの更新も押しに押して、だんだん一年の遅れ……てゆうか、今年(2019年)の正月はとっくに終わってるから、完全に一年以上経ってしまってる(笑)。
辛うじて最後の方で、桜の季節まで逃げきったものの、そのうち一年遅れとか二年遅れとかも出そうな気がする(^_^;)。。

そうなっても気にせず焦らず、いたってマイペースで行きたい(爆)。
(直近の話題は、「今週のご挨拶とお知らせ」でも見て貰えばいいかな、と(^^ゞ)

更新の間が空きがちになった時、古い話題を遅れ馳せながら続けるか、どっか割愛して新しい話題から再開するか、判断は人ぞれぞれだけど、どういう仕様にせよ更新を続けた方がイイとは思う。(忙しいとなかなか難しいけどね(^_^;))

さて、今回は去年(2018)の年初、例によって松戸七福神巡りに始まり、真冬はちょくちょく積雪の光景を交えながら、野馬レリーフのある断崖、桜の咲きかけた頃の小林城(印西市)と周辺の風景をお届けの後、いよいよ桜の季節を迎える(^O^)<じゃ、行ってみようか



■2018年1月・千葉県松戸市・柏市
<明けまして(^。^)、今年も七福神巡り>


おめでとうございます(^。^)。

←2018年のおせち“もどき”(笑)。
他に、お雑煮とお屠蘇と梅干入り日本茶。

「何とか一年過ごしたもんだねぇ(^_^A)」と言いながら、取り合えず乾杯する。
(「保った」とは言わない。「時間が過ぎた」、あるいは「まだ生きてる」程度だもんなwww)

そしておもむろに、今年も松戸七福神巡りを開始!
ε==(/^o^)/<ビュビュッ

毎年やってるので、今年はさっと手短に……↓

←「寿老人」の八柱「徳蔵院」(地図
↑奥に新しく安置された「紋兵衛地蔵」。
今年も平安でありますように(^人^)<ナムナム

↓お次は同じく八柱「福禄寿」の「圓能寺」(地図
続いて、中金杉「毘沙門天」の「医王寺」(地図)→

程近い幸田「弁財天」の「華厳院」(地図

「七福神巡り」と言いながら、ここまでの所、福神様を一体も撮影しておらず、スイマセン(^_^;)。

次は旭町「恵比寿」の「金蔵院」(地図
本堂前の豪華な注連飾り(^^)

この年、撮影した福神さまは、↑この恵比寿さんだけです(^_^;)。

←松戸に移動。「布袋尊」の「善照寺」(地図
↑太鼓橋の上に屋根・窓が作られた、ちょっと風変わりな橋廊下。

門前の通り向かいには古い商店が……
(拡大)

ここじゃないかと思うんだけど、ネット上には松戸のお米屋さんの旧家が、「ノマド宿」として紹介されてる記事を見かける。「私がこの街を好きな理由 〜松戸〜」(@「suumo」より)
一種の町おこし的な動きの一つであるらしく、100年以上続いたお米屋さんの建物を手入れして、民泊を利用しに来る海外の人と、その周辺の交流の場として提供してるらしい。

そういや、通りのあちこちに、「松戸宿」の提灯などもぶら下げられ、前よりちょっとオシャレなムードが出て来たような……(´・ω・`)<松戸がねぇ

交流というのも、ただ観光業目当てばかりでなく、民泊などによるトラブルに、近隣住民が相談しにいく場としても機能しようとしてるらしいから、住民目線でも助かる気がする。

いずれにせよ近年は、空き家問題が焦眉の急の感がある。
無策きわまる現政府の不手際により、日本は極端に急激な少子高齢化の道を辿っている事が原因にある。

過疎は奥まった地方に深刻だけど、空き家問題は意外と、都内などもっとスゴイらしい(汗)。
その点、ここ松戸は家賃や物価がそれほど高くなく、前から海外の人がいっぱい住んでたし、都心に近いから流通は便利……と、需要供給(凸凹)が合致しやすく、前向きな対策が行なわれやすいのかもね(^^ゞ。
(と言っても、松戸駅周辺の話だけどね(^_^;))

最後は、同じく松戸駅に近い「大黒天」の「宝蔵院」(地図)↓
本堂の前に左右する仁王さま(阿形)→

←同じく(吽形)
↑そして……あのサービス犬は、ついに身まかってしまったそうだ(ノ_・。) 。。

御朱印をお願いしに庫裏を訪ねた所、お寺の方も我らを迎えて下さるや、「あの犬ね、ついに逝ってしまいました。いつも気にかけて下さってたので」と開口一番、教えて下さった。

あの犬も、だいぶ齢だったので、覚悟はしていたものの、
「うわ〜そうですかー。小屋に居ないなぁ〜と言い合ってた所だったんですー(ρ_<)」
と悲しくはあったが、覚えてて頂けた事に感謝・感激で、明るい談笑のひと時になった。

お寺で大事にされてたワンちゃんだから、犬の極楽浄土に行って、今でも元気に仏様たちにサービス営業して、きっと幸せに暮らしているに違いない。
そう気をなだめつつ、この正月も七福神巡りを完了した。

(神様、仏様、サービス・ワンちゃんの冥福をお守り下さい(-人-))



<高柳新田「野馬除緑地」の壁レリーフ>

←こちらは、下手賀沼あたりの広い田んぼ(地図)から見えた冬の筑波山(^^)。

正月明けは、こんな風に、遠くの山まで見通せるほど快晴が続くが、 その後ちょくちょく降雪に見舞われるのが例年のパターン。

この冬も、写真で確認する限りでも、二回は積雪が見られた。

ただ、ここ何年か続いたような、雪がなかなか溶けずに残る事はなく、すぐ溶けたのが幸いだった(^_^A)

夕闇の田畑を覆う白雪(パノラマ2枚)

さて、これよりレポするのは、柏市高柳あたりの谷を断崖が囲む細長い散策スペース、「高柳新田・野馬除緑地」(地図

以前も、その周囲の風景をチョロとお届けした事があったが、道路の下に低く続くその散策路には、まだ入った事がなかった(^_^;)ゞ
今回はそこを歩いてみた。

この地域の野馬放牧は広範囲で行われていたので、この高柳新田あたりも、野馬除用と見られる土手跡(断崖)があったんだろう。
入口付近に張り出された地図には、測定数値が細かく書き込まれており、残されてる地形の保存を目的に整備された遊歩道のように思えた。

車道から緩い坂道を下って……
振り返り、低地の散策路を進む

散策路の脇(車道じゃない方)の森林地は、その裏手(背後)に「クリーンセンター」の各建物(市民体育館など)が建っているが、元はがあったんだろう。

この森の向こうに、クリーンセンターがある(パノラマ4枚180度以上)

逆に、車道がある側は、坂を上がるに従って、切り立つような崖の壁となってゆく。
ここが「野馬除」と呼ばれるのも、かつては馬が水を飲みに来るような谷地と、耕作地に適した崖上が、適度に仕切られた地形に由来してるのだと思う。

車道側は高さを増し、やがて……
壁となり、馬のレリーフが登場

馬の絵柄は、都合3通りが続けて出て来る構成。最初の1通りが上の写真で、全部を繋げて見ると……↓
5頭の野馬が駆けゆくシーン(パノラマ3枚ほぼ180度)

↓一方、車道から見下ろす遊歩道
次は、2通り目の馬の絵↓

繋げて見ると、歩いて行き交う5頭の馬の群れ(パノラマ3枚ほぼ180度)

一方、車道。遊歩道の崖上は梅林
3通り目の馬の絵柄は……

走り戻って来る5頭の馬たち(パノラマ3枚ほぼ180度)

以上、左右から中央に走り集まって来る馬10頭(左5頭・右5頭)と、中央で行き合う馬5頭の、あわせて15頭の野馬のレリーフが、崖下の壁に刻まれているの(^^)。

この遊歩道を端まで行くと、正面に2頭の跳躍する野馬が迎え、道は左に向かって階段となる。
行きどまりはレリーフの……
左に上がってゆく階段

この遊歩道って、恐らく付近住民でも、多くの知る場所ではない気がする(^_^;)。
それでも、ランニングや散歩などで、いかにも定期的に通っているような人も見掛けるので、知る人ぞ知る空間……といった所ではないかと思った。

この、いかにも密やかな狭い場所で、都合17頭もの野馬の躍動し、あるいは親子で平穏に暮らす様子が再現されてるのは、まさに「知る人ぞ知る、密かな愉しみ(^^)」と言って良かろう。



■2月〜3月・埼玉県新座市・千葉県我孫子市
<積雪から菜の花へ>


2月に入ってスグ、夜から朝にかけて関東地方で積雪があった。
たまたま仕事で、亭主と志木(埼玉県新座市・地図)にいて(夫婦で営業(^_^;))、夜の降り始めと、早朝の積雪の写真が撮れた。

夜は降ってはいても、積雪にならなかったが(パノラマ3枚ほぼ180度)

翌早朝はこの通り、粉砂糖をまぶしたような大地に(パノラマ3枚ほぼ180度)

仕事も済み、亭主は続けて出勤、私は家路。帰りの電車(武蔵野線)から見た雪景色↓

カタタン、カタタン、雪の町
カタタン、カタタン、白い雪原

さて、2月の初旬から、3月の半ば過ぎまでは、確定申告もあって忙しかったからだろう。ドッと間が飛ぶ。
無事に確定申告も終わった祝いで……、

手賀カフェ」で、打ち上げ\(^O^)/<ヒャッホー

↑左ランチ(亭主)、右ホットサンド(こたつ)(^^)。

利根川沿いをドライブ(#^.^#)
咲き揃う見事な菜の花

↓こちらは「自然(じねん)」の和食バイキング
桜も咲き始めて、だんだん春も本格化(^^)→

手賀カフェ(地図)。自然(じねん)(地図)。



■3月・千葉県印西市
<笠神城跡(南陽寺)・小林城跡(公園)>


振り返れば5年チョイ前の、2013年・晩秋……たわごとでは、「2014年4月A」に相当する、「印西(手賀川)水郷めぐり」の折、帰りに寄った「中央公民館」で、印西市の歴史の本(「歴史読本」〜中世・近世編〜)を購入した(^^)。

以来、ちょくちょくページをめくっては、「いつか行ってみたい(^^)」と思っていた、印西市の城跡めぐりを、この日は思い付きで行ってみた。

本には城跡地図があって、城跡は9ヶ所見える。
城跡は散在しているのではなく、印西市の三つのエリアにバッチリ分かれ、各エリア内に集中している。

北東部の利根川沿いに5ヶ所、西部の下手賀沼から南東部に2ヶ所、さらに南東方向の南部に2ヶ所。
このうち今回は北東部で、ウチから最も遠い「笠神城」(地図)と「小林城」(地図)に行ってみた。

まず笠神城跡は、こんな田んぼ道をゆく
左の車窓から見える田んぼ

←途中に行き会った「蘓波鷹神社」
↑到着。笠神城跡。これは城の遺構(土塁?)か……

この「蘓波鷹神社」のある場所も、ネット上では「笠神城の一部」と教えてくれるサイトがあったが、この時はそういう前知識が全然ないまま来ちゃってるんだな(^_^;)ゞ

で、目指す城跡には現在、「南陽院」(地図)というお寺が建っており、この寺のある場所に、かつては「笠神城」があり、原氏の城であった。

原氏は房総千葉氏(佐倉千葉氏)の家老格にして、権勢をふるった事で知られており、この城の原氏もその一族だった。

城は、印旛沼への水運の拠点(港)の役割上、作られたと見られている。

寺(城跡)の景観を伝えるのに、先に上(お寺のある位置)に登ってしまう方が伝えやすいので、山門まで登ってしまおう↓

登った山門、正面に本堂が見える(パノラマ4枚180度以上)

この右端の傾斜(丘陵)が、上で出会った遺構っぽい部分↑。つまりこの寺は、小高い丘の上に作られており、この山門の位置から後ろを振り向くと……↓

来た方向(駐車場)が見下ろせる(パノラマ5枚180度以上)

この笠神城は、この後に向かう「小林城」とともに、「印西原氏」または「佐倉原氏」と呼ばれる原氏の城だったようだ。

他のどの「原氏」と区別してそう呼ぶか、そして「印西」と「佐倉」の両方で呼ぶ理由は何かと言うと……。

<千葉氏>
常永┬常兼−−┬常重−常胤−胤正−成胤−胤綱−時胤−頼胤−胤宗−貞胤−氏胤┐
   └常宗()└常康(臼井)                                    |
┌−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−┘
└┬満胤┬兼胤−胤直(市河合戦で滅ぶ)
  |   └康胤(馬加)┬胤持
  |            └輔胤
  |              ↓ 
  ├重胤(馬場)…胤依…輔胤−(佐倉)孝胤−勝胤−昌胤
  └胤高()−胤親−胤房┬胤隆−胤清(小弓・臼井)−胤貞┬胤栄
                  ├胤宣(手賀原?)           └胤親?
                  └胤安−胤長(印西・佐倉)−邦長


上の黒い字は千葉氏、そして下三行の赤い字が、戦国期によく出て来る「原氏」。
だいぶ前……平安期に枝分かれした「原氏」(上の黒字)というのもいる(^_^;)。

……で、下三行・赤い字の原氏は、一番上の「小弓・臼井」が、房総千葉氏の家老格の原氏で、宗家と見なしていいんじゃないかと(^^ゞ。

この宗家の臼井原氏は、臼井城にいた臼井氏を追い出して、自分の城にした。
元々臼井城に住んでた臼井氏が、どこから出たのか知らんが、古くは平安期頃に枝分かれした「臼井氏」もいるんで(他にもいたかもしれんが)、上には黒字で一応書いておいた(^_^;)。

で、宗家の原氏に対して、「手賀原氏」や「印西・佐倉原氏」には↑こう枝分かれする。
「手賀原氏」は、手賀沼の「手賀城」の持ち主と推測されている。

「印西・佐倉原氏」は、ここ印西一帯に拠点を置きつつ、佐倉城内に住まいしていたので、「印西原氏」とも「佐倉原氏」とも呼ぶそうだ(^^ゞ。<いいかな

じゃ、境内に入ってみよう。「お邪魔します(^。^)」(パノラマ4枚180度以上)

山門の方も振り返りましょう(^^ゞ<ども…(パノラマ4枚180度以上)

屋根には象形文字っぽい字列。何て読むのか……。「慈眼山」? 慈恵大師を仰ぐ寺のようなので、由緒をひいてる可能性ありそうだけど……↓
右が慈恵大師の師号「元三大師」を掲げる扁額→

「元三大師」の扁額を掲げる点、天台宗のお寺と思われるが、特にお寺の由緒などを示す案内板とかは見なかった。

ここ「南陽院」には、天文14年(1545)に没した「原豊前守」の位牌があるそうだ。
この原豊前守が、上に示した系図のどの人物に当たるか判らないが、その後の天正10年(1582)における「原豊前守」には「胤長」が相当し、千葉氏の当主・千葉邦胤から、守護不入権をゲットしている。

これは千葉氏からの介入を受けない、土地への独占権を認められた事を意味し、前段の流れから、「千葉邦胤が家来(原氏)側からの要求に折れた結果」と受け取れる。

こうして原氏は千葉氏から独立傾向を強め、この印西地方では、特に強い独自の支配力を発揮したと思われる。

左側に連なる墓地の奥、小高い丘に
(拡大)お堂が聳える

このように、派手さは無いが、揃う物は揃ってるお寺で、勿論それは近年に整備されたんだろうけど、それも「原氏のお寺だから」という意識ゆえかもしれない(^^)。

私の住む千葉県は、その名も示す通り、千葉氏が長く深く幅広く根を張った地域であり、その千葉氏の家老格に原氏がある。
同じく私の住む松戸市は、戦国期は高城氏の領土であり、この高城氏は原氏の家臣の座から出発した。

千葉氏や高城氏については、これまで折に触れて特集してきた。
が、千葉氏と高城氏との繋ぎ目に位置する原氏については、その史跡など、なかなか手が届いてなかった。
だから今回、原氏が本拠としたエリアを訪れられた事は、殊のほか嬉しかった(^^)。

本堂の前からズーッと視線を横に辿ると↓
いかにも土塁を割ったような通路がある。きっと遺構に続いてるんじゃないかな(^。^)→

又ちょうどサザンカ(椿?)の散り敷いた様子が、舞台演劇なんかで、血潮が飛び散った様子をグロくなく描く(赤い花びらを使う)手法に重なり、さすが武将のいた城跡、「ビューティフル(#^.^#)」と思った。

この舞い散る赤い花びらに、後の原氏からキリスト教関係者が出た事が思い出された。

千葉氏も原氏も高城氏も、小田原征伐の時は北条方に属しており、もろともに改易となった。
その後、原氏の子孫には、旗本となって幕府に仕えたものの、キリシタンとして弾圧され、処刑された原胤信(ジョアン)がいる。

また、維新後、キリスト教を素地に、教育や人道的保護活動をした原胤昭も、原氏の子孫であったらしい(これはwikiで知った(^o^))。

そういえば、原氏の一族が配された手賀城から、そう遠くない所に「旧手賀教会堂」という、明治時代の教会建築物があったのを思い出し、関係があるんじゃないかと思った。(2010年8月<旧手賀教会堂>

続いて、「小林城跡」(地図)にも行ってみたんだが……
公民館で買った書籍の城跡地図によると↓

これが多分そう(^_^;)
十字路の対角にある公園

↑この、いかにも丘を二つに割って通しました、という感じの道路のスグ先の交差点に↑こういう公園がある。
公園のカド……ちょうど上の写真がそのカド部分ね(笑)。このカドに、チョロと白い四角柱の標が見えるよね。ここに「小林城跡」と記されていた。

公園の入り口を探して見回し、この道を右折して進んでゆくと……↓

やがて「城山公園」と銘する入口に到達(パノラマ3枚ほぼ180度)

先ほども示した通り、某書の城跡地図によると、地図←この辺が「小林城跡」と思われる位置であるのに対し、現在いるこの「城山公園」は、地図←このように、ちょっとズレがある。

あとは私の想像になるが……。

上に見た丘陵部分に、城の遺構などが残ってる……という感じかと(^^ゞ。
(某書にも、それらしき地形の発掘調査の結果などが細かく書き込まれてる)

一方、この公園だけど、元の城域の一部かなぁ……と。
たとえば「館跡」(本丸とか邸跡)で、平地か、元は高台だったが開削されて平地になったかで、住宅地に囲まれた公園になってる……とかかな〜と(^^ゞ。<丸きり想像ですが

そう思って、丘陵部の城跡への登り口を探したが、車では勿論、徒歩でも近づける所が見つからず(探しきれてないだけかもしれないが(^_^;))、諦めて、公園だけ撮影した。

↑の通りをズンズン右にさらに進むと……↓

高い位置から階段で降りれる箇所がある(パノラマ4枚180度以上)

土塁や濠があるわけじゃないけど、このちょっとした広さと周囲の高低差が、城跡と言われたら、「あ、そうかもー(^^ゞ」という感じかなー、と(笑)。

小林城は、例の『東国戦記』『常総軍記』『東国闘戦見聞私記』などの、江戸期の軍記空想物で、「印西合戦」などの架空の戦闘に登場するそうだ(^_^;)。。
これは栗林義長が牛久方面(茨城県)から攻撃しに来るのに対し、防戦する勢力として原氏が出て来るものだが、勿論、史実にはない話(笑)。

ただ、そうした空想軍記の存在によって、江戸期も、小林城が原氏の城として伝承されていた事がわかるという意味で、重要なソースと言えそうだ(^o^)v<ヴィ

小林城は、戦国期における生活の痕跡が極度に少ないものの、鉄砲玉などの出土は見られたため、戦国末期まで城として機能していた事がうかがえるそうだ。



■3月〜4月・千葉県松戸市・柏市
<桜(^O^)! 八柱霊園・桜通り・運動公園>


3月末〜4月初にかけて、桜の写真がいっぱい撮れてる!
まずは、八柱霊園(地図)に出掛けてみよう(^O^)/<オー

次々と桜のトンネルが……
出て来る。それも巨木だ(^^)

ツイン巨木(^O^)<ヒャッホー
空の青さに良く映える♪

こちらは園外の桜並木の桜
再び園内をグルグル

桜並木通りは、八柱霊園の南端を走る、紙敷から松飛台までの道路(地図)。
この集団墓地のある一帯からだけ、霊園内から遠くに見れる。

風にそよぐ枝垂れ桜(#^.^#)
花びらの匂いを嗅ぐわんこ(笑)

そして八柱霊園の桜もこれで……
終わり(染井吉野じゃない桜の群↓)

←さっき霊園の外に見た桜通りに出てみる
紙敷〜松飛台の間に続く、3.1キロの直線道路に、所狭しと並ぶ華麗な桜並木の通り。

日暮れも近い時刻
こちらは八柱〜常盤平の桜並木

八柱〜常盤平〜五香の桜通り(地図)は、このあと恒例の「桜まつり」にも行ったので、次回改めてレポしたい(^^ゞ

こちらは松戸運動公園の陸上競技場(地図(パノラマ4枚180度以上)

↑明度を調節してあるが、運動公園に着いた時はだいぶ日も暮れてて、実は月が浮かんで見えた(^_^;)ゞ<夕桜か夜桜だね



<桜(^O^)! 今井の桜を歩く>

例年だと、松戸市あたりの桜より、今井の桜(地図)は一週間は遅れるのだが、この春は殆ど同時だった。

この春は、どこも開花が凄く早く、東京での見込みが18日で、「例年より8日早い」とする記述が見付かる。
結果も、およそこの見込みの通りだったように記憶する。

千葉県は東京ほど早くはなかったが、3月末には上に見て来た通り、ほぼ満開で、ここ今井でも、翌日に来たら、既に盛大に咲き揃っていた。

田んぼのあぜ道の奥に、今井の桜並木(パノラマ3枚ほぼ180度)

近寄ると既にあでやかな咲き具合
次々と大きな桜木に出会う

こんな風に等間隔に並んでて、手前の田んぼに舞い散った花びら、一枚一枚が美しい(#^.^#)↓
並木の傍には舗装されてない土の小路が続いてて、人々がゾロゾロと、そぞろ歩きしていた→

今井は、空(青)は広いし、周囲に緑の背景や土(茶色)の大地があるので、桜の花びらの色がとてもよく映えて、本当に景観が楽しい。

毎年、桜の季節にここを訪れていたが、土手の道を長い間歩いてみたのは初めてで、こうやって時間をかけて、ゆっくり歩いてみるのもいいなぁ〜と思った(^^)。

遠目に見る姿ヨシ
近く見る雌雄蕊ヨシ(^^)

花ごとに色の違いがわかる
見事な青空を写す水面

近付いて見ると、花蕊や花びらの赤みが濃い花と、どちらも白い(薄緑の)花に分かれる枝があった。
確かテレビで、今年の桜は、早く咲いたから色が濃くない、というような説明がされてた。
……だとすると、上のように濃い花と薄い花があるのは、蕾の期間が短くして咲いた花と、長く栄養を蓄えて咲いた花の違いが、こうして色の違いとして現れる、という事かな(^^ゞ。

それにしても、よく晴れた青空に枝を広げる桜のよく映える事(#^.^#)<ウットリ
川面に重く枝先を垂れ下げる満開桜は、春の一番美しい光景だと思う\(^O^)/<快哉

この今井の桜の何が素晴らしいって、川と枝の触れ合う姿、川面に花びらが流れる絶景を自由存分に撮影できる点!
橋が複数あるので、誰かが撮影してたら、他の橋に移動すればよい。これは贅沢な事だと思うわ〜♪

東京の世田谷に住んでた時も、こんな風に、花の重みで水面に近付く枝が見れる川があるいはあったが、道路は車がいっぱい、人通りは夜になっても多く、青空や緑の背景を楽しみながら歩いて、ふと写真を撮る……なんてユトリは皆無だった(^_^;)。。

夕風にはまだ寒さも交じり
風に揺れる枝から花びら舞う

ちょっと周囲の風景もいきましょう(^^ゞ。街中ほどではないけど、やはりお花見客が前後に続く土手道↓
田んぼ向こう、道路の下に見える赤い屋根は「一ツ井戸」と呼ばれる旧跡→

この井戸跡については、前に一度だけ載せた事がある。(2008年<六所神社(柳戸砦跡)>内
その時は、「地域に一つだけの井戸」とだけ認識していたが、今ネット上を探すと、水に苦労した地域の歴史を表す旧跡だったようだ。(「婿にやるなと言われた」という逸話などが出て来る)

サラサラ淀みない川音が又ニクイ(≧▽≦)!

だんだん日も暮れかかり、黄金色の夕日が当たる様子もまた、美しいのよ(*´ω`*)
桜が思いのほか早かったため、次回「桜まつり」では花は残ってないが(笑)、祭りの様子をお届けしたい

桜よ、今年もありがとう(*´ω`*)
来年もヨロシクなぁ〜(^O^)/~

次回、桜まつりの後は……、いよいよ、4月の「茨城〜栃木〜群馬の東西遠征」レポに入りたい(≧▽≦)!<キャーッ
これは凄く久々に泊りがけの旅行に行ったもので、宿泊したのは3年ぶりなんだなー!
その前に行った宿泊旅行は、足利だった。あれと同じく今回も一泊だったけど、内容は濃いゾ!(笑)

とりあえず次回は……、

古河の古河公方公園、満福寺(足利成氏の墓所)までが茨城県。
三毳山神社(下社)、三毳不動尊、天明(天命)、佐野城跡、多田木山(只木)、足利(通過)までが栃木県。
群馬県に入って、台源氏館跡(新田義貞誕生伝説地)、藪塚温泉(一泊目宿)……

と、いっぱい書いて来ちゃったけど、どこまで行けるかなぁ〜(≧▽≦)。。

……例によって、関連リンクは後日(^O^)!<スイマセン

<つづく>

2019年02月07日
 
     






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