<2016年・城主のたわごと7月>




2015年12月〜2016年4月、クリスマス、七福神巡り、

牛久再訪・松戸神明社(根本城跡)、桜祭りなど(^^)




     
  冒頭は、前回と全く同じで(笑)↓

日常編は文章も少ないし、日常編だけ読まれてもそんなに嬉しくないので(笑)、ここで恒例・前レポの宣伝を行う(^。^)。

というのを定例だと冒頭に入れるんだけど、前々回の↓

〜おしながき〜「武蔵千葉氏編」1〜4
2016年「4月のたわごと」(東京板橋)
■10月・東京都板橋区
<板橋区郷土資料館@「武蔵千葉氏展」>
<板橋区郷土資料館A「旧田中家住宅」>
<赤塚城跡「本丸〜滝不動」>
<「松月院」(伝・武蔵千葉自胤の墓)>

↑は、ちょいレポだったんで、その前の「足利編」も出しておく(^^ゞ↓

〜おしながき〜「足利編」1〜4
2015年「9月のたわごと」(足利1)
■7月・東京都港区〜栃木県足利市
<虎ノ門「光明寺・明和大火の供養墓」>
<皇居〜首都高〜東北道〜館林〜足利>
<足利市に到着、1泊目夜〜2日目朝♪>
同「11月のたわごと」(足利2)
<足利の朝から振り返る>
<「足利学校」@、外観〜「入徳門」〜「稲荷社」>
<「足利学校」A、「学校門」〜「杏壇門・大成殿」>
<「足利学校」B、「南庭・方丈(外観)・裏門」>
<「足利学校」C、「方丈・庫裡・中庭・北庭」>
<「足利学校」D、「宥座之器・衆寮・木小屋・庠主墓所・遺蹟図書館」>
<門前通り>
<鑁阿寺>
2016年「1月のたわごと」(足利3)
<鑁阿寺、2(つづき)>
<「太平記館」を見てから、お昼ご飯(^O^)>
<勧農城跡(岩井山赤城神社)> 
<長林寺>
<法楽寺>
<両崖山>
<心通院>
<北東へ向かう>
<樺崎寺跡(樺崎八幡宮)>
同「2月のたわごと」(足利4・千葉北西部)
■7月・茨城県足利市・佐野市
<樺崎寺跡(樺崎八幡宮)、2(つづき)>
<佐野「やすらぎの湯」(日帰り温泉)>
<羽生パーキングエリア(東北道)「鬼平江戸処」>
読んでねっ(≧▽≦)!(既に読まれた方は今回のに進んでネ(^^))

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そして、東北・北関東の旅もヨロシクね!

COOL SHARE「東北・北関東への訪問運動」/「東北・北関東を訪問して復興支援しよう!」by民主党時代の政府&観光庁

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各種お得な交通手段
「お得に東北へ行こう!」

リンク貼ったけど、「東北観光博」は自民政権はやらないみたい。「閉幕」になってますた(^_^;)。
旅*東北」なるサイトが後を引き受けてるっぽいけど、バナーがない(^_^;)。。
東北の歴史」というページが史跡巡り向きって事みたい(説明が殆どないけど。。)

その前の古河も出しとこか(^。^)↓(それはもいって?www)

〜おしながき〜「古河編」1〜2
2015年「4月のたわごと」(古河1)
■11月・茨城県古河市
<関宿を経由して古河へ入る>
<古河城跡(諏訪曲輪址「古河歴史博物館」)>
<水戸市街と水戸城「彰考館」跡>


同「5月のたわごと」(古河2・他)
<1泊目夜〜2日目朝・横川温泉「八幡太郎義家の湯」> ■11月下旬・茨城県古河市
<古河城跡(諏訪曲輪址「古河歴史博物館」)、2>
<「長谷寺」(長谷観音)>
<古河総合公園@「古河公方館(鴻巣館)跡」まで>
<古河総合公園A旧民家(中山家と飛田家)>
<古河総合公園B「公方様の森〜天神橋」>
<古河総合公園C「筑波見の丘」から「桃林」まで北上>
<古河総合公園D「古河公方義氏墓所」(徳源院跡)>
<鳳桐寺>
■11〜12月・千葉県北西部
<晩秋〜初冬の風景>

さてさて、今回も日常編の続きで、去年(2015年)の暮れの続きから始まり、今年(2016年)4月初頭の桜祭りに、ほんの触りだけ入った所で次回に引き継ぐー!



■2015年12月・東京都足立区・千葉県松戸市
<クリスマスの街と千住宿「勝専寺」>


↑変な取り合わせだけど(笑)、この日は北千住(東京都足立区)に出た。
街のクリスマス飾りを見る傍ら、ちょっと立ち寄ったお寺をレポしてみた。

←駅二階広場(地図)のクリスマス・ツリー(#^.^#)
↑駅中のフラワーアレンジメント店もクリスマス一色


駅を西に出て、駅前通りを歩くと、ビルの谷間に↓こんなレトロな洋館が見られ、「大橋眼科」(地図)とある。検索してみたら、大正時代の建物の再現なのだとか(゚.゚)?!

右のホワイト・ツリーは、通りからちょっと入った路地にあったスペイン料理のパブ(^^)↑
そして同じく、ちょっと入りこんだ所にあるのが「勝専寺」(地図)↓

←赤い門が特徴的なお寺
↑門内「吾唯足知」のつくばい

この「吾唯足知」は、「口」の上下左右に、漢字の部首の片方が書かれ、一見ダジャレのようにも見えるが(笑)、これで「吾、唯足るを知る」と読ませ、語彙は「自分は充分に満たされている」という「悟り」を表す。

実家にあった灰皿がコレだった(^_^;)。
もっとも家族はタバコを吸わなかったので客用だったが、確か関西で買ったか貰ったかした物だった。

そう思い出しながら検索してみたら、「竜安寺のつくばい」と言われる物らしい。 *なるほど*

ハッ、話がイキナリ脇に逸れた(^_^;)ゞ。
中に入ると、正面に↓こんな風変わりな本堂があり、間近に女学校の建物などがひしめき迫って、いかにも大都会・東京のお寺である↓

左=女子学校/中央=本堂/右=庫裡(パノラマ4枚180度以上)

赤門の前にあった案内板から↓

三宮神山(さんぐうじんざん)大鷲院(だいしゅういん)勝専寺(しょうせんじ)

赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院を本山とする。寺伝では文応元年(1260)勝蓮社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたという。
 江戸時代に日光道中が整備されると、ここに徳川家の御殿が造営され、徳川秀忠・家光・家綱らの利用があった。
また日光門主等の本陣御用を務めた記録も見られ、千住宿の拠点の一つであったことが知られる。
 加えて当寺は、千住の歴史や文化に深くかかわる多くの登録文化財を今に伝えている。木造千手観音立像千住の地名起源の一つとされ開基新井政勝の父正次荒川から引き上げたという伝承を持つ。
 ほかに一月と七月の十五・十六日の閻魔詣で知られる寛政元年(1789)の木造閻魔大王坐像、巻菱潭の筆による明治12年(1879)の扁額「三宮神山」を山門に掲げるほか、千住の商人高橋繁右衛門冑付具足を伝来している。いずれも足立区登録文化財となっている。
 平成13年10月 足立区教育委員会

後ろを振り返ると、赤門・お堂・鐘楼、と並ぶ(パノラマ4枚180度以上)

この寺は知ってて訪れたのではなく、フラリと寄った。
この日は夫婦で来て、所用が終わって銀行やら郵便局やら寄った後、ブラブラ散歩しながらこのあたりまで来たのだ。

最終的には亭主は渋谷に行き、私は一人で松戸に帰ったんだが、それまで冬空の下、都内の図書館をスマホで探したり、「この後どうしようか」と相談するのに、何となく立ち寄ったのがこのお寺だったの(^^)。

バックトゥザ・松戸ぉ〜(笑)
駅ビルのクリスマス飾り(^^)

↑松戸駅(地図)の乗り換え通路(各路線の改札)から、駅ビルに通じる入口に、クリスマス飾りがしてあった(^_^;)ゞ。

松戸の駅周辺には、年明けてからも又来ますー(^O^)。

以上、関連事項は(2016/09/12、後追リンク)
■東京方面
2004年12月<そこに、なぜか「世田谷観音」(爆)>
2005年3月<東京>
2005年11月<駒沢公園(東京)>
2011年10月<クリスマス前の東京(皇居東面)>および<東京「上目黒・氷川神社」の「目黒富士」>
2012年1月<御茶ノ水(神田明神まで)>
2012年7月<ハロウィンの頃まで>
2013年9月<初詣A「神田明神」拝殿に到達まで(笑)>以降
2013年10月<東京都・皇居〜用賀「カフェ・ピロエット」>
2015年2月<北千住宿場町(サンロード商店街)高札場><池尻大橋ジャンクションと目黒天空公園>
2015年7月<神田明神>内
2015年8月<夜まで都心ドライブ(^^)>
2015年9月<虎ノ門「光明寺・明和大火の供養墓」>以降

■クリスマス風景
2007年6月<クリスマスの街角(^^)>
2008年5月<年末(^^)>
2009年6月<紅葉とクリスマスが同時に訪れるの図(笑)>
2010年7月<クリスマス・イルミネーション>
2011年10月<クリスマス前の東京(皇居東面)><クリスマス本番〜年末>
2012年7月<クリスマスの街(^^)>
2013年8月<晩秋の紅葉(銀杏)・白鳥・夜霧>
2013年9月<クリスマスシーズン本格到来>
2014年5月<銀杏とクリスマスと古利根川>
2015年7月<クリスマス〜年末@、ツリーとイルミネーション(^O^)>以降
2016年6月<クリスマス飾り・イルミネーション>




■2015年12月〜2016年1月・千葉県柏市・松戸市
<年末年始、今年も「松戸七福神」>


まだ年末です(^_^;)。
クリスマス終わって、早くも正月のようなムードが漂い始める牧歌的な風景↓

手賀沼と下手賀沼の間
布瀬交差点(地図)周辺

この辺を通るようになった最初の頃、この「布瀬」の地名から、手賀沼の北にあった相馬御厨の成り立ちに出て来る布施(郷)を思った。

ここの地名(布瀬)との関係は知らないが、相馬御厨は南限を拡大したようだから無関係ではないのかも(笑)。

↑沼地に向かって、パーッと視界の拓けるこの景観は、特に草枯れた冬は広々と青空を見せてくれて、何となくお正月休みが楽しみに思える(^^)。

というわけで、年明けて、2016年、今年のおせち→

明けまして、おめでとうございますー(^O^)

今年も例年通り、早速、松戸七福神巡りを開始↓

まずは八柱「徳蔵院」(地図)。
寺は高台にあるが、参道は左右に急こう配の坂があり、低地から中央の階段を上っても本堂へ向かえる。
今回も中央の低地から左右をパノラマ状に写してみた↓

中央の階段を上って本堂へ(パノラマ5枚180度以上)

←本堂に対面する「寿老人

こちらは次に行った、同じく八柱「円能寺」(地図)の「福禄寿」→

どちらも「松戸七福神」の幟がいっぱい!

北小金「医王寺」(地図)↓
凛々しいお顔立ちの「毘沙門天」→

↑山門の写し方が左に偏ってるのは、何となく「ハウス城跡」なるアパートを写してみたから(^_^;)ゞ。
ここはスグ近くに、戦国期の高城氏の本拠・小金城跡(現・大谷口公園地図)や、同菩提寺「廣徳寺」(地図)がある。
ちなみに、本土寺過去帳とアジサイ寺で有名な中世寺院「本土寺」(地図)も遠くない。

そして同じく北小金、すぐ近くの↓

華厳寺」(地図
銭洗い「弁財天
金蔵院恵比寿」(地図

金蔵院は、北小金から松戸に行く途中にあり、松戸と言うより、流山とか三郷に近いぐらい(^_^;)ゞ。
今年の松戸七福神巡りは、どこもかしこも大盛況で、特にこの金蔵院では、駐車場がいっぱいだった。

ここはいつも参拝客が多く、毎年ゆっくり写真を撮っているゆとりが無い(^_^;)。。
ウチらがここを巡る時間帯(順路)が、一番混みあう頃(ここがちょうど中間に当たるから、朝から廻ってる人と、昼ごろ出る人が勝ち合うとか)なのかもしれない。

松戸「善照寺」(地図)↓
布袋」→

同じく松戸「宝蔵院」(地図
今年も会えたサービス犬(^^)

今年はサービスの飛びかかりは無く、たまにはおとなしい様子を(^^ゞ。
この時はおメメを痛めてたようで、ちょっと見えにくそうにしてたのが気がかりだったけど、近寄ると、心得たようにクンクンと匂いを嗅いでくれた( ^^)ノ ▼・ェ・▼<クンクン

ワンちゃんにすっかり気を取られて、肝心の大黒さんを写し損ねた!(爆)(又来年(^o^)ノ)

以上、関連事項は(2016/09/12、後追リンク)
■正月&松戸七福神
掲載日不明(笑)<伝統の一品、名器・足利義昭の碗>
2004年8月全文
2004年9月全文
2005年12月<お正月(^^)・そして今年も「七福神巡り」>
2006年7月<八柱「藤塚稲荷」> <松戸オマケ・各所、風雲名物(笑)>
2007年6月<松戸七福神巡り>
2008年5月<年始(^^)・「松戸七福神」巡り>
2009年6月<今年も年始は「松戸七福神めぐり」から>
2010年7月<初日の出とお正月(^。^)> <松戸七福神で初詣>
2011年10月<新年は今年も、松戸七福神巡り(^^ゞ>
2012年7月<正月・松戸七福神巡り>
2013年9月<新年、お正月料理(^。^)><初詣@「松戸七福神めぐり」>
2014年5月<新年・今年も松戸七福神だよ(^O^)>
2015年7月<あけおめ(^O^)!松戸七福神@寿老人・福禄寿>




<夕暮れの下手賀川と富士山>

正月も終わって、しばし手賀沼と下手賀川の1月の夕暮れ風景を(^^)。

毎度、「曙橋」(地図)付近の手賀沼東岸(パノラマ4枚180度以上)

こちらは下手賀川、夜の河に浮かぶ白鳥達(白鳥って鳥目じゃないんだね(^_^;))↓
実は写真も真っ暗だったのを明度で復原(^_^A)

白鳥達の向かってた発作橋(地図)周辺(パノラマ6枚180度以上)

←こっちが手賀川で、発作橋あたりから→こっちが分流して、下手賀川となって、下手賀沼に繋がっている。
で、↑この川を前にして、後ろを振り返ると、ド〜ンと地平線(田んぼ風景)が広がってるんだけど、その向こうに、この真冬の間だけ小さく富士山が見られる↓

富士山と鉄塔(^^)
「手賀干拓一の橋」(地図

この「手賀干拓一の橋」という橋の名は、ヤフーの地図には載ってるんだが、図示したマップ・ファンの地図には載ってない(^_^;)。。
↑何しろこの橋の向こうが下手賀沼。この時は、素晴らしい夕焼けに川面が真っ赤に染まって、何となく幻想的な冬景色だった。

←こちらは柏市しいのき台→

←1月中旬
1月末→

何気に同じ場所で撮ってた冬枯れの白樺と紅葉樹と冬の青空

以上、関連事項は(2016/09/12、後追リンク)
■千葉県から見える富士山(冬)
2004年8月<寄り道2、広徳寺「高城氏の墓所」>内
2006年8月<里見公園(国府台城跡)>内
2010年7月<手賀沼と下手賀沼から、富士山・筑波山を>内

2011年10月<真冬の手賀川、白鳥・富士山・筑波山>内
2012年7月<クリスマスの街(^^)>内

2013年10月<夕空と平原と富士山>
2015年7月<1月の手賀沼・手賀川>
手賀沼(リンク専用ページ)
<城主のたわごと「手賀沼の史跡・手賀沼・手賀川・下手賀沼」>



■2月・東京都港区・茨城県牛久市
<都内、そして久方の牛久訪問(^^)>

2月に入って、都内の神保町界隈に用があってフラフラしてたら、いきなり「新島襄・生誕の地」(地図)に出くわした↓

ビルの谷間「学士会館」の脇にあった。今思えば、周囲の風景も撮影しておくべきだったが、人と同行の日だったので、気持ちと時間にゆとりが無く……(^_^;)ゞ。せめて案内板の記載を転写しよう↓
新島襄先生 生誕地記念の碑
 京都同志社の創立者・新島襄先生は1843年(天保14年)上州安中藩主板倉伊豫守の江戸藩邸に誕生せられた。先生は幕末における国家多難の際、わが国の前途をうれいキリスト教の信仰と海外事情研究を志して21才(1864)函館より密かに脱国、米国に渡航し新英州キリスト教文化の根本を体得せられた。

母国日本の隆盛をはかるためには、単に法律、政治、経済の改革のみによって達せられるものではなく、人民の一人一人が「知識あり品位あり自ら立ち、自ら治め」うるものであり「良心の全身に充満したる丈夫(ますらを)」となることによってその目的を達しうるものであることを痛感せられた。留学10年、1874年(明治7年)帰朝、翌75年11月29日、京都に同志社を建てキリスト教をもって徳育の基本とした教育のためにその生涯を捧げられた。
 この碑は新島襄先生生誕百年を記念して建てられたが、神田錦町出身の偉大な先覚者をしのび、この解説を提示するものである。
 昭和40年11月 同志社創立90周年を記念して
 錦町三丁目町会  錦華小学校  小川小学校

ハナで脱線したが(^_^;)ゞ、次は方向が北に変わって、茨城県の牛久に久しぶりに行った。
……と言っても、特に史跡巡りの予定はなく、亭主が急に思いつきで向かった(笑)。

牛久沼に向かう白鳥通り(地図(パノラマ3枚ほぼ180度)

牛久沼にぶつかったら右折
左に牛久沼を見ながら進む

やがて道は、自然と沼から少し離れて内陸に入り……

村の中に入り込んで
河童の碑の近くまで来る(^^)

「前に来た時も梅が咲いてたよね(^^)」
「ワンワン▼o・ェ・o▼」

地図←だいたいこのへん。
近くに「小川芋銭記念館雲魚亭)」と、小川芋銭(画家)が好んで描いた河童にちなんだ「河童の碑」のある森林道がある。(2008年6月<かっぱの碑・牛久藩陣屋跡>・<小川芋銭記念館「雲魚亭」>

この日はかなりの雨だったし、それほど時間もなかったので、それらには寄らなかったが、この雨は、沼の河童が我々の訪問を歓迎して降らせてくれたのかもしれない(^^)。

ちなみに前に行って、レポもした「牛久城跡」は、当時のレポに図示した位置だと、ここより東南方向のこのへん→地図(2008年6月<牛久城跡、1>、7月<牛久城跡、2>) 

もっとも、この「城中」という地名は、いま図示した所から、この「河童の碑」や「稲荷神社」のある北緯を越えて北東部にも見えるから、城域は南北に長かったのかもしれない。

東裏手の稲荷神社地図
三日月橋」の河童像地図

……ところで実は、近頃この地域に詳しい方に教えて貰った情報によると、北西部の沼地を跨った先に「東林寺城跡」(地図←このへんと言ってるサイトがある)があり、地名となった「東林寺」には、伝説の英雄「栗林義長」のものと伝わるがあるんだとか(゚.゚)!

その「東林寺」(地図)、ちょうど、この「三日月橋」を渡ると、道が右にカーブするが、その通り過ぎる左手にあったのだ(`・ω・)!(実はレポ書いてる今知った:爆)

三日月橋から見る牛久沼→
(右が東林寺城に続く陸地)

「栗林義長」は出典記述の史実性が疑問視されてる武将なので、墓があるとは思いもよらなかった!

しかしこの墓については、ネット上ではあるが、レポされてるサイトもほうぼう見付かったので、今度、是非お参りにいってみたい!(教えてくれた方、ありがとー(^O^))

以上、関連事項は(2016/09/12、後追リンク)
■かっぱの碑と牛久城跡
2008年6月<かっぱの碑・牛久藩陣屋跡>以降
2008年7月<牛久城跡、2>以降
■栗林義長(東国戦記・東国戦記実録・東国闘戦見聞私記)
2014年1月<小森城跡・名内城跡と「手賀合戦」>
2014年6月<手賀城址@「興福院」>内〜<手賀城址A「大杉神社・御神田」>




■2月〜3月・千葉県柏市・船橋市・松戸市
<梅の開花・手賀沼のカモメ飛翔>


2月から3月にかけての春の様子をお届け(^O^)

逆井の梅林
椎の木台の白梅

ズームアップー、さらにアップ〜〜(#^.^#)

右のは船橋運動公園ちかくの踏切ちかくの空き地、春の野草

春になった(^^)。ちょっと手賀沼にも出てみよう(^o^)ノ
まずは、手賀沼の中心、手賀大橋からちょっと東に向かった所にある霊園から。

途中に点在する霊園の看板
高台の霊苑から見下ろせる手賀沼

付近には「城山聖地霊園」の看板が立っているが、それはもうちょっと東に行った所に管理事務所(地図)があって、この辺りはやや中央に近く、霊園も「柏・湖南聖地公苑」(地図)である(ややこしい(^_^;))。

なにはともあれ(笑)、この辺りは、湖を囲む高台に介護施設や霊園があるのが良いと思う。
そういう眺めの良い場所を、やたらリゾート地とか言って、観光や住宅産業に浸食されると、途端に喧騒にまみえてしまうからだ。
こういう静かで落ち着いた施設が場を占めていてくれると、地域民としてはホッとする(^_^A)。

お次は、いつもの曙橋(地図)付近だが、この冬から春にかけて、カモメが大勢で近くに集まったり、群れて飛翔する風景を頻繁に撮影できた(^^ゞ。

まずは1月末・地に居る鳥達
次は2月末・空を舞う様子

↓2月末/右は3月末、餌を貰って乱舞する様がスゴイ↓

静止画だと違いがわからないが、↑左のように、ただ飛び回るだけだと、風景に溶け込んで、翼の動きに少しブレが出るのに対し、右→と下↓の群れは、餌をキャッチするため、一瞬だが空中で見事に動きが止まるんだよね(^_^;)。

だから風景から切り取ったみたいに、鳥が浮き出て感じるのがわかるかな?


この日こんなにカモメが乱舞したのは、湖に餌を振りまいた集団がいたからで、ここの水鳥が訪れる人々に強く愛されているのがよくわかる光景だった。

空にゴマ塩を振りまいたような鴎の乱舞(笑)

以上、関連事項は(2016/09/12、後追リンク)
■逆井・しいの木台の梅林
2006年8月<まずは逆井の梅から(^^ゞ>
2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>
2008年7月<逆井の梅花〜手賀沼(柏市)>
2011年10月<初春の手賀沼・古利根川>
2012年8月<梅の開花がすごく遅かった件>
2013年10月<黄砂と梅花>
2014年6月<「は〜るが来〜た(^O^)」・梅花・菜の花>
2015年8月<梅の花・桜の花(^^)>

手賀沼(リンク専用ページ)
<城主のたわごと「手賀沼の史跡・手賀沼・手賀川・下手賀沼」>




■3月・千葉県松戸市
<松戸駅〜市役所〜(小根本)神明神社>


所用あって松戸を訪れた。
松戸は、市の中心地の割に、今イチちゃんと落ち着いてレポするの段にならない(^_^;)。

大都会の雑多な町と雑踏に囲まれているため、あまりノンビリ歩く気分になれず、いつもさっさと所用を片づけるのみになりがち。

それでもこのたびは、少しまとまった写真を撮ったので、改めてレポしてみよう(^^ゞ。

まずは松戸駅(地図)で降り、東口に出る。
松戸駅は、西口の方がメイン通りに面しており、東口は「駅の裏手」という印象だが、市役所・法務局・税務署などがある方面なので、市民の用は少なくない。

これがその「東口(パノラマ4枚180度以上)

↑と180度逆↓出て前を見るとこんな感じ(パノラマ4枚180度以上)

↑の中央から階段を下りる↓
下りて一階正面

松戸駅は西口も東口も、出ると二階の立体交差点上にいるので、地上を歩くには階段を一階下りる。

正面はちょっと行くとすぐイトーヨーカドーの看板があるビルが前を塞いでいる。
……このビル、駅から「イトーヨーカドー」が見えるのでそう呼んでしまうが、イトーヨーカドーはビル内の一部にすぎず、ショッピングモールとしての正称は「プラーレ松戸」(地図)というらしい(笑)。

で、そこにも道路が走ってはいるが、正面に向かわず、階段降りたら次のカドで左折。
現時点ではカドにモスバーガーがある。三本横たわる道路のどれを行っても目的地には行けるが、今日は真ん中の道を歩く↓

左(北)方向に駅裏通りを進む
そのまましばらく歩く

やがて道路下を潜り
なだらかな坂の上、右手に御社↓

この上に架かる道路は、流山街道から続く道で、松戸駅の上を通る所では「岩瀬跨線橋」という橋になっているが、何しろその下を潜ると、おもむろに前方右手に、「神明神社」(地図)の建物が見えて来る。

注目は、この神社と同じ高さの向かいに松戸市役所の本庁がある点。
市役所から見える神明神社がどんな感じかと言うと……↓

こんな風に真正面に見えます
後ろ振り返ると松戸市役所地図

スイマセン。いきなりド明るいのは、ここいら四枚だけ、実は11月に撮ったもので(^^ゞ、秋晴れだったから、色合いがまるで違うんだよね(笑)。

市役所と神明神社の敷地は、かつては繋がっていたようで、間を抜ける道路が後から作られた。坂の下から上って来ると急に高くなるので、車が通りやすいよう車道の所だけ削ったのだろう。

市役所からは階段で道に降りる↓
左の時計と植木の一帯には、「松戸貝層」と書かれた松戸市の教委の説明版が立っていた。

松戸貝層
 市役所庁舎前の芝生の中や、西側の岩山稲荷神社に見られる貝殻は、このあたりが海底であった洪積世中期(およそ70万年〜13万年前)に堆積した貝化石層の一部です。
 松戸貝層と呼ばれるこの貝化石層は、海中に土砂などが堆積してできた「成田層郡」の最上部に位置しており、多量の砂鉄を含む褐色砂岩層でもあります。
 こうした地質から、印旛郡印西町で確認されている「木下貝層」(県指定天然記念物)と連続していると考えられており、昔の松戸周辺の地形を知るうえで貴重な地層といえます。
 この貝層中に含まれる貝化石は、これまでに111種類が確認されています。
主な貝化石の種類
二枚貝綱 ハイガイ タマキガイ オキシジミ ホクロガイ ウバガイ サルボウ マガイ シオフキ イタヤガイ
巻貝綱 キサゴ カニモリガイ ツメタガイ アカニシ バイ ダンベイキサゴ ナガニシ ヤツシロガイ コロモガイ
平成元年3月 松戸市教育委員会

この辺りに昔、大船団が寄せて海戦なみの戦いが行われたといわれるが、それは水流地帯におけるそれであって、さすがに海は早くに無くなっただろう(笑)

ただ小学校の校庭でもよく、砂利に混ざって米粒ほどの小さな貝殻を拾ったし、空き地・畑・森・沼・野原みたいな所でも、拾ったという話を友達に聞いた事があった。
何十万年も前の貝層なんてのが、そんな風に露出してたって事か、水流地帯だったので、そうなったのかな……(^^ゞ。

今度は「岩瀬跨線橋」の下の道を辿って来てみる(パノラマ4枚180度以上)

敷地に入った所(鳥居に入る前)に、寄付金や参拝の賽銭などへの御礼が貼られていた。

とともに、古銭や外国銭、テープで綴り止めされた銭、ゲーセンコインなど(換金できないお金)は使わないで欲しい、という注意書きもあった(^_^;)。
神主さんと言うより、何やら管理事務所っぽかったような……。

この「神明神社」(地図)には、説明版など一切無く、地元散策系の本(郷土史ガイド)等でも、創建や設立に関わる記述を見掛けないから、不詳なのだろう。

境内に入ると、左に建物があり
拝殿に続く石段を登る

ガイド系の本には祭神を「天照大神」としているが、それだけは伝わっているという事か、神明社は一般的に天照大神を祀る神社(伊勢神宮系)だから、常識的に察して、そう記されてるだけなのかはわからないけど(^^ゞ。

神明社は近隣に他でも見掛けるが、ここに近い所では、この南方にあり(地図)、そちらの神明社は、元は江戸川の堤防下にあったのが現在地に移転したものの、前身は江戸時代には既にあったとされているらしい。

伊勢神宮と言えば、相馬御厨……すなわち千葉氏が思い浮かばないではないが、この辺りは、かつて根本城があったと言われ、城域には千葉氏の信仰した妙見神も祀られていたという。

←階段を登って振り返る。

見ての通り、城があるに相応しい高台にあり、北東方向に続いて来る台地を、一度、谷(城の濠があったと推定)を隔て、その先の独立した台地上にあったと見られている。

遺構や絵地図などは全く残って無いが、城域を推定すると、金山神社地図)を北端、岩山稲荷神社(地図に見つからないが、だいたいこの辺かと→地図)を西端、そして、この神明神社地図)を南端とする一帯が想定されている。

創立期は不詳で、南北朝の頃の新田氏に関係する伝承などもあるようだが、確実なのは、戦国期の高城氏の時代以降じゃないかな(例によって(^_^;))。

拝殿から見る、二つの狛獅子と松戸の町並み(パノラマ5枚180度以上)

北の「金山神社」には、高城氏の城主夫妻の墓伝承があると言われ、高城氏には(佐倉)千葉勝胤の息女が嫁いでいるので、千葉氏の信仰する妙見が祀られた、という事かもしれない。

また、西の「岩山稲荷神社」は高城氏自身(胤吉か胤辰?)によって建立され、1592年に胤知に再興(改めて勧請)されたという。

ただ、今いるこの「神明神社」が根本城と関係あったかとなると、付近にある池田弁財天などは遊郭女郎が信仰した伝承があり、江戸時代も維新以降の開墾時代も、神社勧請の可能性は多く考えられるから、伊勢神宮系ってだけで、城との関係に限定はしにくい(^_^;)。。

お社の後方には、さっき見た市役所の建物郡がズラリ(^^ゞ

高城氏の系図というのは、ひどく統一性に欠け、「コレです(^^)」と提示できるものがない。

例えば、AとBを父子とする物あれば、祖父と孫とする物あり、その間に何代も入り込む物あり、CとDを兄弟とする物あれば、伯父・甥とする物、大叔父・姪孫とする物、同じく間に何代(以下省略)……という具合(^_^;)。。

強いて、比較的信用できる検証を繋ぎ合わせると、だいたい……(あくまでも「だいたい」ね(^_^;))

<高城>
胤忠?−胤吉?┬胤辰(小金)−胤則
           ├胤正(松戸)
           └胤知(根本)

胤辰が1582年に没すると、まだ12歳の胤則を伯父達が支えていた。
1590年の小田原征伐では、胤知も胤則も小田原城に籠城し、開城を迎えている。

金山神社や岩山稲荷神社にも、今度は亭主と一緒に訪れてみたい(^^)。

以上、関連事項は(2016/09/12、後追リンク)
■高城氏
2004年8月<寄り道2、広徳寺「高城氏の墓所」>(高城氏墓所)
2004年9月<松戸七福神巡り7、「寿老人=徳蔵院」>(国府台合戦供養祠)
2005年10月<増尾城址公園(千葉県)>(増尾城)
2006年8月<箕輪城跡>(箕輪城)
2007年6月<松戸・大谷口歴史公園(小金城跡)>以降(大谷口(小金)城・根木内城)
2007年9月<松ヶ崎城跡(柏市)>(松ヶ崎城・根戸城)
2008年5月<年始(^^)・「松戸七福神」巡り>
2008年7月<牛久城跡、2>
2009年6月<「布施城跡」と、その周辺(柏市)>(柴崎城・布施城)
2009年9月<相模台城跡>(相模台城・千葉城)
2009年10月<胤重寺>
2011年12月<殿内「ダガシヤ・ダイチャン」(駄菓子屋)>(栗ヶ崎城跡周辺)
2013年11月<高柳城跡「善龍寺」、桜の残り咲き(^^)>(高柳城・矢の橋)
   〃   <「イラストで知る白井の伝説」と手賀城伝説>(小森城)
   〃   <市川大野「本光寺」(大野城跡)>(大野城)
2014年1月<小森城跡・名内城跡と「手賀合戦」>(小森城跡・名内城跡)
2014年6月<柏市・藤ヶ谷城跡(と高柳城跡)>(藤ヶ谷城(高柳城))
2016年4月<「福満寺」、2(日暮玄蕃の墓)>
2016年6月<城跡・古戦場跡ウォーキング、A行人台城跡〜名都借城跡>内以降

■その他、千葉北西部、戦国期の城跡・墓所など
2005年12月:関宿城
2006年1月:実相寺・宗英寺(足利晴氏墓)
2006年7月:徳蔵院「藤塚稲荷」・国府台天満宮・総寧寺
2006年8月:国府台城・おせし様・龍泉院・弘誓院・箕輪城
2006年12月:師戸城@
2007年1月:師戸城A・臼井城
2007年7月:根木内城A高柳城
2008年11月:龍崖城・常圓寺・芝原(中峠)城・
2008年12月:柳戸砦・高野館・布瀬城
2014年4月A:神々廻城跡
2014年6月:手賀城
2015年1月:増尾城・妙見堂跡
2015年2月:船橋城跡・花輪城跡



■3月〜4月・千葉県柏市・松戸市
<初春の花々、そして桜>


いよいよ春になってきました(^^)。
←まずは雪柳の花に……
↑菜の花など、白や黄色い花が初春を告げてくれ……

花を揺らす風も少しづつ温かさを増し……(^^)
春だワン♪

通りに面して咲くペリウィンクル
遊歩道のタンポポ

このペリウィンクルなんてのは、最近風の戸建ての庭などで「よく見掛けるものの、名前は知らない花(^_^;)」だった。
それが、アメーバ・ピグの「ライフ」(庭作りゲーム)に、このほど「裏庭」というのが登場して、そこで植えられる数種類の庭花の一つになったんで、名前を覚えたんだなー(^o^)v

さて、いよいよ桜の季節、到来(^。^)
今年は六高台の桜並木の入口(地図)をよく撮影した。だんだん咲いてゆく様子をお楽しみあれ(^^)
まずは夕暮れ、桜祭り近付く提灯の列

↑では、まだまだ枝には蕾が多く、提灯の明かりも素通し気味だったが……
↑日を追うにつれ、蕾も次々と開花(^^)→

行き交う人も車も花見モード(笑)
灯りも花に跳ね返るようになり

みんなの楽しみな、桜祭りの日も近付いて来た(#^.^#)

今回はこの後、いつもレポする「常盤平さくら祭り」に進むが↓、実は今年は、↑六高台の桜祭りも行ったので、次回になるがレポしたいと思う(^O^)!



■4月・千葉県松戸市
<常盤平さくら祭り>

殆どは次回に譲るが、今回もちょっとだけ進めておく(^^ゞ。

毎度お断りする通り、新京成電鉄の「八柱」(地図)「常盤平」(地図)「五香」(地図)の三駅区間、線路に平行している「桜通り」(「日本の道100選」)だが、三つの間の駅の名を取って、「常盤平さくら祭り」と呼ぶ。

常盤平と八柱の間にある「ゆりのき通り」との交差点が入口(地図)。
交通整備が立ち示している→

「さくら通り」はもっと八柱駅に近い所(地図)から始まるのだが、しばらく車道が続いてのち、改めて歩行者天国が設けられて、こうなっている。

←入ってしばらく露店の無い道を行くが……
↑やがてポツポツと現れ始め、それと同時に、立ち止まり、店の前で賑わう人達が見えて来る

あいにくの暗さで、桜の見事な咲き具合が今イチの写りだが、この時期こういう暗い写真が毎日のように多く、「デジカメがそろそろ耐久来てるのかな(>_<)」と思っていた。

しかしその後、5月6月と季節が進むと、写真の写りが暗くなくなり、「……という事は、空の暗い時期がわりと長く続いたのかな〜」と振り返る今日このごろ……。

そう思って振り返ると、やはり同じ時期、同じように桜の写真を投稿してるツイッターをいっぱい見たが、同じように「ずいぶん暗いな〜(゚.゚)」と思った写真が多かった。

自分が屋外を歩いている時は、それほど周囲が暗いとは思えなかったんだが、後で写真を見ると、昼間と言うのに、そして雨が降ったわけでもないのに、真っ暗で残念な写りの物が多い時期だった。

屋台の裏側は常盤平団地
この一帯は既に大混雑!(笑)

だんだん屋台がギッシリ軒を連ねる一帯になって来るが、その直前あたりで、屋台の合間から、向こうの景色が見える所がある。松戸で有名な昭和の団地街風景だ。

見ての通り、緑の色がまだ黄色く、白木蓮とかコブシといった白い花が多いので、いかにも初春の風情がある中、とても背の高い大樹に覆われ、最上階も森の中にいるような環境……。

しかし、その一帯がこの祭りでは一番混みあう所で、なぜなら、屋台が始まる最初の頃で、「さあ!食べるゾ!」と思ってる人達が、いっせいに屋台に詰めかけるからだ(笑)。

見よ!これが「常盤平さくら祭り」だっ(笑)→

ちょっとだけ下り上りの坂があるため、人出が一望できる箇所(^_^;)
地図←これよりいよいよ常盤平エリアに入る

……という所で、次回につづくー!

今回は、年末から4月初旬まで一気に来れたが、この桜の写真がたいそういっぱいあるので、次回は行けても5月ぐらいまでかなー(^_^;)。。
(6月にはちょっとお寺巡りもしたんだけどね……)

以上、関連事項は(2016/09/12、後追リンク)
■常盤平さくら祭り・六高台(六実)・八柱霊園・紙敷〜松飛台・今井の桜
2005年5月・本文
2005年12月<常盤平・桜まつり><桜めぐり(六実・常盤平さくら通り・八柱霊園など>
2006年9月<1日目・花と嵐の(笑)「常盤平さくら祭り」@松戸>
2007年7月<常盤平さくらまつり、1>
2007年8月<常盤平さくらまつり、2><六高台の桜と五香の野馬土手>
2008年7月<六実の桜(松戸市)> <八柱〜五香・さくら通り(松戸市)> 以降
2009年7月<恒例(笑)桜祭りと夜桜>
2010年8月<「常盤平さくら祭り」と、手賀沼までの桜風景>
2011年11月<六高台さくら通り>以降
2012年8月<常盤平・桜まつり、1>
2012年9月・全文
2012年10月<六高台ハナモモ通り>〜<4月後半、桜から芝桜、鯉のぼりへ(^^)>
2013年10月<三週間桜、@開花(^^)@松戸市>
2013年11月<三週間桜、B散花@柏市・松戸市>
2015年1月<さ〜く〜ら〜さ〜く〜ら〜(^O^)♪>
2015年8月<梅の花・桜の花(^^)>以降


関連事項リンクは後日貼りますー。……そういや、前回のもまだ貼ってない(>_<)。。
なるべく近い内に着手したいと思いますー

(以上、2016年7月20日)


リンク、貼りました(^_^A)。

最後の桜の開花〜さくら祭りの関連リンクだけ、↑スグ上に貼ってありますが、他の各々の関連リンクは……↓

■東京方面
■クリスマス風景
■正月&松戸七福神
■千葉県から見える富士山(冬)
■手賀沼(リンク専用ページ)
■かっぱの碑と牛久城跡
■栗林義長(東国戦記・東国戦記実録・東国闘戦見聞私記)
■逆井・しいの木台の梅林
■高城氏
■その他、千葉北西部、戦国期の城跡・墓所など

↑は、各々の項目の最後尾に貼っておきましたので、ご参照ください(^^ゞ。(2016/09/03、後追リンク)

(以上、2016年9月12日・追記)

2016年07月20日(関連リンク09月12日追加)

<つづく>
 
     





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