前月の最後で、何とか今年(2012年)正月に入り(^_^A)、続けて日常編の第二弾。 1〜3月まで、今回も駆け足レポ。 そして4月に入ったばかりの所で、前年(2011年)には中止となった、地元の桜祭りは、今年は盛大に繰り広げられた(^O^)。そのほんの触りまでお届け〜♪ レポは今回も地元、千葉県北西部、柏市と松戸市がメインだが、松戸市の東隣、白井市の「白井七福神」にもちょっと手を出してみたのと、3月には印旛沼方面にもちょっとドライブしている(^^ゞ。 今回は前回ほど文章少なくないけど、前回同様、宣伝させてね(笑)↓
実は震災復興応援もちょっとあってね(^^ゞ。みんな!東北・北関東の旅をヨロシクね! COOL SHARE「東北・北関東への訪問運動」/「東北・北関東を訪問して復興支援しよう!」by政府&観光庁 「この夏も、ボランティアに行こう!」/各種お得な交通手段「お得に東北へ行こう!」/「東北観光博」 ■2012年1月・千葉県我孫子市・柏市・白井市 <手賀沼「水の館」と「天然温泉・満天の湯」> ちょっと12月の写真も入ってるけど、だいたい1月の写真(^^ゞ。 まずは手賀沼の北岸を東に向かって走り、手賀沼の中央「手賀大橋」に近づく辺りまで来ると、奇妙な形の建物が見える。 地図A←手賀沼「鳥の博物館」である。
入ったのも一階の出入り口付近が殆どで、たまに小さい展示会場や、ちょっとした講座教室ぐらい入るだけで、二階以上の展示コーナーに入った事は全く無い(爆)。
↑で見る限り、三階建ての二階と三階が展示場のようだ(^^ゞ。 「千葉県の歴史散歩」には「日本で唯一、鳥類について総合的に研究・展示する博物館」と書かれてた。
ただ自分的には、何せ入った事が無いから(笑)、この建物を含む外観に強く印象される所が多い。 この傍を通り過ぎると、特にそれが夜だったりすると、今年(2012)6月に亡くなった、SF作家レイ・ブラッドベリの「霧笛」を強烈に思いだす。 新任の灯台守(男性)が過ごす霧の一夜を描いたSF短編小説だ。 話はこうだ。 灯台守をする先輩の予告通り、海中から一頭の恐竜が現われ、霧笛に呼応して遠吠えをする。 「恐竜は遥か太古の昔に絶滅したはずだ」と主人公は驚き慄くが、その通り、“彼”らの仲間達はとうに死に絶え、生き残った“彼”のみ、独りで何万年も海底にいて、霧の夜に鳴る灯台の霧笛にのみ反応(仲間の声と勘違い)して出て来るのだ。 初めは遠巻きに、やがて少しづつ距離を縮めて近付くようになったという。
その夜、灯台守の先輩は俄かに決断を下し、霧笛を切ってしまう。 すると恐竜は、猛烈な攻撃で灯台を徹底的に破壊し、もはや永遠を決定づけられた孤独に絶望し、啼き悲しみながら海底へ消えて行く。 こう書くと、迫力ある怪獣映画のようでもあり、怖い気もするが、全体を包むトーンは物悲しく、切ない。
私自身は原作を読んでない(^^ゞ。短編8作ほど漫画化された中に読んだ (同じく漫画化の「泣き叫ぶ女の人」は、テレビ映画で見た方が先で、確か「埋められた女」といった題名だった覚えが……こちらはブラッドベリの原作とは知らずに見たのだが、長く印象に残ってる)
恐竜に、孤独や過去への感傷や独占欲や恋情などという高度な感情がある、という科学的な話は聞いた事が無いし(笑)、原作も漫画の通りなら、恐竜の感情を代弁して物語るのは、先輩の灯台守であって、恐竜自身がどういう心境で霧の夜に出て来て啼き、霧笛が出なくなった途端、灯台を破壊しまくったのかは、勿論わからない(^_^;)。 しかし、こうして水辺に塔が立ち、霧の闇夜に、黒々と姿態を浮き上がらせる様相は、水の向こうから何か巨大で原始的な化け物でも呼びこんでいるのではないか……という幻想を湧き立たせるのに充分な空気に満ちている。 SFや漫画は、所詮、SFや漫画に過ぎない(笑)。 が、手賀沼は確かに古代から在り、太平洋から繋がる「香取海」(霞ヶ浦、印旛沼、利根川を繋ぐ古代の中海)の西端に位置していたから、歴史のまにまに、所々を埋め立てられず今でも海のままだったら、こうしてここに本物の灯台が建っていたかもしれない。
地図B←手賀沼温泉「満天の湯」。手賀大橋を渡ってスグ(^^)。ちなみに、この手賀沼より北は我孫子市、南は柏市。今柏市に入ったトコだ。 手賀沼・天然温泉「満天の湯」(パノラマ3枚ほぼ180度)
↑左に温泉施設の入口。中央は、今は貸し自転車やってたかな。右には無料の足湯コーナーがあって、夕方ごろまで開いてる(^^)。
入って進んで玄関に到着(^^)。(パノラマ4枚180度以上)
↑左は物産展。玄関から入って、主に左は1〜2階とも飲食やリラクゼーションのための広間。右にお風呂(^^)。 この玄関前のイルミネーションが特にスゴイんで、振り返ってみると……↓ こんな感じー(≧▽≦)(パノラマ4枚180度以上)
外に出た途端、辺りはシーンと静かで、沼に囲まれてるから特に夜は暗いし、ヒンヤリとした風情が、ちょっと旅行先で見る星空の下っぽくて、ウキウキ気分になるんだわぁ(#^.^#)。 こちらは2階、飲食コーナーから写した階下の庭(パノラマ2枚)
外の風景なので撮らせて貰ったけど、館内は撮影一切禁止〜( ^^)× 手賀沼は今は静かな湖で、下手賀沼に結ばれる川筋は狭く、川の廻りも田んぼになってるけど、昔は下手賀沼にまで太い「つ」の字に繋がる、わりと広い流域だった(^^ゞ。 古くを遡ると、さっきも言った通り、利根川や印旛沼、果ては太平洋にまで繋がる香取の海の西端だった。 沼には昔、鰻も手づかみで捕れた程いたそうで、江戸の鰻は8割型まで、この手賀沼で捕獲されてたんだとか(゚.゚)。 昔は、このイルミネーションに示されるように、もっと賑やかに繁盛してたのかもしれないね(^^)。 <真冬の手賀沼> 前述、「つ」の字の上部。地図C 1月初旬ごろ。快晴、草が白く、湖は濃藍(パノラマ2枚)
1月中〜下旬ごろかな。湖上の濃雲(パノラマ縦6枚180度以上)
ところが反対方面はカラリと激晴(笑)(パノラマ縦6枚180度以上)
↑見事に、「湖の上だけ濃雲が垂れこめる」の図(笑)。 関東平野は「空っ風」で知られる通り、物凄く乾燥しているので、特に田んぼに水の無い冬は、湿地を遠のくと、雲がスッカラカンに消えてしまうんだねぇ(^_^;)。。 お次は下手賀沼との間を結ぶ下手賀川、分岐点近く「発作橋」の白鳥サンに会いに行く(^^)。「つ」の字の折れ曲がった所だ。地図D
まるでNHKの大河ドラマのように、別々に撮った絵を繋いでドラマ仕立て(笑)。 <白井七福神めぐり@大黒@「延命寺」>
↓この道をやって来て、左に→「延命寺」(パノラマ3枚ほぼ180度)
この「延命寺」は、こちらの案内によると、平安時代の1005年に、都から旅の僧・賢澄上人が、その時は手賀沼の高台に庵を建て、農耕の人々の無病息災を祈った事に始まる。 それが、いつ頃からか本郷下という場所に建て替えられたそうだ。 江戸期、 寛永元年(1624)平塚村が大火に見舞われ、焼失したので、万治三年(1660)に領主となった井上(筑後守)政清が大檀那となって、名主の山崎善四郎に命じ、寛文8年(1668)に本郷下から現在地に移して、まず観音堂を建立した。 寛文10年(1675)から本堂の再建に着工を開始し、宝三年(1675)山門が先に完成。井上政清はここで亡くなるが、事業は続けられ、貞享元年(1684)に本堂も完成した。 続いて、政清の子・三代(筑後守)政蔽は、元禄元年(1688)真言宗の放流を持つ祐譽上人を迎えて開祖とし、善登山蓮華院延命寺と号し、両界曼荼羅を贈る。 宝暦10年(1760)には庫裡、天明三年(1783)には、六代(筑後守)正国が、鐘楼堂を建立。 梵鐘は、この時に平塚村の庚申講中が寄進している。 この観音堂・本堂・鐘楼(梵鐘)が、境内に入った途端、一気に出て来るので、まず入ってみよう(^^ゞ。
山門を潜ると、早速、左から「観音堂」、本尊は十一面観音像。金沢の大工による方三間の禅宗様式のお堂(県指定有形文化財)。 中央の参道の奥に「本堂」、本尊は延命地蔵尊。 ちなみに、「七福神」の「大黒天」や、「涅槃像」は、この本堂に祀られている。その手前に出店(紅白の垂れ幕。正月の時だけかもね(^^ゞ)、そして右に「鐘楼」の並び↓ 観音堂・本堂・(出店)・鐘楼(パノラマ4枚180度以上)
右の「鐘楼」の鐘には、インドや中国の西安などシルクロード系の絵を描く画家・田村能里子さんの絵を元に、各四面に壁画を鋳造した鐘が吊るされている。 田村氏の画歴と、当時の回想文(エッセイ)を刻んだ石碑が建てられていた。 鐘には四面(東西南北)に、「大和の里で遊ぶ童」「西域の隊商・駱駝」「宮園の貴妃官女」「都の馬人競技」が描かれ、面と面を菊・桜・向日葵・牡丹といった国花などで繋ぐ図柄……という事なので、鐘の壁画を四面とも写真に撮ったんだが……。 どうも今イチ、彫り具合が薄ボンヤリとした隆起で、殆どハッキリ見えないので割愛(^_^;)。。 ただ、梵鐘の「火入れ式(鋳造)」が、読経を上げられる中で、鐘の素材(数百度の高熱に溶かされた銅)を流し込む様子など書かれていて、スゴイな、と思った。 (梵鐘の写真はこちらに→「延命寺」梵鐘@「田村能里子オフィシャルHP」より) この梵鐘が先ほど「庚申の講中が寄進して造られた」という歴史にちなんだ物が失われてしまったので(経緯は下に書く)、鋳造したのかな(^^ゞ。 他の堂宇については、まず向かって左手に、樹木に隠れて見えないけど、「四国八十八ヶ所巡拝石」と、「天神様」のお堂が隠れている。 逆に本堂の右隣の奥に「翠光殿」なる庫裡のような建物。↓
左「天神様」は菅原道真だね(^^ゞ。傍の旗には「入試合格祈願」などと書かれていた。 右「翠光殿」は、法要に使用するような事が書かれてて、お寺の由緒書きから想像するに、近年、参拝客の休憩所として造られたのだろう。 由緒の続き(^^ゞ。 明治維新後、廃仏毀釈によって寺領は境内地を除き官有地とされ、廃寺への一途を辿ったが、明治39年(1906)茨城県徳満寺より23世住職に俊彰師を迎え、盆に新霊者の供養のための花料と称して、供養の寄進を得て、復興を図った。 俊彰師自身は、昭和14年(1939)に乞われて、徳満寺の住職となったため延命寺を去ったが、官有地だった山林は福田・山本の両氏の協力を得て無償で払い下げを受け、これが現在の白井霊園の用地となった↓
第二次世界大戦によって、先ほどの梵鐘も献納となって失われてしまい、昭和21年(1946)自作農特別措置法によって、田畑は解放され、寺の所有財産は、前述の山林のみとなってしまった(^_^;)。 昭和25年(1950)、先ほどの俊彰師の弟を迎え、昭和30年(1955)に観音堂の屋根を改修、昭和44年(1969)に、後の千葉ニュータウン計画発表を聞くや、新規移住者の死後霊園の必要性を考え、白井霊園を造成。永代使用料を得て、本堂の屋根の改修、庫裡の建替えを行った。 白井霊園の10周年を記念して、浄財を集め、客殿、寺務所、休憩所を造り、昭和56年(1981)、落慶法要に漕ぎ付けた。 ちなみに、先ほどの新しくデザインされた田村氏の梵鐘は、2002年の作品のようだから、さらにその後の鋳造と見られる(^^ゞ。
古い五輪塔は倒れやすくなってるので、近付かないよう注意書きが示されていた。 五輪塔は、各代の住職さんのお墓かなと(^^ゞ。 右の如意輪像の方は、十九夜塔と言うらしい。 白井霊園というのは、この後ろに見える墓地も入るんだろう。 ちなみに寺の敷地の隣には、昭和55年(1980)松戸市が公園緑地部に「白井聖地公園」の建設事務所を設け、この事業に当ってるようだ。似たような名前だが、お寺の右手のかなりの広大な敷地の方ね(^_^;)。→地図F で、肝心の「大黒天」@七福神は、上記の通り、本堂の内部にあるようで見れなかったんだが(^_^;)、境内の案内には、正月は元日から7日まで「しろい七福神巡り」と書かれてるので、その期間に来れば、大黒天もご開帳なのかも(^^ゞ。 七福神巡りの特典として、「甘酒」などの接待、「破魔矢」など縁起物、「大黒窯」なる焼き物の展示を行うそうだ。 2日には筑波山の「ガマ口上保存会」から口上士を招いて、話芸の実演が催される事や、18日に「初観音護摩」が開かれるので、特に十一面観音参りを推奨していた。 特筆するのは、縁起物の販売に寄せて、「しろい環境塾」の「竹製品」がお目見えする事。 地域のNPO団体で、寺のスグ近くの山林にキャンプ場っぽい基地(地図G)があって、里山環境の保全活動を行っている。 そちらのブログなど拝見すると、何かと言うと、この延命寺に集まったり寄ったりしている楽しい様子が伺える(^^)。 <白井七福神めぐりA恵比寿@「長楽寺」> 今度は、「恵比寿」さん。こっちは会えたよ(^O^)。松戸七福神みたいに屋外に像があるわけじゃないけど。 地図H←「長楽寺」はここね。だいぶ南に来たよっ。 北側に寺の敷地に行ける道が伸び、お寺には東に行き過ぎ、南に曲がり、ちょっと廻り込んで入る。
両側植え込みの合間から境内が展開(^^)(パノラマ3枚ほぼ180度)
正式名を「七宝山・長楽寺」。 ここには、像高97センチと白井市では大きな仏像の一つ、阿弥陀如来立像があり、市の指定有形文化財になっている。 江戸初期の作と見られ、「元禄藤原風」の例と書いてあった。桧の寄木造りで、眉間には水晶の百毫があるそうだ。 見学したい場合は、管理者(長楽寺)に了承を得るよう注意書きが書かれていた。(白井市根1386番地)
恵比寿については、お祀りされてる各地の寺社と、だいたい同じ説明で↓
とここまでは異口同音だが、何気なく最後に連なる……↓
この一文は初めて聞いた気が……(^^ゞ。 ……と言いつつ、過去どっかに自分で書いてたらゴメン(ありがちっ:笑)。 ところで、もう一体の「大黒」の方は、恵比寿とはちょっと趣が違っている(笑)。 左右の耳部分をよく見てみよう↓
これについては、こういう紹介↓
そいや、なんで「三面大黒」なのか考えた事無かったので、ちょいとタメになったわい(^^)。 「長楽寺」自体の説明は……無かったような(^_^;)。。 ネット上で見られる自治体サイトでは、文明年間(1469〜86)の開基とあって……応仁の乱の直後だよねぇ。興味シンシン。 <大日神社> 「長楽寺」の隣(←)は「大日神社」の繁み(パノラマ5枚180度以上)
地図I←拡大して貰うと、隣との間に↑こういう細い道があり、隣の森は神社の敷地になる。 改めて正面から。「大日神社」(パノラマ5枚180度以上)
1月、2月、10月の各々例祭には雅楽が奏されるようで、「大日神社神楽」と称し、特殊神事であるという。 他に、庚申塔や出羽三山(湯殿山・月山・羽黒山)の石碑も建ち並び、7月には合祀の八坂神社「天王様」を祭る。 ちなみに合祀の各社は…… 「八坂神社」(素盞嗚命)/「三峰神社」(伊弉諾命・伊弉冉命)/「駒形神社」(大山祇命・宇迦之御魂命)/「疱瘡神社」(大直日命)/「天神社」(菅原道真公)/「足尾神社」(猿田彦命)/「出羽三山神社」(月読命)
神田明神のは滝も配され、夫婦親子の「石獅子」が乗ってる「獅子山」という岩山で、千葉市の千葉神社にも似たのがあった。「唐獅子」と言うようだ。 つまり、どちらも、もう「犬」とは呼ばれてない(^_^;)。 もちろん狛犬の位置にあるのではなく 独立した岩山なんだけど、ここのは一応、狛犬のように参道の両脇を固めているから、尚更スゴイ(^_^;)。。
深い森の茂みに覆われ、ちょっと荘厳な雰囲気の神社ではある。 行ったのが冬だから尚更、田舎の風情が濃厚で印象深かった。 手水に張った水は表面が薄氷になってて、足元の土は、つい先ほどまで霜柱が出来てた跡が残って、踏むとザクザク音を発て、子供の頃の冬の朝を思い出した(笑)。 ……今、辞書で調べたら、「霜柱」って関東の赤土の特徴なんだとか?(関西だと出来ないの(^^ゞ?) 以上、関連事項は、 ■正月&松戸七福神 2004年8月全文 2004年9月全文 2005年12月<お正月(^^)・そして今年も「七福神巡り」> 2006年7月<八柱「藤塚稲荷」><松戸オマケ・各所、風雲名物(笑)> 2007年6月<松戸七福神巡り><松戸・大谷口歴史公園(小金城跡)> 2008年5月<年始(^^)・「松戸七福神」巡り> 2009年6月<今年も年始は「松戸七福神めぐり」から> 2010年7月<初日の出とお正月(^。^)><松戸七福神で初詣> 2011年10月<新年は今年も、松戸七福神巡り(^^ゞ> 2012年7月<正月・松戸七福神巡り> ■獅子山 2007年9月<神田明神つづき、いよいよ参拝(^^)>内 2009年10月<千葉神社> 2009年12月<東京都「神田明神」>内 ■2月・千葉県柏市・松戸市 <冬空・雪・野馬土手・節分・氷> 雪国の人には恐縮ながら、千葉県は雪が多くない(^^ゞ。 と言っても千葉県も北部と南部では気温がまるで違うが、北部でも降雪は一冬に多くて10回以内、積雪になると1〜2回。3回も積もれば多い方だ。 それが今年(2012)は、降る量はそれほどと思わなかったが、降ると必ず積もり、しかも溶けずに凍るんで、何日経っても雪が消えず、近所の人とも会うたびに「雪が無くならない!」と驚き合う始末だった(^_^;)。。 つまりは気温が低いんだね。。 積もった雪は氷となって、特に日蔭の道路では飴のようにいつまでもへばりついて、付近は風が吹くたび寒かった。
庭っつーか、ドッグラン広場ね(^^ゞ。五香六実の野馬土手(地図J)あたり。
昔は、こういう月や星の浮かぶ土手向こうの夜空に、馬が嘶く声が響いたりしてたんだろうね〜(#^.^#)。
……と思った割に、レジにいっぱい持ち運ぶ人は、そう多くなかったかも。メニューが多過ぎて、見るだけで人だかりが出来るんだね(^^ゞ。 ああいう縁起物は、人がたかってる光景だけで、何となく景気がイイからね(笑)。 真冬の夕焼け空(パノラマ3枚180度以上)
この冬は本当に何でもよく凍った(^_^;)。。車に乗ってる雪も、平年だとすぐ溶けるんで、ちょっと放っておいたら、なかなか溶けなくて焦った。。 やや時間が経ってから慌てて掻き落としたけど、フロントガラスにへばりついた氷はそのまま凍ってしまうし、ちょっと降った雪でも雫が垂れると、下のように……↓
スグこうなっちゃう(^_^;)。。一日にちょっとしか溶けず、一度溶けて流れかけた氷雪が、昼までに寒気が戻ってツララになっちゃったり……。。 この冬も長く、節電が呼び掛けられた。 「二瘤ラクダ型」と言われ、朝出勤した労働者が会社に到着する9時ごろと、帰宅者と夕飯の用意が始まる時間にあたる夕方7時ごろの2度ピークがあるので、その時間帯は特に電力を使わないように……という事だった。 なるべく厚着をしたりして凌いだが、そのせいか、何となくいつも風邪めいた感じがあって……(>_<)。。 年末年始にインフルエンザの予防接種したのに、「インフルエンザでは?」と思うような風邪をひいたりもした。 そして、「今年の予防接種は効きませんでした」とかいうニュース聞いた時は、「やっぱり」と思ったり、「金返せーヽ(`Д´)ノ」と思ったり(笑)。 まぁインフルほど高熱が出たわけじゃないので、違うだろうと思ったが、何でも今年のインフルはそれほど熱が高くならないタイプもあるとか噂話に聞いたり……(これはホントだったのかな(^_^;)?) 以上、関連事項は、 ■野馬除土手 2007年8月<六高台の桜と五香の野馬土手>内 2007年10月<野馬除土手> 2011年1月<初夏、沼南〜松戸の野馬除土手> ■3月・千葉県柏市・松戸市・印西市・成田市 <あれから1年> 東日本大震災から1年が経つ頃を迎えた。 3月11日を迎える前ごろ、「東北からの花」と銘打って、花束が街頭に並んだ事がある。
未だに行方不明のままとなっている方々、身元の判明しておられぬご遺体、瓦礫や海流などに紛れ、持ち主の元に帰らぬ大事な品々、出来るだけ多く、出来る限り一刻も早く、待っておられる方々の元に、懐かしい故郷に辿り着きますように。再会されますように。 <印旛沼うなぎロード(^。^)> ↑と呼んでるのは我々だけで(笑)、二つある印旛沼の北の方を渡る464号線の 「境田交差点」(地図K)「甚兵衛大橋」(地図L)「麻賀多神社」(地図M)「宗吾霊堂」(地図N) と並ぶ一本道の間で、だいたい「境田交差点」から「麻賀多神社」あたりまでかなぁ(^^ゞ。鰻屋さんが右に左に出て来る道。 ちなみに「甚兵衛大橋」から「宗吾霊堂」までの間を「宗吾街道」とも言うらしい(^^ゞ。 境田の交差点(地図K)を過ぎて、しばらく車を走らせると、まず「甚兵衛大橋」(地図L)を渡る頃、僅かな期間ながら周囲に印旛沼が目視できる。
地図O←この空間を何と呼ぶのが正式だろう。 地図では「水神社」とあるが、現地には「甚兵衛の森」という石碑もあれば、「県立印旛沼自然公園」とする看板もあり、「甚兵衛渡し」という説明書きも見られる。 思うに……「県立印旛沼自然公園」は、印旛沼全体か、ある程度の広域を指し、その内のこの区域が「甚兵衛の渡し」が行われた(或いは伝承された)辺りという事で、「甚兵衛」の名を冠して保護する緑地……という意味と受け取っておく(^_^;)ゞ。 地図の上では何も名が無く、現在の所「台方ラーメン」のお店が目印として確認できる(^^ゞ。
ここに言う「甚兵衛」というのは、佐倉宗吾(木内惣五郎)が過酷な状況にある地域民を救うため、ご法度の直訴に及ぼうと江戸に出るのを、手助けすべく禁止されてる渡しに及んだ、とされる伝説(創作?)上の人物なんだねぇ。 説明版には、小舟に乗る宗吾と小舟を漕ぐ甚兵衛が絵に描かれている。 甚兵衛は宗吾(惣五郎)を無事に渡した直後、この印旛沼に身を投げて死んでしまう。つまり宗吾と並んで義挙に身を投じたとして、ここに顕彰されてるという事になる。 (そもそも佐倉宗吾じしん、後世にいっぱい脚色・創作されて、芝居になった人物なので、「物語の舞台」と言うのが正しいかな:笑) (佐倉宗吾については、2005年11月<うなぎロード(印旛沼〜宗吾街道)>内を(^^ゞ)
で、ここから先が「宗吾街道」という事で、成田市に入るんだが、ここに至る前(印西市)から「うなぎ屋」(和風料理屋と言うべきか)が確かあったと思うが、この先はいよいよその感が増して来る(^^)。 左は印旛沼漁業協同組合の直営レストラン「うなぎ水産センター」、右の「甚兵衛茶屋」は「そばうどん」の旗が出てるけど、勿論どちらも「うなぎ料理」をやってるお店(^^)↓
実はここにこうして来る前、ウチの近くで、前から一度入ってみたいと思ってた鰻屋に行ってみたら、昼時と夕方以降しかやってない店で閉まっていた。 「残念(>_<)」 と思いつつ、お店に「値上がりさせて頂きます」と張り紙がしてるので、 「去年の夏、鰻が不足だとか言ってたけど、あれがまだ続いてる(゚.゚)?」 とあちこちの鰻屋を注意しながら見ると、わりと同じ張り紙をしてる店が多かったので、 「うなぎロードに行ってみよう」という事になった。 あちこち高騰の勢いを見て、さすがに地元の地場産業なもんだから気になったのもあったし、実は震災後、印旛沼方面に行くのは初めて……というのもあった。聞けば成田あたりも地盤の問題があって、かなりの被害が出たという話も聞いていたし……。
実は「錦谷」に至る前、道の左右に鰻屋が対面する「い志ばし」と「かどかわ」の両方が閉店していた。。 ……と言っても、早めに店じまいしてただけのようで、いつも入るのが「い志ばし」なんで、先にそっちに入ったら、「3時で終わり」と、追い払われてしまったのだ。。 元々そう愛想の良いお店ではないから、それは気にならないんだけど(笑)、前は確か5時までやってたハズ……と、家に帰って調べてみた所、ここを紹介してるサイトはどれも「5時まで営業」になっていた。 これも……この所の「鰻不足」の影響かな、と……(>_<)。。 この時点では「並」で「1470円」のメニューが張られたけど、それも何とか値段を上げず、仕入れられる量だけ商ったら店を閉める、って方向でやってたのかもしれないし、その後、値上がりしたかもしれない。
さすがにその後も、2600円で食べさせる店は、ずいぶんな高級店か、高級メニュー(上や特上など)だったように思うが、この時は他店の早い閉店にも、あちこちで見た「値上げのお知らせ」にも動揺して、「今こんなモンなのかも(^_^;)」と注文してしまった。 閉店した店や、時間より早く閉める店はウチの近くでも少なくない(^_^;)。。 ようやく事態の深刻さに焦り始めた頃、思い切って近くの和風ファミレスでメニューを見たら、一応1000円前後だったので「こういう所ならあるんだ(^_^A)」と頼んだ所……凄く貧弱でマッチロな鰻が出て来て、もちろん鰻の味など全くせず、カサカサした肉で、驚いた事もあった。 で、ここ錦谷の2600円は、流石お値段だけあって素晴らしく美味しく、鰻もタップリあった(笑)。 ここでも「値上げのお知らせ」と題して、この所の高騰について事細かに説明された文章がメニューに載っていた。 それによると、売り手の方で売る先を選ぶぐらい売り手市場になってしまった、という話だった……(TOT)。 その後は……夏に「すき家」のを食べたきり(爆)。 まぁ昔は年一のご馳走だったんだから、個人としては充分とも言えるが、地元の地場産業……と言っても、今日的事情で輸入物を使用してるにせよ、伝統食・風物的な意味合いで、鰻文化の行き先が心配になって来た。。。
印旛沼の湖面が見える辺りが、さっきも渡った「甚兵衛大橋」の周辺で、ここからまた印西市に戻る。 この日は、ちょっと曇ってたかなぁ〜ぐらいにしか思ってなかったけど、今見ると、ずいぶんな雲だね(^_^;)。この宗吾霊堂に至る道筋は、やたら濃霧が出たり、こういう怪しげな雰囲気になる事が多いのよ(笑)。 通り過ぎただけだから、詳しく見たわけじゃないけど、当初気にした震災の爪跡は、1年も経って当然ながら、殆ど見られなかった。が、道路には亀裂や凸凹に歪んでる所もあった。
以上、関連事項は、 ■印旛沼うなぎロード 2005年11月<すすきロード(千葉ニュータウン)><うなぎロード(印旛沼〜宗吾街道)> 2006年11月<宗吾霊堂、1> 2006年12月ほぼ全文 2007年1月<「印旛沼公園」(師戸城跡)、2>内・<印旛沼> 2008年4月<印旛沼〜宗吾〜佐原香取> 2008年5月<千葉ニュータウン〜印旛沼>以降 2008年6月<麻賀多神社、2>内 2010年8月<「房総のむら」レストラン〜印旛沼周辺の夕日> <梅の開花がすごく遅かった件>
さて、お次は松戸市に古くからあるケーキ屋さんをご紹介。 「古くから」と言っても、小学一年で引っ越して来た時は既にあった、というだけで、松戸の住宅街がそもそも新興住宅地の走りだから、「そうした新しい町の中では古い」という言い方が正しい。 一応HPもあるよ(^^ゞ→「mikawaya」 HPには「40年来」と書いてあるけど、私の記憶が確かなら(笑)、46年前にはあった、という事に……。 何だかんだ、地元で50年ぐらいやってる洋菓子屋じゃないかな(笑)。
私の知る限り、以前は3店舗(他は、地図Q・地図Rあたり(^^ゞ)はあった。 違う店かもしれないけど、上本郷(地図Sあたり)にもそっくりの雰囲気でやってる「ペリカン」というケーキ屋があって、姉妹店じゃないかって、姉と話した覚えがある。 今HP見ると、写真↑の本店の他は、常盤平駅前の「セブンタウン」(地図T)というショッピングビル内に店舗を出してるだけのようだ。
さりげなくオリジナルのアイディア商品が人気で、後から(と言っても20年ぐらいは続いてるけど)、ガトー・ショコラ、カルディナルロールといった新作品も加わって、ガトー・ショコラが生クリームをサンドしてるのがアイディアだね〜なんて喜んだ覚えがある(^^)。 お土産に出来る焼き菓子やクッキーもあり、店内にはアール・デコ調っぽい喫茶コーナーも設けられて、長く町に欠かせない、美味しくて洒落た(そして今ではレトロな(^_^;))雰囲気を醸してくれている。
地図U←だいたいこのへん。 今年は梅の開花の遅さが異常だった(^_^;)。 どうも咲き加減も、一斉にド〜ッと揃うのではなく、チョボと咲いては間を開けて、また咲いてという感じがだったような……。 いつも楽しみに見せて頂く梅林(^^)
元々梅は花の期間が長いから、もう終わったと思ってると、他の所で盛大に咲いてるなんて事もあり、種類にもよるのかもしれないけど、東京では早いと1月下旬ごろに咲き始めてる枝を見た事もあった。 その点、千葉は寒いんで(^_^;)、見掛けるのも2月に入ってからだが、それでも3月には咲き終わって、桜が咲くまでに少し間が空いてたような覚えが……。 ところが今年は、3月に入ってからも、いつも咲いてる場所でも殆ど見掛けず、「もう咲き終わったのかな(゚.゚)?」なんて言い合った。 実際に咲いたのは、さらに遅い3月下旬〜末ごろで、二度咲きした梅もあったような……?
梅や桜も無いのに、見るからに春……という感じの夜空って、なかなか撮れないので(^^ゞ。松戸運動公園ね→地図V
地図W←だいたいこの辺かな。常盤平の住宅街。
お次は、また手賀沼南、「将門神社」(龍光院)近く(地図X)↓ 「将門通り」など、将門ウォーキングルートと呼ばれる寺社が密集した一帯は、雨など降ると一層、山奥の隠れ里のような風情が濃厚となる。
そして手賀沼に到着。春の嵐ぎみ(パノラマ2枚)
この時は「さほどの悪天候って程でも……(^^ゞ」と思ったのに、こうして見ると、かなりの荒れ模様に見えるし、過去もこれぐらいの季節、荒れ模様の手賀沼が写ってるから、思うに黄砂の影響かね(^_^;)。。 水面に近付いて見る(パノラマ2枚)
以上、関連事項は、 ■逆井の梅林 2006年8月<まずは逆井の梅から(^^ゞ> 2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢> 2011年10月<初春の手賀沼・古利根川> ■手賀沼・手賀川・下手賀沼 2006年8月<手賀沼> 2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢> 2007年9月<手賀沼温泉「満天の湯」(爆)>以降 2008年4月<柏市・手賀沼> 2008年5月<年末(^^)> 2008年6月<黄砂吹き荒れる手賀沼>以降 2008年7月<逆井の梅花〜手賀沼(柏市)> 2008年8月<お花見続行(^^)> 2008年11月<千葉県我孫子市「手賀沼公園」>以降 2008年12月本文 2009年5月<古利根川・手賀沼・清遊湖> 2009年6月<手賀沼と発作橋(冬の白鳥)> 2009年8月<日頃の風景(手賀沼)から(^^ゞ> 2009年9月<初夏の布瀬と手賀川(^^)> 2009年12月<柏市「手賀沼」「下手賀沼」> 2010年7月<手賀沼と下手賀沼から、富士山・筑波山を> 2010年8月<手賀沼北岸(我孫子市)の桜模様(^^)>以降 2010年12月<梅雨の風情(湖と蛙と紫陽花)>以降 2011年1月<手賀沼の晩春〜初夏> 2011年4月<晩夏〜初秋・手賀沼までの空と雲> 2011年9月<柏市〜白井市、秋の夕暮れ><同じく、夕月・夜雲>および<日没> 2011年10月<クリスマス本番〜年末>以降 2011年12月<晩春から初夏にかけて> 2012年1月<ニョキニョキ歩き雲>以降 2012年7月<ハロウィンの頃まで>内 ■4月・千葉県松戸市 <常盤平・桜まつり、1> 3月31日と4月1日は、毎度お馴染み、「常盤平(ときわだいら)桜祭り」だった。 去年は震災の後で中止だったから、2年ぶり(^^)。我々は日曜(4/1)に出た。 桜通り自体は、新京成電鉄の「八柱」「常盤平」「五香」の3駅をバッチリ埋め尽くしているが、「桜祭り」は、八柱と常盤平の途中「ゆりのき通り」との交差点から通行止めにして、歩行者天国が始まる。 特に、常盤平に着く手前から五香までの長い道のりを、エンエンと屋台が並んで埋め尽くす様子が圧巻。
「ゆりのき通り」に向かう道々、見終わって帰る家族連れが「咲いてない桜祭り」と言っていた(笑)。 それでも、蕾すらまだ固い枝もあれば、既にチラホラ咲き掛けてる枝もあったので、何とか「蕾祭り」までは持って来れたね(^_^A)。
盛大に揃ってる(゚.゚)。お座り人形たち
ウチの近くの喫茶店や、玄関前や前庭飾りにしてるおウチもちょくちょく見掛ける人形なので、流行の人気キャラかと探してみたらナント、インドネシアの雑貨屋さんの「バリ島木彫り」のコーナーにあった……(゚.゚)。 「お座り人形」@「インドネシア雑貨屋台・ぶんぶん堂」より(他にソファやアウトレット商品もあるよ(^^)) ここの他にも見付かるけど、どこも「バリ島人形」と言ってるようだ。ウチ辺りではよく見掛ける(^^)。アジア系のお店も多いしね☆ミ
そして最初の交差点。車が通りますーはい下がってー!
地図Z←ここね。右に見えてる森が「しょうぶ公園」↑ 徒歩だから大した距離じゃないけど、地図を拡大して貰うと、ちょっと移動してるのがわかる(笑)。
続きは次回(^^)。 前月と今月2ヶ月で、半年分を一気に走って来たが、次回はちょっと止まって、桜祭りの続きもさることながら、本格的に咲いた桜の様子をメインでお届けしたい! 今年は桜の写真がいっぱい撮れてる! この祭りも、まだ咲いてないのに大盛況だったし、その後、祭りでもないのにどこ歩いても花見散歩の人が多かった。 去年は震災で、祭りや花見どこじゃなかったから、今年はいっぱい見ようと思った人が多かったのかな、と思った(^^)。 以上、関連事項は、 ■常盤平さくら祭り・六高台(六実)・八柱霊園・紙敷〜松飛台・今井の桜 2005年5月・本文 2005年12月<常盤平・桜まつり>・<桜めぐり(六実・常盤平さくら通り・八柱霊園など> 2006年9月<1日目・花と嵐の(笑)「常盤平さくら祭り」@松戸> 2007年7月<常盤平さくらまつり、1> 2007年8月<常盤平さくらまつり、2>・<六高台の桜と五香の野馬土手> 2008年7月<六実の桜(松戸市)><八柱〜五香・さくら通り(松戸市)>以降 2009年7月<恒例(笑)桜祭りと夜桜> 2010年8月<「常盤平さくら祭り」と、手賀沼までの桜風景> 2011年11月<六高台さくら通り>以降 <つづく> 2012年08月23日 |
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