<2015年・城主のたわごと1月>



2014年3〜5月、桜祭り、八重桜、ハナミズキ、芝桜!

柏市増尾「妙見堂跡」、鎌ヶ谷市「貝柄山公園」の野馬史跡!




     
  前回で「茨城北部編」が終わって、今回より日常編に戻る。
以下は定例通り(笑)。

日常編は文章も少ないし、日常編だけ読まれてもそんなに嬉しくないので(笑)、ここで去年同様、前レポの宣伝を行う(^。^)。

〜おしながき〜「茨城北部編」1〜5
「6月のたわごと」(千葉北西城跡・茨城北部1)
■3月・茨城県水戸市・常陸太田市・北茨城市・笠間市
<水戸・茨城県立歴史館「常陸南北朝史」展>
<水戸市街と水戸城「彰考館」跡>
<常陸太田市「大甕神社」へ>
「7月のたわごと」(茨城北部2)
<大甕倭文神社(つづき)>
<1泊目夜〜2日目朝・横川温泉「八幡太郎義家の湯」>
<横川温泉から金砂温泉まで>
<金砂温泉〜西金砂神社の石像群「田楽舞」>
<「金砂城跡」と「西金砂神社」>
<西金砂山〜日立北IC>
<日立北IC〜北茨城IC〜花園神社>

「8月のたわごと」(茨城北部3)
<北茨城市「花園神社」@滝と渓流>
◆義光@、官職を捨てて兄・義家の援軍に駆け付けるの段
<「花園神社」A楼門から拝殿まで>
◆義光A、助けた兄・義家に言い負かされるの段(笑)
◆義光B、今度は貴族に忠義を捧げてみるの段

<「花園神社」B本殿>
◆義光C、結局地元(身内)の抗争に身を投じるの段(^_^;)
<花園〜常磐道〜常陸太田>
◆義光D、兄・義家が死んだ途端の超黒幕な暗躍劇!
<馬坂城跡>
<佐竹寺>
<2日目夜〜3日目朝、笠間市「ぶんぶくの湯」の宿>

「10月のたわごと」(茨城北部4)
<「ぶんぶくの湯」A、霊泉と「源九郎・意成大明神」>
<笠間から、再び常陸太田へ>
<「太田城(舞鶴城)・本丸跡」(太田小学校)>
<「太田城(舞鶴城)・二の丸跡」(若宮八幡宮)>
<昼食・太田街なか「石打うどん」>
<佐竹氏歴代の墓所「正宗寺」>
<正宗寺「佐竹氏一族と佐々宗淳(助さん)の墓所」>
<西山荘>
「11月のたわごと」(茨城北部5)
<西山荘、2(つづき)>
<偕楽園@南門まで(千波湖〜梅桜橋)>
<偕楽園A南崖と見晴らし広場の夕梅(南門・櫟門・東門・好文亭前)>
<偕楽園B「好文亭・奥御殿」>
<偕楽園C「好文亭・東西塗縁〜楽寿楼」>
<偕楽園D「夜の梅」@梅林〜孟宗竹林>

読んでねっ(≧▽≦)!(既に読まれた方は今回のに進んでネ(^^))

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そして、東北・北関東の旅もヨロシクね!

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「お得に東北へ行こう!」

リンク貼ったけど、「東北観光博」は自民政権はやらないみたい。「閉幕」になってますた(^_^;)。
旅*東北」なるサイトが後を引き受けてるっぽいけど、バナーがない(^_^;)。。
東北の歴史」というページが史跡巡り向きって事みたい(説明が殆どないけど。。)

さて今回は、前回の茨城旅行の後、3月の梅に始まり、いよいよ桜の始まり始まり♪
4月は今年も、常盤平さくら祭り開催。今年は満開にピタリと時期が合って、素晴らしい祭典となった(^^)。

4月もだんだん後半に移ろい、春爛漫。やがてゴールデンウィーク♪
増尾城跡に近い「妙見社跡」に偶然行き合った(゚.゚)。

最後は5月、ゴールデンウィークが終わった頃に行った「貝柄山公園」(鎌ヶ谷市)。
ここは以前、相馬野馬追祭りパレードを行なった時、騎馬隊の出発地となった公園で、貝塚が発見された地域でもあり、かつ昔は野馬達が水を飲む場だったとも伝わるそうだ。



■3〜5月・千葉県柏市・松戸市・市川市・鎌ヶ谷市
<さ〜く〜ら〜さ〜く〜ら〜(^O^)♪>


茨城旅行から帰って来て間もなく、梅に次いで桜も咲き始めた。

柏市しいの木台の白梅↓
松戸市松飛台の桜並木→

同じく松飛台から紙敷に続く「さくら通り」(地図


例年この桜通りは逆光ぎみで、写真に移る桜の花が黒ずみがちだが、あれこれ画像を調整して、わりと目で見た通りに再現(^_^A)。


こちらは市川市(この辺かな→地図)から船橋市にかけて

このところ船橋方面にいく時に通るルートなんだが、運転するのは亭主なんで(^_^;)、確認して地図見た所、どうも市川市内の道のようだ。

市川〜船橋から戻って、右は松戸市六高台の「桜通り」(地図)↓

↑六高台のは、いつも夕〜夜か、散り際の頃になっちゃう(^^ゞ。というのも、常盤平の桜祭りに行くので、祭りの終わった後の時間か、次の週になっちゃうからなんだなぁ。

というわけで、桜の終わり頃になっちゃうけど、六高台の桜はこの後、又ちょっと出すね(^^ゞ。

←最後は、柏市新逆井あたり(地図)。南部公園と公民館があるあたり。大きい桜の木が並んでて、見ごたえがある(^^)。

以上、今年は茨城旅行で梅の花をいっぱい見れた(撮った)から、桜は程々になったが(^^ゞ、次は恒例の「桜祭り」レポいこう(^O^)♪



<松戸市「常盤平さくら祭り」>

↑毎年恒例(^^ゞ。「常盤平」は、桜通りの跨る三駅の真ん中の駅名(地図)で、桜通りの全体は、新京成電鉄の「八柱」「常盤平」「五香」に跨っている。

距離の長さもスゴかろうが、色んな要素が混ざって有名になり、ずいぶん遠くから見に来る人も多い。

色んな要素と云うと……、まずこの桜通りが「日本の道100選」に入っている事、その途中で「日本街路樹100景」に選ばれた「けやき通り」と交差している事、そして何より「さくら祭り」の時期になると、その長い長い並木道に間断なく屋台が建ち並ぶ圧巻な様子が有名。

この頃では、B級料理屋や地域物産など、名のある(或いは出かかった)飲食関係者の出店が多く見られるのが特徴の一つになってきた感じがする(^_^;)。

今年も入りは八柱方面から(地図)にしてみた(^^ゞ。
今年はちょうど満開だったが、カメラが背景にピントが合って、宙をサンサンと降りしきる花びら群が写ってないのが残念(>_<)。仕方ないから道路を見て→

入りバナは屋台もまばらで、まずは桜を見て楽しむ(^^)

八柱駅(地図)から、ちょっと歩いて「さくら通り」の入口(地図)に達するが、そこはまだ歩行者天国になってない。
しばらく進むと「ゆりのき通り」との交差点(地図)があって、車両規制のフェンスが立てられ、そこからは↑のように車道を歩行者がスタスタ歩き始めてる。(勿論、歩行者天国は「さくら祭り」の期間だけですからね(^^ゞ)

そして屋台の並ぶ一帯に到達(^_^A)(パノラマ4枚180度以上)

よく咲き蕾も少々葉も少々
やがて常盤平駅を通り越し、並木を見渡せる広場に

さくら通りの中心地、大型駐車場を開放した屋台広場(地図パノラマ3枚ほぼ180度

大抵の屋台は「とうもろこし」とか「やきそば」を売ってるんだけど、ここには民族料理や郷土料理の屋台が多く、この祭りじゅうで一番賑わっている所だ。人も凄く多い。

屋台のレポもちょっとしよう(^^ゞ。

←今年は特に多かった、ふなっしー(≧▽≦)
これは綿菓子だけど、ぬいぐるみも多かった!
↑こちらは、この所を大ウケの「きゅうりの一本漬け」の茄子版(^^)。キュウリもカリカリと美味しいけど、茄子も食べ甲斐があって良かったよ☆ミ

ただ、本家の「きゅうりの一本漬け」は、夏だっけか食中毒が出ちゃったよね〜(^_^;)。
桜祭りはまだ春先だけど、ちょっと陽気が走ると、長い時間、外に置いた浅漬けはヤバイかもね〜(>_<)。。

そんな中で、今年のヒット商品は……
これかな。スティックワッフル

数も多く出てたし、買って食べたら……美味しかった(゚.゚)!
喉が渇くと思ってたけど、内側がわりとシンナリしてて、外がけしてるチョコも、思ってたほど甘くなく、しつこさが無くて良かった。
こういう屋台物の中では、手持ち棒から外れたりしにくくて、食べ歩きにも適していると思った。

これが買った物♪
こちらはチョコバナナ。今年は凝ったデコが多かった〜☆ミ

←「猿まわし」が人気の「はなみずき公園」(地図
↑道路に舞う花びらにご機嫌のワンちゃんを囲んで(笑)。

この桜祭りで「猿まわし」は初めて見たが、「はなみずき公園」では山形の「芋煮」など、ちょっとしたパフォーマー通りとなってるかな。
←この日の猿は輪の中を飛んで見せる芸などで観客を沸かせていた。

犬もいっぱい連れられていたが、花の綺麗さがわかるのか、飼い主が喜んでいるのが感染するのか、単に屋台の食べ物の匂いに反応してるだけか、どの犬も大層嬉しそうな素振りで、それが花を見てウカレてるように見える(笑)。
屋台は、今年特にコレが目立った、という物は無かったが……、
地域グルメっぽい物としては、「横手やきそば(秋田)」「中津からあげ(大分)」「矢切ネギコロッケ(千葉県松戸市)」「はしまき(大阪)」なんて辺りかなぁ。青森のせんべい鍋なんかは、確か今年もあったような……。

かくして、今年のさくら祭りも、夕刻を迎え……(五香に近寄った辺り↓)
さくら通りから入った路地ごとに、交通規制のポールを立てては、警察の方が警備を勤めて下さる→
今年もお世話様でしたm(__)m<市民を代表して御礼



<春爛漫(#^.^#)4月前半(ハナモモ〜八重桜)>

桜祭りも終わったので、翌週は六高台の桜通りに行ってみた。

六高台ハナモモ通り(地図
(奥部・拡大)

このハナモモの通りは、六高台さくら通りと平行している道で、桜が長く咲いている春は、同時に満開となるが、どちらかと言うと、桜の季節よりちょっと遅れて咲き揃う。


で、↓これが、「桜祭り」の前に話した、六高台の「桜通り」。(地図


花びらはだいぶ散ったが、まだ葉は無く、薄ピンク色を保っている(^^)v

■常盤平さくら祭り・六高台(六実)・八柱霊園・紙敷〜松飛台・今井の桜
2005年5月・本文
2005年12月<常盤平・桜まつり><桜めぐり(六実・常盤平さくら通り・八柱霊園など>
2006年9月<1日目・花と嵐の(笑)「常盤平さくら祭り」@松戸>
2007年7月<常盤平さくらまつり、1>
2007年8月<常盤平さくらまつり、2><六高台の桜と五香の野馬土手>
2008年7月<六実の桜(松戸市)><八柱〜五香・さくら通り(松戸市)>以降
2009年7月<恒例(笑)桜祭りと夜桜>
2010年8月<「常盤平さくら祭り」と、手賀沼までの桜風景>
2011年11月<六高台さくら通り>以降
2012年8月<常盤平・桜まつり、1>

2012年9月・全文
2012年10月<六高台ハナモモ通り>〜<4月後半、桜から芝桜、鯉のぼりへ(^^)>
2013年10月<三週間桜、@開花(^^)@松戸市>

2013年11月<三週間桜、B散花@柏市・松戸市>

こうして桜の季節は終わり……。

春の朧月夜(#^.^#)
春の手賀川(地図)にも来てみた(^^)


手賀川を分岐点まで辿っていくと、分流して下手賀沼に通じる「下手賀川」に入り……↓

発作橋(地図)の袂に屯する白鳥達(^^)
岸辺に上がって毛づくろい中♪

↑(二枚とも拡大)↓千葉ニュータウンの超高層ビル群を背景に、春の川辺に群れる白鳥(笑)

沼地を囲む丘陵には、早くも鯉のぼりが(^o^)

桜はすっかり散り(今井の桜地図
代わって彩りを増す八重桜通り栗ヶ沢地図



<4月中旬〜後半(^_^)(芝桜・八重桜・ハナミズキ)>

藤ヶ谷(柏市)と富塚(白井市)の合間、「矢の橋」附近の芝桜地図)を、今回もお届け〜☆ミ


ちょっと日常に見付けたお店の話題も(^^ゞ。
藤ヶ谷や富塚から西に行った、「海上自衛隊・下総航空基地」のほうに新しく出来た「むこたま」(地図)というお店↓

←小さい卵専門の店オープン
↑こっちはお散歩ワンちゃん♪

1〜2度中に入って、一回だけ買った事もある。小さい鶏卵だった。「卵かけご飯」専用の卵みたいな触れこみだった。
私は生卵はアレルギー気味なんで、卵かけはしてなくて、調理して食べたら普通の卵と同じに思えたけど、生で食べたり、ご飯にかけるのが好きな人には美味しいのかも。

あ、ちなみに、右のワンちゃん↑は、そこで撮った写真じゃない(^^ゞ。何となくバランスが良かったので入れちゃった(笑)。春でウカレてる感じがカワイイ♪

さて、お次は、「海上自衛隊・下総航空基地」を南に越えた、鎌ヶ谷駅周辺。まず店に面した道路。左がラーメン店、右はイタリア料理の看板→

道路からよく見掛けるんで、入ってみたのは、このラーメンのほう。ネットでもちょくちょく見るので、地元で有名なのかも(゚.゚)。

まず別館「博士ラーメン」が駐車場に在って、奥(←)に店(地図)がある

↑別館の「博士ラーメン」のほうは、窓ガラスの中が閉鎖されてたから、ここは駐車場だけなんだろう。
その左奥は営業していて、それなりお客さんが入ってた。店の名は……

博士タイレストラン
かなり本格的なタイ風ラーメン

店の中に入ると、「博士ラーメン」の事も詳しく述べられてたから、同じ経営者だろう。
健康に良い事が強調され、タイから来られたオーナーの事が高らかに顕彰されてる。
味は、ココナツ風味に魚醤風味と、東南アジア風の味だった。
個人的にはそんなに得意な味じゃないけど(^_^;)、仕事や旅行で現地に行った人などには、懐かしい味じゃないかな〜と☆ミ

お次は、やや北上して、新鎌ケ谷駅前のイオン!(地図
←こちらは4月号に載せた、「相馬野馬追パレード」の時の写真!(使い回し(≧▽≦))
↑一応、新しい写真も載せよう。鯉のぼりだ!
店内はこの時、五月の節句祝いのオンパレードだった。
(2014年4月<鎌ヶ谷市「相馬野馬追」騎馬武者パレード、@出陣>以降)

このイオンでは、実はぬいぐるみコーナーが大のお気に入りで(#^.^#)、中に入ると、しばらくそこにいる、こたつ城主であった(笑)。
まぁ、でも、バリィさんとか、キイロイトリさんとか、すみっこぐらし、カピパラさん……なんて写真って出していいのかと思ったんで(鯉のぼりなら、いいのか?笑)。

……と言いながら出してる(爆)→
売り場というよりウィンド(飾り窓)的なトコのなんで、いっかなと(^^ゞ

で、ここを取り上げたのは、わりと総合食堂コーナーが気に入ってて、まぁ、讃岐うどん屋(丸亀製麺)とか、ラーメン屋(幸楽苑)、ハンバーガショップ(ファーストキッチン)など、どこにでもありそうな店が多いんだけど(^_^;)ゞ、その中でも、

←「方方餃子王」の定食!
↑「ギタ」のカレー&ナン・セット!

「方方餃子王」の中華定食(↑は、生姜焼きとニラレバ)500〜700円台とお得で美味しいし、カレー屋さん「ギタ」は、実はつい最近行ったばかりなんだけど(これだけ12月の写真(^^ゞ)、こんな総合食堂で食べる割にはそこそこ本格的で、何より嬉しいのは激辛がそれなり辛い!

松戸運動公園の八重桜(地図)に
しいの木台のハナミズキ(地図

こんな具合に、この春もだんだんGW(ゴールデンウィーク)に近付いていった(^^)。

以上、関連事項は(一部2015/02/27リンク)
■今井の桜並木
2010年8月<今井の桜>
2011年11月<やや遅れて、今井の夕桜>
2012年9月<八柱霊園の南・手賀沼の南北岸・五香>
2012年10月<今井の桜>
■藤ヶ谷「矢の橋」の芝桜
2008年8月<史跡と順路について(@テキトー画像:笑)>内
2012年10月<4月後半、桜から芝桜、鯉のぼりへ(^^)>
2013年10月<雪A(松戸市立運動公園〜鎌ヶ谷)>内
2013年11月<藤ヶ谷、伝説の合戦場跡「矢の橋」>

■手賀沼(長くなったんでリンクページ作った↓)
「手賀沼の史跡」「手賀沼・手賀川・下手賀沼」
■鎌ヶ谷イオン前、相馬野馬追パレード
2014年4月<鎌ヶ谷市「相馬野馬追」騎馬武者パレード、@出陣>以降




<GW直前、増尾城・妙見堂跡>

↑と言いながら、こういう写真を出すと、増尾城の近くに大きな川があるのかと思われそうだが(笑)、こちらはさっきの下手賀川(地図)です(^^ゞ↓


ただ、ちょうど季節がこれぐらい。GWの直前。
土手には緑も一面に濃く広がるようになり、春のポカポカ陽気で黄色い野花が咲き、川には水がタップリ満ちて、やや増水ぎみかな〜(笑)。

発作橋の手前の橋では白鳥達が……
(拡大)餌を貰って大喜び!

手賀川の土手から見た……
(拡大)手賀城跡地図

……と、短い間にこんなに緑が濃くなった4月終わりごろ、↓増尾城(地図)の近くに、車でフラフラ入り込んだら、偶然「妙見堂跡」に行き合った。

柏市増尾の「妙見堂跡」(地図

増尾城については、2005年10月<増尾城址公園(千葉県)>を(^^ゞ。
そして、その増尾城跡(公園)にある石碑に↓

「宗家は既に下総国を去っていて、後奥州相馬郡になった。相馬宗家が下総相馬郡には氏の守本尊として妙見様を祀ったことを踏まえて、この城址をみると、中世の少なくとも関東平野の他の鎌倉時代の土城と型式を同じくしていること、妙見社が存在することから、相馬氏の城館であったことはたしかである」
(全文は→2002年8月<増尾城跡(柏市)>を)

とあり、相馬氏の城跡と見られる決定打として、「妙見社」の存在が謳われているのだが、長い間「その妙見社ってのはどっかに跡地なりあったんかな(^_^;)」と思うばかりだった(笑)。

それがこれかはわからないが、位置から見て、ここが増尾城のすぐ近くではある(^^ゞ。
左の傍らにあるのは、二つとも出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の巡拝供養塔。
他に、秩父34・西国33・坂東33・四国88の各札所巡りも刻まれてて、明治42年(1909年)と大正11年(1922年)の物だった。

一方、中央(写真は右)に高く聳える「妙見堂跡」の石碑↑は、平成14年(2002年)に建てられた物で、撮れた写真では字がちょっと掠れているが、昔はこの地に「妙見堂」の名の通り、「お堂」があったそうだ。

石碑からは、昔それを集会場として使われていた事が伺えるが、そうした用途に使われる事も無くなり、放火などが社会現象となる中、火災や浮浪者の住処となる恐れが近隣住民から指摘され、昭和18年(1943年)頃に建物は壊し、中の妙見様(菩薩像だろう(^^ゞ)は、萬福寺の境内の阿弥陀堂に安置する事となっていたという。(移されたという事だね多分(^^ゞ)

脇を通る道路からは、中央に……
(拡大)古い祠石も見える

「昭和18年“頃”」という言い方が、今ではもう、ハッキリした月日がわからなくなってる事を示しているが、思えばつまり戦前で、本当に古い昔には、妙見堂を集会場として土地の人が使っていたらしい事、昭和に移ろうにつれ、治安を含め周囲を取り巻く状況が変化していった様子などが伺い知れて、付近住民としては興味深い。

ちなみに、明治と大正の頃の、さっきの出羽三山供養塔には、他に香取・鹿島・春日・鹽竈・黄金山・富士浅間・筑波山・阿夫利といった、主に東北関東の名のある神社名も列記され、いかにも地元の供養っぽかったから、戦前はともかく、明治や大正には、講だとかで集まったのかもね(^^)。

←この石碑が敷地の中央にある所を見ると、ここにお堂があったんだろうと思う(^^ゞ。

それから60年近くの歳月が流れ、真言宗豊山派の祖・専誉僧正400年御遠忌を迎え、役員や檀信徒の協力によって、平成14年(2002)、萬福寺(医王山・安養院)の境内に、妙見堂が再建された。
そこで元々、妙見堂のあったここに記念碑を建立した……という事だった。

←「妙見堂跡」の左にいくと数本の幟が見え……(パノラマ4枚180度以上)

言って見ると、「弁財天」の幟だった(゚.゚)!それもいっぱい!

特に土地に根差した謂れなどは無かったが、傍らに「弁財天」自体の説明が書き記されていた。こちらは字も明瞭だったので、以下に写させて貰った↓

弁財天様の由来
弁天は古代インドにおける河の神(女神)でサラスヴァテイといい水神 農業神として崇拝された。(インドのヒンドゥー教の神様)サラスは水、ヴァテイが富、を意味する
仏教の守護神として日本に入って来たのは奈良時代仏教と共に入って、当初は8本の腕に宝珠・剣・弓矢・金剛・斧・杵等を持った姿だった(八臂像)。鎌倉時代になると2本の腕(2臂)で膝をたて琵琶を弾く姿が一般化し、芸能の神様とも言われるようになった。中世期以降宇賀神(出身者不明の蛇神)と合習し宇賀弁財天が広く信仰されるようになった。弁才天の化身は蛇や龍とされるがその所説はインドや中国の経典には見られない。弁天は学問・弁克・音楽・除災。財宝・至福を与えてくれる神で、農業神・海上神・福徳神などとして人々の願いを聞き入れてくれる女神と信じられてる。江戸時代には七福神に加わり、当初の弁才天からより現生利益の財を強調した弁財天と書かれた。日本では数少ない女神さまです。縁日は巳の日とされてる。日本三大弁才天は琵琶湖の竹生島、広島の厳島神社、神奈川の江の島である。(各資料より抜粋)

弁天さんの両脇には
可愛らしいパンジーが(^o^)♪

以上、関連事項は、(2015/02/27リンク)
2002年8月<増尾城跡(柏市)>

2005年10月<増尾城址公園(千葉県)>




<5月、鎌ヶ谷市、貝柄山公園「野馬の親子像」>

↑と、言いながら、やっぱり最初は違うトコで(^_^;)ゞ↓

GWの松戸運動公園
(拡大)綺麗な花壇から(^^)

こうしてGWは終わり、次の休日に、鎌ヶ谷市の「貝柄山公園」に行った↓

「貝柄山公園」というのは、今回冒頭にも書いた通り、去年レポした、鎌ヶ谷市の相馬野馬追パレードの時、騎馬が繰り出したスタート地点の公園。これね→(2014年4月<鎌ヶ谷市「相馬野馬追」騎馬武者パレード、@出陣>

←「池」とか「広場」とあるだけで、特に字が書き込まれてなかったので、このままで(^^ゞ。

この通り、とても細長い公園で、昔は渓谷地だった気がする。今は周りを見事に住宅街に囲まれているけどね……。

この右の敷地から入って来て、左の池辺に達したら、左下の方に行って外に出る。

祭りの時は、皆さん騎馬に近付かないで下さ〜い!モードだったから、公園には入らなかったんだけど、実はこの公園、松戸に引っ越して来た当初から、「行ってみたい(^^)」と思いながら、ついにこの日まで行った事がなかったの(;_;)。

でも、そうこうする内、この公園のある場所が、先史時代の貝塚跡に近かったり、江戸期以前には、馬が水を飲みに来ていた場所と伝わっていた事などを知った(^^)。

貝柄山公園」(地図)到着(^^)。駐車場(パノラマ4枚180度以上)

↑奥が深い森のように見えるが、さっきの地図でも見た通り、この公園は細長いので、森に近寄ると……、

実はこんな風に、もう壁状態(パノラマ4枚180度以上)

↑この壁、傍らにいる人影でわかる通り、城跡の土塁のようにうず高く、かつては切りこんだ渓谷を見下ろす絶壁の斜面だったのかな〜とも思わされた。

つまり、これがかつては、いわゆる「野馬除土手」の機能を持つ断崖だったかもしれない。

■野馬除土手(及び類似公園・騎馬パレードなど)
2007年8月<六高台の桜と五香の野馬土手>内
2007年10月<野馬除土手>
2011年1月<初夏、沼南〜松戸の野馬除土手>
2011年9月<「白馬公園」「野馬公園」「しいの木公園」>
2012年8月<冬空・雪・野馬土手・節分・氷>内
2012年10月<六高台ハナモモ通り>内
2014年4月
<鎌ヶ谷市「相馬野馬追」騎馬武者パレード、@出陣>以降

……で、地図の通り、公園は細長く、ここはほんの入口。先へいこう。こういくと→

↓こんな具合に通路は奥へ続く(パノラマ5枚180度以上)

↑程なく、右手の奥に↓こんな物体が見えて来る。近付くと……

周りを木株で囲んだ中に……
おンマの親子は仲良しこよし〜♪

この公園に、この馬達の像があるのは、江戸時代、幕府の軍用馬を放った牧場があったからだ。

この「たわごと」では、千葉北西部における牧については、現存する遺構として、馬を囲い込むために作られた「野馬除土手」として、これまでもちょくちょくレポしてきた。

実は、牧のあった範囲は非常に広大である。
まず千葉北西部における「牧」を、総称して「小金牧」と呼び、さらに以下の5つの牧に分ける。

北は、千葉県の最北端、野田市の「庄内牧」、そこから江戸川に沿って、我孫子市・柏市・流山市と南下していくにつれ、「高田牧」、さらに南の「上野牧」、さらに松戸市・船橋市・鎌ヶ谷市と南下して「中野牧」、さらに南の「下野牧」。

今いる鎌ヶ谷市(初富駅が近い)の、この貝柄山公園は、今言った仕分けでは「中野牧」が相当する。
子馬チャンの背を母馬がナデナデしてるとこを、父馬が見守っているという、微笑ましい構図(^^)。

これまで「野馬除土手」とか、その痕跡を象徴した公園などといって、レポしたことがある柏市と松戸市の「牧」も、ここと同じ「中野牧」に入る。

千葉北西部の「小金牧」の内の「中野牧」であるから、正式には「小金中野牧」と呼ぶ。
ここ鎌ヶ谷市は、さらに南東部の「下野牧」にも領域が及んでいる。

この三頭の野馬像は、現代のサラブレッドではなく、当時の野馬の寸法を基本に作られたという。

すなわち、大人の馬の体長が、耳際から尻まで(横)、約2.2m、面長が約0.56m、背から爪先(高さ)約1.39mと、傍らの石碑に刻まれている。

この貝柄山公園には、かつては放牧された野馬が水飲み場としていた事を、農家の人が言っていたと、「小金牧・野馬土手は泣いている」という郷土本にも書かれている。

この先の池が当時の水辺の名残りになっているようだ。

その池辺がだんだん近づいてきた。……って、結構大きいよ(・・;)。。

馬は放し飼いだったから、飼料や飲み水も人の手を加えず、自ら求めて、食べたり飲んだりしていたという。
ちなみに餌は雑草だったが、冬は笹や常緑樹の葉などを食べたそうだ。

自分らで、「ここで水を飲む」とか、「ここでは何々を食べる(^^)」と、各々お気に入りの場所にしていたんだね〜♪

時代劇とかだと、江戸時代の牧場なんて殆ど出て来ないし、出て来ても柵や小屋の中で飼われてる設定が多いから、江戸のすぐ近くで、野生に近い状態の野馬が、渓谷や山林・草原にいっぱい居たなんて、なんか信じられないよね〜(≧▽≦)。。

この池というのが、また結構な広さがあった(パノラマ4枚180度以上)

「小金牧・野馬土手は泣いている」によると、この池には湧き水が注ぎ込んでいるものの、「側にモーター小屋があって、地下水を組み上げているらしい音がしている」と書いてあるが、我々はそんな物があったなんて、気づかなかった(^_^;)ゞ。

こんな公園だから、当然この池もぜ〜んぶ人工(つまり雨水か水道水)だと思い込んでたが、「地下水」ということは、昔お馬さん達が飲んでた水のままではあるんだね〜☆ミ

(パノラマ4枚180度以上)

↑端まで来ると、池はさらに広がりを見せ、満々と水をたたえる中に配されたテラス風の足台から、木々を写す水面を写せた。

ところで、野馬除土手と言うと、実は前から気になっている事がある。
これは、そのうちいつか判るかな〜と思いながら日が経って、今でもよく判らないままなので、疑問点のまま書く。

後ろを振り返る。こんな道を左から来て、右へ進む(パノラマ4枚180度以上)

昔、野馬除土手のあった場所は、今は殆どが開発によって失われたようだが、どこにあったかはだいたい判っているように思う。

私は大雑把な地図しか持ってないが、その地図を見る限り、どうも江戸時代に野馬除土手のあった区域というと、中世(江戸幕府が出来る前)、多くの城跡があった場所と、見事にエリアが異なっている気がしてならない(^_^;)。

まず、千葉県と東京都の間には江戸川がある。その千葉県側、すなわち江戸川の東岸沿いに、中世の城跡がビッシリと隙間が無いぐらい、密集して林立していた事がわかっている。

ところが、江戸時代に野馬除土手のあった五つの小金牧というのは、この中世城地帯を避けるかのように、江戸川からやや距離を置いて、さらに東のほうに、南北の縦長に位置するのだ。

さらに池の終わりまで進んで振りかえる(パノラマ4枚180度以上)

一般的に「野馬除土手」というと、「江戸時代の千葉北西部」とか「江戸幕府の軍用馬」と認識されているし、実際、野馬除土手について書かれた教委などの案内板には、必ず「江戸時代」「江戸幕府」と明記されている。

これは正しいと思う。少なくても、「間違ってはいない」。

しかし、恐らく、放牧地であった事が文書に記録されたのが、江戸時代以降であるから、「江戸時代に作られた」的に受け取れる表現になるのであって、中世、そこに城が建てられなかったのは、やはり同じ場所が、もっと古くから牧場として使われていたから……と考えるのが妥当と思うが、どうだろう(^_^;)?

さらに進むと、湧き水風の水辺と駅舎風の東屋に行き合う(パノラマ4枚180度以上)

江戸時代、放牧のため、あるいは野馬除土手を築くために、中世の城跡を遺構が残らぬほど破壊し尽くした……とかいう事でもない限り、元々放牧地とされていた(から城館も元から建ってなかった)場所を、そのまま江戸時代の江戸幕府も引き継いで放牧地として活用した……と考えるのが自然に思えるからである。

この事は、実は一部の古代史や中世史の専門家の執筆には、そのように現れる(千葉氏や将門時代に馬を生産していたと書かれる)のだが、観光客の目にする場面になると、途端に「江戸時代は……」と、腰が引けて書かれてるように思える(^_^;)。<まぁ確実な史料が無いんだから無理も無いけどね

東屋に来てみる。まるで駅のプラットフォームのよう(^^)(パノラマ5枚180度以上)

川は水害を起こすから、その場合に備えて、建物は小高く土塁を構えた上に建てないと危ない一方で、川は昔は運搬ルートでもあったから、利便を考えれば、今で云う道路沿いに住宅が密集するのに似て、そこには城地が密集するのも頷ける。

今でも、道路沿いには出入りしやすく玄関や駐車場を備え付け、道路から遠い場所に庭を作る住宅は多い。
現代では庭だが、ちょっと前なら畑地だっただろう。もっと前はそれがもうちょっと広範囲で、つまり牧経営だった……なんて考えてみたんだが、どうかなぁ(^^ゞ。

何でこんな事をイキナリ言い出したかと言うと、一昨年の一年限りではなく、去年もこの鎌ヶ谷市で、相馬野馬追パレードが挙行されたようだからだ。

鉄道の線路のように前を流れる小川から水が湧いている

東日本大震災の被災者支援のような意味合いで、一年ぽっきりやったイベントならともかく、二年続けてやったという事は、今後、地元の祭り的に定着する可能性も無きにしもあらずなわけだ。
一昨年この貝柄山公園が、騎馬隊の集結準備場として使われたようだから、去年もそうだったんじゃないかと思う。

となると、今後毎年のように相馬から人を呼ぶのに際し、この「野馬ゆかりの地」を、「江戸時代に急に出て来た文化」としてではなく、ちゃんと「中世から続いた相馬の故郷としての風景」という認識で、背を正してお招きするのが筋ではないか、と思うからだ。

以上、日頃から何とな〜く気になってる事なんで、今回は書いてみたー(笑)。

↓これが小川に湧き出る水
さらに公園の端(さっきの案内図だと、左下方面)に行ったトコ。近代美術館ふうの彫刻が建っていた→

湿気はかなりある感じだったので、夏は蚊除けスプレーが必要かもしれないが(笑)、「昔こういう場所に馬がたくさん水を飲みに来ていた」と実感するのも、これまたオツな歴史探索と言えよう(^^)。

以上で、鎌ヶ谷市の「貝柄山公園」レポはおしまい(^^)。

最後は、五香のちょっと開けた通り(地図)から、所狭しと咲き揃ったツツジの花を(^^ゞ↓

背景に、ほうとうを食べさせてくれる店「久兵衛」(^^)(パノラマ4枚180度以上)

次回は、5月、松戸市の「境根原古戦場」跡、6月、印西市の「上宿古墳」。
この辺でちょちょっと東京の風景をお届けし、続いて、船橋市「船橋城」跡、「花輪城」跡。
7月〜8月の夏の風景をお届けして、以前、「村雨丸伝説」でも触れた、白井市の「西輪寺太子堂」。
……てな具合に、9月ごろまで行けるかな〜(^^ゞ。

例に寄って、関連事項リンクはまた後日〜。
既に一部、貼ってあるけど、後日また追加が出るんじゃないかと〜(≧▽≦)。。

(ただ、リンクもだんだん追い付いて来て、先月は、2014年10月号まで貼ったよー☆ミ)



出来ました(^^)。

関連事項(2015/02/27リンク)
■常盤平さくら祭り・六高台(六実)・八柱霊園・紙敷〜松飛台・今井の桜
2005年5月・本文
2005年12月<常盤平・桜まつり><桜めぐり(六実・常盤平さくら通り・八柱霊園など>
2006年9月<1日目・花と嵐の(笑)「常盤平さくら祭り」@松戸>
2007年7月<常盤平さくらまつり、1>
2007年8月<常盤平さくらまつり、2><六高台の桜と五香の野馬土手>
2008年7月<六実の桜(松戸市)><八柱〜五香・さくら通り(松戸市)>以降
2009年7月<恒例(笑)桜祭りと夜桜>
2010年8月<「常盤平さくら祭り」と、手賀沼までの桜風景>
2011年11月<六高台さくら通り>以降
2012年8月<常盤平・桜まつり、1>

2012年9月・全文
2012年10月<六高台ハナモモ通り>〜<4月後半、桜から芝桜、鯉のぼりへ(^^)>
2013年10月<三週間桜、@開花(^^)@松戸市>
2013年11月<三週間桜、B散花@柏市・松戸市>

■今井の桜並木
2010年8月<今井の桜>
2011年11月<やや遅れて、今井の夕桜>
2012年9月<八柱霊園の南・手賀沼の南北岸・五香>
2012年10月<今井の桜>
■藤ヶ谷「矢の橋」の芝桜
2008年8月<史跡と順路について(@テキトー画像:笑)>内
2012年10月<4月後半、桜から芝桜、鯉のぼりへ(^^)>
2013年10月<雪A(松戸市立運動公園〜鎌ヶ谷)>内
2013年11月<藤ヶ谷、伝説の合戦場跡「矢の橋」>

■手賀沼(長くなったんでリンクページ作った↓)
「手賀沼の史跡」「手賀沼・手賀川・下手賀沼」
■増尾城
2002年8月<増尾城跡(柏市)>

2005年10月<増尾城址公園(千葉県)>
■鎌ヶ谷、野馬除土手(及び類似公園・騎馬パレードなど)
2007年8月<六高台の桜と五香の野馬土手>内
2007年10月<野馬除土手>
2011年1月<初夏、沼南〜松戸の野馬除土手>
2011年9月<「白馬公園」「野馬公園」「しいの木公園」>
2012年8月<冬空・雪・野馬土手・節分・氷>内
2012年10月<六高台ハナモモ通り>内
2014年4月<鎌ヶ谷市「相馬野馬追」騎馬武者パレード、@出陣>以降


<つづく>

2015年01月11日(02/27一部関連事項リンク追記)
 
     





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