前々回まで速球で来たので、前回はしばし止まって、桜の一週間をお届けした(^^)。 今回は引き続いて、以後1ヶ月(4月初旬〜5月初旬)をお届けしたい♪ 桜から新緑に移る季節の中、春の花が次々と出て来る。 まずは桜、山桜、芝桜、梨、ハナモモ、ハナミズキ。 桜も散って、タンポポ、菜の花、レンギョウ、椿、八重桜、芥子(ケシ)、山吹、サツキ、ツツジ……etc。 GWの頃には、大津川、手賀沼の水門など廻って、柏高島屋の「ベルばら」展を見て(爆)、そして前回も予告の通り、ミニミニ半日ツアーは、茨城県は下妻方面に向かう、そのほんの触りまで(^^ゞ。 ここで、今回もちょっと宣伝入れさせてねっ(≧▽≦)!↓
■4〜5月・千葉県柏市・白井市・松戸市 <六高台ハナモモ通り>
千葉県は梨の名産地。この界隈ではこのように、看板を掲げて直売を行なう果物園をいっぱい見る(^^)。 が、大抵の梨園では、人の背丈ほどの所で頭打ちにネットをかけ、高さを調整されてる光景しか見ないから、天然だとどれぐらい高くなるのか知らないんだなぁ(^^ゞ。 これまでに撮った梨園の梨の花……→2008年8月<お花見続行(^^)>内 ただ例年では、梨の花は桜よりちょっと遅いハズだけど、今年は梅や桜など早い時期の花の開花がめっきり遅くなったから、種類によってはもう咲いてたのかしら……。
以上、桜とイチョウ(地図A)、梨園の梨の花(地図B)、野馬除土手(地図C)(^^ゞ。 お次は題目通り、これらの近く、六高台の「ハナモモ通り」(地図D)だが……↓ この「通り」を過去2度ほど(2008年8月<お花見続行(^^)>内と2011年11月<ハナモモ通り>)「ハナミズキ通り」と紹介してた。どうもよく見ると、ハナモモのような感じがする(^_^;)。(ハナモモも違ってたり……:汗) スグ近くの「しいの木台」にハナミズキ並木の通りがあるので、混同したのかも(^_^;)。。2010年8月<八重桜の頃(#^.^#)>がそれだ。似たような住宅街にあるもんで……(笑)。 合間に交互に入るのは柑橘系の樹木。蜜柑が成ってるのを見る
一部、足元には色とりどりの花壇も(^^)
二重に並ぶ並木道の合間の芝生広場はドッグランに使われてる
<六高台さくら通り> 地図E←全長1.1キロと、松戸市の桜並木の中では短いほう(^^ゞ。 前回の最後の方に取り上げた「紙敷〜松飛台」が3.1キロ、前回桜祭りで取り上げた「常盤平」が2.2キロ、他に「小金原(南北)」1.3キロ、「小金原(東西)」1.1キロ、「八ケ崎」1キロとあって、下から数えた方が早い。 ただし……
さすがに「常盤平さくら祭り」の、隙間なくエンエン三駅という程の数は出ないが、それでも前は2〜3屋台見るかな〜ぐらいだったのが、近年は10点ぐらい出て、だんだん盛況さを増してる感じがする(゚.゚)。
満開だった日曜日、桜を見る気満々だった亭主、勿論ここにも寄ってくれ、私も写真も撮るには撮ったが、常盤平桜通りでの大渋滞と昼飯屋どこもいっぱいの件(笑)で、ここに来たのはちょっと暮れに入ってて写りが今イチだった。 なので、この、翌週の平日はリベンジ編である(笑)。 もうとっくに散ってるだろうなーと思ってたから、まだこんなに綺麗に咲き残ってるのには驚いた(゚.゚)。
まだ明るく、花もいっぱい残ってて、喜んでいっぱい写真に撮る内に……、 ざざぁ〜っと風が……おおお〜桜吹雪じゃっ(*o*)!(パノラマ縦横3枚)
「おぅおぅ、この桜吹雪が目に……」ホントに入っちゃいそう(≧▽≦)。。。 いや〜この日は、行くごとに風が吹いては花びらがいっせいに散り、都度立ち止まって写真に撮ったんだけど、ピントが遠い風景に合っちゃって、花びらが全然写らないんだよね〜(>_<)。。 そんな中では、比較的よく写ってる方。確かにこの時が、一番たくさん花びらが散ってた!
「むつみ音頭」(作詞・山口豊専翁/作曲・松戸市教育委員会 松戸市音楽協会)
↑さっきの入口に、こんな歌詞を載せた石版があって、ここの祭りにも興味が湧く(笑) ♪└(^。^)┐♪└(^。^)┘♪┌(^。^)┘♪ ♪ヘ(^。^ヘ)(ノ^。^)ノヘ(^。^ヘ)(ノ^。^)ノ♪
この「六高台さくら通り」の「六高台」は町名で、元は「六実」と呼ぶ。前も話した事あるように、松戸の明治以後の開拓によって出来た、数字を充てた地名の一つだった。 初富(はつとみ)=鎌ヶ谷市 二和(ふたわ)と三咲(みさき)=船橋市 豊四季(とよしき)と十余二(とよふた)=柏市 五香(ごこう)と六実(むつみ)=松戸市 七栄(ななえ)と十倉(とくら)=富里市 八街(やちまた)=八街市 九美上(くみあげ)=佐原市 十余一(とよひと)=白井市 十余三(とよみつ)=成田市 よって、ここで行なわれる「桜まつり」は「六実桜まつり」と呼ばれ、初めて祭りが開催されたのは、1981年という。 この辺りは昔、大まかな所、将軍の馬を放牧していた、という話をよく聞く(^^ゞ。 つまり幕府の管轄地(天領)であったのが、明治になって、窮迫した幕臣および窮民の対策のため、明治政府の指導により、上記にあげた通り、ほうぼうで開墾地とされた。 が、昭和3年(1928)になると、ここは武蔵野カンツリー倶楽部の六実ゴルフ場となり、宮家・政財界人・諸外国の大使などの社交場として賑わう事となった。 戦時中は、陸軍の探照灯部隊基地となり、戦後は食糧難の解消のため、再び開墾地として開拓者に開放された。 農地としては豊かな生産をなしたが、干ばつには弱かったという。(それで梨なのかな(^^ゞ) 以後、町会の離合集散、区画および地番の変更・整理・統合などを経て、主要交通道路および高圧送電線の配備を兼ね、昭和42年(1967)に事業着工の許可、そして昭和60年(1985)、公募によって「六高台」の地名を得て、事業完了に至った。 <今井の桜> ↑こちらは例年、1週間遅れ。今年も、前回の最後の方でまだ咲いてなかったが……(^^ゞ。 次の週末には、この通りo(^^)o
「今井の桜」は全長約2キロ。細い河川敷に150本植えられている。詳しくは→2010年8月<今井の桜> 周囲はエンエンと水田が続いて、少し緑づいてる所もあり、背後の丘陵も緑を成しているため、街中で頭上に見る桜並木より、桜の色が一層引き立って素晴らしい(^^)。
河川敷に近付く道路が幾本かあり、そのまま橋を渡って間近に桜が見られるのも嬉しい♪ 橋は、地図で見る限り6本あるが、その全域に桜が行き渡ってたかな……いつもだいたい手前の所を見に行って終わりにしているけど(^^ゞ。地図F
橋の上から川面を流れる花びらが見れて、少し盛りを越えた頃が風情がある(^^)。ちょうどこの日がそんな感じだった♪ 近くで見ても、遠くから見ても、緑の中の桜はよく映える(^^)
ワンちゃんも、花びらの散る中を大喜びで駆け回ったと見えて、お腹まで泥んこだった(笑)。
土手の地面にも車の窓ガラスにも、橋にも川にも、花びらがタップリと降り積もって、夢のような光景でした(#^.^#)。
<南北手賀沼の間「手賀の丘公園」「下手賀川」> ↑「南北」と言うのは、手賀沼は「つ」の字型の沼地だから(^^ゞ。 ただ、今は北西と南東の二湖に分かたれ、間を「手賀川」と「下手賀川」が繋いでいる。 ちなみに、南東の「下手賀沼」よりさらに西に続く川が、今見て来た「今井」の細い河川である。
で、これより「つ」の字の合間にある、「手賀の丘公園」の間を抜ける道(地図H)に入る。これは森の中に広がる施設で、キャンプなど行なう「少年自然の家」や、フィールドアスレチックなどの「公園」、野球場やテニスコートなどある「運動場」からなる。
この辺りは沼や森があって少し寒いのか、まだ桜も花びらが残ってるけど、街中ではもうだいぶ散って、雄蕊ばかりって感じだったかなぁ(^_^;)。 で、そろそろ「手賀の丘公園」の入口に差しかかる↓
実はこの日、震災以来はじめてこの道が通れるようになっていたの(^o^)☆ミ ここは一部が閉鎖になっただけでなく、震災から二週間が経ってもなお、水田を囲む路面のあちこちの電信柱が、バランバラン傾きまくっていた道だった(^_^;)。。。 電信柱はその後わりとスグに元に戻ったが、閉鎖は長く続いたし、こうして見ると、電信柱もまだ少し傾いている。
ここが通れなかったのが、震災の影響なのかは確かめてないけど、この上流の土手や道路については、震災で壊れた後を補修工事したというような事が、工事のお断り書きみたいのに書かれていた。 この道は震災の二週間後、やっとガソリン給油できるようになって、来た時には閉鎖になってたので、自分ら的には何となく震災のシンボルっぽく思えていた場所だった。 <4月後半、桜から芝桜、鯉のぼりへ(^^)> 4月も半ばを過ぎると、さすがに桜は衰え、変わって、そろそろGWの近付く気配となる。 さっき通った、タンポポ通りの近く。やはり白井市である。大きい道路(左右)は16号線。
今度は、この右の方の季節に移っている、というわけだ(^^ゞ。
というわけで、緑葉に覆われきっても、まだ花が残っていた今年の桜には、特別に「敢闘賞」と「努力賞」を差し上げたいと思います! ( ^^)//<おめでとう! ワ〜パチパチ☆ミ 前回ウッカリ言い忘れたけど、4月3日だったかしら…μ(。。)m 季節外れの台風が来て、これがとんでもなく物凄い暴風雨で(*o*)、2度ぐらいそんな事があった中でも、今年の桜は散らずに頑張った! エライ! 芝桜は時期が長いね(^^)。途中で植え替えるのかなぁ?ちょっと配色が変わってる気もするけど……。
以上、関連事項は……(だいたいね(^^ゞ) ■梨の花 2008年8月<お花見続行(^^)>内 ■常盤平さくら祭り・六高台(六実)・八柱霊園・紙敷〜松飛台・今井の桜 2005年5月・本文 2005年12月<常盤平・桜まつり>・<桜めぐり(六実・常盤平さくら通り・八柱霊園など> 2006年9月<1日目・花と嵐の(笑)「常盤平さくら祭り」@松戸> 2007年7月<常盤平さくらまつり、1> 2007年8月<常盤平さくらまつり、2>・<六高台の桜と五香の野馬土手> 2008年7月<六実の桜(松戸市)><八柱〜五香・さくら通り(松戸市)>以降 2009年7月<恒例(笑)桜祭りと夜桜> 2010年8月<「常盤平さくら祭り」と、手賀沼までの桜風景> 2011年11月<六高台さくら通り>以降 2012年8月<常盤平・桜まつり、1> 2012年9月・本文 ■他(栗ヶ沢・ハナモモ・ハナミズキ通り等) 2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>内 2008年8月<お花見続行(^^)>内 2010年8月<八重桜の頃(#^.^#)> 2011年11月<ハナモモ通り>以降 <GW突入、新緑と八重桜、震度5前夜> 4月もいよいよ終盤、だいぶ緑も豊かになって来て、特に八重桜が目立って花盛り☆ミ だいたい西から東へ、そして北へと行ってみよう。
地図P←だいたいの場所ね(^^ゞ。この周辺って感じ。
さて、このようにGWも始まったばかりの4月29日(日)、千葉県北東部を震源とした、震度5弱の地震があった。 その前日(28・土)か前々日(27・金)の夜、地図Q←この辺り。 ↓右の敷地は「海上自衛隊下総航空基地」、その西側の道を南から北に進んでいる。
去年は震度5や6などの強い余震が頻繁に起きたが、さすがに今年に入ると、震度5以上の地震は、10月まででも、全国で15回しか起きてない。 これぐらい少なくなって来ると、少しは関連性(信憑性はともかく)が感じられるかなぁ……。 ただ震源地は、この辺りからだと真東(銚子あたり)に当たるハズだから、このように北東寄りなのはちょっとどうだろ……(^_^;)。 ここより北東方面だと、鹿島灘(茨城県東方および東南沖)あたりが相当するかな?
それと、こちらも週末でもないと夜にドライブなんか出来ないから、余震の多い時期も週末のたびこういう雲を見た、というわけだが、平日でもよく出る現象かもしれない(笑)。 ただし、大きい余震が減ったここ何ヶ月は、週末でもこういう雲じたい殆ど見なくなったのも事実(^^ゞ。 あと、今年は春から異常気象による災害のニュースが次々と届いた。 こうした夜空に、やはり去年夏〜秋の大災害を思い出す。 去年の夏〜秋も連日の豪雨で、洪水と土砂災害のニュースが続く中、異様な空模様をお届けした(たわごとに載ったのは、今年1月だけど(^^ゞ)。 この春も、季節外れの台風・暴風が近付き、外出を控えるよう呼び掛けられた。 イザ来ると、しがみついてないと飛ばされる程の暴風だった様子が、報道で知れた。。。 以上、関連事項は、 ■逆井、カレー屋「ロ加 ロ厘 夢(Curry-Mu)」 2012年1月<夏の風物詩?>内 ■不思議な空(2011年以降) 2011年1月<夏の花・森・夕焼・月・花火> 2011年4月<晩夏〜初秋・手賀沼までの空と雲> 2011年9月<松戸市「祖光院」「カフェ・リビエラ」「庄や」>内以降 2011年10月<クリスマス本番〜年末>以降 2011年12月<夏の夕空・夜空> 2012年1月<夏空・夏雲> GWも半ばを過ぎると(カレンダー通りだと、後半に入る頃)、今度は濃霧・寒冷・落雷・洪水・竜巻など、実に盛りだくさんの各種注意報が呼び掛けられた(^^;)。。……なので↓ <無難に近場で(笑)、まずは藤心>
「アンチーブ」の窓からの景色はこんな感じ
橋に乗ってみる。北(手賀沼)に向かう流れ(^^)
橋を挟んで反対(南)側(パノラマ3枚ほぼ180度)
(拡大)タンポポや菜の花がいっぱい(^^)
この季節は、鳥の声がチュンチュン、ピーチクパーチクと絶えず聞こえて、すんごく長閑な雰囲気なんだけど、今乗ってる橋は交通量が意外と多く、なかなか撮影できない(>_<)。。 この時も、ちょっと車を端に寄せて待ってて貰い、写真を撮って戻ったら、「早く早く!」と亭主も焦っていた(^_^;)。 以上、関連事項は、 ■藤心「アンチーブ」 2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢> 2007年10月■2007年8月ごろ 2010年12月<藤心「アンチーブ」(喫茶店)> 2011年10月<夕雲・枯木立・雪>内 2011年12月<晩春から初夏にかけて>内 <手賀沼、曙橋の水門と白鳥> さらに北上して、手賀沼に来た(^^)。いつも見る風景は……↓ 8月号で出した、3月末ごろの写真(^^ゞ(パノラマ2枚)
↑手賀沼の最東地点、右に見えるのは「曙橋」(地図T)、これよりさらに東は幅が狭まって、手賀川の開始となる。
実は「曙橋」は、手前に架かるのが「歩道用」で、入口に「車輛止め」がされている。 上の写真に見る、車輛が通ってる橋は、奥のもう一本の橋で、「新曙橋」と呼ぶサイトも見掛けるから、昔は手前の古い方(「曙橋」)に車も通っていたのだろう(^^ゞ。 いつもいる駐車場と「曙橋」の間あたり(パノラマ2枚)
曙橋に入ってみよう(^^ゞ。 「曙橋(歩行用)」から「新曙橋(車輛用)」を見る(パノラマ4枚180度以上)
↑すんごい魚眼だけど(^^ゞ。 さっきの位置からは、スグ隣同志に二つの橋が並んでるように(というより一本の橋に)見えるが、こんなに間が空いてるんだねっ(゚.゚)。途中にちゃんと浮島まであって……。 そして、あの橋の向こうが、手賀川の始まり(^^)。 手賀川は、ここより発して、いつも通る発作橋付近で下手賀川と合流し、やがて利根川に入る。地図U←利根川との結点に「排水機場」が二ヶ所ある。
桟橋は立入禁止だが(^^ゞ、左にさっきの水門(三基)が見える
正面の白い護岸↑が、さっき白鳥が餌を貰ってた所ね(^^ゞ。いつもの駐車場もある。
いつもここに拠る時、「何だろうねこの建物は?」と言い合うんだけど……強いて言えば、駅のプラットホームのように見える。ちゃんとベンチもついてる。 屋根は藤棚になってて、まだ少しだったが、藤の花も咲いていた(^^)。 もしかして、この手賀沼に昔はあった、連絡船の乗船場(波止場というか)を象った物だろうか……? 今は手賀大橋が出来て、湖の上を車が行き交いしてるが、1964年までは、この湖には連絡船が通航していたらしい。 その名残りだったら、何か嬉しい気がする(^^ゞ。 以上で、GWまでのお花めぐりは終了(^O^)! 他にも梨畑やスズラン、藤などの花も写真には撮れたが、枚数の関係で割愛(^^ゞ。これより、GW後半に移ろう! 以上、関連事項は、 ■手賀沼・手賀川・下手賀沼 2006年8月<手賀沼> 2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢> 2007年9月<手賀沼温泉「満天の湯」(爆)>以降 2008年4月<柏市・手賀沼> 2008年5月<年末(^^)> 2008年6月<黄砂吹き荒れる手賀沼>以降 2008年7月<逆井の梅花〜手賀沼(柏市)> 2008年8月<お花見続行(^^)> 2008年11月<千葉県我孫子市「手賀沼公園」>以降 2008年12月本文 2009年5月<古利根川・手賀沼・清遊湖> 2009年6月<手賀沼と発作橋(冬の白鳥)> 2009年8月<日頃の風景(手賀沼)から(^^ゞ> 2009年9月<初夏の布瀬と手賀川(^^)> 2009年12月<柏市「手賀沼」「下手賀沼」> 2010年7月<手賀沼と下手賀沼から、富士山・筑波山を> 2010年8月<手賀沼北岸(我孫子市)の桜模様(^^)>以降 2010年12月<梅雨の風情(湖と蛙と紫陽花)>以降 2011年1月<手賀沼の晩春〜初夏> 2011年4月<晩夏〜初秋・手賀沼までの空と雲> 2011年9月<柏市〜白井市、秋の夕暮れ><同じく、夕月・夜雲>および<日没> 2011年10月<クリスマス本番〜年末>以降 2011年12月<晩春から初夏にかけて> 2012年1月<ニョキニョキ歩き雲>以降 2012年7月<ハロウィンの頃まで>内 2012年8月<手賀沼「水の館」と「天然温泉・満天の湯」><真冬の手賀沼>および<梅の開花がすごく遅かった件>内 <柏高島屋・「ベルサイユのばら」展(笑)> ↑目にした時は、目が点になった(笑)。柏の高島屋はココね(^^ゞ→地図V 用事は、亭主の仕事がらみの買い出しだけど、店を探したり選んだりに時間がかかる、と言われたんで、「じゃ、近くのカフェで本読んでる(^^ゞ」とか言って別れた。
開催期間は2012/04/18〜05/08。 まぁ「ベルサイユのばら」は有名な作品だし、デパート業界は、スーパーやコンビニより高級イメージが売りだから、たまにはこういうド派手な催しに使われるんかな〜なんて思って、しばらく見て歩いた。 ところが、何とか近くのカフェ(結局、外に出て安カフェに入った:爆)に落ち着いて、改めてパンフレットを読んでみると……ナント、作者の池田理代子センセーは、連載当時この柏に住んでおられたんだとかっ(*o*)!<ビックリ ご本人の談話が、パンフレットに寄せられていた↓
自分もベルばら連載の頃は、父の転勤で兵庫県におって、宝塚歌劇の初公演を見に行ったし、まだまだブーム続行の頃に松戸に帰って来て、柏はスグ近くで何度もよく来たので、二重に「地元ネタ」って事で載せさせて頂きたい(^^ゞ。
何しろメインは「店探し」だから、とても全展は廻れず(^_^;)、それでも行く先々で出会った分だけはカメラに修めたよ!
それにしても、スゴイ衣装の豪華さ……服と言うより「家具」だよね!(笑) 他にS館3階「(題名なし)」、4階「紅ばら白ばら」、5階「はるかな想い」、新館10階「たまゆらの日々」などがあった。 この内あと二つほど行ったが、こうしたドレス類ではなく、所持品っぽいアイテム(懐中時計とか)の展示だったような……。 いや〜懐かしいなぁ、ベルばら(笑)。 wikiでストーリーや人物の詳細など読むと、「そうだったー!」「そんな登場人物もいたなー!」と、あれこれ思い出して……そのうち復古版でも買って読んでみるかー(≧▽≦)! ■5月・茨城県南西部 <下妻を目指す、1(常総市まで)> では、いよいよ、半日ミニミニツアー・レポの始まり始まり(^^)。 いつもは普通道を行くんだが、この日は行く先をナビに聞いた所、「乗れ」と指示して来たんで、高速(常磐道)に乗ってみた(^^ゞ。たぶん柏インター辺りから。 いつも下を通るんで、「高速だとこんな風景なんだぁ〜(゚.゚)」とか感動しながら(←まさに「灯台もと暗し」笑)、やがて県境(千葉−茨城)利根川を渡る。地図W
この前日まで、大雨や洪水などの注意報が出廻って、なかなか遠くに行けないモードになっていたが、この日はよく晴れた☆ミ ところが、この翌日に起きた竜巻が、今見てる筑波山の方角で大変な被害を齎したのだ。 そうとも知らず、この日は「河川の氾濫」ばかり気をつけて、上空は殆ど気にしてなかった。。 実際、この日の午前中はそんな天気予報だった。ここでも利根川を見て、「水位OK!」とか、今思えば大層マヌケな事を言っていた(-_-;)。。。 やがて高速を、谷和原(やわら)(地図X)で降り……。
地図Y←城の位置はここだが、走ってる294号線は、城よりだいぶ右を通り過ぎて行く(^^ゞ。
しかし今回は、常総市も、今見た豊田城のある石毛も超えて、さらに北の下妻まで行く! 続きは次回(^。^)。 次回は下妻に到着して、下妻市「ふるさと博物館」、親鸞上人の「小島草庵跡」、親鸞ゆかりの菩提樹が残る「光明寺」、「多賀谷(下妻)城、本丸跡公園」、「砂沼広域公園」と「ビアスパーク下妻(温泉)」。 以上、半日だからね。一回で終われる予定なんだけど、どうなるかな……(笑)。 以上、関連事項は、 2008年9月<常総市「将門寿司(爆)」> 2008年11月<茨城県常総市「豊田城」(石下町地域交流センター)> 2010年9月<まずは下妻を目指して> 2012年10月20日 <つづく> |
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