パソ不調は波があって、何かいじるたび軽くなるかと思うと、画像系バージョンアップ後に重くなったり、それがOSアップデート後に軽減したりの一進一退……画像系にOSのアップデートが追い付いてないんじゃないかって気が……(^_^;)。。
「たわごと」で「ご挨拶」じみた話題で始まっちゃったが(笑)、今月(2014年4月)出来れば2回出したい。
というのも、この調子で遅れ続けてると、本当にそのうち何年も前のレポを出すハメになってしまうからだ!
今回冒頭で埼玉北部旅行編(2013年9月)も終わる事だし、色々おろそかな所も多々出るだろうが、日常編は出来るだけピッチ上げ、ドンドン先に進みたい!
日常編は文章も少ないし、日常編だけ読まれてもそんなに嬉しくないので(笑)、ここで去年同様、前レポの宣伝を行う(^。^)。このたびは今回が最終回の「埼玉北部編」を提示ー!
読んでねっ(≧▽≦)!(既に読まれた方は今回のに進んでネ(^^))
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そして、東北・北関東の旅もヨロシクね!
COOL
SHARE「東北・北関東への訪問運動」/「東北・北関東を訪問して復興支援しよう!」by民主党時代の政府&観光庁
リンク貼ったけど、「東北観光博」は自民政権はやらないみたい。「閉幕」になってますた(^_^;)。
「旅*東北」なるサイトが後を引き受けてるっぽいけど、バナーがない(^_^;)。。
「東北の歴史」というページが史跡巡り向きって事みたい(説明が殆どないけど。。) |
てわけで今回に入るが、埼玉北部編は最終回。秩父神社の続き〜エピローグを済ませる!
ついで、翌10月、千葉県鎌ケ谷市で行われた「相馬野馬追」と銘打った騎馬武者パレードをレポ。
これは、毎年行われてるような物ではなく、この時(2013年10月)が初めてで、しかもこの時限りかもしれない企画だそうだ(^_^;)。
■9月・埼玉県北部
<秩父神社、本殿、2(つづき)>
地図。前回は拝殿と本殿を豪華に彩る、伝・左甚五郎の作を交えた極彩色の彫刻を途中までお見せした。その続き(^^)。
橙の字は、四種の彫刻のある所に、私が書き入れた→
@子育ての虎
Aお元気三猿
ここまで前回見た。今回はその続き、
B北辰の梟
Cつなぎの龍
に行くが、これ以外にも珍しい絵柄がいっぱい彫られている(^^) |
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前回最後の↓「天神地祇社」の向かいは→
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北面、たて看板に「北辰の梟」とある
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ここが一番暗くて(^_^;)、目いっぱい明度あげれば、辛うじて建て物の陰影が見れるが、彫刻は愚か、屋根すら見えない暗さ(^_^;)。
ただ、下の一階・庇の下にかかってる絵馬に、この「北辰の梟」の絵が模写されている↑。それが……↓
これね(^^ゞ「北辰の梟」
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本物はこちらの展示写真を(^^ゞ
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絵馬と本物の彫刻は、微妙に違うし、パネル展示風の写真も、少し色褪せているので、例によって、「北辰の梟」@wikipedia
あと「秩父神社」の「境内見取り図」(^^ゞ
梟はギリシャや南米など、世界のあらゆる所で信仰・神格化されているそうで、こないだテレビで古代中国の殷でも、お守りとして装飾具に用いられていたと言ってた。
この「北辰の梟」は、社の一番北にあって、首を180度真後ろに向けている。
つまり、北には北極星すなわち妙見菩薩がいるので、頭部は妙見を拝しながら、お腹で大神を守護している……という事だそうだ。
梟はこの姿勢が出来るトコと、夜でもジーッと闇を見詰めている様子が、不安(背中と闇)から人間を守ってくれると思われたんだろうね(^^ゞ。
この拝殿・本殿は、周りじゅうに彫刻とお守りの写真が、その説明入りで展示されていて、この梟のお守りは「学業成就」が配されていた。
思うに、この北面が秩父神社の真骨頂であろうと思われ、やはりご祭神の「八意思兼命」が知恵の神である事にあわせて、「梟の頭が回転している」と、語呂合わせのような事まで書かれていたっ(^o^)☆ミ
これもかなりの暗がりだったが、龍の部分は画像ソフトの操作で、まぁまぁ見れる感じになった(^^ゞ。
ただ、これだけは拡大しても、顔がどうなってるのか(もっと言うと目玉の視線がどっち向いてるか)見えにくく、それだと龍の顔がどうなってるのか(どっち向いてるのか)判らないので、神社のパンフを写させて貰った↓
「つなぎの龍」@wikipedia
伝承では、この「つなぎの龍」と、前回拝殿に入って最初に出した「子育ての虎」の二作品が、左甚五郎の作と伝わるそうだ。
龍は四方神(東=青龍・南=朱雀・西=白虎・北=玄武)の東の守り神として、この神社では東北(鬼門)に彫られた。
この龍が夜な夜な抜け出して、秩父札所十五番の少林寺に近い「天ヶ池」に棲みつき、暴れたため、鎖で繋ぎ止められたとも言われ、また、龍が池で暴れた後には必ずこの彫刻の下に水溜りが出来た、という伝説もある。
……この手の、(主に左甚五郎の作と伝わる)彫刻の動物が、彫りつけられた建て物を抜けだして怪異を顕した……という伝説は、わりとよく聞く話のような気がする(^^ゞ。
今パッと思い出すのは、やはり長野県松代の長国寺(真田氏菩提寺)の真田信之の廟所。
破風に彫られた鷺が、夜に稲を食い散らしたから繋いだらおさまって云々……という伝説があった(^^ゞ。
この時はもうだいぶ暗くて気付かなかったが、社殿の西側にも龍の彫刻があって、東側のこの龍だけが鎖で繋がれているのだそうだ(笑)。
ただ、写真はいっぱい撮ったんだが、どれも頑張って明るくしても、あまり良い見栄えではない(^_^;)。
何とか光の当たってる箇所で、復元が出来た一枚→ |
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仕方ないから、後はパネル展示の写真でご紹介しよう↓
お守りは家内安全だとか健康だとか、一般的な内容の事が書かれて、必ずしも展示される写真との関係づけが明確ではないが、こうして名工の彫刻とともに貼り出してあると、「きっと幸運を授かるに違いない(^^)」と感じて、頂きたくなってしまうね(笑)。
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←こちらは「鯉の滝登り」と書かれ、出世や学業成就などの事が書かれていた(^^)。 |
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↑だいぶボヤけてごめん(^_^;)ゞ。亭主が「へぇ〜!」と声を出してた。「瓢箪から駒」だそうだ。本当に瓢箪から馬が出て来ている図!これには二人とも「この諺ってこういう意味?」と声が揃った(笑)。 |
この「瓢箪から駒」について、神社には「意外な所から意外な発見や出会いがある、という開運招福を意味する」とし、これも「妙見菩薩と関係する」という解釈のようだ。
「日本霊異記」(奈良末〜平安初期)にある話として、次の話を紹介していた。
ある家から、大変貴重な十数枚の絹が盗まれ、妙見さまに取り戻すことを祈願しました。一方盗まれた絹はすでに市場で売られていましたが、不意に風が吹き起こり鹿が現れ、絹を身にまとい衣をひるがえして去っていったといいます。やがてその鹿は、絹が盗まれた家の庭に降り立ち、主人に絹を戻し天に去っていきました。 |
この鹿は妙見の神使で、他にも鹿に姿を借りた妙見が盗人をあばく説話があるそうで、妙見の字が「顕す」ことを意味するので、盗難や紛失物を発見する効験をもたらす菩薩とされた。
これもやはり、妙見が北辰妙見菩薩、妙見尊星王(そんしょうおう)と呼ばれ、常に闇夜に灯りをともす北斗七星と、その主星の北極星と見られる事と通じるものがあろう。
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←すっかり暗くなってから、本殿の敷地を出た |
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↑お手水を囲む植木の向こうには、秩父の街灯りが仄見え始めている。 |
妙見は、亀の背中に乗って現れる女神だ。
北を守護する神仏なので、亀も元は「玄武」だったのかもしれないが、亀は長寿なので、神仙思想ともあいまってか、夜祭では屋台を動かすのに「ホーリャイ、ホーリャイ(蓬莱)」と囃すそうだ。
妙見はもうひとつ、北斗七星の大七星を「破軍星」とし、武神信仰の象徴として剣を持っている。
この武神的な性格からか、秩父夜祭では、神は神輿の他に神馬にも乗って旅所に帰る……とされており、馬二頭を奉納して供とする。
秩父の街にはちょっとした馬の銅像などが置かれ、祭りに登場する馬が全域で愛されている感じが伝わって来た(^^)。
このように、妙見の盗難返しの逸話と神馬の結びつきが、「瓢箪から駒」に表されているのかもしれない(^^ゞ。
<エピロ〜グ(^o^)♪>
参拝おわった時、6時は過ぎてた。
車内でちょっとその後の作戦を練ったりしてるうちに、7時も越えたと思う。
外はすっかり真っ暗で、「帰りに寄っていこうか(^O^)」と言ってた門前の蕎麦屋さんも、灯りはついてたが店じまいしていた〜!(笑)
亭主は職場への手土産を買い求めるついで、夕飯だけはどっかで食べて行こうと、あれこれ街を探して歩く内、まだ開いてる和菓子屋さんを発見。
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←「水戸屋」とあるが売ってたのは「ちちぶ餅」↓ |
上のドーナツは味噌味の変わった風味(^^)。
このお店で「秩父夜祭」で12月に打ち上げ花火を行なう事を聞いたの(^^)。 |
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あと、秩父を舞台にしたアニメが空前の大ブームで、訪れる人が激増してるという話を聞いた。たぶんこれだね→あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。
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お店の方が凄く親切で、秩父の街も町おこしに熱心に取り組もうとしてるんだな〜と感じたが、今思うと、この「水戸」なる字が響いたんだろうか……翌春(ついこないだ(^_^;)ゞ)には水戸方面(茨城北部)に旅する事となった(笑)。
↑その後、どこもかしこも店じまいしてたので、探しに探して山の中でやっとありついたお蕎麦( ^,_^)фチュルル〜
私らにはちょい高めだったけど、すんごく美味しかった!
……でも、その後、亭主が腹を壊した(爆)。
亭主は、「食中毒と言うより冷えなどが原因だろう」と言うんだが、疑念を招くと気の毒なので、残念ながら店の居所などは出さないでおく(^_^;)。
以上をもって、「埼玉北部編」を終わる( ^^)//<拍手〜 *自画自賛(笑)*
以上、関連事項は(2014/08/11遅れてリンク(^_^;)ゞ)
2005年2月<日光・東照宮>内(左甚五郎・三猿)
2009年5月<妙見社・国王社(妙見曲輪)>(妙見=天之御中主)<恵日寺(いわき市・瀧夜叉姫の墓所)>(左甚五郎)
2010年11月<雨引観音(楽法寺)・薬医門〜本堂>内(左甚五郎)
2013年7(6)月<日本ロマンチック街道@高平〜追貝>内(左甚五郎)
2014年3月<秩父神社、秩父夜祭>内以降(妙見信仰・左甚五郎)
■10月・千葉県
<明るい夜空と虹と月>
震災から2年、3年と経つ内、震災の前後によく見た異様に明るい(特に地平線が)夜空を見る事は減った。
が、たま〜に妙に地平線が明るくなる事はあって、そんな時には気を付けて撮影してみている→
10月初旬、日没が17:45ぐらいの頃の19:00。暮れ切ってから一時間以上経って。
でも、これも以前のようにこの状態が何時間も継続されるような事は無くなった(^^ゞ。 |
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だいたいこの手の明るい空が出る時は、雨や霧など水蒸気が多い時だよね(^^ゞ。街の灯りが跳ね返ってそうなるんだろうから、災害(特に地震)との関係となると確率どれぐらい上がるかアレだけど(現にこの後大きな地震は無かったし)、真夜中になっても何時間も続くような時は、ちょっと緊張するわ。この頃はすっかり無くなったけどね。
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←こっちはその翌日の午後〜夕方ごろに出た虹。
移動中、何枚か撮った中で一番色が濃い時のだが、 ちょうどその頃合、あいにく住宅地に入り込んで、周りを建て物に囲まれてしまったので、急いで視野の拓ける所に移動したが……↓ |
残念(^_^;)、ちょっと薄くなってしまった。かわりに夕焼け雲 (パノラマ2枚)
でもこれほど180度に近い虹の全容を見れる事はなかなかない。
そういやよく「虹の麓に住む人は幸せになる」と言うよね(^^ゞ。
てわけで、麓を見てみると……、
野馬除土手(^^)
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同じく野馬除土手、今度は月夜(^^)
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こんな野馬除土手の森の上に、すごく明るい月が出て、しかも辺りじゅうの雲を押し並べて照らす明るい夜空。
こうした風景はちょくちょく房総のあちこちで見るが、さっきの虹の通り、やがて本当に幸福が訪れた(^^)。
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それが……やはり野馬除土手のある鎌ヶ谷市で行なわれた「相馬野馬追」凱旋パレード。
これは祭りのポスター(^^)→ |
以上、関連事項は(2014/08/11遅れてリンク(^_^;)ゞ)
■不思議な空(2011年以降)
2011年1月<夏の花・森・夕焼・月・花火>
2011年4月<晩夏〜初秋・手賀沼までの空と雲>
2011年9月<松戸市「祖光院」「カフェ・リビエラ」「庄や」>内以降
2011年10月<クリスマス本番〜年末>以降
2011年12月<夏の夕空・夜空>
2012年1月<夏空・夏雲>
2012年10月<GW突入、新緑と八重桜、震度5前夜>内
<鎌ヶ谷市「相馬野馬追」騎馬武者パレード、@出陣>
パレードは鎌ヶ谷市の中心を巡るコースだが、鉄道が少し入り組んでいて、新京成線・北総線・東武野田線の三本の鉄道路線が各々三角州を作りだす、その内部で行なわれた。
@三角形の一辺が、北総線と新京成線の「北初富」〜「新鎌ケ谷」
A次の一片が国道464号線
B最後の一辺が新京成線「新鎌ケ谷」〜「初富」と、東武野田線「新鎌ケ谷」〜「鎌ヶ谷」である。
まず、騎馬隊は三角州の南西部「貝柄山公園」に集結していたようで、そこから国道464号線に出て来る所からパレードが開始された。
我々も、ちょうど公園から出て来る所から撮影を開始できた。
その出口が→地図↓
ここ。貝柄山公園から国道464号線に出て来るカド (パノラマ4枚180度以上)
この出口付近は、駅では、新京成線の「北初富」駅が一番近い。
ちなみに、この「貝柄山公園」の名は、そのすぐ近くに「中沢貝塚」跡があるので、それにちなんでではないかと思う。あるいは、貝塚跡地の保全のために出来た公園なのかもしれない。
この道路を通るたびに、「公園いってみたい」「貝塚が近くにあるみたいだよ」と言いながら、現在まで行った事がない(^_^;)。
パレードの時間と行程を亭主が調べてくれたが、てっきり駅前スタートだと思いこんでて、当日は出発が遅れてしまったので、「もう行っちゃったかもね」と言いながら、駅からどっかで出会わないかと、ここまでセカセカ歩き&小走り混じりに来た。
そしたらここで大勢の人がワイワイ集まってるので、警備員の方に「ここからお祭りスタートですか」と聞いたら、「はい、そうですよ」と教えてくれたので、足を止めて一緒に待っていると……、
ゾロゾロ、ガヤガヤ、キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!
「はい、騎馬が通ります、下がって〜」と交通整理が入るのに続いて、先頭の騎馬武者が後続部隊に手合図を送って……↓
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「出陣!!」→
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大将格っぽい二騎が後に続く
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さらに旗指物の武者一騎
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後は、途中に騎馬同志が何度も馳せ違いながらも、だいたい以下の順番で、12騎10旗指物の騎馬がパレードした。
既に464号線をゆく武者たち、遅れて登場してくる武者たち
以上で12騎、全員が出陣した所(^^ゞ。
<A行軍、貝柄山公園〜初富稲荷神社〜鎌ヶ谷市役所>
以後、通常通り「1/10万」地図で示すが、そう広い範囲じゃないので、ご自分でお好きなサイズ(「1/6250」かその前後あたりが適当かな〜)に拡大してご覧あれ(^^)。
まずは先ほどと同じく、現在地→地図
これよりしばらく464号線を行き、線路に達した「初富」交差点(地図)を左折。
高架下の道をだいぶ行進して、鎌ヶ谷市役所に向かうカド(地図)を右折。
市役所に近付く前(地図)で左折。
イオン前の通り(地図)で隊列を披露。
最後に市役所(地図)に集結……というコースだった。
まずは464号線をいく武者たち。先に進んで振り返り待ち受けて撮影
やがて東武野田線(鎌ヶ谷〜新鎌ケ谷間)に到達( 地図)して左折
このパレード、時々寄るディスカウントショップのレジ近くに、さっきのポスター(月夜の野馬除土手の所で出した)が、張り出されてるのを見付けて来てみたのだが、そのポスターには、こう書かれていた。
国指定重要民俗文化財「相馬野馬追・600年振りの凱旋」
「鎌ヶ谷」と「相馬野馬追」には歴史的な縁と多くの共通点があります。相馬野馬追の由来は、平将門が下総国小金原に野馬を放ち敵と見立ててこれを追ったことに始まるとされます。また、平将門の子孫と言われる相馬氏のルーツは、鎌ヶ谷市域の北部を含む「相馬御厨(そうまみくりや)」という荘園を治めたことから始まります。相馬氏が鎌ヶ谷の地を去って600年余り、「相馬野馬追」の騎馬武者12騎が「鎌ヶ谷市民まつり」に特別参加します!
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これはおよそ600年前ごろに、相馬氏が陸奥の相馬に行った事を言ってるんだね(^^ゞ。
ポスターに示される祭りのイベントには、「復興支援チャリティフェスタ2013」というのがあり、東日本大震災の復興支援が主たる目的だと思う。
だから、相馬野馬追についてはこれだけだったけど、10/01〜13の期間限定で、鎌ヶ谷市郷土資料館で「写真でみる相馬野馬追と南相馬市の文化財展」というのも同時開催されていたようだ。
相馬氏は南北朝や戦国期の下総にも多く名が現れるから、ここ千葉県北部にもいたわけだけど(笑)、野馬追を伝統的に今に伝え続けているのは、福島県の相馬(と南相馬)と言えよう。
(2006年8月<泉、龍泉院>内・
2009年5月<相馬・中村城跡(東〜南側)>以降・7月<北東部「守谷城跡」1、城内地区>以降)
千葉北西部だと、城跡は大抵は消滅したり、遺構が残っていても私有地(田畑・雑木林・墓地)などが多い中、市民が気軽に行ける公園になってる物では、私の知る限り、柏市の増尾城跡(2005年10月<増尾城址公園(千葉県)>)が相馬氏の頃からの城跡と伝わるものだ(^^)。(遺構は戦国期の物って感じがするが)
さっき武者たちが出て来た「貝柄公園」にも、野馬除土手があったようで、今でも水辺公園となってるらしく(行った事ないけど(^^ゞ)、これは昔、馬たちの水飲み場(湧き水地)であったと古くから伝わる所だそうだ。
千葉北西部に点々と現存する野馬除土手は、記録に残る限りは江戸期の物だから、「相馬野馬追と関係がある」とは言えないが(土手の位置まで江戸期に正確になぞったとは思えないから(^_^;))、湧き水なんかは、古代や中世から続いてる事もあるかもしれないね(^^)。
■野馬除土手(及び類似公園など)
2007年8月<六高台の桜と五香の野馬土手>内
2007年10月<野馬除土手>
2011年1月<初夏、沼南〜松戸の野馬除土手>
2011年9月<「白馬公園」「野馬公園」「しいの木公園」>
2012年8月<冬空・雪・野馬土手・節分・氷>内
2012年10月<六高台ハナモモ通り>内
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線路わきの道の途中には「初富稲荷神社」があり、そこで騎馬達はちょっと歩を遅めた。 |
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↑鳥居の周囲は見物の人だかりでいっぱい |
「 初富稲荷神社」( 地図)を拝してか、イキナリ法螺貝を披露
(拡大)「ボォ〜ボォ〜!」 |
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そしてカド(地図)を右折、市役所に向かう通りに12騎勢ぞろい→
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その前方には、鎌ヶ谷市役所の庁舎が待ち構えている (パノラマ2枚)
ここまで、駆けに駆けて来た(^_^A)。
詰め寄せる人混みの脇を走って騎馬行列を追い越し、充分に間合いを取って、先頭が来るのを待ち構え、次々と通り過ぎる騎馬を撮影したら、また走って行列を先頭まで追い越し……を繰り返す。
同じような人々が数人、一斉に同じような動きをしていた(笑)。
こういう事をやるのは、若い頃、甲府「武田信玄祭り」(正確にはその前祭の「24将騎馬パレード」)や、米沢「上杉謙信祭り」の合戦祭り前パレードなどを見に行って以来。……かれこれ25〜30年ぶりぐらいですなっっ(爆)。
<B集結、鎌ヶ谷駅前「イーオン」通りと市役所の賑わい>
この市役所前通りあたりで、足の指先がちょっとヤバイ感じがしてきた。
後で家に帰って見たら、爪が食い込んでしまって……巻き爪なんだなぁ。。この頃ちょくちょく起こる症状で、もっぱら漢方薬を飲んで治してたんだが、こういう激しい運動をするとイカンようだ(^_^;)。。
でもこの時は、秋晴れの青空も目に染みて、「こういう事するの久々だなぁ」なんて感慨に浸りながら、騎馬の次の動きを待っていると、勢ぞろい後しばらく静止して後……、
既に大勢の観客が詰めかけ、前列には近寄れそうもない(笑) (パノラマ4枚180度以上)
それでも、前にいた人が何かと移動するたび、その隙に入り込んで、前へ前へと進んで行くうち……、
人々の肩越しから撮影できた(^^)v
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意外とまだ先頭(゚.゚)
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行ったり来たりしてたのかも(^^ゞ。
この「イーオン」前は、そんなに長い距離があるわけじゃなく、車輛通行止めにすれば、このように広場となって、良い場所なんだなーと再認識☆ミ
引っ越して来た(戻って来た)ばかりの頃、鎌ヶ谷という所は、大草原と言うか、広大な空き地と言うか、見渡す限り広野って感じで、建て物も殆ど無かったけど、今は商業施設がドンドン建ち並んで、大都会の様相になってる。
我々も休日のたびに鎌ヶ谷に来る事が増えた(^^ゞ。
手賀沼までドライブに行くのも、東京に近寄る西部より、それほど渋滞しない東部周りで行っちゃうんだよね〜(笑)。牛丼屋など大手で安い飲食店もいっぱい出来てるしね(#^.^#)。
あまりよく見えなかったが、一騎がこの道を駆け抜けるシーンがあった。暴走したのではなく、多分、「野馬追の披露」という感じだったんじゃないかと(^^ゞ。
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しばらくそうやってここに居たが、私が「亭主どこ行ったかしら(^^ゞ」と電話しに行った間に、居なくなった。他に場所を移したと見える。
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やがて亭主と連絡が取れると、「市役所の方にいるよ」と教えられ、そちらに移動したら旗指物が翻るのが見えたから、最終的に市役所前に集結……という行程だったのだろう(^^ゞ。
亭主と連絡が取れるまでの間、騎馬が又やってくるか、何かセレモニーでも行なわれるかも……と思い、しばらくここ、「イーオン」前にいたので、ここからのレポも行なう(^^)。
↑の騎馬の行進する先は、線路にぶつかる位置にある→
(ちょうど電車が来てるトコ(^^ゞ)
「イーオン」前通り(地図)は、新京成線・北総線・東武野田線の「新鎌ケ谷」駅の「駅前ロータリー」的な空間でもある。
その周囲には、東横インに銀行にコンビニ、ドラッグストアや飲食店などがあって、この日は広場に屋台が繰り出していた(^^)
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←焼き鳥に…… |
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↑千葉県の名産、梨の販売会(^^) |
そうそう、去年は「ふなっしー」が大ヒットだったよね(^。^)v。あれも同じ千葉県北西部の船橋市である。
梨は船橋だけでなく、柏や松戸・白井でも多く作られていて、ここ鎌ヶ谷でも可愛いゆるキャラがいるよ!
それがこの「かまたん」(^O^)
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駅前に貼られた「かまたん」のポスター(#^.^#)
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ホームページ(たぶん公式)はこちら→「かまたんの家」
「ふなっしー」も“梨の妖精”らしいが(あれで:笑)、こっちも「梨と野菜の妖精」と書かれてる。
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←「さあ、いっぱい野菜をお食べ♪」とかまたんに言われ |
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↑ジュウジュウ野菜を炒める方達、焼そばかな? |
↓その他、露店の古物市では食器もズラ〜リ! |
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鎌ヶ谷の野菜を応援する「鎌産鎌消」の看板→
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駅に近い側から、対面する「イーオン」の方に渡ると……、
大きな金色の御神輿が三基(゚.゚)!
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この時の祭りで使われたんだね〜
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道行く祭り見物の人々によく見える所に陳列 (パノラマ2枚)
<鎌ヶ谷市役所で大団円(ノ^O^)ノ∠・*:.。. .。.:*・゜゚・*☆>
亭主とも連絡がついて、イーオンから市役所まで歩いていく。
市役所の脇にも幾つかテントが出されて、東北の物産展などやってたようだ(^^ゞ。
だが買いに行ったら、おおかた売り切れていた(^_^;)。
それほど大盛況だったのは、やはり市民の東北支援への思いからだろう。
騎馬武者パレードなんて、この辺では珍しかったというのもあるだろうが、相馬と聞いて「昔ここに先祖の千葉氏(および平将門)がいて……」と、パッと思いつく人はあまり居ないと思う(^_^;)。
異様な熱気も大勢の観衆も、相馬から来た人々の勇ましい姿を見て、感動して声援を送った人が多かったからに思えた。
同じく移動する人々の群れ「ゾロゾロ」 (パノラマ3枚ほぼ180度)
人だかりの向こうに、例の旗が翻ってるのが見えるよね(^^ゞ。しばらくは市役所の前(駐車場)を練り歩いたのだと思う(^^ゞ。
ここで、また亭主と通信。
「今どこー?」
「ん〜と、大根の前〜」
という大根とは、さっき写真で出した「鎌産鎌消」の大きな看板。下のパノラマだと右端にある↓
市役所前まで来ると、ロープを張って広場を確保 (パノラマ5枚180度以上)
馬が暴れ出したり、近付く人だかりに怯えないよう、充分な距離を出しているんだね(^^)。
千葉県は昔は放牧地、今でも船橋に有名な競馬場などあって、馬との親密感は強い土地だ。
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←係の方が着ておられた法被。相馬の繋ぎ馬と海の絵柄だね(^^) |
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↑全員ひきあげた駐車場に、トラックから改めて馬が下りてきた |
ここで祭りのボランティアの方に話が聞けた。
このパレードは今回はじめて行なわれ、しかも、この先も続けられるかは未定だという。
ただ、相馬の関係者と鎌ヶ谷市の間に交流がはかられ、この企画が実現したという事だった。
ボランティアには学生さんが充てられていて、こうした経緯を教えてくれたのも学生さんだった。
この日も休日だし、これまでの準備も大変だっただろうに、面倒な顔一つせず、ハキハキと快く答えて下さった。
むしろあちらから一人一人の近くに行き来して、市民が質問しやすい間合いを取っておられたのが印象に残った(^^)。
(拡大)
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「鎌ヶ谷の皆さん、ありがとなしーヒヒン!」
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↑駅前ポスターの各所でポーズを取る「かまたん」カワイイね(^^)。
この「かまたん」の看板も、実はここ市役所の広場ではじめに見たんだが、近くにかまたんの着グルミも出てたそうで、亭主は別の場所にいた時に携帯動画に写して、後で見せてくれた(^^)。
以上、関連事項は(だいたい(^^ゞ&、2014/08/11遅れてリンク(^_^;)ゞ)
■相馬御厨・相馬氏(平将門と千葉氏)関連
2005年10月<増尾城址公園(千葉県)>
2006年8月<泉、龍泉院>内
2007年9月<松ヶ崎城跡(柏市)>内
2008年10月<取手市「延命院・神田山・将門胴塚」>内以降
2008年11月<千葉県我孫子市「龍崖城」(将門の乱・伝承地)>内
2008年12月<布瀬城跡・香取鳥見神社(天慶の乱・伝承地)>内
2009年5月<相馬・中村城跡(東〜南側)>以降
2009年6月:柴崎城・布施城
2009年7月<北東部「守谷城跡」1、城内地区>以降
2009年8月<東光院>内
2009年9月<1日目・千葉城(亥鼻公園)>内
2009年10月<胤重寺>内以降
2009年11月<犬吠埼の夜〜朝(#^.^#)>内以降
2013年11月:高柳城・矢の橋
■野馬除土手(及び類似公園など)関連
2007年8月<六高台の桜と五香の野馬土手>内
2007年10月<野馬除土手>
2011年1月<初夏、沼南〜松戸の野馬除土手>
2011年9月<「白馬公園」「野馬公園」「しいの木公園」>
2012年8月<冬空・雪・野馬土手・節分・氷>内
2012年10月<六高台ハナモモ通り>内
■11月
<秋は深まり……>
「妙見」(秩父神社)と「相馬野馬追」と来て、その最後に相応しい……なんて積もりはサラサラ無かったんだが(笑)、翌月、こういう和菓子の新発売広告を見た↓
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その名も「千葉のつきと星」、幟に描かれるお馬の絵(笑)! |
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ミルク風味の餡に柚子が入ってるのだと!ウマそ〜(←!) |
「つき」だけ平仮名になってて、「ツキ」と懸けてる……さりげなく競馬が好きな人へのお土産なのかなー(笑)。
店は「なごみの米屋」という千葉県成田市の和菓子屋。商品は→「千葉のつきと星」
そして11月も中旬になると
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銀杏の紅葉が今年も綺麗だった(^^)
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というわけで、今回も何とかあげられた(^_^A)。
相変わらず、パソコン不調のまま遅れて来たが、「ご挨拶」に述べた通り、ここ1週間ほど具合が良く、これがこのまま維持してくれるようだったら、次は出来るだけ急いで出したいと思う。出来れば4月の内に……(無理かな〜(>_<))。。
いつあがるかはともかくとして(^_^;)、次回は、11月以降、白井市の「神々廻城跡」と、印西市の六軒川・弁天川・手賀川を巡る船に乗ったレポを行いたい。
その後は年末年始に向かうのだが、どれぐらいまで行けるかは不透明(^_^;)。
関連事項リンクは、前回(3月号)も遅れてるが、今回のも後ほどに……(^^ゞ。
以上、関連事項は(2014/08/11遅れてリンク(^_^;)ゞ)
■紅葉&クリスマス
2007年6月<クリスマスの街角(^^)>
2008年4月<松戸市・「常盤平」駅前「けやき通り」>
2008年5月<年末(^^)>
2009年6月<紅葉とクリスマスが同時に訪れるの図(笑)>
2010年7月<街路樹の紅葉(#^.^#)>および<クリスマス・イルミネーション>
2011年10月<クリスマス前の東京(皇居東面)><クリスマス本番〜年末>
2012年7月<ハロウィンの頃まで>内および<クリスマスの街(^^)>
2013年1月<今年の秋もハロウィン(^O^)!>
<つづく>
2014年04月10日 |