例年なら3末〜4初ごろか、5月GWかその後あたり、春のお出掛けレポ(^^)が調うのだが、今年は私がダラダラ冬からの予定が延びて3〜4月はまるでダメ、そして5月以降は今度は亭主がまるでダメで(笑)、どこも行かずに今に到っている。 なので今の考えで行くと、「今が元ペースに戻し時ではないかっ!」という気がしている。 先の事は読めないが、何しろ今はネタ不足ってぐらい写真が消化されてるので、先月も冒頭に書いたが、ここ4年ほどやってきた急ピッチ編成は取り合えず終了宣言をしておこう。 追い付いたー。わ〜パチパチ( ^O^)// というわけで、今回はわりと少なめに出来上がっていると思う(いつもに比べれば(^_^;))。 まずは2月、前回の根木内城跡(歴史公園)の続きから行く。 そして、3月の春の風情を各所お届けし、4月に入って地元「さくら祭り」の途中まで(^^ゞ。 とりあえずこんな感じで綴ってみよ〜う♪ ■2〜6月 <根木内歴史公園(根木内城跡)、2右廻り> 位置は地図。
やがて左に登る階段が見えてくる(パノラマ2枚)。
ちなみに道の右側→も木に覆われていて……(パノラマ3枚)
↑「薬研堀」と呼ばれる濠跡を進む。
上記は平成10年度、教育委員会が行なった埋蔵文化財確認調査によるもので、調査地点付近はすでに堀が埋められてあったが、「薬研堀」といわれる底が尖った形状の空堀だった事が調査で確認されたという。 急峻とか高い山頂の要害ではないからという事もあろうが、バカ高い土塁と言い、底の尖った濠と言い、確かにこの時点で「かなり狂暴な性格を帯びた城跡(^_^;)」とは感じた(笑)。
ここが、これまた昔ながらの自然環境を残し、多くの野生生物が棲息してる貴重な沼地というのは、前回書いた通り(^^ゞ。
市長さんが来訪して、公園の今後について熱く語っておられる様子など(笑)、掲示板に張られてる広報や案内も充実していた。 (ただ土塁や大手口を「形で理解してもらえる姿にすると夢がある」と語られたようで、どんな風にするのか、ちょっと心配だったり(^_^;))。。 以上、詳しくは「城主のたわごと・千葉の動乱」<享徳の大乱・武蔵千葉氏×馬加氏(1454〜1456)>以降
これは、谷田部藩で「五角堂」を建てたり「からくり人形」を作って名を残した「飯塚伊賀七」から来ている名称なのだと、小野寺さんに教わった。 この「飯塚伊賀七」で検索してみると、「からくり伊賀」の名で色々と出て来る。江戸期の発明家のようだ。 「伊賀」と言っても、この「伊賀七」の名から派生してるようで、この人自身は常陸の人だから、伊賀の国そのものとの関連は無いと思うけど、「からくり」というのが忍者屋敷のイメージになるのと、何かこのお煎餅の硬さが、昔食べた伊賀の名産「かたやき」に通う物を感じ(笑)、いっぺんで印象に残ってしまった(^^ゞ。 ■3月 <逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>
この冬〜春は間延びスケジュールが続き、上の大谷口・根木内城跡めぐりのように、ポッと予定があく事もあったが、全体的には4月いっぱいまでキチキチだった(^_^;)。 なので、息抜きにドライブに行く程度がせいぜいで、その後は今に到るまで、今度は亭主が土日になるたびに家で仕事をしてるため、殆ど外出はしてない(^^ゞ。 ちょっとドライブ半分でも写真は撮るので(笑)、実はこっから先も、かなりたくさん写真が溜まってる物もあるんだが、もう一つレポ容量を満たしてないので、そのうちドカッと行くかもしれない(^_^;)。 さて、今度は今年の春の風情を幾つか(^^ゞ。まずは柏市の逆井あたりから手賀沼までのコース。地図 まずは「逆井(さかさい)」あたり。 パノラマ2枚
次は「藤心」という所。地図 ここに田んぼの真ん中の喫茶店があって、時々立ち寄ってお茶を飲んで行く(^^ゞ。 喫茶店(「アンチーブ」)から外を眺める。(パノラマ2枚)
この辺り、春〜夏にはカエルがゲコゲコ鳴いてて、ゆったりした田舎の風情が楽しめる(^^)。 そして手賀沼到着〜♪(パノラマ3枚)
ここは前に「城主のたわごと」2006年8月<手賀沼>で既出だから、説明は特にナシ(^^ゞ。 「白鳥さぁ〜ん!!」と呼ぶと、白鳥サンが「ほい来た、ヨイショヨイショ」と二羽セットでやって来るのっ(^^)。じゃ、ちょっとやってみるねっ。
エサもあげないのに、「これがキョービのウケ」と、二羽で翼を広げて優雅な姿態を披露。そこに居る限り、近くを去らずにサービスし続けてくれる。
この白鳥サンはきっと悪い魔王に姿を変えさせられたお姫さまで、亭主が助けに来てくれるのを待っていたに違いない(;_;)。。そんな想像をしてみる一方で、翼を風に膨らませる様子に「スワン・シューってシュークリーム菓子があるよね(爆)」などと美味しそうに見詰めてしまう私だった。。 さて帰ろう(^^ゞ。「手賀曙橋」(地図)からの道を南進。
↑この山の並び、向かって左に行けば「興福院」(地図)、右に行けば「龍光院(将門神社)」(地図)のある岩井に通じる。
今度は松戸市内。「21世紀の森と広場」(地図)から「栗ヶ沢」(地図)あたり。 ちなみに高城氏が初めに居館を持ったと言われるのも「栗ヶ沢」とされている(が、いま地名がある場所と完全に位置が一致してるかはわからない(^^ゞ)。 例年だいたい2月ごろだと白梅をよく目にするが、今年はもっと遅くまで、コブシとか白木蓮など、やたら白い花が目についた覚えがある。 もしかして、夕方や夜になってから出掛ける事が多かったからかも(^^ゞ。 毎年2月〜3月初旬までが忙しく、出掛けるのが遅くなりがちだったのが、今年は予定が長引いてそうなったってだけ?(笑) ■4月 <常盤平さくらまつり、1> ↑次回と二度に渡って、今年もお届け(^^ゞ。 八柱(やばしら・地図)から五香(ごこう・地図)までの線路の内側の道。 いつもは一番賑わっている「五香」から入って来て、まず食い物を確保するのだが(笑)、今年は常盤平と八柱の間ぐらいから来て、端の「八柱」に向かってみた。
ご覧の通り、常盤平に向かう途中までは歩行者天国にはなってない(^^ゞ。でも歩行者は殆どが花見客っぽい風情なので、歩道はみんなノンビリ歩いてる(笑)。
ただこうして改めて見ると、この日は……かなり曇ってたのかなぁ(゚.゚)。 そろそろ出て来るけど、屋台を開いてる人は「ギリギリ降らないでくれた」という感じだった。 でも実感としては余り曇って感じなかった。デジカメがいい加減ボロイというのもあるかもしれないし、私の実感の方がウカレてて(笑)、やはりかなり曇ってはいたのかも(^^ゞ。 でも雨と曇りは写真としては大違いで、雨が降ると、途端に桜を傘が遮って、肉眼ではそれを避けながら見るものなんだが、写真ではモロに入っちゃうんだよねぇ(^_^;)。だから曇りでも、降らないでくれたのは大感謝! 今年(2007)ほど「開花期が大変動」と噂された年は無かった。 温暖化の影響には違いないが、直接の原因としては「暖冬」による開花スイッチの迷走。桜は寝ているので、寒〜〜い体験(*o*)が無いと起きないらしい(笑)。 さんざん危ぶまれた割に、桜はみんなのために、そんなに寒くなかったけどちゃんと起きて、都合と体調をあわせて「祭り」に見事に咲いてくれた。ありがとー(^O^)。
屋台の登場は、もう殆ど「常盤平」に差し掛かった頃から(^^ゞ。人出もこの辺りからドッと増える(笑)。 まず八柱から歩行者天国までも、通常よりは歩道に人が多いが、やはり歩行者天国から増える。そして屋台でみんなが足を止めるので、ここからは渋滞ぎみになる。 無論この辺りから入って来る人も多い(^^ゞ。子供連れなんかはこの辺りからかな〜(笑)。
そうそう(^^ゞ、この祭り、だんだん「各地の名物通り」になりつつあって(笑)、この頃では外国の食べ物がよく見られたが、一昨年あたりから日本の名産も増えて来た感じがする。 「きりたんぽ」は去年も見掛けたんだが、今年の方が多かったのか、あるいは「去年食べられなかった」という思いが目を行かせたのか、今年は即効で買った(笑)。
「さくら祭り」に入った辺りで、パソ熱暴走(買ってまだ1年なんだけど〜(^_^;))と、遅れて来た多忙が見事に重なり、バタバタして今イチ繋がってないかも。。 でもますます忙しくなりそうなのでもう載せる(笑)。スイマセン(^^ゞ。 以上、関連記事は、2004年分が2005年5月 2005年分が2005年12月<常盤平・桜まつり> 2006年分が2006年9月<1日目・花と嵐の(笑)「常盤平さくら祭り」@松戸> 「さくら祭り」常盤平〜五香以後のレポはまた次回〜(^^)v。 <つづく> 2007年07月15日(2016/07/21:地図(ヤフー →MapFan)張替) |
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