<2013年・城主のたわごと9月>




2012年末、クリスマス・イルミネーション〜大晦日。

2013年初、「松戸七福神巡り」〜「神田明神」初詣!




     
  旅行編の「上下毛編」が前回で終わって、旅行が11月初と例年より遅かったので、すぐクリスマスシーズンを迎えた……といった所で、今回に続いている。

去年は震災がらみで東北応援もあって、日常編に戻ると、冒頭に必ず旅行編を毎回宣伝させて貰った。

今年は東北旅行ではなかったので、応援や宣伝の意識からではないが、日常編は文章も少ないし、日常編だけ読まれてもそんなに嬉しくないので(笑)、今年は「旅行編を読んで欲しい(^^)」という思いに改めて変え、去年同様、旅行編の宣伝を行う。

1〜8月までの、2012年・群馬レポ(上下毛編1)をヨロシク(#^.^#)。

〜おしながき〜

「1月のたわご>と」(上下毛編1)
■10月末〜11月初・群馬県〜栃木県
<東北道〜北関東道>
<「太田桐生IC」から「生品神社」へ>



「2月のたわごと」(上下毛編2)
<生品神社(新田義貞・挙兵の地)、2>
<新田荘歴史資料館><世良田東照宮>
<得川氏・新田岩松氏塁代の墓>
<「長楽寺」「三仏堂」と蓮池竜宮伝説>
<明王院(新田触不動尊)>
<1泊目・新田の夜〜2日目朝>
<「円福寺・茶臼山古墳」(伝・新田氏累代の墓)、1>
「3月のたわごと」(上下毛編3)
<「円福寺・茶臼山古墳」(伝・新田氏累代の墓)、2>
<大光院門前・大河「太平記」と焼そば(爆)>
<大光院><金龍寺><曹源寺(さざえ堂)>
<里見兄弟の墓(阿弥陀堂)><大胡城跡>


「4月のたわごと」(上下毛編4)
<大胡城跡、2(続き)><大胡神社>
<長善寺(大胡太郎の墓)>
<二泊目・赤城温泉に到着、赤城山の夜>
<赤城温泉(^_^A)><3日目・赤城山の朝>
<赤城山頂に向かう>
<地蔵峠・小沼・黒檜岳の神仏譚>
「6(5)月のたわごと」(上下毛編5)
<赤城山頂“大沼・小鳥島”「大洞赤城神社」>
<大沼南岸の観光街と「忠治うどん」(^。^)>
<赤城山頂から中腹(三夜沢)へ>
<赤城山中腹「三夜沢赤城神社」>
<赤城山から上泉へ>
<上泉郷蔵(上泉城跡)と西林寺(上泉秀(信)綱の墓)>
<総社二子山古墳>
<「総社神社」と「宮鍋神社(蒼海城跡)」>
「7(6)月のたわごと」(上下毛編6)
<3日目夜、老神温泉に宿泊>
<4日目、老神温泉の朝(^o^)ノ>
<老神温泉街〜日本ロマンチック街道を西へ>
<「うつぶしの森」(白佐波神社)>
<雲谷寺(新田義宗の墓)>
<「高平の書院」と「酒呑み地蔵」>
<日本ロマンチック街道@高平〜追貝>
<日本ロマンチック街道A栃木県境に向かう>

「8月のたわごと」(上下毛編7)
■11月・群馬県片品村〜栃木県日光市
<120号線、丸沼・菅沼・金精峠><湯ノ湖〜戦場ヶ原>
<赤沼〜中禅寺湖(菖蒲ヶ浜)>
<中禅寺湖・東岸(歌ヶ浜)〜帰路>
 
(リンク不通になってたので貼り替えました(10/22)

そして、東北・北関東の旅もヨロシクね!

COOL SHARE「東北・北関東への訪問運動」/「東北・北関東を訪問して復興支援しよう!」by民主党時代の政府&観光庁

pdf版)
各種お得な交通手段
「お得に東北へ行こう!」

リンク貼ったはいいけど、「東北観光博」は自民政権はやらないみたい。「閉幕」になってますた(^_^;)。
なので、「民主党時代の」という言葉を付け足しときました。

で、「旅*東北」なるサイトが後を引き受けてるっぽいけど、バナーがない(^_^;)。。
東北の歴史」というページが史跡巡り向きって事みたい(説明が殆どないけど。。)



■2012年12月・千葉県柏市・松戸市
<クリスマスシーズン本格到来>


まずは12月半ば、手賀川「発作橋」袂(地図A)の白鳥さん達(^^)

ここの白鳥はどうなってるのか夏場もいるんで、白鳥が渡り鳥であることを忘れてしまいそうだが(笑)、やはり冬場の方がいっぱい群れている事は確か(^^ゞ。

さて、前回は「クリスマスツリー編」をお届したので、今回はいよいよ本格的に「イルミネーション編」をお届けしよう。
一般のおうちも多いから、例年通り詳しい場所は書かないけど(^^ゞ。

まだちょっと明るい時間
この頃はこの滝流れ風の飾りをよく見掛ける(^^)

以後は暗くなってから、寒気に冴えわたるイルミネーションを(^^)

サンタにカモシカにお星様、雪の結晶とクリスマスらしい装い

正面からと側面からで違う、飛び出す絵本風3D飾り

高さを利用した明るい仕上がりに

暗さを利用したシックな飾り付け

広々とした敷地いっぱい使ったゴージャスな庭(゚.゚)

ツリーを象ったパーティ風のイルミネーション(#^.^#)

この最後のが凄かった(^_^;)。。中で貴族の人々がダンスパーティでもひらいていそうな、凄くゴージャスな飾り付けだったな〜。

我が家もクリスマスの準備(^^)。

デコレーションケーキ・子供用シャンパン・七面鳥の手羽が亭主の好きなクリスマス・セット(^^)。
他にサラダは私が、オードブルセットは亭主が買って来た。

ちゃんとキャンドルに火を付けて灯りを消すのだ!

そして火が消えた瞬間、「その時、後ろから何者かの影が( ̄□ ̄;)」と、おもむろに怪談を始めるのも、我が家のパターン(笑)。

晦日の手賀沼(地図R)は寒〜い色合い(パノラマ3枚ほぼ180度)

毎年、晦日・大晦日は忙しくて大わらわなんだが、この年末は休みの具合が上手かったのか、例年より余裕で、手賀沼に出掛けたようだ(^^ゞ。

以上、関連事項は、
■紅葉&クリスマス
2007年6月<クリスマスの街角(^^)>
2008年4月<松戸市・「常盤平」駅前「けやき通り」>
2008年5月<年末(^^)>
2009年6月<紅葉とクリスマスが同時に訪れるの図(笑)>

2010年7月<街路樹の紅葉(#^.^#)>および<クリスマス・イルミネーション>
2011年10月<クリスマス前の東京(皇居東面)><クリスマス本番〜年末>

2012年7月<クリスマスの街(^^)>



■2013年1月・千葉県松戸市/東京都千代田区
<新年、お正月料理(^。^)>


明けまして、おめでとう(^O^)。2013年がやってきた。

←本年の注連飾り
↑おせち(もどき:笑)

ハッキリと正月料理と言えるのは……、かずのこ、ちょろぎ、しめ鯖、酢蛸、蒲鉾あたりでしょうか。あとは通常のお惣菜(弁当用だとか)を前もって買い置きしといただけね(^^ゞ。
正月料理と銘打って売られる食料品って、通常の2〜5倍ぐらいの値段だもんね(汗)。。。

このほどは、2日目や3日目のために、さらに……

鰤(ブリ)の照り焼き
焼き塩鮭

……などを冷凍保存しといたお魚を調理しては、順次追加。
亭主に、「おせちセットなんかより、よほど美味しいよ(≧▽≦)!」と好評(笑)。
そりゃ、その場で焼いて食うんだから、安くても美味いに決まってるのかもしれないが、問題なのは、高級おせちナントカ膳が、たかが主婦の手料理より不味いって点だよね(^_^;)。。

私も正直、前から思ってたんだけど、デパートなんかで前予約して大晦日に届くおせち料理って、高級ナントカ膳とか銘打ってる割に、そんなに美味しくないかな〜と(^_^;)。。

メリットと言えば、正月に主婦がラク出来る点なのかもしれないけど、魚をちょちょっと焼くぐらいの手間と、届いた料理をイチイチ御重に詰める手間と、どっちが面倒かなって感じも……(笑)。

定番の雑煮(^^)→
柚子・三つ葉・鶏肉の風味で仕立てた、おすまし風。
それでも多年、長引く不況の合間、「国民の購買力が景気を底上げ」と長く言われて、前はちょっと頑張って買ったりしたもんだが、未だに「国民の消費が頼り」ってわけでしょ?(そう言わなくても、無為無策な以上、同じ事だわなぁ(^_^;))

アホらしくて、誰が金出すよって感じだわ(笑)。

アベノミクスは大評判で、支持率も下がってないようだし、景気判断の材料に言われる国民の購買がアップしたとかいう事らしい。(大本営発表でなければね:爆)

「ふ〜ん、不況だ不況だと言いながら、日本人は実はお金をいっぱい持ってたんだね〜(^。^)」と、国民の皆さんの購買力とやらを横目で見つつ、ウチは思いっきり、購買にブレーキかけまくって、毎月ドシドシ貯金アクセル爆走中ッス(大笑)。



<初詣@「松戸七福神めぐり」>

さてさて、お正月も2日目あたりから、そろそろ動き出す(^^)。
今年も「松戸七福神めぐり」(全て真言宗・豊山派)を敢行。

最初は八柱、「寿老人」の「徳蔵院」(地図B

戦国期の「国府台合戦」の戦死者を慰霊した、と伝わる「藤塚稲荷」のあるお寺ね(^^ゞ。稲荷は↑この本堂の向かって右手にある。

一方、本堂と対面するように……
(拡大)「寿老人」(^^)

この「徳蔵院」は、かつては荒れ果てた無住の寺であったらしいが、現住職さまが入られてからは、年々何かを新造されない正月は見なかった、と言っていいほど、次々と素晴らしい伽藍を加えて行っている。

本堂も、その隣の「藤塚稲荷」も「管公堂」も、この敷地に上がって来る階段も、途中の中庭も、階段前の「子育て地蔵」も、年々新造され、あるいは華麗に造作されて来たが、今年も……

本堂から続く華麗な廊下と石庭が新設
その先に新たにオープンしたのは……

立派なミニ図書室(゚.゚)!
線香専用のライター

ここは和尚さんが気さくな方で、いつもお茶や茶菓子を用意して下さり、居心地が良くて長居してしまう。この図書室と言い、墓参客へのサービス満点!

特に亭主がこの線香ライターの風除けを誉めていた。
確かに線香って、屋外では風が吹くたび、すんごく点きにくいよね〜(^_^;)。。

徳蔵院のワンちゃん(#^.^#)→
いつも宝蔵院(大黒)のワンちゃんばかり写すけど、徳蔵院にもいるんだよ〜。

お次も同じく八柱、「円能寺」(地図C
左のお堂と本堂(右)の合間に……

いっぱいの幟に囲まれて「福禄寿」が佇む(^^)。

ここには、いつも朝に来るから知らなかったが、凄く閉まるのが早いようだ(^_^;)。。ここで買うかりんとうが亭主の好物なのだが、去年は最後に廻したら閉められていて買いそびれ、翌日来たらまた閉まってて、ご朱印だけ何とか頂いたが、かりんとうは買えなかった(^_^;)。。

今年は朝コースに戻したので、無事ゲットした(^。^)v

たいわんふう通り地図D
高城氏墓所「広徳寺」(地図E

前も書いた事があるが、「あめりかふう通り」「たいわんふう通り」が松戸市内にあるが、これは「〜風」ではなく「〜楓」ね(^^ゞ。「台湾楓」「アメリカ楓」という植物名。
最初に来た頃は、「ここのどこがアメリカっぽいのだ(>_<)」とか首を傾げたものだ(笑)。

広徳寺(廣徳寺)」は、千葉北西部における戦国期最大の勢力を誇った高城氏の墓所がある。(2004年8月<寄り道2、広徳寺「高城氏の墓所」>

こんな所を通りながら、八柱よりグッと北上して、北小金に近い二つの寺に到着。

毘沙門天」の「医王寺」(地図F
毎年恒例の甘酒(^O^)!炭火で温めている!

↑もよりの駅は、JRだと常磐線「北小金」駅だが、ローカル線の流山線「小金城趾」駅の方が近い。

一方、毘沙門天とセットで巡る「弁財天」のここ「華厳院」(地図G)は、さらに北にあり、どの駅からもちょっと遠いかも(^_^;)。。→

でも正月2日の朝、この弁天さまの前で火伏行事が行われ、大変な熱気に包まれるようだ。弁天さまの足元には……↓

ちゃんと「銭洗い弁天」の水とザルの用意が(^O^)
優雅に琵琶を奏でる弁天さん

この銭洗いと初詣の参拝のために、ちょっと前……年末ごろから小銭を溜めておくのだ(^^)。
そして、ここで洗ってから一つか二つだけコインを小分けビニール袋に入れて、財布に入れて1年過ごしている(^^)。

洗った残り多くは財布に戻して、あちこちで払って福を振りまく(^^)。

←続いて、「恵比寿」の「金蔵院」(地図H)もどこからも距離があるが、まぁJR武蔵野線「南流山」駅かな。
今回はエビスさんのこの1枚だけで失礼(^^ゞ。

お次は、そのまま江戸川を南下して「松戸」駅に程近い「布袋」の「善照寺」(地図I)→

←善照寺・本堂。
↑同じく松戸駅に近い「宝蔵院」(地図J

微妙ながら……φ(。。)m<ジィ〜ッ、「宝蔵院」になると、JR常磐線「松戸」駅より、その一個隣の「金町」駅の方がほんの少し近いかも(^_^;)。
ちなみに松戸と金町の間には県境の江戸川が流れている。つまり金町は東京都(足立区)である(笑)。

宝蔵院は「大黒天」(^^)。本日最後の福神さま☆ミ
同じ松戸駅周辺なのに暗いのは、僅かな移動中に一気に暮れたのもあるが、ご朱印と年賀のご挨拶がてら、お坊さんとお話ししてたから(^^ゞ。

毎年そうなんだが、このお寺が遅くまでやってて下さって、どんなに助かってるか……(;_;)。
というのも、この松戸駅の界隈は、朝早く来ると大渋滞に巻き込まれ、と言って途中で来れる道の巡りでもないもんだから、どうしてもここが最後になってしまう。

にも関わらず、いつも気さくなお坊さんで、お菓子やお神酒を遅くまで出しておいて下さる。
お酒は車があるんで遠慮しているが、表のワンちゃんのお話しをして下さったり、昔の松戸駅周辺の写真を見せて頂いたり、薩摩の米飴(これがまた亭主の大好物)を買ったりで、ついつい長居してしまう(^^ゞ)。
この日はさすがに暗い時間で、ワンちゃんは犬舎に入ったと見えるが……。

以上、関連事項は、
■正月&松戸七福神
掲載日不明(笑)<伝統の一品、名器・足利義昭の碗>
2004年8月全文
2004年9月全文
2005年12月<お正月(^^)・そして今年も「七福神巡り」>
2006年7月<八柱「藤塚稲荷」><松戸オマケ・各所、風雲名物(笑)>
2007年6月<松戸七福神巡り><松戸・大谷口歴史公園(小金城跡)>
2008年5月<年始(^^)・「松戸七福神」巡り>
2009年6月<今年も年始は「松戸七福神めぐり」から>
2010年7月<初日の出とお正月(^。^)><松戸七福神で初詣>
2011年10月<新年は今年も、松戸七福神巡り(^^ゞ>
2012年7月<正月・松戸七福神巡り>




<初詣A「神田明神」拝殿に到達まで(笑)>

↑へ、「松戸七福神」に引き続き、お参りに行った。
確かこの日と記憶するが……、帰って来てテレビつけたら、7時のニュースから夜中のニュースまで、ず〜っと神田明神の初詣の様子を繰り返し同じ映像で伝えていて、「どっかに私ら居るじゃん(^_^;)」とニュースのたびに言い合った(笑)。

京葉道路(14号線)を千葉県市川から東京都江戸川区に来て、荒川を渡る「小松川橋」(地図K)を渡ってる所。
右手にツンと「東京スカイツリー」が見えている。↓→
スカイツリー(拡大)→

この後も小さな川を渡ってる写真がある。「旧中川」かなと(^^ゞ↓

荒川を渡ると今度は墨田区
旧中川を渡る「中川新橋」

去年は恒例の「松戸七福神めぐり」に加えて、「白井七福神めぐり」を三ヶ所ほど行なったので、今年も引き続き白井の残りの七福神参りをしようと最初は思っていた。

が、この前々年、例の日光の野門・家康の里で大遭難しそうになった旅の直前、神田明神に行った事を思い出した。

「……と云う事は、その後は行ってないんだな(^^ゞ」
と気が付いた。1年とちょっと経っている。
年末に神田明神から送られて来る年祓の人形は返送したけど、この正月は休みの巡り合わせもわりと良かったから、珍しく正月から都内に出ている。

やがて神田・御茶ノ水(千代田区)に到着(^^)。しばし駐車場を求めて彷徨い、駐車が定まると、本郷通りを聖橋に向かう。

通称「ニコライ堂」(地図L
正式名「日本ハリストス正教会復活大聖堂」

←改めて正面から(^^ゞ
↑こちらは「湯島聖堂」の屋根

湯島聖堂は聖橋(地図M←詳しくは拡大してね)を渡ってスグというか、橋の下からあるというのが正解だが(^^ゞ、この1箇所だけが「文京区」が食い込んでるようで、あとは「千代田区」なんだね。

で、この「聖橋」周辺から既に、ニュースでも見た通りの大混雑ぎみで、カメラが構えにくい状態だった(笑)。

それでも、ここまではまだ「混雑ぎみ」に過ぎず、いわゆる「行列」は、この後、湯島聖堂の交差点で信号を渡った先から始まっていた(^_^;)。。↓

コンビニの右側から行列が出来てる
これに並んでやっと神田明神の門に到達

亭主はこの行列を見た途端、「どうしようか」と言い出したんだが、「アータ、東京の初詣ってのはこんなもんよ、どうもこうも……並ぶのみヽ(`Д´)ノ!!」と、先輩ヅラして後続する。

(東京の初詣、それは社会主義政権下の東欧・ソビエトに匹敵する行列が、今でも見られる場所である。。。)

まぁ、まだここまでは、ゆっくりゆっくりながらも、少しづつ進んでるんだが、いよいよこの門↑を潜ると、待てど暮らせど前に進まなくなる(^_^;)。。

これは帰りに拝殿(正面)から振り返り位置で写せた一枚ながら、先に出すね。こうなってるわけ↓

ギ〜〜ッシリ!( ̄▽ ̄;)。。(パノラマ2枚)

さっきの満員の写真は、この真ん中の門↑にすらまだ入れず、門の向こうに居る状態ね(^_^;)。。。

そして、この状態が、夜のニュースのたびに「景気回復を願う人々」と銘打って流された「神田明神の初詣光景」である(たまたまそこにいた我々:笑)

地図N←神田明神。もよりの駅はJR中央線、総武線「御茶ノ水」駅、地下鉄千代田線「新御茶ノ水」駅、JR山手線、京浜東北線、地下鉄日比谷線「秋葉原」駅、地下鉄丸ノ内線「御茶ノ水」駅、地下鉄銀座線「末広町」駅。

やっと最前列に到達!\(^O^)/
お賽銭箱も通常より巨大(笑)

何しろこの人出だ。最前列近くにいる時間は出来るだけ短くして、早く後列に場を譲るべきだから、この巨大な賽銭箱を写そうと、必死に身を乗り出してる自分って、すんごく周囲から浮いてる気がして焦ったよ。。

お賽銭いっぱい集まっただろうね〜(^。^)。
最前列にいたのはほんの一瞬だったけど、投げられてた賽銭の量って、こんなもんじゃなかったもん。下の白い布地が見えなくなる前に、時々回収に来てるんだと思うよ(笑)。



<神田明神、猿回し>

さて、本殿(拝殿)のお参りが済んだら、後は本殿の周囲・背後を取り巻く摂社めぐりだが……、

この通り、摂社はそんなに混んでない(^^ゞ(パノラマ4枚180度以上)

摂社は、本殿の両側面と背後を取り囲むように並んでいる。
今、拝殿(に向かって)左脇から入りこんだ所で、これより拝殿の右側〜背後〜左側と順々に廻って行く。

配列は、神田明神のHPの「境内図」にもある通り、「水神社」「小舟町八雲神社」「大伝馬町八雲神社」「江戸神社」「浦安稲荷神社」「三宿金毘羅神社」「末廣稲荷神社」「籠祖神社」と廻って、最後に、比較的新しく出来た「祖霊社」で終わるのだが、最後から二番目の「籠祖神社」には真新しい石鳥居が出来ていた(゚.゚)。

←これがその「籠祖神社」。新しい鳥居の扁額には「合祀社」とあった。
↑他の摂社。果物がいっぱいお供え^^

神田明神は祭典などハレの日には、↑このように大きな果物がふんだんに盛られ、お供えされている(^^)。確か摂社の一つを祀ってる氏子さんが青果市場だったと記憶する。

以上で摂社めぐりも終わり、本殿の左側面(向かって右側)には、記念碑類と会館(結婚式場だね)がある通りで、通常なら駐車場になってる辺りで、この日は「猿回し」芸が行われていた(゚.゚)→

幟には「太郎二郎一門」とある。
むか〜し流行った、あの「反省猿」も、確か「次郎」だったけど(笑)、この一座はどこから来たのかな(日光?)
こうしてお客が集まるのをちょっと待ち、やがて……↓

トトン、と太鼓を鳴らし「さ〜あイイ子だ」
「お客さんに顔見せな〜」とまず練り歩く

猿回し芸人は、芸を見せるよう猿に指示を出すが、猿は芸人を舐めて、ちゃんと芸をしない(笑)。

「さあ飛ぶんだ」指示棒を引っ張る猿
でも見せ場はちゃんと決める!

猿回しを舐めた様子も、怠ける様子も、勿論そう演技するよう仕込まれてるわけだが、芸人が「ここで決めたい」という時の猿の表情が「この棒ちょっといい?」みたいな、いかにもサボリたがってる顔をするもんだから、お客は大ウケ(≧▽≦)。

お次は竹馬!
「飛べ!」 「はいよーーっ!」ピョン!

芸達者なお猿だが……
「やってられっか!」突然の職務放棄(笑)

「やはり、あっしに似合いはこのサイズでござんすよ」

と取りい出したる長い長い竹竿。

「おいおい、無理すんなよ」

「なんの、ほ〜れ、この通り〜!」

とお猿はスルスル〜ッと、自分の何倍も高さのある竹竿に登ってゆくのでありましたー!

「おおおおっ!」と、どよめく観衆
「さあさあご覧じろご覧じろ」トトントン

「うまいと思召したら、どうぞ拍手喝采を願います〜」トントントン!
晴れ渡る正月の江戸の空、長足の二郎猿はどこへゆく〜♪ チャンチャカチャンチャン
わ〜パチパチ( ^O^)//ヤンヤ、ヤンヤ

(とかテキトーに書いて見たけど、アタシも興行の脚本家になれるかな:大笑)

この後、お猿と猿回しは再び客席を巡って挨拶しながらご祝儀を集めるんだけど、経営が苦しいのか、「玉じゃなく、札で願います」などとねだられて、正月からちょっと痛手ではあった(笑)。

それでもお猿は健気に観客の間に入り込み……
「反省」もして見せる(笑)

こうして、さっきも大混雑していた拝殿前の広場に戻り、明神会館を抜けて、人ごみの中を帰って行くわけだが、今回はこの神田明神の隣接地に、公園と散策道が出来ているのを発見したので、行ってみよう。

まず拝殿に戻ると、拝殿の左にはいつも数点の催し案内や、祭事の写真などがあり、この時は神田祭の写真が展示されていた。

鳳輦神輿遷座祭」の神事
こちらは神田祭山車「獅子頭」

左右とも、「神田祭」の折の写真で、これは日本三大祭りの一つ(後の二つは、京都の祇園祭、大阪の天神祭らしい)であり、江戸三大祭りの一つ(後の二つは「山王祭り」「深川祭」)。

左の「鳳輦神輿遷座祭」は、本殿の背後にある神輿の車庫の扉を開けて、三柱の神=@大己貴命(だいこく様)A少彦名命(えびす様)B平将門命(まさかど様)の御霊を神輿に宿す神事で、これが「神田祭」(5月初旬)の始まり。
(祭神については、2006年9月<東京・神田明神>内あたりを(^^ゞ)

一方、右の写真は、祭りが始まって、実際に拝める現在の山車だが、古く江戸時代の、神田祭に出番をした36番からなる山車には、鶏・猿・龍・鳳凰・鶴・猩猩・蝶・唐獅子・雉子など、実在架空を含めた動物、牡丹・月・薄・稲穂・松・梅・紅葉・滝などの花鳥風月や景色、須佐之男・大黒天人形・戸隠明神・弁天・猿田彦・武内宿禰・恵比寿・乙姫・神宮皇后・関羽・坂田金時・佐々木四郎・源頼義など、神や武将の名も見られたようだ。

ウチらは毎年、神田明神で年祓いをして頂く(郵送して来るので返送する)。

大晦日に祈祷を終え、年を越すと、お札と一緒に、この神田祭にちなんだ手拭が送られて来る。

手拭には、36番の内の一つの絵が描かれているので、「今年はどの番の絵かな」と、毎年楽しみにしているのだ(^^)。

こちらは、門付近の和楽演奏。→
ここで笛や太鼓が鳴る機会は滅多にないので、これもお正月ならではの風景だね(^^)。




<神田明神の隣「宮本公園」“首つなぎ将門キューピー”(爆)>

ところで先ほどの摂社めぐりをしてた頃から、隣接地との境界の柵に、何やら不穏な貼り出しが目についていた。

駐車場の二階に……!!
「将門キューピー」なる宣伝武将!

これがさっきも言った、「新しく出来た隣接の公園&散策道」への誘導のような役割を果たしてて、神田明神のサイトによると、まず散策道は「屋上庭園」と言うそうな。神田明神のHPの「境内図

我々も誘われるように、フラフラと隣に行くと……、

こんな風に神田明神を見下ろす二階が作られていた!(パノラマ4枚ほぼ180度)

今いる位置は、神田明神の門付近の横。ちょっと←拝殿方向に近付いてみよう。

拝殿の前横にある、お守りや売店のある社務所まで来た(パノラマ5枚180度以上)

神田明神のサイトでも紹介されてたので、来てみたいとは思ってたが、隣の神田明神があの人混みだから、こちらもさぞ人でいっぱいだろうと思ったら、もう日暮れに差し掛かってたからか、隣の大賑わいをヨソに、比較的こちらは閑散としていた。

それでも入れ替わり立ち替わり、ひっきりなしに訪問する人はいて、後から来た若いカップルの女性が行く手を阻むように来て、行き違う間合いになってもガンとして道を譲らない(^_^;)。。。

仕方なく、私の方がう〜〜〜んと端にどかされ(^_^;)、足を挫いてしまった。。。
写真ではわりと明るく写ってるけど、木の植え込みで暗い場所があって、歩道の脇の敷石がわりと高くなってる事に気付かず、上に足を乗せてしまったようだ(^_^;)。。

将門さま、この女性には「倍返し!」しといて下さいね(;_;)。。<クスン

これが、その歩道と敷石
神社に近付くと「少彦名命」の像が見える

この「少彦名命」の像は、前に撮った写真の方が綺麗に写ってる(2006年9月<東京・神田明神>内)ので、また出すと……↓

最後に合祀された「二の宮」
サーフィン(波乗り)するエビス様

こも洞窟のような波の内部や周囲で飛び回る(泳ぎ回る)魚類たちは、スナック菓子の「おっとっと」のおサカナ達にとてもよく似てて、子供にもウケてると思う!(笑)

で、もう一つ、「屋上庭園」の今度は北側(神田明神は東側)に行ってみると……、

←これが「神田の家」(旧遠藤家)
↑宮本公園の南(下の方)にある。

記憶する限りでは、この「宮本公園」というのは前からあったが、建物は無かった。
どうやら内神田にあった物を移築したようだ。遠藤家という、材木商の店舗(住宅も兼ねる)で、関東大震災の後に建てた物だそうだ。

ここで将門がらみのイベント(というか)を行ってるのは、遠藤家のこの建物があった場所が、大手町の将門首塚にさらに近い場所にあるからなのかな(^_^;)?

地図O←今いる神田明神の隣「宮下公園」の遠藤家が現在ある辺り。地図P←大手町の首塚。地図Q←内神田中央通り

遠藤家「神田の家」入口
「平将門キューピー」売り場

月の8日、18日、28日だけ営業してるようだ。中に家財など展示してあり、おしること「平将門キューピー」が売られている。
お汁粉おいしかったよ〜〜。( ^o^)〃旦~~

で、「平将門キューピー」の方だけど……、一応「願い事を叶える」と銘打った縁起物だったようだ(^^ゞ。

←こんなパッケージに入っていて、開けて人形を取りだすと、板紙に謂れが書いてある。→

「圧政から庶民を救った平将門は逆賊としてとらえられ、討ち取られた首が京都に晒された。その首が体を求めて東京に飛んできたという伝説が残っている」

←首と胴の右に「自己実現祈願」という札が入ってる。これを胴体に入れ、首をギュギューッと胴体に強くねじ入れる。

かなり強くねじ込まないと入らない。首をライターであぶるといいと説明されたが、将門の首を炙るなんて出来ないんで(^_^;)、必死にねじ入れた!

何とか完成→
離れてる姿は何となく怖いんだけど、こうして首と胴がくっつくと、なかなかハンサム(゚.゚)。
祈願のバリエーションは「悪縁根絶」「無事帰還」「クビ繋ぎ」「自己実現」「下剋上」「災難除け」の6種類。

企画の趣旨と庶民願望的には、「クビ繋ぎだよね(^_^;)」と思ったけど、将門はリストラされたわけじゃないから、「自己実現」にしてみた。頑張れ新皇!(爆)

売り場の方に、「凄いアイディアですね! でもこれは都民の長年の夢だったかも」と言ってたら、同じく、パッと入って来たお客さんに、「僕も買っちゃいました! 首をはめるのが大変ですけど、頑張って入れましたよ!」と声をかけられた。
この人もお店の人も大層嬉しそうだった。将門の首が繋がる事は、東京の人みんなの願いだったのかもしれないね(^^ゞ。

神田明神の門前に戻る(パノラマ5枚180度以上)

既に初詣の行列は解消され、屋台が出ていた(^^)。
でも屋台に群がる人もいっぱいで、スゴイ賑わいだな〜と思った。

で、さっきの「神田の家」は←公式サイトもあってちょうど「常盤津」の語りで「忍夜恋曲者(通称・将門)」の公演が、もうすぐあるのを知った(゚.゚)。行ける人もいるかも、と思ったので、アナウンスしとこう(概要はコピペさせて貰った)。

常磐津「将門」の語りを聴く会 第二回
●「将門」あらすじ
平将門は下総国猿島郷に東内裏と称する皇居を作ったが、天啓の乱で打ち首となった。
この皇居が荒れ果てて古内裏となり、妖怪変化の棲家となって人々を悩ますというので、 鎮守府将軍源頼信の命を受けた大宅太郎光圀が探索に来る。
そこに遊女に身をやつした滝夜叉姫(平将門の娘)が現れ、光圀を色仕掛けで味方につけようとするが・・・

3000円だって。面白そうだね(^^)。こたつも聞きに行きたいなぁ〜。(今激貧なんで無理だけど)

帰りもスカイツリーが見えたよ(^^)。
ネオンが綺麗だね(^^)。
初詣は無事に済んだが、挫いた足が帰宅後痛くなって驚いた。

慌てて湿布して、翌日まだ正月休みの病院が多い中、何とか営業開始してる所を見付けて行ったら、骨には異常はなく、捻挫で済んだ(^_^A)。。

ただしばらく痛んだので、大事を取ってなるべく挫いた足を使わないようにしてたら、捲き爪、湿疹、こむら返りなど連発するようになり、思わず、「これは……将門の祟り?(((*o*)))」と焦った。

大抵の将門の祟り話は後付としか思えないんだが、詳細な記録としては最古の「将門記」には、連戦連勝の将門が初めて戦いに屈した時、「脚気にかかった」という記録があるんだよね。
脚気は足に症状の出る病気なんで、「ヤバイじゃん\(>o<)/」と……。。そこで「そういや首と胴をつけなきゃ(゚.゚)」と気付き、慌ててつけたりした(^_^A)。

以上、関連事項は……
2010年8月<旧手賀教会堂>(ニコライ堂関連)
■神田明神
2005年3月<神田明神>
2005年12月<初詣2「神田明神」>
2006年3月<神田祭>
2006年9月<東京・神田明神>
2007年8月<神田明神「天野屋」>内以降
2007年9月<神田明神つづき、いよいよ参拝(^^)>
2009年12月<東京都「神田明神」>
(以上、神田明神だけね(^^ゞ。将門の史跡・伝承地は茨城・千葉や東北にも凄く多いんで:笑)
■地元・下総の将門史跡(だいたいね(^^ゞ)
以上、関連事項は、
2005年11月<将門神社>内
2008年6月「作品の広場」内「将門雑記(風と雲と虹と)」01〜07話内
2008年9月<「野本の戦い」跡地周辺「鹿島神社」>以降
   〃   「作品の広場」内「将門雑記(風と雲と虹と)」21〜26話内
2008年10月<筑波山中〜羽鳥(服織)〜湯袋(弓袋)>以降
   〃   「作品の広場」内「将門雑記(風と雲と虹と)」27〜33話内
2008年11月<茨城県常総市「豊田城」(石下町地域交流センター)>内
   〃   「作品の広場」内「将門雑記(風と雲と虹と)」34〜39話内
2008年12月<兵主八幡神社>および<布瀬城跡・香取鳥見神社(天慶の乱・伝承地)>内
2009年8月・ほぼ全編
■子孫・創作・伝承(瀧夜叉姫・ガマの妖術・将門王城など、これもざっとね(^_^;))
2007年5月<筑波山神社>内
2008年9月<葦津江「深井の地蔵尊」〜八千代・古河>
2008年10月<坂東市「国王神社」>内
2008年12月「作品の広場」内「将門雑記(風と雲と虹と)」40〜46話内
2008年12月<「将門神社・龍光院」(沼南)>
2009年1月<如蔵尼と乗丹坊の墓・龍宝寺「不動堂」>
2009年7月・ほぼ全編(守谷レポ)
2009年5月<相馬「中村神社」(西館跡)>内以降、<恵日寺(いわき市・瀧夜叉姫の墓所)>内




<お正月の手賀沼>

↑と言っても、三が日は終わってたけど、いつも思う事ながら、1月の湖は青々として枯れ草の白さがよく目立つ。
ちょっと12月の晦日の頃と比較してみるね(^^ゞ。

さっきも出した晦日の手賀沼(パノラマ3枚ほぼ180度)

一変して、年明けの手賀沼(地図R(パノラマ3枚ほぼ180度)

時間帯もあるんだろうけど……。晦日の方はもうちょっと暮れに近かったか、曇ってたんだろうけど、正月って必ず張れるなぁ、と思ったので(^^ゞ。

白鳥さん(^^)
餌を食べてるね♪
飛び立つ!!

この白鳥が飛び立つシーンって、いつも目の前で突然飛ぶから、写せた事が無いんだよね(^_^;)。
でも白鳥が目の前を何羽か飛び去って行く時って、わりと驚くぐらい体が大きく、写真に撮りたいっていつも思う。

でもデジカメは、日頃レンズをしまってるから、写そうと構えてレンズを出してって悠長な動作が要るんだよね〜。。そうしないと早く電池が切れちゃうからね。。

これは、たまたまカメラ構えていたら、目の前で飛び立ってくれたから写せたの。スゴイ貴重な一枚なんだ〜(#^.^#)。

ってな所で、今回は2月までいくのは無理だった(^_^;)。次回は桜の咲く頃までは行けるかなー。

2013年09月30日

<つづく>
 
     




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