<2011年・城主のたわごと11月>
2011年3〜4月。震災後も大余震頻発。計画停電。節電。
花見中止。自粛ムードの中、それでも春は訪れた。
引き続き、日常&近隣レポ編。
前回、「(次回は)3〜5月ごろをお届け出来れば」と言ったが、ちょいと及ばず(^_^;)、4月終わりごろまでとなった。
■2011年3〜4月・千葉県・埼玉県
<東日本大震災から2週間まで>
↑前回の続き。
震災の後も長く、余震の多さ、揺れの大きさ、規模の広さには閉口した(-_-;)。。
そもそも本震が、その震源、宮城県海域よりずいぶん遠い茨城県にまで広がった大地震を、立て続けに起こして以来、その規模の広さに、列島じゅうの地震学者が驚愕していた。
本震直後からテレビ画面は、家屋も車も材木ごと薙ぎ倒していく宮城県名取川の津波を……、夜には、気仙沼の闇を猛然と覆い尽くす業火を……、翌朝は、満々たる水に没して、水の退く気配すらない南相馬……と、奥尻の津波(北海道南西沖地震)や阪神淡路大震災で、嫌というほど思い知った、後になるほど甚大さ、深刻さがわかる地震の恐ろしさを、後をなぞるように伝えて来た。
津波警報・注意報は解除されず(結局、翌日になっても解除されなかったけど)、東京湾近くに泊まる亭主が心配だった当日の深夜、さらに長野・新潟方面の大地震が起きて、「東北の事、助けに行けなくなるんじゃ(・・;;)」と、強烈な不安に駆られた。
心配メール下さった方(ありがとうございましたm(__)m)とも、この深夜の信越強震には、「さすがに日本沈没か」と暗然とした思いを話しあった事をよく覚えている。
さらに静岡方面でも震度6以上の地震が起きた。今検索すると、「15日」と出て来るので、震災より4日後だったか……もっと直後にも大きいのがあった気がするけど(^^;)。。
ウチの方って、都内に通う通勤者の中でも、鉄道路線の復旧が極めて遅い方に入り、亭主は翌夕帰って来れたが、帰って来れなかった当日の夜も、翌朝も、その後も余震のたびに、テレビ画面に映る文字列に、いつも千葉県北部は「不通組」に連なった(涙)。。
しかし復旧組の人々も、これはこれで悲惨で、月曜からは「計画停電」(初めの頃は「輪番停電」と発表された)がスタート。
仕事のため家を出た通勤者が、その帰りには電車に乗るのに長蛇の列を作るなど、いわゆる「帰宅難民」が毎晩出る始末(^^;)。。
大混乱はしばらく続き、自転車やラジオがどこでも売り切れになってると報道された。
「こたつ城」も最初2〜3日は、計画停電の時間帯に掲示板を下ろすなど、対処に追われた。
実はこの時、本震当時からひき始めてた風邪が本格化して、さらに花粉症も酷くて、けれど必死になって節電に努めた。。夜は豆電球しか点けなかった(爆)。
亭主も火曜ようやく会社に行けたが、仕事道具を持って戻り、水曜から週末まで家で仕事させて貰う事になったので、私も少し余震の時など安心できた(^_^A)。
一週間が過ぎると、さすがに鉄道の運行も、間引きながらも、通勤時は平常運転に近付いて行き(昼間は駅ホームのシャッターが閉まってたけどね(^_^;))、亭主も通勤できるようになった。
が、ガソリンスタンドは長々と営業再開しなかった(^_^;)。。
一週間経った頃、昨日は青森、今日は岩手、明日は福島……と、一日に一県づつ、スタンド再開のニュースが南下して、ウチ(千葉県)に到達するのは、ちょうど土日だな〜と思っていたら、案の定、金曜の夜は相変わらず真っ暗だったスタンドが、翌、土曜日には営業した。
■東日本大震災
2011年10月
<3月11日、東日本大震災>
<沼南(柏市)「将門神社・龍光院」>
3月下旬、震災から二週間、ようやくスタンドも再開し、久々にガソリンを入れられた我々は、まずいつもの手賀沼コースに車を走らせた。
手賀沼に到達する手前で、ちょっと奥まった所に入った「
龍光院
」→
境内奥に「
将門神社
」を祀るお寺。これまでも紹介した事がある(^^ゞ。
千葉県柏市の沼南(手賀沼の南)にある、ここ「龍光院・将門神社」(
地図A
←詳しい位置は拡大を)については、これまでのレポを参照してくらはい(^^ゞ。↓
2005年11月
<将門神社>
2008年12月
<「将門神社・龍光院」(沼南)>
2010年12月
<将門神社(沼南「龍光院」)>
手賀沼に向かう途中、内心、「将門神社、どうだったかな。地震、大丈夫だったかな」と気になって、出来れば様子を見たかったが、亭主は震災の余波で忙しく、やはり震災の影響で疲れてもいたし、車を出したのも久々だから、他に用もあろうかと、言葉にするのを控えていた。
ところが、その亭主自身が、この寺(神社)に向かうカドで、グイとハンドルを切って、「龍光院」の前の駐車場に車を乗り入れたのだ(笑)。
この寺(神社)は、ちょっと奥まった所にあるし、これまでもそんなにしょっちゅう来るわけじゃなかったで、その以心伝心ぶりには驚いた(笑)。
お寺の奥さまが「どうぞ撮影して下さい」と出して下さった(^^)
購入(^^)。馬に乗る将門
この日、境内に入るや、お寺の奥さまがニコやかに出迎えて下さり、長々とお相手して下さった(^O^)。
初めてお会いしたが、何とも親しみやすい、お話し上手の素敵な奥さまでいらした(#^.^#)。
「やっぱり、
将門サマ
の
ファン
でいらっしゃるんですか?」と、実に気さくなお話し掛けに、「はい!」と、こちらも嬉しく答えて、ペラペラお喋りして、だいぶ長居をしてしまった(笑)。
「今日はどうしたんでしょう。次々と来られる方が多くて……」と仰るので、「スタンドが、今日いっせいに再開したからだと思います。私達もガソリン入れるや、真っ先にここに来ましたから(^^ゞ」と答える自分に、改めて、「自分も
将門ファン
なんだな〜」と、しみじみ思った(爆)。
このお守り一式を撮影させて頂いたのも、覗きこむや、「将門大明神」をはじめ、「
まさかどちゃま
」なる可愛い絵入りのマグネット護りが数点見えたから(^^ゞ。上の馬に乗る鎧姿の武者↑がソレだ(笑)。
この週で、スタンド2つに1つは再開し、翌週の土日……つまり3週間目には、殆ど100%の店が再開していた(^_^A)。
<八ヶ崎・「根木内城跡(公園)」“チラホラ桜”>
原発事故の影響で、風評被害が問題となった。将門チャマの故郷、
坂東
のレタスも売れなくなり、レタス大好きだから、安いのは嬉しいんだけど、原発事故の風評と思うと……(;_;)。
近くのスーパーには福島県産は無かった(元からあまり無いかも(^^ゞ)けど、茨城県産は多かったので、いっぱい買った→
何しろ貧乏だから、「安い時しか買えない」という事もあるが(笑)、それでもいっぱい買えば、少しでも相場で「売れる」扱いになって、農家が助かるかもと、「貧乏人が役に立つのもこんな時ぐらい(^^ゞ」ての事をツイッターでも呟いたら、後日、坂東市の市長さんからフォロー頂いた(゚.゚)。
市長自ら市民に呼び掛けとは、いい時代になった気もする一方、それだけコトが深刻という気もして、心が傷んだ。
最近、アドレス変更に絡んで、「
能登畠山氏・七尾の歴史
」で多くの提言されてる畠山義綱さんともそんな話をして、実に心を打たれた(;_;)。。
買って貰えなきゃ捨てるしかないわけだし、確かに食べるのが怖いなら、買って食べないって応援法も無くは無いんだな〜と思った。
作ってる人にも悪いし、子供の教育上アレだから声を大には言わないだけで、あの緊急時、取りあえずそれで
被災地に金が廻る
わけ(^_^;)。
不安だ不安だギャアギャア騒ぐ前に、
ちっとは気を効かせろや日本人
(笑)。
■坂東市
2008年8月
<坂東市「平将門公の像」と「レリーフ」>
以降
2008年9月
<葦津江「深井の地蔵尊」〜八千代・古河>
以降
2008年10月
<坂東市「延命院」>
および
<坂東市「国王神社」>
さてさて、今年も花模様をお届けしよう(^^)。
←まずは八ヶ崎の喫茶店内から。窓辺から桜並木を見上げると……ナント、樹の枝にリス?(笑)↓
モチロン造り物(^^ゞ。なかなかよく出来てるよね。
地図B
←詳しくは拡大を(^^ゞ。ここも松戸市で親しまれてる桜並木。「
主な並木通り一覧表
」(@「
松戸市
」)の20番「八ヶ崎のさくら通り」。
今年の桜は、ちょっと遅かったかな。これも八ヶ崎の桜通り。殆どまだ蕾で、開花チラホラ↓
こちらは、根木内城跡公園に面した通り→
早くも咲いているのは、寒桜? それともこれが河津桜? 早咲き濃色の桜はこの後もよく見た。
今年の開花期がいつだったか、今イチ記憶に残らないのも、震災による節電や自粛ムードの影響で、桜祭りが中止になった事が一因するかな……。。
でも、中止になった事は、わりと間際まで把握してなくて(^^ゞ、「開催時期が例年通りだと、今年は花が間に合わないかも(゚.゚)?」なんて心配した覚えがウッスラ……。
もっとも、毎年キワまでそんな心配してると、当日イキナリ咲き出して……なんて年も多くあったけど(笑)、そんなわけで、今年の桜はちょっと遅かったのではないかと。というわけで、だいたい3月末ごろ。
「根木内歴史公園(
根木内城跡
)」到着(^^)
地図C
←詳しくは拡大を。これより向かう「土橋」跡の位置に中心点を置いた。↑この入口は、そのちょっと右にあるけど(^^ゞ。
ここの雪柳の開花をお見せするのは初めてだよね(^^ゞ。
前年はもう少し後……GW頃の写真を載せてるφ(。。)m。駐車場の八重桜が綺麗だったが、この入場口の雪柳はスッカリ終わって、緑色になってたもんね。
2007年6月
<根木内歴史公園(根木内城跡)、1左廻り>
2007年7月
<根木内歴史公園(根木内城跡)、2右廻り>
2007年10月
<根木内城跡>
2010年9月
<根木内城跡(根木内歴史公園)の春♪>
↑最後のが前年(2010年)の(^^ゞ。緑になった雪柳の歩道も見れるよ♪
で、その前、2007年のが、根木内城跡の遺構や公園の敷地を特集した回。これより、そのうちの一番上、「左廻り」コースでも紹介した「土橋」跡を渡る。↓
橋の左は住宅&道路が近いが、右は深い濠跡と密林
(パノラマ4枚180度以上)
橋(再現)を渡ると、土塁跡の合間から
(パノラマ3枚ほぼ180度)
小さな自然公園の広場が展開(^^)
(パノラマ2枚)
反対側から入口を振り返る
緑を背景にすると、桜がちょっと咲いてる
桜は一分〜三分咲きぐらい(^^)?
計画停電による、鉄道の不定期運行などで日々が落ち着かず、人と会う約束していた日程もキャンセルとなり、買い物でも、いつも無い物は続けて無く、都市生活も疲弊ぎみだった。
それでも不平を口にする日本人が皆無だと、海外でも何度か報道されて感動を誘い、称賛を集めた。
その一方、東北では、さらに凍てつく寒空の下を、自衛隊や地元警察などの捜索活動が連日つづいていた。
瓦礫の下から、突然遺体が発見されるなど、極限に近い様子が新聞でも報道された。
ウチの近くにも自衛隊の基地がある。
千葉県の基地からは、東北に直接は投入されなかったようだが、それでも傍を通る時は鉄条網の外から、日ノ丸機が空飛ぶ時は空に、手を合わせるような思いが募る日々だった。
<今井の桜はまだ咲かず……>
この所、春には必ず見に行くようになった、「今井の桜」(白井市と柏市の境界)の咲き具合も確かめに行く。
途中に見る初春の風景(^^)
今年ほど春の景色を待ち焦がれた事は無かった。長閑な田園や山里の風景は、例年と全く変わらない風情を放ってるけど、震災の影響はしばらく各所に見られた。
写真は撮らなかった。何か悪い気もして(^_^;)デジカメ向けにくくて。
でも塀や屋根瓦が崩れてたり、道路との間に段差が入ってたり、大型店舗ビルでも、ミラーや天井、ガラスの破片が落ちたり、亀裂が入ってたり……。
千葉県でも、やはり太平洋側の銚子や旭市の津波被害が酷かったが、実は松戸でも、少数ながら全壊した家、死者・避難民など出た。
この頃、ウチあたりの被害状況を見て来た建築関係者から、建物の強弱や構造の問題もあろうが、建ち方(方角や揺れの受け方)によって、被害の大小の差が著しく生じたように思う、という話を聞いた。
ただ、松戸は古くから一応、陸繋がりだったけど、もっと北の我孫子あたりになると、揺れも大きかっただろうし、地盤の事もあるんだろう、数もかなり増して、酷い被害だった事がわかる。
千葉県では、特に浦安の地盤沈下が全国版で長く報道された。
まだ冬枯れ色の田んぼに……白鷺だね。1羽ポツッと(^^ゞ
(拡大)
こちら、手賀沼方面は、その我孫子に近いし、地盤の緩さか震源地(茨城)に近いからか、先ほどの「龍光院(将門神社)」のお話しでも、震災でかなり揺れたという。
あのあと手賀沼に出てみたら、周囲の電柱など各々が傾げて、地割れや段差のついてしまった道路など、2週間経ったその時でも、かなり見られた。
だいぶ長い間そんな感じだったが、東北方面に出る道路の復旧を先に廻すためもあったのかもしれない。
今井の桜並木に到着(^^)
地図D
←今井の桜、起点。白井市と柏市のちょうど境界にあり、手賀沼の南にあたる。
が、桜は全く咲いてない(笑)。
この「今井の桜」は、松戸や柏の住宅街で桜まつりも終わった翌週、遅れた満開の花見を楽しむ車が、ドッと列を連ねたりする(笑)。
だから例年、開花も遅いんだろうね(^^ゞ。手賀沼が近いからか、この辺りは確かに風も冷たく、底冷えも厳しい。
一方、松戸市の東部、281号線から見た桜(寒桜?)→
松戸の東部は、南の鎌ヶ谷市、北の柏市(沼南)に挟まれた細長い地域で、新京成線の「元山」駅から近い「高龍神社」境内の桜だった(^^)。
<六高台さくら通り>
←テレビは連日、原発事故処理の状況や、放射能汚染の調査結果を報道してたが、原発の水素爆発後に降った放射能雨の影響で、飲み水への注意が呼び掛けられてからは、東京やその近郊の地図も出され、地域ごとに何ベクレル、何マイクロシーベルトと表示され、スーパーからミネラルウォーターが消え、何日も経った。。
こうした現状とは裏腹に、4月に入って三分咲き、五分咲きと、いよいよ桜が咲き進み、満開の頃を迎えた(^^)。
ここは、さっきの松戸市東部より、ちょっと北。左「六実中央公園」、右「六実第三小学校」。
地図E
小学校の桜。三分〜五分咲き頃(^^)→
入学式や始業式で、地元の子供達が見る桜だね(^^)
いつもは「学校の桜なんか無視、無視(^。^)v」って感じなんだけど、今年は東北など、学校で避難生活を送る人が多かったんで、桜を見上げては、避難所暮らしの方々や、学校に行く日を待つ子供達を思った。
この道を←こう行くと、大きな「
桜通り
」もある
(パノラマ2枚)
震災後、特にはじめの1週間、断水で避難所ではトイレもままならず(断水はその後も続いたけど(-_-;))、食べ物も身体を温める物も無く、何とか用意できても、ラップをかけた食器に食品を盛る様子が報道された。
それが日が経つ内、大勢の国民からの心配や応援の思いが伝わり、避難されてる方々に生気が甦り、画面に向かって御礼を述べる様子が報道されると、こっちまで励まされて明るい気分になり、早く桜が咲いて、日本じゅうみんなで見れるよう祈った事を、今見ても思いだす。
こちらは小学校の向かいの「六実中央公園」→
この日は、春らしく華やかな花壇の向こうに、桜も咲いていたが、ここは災害時の指定避難所に指定されてるようで、園内はゆったりと広い間取りが設けられていた。
近くには消防署や警察もあり、今見た隣の「六実第三小学校」には応急救護所の指定、この公園には防災無線とヘリコプターのマークが書かれていた。
「桜通り」の方にも行ってみよう(^^)。小学校と公園の間を、そのまま進むと……↓
六高台の桜並木に出る
こっちは休日、緑地でピクニックする市民
地図F
←通常サイズ。桜並木の全域が入るサイズは→
地図G
三角形の右辺部分が桜並木に当たり、「
主な並木通り一覧表
」(@「
松戸市
」)では17番「
六高台さくら通り
」。
ちょうど満開の頃だね(^^)
休日と重なり、大層賑わっていた
何か今年は、子供たちを遊ばせながら、何組かの家族がテーブルを出し合って、ほがらかに談笑しあったり、特に、しみじみと芝生に座って桜を見上げる夫婦はよく見掛けた。
家族連れも、スーパーなどでよく見るのだが、買い物してる時って、皆セカセカ急いでる事が多いから、揃ってくつろぐ様子を見るのは、震災以来この時が初めてだった。
震災で帰宅難民になった人も、この界隈ではかなりの数いたと思う。
特にこの辺りは、先にも述べた通り、翌朝になっても電車が通らず、長い道のりを歩いて帰ったり、翌日の電車を待ちながら、都内で夜明かしした人も多かっただろう。
この日は桜の上に青空も広がった(^^)
花でコンモリ膨らんで重たげな枝→
家族で花見が賑わったのは、桜まつりが中止された事も原因するかも(^^ゞ。
「祭りは無いらしいけど、お花見はしよう(^^)」と、こっちに来た人が多かったのかな(笑)。
震災後、家族との絆を今まで以上に強く感じた、とアンケートに答える人が増えたと聞く。
短時間でも、別れ別れで互いを心配しあった家族は、実際多かっただろうし、その後も震災の対応で、勤め先から帰って来れない人も居ただろう。
その間もたえず余震に襲われ、初めて春らしい気分を味わった家族も多かったと思う。
<常盤平さくら通り(桜まつり中止)>
「
主な並木通り一覧表
」(@「
松戸市
」)の5番「常盤平さくら通り」。
いつも「
桜まつり
」の行なわれる
有名な「
常盤平さくら通り
」
「日本の道100選」にも選ばれた、「常盤平(ときわだいら)さくら通り」は、これまでも何度か紹介した通り、「八柱」「常盤平」「五香」の三駅(新京成電鉄)に跨る長い桜並木。
写真は、三駅の内、「五香」側(
地図H
)から入り、「八柱」側(
地図I
)に向かっている。(各々地図の詳しくは拡大を(^^ゞ)
毎年、桜の満開時を狙って、「桜まつり」が開かれるが、残念ながら今年は、震災(&原発事故)の影響を受けて、中止となった。
と言っても、こうして写真で見る限り、何が例年と違うか判らないよね(^_^;)。
ズバリ、まずこの車の列が「まつり」の時には無い。
逆に「まつり」の時には、車の代わりに、大勢の人間が車道を埋め尽くして歩き、歩道にはエンエンと屋台が並び尽くす。
桜祭りの時、歩行者天国にする道路は多いと思うが、ここほど「屋台の列」が出来るのは、さすが「フーテンの寅さん」の葛飾……よりちょっと東の(笑)、「東葛飾」といっていいかもしれない(笑)。
例年は、この「屋台」の並ぶ様が圧巻で、祭りの盛況さが知れ、又この「たわごと」でも、「今年の旬メニューはコレ(^。^)」などと紹介したものだが、それが今年に限って無いのだから、まぁ、ちょっと寂しくはあったわな(^_^;)。。
「常盤平」を通り過ぎ……
最終地点「八柱」に到達
こうした自粛ムードに対して、反発や経済を心配する向きも既にあったけど、祭りをやったらやったで反発を受けただろうし、それを押してやってくれても、義理以上の気持ちで行く気になれたかどうか……。。
あの震災の直後、スグさま浮かれ遊びたい気分になれたかと言われると、思い切り正直、自分にはだいぶ無理があった。。こうして家族で、しみじみと見上げるぐらいが丁度よかった。
(拡大)
(さらに拡大)
この「八柱」では、他に「八柱霊園」の桜もなかなかの名所なので、寄ってみよう(^^)。
<八柱霊園の満開桜>
地図J
←八柱霊園。敷地はかなり広いので、入口あたりを指しておく(^^ゞ。これがその入口↓
門前は、墓石屋や法事に集まれる懐石料理屋の店などが長く連なり、車だと、この右の坂道を上がった門から入れるので、そちらから入場。
すると早速、古そうな桜の巨木が出迎えてくれる→
墓苑は車で廻れる道路があり
各所で桜の巨木が見られる
苑内は、
地図K
(かなり拡大)←のように、その名も「ひょうたん道路」が中央にあり、そこをよく車がノンビリ運転している(^^ゞ。
速度制限は20キロだったかな。よく初心者がここで練習するんだよね(笑)。
遅れ気味だった桜が満開になってると言う事は、4月も二週目ぐらいに差し掛かってる頃かな(^^ゞ?
4月に入るちょっと前(3月28日)から、計画停電の中止が相次ぎ、最終的に東京電力から「今後は当分やらない」といった宣言が出されたのが、確かこれぐらいの時期(4月8日)だった。
前回も書いたけど、ヨーグルトとか納豆とか発酵させる物は、停電する時間が一日に2時間だけでもあると、全部の行程がストップせざるを得ないと聞いた。
あと1ヶ月冬が続いてたら、そうした生産の停滞によって、経済への打撃は計り知れなかった。
……ところが、この、震災からちょうど1ヶ月経った頃、ようやく収まって来たと思われていた余震が、「震度6」が立て続けに起こって、たいそう肝を冷やされた。。
これも「今週のご挨拶とお知らせ」を振り返ると……「4月7日」(宮城県北部・6強)と「11日」(福島県浜通り・6弱)とあるφ(。。)m。
余震に関しては、一部持って来る↓
(
「今週のご挨拶とお知らせ」2011年4月28日
より)
本震から1か月の間に、1万6千回の余震があったそうです。
「ふ〜ん、そんなになるかぁ〜(゚.゚)」と、何となく見過ごしがちの数字ですが、よく計算してみましょう。
16000÷30日=1日533回÷24時間=1時間に22回÷60分
=
2.7分に1回
です
これ、スゴイ多さじゃありません?(^_^;) もちろん寝てる時も入れてです。
と言っても、勿論、日本じゅうの余震全てを1箇所で感知するわけじゃありませんから、感じない余震だってあるはずですが、倍にしたって、5分にいっぺんですよ。
こんな桜の風景とかを後で見ると、「このころには余震もスッカリ収まって(^_^A)」と記憶違いしそうだから、同時並行で書いてみたッス。。。
日頃からそれほど気を付けてるわけじゃないので、地震の影響かはわからないが、ここだったか……倒れてる墓石を幾つか見た。お寺などで「墓石が倒れた」と被害を聞いた事もあった。
震災以後、日本式の墓石を選ぶ人が減り、西洋式の平べったい墓石に人気が集まってると聞いた。
日本式のは細く背が高いため、地震で倒れてしまうからだそうだ。西洋式のはその点、元から寝てるし地面に埋まってるからね(^_^;)。。
地震の影響で、家屋など建物も、頑丈であるとして、和式より洋式の方が評価が高いんだとか……。
「八柱霊園」より、さらに南に、これまた「桜通り」があるので、続けて行ってみよう☆ミ
<紙敷〜松飛台さくら通り>
←八柱霊園から桜通りに向かう途中、右に見える「しの田」。法用専門の宴会料理(割烹料理)屋になってるけど、昔、スーパーの弁当売り場で、稲荷や巻寿司など置いてた「しの田寿司」とは違うのかな(^^ゞ。
何しろ寿司や仕出し弁当で「しの田」という名の和食料理屋は、この辺りで前はよく見たと思う。ここが本店だったのかな?
地図L
←しの田
地元に古くからよく見るお店の名というのもあるが、「しの田」と言えば、平将門の子が名乗ったと伝説される「信太(信田)」を思い出すから(^^ゞ。それと思わしき「信田」は、茨城県にあった地名だけどね。
ただし全国的にも「信太寿司」と言えば、稲荷寿司の事を指すんだよね(^^ゞ。「信太の狐」などと言われるのは大阪の伝説で、「狐→稲荷→寿司」と連想される事からであるらしい。
■しの田(信田・信太)
2005年10月
<増尾城址公園(千葉県)>内
2006年8月
<箕輪城跡>内
2009年5月
<恵日寺(いわき市・瀧夜叉姫の墓所)>内
2009年11月
<川口神社>内
さくら通りの起点「紙敷」
左の敷地が今までいた「八柱霊園」
「
主な並木通り一覧表
」(@「
松戸市
」)の1番「紙敷〜松飛台さくら通り」(紙敷側・起点=
地図M
・串崎新田・終点=
地図N
)
↑これが「八柱霊園」の裏手(南通り)の「さくら通り」なのだが、これまで中途半端にしか写真を出した事が無い(^^ゞ。
ここは途中までは花見モードで渋滞する事すら多いが、渋滞さえなければ、わりとみんなスピード出すのと、日光との折り合いが今イチで、シャッターチャンスがあまり良くないんだわ(^_^;)。
上の写真は、比較的良く撮れてる方だけど、よく見るとかなりブレてる(^_^;)。。
でも松戸市広報によると、ここの桜並木が、一番距離が長いみたい(^^ゞ。いつも車でバーッと通り抜けるので、距離がどれぐらいか意識した事が無かったけど。
松戸市の広報では「紙敷〜松飛台」と書かれてるが、桜並木は、「松飛台」の駅前(駅は北総線)までで半分ぐらいで(^^ゞ、そのさらに先の「串崎新田」まで伸びている。
「松飛台」の駅前までの三分の二ぐらい行った辺りに、「松戸給水場」がある。そこの桜も綺麗(#^.^#)。
空を覆う桜の花々
「松戸給水場」の桜↓
今見てる風景は、松戸市(と鎌ヶ谷市の合間あたり)だけど(^^ゞ、同じ千葉県では、さっきもちょっと書いた浦安が液状化で大変な状況に陥り、統一地方選挙が出来ないから、少し遅らせて貰えないかと浦安市長から申し入れがあったが、県から却下され、浦安は選挙できなかった(^_^;)。。
浦安って、東京湾の向こうにあって、東京ディズニーランドとかあるトコなんで、県民(といっても北部のだが)から見ても「半分東京?」みたいな場所だったし、昔から、あの辺りのニュータウン化は「液状化がヤバイらしいよ(^_^;)」とか、地元民同志では噂しあってた所だった。
なので当初は、「あそこにマンション買う人は、所詮ヨソから来る人」みたいな印象が、ちょっとあった(ごめん(^∧^))。
何度も言うが、ここは松戸市ね(笑)↑ 道路の右はもう串崎のエリアに入ってるけど、左はまだ松飛台の範囲。
で、浦安だけど、勿論、いざ町が開発され、整備されて、次々マンションなど出来て行くと、近所で、「あそこの子供は結婚してマンション買ったらしいよ」みたいな噂も聞こえる事があり、「液状化、大丈夫になったのかな〜(^_^;)」なんて心配した事が何度かある。
今でも全体としては縁の薄い土地だけど、それでも「浦安だけ抜きで選挙」と聞くと、同じ県民として、何だか凄くやるせない思いになった(;_;)。。
「え〜? 待ってあげられないの? 何でよ? 同じ千葉じゃんか\(>o<)/」と、やっぱり思ってしまった。。
選挙には有難く行ったし投票もしたけど……。
ごめんね浦安(;_;)。。。次は一緒に投票しよう(^O^)/!!
この交差点が松飛台の最後
松飛台は、常盤平の団地街に続いて開かれた、やはり団地住宅地で、よく「工業団地」と呼ばれている。
この先は「くぬぎ山」エリアに入り、少し暗くなるけど「桜通り」はこのまま、串崎新田まで続く(^^ゞ。
串崎新田から右折すると、市川市に入る。大野町あたり↓
市川動植物園とかわりとよく行くんで、そのうちレポしたい♪
桜とは違う春の花も、また良い風情だね(^^)→
<やや遅れて、今井の夕桜>
さてさて、お待たせしました(^_^A)。今井の遅咲き桜も、ようよう見頃を迎えた。
地図D
←起点
翌週だったか、今井の遅い満開桜を見に来た
(パノラマ4枚180度以上)
来れた時間が遅くて、宵桜ぎみだけど……。。
ホントはもっと暗いんだけど、ちぃと明度上げて……
咲き加減は、満開に少し及ばず、7分咲きといった所か、或いはやや過ぎていたのかな(^^ゞ。
暗くてハッキリわからなかったけど……。
ただ、この少し薄暗がりで見る桜の風情にも、なかなか妖艶な魅力があるので、以後は敢えてそれほど明るくせず、宵始めの色合いも味わって頂ければ(^^ゞ。
桜並木のつづく土手に近寄ると、道路ごとに橋が渡り、川面が見られる(^^)。
明るい時間の桜景色とは、2010年8月
<今井の桜>
と見比べて頂ければ(^^)。
震災直後はなす術もなく、手をこまねいて混乱の収まるのを待ったが、一ヶ月も経つと、今度は「今までの分ですから」と言わんばかりに、ド〜ン!と忙しくなる(汗)。
追い付く予定だった「城主のたわごと」の更新も、日に日に遅れ、そこへ折悪しく冷蔵庫がブチ壊れて、買い替えに奔走したりで、休日まで用事が増える。。
何しろそんなわけで、桜一つ見るのも夕方以降になっちゃったのだ(^_^;)。。
震災の三ヶ月ぐらい後だったか……震災直後の過労死を「震災関連死と見なす」といった記事を見掛けた。
震災直後の混乱時に、コンビニで休む時間なく対応に追われた店員が、「無理」を理由に自殺した記事も見た。
冷蔵庫を買いに行った大手電機店でも、ガラス窓や大型ミラーが壊れた店内で、疲れ切った店員がウツロな顔で対応してくれた。
ま、冷蔵庫は今の時代、無いとやってけないんで、それでも買ったけどね(^_^;)。。
せちがらい人間社会どこ吹く風、里の灯りを背景に枝を広げる優美な夕桜
しかしこれほどの大災害時でも、「待ったナシ」な経済の仕組みって、どうにかならんのだろうか……。。
この一ヶ月、売上どこじゃない企業も少なからずあっただろうし、こっちもローン返済さえ一ヶ月遅れOKにしてくれれば、給料も半分で良かったかも(汗)。
みんなで「いっせーの!」と“一ヶ月未納”にしちゃうわけにはいかんのかなぁ……(無理だろうけど)。。
こういう時、
鎌倉〜室町時代が懐かしい
。
徳政一揆
でも起こそうかな(爆)。
いや、せっせと働いて日本を再生だっけ……うん、そ……、そだね。。。
フラッシュ・オフ
フラッシュ・オン
ところで、4月もこの頃になって、尚「義援金の配分がまだ」のニュースには、さすがに気持ちが塞いだ……(-_-;)。。。
こうした内容に複雑な事情がある事は理解できる。さらに町村ごと機能を失った地域も多く、配分は困難を極めていたから、不平を言うつもりは全く無い。
が、一刻も早く現地に支援を送りたいと思う人は、やっぱ自分で行くしか無いんじゃないかな〜という思いは次第に強くなった。
現金を置きに行くとか、直接配りに行くとか、色んな人が出たが、これも不公平を招くと言われて、どうすればいいのか……ちょっと悶々とした。。
やはり「物を作ってる事に対して」とか、「労働力」や「サービスの提供に対して」ならいいのだろう。
労働さえ出来ない人には気の毒だが、この際、「労働」とか、「物品」とか、「営業」に対して、「対価」として払う方法が、一番不公平じゃないのだろうな〜と、そんな事を考えるようになった。
<桜模様、各地>
この時期から航空機が頻繁に飛ぶようになった。ウチ辺り自衛隊の基地が近いから、日頃からコトあるとよく飛ぶのは見るけど、飛び方見て、放射能のモニタリングかな、と勝手に思ってたり(^^ゞ↓
桜の後に咲く花々が、だんだん咲き揃って来た。これは何て言う花かな(^^)→
桜は盛りを過ぎつつも、後から後から蕾が開花する枝もあって、所によっては、まだまだ満開だったりして、他の花々(種類)と合わせて、しばらく各地で桜模様が見られた(#^.^#)。
さっきも出した「六高台さくら通り」の夕暮れ時(
地図F
)
セピア版に切り替えて写してみる(笑)
こちらは明るいお昼間(^^)
右の写真は、ハッキリ覚えてないけど、さっき見た串崎新田より、さらに東に進んだ……鎌ヶ谷近くだったかと。(
地図O
)
今度はイキナリ「武蔵浦和」駅
駅前ロータリーのツイン桜(^^)
武蔵浦和は埼玉県ね(^^ゞ。松戸からだと、JR武蔵野線で行ける場所。
地図P
ただ、この日は全くの私用で、人と待ち合わせで。
震災後しばらく、遠出は控えてたが、余震は長引くし、いつまでも控えてばかりいるワケにも行かぬので、この辺りで「そろそろ(^^ゞ」と出てみた頃だったかと……。
実は2日続けて来たのだが、どちらの日も、満開を越えた桜が長く咲いてるので、「長生きだね(゚.゚)」と驚いた。
桜(ソメイヨシノだよね)って、接ぎ木とかしながら保全してるのかもしれないけど、もしかして、改良して長持ちする種を継ぎ足してたりするのかな(^_^;)。そういう事ができるのか知らんけど(笑)。
こちらは、八柱駅(新京成線・武蔵野線)前の桜。花弁から雄蕊の赤みに変わりつつある。そろそろ終わり間近↓
こちらは、五香六実の野馬土手。コブシっぽく見えるけど、桜が終わりの頃だから、ハナミズキかな……にしても、エライ大木だね(゚.゚)。→
この野馬土手から、少し奥まった住宅街の公園で、桜がまだまだ満開だった(゚.゚)↓
昼間、空も青く桜色が綺麗♪
全く同じ場所、夜桜!
↑実は「撮りそびれた」と思いこんで、二度撮ったみたい(笑)。後で見たらピッタリ同じ位置で撮ってるんで、ビックリ!
地図Q
←新京成電鉄「八柱」駅(JR武蔵野線「新八柱」駅)前ロータリー
地図R
←野馬土手(五香・六高台)
地図S
←裏手の公園
<ハナモモ通り>
(「ハナミズキ」を「ハナモモ」に訂正(^_^;)ゞ 2012/10/10補正)
4月も後半に入った頃か、まだ中旬だったか……。
前にも2度ほど出した事があったが、野馬除土手や野馬公園などのある「六高台」に出来た通り。前から紅白のハナモモが並ぶ光景は見られたが、何か距離が伸びてる気が……?(笑)
2007年8月
<六高台の桜と五香の野馬土手>
2008年8月
<お花見続行(^^)>内
地図T
←起点。
地図U
←終点。どっちが起か終か知らんけど(^_^;)、通常サイズ(13)なんで、あまり距離がないが、それぞれ「15〜18」ぐらいに拡大して見て貰うと……(^^ゞ。
「起点」と書いた側から入る
(パノラマ2枚)
終点近くに行くと、ハナモモもまばらになったりするんで、特に起点の辺りが綺麗(^^ゞ。
もうちょっと進んでみる
(パノラマ3枚ほぼ180度)
こんな風に、適度に緑色(の樹にはミカンが成ってるよ!)も交えているので、必ずしも白とピンクがキッチリ交互に並んでるようには見えないけど、こうして横に並べて見るより、むしろ前後を続けて見てみると……、↓
こんな風に、紅白が見事に重なって見える(^。^)☆ミ
ハナモモって、松戸では昔からよく見る樹だけど、この界隈がいつからこうなってたか……記憶が曖昧(^_^;)。
(以下、「ハナモモ」を「ハナミズキ」と思って話してるが、原文のまま残しておく(^_^;)ゞ 2012/10/10補正)
と言うのも、ここに来た当初は「石和川中島合戦絵巻」に毎年行ってて、紅白のハナミズキって、石和の通りでよく見掛けた覚えがある(爆)。
つまり、ちょうどその季節は、春の最初の週は「桜祭り」に……、その後ハナミズキの咲く週は石和に行ってて、地元の事をよく知らないままだったのかな〜と(^_^;)。。。
もっとも、その石和の祭りも、「桃の花祭り」と名称される割に、桃の花は殆ど見た事なかったけどね(爆爆)。
←さらに先まで続くハナモモ通り。
中央の緑地を囲んだ向こう側のハナモモも見事な紅白になってて、桜並木とは一味違う、濃い春の演出がされている(^^)。
ちなみに、この緑地は芝生になってて、可愛いワンちゃん達が駆け廻る「ドッグラン」に使われてるようだ。
4月も中旬すぎる頃から、GWのキャンセル続出のニュースが出始めた(*o*)
煽りで大打撃を受けている温泉地に、日光や湯西川の名が出たのには、「湯西川、去年行ったばっかじゃん(・・;)」と焦った。。
「今はむしろ、積極的にどっか行った方がいいのかなぁ……?」とか、だんだん迷うようになった。
甥や姪は、春休みを利用して、東北にボランティアに行ってくれたそうだから、GWの休みが取れたら、自分らも……と最初は思ったんだが、まずはボランティア条件の厳しさに挫折したし(学校行ってる人はいいなぁ)、そもそもボランティアどころか、ウチは例年、GWの予定が立たない組だったり(^_^;)。。。
どうするか迷った所で、先が見通せない以上、元々、予約もキャンセルもハナから無いわけで、迷うだけで終わりだけどね(笑)。
でも、そのうち、「温泉地に積極的に泊まりに行こう!」といった呼び掛けを各サイト・ブログなどで見掛けるようになって、「せめてこれやろう!」と思うようになった。(取り合えずは「思う」だけだけど:笑)
<八重桜・枝垂れ桜・山桜>
↑4月下旬。GW迎えるまでぐらい(^^ゞ。
春の夕空に浮かぶ白月
(拡大)
前の年の夏〜秋によく見た凄い雲(白く明るい雲)は、この頃にもやはり北方の夜空の、下の方に時々見掛けたが、前に見たほど光ってた感じじゃなかった。
ただ週末、金曜の夜とかに見ると、決まって明くる土日に大きい余震が起きたので、「やっぱ関係あるのかねっ?!」などと、この時期には言い合ったりした。
が、前年ほどじゃないものの、やはり夏になると、余震の有る無しに関係なく、凄い雲を見る事があって、その後は地震より、むしろ台風・大雨の被害が凄かったので、どっちかと言うと、異常気象みたいのが関係あるのかな〜とも思ったり……。
さてさて、4月も後半を折り返すと、ソメイヨシノに代わって、少し遅い桜を各地で見た(^^)。
山桜に……
枝垂れ桜
2010年8月
<八重桜の頃(#^.^#)>
↓
←八重桜。(
地図V
)
山桜や枝垂れ桜は、終わるの速いけど、八重桜は長持ちだよね〜2週間ぐらい咲いてるかな? これが出ると「そろそろGW(ゴールデン・ウィーク)(^^)」という気分になる♪
そろそろGWが迫って来る頃になると、再びガソリンの事が気になった。
実はこれって結構長い期間、気になっていた。すなわち「今って結局、ガソリン足りてるの? 足りてないの? 千葉で給油すると、被災地困らないの?」という事について……。
ガソリンが不足(あるいは運搬や営業の不可)だった場合でも、営業止まりっ放しをまた再開すると、東京近郊で、ガソリン全く入れられない状態の車が出るだろうし、そうなると、さすがに困窮する家もあると思う。
なので、スタンドはそのままやってていいと思うけど、その辺りの情報を、ニュース番組で報じて欲しかった。
スタンドでも、例えば「震災後、既に給油なさった方は、まだ給油されてない方にお譲り下さい」と張り紙で知らせるとか、逆に「ガソリンは充分に足りてます。道路渋滞にならぬよう、空いてる時間に、焦らずゆっくり給油して下さい」と張るとか、世間に周知する方法が取れると良かったと思う。
(その手間が原因で、過労死が出るなら、シャレにならんけどな(^_^;))
GWの頃には、さすがに「今井の桜」(
地図D
←起点)も殆ど散って、花びらがチョボチョボ残る限りとなっていた→
↑ここは本当に桜の咲く頃だけ、ピンクが横一列に並んで……今も僅かに花びらと雄蕊が残って、ホンノリ浮かんで見えるけど、 通常は緑の背景に溶け込んでる(笑)。
青空に透かすと、僅かに見える花びら
川にも花びらがたくさん浮いてた
次回は、同じく近隣レポ編(ちょっと遠出もしたが)、だいたい5〜7月ぐらいかな(8月も行けるかな?)。ちょっと先行き不透明でメンゴー!!!!(≧▽≦)。。。
以上、関連事項は(だいたい、ね(^^ゞ)、
■東日本大震災
「今週のご挨拶とお知らせ」2011年4月28日
2011年10月
<3月11日、東日本大震災>
■柏市沼南「将門神社」と坂東市
2005年11月
<将門神社>
2008年8月
<坂東市「平将門公の像」と「レリーフ」>
以降
2008年9月
<葦津江「深井の地蔵尊」〜八千代・古河>
以降
2008年10月
<坂東市「延命院」>
および
<坂東市「国王神社」>
2008年12月
<「将門神社・龍光院」(沼南)>
2010年12月
<将門神社(沼南「龍光院」)>
■根木内城跡(歴史公園)
2007年6月
<根木内歴史公園(根木内城跡)、1左廻り>
2007年7月
<根木内歴史公園(根木内城跡)、2右廻り>
2007年10月
<根木内城跡>
2010年9月
<根木内城跡(根木内歴史公園)の春♪>
■常盤平さくら祭り・六高台(六実)・八柱霊園・紙敷〜松飛台・今井の桜
2005年5月
2005年12月
<常盤平・桜まつり>
・
<桜めぐり(六実・常盤平さくら通り・八柱霊園など>
2006年9月
<1日目・花と嵐の(笑)「常盤平さくら祭り」@松戸>
2007年7月
<常盤平さくらまつり、1>
2007年8月
<常盤平さくらまつり、2>
・
<六高台の桜と五香の野馬土手>
2008年7月
<六実の桜(松戸市)><八柱〜五香・さくら通り(松戸市)>
以降
2010年8月
<「常盤平さくら祭り」と、手賀沼までの桜風景>
■しの田(信田・信太)
2005年10月
<増尾城址公園(千葉県)>内
2006年8月
<箕輪城跡>内
2009年5月
<恵日寺(いわき市・瀧夜叉姫の墓所)>内
2009年11月
<川口神社>内
■他(栗ヶ沢・ハナモモ・ハナミズキ通り等)
2007年7月
<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>内
2008年8月
<お花見続行(^^)>内
2010年8月
<八重桜の頃(#^.^#)>
<つづく>
2011年11月25日
ホーム
<城主のたわごと>
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