<2017年・城主のたわごと6月>




2016年11〜12月。龍角寺の続きから、晩秋〜初冬へ。

松戸「戸定邸」に、クリスマスの街と夜のイルミネーション(#^.^#)



     
  冒頭は前回と全く同じ↓

日常編は文章も少ないし、日常編だけ読まれてもそんなに嬉しくないので(笑)、ここで恒例・前レポの宣伝を行う(^。^)。

で始まり、前回から新ネタ、菅原道真の話…… ↓

〜おしながき〜「湯島天神(天満宮)編
2017年「2月のたわごと」(東京湯島〜千葉北西部)
■8月・東京都千代田区・文京区
<「湯島天神(天満宮)」@〜参道両脇〜>
<湯島天神(天満宮)A〜社殿・男坂・女坂〜>
■8月〜9月・千葉県柏市・松戸市
<夏から初秋へ>

↑を入れている。
その前も、境根原古戦場ウォーキング(2016年6月号)や、松戸の根本城跡(同7月号)、北総の龍腹寺(同11月号)など、小ネタながら史跡巡りはあったので、ご覧になりたい方はメニューからどぞ( ^^) _旦~~

あとは、その前からの流れ通り……↓

〜おしながき〜「武蔵千葉氏編」1〜4
2016年「4月のたわごと」(東京板橋)
■10月・東京都板橋区
<板橋区郷土資料館@「武蔵千葉氏展」>
<板橋区郷土資料館A「旧田中家住宅」>
<赤塚城跡「本丸〜滝不動」>
<「松月院」(伝・武蔵千葉自胤の墓)>

その前の「足利編」も出しておく(^^ゞ↓

〜おしながき〜「足利編」1〜4
2015年「9月のたわごと」(足利1)
■7月・東京都港区〜栃木県足利市
<虎ノ門「光明寺・明和大火の供養墓」>
<皇居〜首都高〜東北道〜館林〜足利>
<足利市に到着、1泊目夜〜2日目朝♪>
同「11月のたわごと」(足利2)
<足利の朝から振り返る>
<「足利学校」@、外観〜「入徳門」〜「稲荷社」>
<「足利学校」A、「学校門」〜「杏壇門・大成殿」>
<「足利学校」B、「南庭・方丈(外観)・裏門」>
<「足利学校」C、「方丈・庫裡・中庭・北庭」>
<「足利学校」D、「宥座之器・衆寮・木小屋・庠主墓所・遺蹟図書館」>
<門前通り>
<鑁阿寺>
2016年「1月のたわごと」(足利3)
<鑁阿寺、2(つづき)>
<「太平記館」を見てから、お昼ご飯(^O^)>
<勧農城跡(岩井山赤城神社)> 
<長林寺>
<法楽寺>
<両崖山>
<心通院>
<北東へ向かう>
<樺崎寺跡(樺崎八幡宮)>
同「2月のたわごと」(足利4・千葉北西部)
■7月・茨城県足利市・佐野市
<樺崎寺跡(樺崎八幡宮)、2(つづき)>
<佐野「やすらぎの湯」(日帰り温泉)>
<羽生パーキングエリア(東北道)「鬼平江戸処」>
読んでねっ(≧▽≦)!(既に読まれた方は今回のに進んでネ(^^))

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そして、東北・北関東の旅もヨロシクね!

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「お得に東北へ行こう!」

リンク貼ったけど、「東北観光博」は自民政権はやらないみたい。「閉幕」になってますた(^_^;)。
旅*東北」なるサイトが後を引き受けてるっぽいけど、バナーがない(^_^;)。。
東北の歴史」というページが史跡巡り向きって事みたい(説明が殆どないけど。。)

さて今回は、前回(4月号)の最後、「龍角寺」の続きから始まる。
時は2016年11月初旬。

それからだんだん紅葉も深まって、秋も終わりに近づき、街はそろそろクリスマスの準備が始まり、やがて12月……。
初冬は、今度も松戸市内、「戸定邸」に地域の集まりで出掛けた。

その後は、いよいよクリスマス・シーズン本格到来で、まずは街で見かけたクリスマスツリー、そして夜のイルミネーションを今年もお届け(^O^)。(今回はクリスマスイブまで)

今回の途中から、デジカメが新しいのに変わる!



■11月・千葉県栄町・柏市・松戸市
<龍角寺、2(つづき)>


空が暗くなって来たので、以後、写真の明度を凄く上げる(^_^;)
前回も載せた通り、もう夕月が出ていた。11月だから、一年でもっとも日没が早い。
(2017年4月<まずは久々「房総のむら」まで>内以降)

前回はここまでお届けした。もう一度復習しよう(^O^)ノ↓

拝殿の裏、正面に「金堂跡(パノラマ4枚180度以上)

龍角寺(地図)は、昔はともかく、今は広いお寺ではない(^_^;)。
縦長の境内を奥に進むと、入って正面の本堂(案内図には「拝殿」とある)の脇を抜けて裏手に出られ↑、さらに奥に白鳳時代(709年)ごろの「金堂跡」があって、そこでおしまい(^^ゞ。

金堂跡の手前、左右に五輪塔がいっぱい立ち並んでおり、歴代住職の墓所といった所じゃないかと思う(^^ゞ↓ いつ頃からいつ頃までの物かはわからないが。

まず向かって右側
亭主に撮って貰った♪

向かって左にも同じような五輪塔が立ち並んでいる↓

向かって左側も五輪塔ズラリ
比較大ポーズポーズ(^^)v<ヴィ

↑この背後の庫裏っぽい和風建物は、境内の案内図に、「住職宅」とあった。
奈良時代から継続してる寺ではないまでも、今でも管理はされてるようだ(^^ゞ

ここで、また、前回も載せたパノラマ写真になるが↓、「金堂跡」まで近寄ってみよう。

"金堂跡"は下の土壇ね(^^ゞ建物は最近の物(パノラマ3枚ほぼ180度)

↑御覧の通り、礎石が見える。かつて(金堂などの)建物の柱でも支えた跡だろう。
今回は、この左脇の森に入ってみよう。

左奥にお社らしき建物がある
案内図には「二荒神社」とある

さすがに森の奥は真っ暗だったので、これ以上は近寄らなかった(^_^;)。
二荒神社」とは、どういう神社なのか……。暗くて確認できなかったが、確か近くに案内板らしきは無かった気がする。
自分的には日光や宇都宮にあった二荒山神社を連想するが、もしかして龍神繋がりだろうか?
(2012年6月<宇都宮二荒山神社>内以降/2013年8月<120号線、丸沼・菅沼・金精峠>内以降・他)

一方、土壇の右側だが、さっきの墓所の奥(土壇よりは手前)あたりに、「不増不滅の石」らしきがある。
ただ、周りを囲む石囲いが多く打ち倒れてしまい、危険のため、「進入禁止」の縄が張られていた(・・;)。。
近寄れる所から撮影した↓

これが「不増不滅の石」だが
この通り、周りが倒壊している

地震などで倒れてしまったんだろうか(>_<)。。
一番大事なこの礎石は残されてるので良かったが(A*。*)=3、周りの石も修復されたら良いね。

この「不増不滅の石」は、かつてそこにあった高さ33m程の三重とも五重とも推考される中心礎で、名の謂れは、石にあいている穴に溜まった水が、大雨でも日照りの時でも増減しなかったので、そう呼ばれているという。

不増不減の水とは……いかにも旱魃から龍神の降雨に救われた伝承を持つ地域らしい。
しかし龍神と旱魃の話より、これらの痕跡は早くからあったとも考えられる。

前回も案内した通り、この龍角寺は、体を三つに分断された龍の伝説が伝わる寺(龍角寺・龍腹寺・龍尾寺)の中で最も古い。
(2006年12月<房総のむら>内/2017年4月<龍角寺>

だから龍角寺にのみ、龍伝説に至る前段階がある。それが和銅2年(709年)に、「竜女が降りて来て、一夜で諸堂を作った」という開基である。
小龍が雨を降らせて、大龍に三分割される話は、開基後の話とされており、それまで寺の名は「龍閣寺」といったのを、龍の三分割で「龍の角」を葬るようになって、「龍角寺」と名を改めたという。

屋根に映る幻想的な月光→

このように、二段階に分けた創世神話を持つ龍伝承と言うと、私は箱根神社を思い出す(^^ゞ。

最初が天女の降下で、神々しい神仙郷のような、ハッピーな楽園のような下地が作られる(^o^)
ところが、長い時代が経つうちに、竜神が暴れ回るヽ(`Д´)ノようになる。
(2004年11月<芦ノ湖>内/2006年10月<4日目、駒ケ岳「箱根神社元宮」>内

思うに……。
布教の教線としては、土地に元々あった要素に相乗りするのが効率が良いが、仏教説話としては、何らかの困難を解決する話から、人々に利益を示すのが有効だからだろう(^_^A)。

箱根はエライお坊さんの萬巻上人が、祈祷で悪竜を退治し、竜の力を神社のパワーに代えてくれる。
こちら房総の印旛沼周辺では、大龍が旱魃をもたらし、小龍が人間のために雨を降らせたため、体を三つに裂かれてしまい、その体を寺で葬った、という形で寺の由緒を語り伝えている。

奈良以前の寺社の痕跡に対し、平安以後の新宗派が布教を行なうにあたり、やや多弁ぎみに話を創作する傾向をちょくちょく見るが、ギリシャとかインダスとか中国とかでも、同じようなノリを感じる事がある(^_^;)。

新しい文明を持ち込む者独特の心理なのかも……。
新規にコトを起こそうとする気負いもあろうが、古い文明の痕跡(あるいはそのように見える自然物)を見た時に「なぜ、こんな物を作ったんだろう?」と、あれこれ想像が駆け巡り、理由をつけたくなるんだと思う(^_^;)。

箱根における前段階は、「孝昭天皇の時代」とされ、正確な時代が割り出せない(^_^;)。
が、ここ龍角寺では、709年(白鳳時代)とハッキリしている上、それより前の時代にあった龍角寺古墳との関連性も深いと見られている。

龍角寺の本尊は、薬師如来坐像(国指定重要文化財)で、これも白鳳時代に作られた本県最古の作である。
だからこの塔も、金堂や本尊と同じく、白鳳時代の建立物だったと考えられる。

以上、関連事項は(2017/09/24後追リンク)
■二荒山神社(日光・宇都宮)
2005年2月<日光・二荒山神社>
2012年6月<宇都宮二荒山神社>内以降
2013年8月<120号線、丸沼・菅沼・金精峠>内以降
2016年1月<樺崎寺跡(樺崎八幡宮)>内
■箱根の龍神と萬巻上人
2004年11月<芦ノ湖>内
2006年9月<箱根神社>
2006年10月<箱根神社、続き>および<4日目、駒ケ岳「箱根神社元宮」>内
2006年11月<芦ノ湖遊覧船>内

■「房総のむら」と「龍三分伝説」(角・腹・尾)
2006年12月<房総のむら>内
2008年12月<布瀬城跡・香取鳥見神社(天慶の乱・伝承地)>
2009年1月<阿夫利神社、2>
2010年8月<「房総のむら」レストラン〜印旛沼周辺の夕日>
2016年11月<龍腹寺に向かう>以降
2017年4月<龍角寺>




■11〜12月・千葉県柏市・松戸市・東京都江東区
<晩秋の空・水辺・月夜>


龍角寺に行った後は、11月半ば〜12月初旬にかけての、まさにサブタイ通り、晩秋〜初冬の紅葉風景と、ちょっとづつクリスマスしてゆく街をお届け(^o^)

この一年を振り返ると、その前年の秋冬から、亭主の仕事周り転換にともない生活スタイルが大きく変化した!
収入は激減して不安要素も新体験も増え、体調もなかなか改善しない身内の祝いやら病やら出費は嵩む、就活や営業や税関連申告やら忙しく、全体がシッチャカメッチャカな一年だった。

仕事先にはサイコパスもおったしな(氏ねw)。

柏市逆井あたり
田園を囲む緑も色づき

そそ、今回はその怪奇男の話をしとこうかな!
この話は前回(4月号)の方が、時期的には該当したんだが、前回は上本郷レポと龍角寺レポがあって、わりと書く内容が充実してたので、どっちかと言うと「どうでもいい話題」の“怪奇体験”は、差し控えてしまった。

それと、これまで話せる相手が皆無じゃなかった(ありがとです!)し、就業誓約書にSNSに支店名入りで内情暴露したら訴えるやらあったので、それも差し控える理由であった(-_-;)。。

「やら……」となるのは、その誓約書とやら控えを貰えてない!一瞬見て「ざっと見ればいいですから」と急かされ、強引に捺印させられたからであるww

人に印鑑押させといて、誓約内容を記憶させない誓約なんて有効か?
ブラック企業がどうやって口封じしてるのか、まさに「現場を押さえた」瞬間(笑)

ここは「SNS」じゃないし、支店どころか企業名すら書いてないからオッケーだよね〜〜〜(笑)

一方、書いておこうと思った理由は……こういう話を今まで書いた事ないので、驚かれるといけないもんね(^_^;)。
この頃、我孫子・柏・松戸(実はそのさらに周囲にも)に、陰惨な殺傷事件が多く、世間を騒がせているからだ。


背の高い広葉樹
ここはどこだっけな(笑)

事件の背景とまでは言えまいが、だいぶ前の手賀川の少年転落死の事件を含め、荒れた世相という観点では、全くの無関係とまで言えないように思うからだ。

実は私の勤めた地域は、スーパーやコンビニでも、従業員の客への八つ当たりや、腹立ちまぎれに商品をブン投げたり足蹴りするなど、横柄で乱暴な態度をとる人間をたま〜に見る(^_^;)。
そういう人は多くない。むしろ少ない地域と思う。住民の目は真面目で厳しい。
広く浅く多く淡くいるのではなく、狭く深く少なく(そのせいか)すこぶる凶悪に感じる。

で、怪奇男というのは、ナント、直属上司(苦笑)。
面接の時、そいつ自身の口から、
「今いる事務員が最強で、出来が良すぎて、(新たに雇った人は)追いつけず大抵は辞めていく。一日で来なくなったのもいるから」
という、驚くぐらい自信と強気の発言だった。(今思えば大爆笑モンwwww)

それ聞いて、「そんなにスゴイ人達が働く職場を見てみたい(^O^)」という無邪気な興味と、
「続かなかったら、私が無能の根性無しって事(^_^;)?」と言われた感じがないまぜ(笑)。

でも実は……そこって、近所でも、
「あそこ、いつも募集が貼ってありますよね(^_^;)」
という話を聞く事があったんで、符号したような、してないような気分になった(笑)。

ここは「しいの木台公園」(柏市)(地図
冬も近く色付きも濃い(^^)→

現場に入って、すぐ異様に感じたのは、その怪奇男の態度・顔つき・喋り方が、まるで暴走族なんだな(^_^;)。

始終、誰かに耳打ちしたり、同僚を店内じゅう歩かせては、それをニヤニヤして見てる。
よく不良が集団でコンビニに入って来て、イジメられっ子をカツアゲで脅したあげく、万引きさせ、それを仲間同志でニヤニヤ冷やかし半分で物色するよね……ああいう残忍な表情(^^;)。。

一方、そこの支店長も副支店長も、ビックリするぐらい好感もてる人達で、物凄い対照的(^_^;)。。そういう「ワル」にとっては、おそらく「チョロイ先公」って感じと思われ(汗)。

そして、極め付きは……。
怪奇男の居ない曜日(笑)に、職場の全員が怪奇男の悪口で一日じゅう盛り上がってるのを見て、深く納得(^_^;)<これで初めて納得がいくわwwww

それだけ確認できたら、あとはもう辞める機会を窺うだけ、みたいなカウントダウンがヒッソリと始まった(笑)ので、実はそいつの悪行は、自身の被害としては、そう多く体験してない。

逆井〜しいの木台を(柏市)を離れ、鎌ヶ谷〜白井の方にちょっとドライブε==(/^o^)/↓

電気屋の店先に飾りだされていた綿花
野のコスモス花

↑そういや今年は、『おんな城主 直虎』で綿の生産を大きく取り上げているよね〜。
あまり間近に見た事が無かったので、こうして見せて貰えると嬉しい(^O^)!

何しろ声が小さい聞いた事には殆ど答えない。だから部下は仕事が覚えられない
かかってきた電話を取り次いでも、聞こえないフリをし、しつこく言うと、もっと大声を出さないと聞こえないみたいな、ふざけたジェスチャーをする。

意味も無く客の後を全速力で追いかけさせ、駐車場じゅう走らせる。
客が来てない時でも座らせない。立ってないと、なぜ立たないのかと執拗に説教する。

神経を使う作業の間じゅう、動作の遅れを指摘するかのごとく、ペンや指先を机にコンコンと音立てて急がせる

何かというと作業中に場所をどかしたり、行き場を塞いだり、机の上にあるものを落として拾わせる
書類の細かい点を問いただし、答えようとして考える最中に、急に質問を切り上げる

そして、何かというと先輩達から、「自分たちは奴隷で、上司(専門職名)は神様なんだよ」という、ヤバイ宗教みたいな説教が降って来る。(客でさえ厄介者扱い(^_^;)。。)

「村雨丸」伝説の残る「二部山」
風情ある秋景色(拡大)

地図←だいたいこの辺(^^ゞ。近くに「村雨公園」とかあるみたい(笑)。

私はこの程度で(^_^;)ゞ、先輩たちが受けた苦痛の千分の一にも満たないが、それにしても、ただのイジメ意地悪と考えても、何か意味不明が多い。
本当に失敗を招きがちな危険も多々あって、客目につけば、売り上げや信用に亀裂が入りかねず、全体的に合理性が乏しい

思うに、集中力を散漫にさせたり、失敗によって委縮させるなど、疲労や緊張や体力低下により、思考力を奪う事が目的のような感じがする。


怪奇男の脳が実際、人格障害の特徴を帯びているかは、実測してないのでわからないが、専門職とのつながりから見て、あるいはマインドコントロールの本など読んで、部下を相手に実践(実験)してみているのかもしれない。

対する事務員たちも少しづつ異様で、裏で陰口が言いあえる程度に精神の正常さが残っているにも関わらず、何か、ふとした瞬間にビックリするほど精気が無い。感情のムラも激しい。

若くしてガンになった人、目を患う人、神経を患う人、皮膚が浅黒くカサカサで見るからに幽霊のような顔の人もいる。


下手賀川沿い(白井市)
黄色い田園を囲む紅葉樹

集団の関係は、相互の情報や意見主張の交換をコントロールされると悪化する。
そう思って振り返ると、怪奇男の見張り方は、異常と言って良かった。
ガラス戸に自分の机をつけて、事務員たちの背中を監視する。

その距離、30〜40センチ程度。(この近さはどう考えても異常でしょうよ)
どうも戸の合間に隙間が空いてるらしく、たとえヒソヒソ声でも筒抜けらしい。

女達を背中から監視する。……まるでホラー映画を再現した職場と言える。
しかも、そうした密室性は、怪奇男のもつ専門職性(人手不足の職種)が原因で、彼より上層部が口を差し挿みにくい故に保たれている。

やりたい放題の人権侵害が、白昼、公然と炸裂しているのである(汗)。。。

やめた人も数知れずいるというのも、本当の事らしい。
が、長く継続してる人達には、辞める気は全くないようで、辞めようかと迷ってる人を、部下同士でかなり強烈に引き留めている様子を目の前に見た(^_^;)。

そのせいだろう。吐き出される不満の解決手段が、どこかおかしい
この悪口大会の行く先も、溜め込んだストレス発揮を口実に、仲間同志の会食最終目的化してしまっている。


そして今回もやって来ました、手賀沼・曙橋付近(地図(パノラマ4枚180度以上)

つまりガス抜きまでしか思いつかない。
事態改善という思考が皆無になっている。そういう弾力のある発想を恐れてさえいる。

ここで抗っても、自分たちに上昇する手段(知識や経験)は無いから、嫌な上司であっても、認めて貰うしかなく、抵抗するのは心の中だけの事。
最初からこんな、諦めまずありきなら、仲間同士で励まし合うのが関の山だろう。

ふと、24年も前に派遣で行ってた職場を思い出した。
お局さまが一人いて、やりおえたファイリングを持ち出して、教えた順番と違うからやり直せと言って来る。

初めの内は、本当に間違えたのかもしれないと、ただ謝り、言われる通りに残業もして修正した。
しかし、そのうちに、このお局の指摘に疑問を持ち、やり終えた物を記憶してから帰った。

翌日、ファイルの順番は、記憶したのと微妙に変っていた。
つまり、このようにして冤罪を作り出す。
しかし、罪を鳴らして相手を追い出すのが目的かと言うと、その逆だったりする。むしろ罪滅ぼしを要求して、縛り付ける手段にできると考えてるようだった(^_^;)。

お局は、「まだ仕事を覚えてないから」というお節介な理由をかかげ、私に契約延長をしつこく要求してきた。
当時私は難病にかかっていたため、医者の忠告で、一定期間の就労ごとに休業を入れていたので、延長を断ると「一日でいいから」などと、ほとんど意味のない粘着に及んだ。

やがてファイル順は、記憶と明らかに違う程、メチャクチャに変わりだした(^_^;)。その行為には、どこか「自分がやったとバレてもいい」という開き直りが感じられた。

(西側拡大)手賀沼を後にして
古利根川(地図)に向かった

稼働最終日、お局様は私がロッカー室にいるのを知りながら、外から電気を消し鍵を閉めた。
その後も残業してる人がいたので、鍵は外からすぐに開いて解放されたが、閉じ込められた事を言おうかどうしようか、一瞬迷った。

(結局、これきり来ないで済む場所だから、言わずに済ませたが、24年過ぎた今でも、このお局ネタで、半年ばかりつきあっただけの当時の仲間とメシが食える、という異常さ!wwww)

閉じ込められた理由を考えてみたが、居残らない人に対する、嫉妬の感情だろうか……。
辞めて自由になれる人間が妬ましいのではなかろうか。

居残って欲しいのなら、無意味な意地悪はやめればよいのに、自分も虐められたから(?)、同じ不条理にただ耐えて欲しい。土地だか業界だか俺様だかの掟に慣れて欲しい。
下から人が入ったら、自分たちと同じ仕打ち(つまり「イジメ」)をしてのけて欲しい。
こういう腐った考えが、その場の最大公約数になってしまう。

今回の怪奇男も、下っ端時代には、先輩のパシリに明け暮れ、何も教えて貰えない時期が長かったそうだ。(もっともこの手合いは、同情をひくための嘘話が多いと、モノの本で読んだ覚えがあるが)

車の足元でジッと飼い主の釣る魚を待つニャンコ達(笑)
本日も遅くまで釣り糸垂れる人の多い古利根川→

しかし現代は江戸時代でもないし、日本は強制労働場の設けられた独裁国家でもない。(日々そうなりつつはあるが:爆)
今般の職場は、あくまで、めいめいが自主コントロールして居心地を悪くしてるにすぎない。

その証拠に、そいつより上の階層は、そうした実態に全く気付いてないのである。
そう言う私自身、結局は辞職を口にしてから、初めて、そのさらに上に話してみる気が沸いた。

私がチクッたのは現場の最高責任者、支店長に対してである。
辞職の手続きが終わると私は、「職場について知っているか、事務員らから何か聞いた事はないのか」と問いただしてみた。

支店長には、面倒な退職の手続きなど早く済ませたい、という様子も最初はあったが、こう切り出すと、心配そうに「いいや、何かあるの?」と聞き返してくれた。

私は「事務員に聞き取り調査をしてあげて下さい」と提案した。
それには、「●●さん(怪奇男)のいない時を見計らって」とだけ付け足した。


ロングで見ると、こんな感じ。広々〜(パノラマ4枚180度以上)

↑堰き止められてせせらぎも殆どない静かな湖面で、周囲は山林も多く、都会の喧騒なんて無縁という感じだが、↑左の遠く彼方に渡る橋には、夜になると、車のネオンがいっぱい流れて、「うわ〜ここもやっぱ東京の近くなんだな〜( ̄∇ ̄;)」と、嫌でも気づかされる(苦笑)。

すると支店長は一瞬キョトンとしたが、やがて顔じゅうに驚きと納得の表情を浮かべ、
「そういう事なんですね!」
と言い、「思い当たる事がある」と言わんばかりの表情をして、私に頭を下げて謝ってくれた。


つまり、上が全く気付いてない(おかしいと思っても、証拠・証言が得られない)から継続されてる独裁体制なのに、内部においては、組織全体の……下手すると、国家全体の意思か何かのように錯覚し、まったく身動きがとれなくなっているのである。

しかし、世間知らずの奥様呼ばわりされた多くの人は辞めたにも関わらず、最強と言われた事務員たちが辞めないのは、コントロールされてるからとは言え、他に何かメリット・デメリットの違いがあるからだろう。


私がやめた理由は、実はその時点においては、怪奇男が原因ではない。
時を待たず、それが原因になっただろうとは思うが、それとは別の所にある。


(その左部分拡大↓)車の灯り(渋滞気味)が通る
こちらは街中ながら、鮮やかな冬の夕焼け雲→
真ん中に伸びる筋張った雲が、生き物みたいに生々しい

実は、ある日私は、先輩たちに、こうカマかけられた。
「打たれ強いタイプですよね?」
(そ、そんな事ありませんよ〜(^_^;))

どの場面を見てそう思われたのか知らないが、実はほんの僅かの間ながら、怪奇男と二人きりでいる時に限って、無言でタイマン張ってた時がある。(爆)
すると怪奇男の態度は大きく軟化し、私の間違いを指摘した職員を慌てて宥め、「問題ナシ」に急いでスリかえた(^_^;)。

だから退職の直因は別にあって、私にとっては至急を要した。
それは、事務用品や備品をことごとく自前で調達させられている事、化粧を勧められた(そこは化粧品が主力商品(^_^;))事と、契約と違う曜日や時間帯への交代を頼まれた事だ。

化粧の方は、いかにもそれで成績を左右される美容部員(笑)みたいな女の誘いだった(苦笑)。

よくよく、こういう場を、世間で「●層」と呼ぶのを聞くし、あるいはそういう人たちが他に行き場が無いという現実もあるだろう。

だから、化粧品などを買う事に職場への居甲斐でも感じられる人(つまりはそれが●層なんだがw)には、メリットがあるのかもしれない(^_^;)。。

それから、家庭内不和にある事務員が場の中心にいるのも、事態を悪くさせていたと思う。
これは、およそ長時間労働が定着化する職場に共通する裏事情で、他の労働者を職場(家庭以外の場所)に引き留めようと、あの手この手を使う奴がのさばる場がそうなる(苦笑)。

日は暮れて……藤心とか増尾などで写した、夜月の光景↓

タタン、タタン、と電車が通る
川の向こうは月の照るビル街

備品は極力買わずに済ませ、化粧は皮膚病を理由に断り、交代も制限をつけ、「夫婦円満ラブラブですー(=^m^=)」とも言ってみた。
すると、その翌日から、途端に周囲の風当たりが強くなった(笑)。

前は、短期間によくこれほど仕事が上達したと褒めてくれた先輩が、突然、「何度同じ事を言わせるんだ」とか声を荒げはじめた。

その一方で、こういう指摘も、いちいち怪奇男が重箱の隅をつつくように言わせるのだと、裏からコッソリ教えてくれたが、そう気付いて振り返ると、例の美容部員女は、やたらと怪奇男へのお追従を、うるさく指図してきていた(^_^;)。。<ヨソの部署なのに

自分の事につけ、他人の事につけ、こういう、露骨に権力者にへつらう女性が増えたな〜と、正直この頃よく思う。権力者以外に対しては居丈高で、
思慮が浅く、決めつけが激しい。
安倍晋三が唱える「女性が輝く社会」だのいうのは、つまりその程度の女チンピラに仕切らせる図に過ぎない(女性は元々賃金が安いから、雇えば企業に有利なだけじゃん)

自爆営業備品自前の強制や、交代制の押し付けあいなどは、コンビニ勤めの店員などから聞く裏事情に少なからずある。

地域に進出してくる企業にとって、地域住民は、成績をあげるための道具に過ぎない。
上層部がそう思ってなくても、奴隷を求める体質が内部から無くならない限り、常に短期で辞める者が後を絶たず、その評判が場に常態化し、土地や業界の一定範囲を腐らせるのだ。




<「戸定邸」と徳川昭武、そして「松戸城」>

地元の会合(史跡巡り)で、久々に松戸の戸定邸に行った。
正直、戸定邸にはそれほど興味なかったが(^_^;)、前の会合で財布を忘れ、金を貸して貰ったので、返済がてらの参加……というのが実情(笑)。

でも今書いて来たような時期だったから、地元の史跡めぐりづきあいが、唯一の気慰めだったかなーうん。

松戸駅に近い街中を遠ざかり、このような坂(後に書くが「みその坂」と呼ぶ)をせっせと上ると……↓
正面に聳えるのが「戸定邸」茅葺門(地図)→

ここでニュース(^O^)ノ
この戸定邸レポから、デジカメが新しいのに変わる。前パナソニック、今度ニコン。
(スイマセン、「前オリンパス」と書いてました、8日後に訂正(^人^;)。2017/06/19記)

前のパナソニックは……φ(。。)m。2009年12月号の岩手県ツアー(訪問は同年9月)の時、「古いデジカメと新しいデジカメの両方を使って撮影」とあるから、7年チョイ持ったんだね〜。

前から少しづつガタは来てて、色がドンドン暗くなる傾向があった。
撮影は今でも出来るが、液晶モニターがイカレて、被写体が見えにくくなり、それでも壊れ初めの頃は、モニター画面をギュウギュウ本体に押さえつけ、騙し騙し使ってたが、ついに全く見えなくなってしまった(;_;)。。

そのさらに前はオリンパス。デジカメだったが、単三電池を4個も入れるタイプで、大きかった。
その前は、2001年4月に山梨県石和で、故障させた上にドブに落としてアウツとなったカメラで、これはデジカメではなく、フィルムを買って入れ、撮影後に写真屋に現像に出してたタイプ。

こたつ城を始めてから、これでカメラ変えるのは3度目かぁ……。
というわけで、こたつ城の歴代4台目のカメラ登板ですー(^O^)<宜しゅう♪

では気分も新たに、も一度、茅葺門(拡大)
ポスター「戸定歴史館」

戸定邸は今、全体の敷地を「戸定が丘歴史公園」と言い、明治時代から残る建物を「戸定邸」、そこに行く手前に、資料館として展示が行われているのが「戸定歴史館」と銘打たれている。

メインは勿論「戸定邸」であり、最後の将軍、15代・徳川慶喜舎弟・昭武別荘である。
……私は、この定例文句、何度聞いても、頭の中で、以下の具合に書き直されてきた。

「慶喜の弟というだけで、それ以上に目立って功績もなければ、特筆すべき所もないエエトコのおボツが、ただ『別荘を作った』というだけで、それが東京に近い場所にあるものだから、他に目立って史跡らしきのない松戸市が宣伝し、保存している場所」

この認識は、この日に訪れてから、ちょっと改まったかも(笑)。

↓入ってすぐの「戸定歴史館」(展示資料館)
この時期行われていた「公爵・徳川慶喜家」展→

まず、この史跡の重要性を再認識しなくてはならないのは、付近の案内板にもあった言葉の通り、「わが国で唯一一般公開されている徳川家の住まい」という点かと思う。

寺なら檀家、神社なら氏子があるし、城なら地域の財政で再建という話をよく見る。
また、政治家や学者・文豪・芸術家などの家が、壊されず何らかの保護を受けて、旅館や記念館になっている例、公的指定を受けた民家園なども全国に多くあって、そういう意味では凄く珍しいわけではない。

が、言われてみれば、ここ以外の徳川家の人々の住まいがどうなってるのかを知らない。
今でも在るにせよ、公開はされてないって事だろうし、住み続けてれば時代と共に改築・改装・建て替えするものだろうし、住まなければ売却か分譲され、建物は破却されてるかもしれない。

つまり、中に家族が住んでる以上、そこをどいて、どこか他に家を作って移らないと、ありし日の状態のままで公共施設にはできない、という事だ(^^ゞ。
だからここを寄贈してくれた昭武流徳川氏には、(他の地域民はともかく)松戸市民としては感謝しなくてはなるまい。

公園内見取り図→

例によって、字は(小さいので)私が上から書き入れている(^^ゞ

今、下の方にいるが、だんだん上に移動してゆく。(右上の「旧東屋庭園」は工事中だった)

次に、徳川昭武(1853-1910)についてだが、単に「慶喜の弟」というに留まらず、その慶喜からの期待を受けて、「将軍職を継ぐことができる身分を与えられていた」という事なんだね(^^ゞ。

この事は、気を付けて見れば、案内板にも書かれてるが、結果的に、徳川宗家の跡は「徳川家達」が継いだので、昭武は「数多い弟の一人」としか認識してなかった。
(wikiで見ると、父・斉昭には、22男+15女=37人もの子がある(^^;))

ただし、wikiで拾い読みする限りでも、慶喜は七男、昭武は十八男、間に何人も男子はいるのに(早世は三人)、殆どが他藩の後継となってゆく中、徳川家達の宗家相続が決まった翌年、昭武は、実家であり本拠でもある水戸藩の藩主の座に就くのである。

歴史館からちょっと離れて振り返る(パノラマ5枚180度以上)

もちろん、巡り合わせもあるだろうけど(^_^;)、昭武がその名を公式に表したのは、京都警固のため水戸兵を引き連れての上洛で、これが12歳の時という。
その年齢で戦の采配が出来たとは思えないから、慶喜の弟だとかであれば良かっただろう事は疑いなかろう(^^ゞ。

しかし、そしたら、十六男でも、十七男でも、十九男でも良かっただろうし、今言った男子達とて、他藩の後継となっており、いずれ劣らぬ立派な人だっただろう。
そうなると逆に、じゃどうして昭武一人に?……と思うが、十九男の喜徳が会津松平氏に養子に行った時などは、あの容保が「昭武に来て欲しかった」とかいった話も散見する(^_^;)。

ところが慶喜は、昭武を将軍にしようと考えたため、昭武の会津への養子入りを取りやめさせ、かわりに将軍になれる家格である清水徳川家に、昭武をゴリ押ししたんだと(^_^;)。。

慶喜と容保が、それほど昭武に肩入れした理由はよくわからんが(笑)、つまり、慶喜に兄弟は大勢いるものの、昭武はその中でも「唯一の際立って特別な弟」と言うべき存在ではあったようだ。

↑の逆側↓これが「戸定邸」(明治の建造物)(パノラマ4枚180度以上)

何しろそういう昭武が、将軍名代として、慶応3年(1867)、パリ万国博覧会に派遣されたのも、それなり彼の付帯する何らか重要性がなせる姿といえるだろう。

……そうそう、そのパリ万博だけど、私の知る限り、NHK大河ドラマ(1980年・18作目)『獅子の時代』に登場していた。

このドラマは、名もない落ちぶれ侍の視点で描く設定だったので、主役は架空の人物だったし、その周囲に彩られる人物たちは、後に名を遺した者もいたが、ある程度より上層部になると、顔が出るだけ、といった演出が多かった。

昭武もその一人で、主役らの乗る船の甲板に、多くの家来を連れて夕涼みに出てきたり、ようやく到着したパリ駅で、電車から降りる姿を見せる程度だった。

お靴を脱いで、いよいよ戸定邸に入る(`・ω・)=3
懐かしさ漂う平屋建ての家。昔の窓ガラス、渡り廊下から見える中庭、廊下、天井、日のさす畳敷和室

何しろ弱冠13歳の少年だった昭武は、10万点(推定)を超える膨大な日本の出品物と共に海を渡り、ナポレオン三世ら各国国王・皇帝らと交流を深め、国際交流の先駆けをなした。
日本からの出品物はヨーロッパの人々から高い評価を受け、後に本格的に勃興するジャポニズム(日本趣味)に大きな影響を与えた。

また、パリ万博が行われている間、昭武はず〜っと「次期将軍」みたくアチラの記事に書かれてたそうだ。
もっともこれは、パリ万博の主催側が、昭武に将軍と殆ど同格であってほしかったからだろう。
というのも、日本から来る代表者は、将軍の慶喜自身でなければならないと考えていたのが、幕末の世情不安で、慶喜が日本を離れられなかったのだ。

しかし、そんな幕府の時代も、明治維新により終わった。( ;_;)/~
昭武が欧州から帰らぬ内に、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、と日本の歴史は大きく動く。
新政府は、将軍の弟(で後継有力者だった)昭武がフランスで何する気かを恐れ、帰国への催促を連発したという(笑)。

正面の広い庭に面した大広間(パノラマ3枚ほぼ180度)

明治時代を迎えると、昭武は、松戸に7u以上の土地を取得し、明治17年(1884)に、別邸として戸定邸を建設。松戸に本格的に移住した。

この「戸定邸」の名が出ると、すぐ付く「別荘」「別邸」というのも、「あちこちにいっぱい作った内の一つ(^^ゞ」と想像する要素だったんだが……。

それがこのほどは、団体で入場し見学したため、前もって予約もついてたようで、館長さん自ら説明にお出まし下さり、さらに詳しく掘り下げて、お話をうかがえた。

それによると、どうも「殆ど本宅」というのに等しかったらしい。
政治的だか手続き的な都合から、「別邸」と登録(か名称)されただけみたい(^_^;)。。
戸定邸のHPを読むと、定期的に公務で皇居通いしていた昭武は、都内水戸徳川邸公邸、ここ戸定邸私邸として使い分けていたようだ。

縁側のガラス窓から見える広い芝生庭園(パノラマ3枚)

この広間にみんなで円座して、庭を見ながら、館長さんにお話を聞いた。
欄間の葵の葉が、三枚でなく二枚なのは、朝敵になった徳川出身である事を憚って、一枚少なくしたのだとか、ここから見える庭が、実は水戸の偕楽園に趣きが似ている、というようなお話だった。

当時まだ自然の多く残っていた松戸では、昭武も堅苦しい身分から解放され、趣味の狩猟や写真撮影などを楽しんだのだろう。まさに本宅(笑)

建物は、近世武家屋敷造り
昭武が生きた時代は、純和風の戸定邸に象徴される日本の伝統的な文化と西欧文化が交流した。
邸とともに残される庭園は、、昭武が、今も言ったパリ万国博覧会に参加し、洋式庭園を学んでその長所を採り入れた造園として画期的。

外に出ると「歴史館」とは逆方向に通路が伸びている(パノラマ3枚ほぼ180度)

昭武はここに20数年を過ごし、同21年(1888)、長男・武定を得る。
同35年(1902)には、皇太子時代の大正天皇が訪れるなど、皇族の長期滞在が行われる屋敷でもあった。

武定は子爵となって、松戸徳川家の祖となる。
その後、父の昭武は亡くなったが、武定は工学博士号をとり、海軍技術中将に進んだ。やがて潜水艦の権威として著名となり、長くここに居住した。

戦後の昭和26年(1951)、武定は松戸市民のための文化施設として利用して欲しい、との意向を申し出て、敷地2千百余坪、建物238坪を寄贈。
ここに改めて、松戸市により「戸定館」と名称された。

←邸の玄関に立っていた大木
↑通路を辿っていると、芝生庭園に出るための、このような木戸に出会える

現在、かつての敷地の1/3、約2万3千uは戸定が丘歴史公園となり、建物は国の重要文化財に指定され、庭園は日本庭園史上における価値が高く評価され、国の名勝に指定されている。
公園内の戸定歴史館では、激動の時代を生きた二人の遺品を展示している。

また、今上天皇陛下が、皇太子時代の昭和18年(1943)に、千葉大学を訪れられ、庭園内でサツマイモを収穫された事や、皇后陛下が平成15年(2003)にお越しになられた事にちなみ、平成21年(2009)、改めて両陛下が戸定館を訪れられ、千葉大学園芸学部創立100周年記念展示会「江戸時代の園芸文化史」をご鑑賞された。

この行幸啓を記念し、千葉大学と松戸市が、帝の苑を意味する「御苑」と、庭園の「美園」にちなんで、戸定邸に続く坂に「戸定みその坂」と名をつけた。(これが、ここに入る前に登って来た坂の事(^^ゞ)

↓「戸定邸」でもっとも有名なショット( ^^)σ只 <カシャッ
芝生を後方から囲む大樹林→

ところで訪問中、まったく話の端にすら出て来なかったが(^_^;)、この戸定邸のある丘は、室町〜戦国期にかけて、「松戸城」と呼ばれる城があった。(初見は「松渡城」と記されるようだ)
ここの訪問レポを頼まれて書いたので、その事も記したんだが、誌面に仕上がったのを見たら、シッカリ割愛されていた(汗)。

メゲずに書く(`・ω・)=3、<誰憚る事あろう、このサイトは私の本宅

中世には太日川・利根川・中川などが、東京の荒川・隅田川と繋がっており、松戸城とその城下は、武蔵国との水運連絡上、重要拠点だった。
陸上においても、ここから各方面に道が伸び、城下の津には直接船が出入りして、市場も開かれていただろう。

史料に現れる最初は、文正元年(1466)、の書状に「松渡城」の名があるそうだ。
古河公方・足利成氏が起こした享禄の大乱で、千葉氏は、成氏に与した馬加・原による房総千葉勢力と、成氏と敵対した上杉氏に支援される武蔵千葉氏とに別れる。

上杉側には、堀越公方政知がその上に立ち、さらに京の足利義政の支援があった。
義政は、奥州や関東の豪族らに書状を送り、古河公方の討伐を命じる書状を発している。

一方の古河公方側では、上杉方のそうした動きに対応するためだろう。松戸城(松渡城)に「原信濃入道(原胤高の孫で、岩富原助景と推定)」と、その子の「八郎」が入ったと見られる。

庭園内をせっせと造作中
新たに造園の始まった「旧東屋庭園」


左の写真は、庭園の奥の手入れだが、右の写真は、先に出した見取り図にもあった「旧東屋庭園」あたりで、一緒に見学してた方が教えてくれた事によると、しばらく学生寮があったらしく、今また公園の土地に戻したので、戸定邸の一部として整備されているのだそうだ。

公園内には梅園があるので、ここは桜が植えられるんじゃないか……そうなったらいいね、なんて話をして盛り上がった。(この話も割愛されちゃったんだな。何考えてんだろ:笑)

さて「松戸城」のその後を書いてしめくくろう。

天文7年(1538)、第一次国府台合戦にも後北条氏の拠点(「松どのたいといふ山」)として使われており、ここまで軍事物資を運んだと考えられる。
一方、その折、対岸側「相模台城」の存在が、敵対する小弓公方義明の側の陣(椎津・村上・堀江・鹿島など)としてあげられ、義明はこの城に攻め迫ったものの、敗死した。

その後、この地を領した高城氏の持ち城として続き、天正10年(1582)、高城胤辰が没した跡を、子の胤則が相続し、この松戸城は、胤則の後見「筑前守」の居城となった
この「筑前守」は胤則の叔父、胤正ともいう。(高城家由来書)

<高城>
胤忠?−胤吉?┬胤辰(小金)−胤則
胤正(松戸)
└胤知(根本)

以上、関連事項は(だいたいね(^^ゞ)(2017/09/24後追リンク)
■幕末の徳川家(東北〜関東)・水戸「偕楽園」・他
2007年2月<会津藩主松平家墓所>内
2007年12月<白石城>内
2009年2月<立石寺(山寺)、仁王門〜三院〜三堂>内
2009年3月<清河八郎神社・記念館・清川口(戊辰の役)古戦場>
2012年6月<朝の散歩、「栗山東照宮」>内
2014年11月<偕楽園@南門まで(千波湖〜梅桜橋)>内以降



<初冬、クリスマスに向かう街角(#^.^#)>

お待たせいたしました。今年もクリスマスの写真を連発いたしましょう!

以後、一部11月の物も混じるが、殆ど12月に入ってからの写真〜☆彡
文章は極力ヌキにして、次々と繰り出すからね(^O^)! *始まり始まり*

←11月末〜12月初め頃から、クリスマス・モード開始。リースの両脇に可愛いサンタさんと雪だるまクン
↑毎年、赤と黄色の鮮やかな逆井の紅葉通り。

11月には色づいた葉がいっぱいあったのが↓
12月にはだんだん散ってしまい(;_;)→

すっかり冬支度、市川大町(地図
銀杏の黄色い葉が光る

地図←市川大野の付近。用事で東船橋に行くようになってから通ってる道だが、この頃は単にドライブでも使うようになった(^^ゞ↓
こちらは五香の野馬除土手付近→
(てゆうか、ここも土塁が僅かにある)

←同じく五香にある大型スーパーの広場
↑こちらは確か「稔台(みのりだい)」駅の前通り。空気風船のサンタが煙突から出たり入ったりする仕掛け(笑)

そして、いよいよクリスマス・ツリーの登場!3連打!

輝く松ぼっくりのリース
そして、今年もイルミネーションの始まり!

一般のおうちもあるので、今年も場所は内緒(^_^A)。上のように窓や出窓を上手に使ったライトアップもあれば……。



<イルミネーション集中砲火!>

ベランダに集中させる家
こちらは横合いから既に眩しく……

正面を通ると、そこはもはや……
氷と魔法の世界!

↑この左右は、向きが違うだけで、同じ場所を写してるんだけど、発色や明暗の違いは、フラッシュの有無などモードの違いじゃないかと思う。同じような感じで……↓

フラッシュ有り
フラッシュ無し

一見すると、明るく華やかに写る方が綺麗だけど、明るすぎると、せっかくの絵柄や色の違いまで均一化して、形も潰れてしまうのが残念なんだよね(>_<)。。

どうにかして、両方の良さを活かせないかと思うんだけどね〜。。

さあ! この後もドンドン行こう〜(^O^)


滝流れが以前にも増してパワーアップ(゚¢゚ )

今年はここがスゴイと思った!
ちょっと視点をズラすと氷をまぶした隠しツリーが!→


ここは道路を挟んで両脇に大物が対峙!

道路まで行って左↓と右→を各々撮影(^O^)



<クリスマス・イヴへ♪>

このまま、クリスマス・イヴまで突入しまぁ〜す(^O^)

マイアミビーチ風?
北欧風?

ここも何か凄かった!左脇から通ってみよう〜☆彡

ミッキー&ミニー
グルリと廻って……

下を見ると……
白雪姫と七人の小人とスヌーピーのサンタ

東京タワーと観覧車も♪
クリスマス・イヴになりました!

「今年は貧乏だし、ダイエットもさせなきゃならないから、クリスマスはやらないよ( -_-)×」
と念押ししたのに、亭主は、
「 安かったから|ω・`)」
と、上のオードブルセットを買ってきた(笑)。

年々、年末年始のお食事は安上がりになってゆくんだけど、今年は確かに安く売られてて、もう高く売るのを諦めたのかな〜と思いながら、ふと、格安コーナーを見たら……。

去年から出回りはじめた手作りケーキ用のあれこれ……パウンドケーキや絞り生クリーム、飾りつけチョコソースなどが、ギッシリ山積みされてる(゚.゚)!

そう気づいてから、改めて出来合いのクリスマスケーキのコーナーを見ると、やっぱ高いからか、それほど減ってなかった(ウチも買わなかった:爆)。売れて次々と追加してるからかもしれないけど……?

安物食材で作ったケーキ(笑)
12月下旬の手賀沼むこうの筑波山

苺は物凄い高値で、あまり手に取る人も居ないのに、パイナップルやメロンなどの細切れ商品は安く売られてて、買物客も次々手に取っていた。

要するに、クリスマスでも安い食品なら大量に売れる事がわかって、いっぱい仕入れる方向に踏み出した店も出たって事だと思う(^_^A)。

クリスマスだから正月だからと、なんでも高くすると、通常通りの食事で済ませる家が多く、大量の仕入れが無駄になりやすいのかもね(^_^;)。。<1〜2週間ズラして食えばいいしなwww

新しく買ったカメラであれこれ撮影してみる(笑)

夕焼けの色あいなど前のと違いがあるかなー
結局いつもの手賀沼コース(笑)

以上、関連事項は(2017/09/24後追リンク)
■紅葉&クリスマス
2007年6月<クリスマスの街角(^^)>
2008年5月<年末(^^)>
2009年6月<紅葉とクリスマスが同時に訪れるの図(笑)>
2010年7月<クリスマス・イルミネーション>
2011年10月<クリスマス前の東京(皇居東面)><クリスマス本番〜年末>
2012年7月<クリスマスの街(^^)>
2013年8月<クリスマス・ツリーと喫茶店「シエロ」>
2013年9月<クリスマスシーズン本格到来>
2014年5月<銀杏とクリスマスと古利根川>
2015年7月<クリスマス〜年末@、ツリーとイルミネーション(^O^)>以降
2016年6月<クリスマス飾り・イルミネーション>
2016年7月<クリスマスの街と千住宿「勝専寺」>




<江東区「清澄庭園」(予告)>

予告でーす。ここは東京の「清澄庭園」。クリスマスの日だった。

庭園に入った所(パノラマ2枚)

何しに来たのかと言うと……営業(^_^;)。。<ハハハ
その後も仕事探しはしたが、この辺りから、亭主の手伝い業に本腰が入って来たんだな。

綺麗な庭園で、写真もたくさん撮ったので、次回つづきをレポしよう。

というわけで、次回はこの清澄庭園から始まり、年明けは恒例の七福神めぐり(^^ゞ
その後は……どれぐらい行けるか全然わからない(^_^;)。

1〜3月は確定申告まっしぐらでシッチャカメッチャカだったし、デジカメもまだ使いこなせず、テスト撮影が多いんだなー(笑)。 *ははは*

あ、例によって関連事項のリンクは後日(^_^;)ゞ

前々回(2月号)のは貼りました! 前回(4月号)のがまだです! 頑張って二ヶ月分やりゃ追いつくのに、一ヶ月分追いつくと安心しちゃって、いつも遅れるぅ〜\(>o<)/<ジタバタ

<つづく>

2017年06月11日(06/19、一部訂正/関連事項、09/24、後追リンク)
 
     





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