<2005年・城主のたわごと12月>




年が明けて2005年は、1月〜5月を一気にお届けっ☆ミ

正月・神田明神・合唱コンサート・桜まつりと桜めぐり・関宿城。





     
  さて、珍しく年内のレポに追い付いてたりする(笑)。
と言っても、来月からまた年を越すのだが(^_^;)。

今回は小ネタばかりで、2005年1月から5月のアタマまでを、ダッと駆け足でお届けっ。



■1月
<お正月(^^)・そして今年も「七福神巡り」>


こたつ家も目出度く、2005年の正月を迎えた♪

「注連飾り」おめでとう〜(^o^)
そして「おせち」と「お雑煮」。あと「お屠蘇」ねっ(^^)。

「おせち」は丸々注文買い(^^;)。意外と安い(笑)。なもんで、メニューがいつ無くなるかとヒヤヒヤしてたり(爆)。
注連飾りは結構高かった(^_^;)。残りが少なかったのと、新潟の被災地で作られた物だったので選んだのだが、飾ったらエライ迫力でビックリした(笑)。

さて、初詣に出掛ける。
今年(2005年)も初詣は「松戸・七福神巡り」にした。


↑これは前、2004年「9月のたわごと」でも、2003年正月の七福神巡りとして紹介した、福禄寿の「円能寺」。
この日は雪が積もっていて、なかなかの風情だった(^^)。

一方、下の写真は、やはり2004年「8月のたわごと」で紹介した、大黒の「宝蔵院」。
今回のメインは、前に写真を撮り損ねた「サービス満点のワンちゃん」である(笑)。

子供をじっと見る(吠えない)。
エサを貰ったのか確かめる。
我々に気付く(笑)

尻尾フリフリッ!
サービス開始! ガシッ!
よしっ亭主もサービスしちゃる!

泥だらけよっ、この子!(笑)
でもカワイイのよ〜〜〜(≧▽≦)。。ズ・ズ・ズ……とズレてくお手々の跡を、ボテッボテッボテッと黒いコートの袖に残して、何とも名残惜しいけど(ずっとここに居たい気もしたり)、七福神巡りを続行したのだったぁ〜っ(笑)。

でも「松戸・七福神巡り」は前にレポしたので、今回はこれにて(^^ゞ。



<初詣2「神田明神」>

さてさて、だいたい秋ごろに毎年いくここ「神田明神」。2004年の秋には行きそびれたので、年が明けてからお参り。

ここも以前、2005年「3月のたわごと・神田明神」でちょっと紹介したので、正門や本殿は省略(^^ゞ。

本殿の裏側にある「祖霊社」。
本殿の右にある「水神社」

「祖霊社」前は無かった。新しく出来てる(゚.゚)。ここの信者さんのご先祖さまをお祀りするお社だそうだ。
「水神社」は築地魚河岸の人々の守護神として、弥都波能売命(みつはのめのみこと)をお祀りする社。

「小舟町八雲神社」
「大伝馬町八雲神社」

両「八雲神社」とも、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)を祀るお社。「水神社」の隣。そして、そのまた隣には↓。

「江戸神社」
←内、ご神体の「神輿」
獅子舞みくじ

「江戸神社」とその「神輿」は、須佐之男命をご祭神とする、702年の江戸最古の地主神。

右の「獅子舞みくじ」は、本殿の前に設置された機械式のお御籤(^^)。二百円だったか入れると、賑やかな囃子のメロディーとともに、人形の獅子が踊りながらおみくじを咥え、出口からポロと吐き出して渡してくれる。
近くに秋葉原電気街があるので、どっかの機械メーカーが作ったんだろうね〜と、いつも亭主と言っている(笑)。

「神田明神」には、この他にも沢山のお社や施設があって、いまHPを見たら、この時に行ってから、さらにまた何か増えてる感じが……(^_^;)。

お守り類もかなり風変わりなのが多く、中でも「IT情報安全祈願」がいっちゃん変わってるかなっ(笑)。

そうそう、わりとその辺キリがない神社なので(笑)、都度行ったらレポしようかなっと(^。^)。



■3月
<八潮合唱コンサート>


梵天丸さまが作曲と指揮を手掛けられた合唱コンクール。最初に掲示板で「地元の民話、それも戦国時代の話も取り上げた音楽を作っている」という話を聞いてから、「それ、いつやるんですか?」と常々気にかけていた(^^ゞ。

それが、ちょうど出掛けられそうな頃だったのと、その話をたまたま聞きつけたタイミングが良かったものだから、「詳細を教えて下さい〜〜〜!」と頼み込んで教えて貰った(#^.^#)。

ただ……毎度の事ながら、又してもギリギリまで行けるかわからず(^^;)、特に今年は年明け後もダラダラと先が見通せなかったので、「ダメだったら誰かビデオに録っといて、後で見せてくれないかしら」なんて事まで、実は真剣に考えた(爆)。

気を揉んだが、当日は無事に行けた。
八潮は松戸の隣。ちょうどお互い埼玉と千葉の県境にあるため、県は違ってしまうんだが、車で出かければスグ(^^ゞ。
実は近い割に行った事のない地域だったので、未知の開拓にも繋がったりして二重にラッキー☆ミ

ただ残念なんだが……と言うか、「合唱コンサート」なのでこれが当たり前なんだが(^^ゞ、写真では皆さんが整列するだけの姿と、観客に背を向ける梵天丸さまのみがエンエン写っている。遠いのと暗いのでブレちゃうし。。(>_<)


最初は「となりのトトロ」など親しみやすい現代風のアレンジ合唱曲を、途中から男性コーラスや混成コーラスも交え、多種多彩なスタイルで次々と披露。楽しませるプログラムになっていて飽きさせなかった(^^)。


そして、いよいよ「八潮の民話」が始まった。プログラムには、歌に出て来る様々な民話が書かれた小さなパンフも入っていて、先にストーリーを読んでおくと、さらに深く内容を味わえる工夫がされていた(^^)。


前回も「将門神社」などに触れて、印旛沼・手賀沼・利根川・霞ヶ浦について書いたが、松戸の隣の八潮もむかしは水辺に溢れていたらしく、海や川にちなんだ物語が多かった。

宝を積んだ船が沈没し、その宝が今でも土の底から出て来るという話、川の名になぞらえた幼馴染み同志の悲恋物語には、横恋慕して邪魔する男が、氾濫する川を匂わせる。また洪水から村を救うため、他の地域の土手を切った事が原因で袋叩きにあい、呪いながら大蛇になり洪水を呼び起こした男の話など、ファンタジーからリアルな歴史背景の匂う物まで、八潮の民話が次々と披露された。

また、関ヶ原に出掛ける前の家康が地に突き刺した箸が芽を出したので、村人が家康の勝利を知った、という戦国時代にちなんだ民話も登場した。


曲もスローからハイテンポに上りつめる迫力ある物もあれば、いかにも懐かしい日本情緒の匂う物もあり、またコーラスの皆さんが内容をよく解釈されて、歌声を励ましてお話をズンズン盛り上げ、とても楽しかった(^^)。

全プログラムが終了してゾロゾロと会場を出たら、梵天丸さまがたくさんのお客さんに挨拶されてる所に出会えた(^^)。

「来れたよ〜\(>o<)/」と近寄り、一緒におられたぽろぽろ様ともお会いできて、亭主に記念撮影して貰った〜(^^)v。

その後まだ忙しい梵天丸さまと別れて、ぽろぽろ様に亭主の車に乗って貰い、近くの駅までお送り〜♪

帰りの道を車を走らせながら、「おっ、この川はさっきの歌に出て来た川では?」などと、渋滞しがちな橋付近にも、いつになく親しみを感じたり(笑)。



■4月
<常盤平・桜まつり>


さて、今年(2005年)も八柱〜五香の「桜まつり」が開催された。
これは2005年「5月のたわごと」でも紹介した、「日本の道百選」に選ばれた地元「常盤平さくら通り」である。

が……今年については( ̄∇ ̄;)。。

枯れ木よぉぉぉ〜〜〜まだまだっ(爆)。
蕾よぉぉ〜やっと(汗)。。

しかし「提灯」はもうついてるっ。急げっ急いで咲くんだっ、と囃子立てんばかりに(笑)。

そして……まるで一夜漬けで迎えた受験日のように祭りの日はやってきた。。

横断幕もついてるし
神輿も出ちゃってるし。。。

そういや最初に亭主とここを通った時、偶然お神輿が出てたんだよなぁ〜。あれは夏だったような気もするけど、そういや一体どこの祭りだったんだろ。
と、ヨソの国の祭りには顔を出す癖に、自分の地元の祭りが何なのかさっぱり知らないという、テンケー的な「市民」だと気付いてみたり(汗)。。

ハッ、今はそれどこじゃない(・・;)。。サクラ・サクラは……(キョロキョロ)。

うっ、チラ……
ホラ……ううっ。

そうか、一夜漬けで迎えた自分の頭の中もこんな物だったのかもしれない。なのに結果だけ満開を期待するなんて。
今さらながら人間って都合のいい生き物だぁ〜。 ヽ(-_-;)。<そこ「自分って」と言えって。

で、こうなるとあとは、ただもう食うだけ(爆)

左はジャガバタ。
下は炒餅(シャーベイ)。
右は炒餅を焼いてる所。

「シャーベイ」はネットで探すと「シャーピン」「中国風おやき」と書いてる所が見付かる。間に餃子のような具が入った餅皮をペタペタ押して焼き、上から醤油ダレをさっと塗る。

他に「焼きとうもろこし」や……
「フランクフルトソーセージ」など……

次々と屋台を攻略するこたつ夫婦!

たま〜に桜の枝を振り返ると……
あ〜よく空が透けて見えるっ(爆)

「まあ一分咲きってトコかな〜。モグモグ」
「所々1.5分咲きって木もあるかぁ〜? ムシャムシャ」

1.5分咲き……聞いた事無いような(^^;)。。

そして「串カルビ(タレ)」に「串地鶏(塩)」!
さらに「イカゲソにんにく焼き」

この辺りまで攻略すると、だいぶ満腹になって来た(^_^A)。
とは言え、もはや桜でもないから、ちょっと屋台など写してお茶を濁そう。。

←ぬいぐるみだけの屋台。

今年(2005年)は、際立って流行の屋台とか変わった屋台が見付からなかったかなぁ(^^ゞ。

何年か前には「ダンゴ三兄弟」が大流行で、ダンゴが三つ串刺しになった風船人形があちこちの屋台で売られていた。。

又、ここ数年は続けて「歩きワンチャン」を連れて歩く人が見られた。

「歩きワンチャン」それは……まず風船のがあって、これはフワ〜と宙に浮いてしまうので、歩いてるようには見えない。
同じ風船犬でも、下に車輪がついてる物だと地面を歩くが、「ガラガラ」と音がするし真っ直ぐ前に進むので、犬の歩き方とは似つかない(↓写真左)。

一番の優れ物は「スポンジ犬」(↓写真右)で、スポンジを切り抜いただけの犬に細いバネ棒が取り付けられ、バネを持って上下しながら歩くだけで、犬が体を上下左右にゆらしながら「テッテッテッ」と歩き出す、という仕組み(笑)。
上下に動かせるので、人の足元やゴミ箱のそばで立ち上がって匂いを嗅ぐ、なんて動作も妙にリアル(^^ゞ。

日本の屋台に売られるオモチャについては、小泉八雲が「簡素な素材で、動きを忠実に再現する」と絶賛して、数多くの「露店で売られてたオモチャ」を紹介してるが、そうした伝統(?笑)は今も息づいてると見えて、確かにこの「スポンジ犬」については、よぉもこの手の小型犬の動きを特徴的に捉えてるよな〜と感心する。

ホントに日本人には、こういう「おっ」と驚く工芸の才能があるのかも(笑)。

風船犬。首についてる紐を引く。
スポンジ犬。頭の先のバネ棒で動かす。

さてさて、五香を抜けて常盤平にやって来ると、まずは露店広場に集まる「国際色ゆたかな露店」が勢ぞろい。


日頃は滅多に味わえない外国料理のお店のメニューが、この日は気軽に買い食いできるというので、結構なお客の数が始終つめて人気がある(^^ゞ。

露店広場を後にして
常盤平駅前を過ぎ
八柱に向かう道

常盤平駅前では、毎年恒例?(笑)のヌイグルミで仮装した人もいた。今年はトラさん。

そして五香から常盤平へ、常盤平から八柱へ、新形成電鉄に沿って移動する内に、ようやく日が暮れ始め、最後のヤケ食い(笑)を敢行しながら、公園で休息したり近くの店でショッピングしたりしてる内に、とっぷりと夜〜。

「すもも飴」
夜。祭り最後の時間。
お土産の「わた飴」。

桜が咲いてなかった分、前(2005年「5月のたわごと」)ではもう一つレポしきなかった、この祭りのもう一つの見せ所、エンエンと並ぶ屋台にスポットを当ててみた(^。^)。



<桜めぐり(六実・常盤平さくら通り・八柱霊園など>

「さくら祭り」が終わっちゃってから、それでも少しづつ春の気配が強まった(^^ゞ。

よく通る逆井(さかさい・柏市)。ほのぼのと春の基調に染まりつつある。

五香〜八柱の有名な「常盤平さくら通り」の他にも、よく通る桜並木をちょっとご披露。

六実の桜並木通り
道幅が広く、空もよく見える。

↑「六実(むつみ)」は、新京成電鉄に沿って西から、八柱・常盤平・五香、と東に進み、さらにその東にある地域。
新京成の路線は五香を過ぎると南に折れて行ってしまうが、正しく東に進むと、東武野田線の「六実」駅にブチ当たる。

この桜並木は六実の西北の通りにあり、距離は長くないが道幅が広いので、ゆったりと通れる。

途中マンションや商店街など、賑やかな通りになってくる♪

ちなみに「五香」とか「六実」とか、地名に数字がついてるのは、この辺りが開墾された順番から来ていて、開墾された中でも、この「五香」と「六実」は松戸市。他は……

初富(はつとみ)が鎌ヶ谷市
二和(ふたわ)と三咲(みさき)が船橋市
豊四季(とよしき)と十余二(とよふた)が柏市
七栄(ななえ)と十倉(とくら)が富里村
八街(やちまた)が八街町
九美上(くみあげ)が佐原市
十余一(とよひと)が白井市
十余三(とよみつ)が大栄町

開墾が始まったのは、明治2年(1869年)。
つまり、1867年に徳川慶喜が大政奉還して幕府は終わり、武士階級はみんなリストラされた。翌68年から明治となって、路頭に迷った旧幕臣も含めた「窮民」を救済するために新政府が計画。

が、実際に金を出したのは東京の豪商達で、これが後の三井財閥。
大勢の人を集って衣食や住む場所と開墾地を与えスタートしたが、天災・火災、粗食・非衛生・重労働など苦労が絶えず、逃亡者も多く出た。3年ぐらいで開墾会社も解散したという。

が、この地域一帯は、ボンヤリとした歴史や伝承ならあるものの、地域の細々と特定した歴史としては、この開墾による地名こそが「地域の曙」となっている。大事にしていきたい地名だと思う。

また、松戸は「団地」が有名で(笑)、「新興住宅地としても歴史が古い」などと言われるが、その発端が明治とともに……となると、これもある意味「もはや伝統」とも思う(^^ゞ。

さて、「常盤平さくら通り」の今年の桜もちょっとお届けしよう。
でも去年の「さくら祭り」でもやったから、今回はざっとね(^^ゞ。

まずは五香から入り
進んでいく。
途中でちょっと中休み

日当たりがいいのか、六実に比べて咲き加減も早く、道行くたびに満開を超えた花びらがサンサンと舞い散って来た。通る車はみな花びらの衣装をまとい、道路はピンクの絨毯になってる所もあった。

途中で1箇所だけ、祭りを過ぎても4〜5店ばかり露店のある一帯があり、駐車場に入ったら、ちょうど車の隣で「あんず飴屋」さんが飴を作っていた。
亭主はトウモロコシを買いに降り、それを待ってる間、おじさんの芸を写させて貰っちゃった(^^ゞ。

スモモに水飴をつけ
水飴を伸ばしながら
クルクルッと巻き
はいよっ、出来上がりぃっ

以下拡大(笑)。
前に「アンズ飴を見た事がない」という地域の方もいたので、特別に(^^ゞ。


これはスモモ。他にミカンやあんずがある。どれも割り箸に突き刺してあり、水飴をくるめた後は、ひとまず氷の上に置いといて、お客に渡す時に改めて「モナカの皮」に置いて渡す。

さて、あんず飴も食べ終わり、続きを行く。
常盤平駅前を過ぎ……

さらに先に進む。
左に見えて来る「しょうぶ公園」。

常盤平から、今度は八柱方面に向かう。
「ゆりのき通り」に出る

2005年「5月のたわごと」では、ここまでしか来なかった。と言うのも、「さくら祭り」をやる時は、この「ゆりのき通り」までが歩行者天国で、この先は通常通り自動車が走ってるからだ。
が、この先も桜通りじたいは八柱駅までエンエンと続いている。今回は先まで行ってみよう。

こちらはまだよく咲いていた。
この辺りが最後の地点。この先が「八柱」。

毎年だいたいそうなんだが、五香から先に咲き、常盤平、八柱という順番に咲く。散る時も同じ。
こうして見頃が微妙に移ろう点も、この距離の長さに出る毎年の楽しさの一つ。

そして八柱周辺にもちょっとだけ寄り道(^^ゞ。
「さくら通り」に平行して流れる道路に入ると、その先には「八柱霊園」がある。

←八柱霊園に続く道。昔から変わらず、墓石屋さんなど古い店が軒を連ねて風情がある。
↓霊園の中に入ると、遠目に並ぶ桜が見える。

八柱は、新京成電鉄(「八柱」駅)とJR武蔵野線(「新八柱」駅)がクロスして、この辺りではちょっとした交通の要所だが、この武蔵野線の「新八柱」駅が出来る前から地元で有名だったのが、この「八柱霊園」。

敷地が広く、多くの墓を収容できるので、春や秋のお彼岸などは、遠くから来るお墓参りの車で周辺の道路も渋滞する(^_^;)。

また「さくら通り」に並んで桜の名所なので、春は彼岸を過ぎてもお花見客で賑わうし、地元の小学校などは、季節を問わず、遠足の行き場に詰まるとこの八柱霊園に子供達を連れて来ていた(笑)。

霊園には車でも入れるので、正門のある北側から乗り入れ、そのまま園内を一周して、反対側の南門から出る。

すると、そこにも又「さくら通り」がある(^^ゞ。

だいぶ逆光ぎみだが、ここもなかなか美しい(^^)。

というわけで、駆け足だったが、今年の桜レポもこれにておしまい(^^)。

この後は寒い日もぶり返し、一度このように満開に近付いて咲いた桜の残りのツボミが、結構長々と咲いてたりして妙な気象だった。

だいぶ日にちも過ぎてから、例によって石和に出掛けたのだが、山間部で見事な満開の桜に出会えた。毎年石和に出掛ける時期に桜を見る事なんて無かったので、かなりビックリしたものだ(^_^;)。
その後、5月に入ってからも肌寒い日が続き、大葉の種を撒くのを躊躇った程だった。



■5月
<関宿城>


↑この関宿については、次回と2回に分けてお届けしようと思う。

毎年、石和に行った後はテンヤワンヤ忙しく、ゴールデンウィークはギリギリまで予定が掴めず身動きが取れない。
今年(2005年)もご多分に漏れずそうだった(苦笑)。
途中から休みは取れたが、亭主は仕事を持ち帰るし、だいたいくたびれ果てていた(^_^;)。

この頃からである。
亭主が「森林浴が出来る所に行きたい」と言い出したのは(笑)。

「森林といった場所ではないけど、遠くはないし、川原がある感じ」
と私が見繕ったのは関宿である。
「川原っ、いいね〜、ゴロッと寝っ転がれるかな〜」
「そっ、それはどうかな〜。。でも、そゆ場所があったらいいね(^_^;)」

というわけで、ようやく5月3日。所用がてら、今まであまり行った事のないコースに出てみよう、という事で関宿に出てみた。
国道16号を、実際に用があったのは柏までなんだが(^^ゞ、柏を通り過ぎさらに北上。

野田に入った時、チラと目に映ったのがコレ(爆)。
「何だろう」と思う間もなく、道路沿いに案内の看板が見え、すぐに新興宗教の施設だとわかった(^_^;)。。案内版に沿って左折すると……、

ポツと遠くに
天守閣が(^_^;)
駐車場まで来てしまったぁ(笑)。

ネット検索で知ったが、「霊波之光」といって、かなり有名らしい(^_^;)。

さて国道16号に戻る。野田市の最北端まで行くと、この16号線は西……つまり埼玉県に行ってしまう。

千葉県の形を見た事ある人なら、頭にツノでも生えたような格好を思い出せると思う。この西側のツノのテッペンのテッペンまで北上した頂点に関宿城はある。

つまり、ちょっとでも西に行けば埼玉県に入ってしまうし、逆にちょっとでも東に逸れれば茨城県に入ってしまう、という先に行くほど狭い場所である。
それを他県に入らず、あくまでもツノのテッペンを目指すには、16号線を中里で右折し、続きは17号線に入らなければならない。

17号線。ちょっと海辺っぽい雰囲気。
うなぎ屋さんも多く見掛けた(^^ゞ。

「海辺っぽい」とか「うなぎ屋」とか言うのも、関宿の「ツノ」は、つまり埼玉との県境である江戸川と、茨城との県境である利根川の間に差し入れて出来ており、この道を走っていると両側からドンドン川が迫って来て、先が細くなるのが目に見え、陸にいながら「孤島にいる」と実感するからだ(^_^;)。

17号線も先端は行き止まり
突き当たったら右折する。

つまり、利根川よりに一度進む。

すると、左にあくまで千葉県に残る道と、右に利根川を渡って茨城県に突入する道に別れる。これを間違えて利根川を渡ってしまった(^^ゞ。↓

左ガードレール沿いに行くべきを右の土手側に行き
利根川を越す(笑)

「ああああ、こっちは川(橋)だったぁ〜」と気付くのは渡ってから(^^ゞ。ちょっと見通しがきかないんだよな〜ここ。
しかし渡った所に「道の駅」があるから、駐車場に入ってすぐ転回できる。
ちょうどトイレを借りたかったので、そこで一呼吸置いて、すぐカムバック。もう一度橋を渡ると……、

おおっ、右に関宿城が見える!
橋を戻り本コースに入ると、今度は真正面に。

この日の目的は「川原でゴロッと寝っ転がる」事だったが(笑)、そんな場所があるのか検討もつかないし(^_^;)、既に夕方だったから取りあえずお城に先に行ってみる。

わ〜い、お城だお城だっ(#^.^#)。
見取り図

行ってみたら意外と綺麗で整った空間だったので、かなり喜んだ(笑)。
行く前に検索でここを載せてるお城のサイトを探し、城が再建されてる事は知ってたのだが、正直そう期待してなかった(^^ゞ。

←関宿城の天守閣っ♪
江戸城の富士見櫓を模した形だそうだ。道理で何か見たっぽい感じ(^^ゞ。
↓天守閣から右に続く廊下。

この「富士見櫓に模した」というのを最初私は「最近になって再建された時、江戸城が有名だし格好もいいから」だろう、と思ってたら、どうもそうじゃなく(^_^;)、1671年、つまり江戸初期には「富士見櫓を模して一度再建されていた」という事に由来するようだ。

「えっ、そんな大胆な事が……?」と驚いたが、よく考えたらこの関宿城には、徳川家康の母が再婚した先で生んだ子……つまり家康にとって異父弟の松平康元が1590年に入城している。松平氏はその後転移し、小笠原氏、北条氏、牧野氏、板倉氏、久世氏と譜代の大名が代わる代わる入ったので、「家康の身内だから、特別に模す事を許可された」って前事情があったのかは判らなかった(^^ゞ。

で、もちろん今建ってるこの天守閣もさらなる再建で、江戸期に富士見櫓に模して再建されたという城は、1874年つまり明治7年になってから取り壊され、つい10年前の1995年に出来たばっか(^^ゞ。今あるこの城は、ホントに現在の皇居の富士見櫓を参考に作ったというから、今の江戸城(皇居)に似てるのは納得(笑)。

本物の関宿城跡は、ここから500m南にあるらしい。その起こりは松平康元よりさらに古く、古河公方のいた……戦国初期ですな(^^ゞ、古河公方の家来、簗田氏が居城した頃から事績がわかっている。
本物の城跡には今回は行かなかったが、明治以降の江戸川改修工事によって、大部分が河川の一部となってしまった、と案内版に書かれてたから、それでちょっと離れたこちらに再建したのだろう。

ここは「関宿城博物館」と命名され、野田市のHPを見ると「博物館」の括りに入っている。一方「関宿城跡」の方は「史跡」の括りに入って、きちんと区別されていた。

しかし博物館は4時で閉館。この日は時間を過ぎて入れなかったので、庭園の方に入ってみた。
城に面した庭園。
じゃ入るよ〜ん(#^.^#)。

↓入って門を振り返る。庭園の周囲を囲むのは竹林。
ちょうど5月で、竹の子も生えていた(^^)。↓
庭園の手前を飾る枯山水。奥に東屋。→

思ってたより格調高い雰囲気で、ちょっとビックリ(゚.゚)。
今さらながら博物館に入れなかったのが残念だった。今度また来ようと思う(^^)。

枯山水を手前に、庭園をざっと5枚パノラマで。

関宿城(博物館)じたいはこれで終わり(^^ゞ。

次回は「関宿」後半編と、やはりGWに出掛けた日光鬼怒川「東武ワールドスクウェア」をお届けしたい。

<続く>

2005年12月12日
 
     





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