<2010年・城主のたわごと8月>




2010年2〜4月、先月に引き続き日常編(^^ゞ

千葉県の印旛・我孫子・柏・松戸、初春の風景を♪




     
  前回は日常編の2009年9月末〜2010年2月初頭(か1月末かな)をお届けした。今回はその続き。2月から4月末までをお送り〜(^^)。



■2010年2月・千葉県印旛郡
<「房総のむら」レストラン〜印旛沼周辺の夕日>


ある休日、亭主、ふとハンドルを印旛沼方面に切る(笑)。

うなぎロード、進行方向は←こう。(パノラマ4枚・180度以上)

地図A←この辺(^^ゞ。

まずは目当ての「うなぎ」(^。^)。いつも超満員で裏庭に順番待ちの出る「い志ばし」→

いつもはこのルート、これより宗吾霊堂を経て、成田に行く時に通るんだけど、この日は「うなぎ(^。^)」を食べた後、いきなり「房総のむら」に向かってハンドルを切り直す。

なので、いきなり北に行って地図B

到着。「房総のむら」内、「ドラムの里」広場(パノラマ4枚180度)

↑パッと見、打ちっぱなしゴルフ場っぽいけど、屋根は反対側を見ると、↓ぐる〜っと円く周囲をかこんで建物を覆っている。(「房総のむら」については、2006年12月「房総のむら」を、「ドラムの里」については、「房総のむら」内1を)

↑の反対側、建物が3〜4個(パノラマ5枚・180度以上)

左の建物が「情報館」、右の建物が「木もれ日レストラン」、さらに右が「四季彩館」。
レストランを囲んだ左右の建物では、土産(グッズや書籍、地産の食物など)や、展示などをやっている。

展示内容は自然の写真展とか、あと「房総のむら」がよくドラマなどの撮影に使われるので、来た役者さんの記事とかサイン、弁当の写真なんかがたくさん貼りだしてあった。

一般客には同じ場の施設に思えるが、仕切りが別なのか、どうも「房総のむら」と、この「木もれ日レストラン」などのある「ドラムの里」は、別サイトで紹介されてるようだ(^^ゞ。

レストランの中は……↓

「木もれ日レストラン」店内(パノラマ5枚180度以上)

無加工食材を使ったメニューが色々(^^)σ「木もれ日レストラン」メニュー欄

以前、この「ドラムの里」の施設に、名の由来に関する小冊子が置いてあって、正直前は内容にちょっと不満があったんだが、当時はまだ準備が充分じゃなかったのか、今回この「木もれ日レストラン」にはパンフ類が増え、内容も充実していた(゚.゚)。

入ってスグ、段々飾りの雛人形がお出迎え(^^)。そろそろそんな季節だった♪外は寒かったけど、これだけで店内が明るく温かく感じた。
こちらは「成木」と説明書がつけられ、やはり季節物。小正月や初節句の飾り。

「成木」は餅を小さく切って、ヌルデ・エノキ・ヤナギなどに刺し、五穀豊穣を祈願するもので、関東などで「繭玉」、岐阜方面で「花餅」、信州方面で「稲の花」「粟穂稗穂」など、地方によって呼び方・飾り方が様々であるらしい。

ここ「房総のむら」では、こうした行事に使った飾りや民芸品などの作り方を教えたり、作ってみたりしながら、日本の四季の行事を、親しみやすく伝える事に取り組んでいる。

←亭主注文「トンカツ茶漬」!
亭主、うなぎ食べた後なのに、今度はこれを食う(爆)

亭主は、トンカツ茶漬がメニューにある店に入ると、これを頼んで、食べ終わるや「トンカツと茶漬は別に食べる方が美味い」と必ず言うのだ( ̄▽ ̄;)。。
「だったら頼まなきゃいいのに(^_^;)」といつも言うんだが、亭主は勝手に「挑まれている」と思ってるらしい(笑)。

しかし今回は、この店のトンカツ茶漬に亭主が、「これは一緒に食べて美味かった」と、珍しくその存在価値を認めたのだ!(笑)
重要な一品なので、写真を載せさせて貰った(笑)。

帰りは利根川と印旛沼を繋ぐ水系の向こう
夕日を横に見ながら(^^)

地図C←だいたいこの辺を通ったかな〜(^^ゞ。夕日は東京側に沈む事に決まってるけど、水系は、利根川から印旛沼の間を幾筋も通っていて、水辺の向こうに夕日というカッコイイ場面を、ず〜っと見ながら帰って来られるのがイイ(渋滞も無いし:笑)。


「木もれ日レストラン」で貰ったパンフには、「龍角寺」の龍伝説について、特に丁寧に紹介されていた。
「龍伝説」は前に話した通り(^^ゞ。(2006年12月<房総のむら>内2
伝説にあらわれる「龍角寺」「龍腹寺」(印西市)「龍尾寺」(匝瑳市)、全てあわせて、そのうち行ってみたい。

ところで「龍角寺」という地名は、「房総のむら」一帯を含む広い地域を指し、全国的にも有名な「龍角寺古墳群」(2006年12月<房総のむら>内3もあるが、そもそも地名の謂れは、古代の寺の名でもある。

寺の縁起では、709年の創建、731年の「龍伝説」となっているが、考古学的には、さらに半世紀ほど古い600年代後半、すなわち大化の改新の直後から、印波国造氏寺として建立された事が、今では推測されている。
さらに「龍角寺古墳群」も、同氏族の造営と見られる事から、古墳と寺の連続性のある地域として注目されている。


今ちょうど通っているのが、利根川と印旛沼の間の水系地だが、行きに通った印旛沼(うなぎロード(^。^))にある「麻賀多神社」も古い創建伝承をもった神社で、やはり前に、2008年6月<麻賀多神社、2>内で、印波(印旛)国造の事を書いた(^^ゞ。

利根川〜印旛沼に、今も血脈のように通う水系を見ると、古代文明の起こりそうな条件を整えてた土地なのかな(笑)?

以上、関連事項は、
2005年11月<すすきロード(千葉ニュータウン)><うなぎロード(印旛沼〜宗吾街道)>
2006年11月<宗吾霊堂、1>
2006年12月<房総のむら><利根川から印旛沼へ>
2007年1月<印旛沼>
2008年4月<印旛沼〜宗吾〜佐原香取>
2008年5月<千葉ニュータウン〜印旛沼>以降
2008年6月<麻賀多神社、2>内




■2010年2〜4月・千葉県柏市・白井市・松戸市
<旧手賀教会堂>


少〜し春めいて来て、3月ごろ、スーパーに花も並ぶようになった。珍しく自費で買う(笑)。

最初は豪華だが、ジワジワ丈が短くなるの図(笑)。でも紅バラはすぐ枯れちゃったのに、蕾のナデシコが次々と咲いて長く楽しめた(#^.^#)。

さて、お散歩コースは、手賀沼の南岸(沼南)。布瀬あたりにある「旧手賀教会堂」。
車を走らせていて偶然見つけた(^^ゞ。

地図D←詳しくは拡大してね。実は帰って来たら、どう行ったか今イチ自信が無かったんだが、地図つきで紹介してる地元サイトがあって……だから合ってると思うけど(^_^;)。。

場所はわかりにくいけど、内部の写真を載せた、立派な案内板が立ってて、「沼南の歴史をあるく」の「2」に指定されていた。これは地元の観光案内番号で、これまで幾つか紹介した所も(例えば「将門神社」なども)この指定を受けている(^^ゞ。

こんな細い路地(ちょい坂道)沿いにある(パノラマ5枚・180度以上)

江戸時代ご法度だったキリスト教は、明治6年(1973)に信教の自由が保障され、禁制の高札も撤去される。
日本ハリストス正教会(ギリシャ正教=ロシア正教)のニコライ大主教は、北海道の函館で布教活動を開始した。

千葉県には、明治8年(1975)の、船橋市「法典教会」設立に始まり、印西市の大森教会、船穂教会、我孫子市の布佐教会が次々と置かれた。

近くの大森教会で布教を知った手賀・布瀬の人たちも、遅れて布教活動を開始し、明治12年(1979)13人の洗礼を経て、明治15年(1882)には、教会独立の資金のため献金を集い、翌16年(1883)、布教と集会に使用していたこの民家を聖堂(礼拝堂)とした。

それが、この「旧手賀教会堂」である。
今では教会建築としてより、茅葺屋根に目が行くほど純和風だが(笑)、窓が教会独特のデザインだ。壁は漆喰塗り。

禁教が解かれ、キリスト教への信仰が許された明治時代、各地で勃興・再興などの動きがあったハズだが、首都圏の近郊に現存する教会堂としては、これが最古として貴重な建築物と言えそうだ。

関係あるかどうか……、この地域を領した原氏は、禁教となる前の戦国時代末期、確かキリシタンだったと思う。
その後の禁教時代、信者たちが隠れて信仰していたのかなぁ……なんて、ふと思ったり……。

内部については、公開日時が、水・土曜日の午前9時〜午後3時。
それ以外での見学希望は、事前連絡が必要↓
柏市教育委員会生涯学習部文化課 04-7191-7414 文化財担当

公開日時じゃなかったので入れなかったが、かつて内部にあった「聖画(イコン)」は、市指定文化財となり、教会で使用された汁器類とともに、昭和49年、同地区に新築された教会に移し、大切に保管・使用されている。

イコンは「至聖生神女(マリア)」「主全能者(キリスト)」「機密の晩餐」で、作画者について説明されていた。

茨城県笠間市の女流画家、「山下りん」。
明治14年(1881)、ロシアの女子修道院に留学し、イコン製作を学んで帰国すると、神田ニコライ聖堂で製作したイコンを、全国各地の教会に送った。
つまりここのイコン絵は、神田ニコライ聖堂にあると同じ作者の絵なんだねぇ(^^ゞ。



<「常盤平さくら祭り」と、手賀沼までの桜風景>


↑毎度(^^ゞ。4月初旬。「常盤平さくら通り」は八柱・常盤平・五香の3駅に跨る。
「八柱」がわ起点→地図E。「五香」がわ起点→地図F

←常盤平の西友から見た桜通り。餅つきで賑わっていた〜♪
↑韓国料理「トッポギ」

トッポギってどのぐらい一般的かな(^^ゞ。カルビやキムチほどじゃないよね。私も初めて食べた。
中華の辛味っぽいタレが、ハムや餅といった具に絡まってて、青海苔、胡麻がかかってる。
ただ、肝心の餅が和菓子の餅(柏餅とか)みたいな甘っぽい風味で、廻りの味と合ってない感じが……(^_^;)。。

他には……今年は「肉巻きおにぎり」というのが、わりと多かったかな(^^ゞ。


毎年「さくら祭り」はわりとレポして来たので、今年は撮影そっちのけで、鑑賞&食べ歩きを楽しんだ(#^.^#)。

代りに今年は、他の桜風景をお届けしたい(^^)。
松戸から手賀沼まで、柏市を北上しながら、各地の桜風景を見てみよう♪
まずは「藤ヶ谷」あたり(地図G)→

この春は、なかなか桜が咲きそうもない寒さが続き、「さくら祭り」の頃に、一度でドッと咲いた。
が、その後は寒さが戻り、山間部など寒冷地では後から後から開花が続いて、長く桜が見られた(^^)。

これは「藤心」あたり(地図H

「増尾」あたり(地図I

ちょっと東に出ると白井市(地図J)。この辺りの水田が夜雲を移す光景がいいんだわ〜♪



<今井の桜>

白井市に入ったまま、さらに北上すると、「今井の桜」という看板のある一帯がある。地図K

←手賀沼の方向、「今井の桜」↓(パノラマ4枚・180度以上)

↑この横に続く森(土手みたくなっている)辺りから、↑「今井の桜」の小路を見返す。↓

ズラ〜〜ッ!!!(パノラマ3枚ほぼ180度)

拡大
一方こちらは4月後半ごろ

遠くの緑を背景に、ズズーーッと薄ピンクが点々と続く様子は素晴らしい(^O^)。
これを見るため、この土手沿いの道路も、ズ〜ンと渋滞ぎみになる(笑)。

花の季節を過ぎると、グッと華やかさは影を潜めるものの、遠目に「あれは桜並木(゚.゚)」と判る。

所々、並木に近寄れる道があり……
4月後半、水田を渡る橋に変身(^^)

「今井の桜」は、昭和35年(1960)、地域の景観を保つため、緑の羽根による還元資金によって、名内橋から手賀沼まで、約2kmの河川堤に、ソメイヨシノ、八重桜が150本ほど植えられた事に始まるそうだ。

昭和58年(1983)に、千葉県の「美しいふるさとづくり運動」の一環と指定を受け、手賀沼土地改良区・白井支部が管理している。

右上の地図は、さっきの入口(←)にあった案内板で、上部に「今井」があり、そのスグ左に「名内橋」があるので、「桜並木の地図」というより、周囲との位置関係を示したものだろう(^^ゞ。

地図では、緑の中央部が「白井市」で、その外側は字が掠れてるけど、左上(北)に「沼南町(柏市)」、左(西)に「鎌ヶ谷市」、下(南)に「船橋市」、右(東)に「印西町(印西市)」と、だいたいの配置が示される中、左上(北)から右下(南)に16号線が走っている。


←満開の花びら流れる川 ↓4月後半、緑の頃


↑この並木の土手には脇道があるにはあって、橋付近はこのように平らだが、少し行くと、狭く凸凹も激しく草ボウボウで、ちょっと自動車では通れない(^^ゞ。
でもそれがイイのかもしれない。昔ながらの水郷の景観を守るため、この通り、桜の木を植えたという事だからね☆ミ

桜並木を通り過ぎる
水仙に囲まれた田園の墓所

4月後半、土手を越えて進み
道路側から並木を写す

他の入り口(何本かこういう道がある(^^ゞ)から、また土手に近付いてみる。
ここの橋付近には案内板も出ていた→



<手賀沼北岸(我孫子市)の桜模様(^^)>

↑もお届けしよう〜(^O^)。

「今井の桜」とも別れ( ^^)/~
布瀬の交差点(地図L)まで来た

布瀬は下手賀沼の北。柏市に入っている。
ちなみに下手賀沼は、北部の柏市、南西部の白井市、南東部の印西市の、3つの市が境界としている。

東に進むと印西市に行く
北には手賀川(手賀沼の東)

蒼い空青い川、遠目には桃色の桜、下地の黄色い菜の花、水辺に白鳥と典型的な情緒(笑)。

手賀沼の北岸に来た。我孫子市である(地図M)。広い道路から手賀沼がよく見える(^^)。

湖北(北岸)にも桜並木があり、山の桜とのコラボが見もの(^^)

湖のど真ん中を北岸と南岸を渡す、手賀大橋(地図N)を渡ると、橋の上からも桜の花が見れる(^O^)。
北岸がわは、東部は小道があるが、西部は上のように道路が間際を走って、自転車・歩行者は歩道のみとなる。

北岸の西部にも、湖沿いに「北柏ふるさと公園」「手賀沼公園」などがあるにはあるが、南岸がわのサイクリングロードが広々と走れるので、マラソンなどする人は南側でよく見掛ける。ちょっと行ってみよう(^^ゞ。



<手賀沼サイクリングロード>

南岸側に来た(^^ゞ。こっからは手賀沼(湖面)編で、桜の風景は無い(笑)。
また、これまで徐々に春に向かって来たのに恐縮だが、この湖面編には、真冬(2月)の写真など混ざって、GWまでと、スゴイ長期間の写真で綴る(笑)。

南岸東部(手賀曙橋の近く)(パノラマ5枚180度以上)

↑いつも写真に出す「手賀曙橋(フィッシングセンター付近)」(地図O)から、少し奥まって←(西)に進んだ所。前面に湖面が広がっている。

↑の後方は横長の緑地、奥に田園(パノラマ5枚・180度以上)

↑緑地の方にも青い物が見えて、「そっちにも川か湖がある?」と思われそうだけど、これはビニールハウスが空を反射してる色(^_^;)。つまり、こっちは丸々農地。

さらに西に進んでみる。ここは車両通行止めとなっており、通れるのは自転車だけ(^^ゞ。二車線の片方が自転車で、もう片方は歩行道路となっている。

途中に道路から少し離れた土手道がある(パノラマ4枚180度以上)

↑パノラマ続きで、魚眼ぎみになってるのもあるが、こんな風にカーブしてたとも思う。手賀沼の最南端の出っ張り部分に当たったかも?(地図P

で、ここに並ぶ人たちが何してるかと言うと、水鳥を観察したり風景を撮影しているようだ。 土手の向こうは……

こんな風に陸と水路が伸びて、湖の近くまで行ける(パノラマ4枚180度以上)

前進してみる。2月ごろ
同じ場所。4月末

だんだん草が覆い茂って来て、水辺と区別つきにくくなるので、冬しか行けなかったり(笑)。

先端部まで来た。これは2月(パノラマ6枚180度以上)

↑から後方を見る↓同じく2月(パノラマ4枚180度以上)


↑これは3月ごろ。
橋のある入口付近では、高い土手の下に湖があって、白鳥もズームで大きめに撮影するのがやっとなんだが、ここまで足元が水辺に近いと、ホント抱きしめられる距離に白鳥が来る(^^)!

水面を滑って浅瀬まで来ると、ヨチヨチと足を出して歩き、草むらを口ばしで突いたり、土中に顔まで突っ込んで何か探したり(顔を洗ってるのかな)していた。

3月。対岸が島影のように浮かび上がる(パノラマ2枚)

←元の土手に戻って来る。
↑拡大。水路は土手の下も抜けて流れる。土手の向こうはサイクリングロードが続き、その向こうは農地、さらに向こうに車道(今、車が通ってる)。

サイクリングロードをさらに←(西)に(パノラマ3枚ほぼ180度)

↑奥に湖、手前に水田という風景(^^ゞ。この辺は川も水路も農地も多くて、春〜夏は、どこ行っても蛙が鳴く声が聞こえるけど、この水田は春の終わりごろには、特に蛙の泣き声が激しかった!(笑)

さらに←(西)に進んで、少し土手から近い水面(パノラマ4枚180度以上)

ちょうど見晴らし台(?)があるので、登って見下ろす(パノラマ4枚180度以上)

サイクリングロードと言っても、歩きなので時間がかかるし、そうなると近場だから、つい「いつでも来られるしぃ〜(^^ゞ」と、なかなか廻ってみないもんだから、この道程も南岸側のほんの東部だけ(笑)。

でも、こんな風に、水辺に近付ける所もあるので、野鳥の写真を撮りに来る人など、スゴイ本格的な装備で来てるのを見掛ける(^^)。(プロだったり?)

以上、関連事項は、
■手賀沼
2005年11月<将門神社>
2006年8月<まずは逆井の梅から(^^ゞ>
2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>
2007年9月<手賀沼温泉「満天の湯」(爆)>以降
2008年4月<柏市・手賀沼>
2008年5月<年末(^^)>
2008年6月<黄砂吹き荒れる手賀沼>以降
2008年7月<逆井の梅花〜手賀沼(柏市)>
2008年8月<お花見続行(^^)>
2008年11月<千葉県我孫子市「将門神社」(湖北)>および<千葉県我孫子市「手賀沼公園」>
2008年12月本文
2009年5月<古利根川・手賀沼・清遊湖>
2009年6月<手賀沼と発作橋(冬の白鳥)>
2009年8月<日頃の風景(手賀沼)から(^^ゞ>
2009年9月<初夏の布瀬と手賀川(^^)>
2009年12月<柏市「手賀沼」「下手賀沼」>
2010年7月<手賀沼と下手賀沼から、富士山・筑波山を>
■常盤平さくら祭り
2005年5月
2005年12月<常盤平・桜まつり><桜めぐり(六実・常盤平さくら通り・八柱霊園など>
2006年9月<1日目・花と嵐の(笑)「常盤平さくら祭り」@松戸>
2007年7月<常盤平さくらまつり、1>
2007年8月<常盤平さくらまつり、2><六高台の桜と五香の野馬土手>
2007年10月■2007年8月ごろ
2008年7月<六実の桜(松戸市)><八柱〜五香・さくら通り(松戸市)>以降




<松戸運動公園>


↑という名称だが、地図Q←「北松戸」が近い(常磐線の「松戸」駅より一駅先(^^ゞ)。新京成だと「松戸新田」。

室外にはプール、野球グラウンド、陸上競技場、相撲場がそれぞれ広い。
建物は二つあって、要所にトイレ・シャワー・更衣室を完備。
体育館には弓道室・卓球室・体育館の他、トレーニング室・小体育館・多目的室。
武道館には剣道室・柔道室の他、多目的室・会議室・和室などがある。

……が、お伝えするのは、ここでも花模様(爆)。

松戸運動公園」正面をやや斜め側面(パノラマ3枚ほぼ180度)

駐車場がわから↑こう入る。左が武道館(左奥に体育館)、中央の緑の植え込みがある辺りに花壇の広場がある。そこまで行ってみよう。

左前方に野球グラウンド
右手には花壇と駐車場

ここは桜も多いのだが、既に桜の散ってる時期(^^ゞ。
この季節は、桜の後の八重桜の時期に入ってて、野球グラウンドではライトを浴びて、黄昏時や夜目に華やかだった。

隣の武道館の中から野球場の八重桜を撮影(パノラマ3枚ほぼ180度)

←そして、ドドーン!チーバくんだぁぁぁ〜!(笑)
2010年の国体キャラで、森田健作(知事)がテレビに写ると、その背後ポスターによく姿を現す(爆)。
↑左が千葉県の形に沿った「チーバくん」。右がヌイグルミで、ハートを持っている(笑)。ヌイグルミは、受付の窓にあったのを写真を撮ろうとしたら、事務員さんが窓から出してくれた(^^ゞ。

以上、関連事項は、
2009年8月<日頃の風景(手賀沼)から(^^ゞ>




■2010年4月・千葉県松戸市
<北小金「東漸寺」御忌まつり>


「東漸寺」は、松戸の古刹寺として名があるのみでなく、「本土寺」とともに、松戸の戦国時代にとっても、重要な寺と思える。
東葛飾の広大な地域を支配した高城氏の本拠「大谷口城(小金城)」が、これら同じ北小金地区にあり、東漸寺も格式高い寺として、高城氏に重視・保護されていたようだ。

が、今回はそうした東漸寺の歴史を語る事が主旨ではない。
たまたま、この寺の催す「御忌まつり」と道中に遭遇し、運良く写真が撮れたので、祭り行列の写真を届けしたいだけだ(笑)。

地図R←全体図を出すが、詳しくは拡大して貰えば(^^ゞ。

「北松戸」駅前の交差にいる。
奥に見えるのが「北小金サティ」、お侍さんたち通り掛かっている建物が「りそな銀行」。
行列は南方面に(駅を背にして)向かっている。

東漸寺のHPによると、この祭りは、浄土宗の宗祖・法然を神輿に乗せて担ぎ歩くものだそうだ。
高城氏は後北条氏の小田原開城とともに、戦国大名としては歴史から名を消したが、本土寺や東漸寺は、その後も為政者の保護を受けて続いたようなので、江戸期を通してこうした祭りも伝えられ続けたのだろう。

先達・僧侶(楽の音)・裃侍・再び僧侶と続く

そして「稚児行列」! カメラさん一斉に取り巻き!(笑)

東漸寺の隣が「東漸寺幼稚園」なので、そこの児童かも。幼稚園のHPには「稚児行列」が年間行事に含まれていた。

この直後に、法然の座像が神輿に乗って通ったんだけど、シャッターを閉じてしまってて写せなかった(^_^;)。

行列の行き先だろう、南方に向かう道路↑の右に「東漸寺」の門前(地図S)があり、屋台がいっぱい出てて、縁日ムード満載(^^)→

04/25〜27とあるから、GW直前だ。
例年だとかなり忙しい時期だが、今年は少し予定廻りが前後にズレたりしていたかな(^^ゞ。



<八重桜の頃(#^.^#)>


↓前3枚は栗ヶ沢の八重桜(地図T)。後の3枚も、だいたいその周辺(松戸市)。

坂の上「笹塚」交差点
坂の途中

ちなみに「栗ヶ沢」という地名も、初めに高城氏が拠点を持ったとされる場所(栗ヶ沢館跡)で、近くには館の痕跡らしき「殿内」という地名もあるが、具体的な跡地は明瞭ではないようだ。

下り坂にかかる手前
こちらは山桜かな(^^ゞ

↓こちらは、柏市しいの木台のハナミズキ
例年GW前はバカ忙しで、桜はともかく八重桜に目を止める余裕がないが、ここ数年、スケジュールの入れ替えが多く(それだけに、先の予定が立ちにくいが(^_^;))、今年はアチコチで花の写真が撮れた♪

以上、関連事項は(だいたい(^^ゞ)、
2004年8月<寄り道2、広徳寺「高城氏の墓所」>
2004年9月<松戸七福神巡り7、「寿老人=徳蔵院」>内
2006年8月<箕輪城跡>
2007年6月<松戸・大谷口歴史公園(小金城跡)>以降
2007年7月<根木内歴史公園(根木内城跡)、2右廻り>および<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>内
2008年5月<年始(^^)・「松戸七福神」巡り>内
2008年7月<牛久城跡、2>
   〃   <千葉県の動乱vol2>




次回からは、5月(GW)に行った茨城県ツアー。
と言っても一泊二日だが(笑)、まずは初日の筑波山巡りをお届けしたい♪

2010年08月29日
 
     




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