<2010年・城主のたわごと7月>




2009年10月〜2010年2月、前回の続きから、近隣シリーズ。

紅葉・クリスマス・初詣・VTと、一気に冬を駆け抜ける(^^)。




     
  前回で「岩手南部編」も終わって、2009年秋から今年(2010年)の2月ごろのざっと日常編(^^ゞ。
わりと狭い範囲内で細かくやるので、全体的に地図は今回、ほんの少し大きめだけど、さらに詳しくは、それぞれ拡大して貰えれば〜☆ミ



■2009年10月前後・千葉県船橋市
<八幡宮、2>


前回からの続き。地図A
前回、鳥居から階段を上がって、前を塞ぐ社務所っぽい建物の裏の拝殿↓まで来た。

同じ写真。本殿の脇に小道が伸びて各社に通じている(パノラマ3枚)

拝殿の前↑に、「古峰」「疱瘡神」「稲荷」「天満宮」「八幡宮」「妙見」「道祖神」「帝釈天」「駒形」の各社の写真が貼られて、案内されていた。

前回はこれらを、合祀されたか近隣の社群かと書いたが、どうも全部、この丘陵の社だったみたい(^^ゞ。

ここまでで、既に「古峰神社」「疱瘡神」「稲荷」「天満宮」といった各社が分岐していた。
また、表の鳥居には「八幡宮」とあったので、この拝殿(奥に本殿)が「八幡宮」だね(^^ゞ。

「八幡宮」脇の小道を通る時に↓本殿の造りが仰ぎ見れる。塗りの彩色が綺麗だった(^^)。
あとは「妙見・道祖神・帝釈・駒形」だが、小道の突き当たりに、「妙見」「道祖神」の表示板があった→

思うに、上のが「妙見」で、その右から下に降りるウネウネ小道が続いていて、それを降りると突き当たりに、また小さい祠がある↓

↓これね(^^ゞ。「道祖神」かな?(パノラマ2枚)

↑道祖神の右に、さらに下り坂が続いてて、この樹々の合間↑に既に見えてるけど(^^ゞ、下の道路に出られる↓

出た。この対面側にも社がある(パノラマ3枚・ほぼ180度)

「帝釈天王」「駒形神社」と案内板が出ている↑。

←「妙見社(祠)」からの山道と言い、道路に降りる坂道↓と言い、ちょっと冒険っぽい風情がGOOD(^^)。

対岸側、巨樹の裏部分がスゴイ(*o*)!(パノラマ3枚)

社地を裂いて出来たような道路に降り、右に進む。

←振り返る。根の下には殆ど土が無いように見えるが(^_^;)。。

進むと、こっちは竹林→
やはり土がめくれてるが(笑)。

道路挟んで反対側……「八幡宮」や「妙見社」に行く側も、かなり切り立った崖になっている(゚.゚)↓
やがて道は明るみに出て来る(^^)→
出口付近に「南無妙法蓮華経」の石碑があった。
一千部成就の満願記念碑のようで(お経の奉納かな)、「正中山・日賢・八十世」とある。日蓮宗だね(^^ゞ。


↑左の方に出ると↓
元の大きな森の正面道路に出る(パノラマ2枚)

ここは一応、船橋市に入るのだが、近隣住民の感覚としては、「船橋って、もっともっと南の方だよね(゚.゚)」という感じがある。
つまり、この「八幡宮」は、船橋市の中でも突出した北部にあって、殆ど白井市や印西市などと同じ北緯なので、ここに船橋市が伸びてると知って、ちょっと驚いた(笑)。



■2009年10月〜2010年2月・千葉県柏市・松戸市
<街路樹の紅葉(#^.^#)>


大雑把に、10月〜年末までの紅葉を(^^ゞ。殆どが松戸市。

「たいわんふう通り」の台湾楓(地図B
左に「21世紀の森と広場」西部(地図C

近くには、「あめりかふう通り」というのもある。

この「ふう」を、「台湾“風”」「アメリカ“風”」と読んで、「台湾(アメリカ)っぽい通り」って意味かと思ってたら、「松戸市」の紹介してる「知ってる?並木の名称」に、そういう「勘違い」をよくされる、といった事が書いてあった(笑)。

実際は各々「台湾楓」「アメリカ楓」のようで、「楓の種類(産地とか?)」なんだろうね(^^ゞ。
漢和辞典で調べると、「楓」の訓読みは、確かに「ふう」だった(笑)。
↓「21世紀の森と広場」の中央を抜ける道(地図D
常盤平(駅前)「けやき通り」(地図E)→

やはり「松戸市」の「主な並木通り一覧」に、これら「たいわんふう通り」「けやき通り」↑「さくら通り」↓の他にも、松戸の並木通りが載ってるよ(^^)。

特に、上の「常盤平けやき通り」↑は、新しく「新・日本街路樹百景」に選ばれたそうだ(^^ゞ。

紅葉→2008年4月<松戸市・「常盤平」駅前「けやき通り」>
雪景色→2006年7月<雪の八柱霊園>

これより行く「常盤平さくら通り」↓は、「日本の道百選」に選ばれている事で有名だ。

八柱〜常盤平〜五香「常盤平さくら通り」

「さくら通り」の「八柱」がわ起点→地図F。「五香」がわ起点→地図G

いつもは春の桜花を楽しむ通りも、真っ赤に色づいていた(^^)
(パノラマ2枚)

(パノラマ2枚)

地図H←これのみ柏市。やはりいつもは春、梅の花を楽しむ通り。

すっかり冬景になって、椎茸など売られ、冬支度の様子に、こちらもホノボノとお家のコタツが恋しくなった(^^)。

こちらは281号線。この辺りだったかと→地図I。銀杏の黄色が眩しく光っていた(^^)。

以上、10月〜12月にかけて、順番通りに出したから、徐々に冬が深まる様子をお届け出来たと思う。

が、去年も言った通り、実はこの紅葉、この下に出すクリスマスのイルミネーションと同時期なんだな(^_^;)。。



<クリスマス・イルミネーション>

↑は、11月の終わりごろから年末にかけて(^^)。

まずは、手賀沼の冬の夜をギンギラギンに照らす、日帰り温泉、「満天の湯」から(笑)。地図J

正面(手前は駐車場)

左サイド・入口の門
右サイド・市場や足湯。雪だるまも♪

足元に青々と満ちる光の絨毯が、豊富な天然温泉を思わせる(^^)。

以後は例年通り、地図は出さないが、パパーッとクリスマスの風景を(^^ゞ。


ビルの端に飾り付けられたイルミネーション↓目線を高い所に釘付け。


発光ダイオードの青と雪ダルマやサンタが多くなった(^^)。

個人的には、登りサンタ(エントツに向かって、だろう:笑)が大好きだが、ソリやトナカイに乗ってるサンタや、プレゼントの入った袋を担いでるサンタも、「可愛いな〜(^^)」と思う♪


以上、関連事項は(だいたいのトコ(^^ゞ)、
2005年3月<松戸21世紀の森と広場>
2006年7月<雪の八柱霊園>
2007年6月<クリスマスの街角(^^)>
2008年4月<松戸市・「常盤平」駅前「けやき通り」>
2008年5月<年末(^^)>
2009年6月<紅葉とクリスマスが同時に訪れるの図(笑)>




<初日の出とお正月(^。^)>

↑てわけで、いよいよ年明け。

11月頃の満月
一方、これは大晦日の月

写真では今イチ違いが出ないが、実は大きさと言い、色と言い、すごく違う(・・;)。。
大晦日の真夜中(殆ど夜明けの頃だったが)には、真っ黄色でデカイ、強烈な光線を放つ満月が出た。

あまりの光の強さに、表に出て月光を浴びた時は一瞬、夜中の道路工事とかに出るサーチライトが、すぐ近くから照らされてるのかと思った程だ(苦笑)。

この満月の反対側には、早くも元旦の日の出の気配が現れ↓、これが又、物凄い真っ赤でビックリさせられた!
地面が炎上したような、真夏の夜明けのようでもあるが、とんでもない寒さだった(*o*)。

何はともあれ、明けましておめでとう(^O^)。

どこもそうだろうが、リーマンショックだかも加わって、ウチも年々家計が苦しい(爆)。
よって、今年はおせちやめようかとも思ったが、各家庭事情を逸早く察したのか、年々値上がり傾向にあったおせちセットも、品数や量を落して安い商品が出ていた(笑)。

元日の綺麗な品揃えに比べ
2〜3日目からは雰囲気のみ(爆)

何の事はない、日頃のお惣菜が代わりに入って来るだけなんだが(笑)、こういう食品からして、年末年始になると異様な高値になるんだわ(^_^;;)。。。

野菜や肉といった原材料からして便乗値上げするもんだから、もぉ来年からは、缶詰・カップラーメン・ビタミン食材・乾パンなど、長期保存食品(ってか非常食だね(^_^;))で正月を過ごそうかな〜なんて(爆爆)。



<松戸七福神で初詣>


↑毎年マンネリで恐縮(^^ゞ。どうも年末年始にあまり余裕が無くて。。
まずは八柱、「寿老人」の「徳蔵院」(地図K)から。

左側が寺。駐車場から一度坂を降り
また坂を上る途中左手に登り階段
実は右の写真は2004年の使い回しだったり(爆)↑

この「徳蔵院」、長く放置された時代もあったが、今の住職さんが入ってからは、年々どんどん整備されて、2007年には「本堂」が新造、2009年には↑の階段下に「子育地蔵」が建てられていた(^^)。

その階段の途中から、左の建物に入る通路があって……↓

横長の庭園を散策できる(^^)(パノラマ4枚・180度以上)

階段をさらに登ると、今も言った、2007年完成の「本堂」が正面にそびえる。

「本堂」の隣に「藤塚稲荷」↓という配置

↑スイマセン実はこの写真も、2007年6月に使った写真を転用(爆)。
と言うのも、今年(2010年)は、この「藤塚稲荷」(国府台合戦、戦没者供養の祀)が、新たに……

↓こんな風に二社に増築されてたの(゚.゚)。
奥に新造(再建)されたお社は「金毘羅堂」→

このほどは、説明版も出されていた(゚.゚)。
これまでも「藤塚稲荷」(手前の社)については、ここで出された本や、住職さまに聞いたお話を元に書いて来たが、正式に出された記述の方が良いので、これまでと重複する内容もあるが、出してみよう。

まずは、これまでも何度か出した「藤塚稲荷」について。
えと……これまで、これを「藤稲荷」と書いたページもあったので(「藤」と書いたのもあったり(^_^;)。。)、数日前に訂正してある(詳しくは「更新歴」を(^^ゞ)。

当山はおよそ600年前の室町時代に、下総国分寺住職の隠居寺として創建されたと伝えられている。戦国時代の二度にわたる国府台の合戦や豊臣氏の小田原北条氏攻めにも被害を被ったと思われる。
新京成八柱駅北口ロータリー際にある藤塚稲荷社の由来は、表立ってお墓を作ることが許されなかった、それらの合戦で負けた兵士の亡き骸を葬ったものであり、稲荷社を祀り、その側らに藤の木を植えて塚をカムフラージュしていたと言われている。
昭和47年より始まった八柱駅周辺の区画整理により、稲荷社の敷地も半分の50坪とされ、駅前ロータリー際に移設されるにあたり、本宮徳蔵院の境内に祀ることになり、仮宮現地に残す事になった次第である。

国府台合戦(1538年・1564年)だけでなく、その後の小田原合戦(1590年)にともない、豊臣氏と北条氏の間に行なわれた争いの戦没者の墓所……という点も加わって詳しい。
さらに「藤塚」の名の謂れまで書かれていて、地元民として嬉しい(^^)。
八柱駅に残った「仮宮」については、2006年7月<八柱「藤塚稲荷」>を。

次に、今回新たに再建された「金毘羅堂」について。
金毘羅堂は何時建てられたか不明ではあるが、昔、境内の南崖上に、間口三間奥行二間半のお堂が設けられていた。金毘羅様は航海と水の神様として古くから信仰されているので、南側の崖下は、昔、東京湾よりの入り海だったと推察される。建立当初は航海の安全を祈る処であり、入り海が埋め立てられ田んぼとなってからは水の神として信仰され続けてきたと思われる。
昭和20年2月25日、アメリカの爆撃機が松戸飛行場に飛来し、爆撃した時の流れ弾が、金毘羅堂裏の大木黒松に落ちた為、金毘羅堂は大破した。その時、お堂の中に寝泊りしていた及川幸子・陽子姉妹、高橋まさ とその子供男女二名、南崖下の四郎兵衛家、染谷きち の計6名が犠牲となった。
戦後64年経った今、大破後に残った手水鉢と鳥居に掲げる額を用いて此の度金毘羅堂を再建し、犠牲となった6名の供養をして、その慰霊をするものである。
尚、再建されたお堂は、日暮 飯沼喜一氏の寄進によるものであり、感謝の意を表するものである。
平成21年8月10日 現住 良信記

「金毘羅堂」の再建とともに、戦争中、そのお堂に寝泊りしていた所を、空襲を受けて亡くなった家族の慰霊も兼ね、新たに祀っていた。
戦没者供養の歴史を、今でも受け継いでいるお寺の姿勢に感動した(^∧^)。

境内の南崖に、昔は海があったという話も、しばしば聞いていたが、そこに航海神を祀る「金毘羅堂」が在った、という点は初耳(^^)。
松戸駅近くの「相模台城跡」に行った時も、やはり高台に金毘羅神の祭祀を見付けた(2009年9月<相模台城跡>内)ので、国府台一帯の水神として、「金毘羅」が信仰された事がハッキリしてきた感じがして、嬉しかったな〜☆ミ

さて、「徳蔵院」でだいぶ場所を取ったので(笑)、同じ八柱の、お次「福禄寿」の「円能寺」(地図L)は飛ばさせて貰い(^_^;)、さらに「弁財天」の「華厳寺」(地図M)も、入口に毎年、正月にたなびく吹き流しのみ→

この光景が正月早々なんとなく目出度い(^^)

「毘沙門天」の「医王寺」(地図N)入口(パノラマ3枚・ほぼ180度)

玄関口から入ると、「七福神」はじめ御朱印やお札・お守などが頂ける(^^)。その右には、美味しい甘酒が振舞われている(^。^)。
……ちなみに本堂や毘沙門天の鎮座ましますのは、←ズ〜ッと左ね(笑)。

戦国時代の高城氏の本拠・「大谷口城」跡に近い、ここ北小金「弁天=華厳寺」「毘沙門=医王寺」は、今回はこれのみだが(^^ゞ、正月の後、すぐ近くの「香取駒形神社」を訪れたので、下の方で又出そう(^O^)!

そして「恵比寿」の「金蔵院」(地図O)は、いつも細い路地に面した参道から入るが、5号線に面した側には大きな看板が出ている(^^)↓ 境内の小川と渡り橋→

「金蔵院」にも新たに(と思う(^^ゞ)、寺に伝わる「飯綱信仰」の説明碑が出されていた。
「金蔵院」は、七福神では「恵比寿」を祀っているが、寺のご本尊は「不動明王」で、これが伝承によると、「飯綱不動尊」であるという。

この飯綱不動尊の話も初耳だったので書こう(^^)。
まずここの飯綱不動尊は異形で、顔は天狗、二つの翼と火炎を背負い、右手には剣、左手に縄を持ち、足下に白狐を踏む姿をしていた。

文政(1818〜1829年)ごろ、恒例の御開帳をしようとして見たら、このご本尊が無くなっていた(・・;)。。
仕方なく代りを作って代用したものの、その後30年以上も修験者奉賢が留守居となって円寺に住し、茂左衛門という村人達と共に加持祈祷を行ない、盛んにご帰還を祈った。
すると、文久元年(1861年)の夜、お告げがあったので、一同が集まり本堂に篭って祈ると、翌夜半過ぎ、大震動と戸外で大音響があり、庭の榎の梢の上に不動尊がかかっていた。

通常、神様や異形主の霊譚と言うと、スゴイ霊力でもって「何かをしてくれる話」が多い中、この話は「居なくなって戻って来た」だけの話の割に、妙に迫力をともなっている(^_^;)。

特に、よくある「以後、何々を祈ると効能がある」とか、「何々の神仏として信仰されている」という追加事項が一切無い所に、何だか余計スゴイ存在感を感じてしまう(笑)。
「無事かえる」とか、「紛失物の発見」など祈るのが普通だろうが、「長年の行方不明者」とか、「時効間際の犯罪」「回収不能な金」など、長期化した問題に有効な気もする(^_^A)。

お次は「布袋」の「善照寺」(地図P)。松戸駅に近い、敷地の狭いお寺だが、境内には、昔のだろう、本堂の「鬼瓦」が置かれていた。→

お次は最後、「大黒」の「宝蔵院」(地図Q)だが、これも松戸駅に近い(金町駅の方が近いかな)……つまり県境・江戸川の近くなので、東京都も近く、ちょっと入り組んでて車通りも多いけど……(^^ゞ。

通りに面した壁の上には……
おおお!大黒さんが!

↑左の写真、背景と混ざって見えにくいかもしれないが、大黒さんが等間隔に点在して乗ってるのがわかるかな(笑)。

大黒(さらに拡大)
入口の「お勉強幸せ地蔵」
サービス犬・健在!(笑)

「お勉強幸せ地蔵」というのは……真言宗だから弘法大師にあやかったのかな〜(^^ゞ。
メガネをして本を開いてる所が現代風で面白いよね(笑)。

そして毎年お馴染み、「サービス犬」に今年も会えたんだけど、いつもの定位置に居なかったの(;_;)。
七福神のご朱印を頂く時に、お伺いしたら、お寺の方も「はいはいはい(^^)」と、よく心得ておられるご様子で(笑)、庫裡を出られ、墓地の中を通って、裏庭にご案内下さった(わざわざっ(≧▽≦))。

「病気なのかな(;_;)」と心配したが、どうも首輪の綱が切れてしまったらしく(笑)、それで奥に連れてっただけみたい。行くと、「フンフンフン!」と鼻を鳴らして近寄ってくれた。

ただ近寄り過ぎと元気良過ぎで、何枚撮ってもブレブレ!(笑)
まだまだ元気そうで良かった(^O^)。

お正月の晴れた夕空(^^)

というわけで、今年も初詣、完了。
良き一年でありますように(^∧^)(って今年も、半年以上過ぎたけど:爆)

以上、関連事項は、
2004年8月全文
2004年9月全文
2005年12月<お正月(^^)・そして今年も「七福神巡り」>
2006年7月<八柱「藤塚稲荷」><松戸オマケ・各所、風雲名物(笑)>
2007年6月<松戸七福神巡り><松戸・大谷口歴史公園(小金城跡)><高城氏について>
2008年5月<年始(^^)・「松戸七福神」巡り>
2009年6月<今年も年始は「松戸七福神めぐり」から>

2009年9月<相模台城跡>内



<手賀沼と下手賀沼から、富士山・筑波山を>

↑のみ、9月末〜1月いっぱい、かなり長い期間の風景をお届け(^^)。

毎年、秋〜冬にかけて、この風景のお届けが増える(笑)。
やはり年末年始を囲んで忙しいので、遠出もできず、近場ドライブになりがちだからだが、その一方、「冬は見晴らしがイイ」という点も言える(^^ゞ。

関東地方は山が無いので、周囲を見渡すとなると、高層ビルという事になるが、これは都会に多い(笑)。
手賀沼のように、昔ながらの自然が残ってる場所は貴重な反面、草が多くて見通しが効かない。

あと大気が澄んで、遠くの富士山(南)や筑波山(北)がよく見えたりするのも、冬が多い(^^ゞ。

まずは、地図R←手賀沼・手賀川から、下手賀沼への分流・下手賀川「発作橋」付近から。

白鳥が大勢(^^)。9月末ごろ。
こっちは年越して1月(^^ゞ。

地図を拡大して見て貰うとわかるが、人が通るような小さい橋↑がある。その左に↓

車も通れる「発作橋」・東向き(パノラマ5枚・180度以上)

反対側、西向き(パノラマ5枚・180度以上)

この、ガラ〜ン!と広い田園地の、南(西向き写真↑の左側)には夕暮れ時に富士山が、北(西向き写真↑の右側)には特に朝方に筑波山が見える(^^ゞ。

南西・富士山のシルエット
北東・筑波山のシルエット

筑波山は、そんなに遠くないから、わりといつでもよく見えるが、富士山はさすがに1月とかだけかな〜(^^ゞ。もっと高い所からだとよく見える場所もあるけど、やっぱそれもよく晴れてないとね……。

秋の筑波山
冬の筑波山
筑波山を正面に向かう道路

筑波山を正面に見るのは、地図S←282号線、下手賀沼の東端あたりに向かって北進する方向(^^ゞ。
他の色んな所から見えるけど、ここだと正面なので、撮影の猶予が取りやすい(笑)。

あと、この辺りは下手賀沼の南側で、印西市に入っており、長閑で広々とした風景が楽しめるコース(^^)。地図T
昔この辺りも水上で、あの山々は島だったのかな〜なんて思う(^^ゞ。 下手賀沼の水面→

手賀沼(湖)・手賀川(我孫子市と柏市の境)の方にも行ってみよう(^^ゞ。

手賀川、9〜10月ごろ(パノラマ4枚・180度以上)

近寄ると、風に揺れるさざ波と……
(さらに拡大)小舟が岸辺に見える(^^)

地図U←そして、湖の東端「曙橋」のあたり↓

湖面を白鳥がスイスイ〜♪
拡大

黒い水鳥サン達(^^)
北岸の方にも来てみよう

↑右の交差点は、地図V←手賀沼公園の入り口で、木陰の合間から、陽光に煌めく湖面が見える(^^)。
この道路、→カドをこっちに曲がって入ると……、

車を走らせながら脇に湖水が見られる(^^)

歩道もあるよ(^^ゞ。湖水の反対側は……↓

道路を隔て、丘陵に沿って住宅が立ち並ぶ

さしづめ、手賀沼ヒルズってトコかな(^^ゞ。この段々状で毎日、広〜い湖が見られるんだね〜☆ミ

この辺りは、多くの文化人が邸宅や別荘を構え、自然の景観を愛した。
中でも、いわゆる「白樺派」の文人たちが多かったので、この道路沿いの、ちょいとハイカラ雰囲気な食料品店では、「白樺カレー」という、レトロな雰囲気の地元商品が売られている!



<高柳・逆井(柏市)>

↑単に、手賀沼から松戸に帰って来るコースだが、こっから先は、1月以降の写真のみ(^^ゞ。



この道、この通り、帰りに見事な夕日を浴びて、空にたなびく雲なんかイイ感じなのだ。

夜など、月と霧が同時に出る事もある。
広い沼地が近いから、夜になると冷えて、大量の雲が空を覆い、辺りは真っ暗なのに、夜空を写す水田のみ真っ白に輝いて、雪でも積もってるのかと思う事もある(^^ゞ。

以上、関連事項は(だいたいのトコ(^^ゞ)、
2005年11月<将門神社>
2006年8月<まずは逆井の梅から(^^ゞ>
2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>
2007年9月<手賀沼温泉「満天の湯」(爆)>以降
2008年4月<柏市・手賀沼>
2008年5月<年末(^^)>
2008年6月<黄砂吹き荒れる手賀沼>以降
2008年7月<逆井の梅花〜手賀沼(柏市)>
2008年8月<お花見続行(^^)>
2008年11月<千葉県我孫子市「将門神社」(湖北)>および<千葉県我孫子市「手賀沼公園」>
2008年12月本文
2009年5月<古利根川・手賀沼・清遊湖>
2009年6月<手賀沼と発作橋(冬の白鳥)>
2009年8月<日頃の風景(手賀沼)から(^^ゞ>
2009年9月<初夏の布瀬と手賀川(^^)>
2009年12月<柏市「手賀沼」「下手賀沼」>




<香取駒形神社(松戸市)>

地図X←さっき初詣で行った「松戸七福神」の中で、北小金にある「華厳寺(弁財天)」「医王寺(毘沙門天)」のスグ近く(^^ゞ。
「幸田」と言われ、松戸でも古い史跡が集中している地域だ。

利根川周辺は、広範囲が水流に含まれるが、縄文時代の遺跡が残ってるので、古くから陸地だった事がわかる。
また、「過去帖」が地域史料として注目される「本土寺」や、七福神の寺の中でも「華厳寺」などは、鎌倉時代にはあったと伝わり、戦国期の「大谷口城跡」(高城氏本城)「広徳寺」(高城氏菩提寺)といった名所も近い。

隣の公園に入って神社の正面を撮影した。神社にしては珍しく、城壁っぽい塗壁に囲まれるので(^^)。
ちなみに、隣のこの公園じたいは、「幸田貝塚」という縄文時代の竪穴式住居の跡地であるようだ(^^ゞ。

階段を登り鳥居をくぐると、正面が拝殿
奥の本殿は道路からも見える(^^)

この「香取駒形神社」は、「古代より之の地に祀られて数多くの人々の尊崇を集めた」とあり、祭神を、「経津主命」と「御神馬」としていた(まんまだね(^_^;))。

が、社殿は明治の初期に作られたようで、それより前について……例えば神社の創建由緒とか伝承などは、特に記載されてなかった(^^ゞ。
明治には、「幸田」の氏子が取得した水田や山林から得られる所得によって、祭祀や村の諸行事が賄われていたようだ。

その社殿も老朽化にともない、1982年に改築が行なわれた記念の碑が建てられていた。

さらに、「香取駒形神社」にも、隣の公園「幸田貝塚跡」にも、「時代の要請」とか「世の様の移り変りに従って」という表現があって、1982年に改築する10年も前に、「幸田貝塚」跡を公園とする事も含めた計画に、県知事の許可が降りてる事から、戦後の宅地ブームに従って、現在の区画となるに至ったのだろうと推測する。

つまり著しい開発の波に遭ってだろう、地権者の協力も得て、社有地や共有地の一部を売却したり、氏子の寄付金などを元手に改築に漕ぎ着き、今日の形を得ているようだ(^^ゞ。
←↑境内は広くはないが、「幸田氏子中」によって、「大杉神社」が祀られ、巨木が天に高く聳え立っていた。
ウチ辺りではわりとアチコチでよく見る(確か麻賀多神社にもあった)が、茨城県に本宮があるとも聞くね(^^ゞ。

寒い1月の空が暮れて、ほのぼのと宵闇が迫ると、鳥居のちょうど上を、枯れ木の合間から、テカッと白い月が出た(^^)。

さて、以後は街中の風景と言うか……、

以上、関連事項は、
2008年6月<麻賀多神社、2>内




<オマケ(^.^)>

↑にしておこうか(笑)。

バームクーヘンとか
ワッフルとチョコレートマフィン

ドトール(常盤平・地図Y)の店頭に出ていた、布地で作った贈答用の洋菓子セット(#^.^#)。
バレンタインデーが近かったのだと思う。つまり2月の入りバナだったかと。

ドトールはよく行く店が三店ほどあるが、常盤平のは、前もケーキの縫いぐるみ(布地仕立て)が置かれてた。器用な人がいるんだろうね(笑)。

お菓子の話が出たついでに……、

「源吉兆庵」(八ヶ崎・地図Z
「TAIRA(たいら)」(地図a

歴史は繰り返す。又々、ウチあたりで、源氏平氏が縄張りを競い合ってる気配っ(爆)。

「たいら」はピラフの美味しい地元の喫茶店だが、「源吉兆庵」は……やはり歴史の前例に従い、進出するや急成長を遂げ、わりとアチコチで店舗を見掛ける(^_^;)。。
しかも確かこの和菓子屋、「鎌倉・源吉兆庵」というんだよね(笑)。

以上、関連事項は(だいたい)、
2002年6月本文内(かまめしクン)
2006年4月<仙石原「湿生花園」>内(喫茶メニュー)
2006年8月<箕輪城跡>欄外(フェルトケーキ)
2009年1月<スイーツ・タイム(^。^)>(折り紙ケーキ)




次回も、引き続き日常編。
4月までは確実に行けると思うが、5月に入れるとして、ミニ旅行で行った茨城県レポに入れるかどうか……といった所かな〜と……(>_<)。。

旧デジカメがいよいよダメらしく(TOT)、この頃、写真を二台のカメラで撮るもんだから、先の見通しを見るのに、あっちもこっちも見なきゃイカンのが大変(笑)。

2010年07月31日
 
     




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