前回で「岩手南部編」も終わって、2009年秋から今年(2010年)の2月ごろのざっと日常編(^^ゞ。 わりと狭い範囲内で細かくやるので、全体的に地図は今回、ほんの少し大きめだけど、さらに詳しくは、それぞれ拡大して貰えれば〜☆ミ ■2009年10月前後・千葉県船橋市 <八幡宮、2> 前回からの続き。地図A 前回、鳥居から階段を上がって、前を塞ぐ社務所っぽい建物の裏の拝殿↓まで来た。 同じ写真。本殿の脇に小道が伸びて各社に通じている(パノラマ3枚)
拝殿の前↑に、「古峰」「疱瘡神」「稲荷」「天満宮」「八幡宮」「妙見」「道祖神」「帝釈天」「駒形」の各社の写真が貼られて、案内されていた。 前回はこれらを、合祀されたか近隣の社群かと書いたが、どうも全部、この丘陵の社だったみたい(^^ゞ。 ここまでで、既に「古峰神社」「疱瘡神」「稲荷」「天満宮」といった各社が分岐していた。 また、表の鳥居には「八幡宮」とあったので、この拝殿(奥に本殿)が「八幡宮」だね(^^ゞ。
思うに、上のが「妙見」で、その右から下に降りるウネウネ小道が続いていて、それを降りると突き当たりに、また小さい祠がある↓ ↓これね(^^ゞ。「道祖神」かな?(パノラマ2枚)
↑道祖神の右に、さらに下り坂が続いてて、この樹々の合間↑に既に見えてるけど(^^ゞ、下の道路に出られる↓ 出た。この対面側にも社がある(パノラマ3枚・ほぼ180度)
「帝釈天王」「駒形神社」と案内板が出ている↑。
対岸側、巨樹の裏部分がスゴイ(*o*)!(パノラマ3枚)
↑左の方に出ると↓ 元の大きな森の正面道路に出る(パノラマ2枚)
ここは一応、船橋市に入るのだが、近隣住民の感覚としては、「船橋って、もっともっと南の方だよね(゚.゚)」という感じがある。 つまり、この「八幡宮」は、船橋市の中でも突出した北部にあって、殆ど白井市や印西市などと同じ北緯なので、ここに船橋市が伸びてると知って、ちょっと驚いた(笑)。 ■2009年10月〜2010年2月・千葉県柏市・松戸市 <街路樹の紅葉(#^.^#)> 大雑把に、10月〜年末までの紅葉を(^^ゞ。殆どが松戸市。 近くには、「あめりかふう通り」というのもある。 この「ふう」を、「台湾“風”」「アメリカ“風”」と読んで、「台湾(アメリカ)っぽい通り」って意味かと思ってたら、「松戸市」の紹介してる「知ってる?並木の名称」に、そういう「勘違い」をよくされる、といった事が書いてあった(笑)。 実際は各々「台湾楓」「アメリカ楓」のようで、「楓の種類(産地とか?)」なんだろうね(^^ゞ。 やはり「松戸市」の「主な並木通り一覧」に、これら「たいわんふう通り」「けやき通り」↑「さくら通り」↓の他にも、松戸の並木通りが載ってるよ(^^)。 特に、上の「常盤平けやき通り」↑は、新しく「新・日本街路樹百景」に選ばれたそうだ(^^ゞ。 紅葉→2008年4月<松戸市・「常盤平」駅前「けやき通り」> 雪景色→2006年7月<雪の八柱霊園> これより行く「常盤平さくら通り」↓は、「日本の道百選」に選ばれている事で有名だ。 八柱〜常盤平〜五香「常盤平さくら通り」
「さくら通り」の「八柱」がわ起点→地図F。「五香」がわ起点→地図G。 いつもは春の桜花を楽しむ通りも、真っ赤に色づいていた(^^)
が、去年も言った通り、実はこの紅葉、この下に出すクリスマスのイルミネーションと同時期なんだな(^_^;)。。 <クリスマス・イルミネーション> ↑は、11月の終わりごろから年末にかけて(^^)。 まずは、手賀沼の冬の夜をギンギラギンに照らす、日帰り温泉、「満天の湯」から(笑)。地図J 正面(手前は駐車場)
足元に青々と満ちる光の絨毯が、豊富な天然温泉を思わせる(^^)。 以後は例年通り、地図は出さないが、パパーッとクリスマスの風景を(^^ゞ。
個人的には、登りサンタ(エントツに向かって、だろう:笑)が大好きだが、ソリやトナカイに乗ってるサンタや、プレゼントの入った袋を担いでるサンタも、「可愛いな〜(^^)」と思う♪ 以上、関連事項は(だいたいのトコ(^^ゞ)、 2005年3月<松戸21世紀の森と広場> 2006年7月<雪の八柱霊園> 2007年6月<クリスマスの街角(^^)> 2008年4月<松戸市・「常盤平」駅前「けやき通り」> 2008年5月<年末(^^)> 2009年6月<紅葉とクリスマスが同時に訪れるの図(笑)> <初日の出とお正月(^。^)> ↑てわけで、いよいよ年明け。
写真では今イチ違いが出ないが、実は大きさと言い、色と言い、すごく違う(・・;)。。 大晦日の真夜中(殆ど夜明けの頃だったが)には、真っ黄色でデカイ、強烈な光線を放つ満月が出た。 あまりの光の強さに、表に出て月光を浴びた時は一瞬、夜中の道路工事とかに出るサーチライトが、すぐ近くから照らされてるのかと思った程だ(苦笑)。
どこもそうだろうが、リーマンショックだかも加わって、ウチも年々家計が苦しい(爆)。 よって、今年はおせちやめようかとも思ったが、各家庭事情を逸早く察したのか、年々値上がり傾向にあったおせちセットも、品数や量を落して安い商品が出ていた(笑)。
何の事はない、日頃のお惣菜が代わりに入って来るだけなんだが(笑)、こういう食品からして、年末年始になると異様な高値になるんだわ(^_^;;)。。。 野菜や肉といった原材料からして便乗値上げするもんだから、もぉ来年からは、缶詰・カップラーメン・ビタミン食材・乾パンなど、長期保存食品(ってか非常食だね(^_^;))で正月を過ごそうかな〜なんて(爆爆)。 <松戸七福神で初詣> ↑毎年マンネリで恐縮(^^ゞ。どうも年末年始にあまり余裕が無くて。。 まずは八柱、「寿老人」の「徳蔵院」(地図K)から。
実は右の写真は2004年の使い回しだったり(爆)↑
この「徳蔵院」、長く放置された時代もあったが、今の住職さんが入ってからは、年々どんどん整備されて、2007年には「本堂」が新造、2009年には↑の階段下に「子育地蔵」が建てられていた(^^)。 その階段の途中から、左の建物に入る通路があって……↓ 横長の庭園を散策できる(^^)(パノラマ4枚・180度以上)
階段をさらに登ると、今も言った、2007年完成の「本堂」が正面にそびえる。 「本堂」の隣に「藤塚稲荷」↓という配置
↑スイマセン実はこの写真も、2007年6月に使った写真を転用(爆)。 と言うのも、今年(2010年)は、この「藤塚稲荷」(国府台合戦、戦没者供養の祀)が、新たに……
このほどは、説明版も出されていた(゚.゚)。 これまでも「藤塚稲荷」(手前の社)については、ここで出された本や、住職さまに聞いたお話を元に書いて来たが、正式に出された記述の方が良いので、これまでと重複する内容もあるが、出してみよう。 まずは、これまでも何度か出した「藤塚稲荷」について。 えと……これまで、これを「藤森稲荷」と書いたページもあったので(「藤塚」と書いたのもあったり(^_^;)。。)、数日前に訂正してある(詳しくは「更新歴」を(^^ゞ)。
国府台合戦(1538年・1564年)だけでなく、その後の小田原合戦(1590年)にともない、豊臣氏と北条氏の間に行なわれた争いの戦没者の墓所……という点も加わって詳しい。 さらに「藤塚」の名の謂れまで書かれていて、地元民として嬉しい(^^)。 八柱駅に残った「仮宮」については、2006年7月<八柱「藤塚稲荷」>を。 次に、今回新たに再建された「金毘羅堂」について。
「金毘羅堂」の再建とともに、戦争中、そのお堂に寝泊りしていた所を、空襲を受けて亡くなった家族の慰霊も兼ね、新たに祀っていた。 戦没者供養の歴史を、今でも受け継いでいるお寺の姿勢に感動した(^∧^)。
この光景が正月早々なんとなく目出度い(^^)
玄関口から入ると、「七福神」はじめ御朱印やお札・お守などが頂ける(^^)。その右には、美味しい甘酒が振舞われている(^。^)。 ……ちなみに本堂や毘沙門天の鎮座ましますのは、←ズ〜ッと左ね(笑)。 戦国時代の高城氏の本拠・「大谷口城」跡に近い、ここ北小金「弁天=華厳寺」「毘沙門=医王寺」は、今回はこれのみだが(^^ゞ、正月の後、すぐ近くの「香取駒形神社」を訪れたので、下の方で又出そう(^O^)!
「金蔵院」にも新たに(と思う(^^ゞ)、寺に伝わる「飯綱信仰」の説明碑が出されていた。 「金蔵院」は、七福神では「恵比寿」を祀っているが、寺のご本尊は「不動明王」で、これが伝承によると、「飯綱不動尊」であるという。 この飯綱不動尊の話も初耳だったので書こう(^^)。
通常、神様や異形主の霊譚と言うと、スゴイ霊力でもって「何かをしてくれる話」が多い中、この話は「居なくなって戻って来た」だけの話の割に、妙に迫力をともなっている(^_^;)。 特に、よくある「以後、何々を祈ると効能がある」とか、「何々の神仏として信仰されている」という追加事項が一切無い所に、何だか余計スゴイ存在感を感じてしまう(笑)。
お次は最後、「大黒」の「宝蔵院」(地図Q)だが、これも松戸駅に近い(金町駅の方が近いかな)……つまり県境・江戸川の近くなので、東京都も近く、ちょっと入り組んでて車通りも多いけど……(^^ゞ。
↑左の写真、背景と混ざって見えにくいかもしれないが、大黒さんが等間隔に点在して乗ってるのがわかるかな(笑)。
「お勉強幸せ地蔵」というのは……真言宗だから弘法大師にあやかったのかな〜(^^ゞ。 メガネをして本を開いてる所が現代風で面白いよね(笑)。 そして毎年お馴染み、「サービス犬」に今年も会えたんだけど、いつもの定位置に居なかったの(;_;)。 七福神のご朱印を頂く時に、お伺いしたら、お寺の方も「はいはいはい(^^)」と、よく心得ておられるご様子で(笑)、庫裡を出られ、墓地の中を通って、裏庭にご案内下さった(わざわざっ(≧▽≦))。 「病気なのかな(;_;)」と心配したが、どうも首輪の綱が切れてしまったらしく(笑)、それで奥に連れてっただけみたい。行くと、「フンフンフン!」と鼻を鳴らして近寄ってくれた。 ただ近寄り過ぎと元気良過ぎで、何枚撮ってもブレブレ!(笑) まだまだ元気そうで良かった(^O^)。 お正月の晴れた夕空(^^)
というわけで、今年も初詣、完了。 良き一年でありますように(^∧^)(って今年も、半年以上過ぎたけど:爆) 以上、関連事項は、 2004年8月全文 2004年9月全文 2005年12月<お正月(^^)・そして今年も「七福神巡り」> 2006年7月<八柱「藤塚稲荷」><松戸オマケ・各所、風雲名物(笑)> 2007年6月<松戸七福神巡り><松戸・大谷口歴史公園(小金城跡)><高城氏について> 2008年5月<年始(^^)・「松戸七福神」巡り> 2009年6月<今年も年始は「松戸七福神めぐり」から> 2009年9月<相模台城跡>内 <手賀沼と下手賀沼から、富士山・筑波山を> ↑のみ、9月末〜1月いっぱい、かなり長い期間の風景をお届け(^^)。 毎年、秋〜冬にかけて、この風景のお届けが増える(笑)。 やはり年末年始を囲んで忙しいので、遠出もできず、近場ドライブになりがちだからだが、その一方、「冬は見晴らしがイイ」という点も言える(^^ゞ。 関東地方は山が無いので、周囲を見渡すとなると、高層ビルという事になるが、これは都会に多い(笑)。 手賀沼のように、昔ながらの自然が残ってる場所は貴重な反面、草が多くて見通しが効かない。 あと大気が澄んで、遠くの富士山(南)や筑波山(北)がよく見えたりするのも、冬が多い(^^ゞ。 まずは、地図R←手賀沼・手賀川から、下手賀沼への分流・下手賀川「発作橋」付近から。
地図を拡大して見て貰うとわかるが、人が通るような小さい橋↑がある。その左に↓ 車も通れる「発作橋」・東向き(パノラマ5枚・180度以上)
反対側、西向き(パノラマ5枚・180度以上)
この、ガラ〜ン!と広い田園地の、南(西向き写真↑の左側)には夕暮れ時に富士山が、北(西向き写真↑の右側)には特に朝方に筑波山が見える(^^ゞ。
筑波山は、そんなに遠くないから、わりといつでもよく見えるが、富士山はさすがに1月とかだけかな〜(^^ゞ。もっと高い所からだとよく見える場所もあるけど、やっぱそれもよく晴れてないとね……。
筑波山を正面に見るのは、地図S←282号線、下手賀沼の東端あたりに向かって北進する方向(^^ゞ。 他の色んな所から見えるけど、ここだと正面なので、撮影の猶予が取りやすい(笑)。 あと、この辺りは下手賀沼の南側で、印西市に入っており、長閑で広々とした風景が楽しめるコース(^^)。地図T。
手賀沼(湖)・手賀川(我孫子市と柏市の境)の方にも行ってみよう(^^ゞ。 手賀川、9〜10月ごろ(パノラマ4枚・180度以上)
地図U←そして、湖の東端「曙橋」のあたり↓
↑右の交差点は、地図V←手賀沼公園の入り口で、木陰の合間から、陽光に煌めく湖面が見える(^^)。 この道路、→カドをこっちに曲がって入ると……、 車を走らせながら脇に湖水が見られる(^^)
歩道もあるよ(^^ゞ。湖水の反対側は……↓
道路を隔て、丘陵に沿って住宅が立ち並ぶ
さしづめ、手賀沼ヒルズってトコかな(^^ゞ。この段々状で毎日、広〜い湖が見られるんだね〜☆ミ この辺りは、多くの文化人が邸宅や別荘を構え、自然の景観を愛した。 中でも、いわゆる「白樺派」の文人たちが多かったので、この道路沿いの、ちょいとハイカラ雰囲気な食料品店では、「白樺カレー」という、レトロな雰囲気の地元商品が売られている! <高柳・逆井(柏市)> ↑単に、手賀沼から松戸に帰って来るコースだが、こっから先は、1月以降の写真のみ(^^ゞ。 この道、この通り、帰りに見事な夕日を浴びて、空にたなびく雲なんかイイ感じなのだ。 夜など、月と霧が同時に出る事もある。 広い沼地が近いから、夜になると冷えて、大量の雲が空を覆い、辺りは真っ暗なのに、夜空を写す水田のみ真っ白に輝いて、雪でも積もってるのかと思う事もある(^^ゞ。 以上、関連事項は(だいたいのトコ(^^ゞ)、 2005年11月<将門神社> 2006年8月<まずは逆井の梅から(^^ゞ> 2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢> 2007年9月<手賀沼温泉「満天の湯」(爆)>以降 2008年4月<柏市・手賀沼> 2008年5月<年末(^^)> 2008年6月<黄砂吹き荒れる手賀沼>以降 2008年7月<逆井の梅花〜手賀沼(柏市)> 2008年8月<お花見続行(^^)> 2008年11月<千葉県我孫子市「将門神社」(湖北)>および<千葉県我孫子市「手賀沼公園」> 2008年12月本文 2009年5月<古利根川・手賀沼・清遊湖> 2009年6月<手賀沼と発作橋(冬の白鳥)> 2009年8月<日頃の風景(手賀沼)から(^^ゞ> 2009年9月<初夏の布瀬と手賀川(^^)> 2009年12月<柏市「手賀沼」「下手賀沼」> <香取駒形神社(松戸市)> 地図X←さっき初詣で行った「松戸七福神」の中で、北小金にある「華厳寺(弁財天)」「医王寺(毘沙門天)」のスグ近く(^^ゞ。 「幸田」と言われ、松戸でも古い史跡が集中している地域だ。 利根川周辺は、広範囲が水流に含まれるが、縄文時代の遺跡が残ってるので、古くから陸地だった事がわかる。 また、「過去帖」が地域史料として注目される「本土寺」や、七福神の寺の中でも「華厳寺」などは、鎌倉時代にはあったと伝わり、戦国期の「大谷口城跡」(高城氏本城)「広徳寺」(高城氏菩提寺)といった名所も近い。
この「香取駒形神社」は、「古代より之の地に祀られて数多くの人々の尊崇を集めた」とあり、祭神を、「経津主命」と「御神馬」としていた(まんまだね(^_^;))。 が、社殿は明治の初期に作られたようで、それより前について……例えば神社の創建由緒とか伝承などは、特に記載されてなかった(^^ゞ。 明治には、「幸田」の氏子が取得した水田や山林から得られる所得によって、祭祀や村の諸行事が賄われていたようだ。 その社殿も老朽化にともない、1982年に改築が行なわれた記念の碑が建てられていた。 さらに、「香取駒形神社」にも、隣の公園「幸田貝塚跡」にも、「時代の要請」とか「世の様の移り変りに従って」という表現があって、1982年に改築する10年も前に、「幸田貝塚」跡を公園とする事も含めた計画に、県知事の許可が降りてる事から、戦後の宅地ブームに従って、現在の区画となるに至ったのだろうと推測する。
以上、関連事項は、 2008年6月<麻賀多神社、2>内 <オマケ(^.^)> ↑にしておこうか(笑)。
ドトール(常盤平・地図Y)の店頭に出ていた、布地で作った贈答用の洋菓子セット(#^.^#)。 バレンタインデーが近かったのだと思う。つまり2月の入りバナだったかと。 ドトールはよく行く店が三店ほどあるが、常盤平のは、前もケーキの縫いぐるみ(布地仕立て)が置かれてた。器用な人がいるんだろうね(笑)。 お菓子の話が出たついでに……、 歴史は繰り返す。又々、ウチあたりで、源氏と平氏が縄張りを競い合ってる気配っ(爆)。 「たいら」はピラフの美味しい地元の喫茶店だが、「源吉兆庵」は……やはり歴史の前例に従い、進出するや急成長を遂げ、わりとアチコチで店舗を見掛ける(^_^;)。。 しかも確かこの和菓子屋、「鎌倉・源吉兆庵」というんだよね(笑)。 以上、関連事項は(だいたい)、 2002年6月本文内(かまめしクン) 2006年4月<仙石原「湿生花園」>内(喫茶メニュー) 2006年8月<箕輪城跡>欄外(フェルトケーキ) 2009年1月<スイーツ・タイム(^。^)>(折り紙ケーキ) 次回も、引き続き日常編。 4月までは確実に行けると思うが、5月に入れるとして、ミニ旅行で行った茨城県レポに入れるかどうか……といった所かな〜と……(>_<)。。 旧デジカメがいよいよダメらしく(TOT)、この頃、写真を二台のカメラで撮るもんだから、先の見通しを見るのに、あっちもこっちも見なきゃイカンのが大変(笑)。 2010年07月31日 |
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