<2005年・城主のたわごと3月>



2003年9月〜12月。いっきにレポアップ(^^)。

松戸「21世紀の森と広場」、東京「神田明神・根津神社」、そして名古屋のお土産っ♪





     
  ■9月
<松戸21世紀の森と広場>

いつ行ったんだろうか(爆)。
千葉県は松戸市の自然公園である。
ここは近いし、しょっちゅう行くから、写真を見ても「懐かしい」とも感じないが(笑)、この写真は、たぶん2003年9月か10月ごろではないかと(^^ゞ。

この大層な名を聞くと、幼少の頃からこの辺りを知ってる身としては思わず笑ってしまうが、ここが野鳥の生息区として、今や多少名の知られた場となったのは、そういやいつ頃からだっただろうか……。

昔は「千駄堀」と呼ばれる、辺り一帯沼地であった。

子供の頃、ザリガニを取りに行こうと友達に誘われたり、沼に子供が溺れたとかいう話もチラホラ聞いたし、実際この周辺でだいぶ遅くまで遊んで大人を心配させたこともあった。

松戸は新興住宅地として古くから注目を集めて宅地化が進んだため、昔ながらの豊かな自然と生態を維持(研究)する目的にあわせ、市民のいこいの場として作られたのだろう。 平成5年(私ら夫婦は東京に住んでたが)、この「21世紀の森と広場」としてオープンしたという。

内部はとんでもなく広い(笑)。そのうち一度ちゃんと見取り図でも出してレポしたいと思うが、見てお分かりの通り、ここは「公園」というより「大自然そのもの」って感じもする(笑)。

内部の仕切りを大まかに分けると、南西部に「つどいの広場」「みどりの里」「縄文の森」「松戸市立博物館」。
北西部に「千駄堀(湖)」「自然観察舎」「自然生態園」「四季の山野辺(野草園)」。
東部に「木漏れ日の森」「光と風の広場」。
南東部は建物のみで「森のホール21」「県立西部図書館」という配置。

下の写真は、南西部「みどりの里」だが、ここだけでも結構な範囲を持つ。
いちど奥に入り込んでから、公園の中央に戻って来る経路をお見せしたい。


↑これは茶屋(蕎麦屋)のある辺りから周囲を写した。一面のすすき野原。
これを左方向に進むと、前方に小道が始まる。↓


この小道の先は拓けていて、↓


↑こんな感じ。右から左に進んでいく。中央のやや大きな山が「縄文の森」。 この辺りで止まって前を見ると、↓


↑周囲は田畑。奥にチョコチョコ見える建物が公園中央の管理事務所(とカフェテラス)。ちなみに中央にいるのはこたつ亭主(笑)。
ここから後方(来た方角)を振り返ると、↓


すすきの合間に、さっきまでいた↑茶屋の屋根が見える。

一部だけでもこういう感じだから、全区域あわせれば相当な広さがあるが、日曜日などは大勢の家族客が来て、どの広場もそれなり賑わっている。

特にこの「みどりの里」は子供連れに人気が高い。
と言うのも、この風景を見て「へぇ〜松戸ってこんな田舎の風景に溢れてるんだ」なんて思ったら大間違いで(笑)、周囲は家々が見事に建ち並んでいる。東京ほど「ギュウギュウ詰め」ではないものの、ビルやマンションも激増して、こんな長閑な風景の中、ノンビリとザリガニだか魚とたわむれる場所なんか、今はもう無い。

他の広場はもうちょっと公園チックに芝生や花壇が広がっていて、ここほど昔ながらの風景を保ってる所は無い。それが「みどりの里」の人気の理由という感じがする。



■10月
<神田明神>


千代田線で言うと、松戸方面(北)から来て、
「根津」→「湯島」→「新御茶ノ水」→ 「大手町」の順番に駅が並ぶ。以後、この地域を行ったり来たりする。

神田明神は、東京も東京、大都会のど真ん中にある。路線は千代田線だと「新御茶ノ水」、JRでは「御茶ノ水」から、徒歩5分ぐらいの距離と言えようか。
また近くが電気街として有名な秋葉原というのもあって、商売繁盛などを祈願する参拝客が常に来ている。

毎年だいたい秋頃になると、この神田明神を参拝している。
この2003年は、ちょうどのりちゃんが大阪からこちらに出向いて来られたので、お参りを兼ねてお会いした。

ジャーン。神田明神本殿。
狛犬の前でカシャッ(笑)。

右の写真は、左がのりちゃん、右がこたつ城主。

こたつ城主は若い頃、この御茶ノ水の病院に入院してたことがある。
退院が近付いた頃、軽く外出して体を慣らしてみようかという事になり、近くのここ神田明神によく来ていた。
それ以来と言えばそれ以来、その前にも高校の頃は、よくこの御茶ノ水を経由して学校に通っていたため、1〜2度ぐらい来てたかもしれない。

亭主がさんざん撮影してくれてたが……
→途中からのりちゃんが撮影してくれた♪

主祭神は、これまた有名になったが「平将門」である。
何をもって有名になったかと言うと、近年では映画「帝都物語」ではなかろうか(笑)。
平将門の怨念を呼び起こし、関東大震災を起こす魔人と、これを防ぐべく大正時代の著名人(と想像上の人物達)が、互いに風水の力を駆使して闘う、という筋のSF映画であった。
この神田明神の境内も映画には出て来た。

しかし将門が地震を起こす神かどうかは、むろん判らない(笑)。
かつては祠を動かすと祟るとは言われていたようだ。 この御茶ノ水のすぐ近く、千代田線で言えば、隣が「大手町」であるが、この大手町に首塚があるのは有名で、反乱を起こした罪によって征伐された将門は、京でその首を晒されたが、その首が遠くこの関東まで飛んで来て落ちたという。その場所が、この首塚の由緒と伝わっている。

神田明神の正門
門には玄武の彫刻が色鮮やかに
入門してすぐ脇に大黒

上の写真は、本殿を仰ぎ見る前に通る正門と、門を入ってすぐ脇に鎮座する大黒さん。
門は最近新築し直され、色も造詣もとても立派になっているが、四方四神(青龍・白虎・玄武・朱雀)は、以前から掘り込まれていた。 今は色がすごく鮮やかでとても豪華になった。

ここも何度も来すぎていて(笑)、今さらどれを書いたらいいのか迷うが(^^ゞ、この時は城主の一押しで、この門を出てすぐのお汁粉(しるこ)屋さんに連れていった。
ここの餡蜜がメッチャ美味い!
と案内する予定だったが、甘い物の苦手なのりちゃんなので、一口賞味して貰うにとどまった(^^ゞ。

この甘味処、確か地下で麹を作ってると前テレビで亭主が見たそうだ。
天然の水でも湧くのかもしれない。
こないだスカパー時代劇専門chで再放送された、30年前の「大奥」を見てたら、この神田明神のお祭りに行くために、宿下がりをする大奥の女達の話をやっていた。
江戸時代も、このように身分の上下を問わず多くの参拝客が訪れて、大層賑わったに違いない。



<根津神社>

その後、私達は特にこれといって予定も無いので、のりちゃんにはウチの車に乗って貰い、「じゃ近くの神社でも廻るか」と思いつくままに根津神社に向かう。

社内の由緒書きにはご祭神を「須佐之男命・誉田別命・大山咋命・御相殿・大国主命・菅原道真公」とあるが、菅原道真を祀る湯島天神が、すぐ近くの「湯島」にあるせいか、あるいは単に受験勉強を気にしてか、私の周囲には、菅原道真を祀ってるとだけ思ってる人が多かった気がする(笑)。
古くはヤマトタケルがスサノオを祀るために創始。その次は太田道灌が江戸築城に際して社殿を奉献。
そして江戸時代、5代将軍徳川綱吉が、将軍後継が家宣(6代)に決まった時、その親であり、自分には兄である綱重の江戸屋敷のあった場に、藤堂・浅野・毛利といった諸侯に普請を命じて、現存にいたる華麗な建物(社殿・唐門・楼門・透塀など)を作らせた。
続いて6代将軍に就任した家宣も祭礼を執行し、いまもこの「例祭」は、「山王祭」「神田祭」と並んで「江戸三大祭り」と言われる。

楼門
唐門
社殿の脇

季節がら日暮れも早く、又ここに来るまで一通やら右折禁止やらが多くてなかなか近寄れず(苦笑)、だいぶ暗くなっちゃっが(^_^;)。
でも境内を歩くうち、ふと「ここは?!」という場所に行き会った。

それが「乙女稲荷神社」
両側を真っ赤な鳥居がズラッと並ぶ

「これって確か……ドラマでヘルンさんが日本に来たばかりの頃、参拝して喜んでいた鳥居の群れでは?」
と私は言った(笑)。この変な表現は、
「『日本の面影』という、小泉八雲の生涯を描いた80年代のNHKドラマで、小泉八雲の役に扮していたジョージ・チャキリスが、撮影のために訪れた神社の鳥居の群れでは?」
が正しい表現だろう(^_^;)。

ただこの時は「すごい似てるなぁ」とは思いつつ、確信は無かった。
だもんで家に帰って『日本の面影』の台本(というのがウチにはある:笑)を見た所、そこにはただ「東京の神社を歩くハーン(小泉八雲)」としか書いてなかった。
が、その本の巻頭に載ってるドラマシーンの写真の中に「根津神社」という立て札が見付かったので、ようやく「確定」となった(笑)。

だからジョージ・チャキリスは間違いなく来た( ̄^ ̄)。
(まぁ八雲も東京に長く住んでたから、一度ぐらいは来ただろう:笑)

実は神田明神からここ根津神社に来るのが遅れた理由は、道路事情も関東の日暮れ時間もあるのだが、もう一つの理由が、「神田明神のしるこ屋で、小泉八雲談義に熱中していたから(爆)」というのがある。
ここに来る前後、掲示板でも八雲の話を長くしていた。
上の3名は全員このドラマを見ていたし、ちょうどこの日はこの話で盛り上がったため、すご〜くタイムリー(あくまでも内輪で:笑)だったのだ。

「こういうのを神様のお導きと言うんだよね(^^)」なんて言いながら(違っ)。



<神保町>

夕食時になった。何か食べて行こうという話になり、蕎麦なんかどうだろうという話も出たが、あまり頼りにならない東京案内人(笑)である我々夫婦は、「じゃ神田の“やぶそば”か、こないだ神保町で見つけた“へぎそば”の店かなぁ」と嘯く。

“へぎそば”は確か新潟あたりのお蕎麦で、実は私も三軒茶屋で食った事があるだけだ。
それにどっちかと言うと、“やぶそば”の方が伝統も古く、「神田と言えば」ってな店なんだが、何かこう「たらふく食う」という感じの店じゃないし、「それよか“へぎそば”の店を知っといた方が、このあと何かと便利」とかいう我々の一方的な嗜好で、のりちゃんは神保町に連れ込まれる(笑)。→

発想が安易だった割に、ここの天ぷらも蕎麦もなかなか美味で値段もまぁまぁ。きっとこの辺りも、神田と根津の神様のお陰に違いない(^^ゞ。

夕飯が終わると、のりちゃんを東京駅まで送り、そこでバイバイ(^^)/。



<東京>

我々はその後も「せっかく東京まで来たしぃ(^^)」とか、いかにも田舎っぺな事を言いながら(笑)、付近をちょこちょこドライブ。
ちなみにこの「東京(駅)」とは、前の千代田線で言うと、「大手町」に近いと言うか、殆ど大手町と東京は同じ場所って気もする(^^ゞ。

江戸城を取りまくお濠端の周辺までやって来た♪

下は、濠に架かる橋を渡っている所。
根津神社にいた時間より夜が更けているが、前の真っ暗の写真(あれもかなり明度を上げたから、実際にはもっと真っ暗(^^;))と比べてもわかる通り、何しろかように明るい(^^ゞ。
が、それも見ての通り、街灯の力ではなく、ビルで働く人がつけてる電気と、下を通る車の灯りが殆どだから、東京という町を「眠らない都市」と称する人がいるが、多くの人が「リレーによって眠らせない都市」だと感じる。

下の夜景は皇居外苑、和田倉濠の噴水広場。奥に見える建物はパレスホテル。


江戸城は太田道灌の創築(1457)、北条氏滅亡(1590)の後、徳川家康が居城とし、2代秀忠、3代家光にわたり、西の丸、北の丸を増設。外郭も整備され、江戸城の総構が完成。
維新後は皇居となり、お濠の地域が「国民皇居外苑」として一般に開放され、北の丸地域が加わった。



■10〜12月
<名古屋のお土産♪>


さて、この10月ごろから亭主が何度か名古屋に出張し、帰って来るたびに「美味しいお土産(^。^)」が我が家では満喫された(笑)。

その1・「赤福」

ご存知「赤福」の包み紙(笑)
中の箱
蓋をあける(^。^)

−−−−−−−−−−−−−−−−−(^。^)−−−−−−−−−−−−−−−−−

●その2・「うなぎパイ

包み
ジャジャ〜ン夜のお菓子

−−−−−−−−−−−−−−−−−(^。^)−−−−−−−−−−−−−−−−−

●その3・「なごやん

2個買ってきた(笑)
蓋を開ける
名所案内だ
キティの「なごやん」

−−−−−−−−−−−−−−−−−(^。^)−−−−−−−−−−−−−−−−−

●その4・「21世紀出陣弁当

これはちょっと説明がいるな(^^ゞ。
戦国時代に武将が縁起を担いで杯を酌み交わしたのにちなみ、21世紀の門出を祝う弁当として考案。東海道新幹線の駅弁として売られる。

竹の皮の箱
パカッ。わ〜いお弁当〜(^O^)。
コンニャクの田楽

「ぶりの照り焼き」「パイ貝の旨煮(“ホラ貝”を象る)」「こんにゃくの味噌田楽(“出陣旗”を象る)」(写真右)「しそ薩摩揚げ」「鶏の唐揚」「香り卵」「野菜の炊き合わせ(里芋・椎茸・蓮・ごぼう・人参・ひたし豆)」「栗の甘露煮(勝ち栗)」「昆布巻き(喜ぶ)」「小女子(こうなご)の佃煮」「おにぎり(ひじき・ゆかり)」「漬物」の12品目。1000円。

−−−−−−−−−−−−−−−−−(^。^)−−−−−−−−−−−−−−−−−

●その5・「ゆかり(えびせんべい)」

えびせんべい「ゆかり」
愛知県東海市荒尾町甚造
包み
「えびせん」だよ〜ん♪

かくして七福神巡りで明けた2003年も、宜しく暮れていったとさ♪

2005年03月18日
 
     







ホーム