<2012年・城主のたわごと1月>



2011年8〜9月、近隣レポ続投(笑)。夏の風物と空模様。

東京「神田明神」。そして東北レポ第一弾だよっ(^O^)!




     
  日常&近隣レポだけで通算5回目(^_^;)。震災の余波もあって、晩春〜夏は超多忙となり、GWの後も結局、夏休み(実際には秋の初め)まで旅行らしい遠出もなく過ぎた。

なので今回、最後の方で、もう2011年秋の北関東〜東北編に入る(^^)。
9月に2010年の秋・北関東〜東北編をやったばかりだから、4ヶ月で1年分が経っちゃった事になるが(^_^;)、2010年は山陰レポも入って遅れが出たから(出費も多かったし:汗)、丁度良く帳尻が合って来た、とも言える(笑)

このたびの北関東〜東北編は、台風に行き会って雨ばかり(^_^;)。。例年に比べて見せ場に乏しくなった上、後ろに行くほど湿気でカメラがダメになる場面が多く、ちゃんとレポにならない点も多いが、それでも4回は行くかな(^^ゞ。



■8〜9月・千葉県北西部・東京都
<ニョキニョキ歩き雲>


↑と言っても、ここんとこ何かと話題にする「変わった雲(異常気象っぽい異様な)」とはだいぶ違って、ひたすら「ひょうきんな光景」だが(笑)、珍しくはあったので(^。^)。

場所は、まだまだ千葉県だよ(^^ゞ。だいたい柏市。最後だけ印西市に出る。

←ニョキニョキ地を這うように移動する雲の行列。
スゴイ長い時間、ズーッと同じ並びで、殆ど形も変わらぬまま、凄い遠距離に渡って見られた。

ちなみに、この道路の右の敷地は、「海上自衛隊・下総航空基地」。
夕〜夜にかけ、ライトが幾つも点灯したり、休日など、フェンス外から見てる人も見る。航空機ファンの人達かな(^^ゞ。

地図A。「下総航空基地」内
道は東に向かってる(ニョキニョキ雲方面)

↑左の写真1枚だけニョキニョキ雲が写ってないのは、違う日だから(^^ゞ。季節はだいたい同じ頃だけど。

地図B。東の坂の下に見える雲行列
地図C。だいぶ北上。やっぱ東向き。

一方、北の方にも……
(拡大)同じような雲がニョキ!(笑)

この日は、こうした動物のような形の雲が、地平線のアチコチに、形を変えたり、見えたり見えなかったりしつつ出没していたが、東方の行列だけがズーッと消えずに、ますます濃くなって移動していた(笑)。

手賀沼に到達した後も、東方面に右折して、手賀川沿いに雲を追い掛けた。↓

川土手の脇道を行く
道が橋の高さに上がり、左に川が見える

さらに進む。左は手賀川の土手。(パノラマ2枚)

途中、上にたなびく雲が中間の雲の頭部に合体(笑)(パノラマ2枚)

蒸気機関車みたいだよね。シュポシュポッ、シュッポッポーッ!!ε==(ρ^o^)ρ

下手賀川への分流地点(地図D
下手賀川に下って「発作橋」(地図E

だいたい手賀川の北側(←)が我孫子市、分流した下手賀川の手前側(南西)はだいたい柏市、向こう側(南東)はだいたい印西市(^^ゞ。発作橋のある辺りは、もう印西市に入る。

橋向こうの坂道を→こう降り
下に続くカンナ通りに出る

右の写真も違う日なので、ニョキ雲が写ってないけど(^^ゞ、だいたい同じ時期。ちょうどここから始まる「カンナ通り」の出発点が写ってたので……。

「カワセミ会」花壇をやってる会だね
田んぼの中をずーっと続くカンナの花通り

↑は同じ夏でも薄曇りの一雨来そうな空だけど、ニョキニョキ雲の通った日のを見ると……↓
空の青さも光の強さも真夏そのもので、地平線に浮かぶ雲の群れが、ホント動いてる列車か動物の群れのように躍動的に見える(笑)。

カンナもこの日は全開で素晴らしかった!→

田園の中に島のように浮かび上がるお墓。
通りはやがて竹林の合間に入り……

やがて細い路地に出て、右折すると59号線に出る。

出た所(地図F)信号の下に並ぶ石碑群
合間から向こうの畑に見える芙蓉(^^)

(拡大)

何気ない場面なんだけど、ずっと残ってくれたらいい風情だな〜って思う(^^)。
東京に長く暮らした後に来た時、こういう夏の風景を見て、「スイカとかトウモロコシとか食べたくなるよね」なんてよく言ったものだ(笑)。



<夏の風物詩?>

原発事故の余波で、福島第一原発は勿論、全国的にも原発稼働に待ったがかかり、節電必至の夏となった。

テレビでも広告でも店先でも、「少しでも暑さを和らげる」と銘打った、ありとあらゆるアイディア商品が出廻り、昔ながらの夏の過ごし方とか、関連グッズにも注目が集まったようだ。

自分的にヒットだったのは、ジェルの入ったヒンヤリ枕(^^)。……でも、そんな写真出してもアレなんで(笑)。

風物詩と言うか(笑)。そう、トウモロコシと言えば……こんな物を見付けた→

左から「白ブタ」「七輪焼き・とうもろこし」「金魚鉢」の3点。
「蚊遣器」と書かれてたけど、ネットで商品系サイトを探ると、「蚊遣り」「蚊取り線香入れ」「蚊とり器」「香立」等々、色んな呼び方があるようだ。

で、左右二点はわかるけど、真ん中の……

「トウモロコシ」はどう使うのかと言うと……
ここに蚊取り線香が!

つまり線香の煙がモォモォと出て、トウモロコシをコンガリ焼いてる風情となるんだね!これは凄い(≧▽≦)! 煙が出てる所もぜひ見てみたい! よほど買おうかと思ったんだけど(「現品限り」とあるし)、この時期は「必死に金を貯めてる時期」だったのでやめた(って言うか、金はいつも無い癖に:苦笑)

←そして、亭主の大好物、カキ氷!
↑こっちは風物詩かわからないけど(^^ゞ、飴商品。

カキ氷はスイカとともに、年に一度は食べさせないと、亭主が「今年は夏が来なかった!」と言い出す定番(笑)。松戸市内(確か小金原)の喫茶店で。

飴の方は、鎌ヶ谷だったと思う。ビル内に飴専門の店があって(^^ゞ。飴も和菓子と同じで、季節物を揃えてるよね。

よく和風ファミレスや寿司チェーン店に、寿司を象った飴が置いてあるけど、面白いと思ったのは、金平糖(コンペイトウ)を使って、「赤飯」に仕立ててる弁当(^^)。
他にも、金平糖を使った各種の(アジサイとか)商品はあったけど、何かこれが一番もどきっぽかった(^o^)。

こちらは、夏の風物詩と言えるか、カレー屋さん(^^ゞ。

ロ加 ロ厘 夢(Curry-Mu)」
↑字が無いので、最初の二文字は、二字で一字(^^ゞ。

ずいぶん前から、この辺りを通る時、「カレー屋さんがあるから、そのうち寄ろう」と言いながら、何年も寄った事がなかったの(^_^;)ゞ。何か学校の近くにあるパン屋さんみたいな感じで、カレー屋に見えなくて(笑)。

ところが、ある時、入って食べたらスゴイ専門的な味でビックリした! 以来、よく通うようになった(^。^)。
最高に辛いのが「カシミール」ってカレーで、最初は結構キツかった(≧▽≦)。。

松戸や柏あたり、アジア系の人がやってるカレー屋はよく見掛けるけど、大抵は日本人の口に合うよう、あまり辛くないのを「何度」「何倍」「何辛」と銘打って出してる店が多い。
でも、ここのは本当に本格的な辛さなので、好きな人は挑戦してみよう! 東武野田線の「逆井(さかさい)駅」から10〜15分ぐらい。地図G←詳しくは拡大を(^^ゞ

ただ、日曜はやってない(^_^;)。土曜も三時ごろまでだったな。時間が合わず来れない事も多い。
なので、店内に売ってるレトルトも時々買う。「東京スパイシーフーズ梶vって会社で作ってるようで、地図検索するとココが出て来る。ここで作ってるのかな(^^ゞ。

以上、関連事項は……
■食べ物もどき(笑)
以上、関連事項は(だいたい)、
2002年6月本文内(かまめしクン)
2006年4月<仙石原「湿生花園」>内(喫茶メニュー)
2006年8月<箕輪城跡>欄外(フェルトケーキ)
2009年1月<スイーツ・タイム(^。^)>(折り紙ケーキ)
2010年7月<オマケ(^.^)>(詰め合わせ菓子)




<夏空・夏雲>

春には大きな余震の前に、前年にも見たような(前年ほど異様じゃなかったけど)夜雲をよく見たが、夏になると、そういうのはあまり見なくなった。
代わってよく見たのが、夜に一方向だけ強く光る雲。

←まずは五香六実の野馬除土手(地図H)ふきん。縞状の夕雲。
↑こちらは白井から沼南にかけて(地図I)。夜の地平線上に白く光る夜空。

相変わらず闇に強く光る不気味な夜雲

これも前年または春に見たの程、長い時間を照り輝くって程の異常な感じではなかったが、何しろ光度はあるんで、このように写真にはよく映る(^^ゞ。右のみたいに、手前に大きく塞ぐ建物とかあると特にね。

台風が来たり、大雨が長引いたり、今年も異常気象の夏だったが、雲の奥で稲光してる時もあって、やっぱ夏の雲は発電しやすいのかね?

以後、書く事と時期がピッタリ一緒じゃないけど、だいたい8〜9月の空の写真を出しながら……(^^ゞ。

野馬除土手ふきん。巨大な入道雲(パノラマ2枚)

同上(パノラマ3枚ほぼ180度)

6月からの猛暑に「今からこれじゃ(*o*)」と嘆いたのは序の口、まさに異常気象の極まった夏だった。
7月半ば頃から長い台風が来て、「いつまで居るの(^_^;)」と言う内に、嘘のように涼しくなって……半月もそんな感じだったかしら?

布瀬(手賀沼と下手賀沼の間)あたり。地図J
この辺りは元々が沼に近く、雲が密集しやすいのだが、この夏は特に雲が厚かったかも。

この頃から何度となく聞いたのが、「湿った空気」の存在。
7月終わりごろには、新潟県と福島県で集中豪雨による洪水が起き、只見川など河川や堤防が決壊。死者・行方不明者が発生し、激甚災害に指定された。

今井(桜の咲く名所)の方面(地図K)に向かう農道

8月には元の猛暑に戻っていたが、イキナリ蚊だとか羽虫類が急増して、どこに行ってもプワプワ飛んでる有様。
コムシどもとの戦いで、流しに漂白剤をまくので、手が荒れて荒れて(つД`;)。。


8月終わり〜9月初め頃、また大型台風12号が来て、これまた物凄い長居で、この時も「湿った空気」の存在が聞かれた。
台風の上陸地や進行ルートとは必ずしも合わさらない地域でも、とんでもなく長く居座る、それも大量の雨が降ったからだ。

どこだっけな。ごめん、わからない(笑)
物凄い明暗。地上真っ暗(汗)

台風が長居するために溜まる、「湿った空気」による豪雨で、広い地域で増水・洪水が発生。紀伊半島の和歌山・奈良・三重各県で土砂や河川の災害が起き、死者・行方不明者数が100人近くまで発生。
この時の土砂崩れで、せきとめ湖が発生し、決壊の危険性が連日報道され、日本じゅうが気をもんだ。

目を瞑りたくなるほど明るい空と、全く見えない暗い地上(パノラマ2枚)

この、せきとめ湖の決壊までカウントダウン的な警戒期が長く、12号の後に来た14号の時になっても続いて、テレビをつけるたびに「まだ危険なの(・・;)?」と驚かされる日々のまま、9月半ばに達し、ついに次の超大型台風15号が来てしまうのだ。。。

入道溜(地図L・鎌ヶ谷市)あたりか。
昼も一部のみ強烈に光る雲

以上、関連事項は……
■手賀沼・手賀川・下手賀沼
2006年8月<手賀沼>
2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>
2007年9月<手賀沼温泉「満天の湯」(爆)>以降
2008年4月<柏市・手賀沼>
2008年5月<年末(^^)>
2008年6月<黄砂吹き荒れる手賀沼>以降
2008年7月<逆井の梅花〜手賀沼(柏市)>
2008年8月<お花見続行(^^)>
2008年11月<千葉県我孫子市「手賀沼公園」>以降
2008年12月本文
2009年5月<古利根川・手賀沼・清遊湖>
2009年6月<手賀沼と発作橋(冬の白鳥)>
2009年8月<日頃の風景(手賀沼)から(^^ゞ>
2009年9月<初夏の布瀬と手賀川(^^)>
2009年12月<柏市「手賀沼」「下手賀沼」>
2010年7月<手賀沼と下手賀沼から、富士山・筑波山を>
2010年8月<手賀沼北岸(我孫子市)の桜模様(^^)>以降
2010年12月<梅雨の風情(湖と蛙と紫陽花)>以降
2011年1月<手賀沼の晩春〜初夏>
2011年4月<晩夏〜初秋・手賀沼までの空と雲>
2011年9月<柏市〜白井市、秋の夕暮れ><同じく、夕月・夜雲>および<日没>
2011年10月<クリスマス本番〜年末>以降
2011年12月<晩春から初夏にかけて>




<高柳の「愛宕神社」>

以降は、9月。そろそろ東北旅行を前に、「台風どうなるのかな(^_^;)」と気を揉み始めた頃。

「愛宕神社」というと、町はずれの丘とか、大きな山が始まる端っことか、町にちょっと分け入った山の裾野といった、その町を見下ろす、ちょっと高めの場所にあるのをよく見掛ける。

元は修験道から発した山岳信仰なので、山に見立てた所にあるか、火伏神として町を見守っているから、そういう場所が相応しいという事かな(^^ゞ。

ここもちょっと高い場所にある。付近の地名も「高柳」「高南台」「六高台」と、高所を示す中、町を横切るように低地が見渡せる。元は川があったのだろう。今でも水流が通っているようだ。地図M

高柳新田の交差点(中央奥が低地)(パノラマ3枚ほぼ180度)

低地、拡大。道はこっちに進む→
やはり一度坂を下る

実は右の写真は7月の(^^ゞ。7月ごろのはまだ明暗がキツくなかったんだよね(笑)。
何しろ、こんな高低差がある中を進んで行くと……

→こう来た。樹木の多い中央が愛宕神社(^^ゞ(パノラマ3枚ほぼ180度)

この真ん中の路地、下り坂なんだけど、↑これを入る。

境内(拡大)

←こう坂道を入って来た。神社は正面ね(パノラマ4枚180度以上)

←高〜い銀杏の木に覆われた鳥居。(地図N
↑境内は簡素(#^.^#)。パンパン(^∧^)<火事に遭いませんように。愛宕神社は火災除の神様で、神仏分離(廃仏毀釈)の前は権現でもあったよね。

←頭上を覆う豊かな樹々(^-^)
↑高柳新田から来た道を、愛宕神社の先にさらに進むと、東武野田線の線路にぶつかる。

線路すぎて右に折れれば、8号線にぶつかる。通り過ぎてさらに行くと、最初に見た「下総航空基地(海上自衛隊)」の敷地に行きあたる、という地理関係(^^ゞ。地図O

この辺りの民家だけど
カッコイイなぁ〜(#^.^#)

以上3枚も7月の写真(^^ゞ。
人ンチを勝手に撮るのも悪い気がするけど、こういう立派な農家の建物も、年々姿を消して行くので……。。



<御茶ノ水(神田明神まで)>

↑例によって参拝。いつも神社しか写さないので、今回は最寄の御茶ノ水駅周辺を(^^ゞ。
と言うのも、東京には車でパーッと来ちゃう事が多いのが、この日はハルバル電車で来たのだっ!(笑)
なので、駅ビルや駅の周辺も撮影(^^)。

まずは新御茶ノ水駅の駅ビル「サンクレール」地下一階→
(パノラマ縦横9枚)

「御茶ノ水」駅はJR、ここ「新御茶ノ水」駅は営団地下鉄の駅名で、隣接している(^^ゞ。
ここは道路から一階降りるが、エントランス・ホール的な空間で、周囲に飲食店などがある。

地上に出る。出口名の「聖(ひじり)橋」(パノラマ4枚180度以上)

↑こっち方面が「聖(ひじり)橋」。渡った先に「神田明神」に着く。今いた駅ビルはこれね↑
この「聖橋」付近の風景も、グルッと見渡してみよう(^O^)!(地図P

聖橋の左(西)側。御茶ノ水駅ホームと神田川
頭上には東京医科歯科大ビル

今度は前方、聖橋を渡る
正面、東京医科歯科大ビル

医科歯科大の、このレリーフには、古代ギリシアのヒポクラテスによる「医師の誓い(守秘義務や無差別など)」、「プラトンと弟子アリストテレスの対話および、古代ギリシア哲人の集合」、「世界初の全身麻酔公開実験」の3シーンが描かれてるそうだ(゚.゚)。

で、このまま進むと、17号線(いわゆる「本郷通り」)にぶつかるんで(というか、殆ど行き止まりみたいな感じだけど(^^ゞ)、右折して17号をちょっと東進すると、左に「神田明神」の参道が見える。

けど、「聖橋」の反対側の眺めも見ておこう(^^ゞ。

今度は「聖橋」の反対側(パノラマ3枚180度)

↑左に見えるのが「湯島聖堂」の門付近。

湯島聖堂は元禄時代、5代綱吉や林羅山によって孔子廟から起こった学問所。当時はさっきの東京医科歯科大まで敷地が及んでいた。昭和(1935年)の再建。
聖堂前の、昔の面影を思わせる塀と通り→

街路樹に隠れて見えないので、聖橋の中央、駅近くに寄って見ると……↓

神田川と御茶ノ水駅、右奥に「ニコライ堂」(パノラマ3枚180度)

神田川と御茶ノ水駅(聖橋の東側)
駅に戻る。奥に「ニコライ堂」

←ニコライ堂の屋根を拡大(屋根しか写ってないし(^_^;))

「ニコライ堂」は通称(あるいは俗称および別名)だそうで、よく「正式にはニコライ堂じゃないらしいね」とは、ちょくちょく言い合うが、「じゃ、何が正式?」「さぁ(^^ゞ」という話になる(笑)。「日本ハリストス正教会復活大聖堂」が正称。

ちなみに、このニコライ堂にある「イコン(聖画)」は、山下りんによる物で、2010年8月<旧手賀教会堂>で紹介した事がある(^^ゞ。旧手賀教会堂は、いつも行く手賀沼に残る、明治の教会史跡。

以上が「聖橋」周辺の風景。先に行けば神田明神(地図Q)に行く。

ちなみに、「聖橋」は関東大震災の復興のため架けられた。「聖(ひじり)」は、以上に見た、「湯島聖堂」と「ニコライ聖堂」の「二つの聖」から貰って名を付けられたそうだ(^^)。

聖橋を渡って(←)来た。交差点を右折(↑)
右折時に見える「湯島聖堂」の屋根

(拡大)
右折後17号をちょっと歩き→

左に見えて来る甘酒屋と大鳥居が「神田明神」参道の始点(パノラマ2枚)

ちょうど写真撮ってる人がいるよね。左折して、大鳥居をくぐった参道の先は、こちらを(^^ゞ→2006年9月<東京・神田明神>

神田明神に入ってから先は後に列記するけど、今貼ったリンクのが一番色々揃ってて、今ある社務所や少彦神像が写ってるので、良かったら見てネ(^^)。

この後、参拝。拝殿でお祈りして、お守り類を頂いた後、摂社参りをしてたら、社務所の御籤は終了してしまったので、自動販売機のコレにコインを入れた↓

神田明神の「獅子みくじ」。右のボックスから歯でガチッと御籤を受け取り、左下の穴に落としてくれ、下の出口から受け取れる仕組みだが……↓
いっぺん出し惜しみするんだよね獅子が(笑)→

コイン入れた途端、ヒョ〜ロヒョ〜ロと威勢のイイ笛太鼓のお囃子が聞こえて来て、獅子が御籤を咥えながら獅子舞をする、という設定なんだけど、出しそうで出さない動きが「どうしようかな」と迷ってるように見えて、「悪いお御籤かしらっ(≧▽≦)。。」と焦るんだわ!

ところが今回は、ホントにヤバイ御籤だったんで、スゲェ洒落にならない(爆)。

そもそも、この日に神田明神に行ったのは、この所ちょいご無沙汰続きだったのと、さすがにようやく物凄くデカイ余震の回数は減って来た頃だったけど、何だか大雨・洪水・土砂災害も多く、今年の旅行はどうすんべーと思ってたから、神頼みに出掛けたのよ。

なのに、安全祈願をした直後にひいた、この御籤が「用心しなくては思わぬ事故に会う。特に交通事故に注意。危険な場所には行かない事」とか書かれてて、何かもぉ死にたい気分になった(TOT)。。。。

以上、関連事項は……
■神田明神
2005年3月<神田明神>
2005年12月<初詣2「神田明神」>
2006年3月<神田祭>
2006年9月<東京・神田明神>
2007年8月<神田明神「天野屋」>内以降
2007年9月<神田明神つづき、いよいよ参拝(^^)>
2009年12月<東京都「神田明神」>
(以上、神田明神だけね(^^ゞ。将門の史跡・伝承地は茨城・千葉や東北にも凄く多いんで:笑)
2010年8月<旧手賀教会堂>




<初秋月>

東北旅行に出掛ける、直前ごろの月夜から。

溶き卵のような、ドヨンと闇雲にまぶされた黄月

これは又違う夜。雲の動きが早く、月を何度も隠した



以上関連事項は……、
■不思議な空(2011年以降)
2011年1月<夏の花・森・夕焼・月・花火>
2011年4月<晩夏〜初秋・手賀沼までの空と雲>
2011年9月<松戸市「祖光院」「カフェ・リビエラ」「庄や」>内以降
2011年10月<クリスマス本番〜年末>以降

2011年12月<夏の夕空・夜空>




■9月後半・山形県・福島県・栃木県
<まずは東北道で郡山まで>


いよいよ発進!(笑)

イキナリ山岳地の風景(笑)。宇都宮を過ぎた辺りだったか……

西那須野塩原あたりか
当たってれば、左は塩原方面(^^ゞ

写真を拡大して見ると、道路標識に「那須まで10k」とあるから、だいたい「西那須野塩原」辺りに来てると思う。前年の東北旅行で最初に高速を降りた辺り(地図R)だね(^^ゞ。

震災後、かなり早い時期から、風評被害と自粛ムードの影響で、景気経済に打撃を受けた地域の事がニュースになっていた。
3月下旬に各地の桜祭りが中止となり、4月中旬にはGWの予約キャンセル続出となり、日光や湯西川などの観光地が悲鳴を上げていると聞いた。
特に湯西川は前年に行ったばかりだったので、老舗の旅館が閉鎖した記事などには衝撃を受けた。

同じように観光地の心配をしてる旅好きの人達が、それぞれネット上で、「温泉地に泊まりに行こう!」と呼び掛けているのも見た。

義援金が被災者に届いてないとか、仮設住宅の建設が進まないとか、復興方法が定まらないとか、なかなか前に進まない様々な問題が言われるようになる中、遥々、自力で被災地にお金を配りに行った善意の人も居たが、割当が不公平になると問題になった。。

確かに公平さって大事だから、政府も行政も、焦らず納得して貰える方法を取るべきだし、公平って事になると、やっぱ労働への対価って事になるのかな〜なんて色々考えたり……。

とりあえず何かと金を溜めては義援金に廻すのは一旦、中止にして、5月ごろからはその分を貯め、自分も温泉に泊まりに行く事にしようと思った(^o^)

今年は体調不調もあって、治療費なんか物入りだったんで、イザ行く時には、かなり節約旅行になっちゃったけどね(^_^;)ゞ。。

お昼の白河ラーメンと宇都宮餃子セット☆ミ→

確か、いつも寄る「那須高原SA」(地図S)だったと思うけど、シルバーウィークだからか、物凄い混雑してて(*o*)、いつも使うレストランもいっぱいで入れず……でも宇都宮餃子って、実は旅行先で食べるの初めてなの。美味しかったよっ(^O^)!

高速に戻ると俄かに空が
ドンヨリと暗くなってる(・・;)。。

例年に比べて、ちょっと家を出た時間が遅めではあったが、まだまだやっと午後を廻った程度だったハズ。……そう、つまりは快晴だったのはここまでで、残念ながら、この後だんだん雨模様になって行くのだ(>_<)。。

「白河中央」出口(地図T)。「白河」ICと「白河中央」ICがあって、後者の方が1個北。↓

一方、右の写真は、その後、「阿武隈」PA「矢吹」ICを過ぎた次に、「鏡石」IC(インター)とPA(パーキング)があるんだけど、その前に、「鏡石町」に入った事を示す標識↑が見えるよね(地図U)。
見ての通り、ちょうどアップから一度ダウンを渡った奥のアップを一望できる、棚田の連続地がある。近寄って見る。

こんな感じね↓。棚田を拡大すると→

この棚田は、例年この時期(毎年この時期に通るから(^^ゞ)黄色く実ってるんで、稲田と思うけど、この時(去年すなわち2011年の9月後半)は、この通り緑色で、しかもどことなく草ボウボウな感じ。

ここで見渡す秋の風景を見慣れてるだけに、「放射能で米作れないのかな〜(TOT)」と二人で言い合った。

検索すると、ここかわからんけど鏡石のどっかで、後継者不足で放置が決まった耕作地に、農業する事が決まって喜んでたら、このたびの放射能汚染が起きて結局ダメになった、という話が見つかった。(そこはヒマワリを植えたらしいけど)

つまり元々、後継者不足の問題は農業地にあったから、パッと見で放置(荒れ地)に見えたからって、ただちに「放射能が原因」とは限らない(^_^;)。

ただ、この高速道路にしたって、何となく草ボウボウでしょ?
ウチ辺りもこの夏は凄かったもん。刈った草が捨てられないのよ(>_<)。放射能がついてるから(苦笑)。

ただ自然の摂理ってスゴイなと思うのは、半減期の長いセシウムが、草に含まれた成分(プラントオパール=植物石)と結合する事がわかったんだよね(^^ゞ。

なので、草についたまましばらく放置し、腐って液化した所をコーヒーフィルターで濾すと、濾された水分にはセシウムが残ってないんだって(^o^)。つまり、枯れ草の多くが、それほど人手をかけず自然界に捨てる事が出来るらしい。

勿論、濾して残った方には、セシウムがむしろ「濃縮」されてるんであって、放射能じたいが「減ってる」わけじゃないのよ(^_^;)。
でもかなりの量が圧縮できるから、ゴミ置き場不足には適用できるって事だね(^^ゞ。植物ってスゴイ!

それにしても、尚一層、暗雲が垂れこめて来たが(汗)

郡山に近付いた頃には、かなり曇ってた。



<郡山JCTから磐越道に>

スゴイ暗い雲行きに。。
磐越道に乗った(地図V

東北道から「郡山」JCT(ジャンクション)で磐越道に乗り換えた。
磐越道に乗る前から、ポツポツッと来てはいたけど、乗った途端パパパーッと降り始めた。山間の道路なので、他が晴れてる時でも、乗った途端に空模様が怪しくなる事が多い区間だけどね……(^_^;)。

いよいよ前方より次々と現われる山々

磐越道に乗ってからは、最初の大型トンネルに入るまでの、「五百川」PAとか「磐梯熱海」ICなんて所を通ってる辺り(^^)。高速は「会津若松」で降りるんだけど、この後は次回!!

以上、関連事項は……
■高速・東北道・磐越道
2007年2月<東北道〜磐越道・会津若松へ>
2007年11月<東北道・磐梯方面〜村田>
2008年1月<白石〜仙台〜松島>
2009年1月<まずは会津磐梯を目指す>
2009年12月<1日目・まずは岩手県まで一路目指す!>
2011年4月<まずは東北道で「西那須野塩原」まで>

<つづく>

2012年01月24日
 
     





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