<2006年・城主のたわごと11月>




2006年4月「箱根編」最終回は大涌谷と芦ノ湖遊覧(^^)。

そして5月、また千葉県シリーズ。まずは「宗吾霊堂」から♪




     
  今回は、前々回から連載してる「箱根編」の最終回の予定だったが、ちょっと先に進んで、5月〜8月の千葉県シリーズ「利根川&印旛沼編」……3回ぐらいになるかな。その初回を後ろに続ける。



■4月・神奈川県箱根
<大涌谷自然研究路、2>


4日目(箱根3日目)の続き(^^)。

この大涌谷の奥「自然研究路」に入ると、近くでやってる自衛隊の演習の音がよく聞こえる。
実はこれ、駒ケ岳でも聞こえたのだが、その時は「遠雷(^^ゞ?」と思っていた(笑)。

さて、大涌谷自然研究路の徒歩コースはだんだん閻魔台に近づいていく。

途中の風景(パノラマ2枚)

そして到着っ。ここが閻魔台(パノラマ2枚)。

↑この左側にちょっと見晴らしのいい一帯があるので、そっちに先に行く。

閻魔台までの登り道っ
↑閻魔台の温泉池↓
左一帯・見晴らし広場の碑

この碑の周囲は……↓

こんな感じっ。(パノラマ4枚180度以上)

↑上部分は火山の煙と温泉の湯気(^_^;)。モォモォと立ち込めて奥の山並も隠してしまう。
↓こっちはその反対側の風景。

眼下に見晴らしが臨める。(パノラマ5枚・180度以上)。

ちょっと近づいてみると……↓

こんな感じ(パノラマ2枚)

で、閻魔台に戻って、さらに散策路を登ってみる。↓

登りの途中いくつも温泉池があって、付近は硫黄の匂いと湯気でいっぱい(^^ゞ。
ただロープの中には入れない。係員の人だけ出入りしてる。

むき出しの岩に硫黄がこびりついてる
こたつ亭主
こたつ城主
風の向きで、見事に湯気にまかれてしまった(笑)↑

今度は一番高い辺りから下の風景を撮影

↑手前に黒玉子の小屋がある(あとで寄る(^^ゞ)。奥に見えるのはドライブインの施設。

さらに先は行き止まりなんだが、こんな道がちょっと続いてる↓。

奥の山がようやく見える(パノラマ4枚・180度以上)

振り返るこたつ城主(パノラマ2枚)

↑何か焼け野原にでもいるみたいだよね(^_^;)。

前回、駒ケ岳のロープウェーで雨霧に濡れ、長々とストーブにあたって乾かした話をしたが、その時に売店の人が、晴れた日の駒ケ岳から見える富士山の写真を見せて下さりながら、「この頃は地下水の温度が急上昇して、大地震とか起きた時が心配」と言っていた。

私もこの大涌谷には子供の頃に来たハズなんだが、何か昔と違う感じがした(^_^;)。。
「こんなに煙ってたっけ?」
もちろん見え方には雨や霧・温度差による湯気の量も影響するし、地下の温度上昇という話も地脈が違うかもしれないから、ここでの様相を地震などに当てはめる気はない。

でも大抵こういうトコって、子供の頃はビックリするものの、大人になってから来ると「子供だったのね〜(^^ゞ」と思う事が多いから、その逆ってのは、やっぱり昔より活動が活発化してるからか、とは思った。

←さっきの小屋に戻って来る。
↑小屋の近くでは、黒玉子をせっせと作っている。
ちょうどこのタイミングを亭主が見逃したらしい(^_^;)。
「ほらほらっ、今温めてるよっ」「どれどれ!」

これが前回最後の方に、上空をつたってた「卵ロープウェー」で運ばれて来た卵(2006年「10月のたわごと」<大涌谷自然研究路、1>内)で、ドライブイン辺りから乗せ、この小屋付近で受け取られ、この温泉池に持って来る。

そして↑こんな風に、係の人がザルのような物に卵を数個づつ入れて、定期的にこの温泉池に浸けに来る(^^ゞ。
10〜15分ぐらい浸けると茹でられ、温泉に含まれる硫化水素と鉄分が結合し、硫化鉄となって自然に黒くなり、温泉池から出して、さらに5分ほど蒸し、6個入り500円で売ってる。

これは、その卵(黒玉子と言う)の売店小屋で、亭主がいま黒玉子の袋を開けてる。→

左「黒玉子」、真ん中に湯の花を挟み、右が袋
ジャジャーン! 黒玉子!

で、又このキャラクタグッズがドライブインで売ってるんだな(爆)。→

傑作だな、と思ったのは、黒玉子が自分で温泉に入ってるんだっ(≧▽≦)。
一見、卵には見えにくいから、後ろにちゃんとヒビ割れが入ってて実にラブリー。思わず買った(笑)。

黒玉子の味は、一口頬張って「オイシイ!(゚.゚)」と両方とも声が出た(笑)。
温泉と言えば「温泉卵」だが、残念ながら半熟アレルギーの私はいつも食べられない(^_^;)。ここのはその点、シッカリと固茹でされてるから、食べて大丈夫なのは勿論、卵の味にタップリと硫黄の香ばしさがあって、コクもあり、すごく美味しかった。ついてる塩がまた特別な塩なのか、味をよく引き出してた。

後はドンドン戻ってドライブインに引き返して来ると、行きは真っ白に霧に包まれていたのが、帰りはだいぶ晴れていた(^^ゞ。

研究路の入口。大涌谷ドライブイン(パノラマ4枚・180度以上)。

反対側パノラマ4枚(180度以上)。

濃霧はだいぶ解消してきたものの、この日は雨降りだけは続きそうだったので、あまり山とか散策とかはやめといて、また芦ノ湖に出てみた。



<芦ノ湖遊覧船>

↑はじめて乗った(笑)。
子供の頃にも一度ぐらい乗ったのかな(^^ゞ。

コースはこんな感じ。芦ノ湖航路マップ 私らは湖尻港から乗った。
湖尻というのは桃源台のロープウェー発着のある港で、そこから箱根港まで行き、また湖尻に戻って来る。

運賃は結構高かったわ〜(^_^;)。。二人で4000円ぐらいいったかな〜。
でもこの日は終始雨もようだったから、船に乗ってボ〜ッと島巡りなんて、いかにもラクそう(笑)というのと、「龍神伝説にある芦ノ湖を一度ぐらい実際に廻ってみたい(#^.^#)」と私がリクエストした。

また芦ノ湖にやってくる
乗ったのは右の「ロワイヤル号」。

船内一階の室内。(イビツだけど、パノラマ4枚・180度以上)

出航まぎわだったので桟橋で走ったが、無事に乗れて「出航〜(^O^)」。
で、これまた早速ウキウキと甲板に出て(笑)、風景なんか写すんだわ(^^ゞ。

行く手の方角(パノラマ3枚・ほぼ180度)

左側(パノラマ5枚・180度以上)。

この芦ノ湖は、40万年前に始まった箱根の第一期火山活動が鎮まった20万年前ごろ、それまでに出来たカルデラ式の陥没地域に水が溜まって始まった。

ただその頃は芦ノ湖に限らず、箱根とその周囲をスッポリと埋める程の大きな湖だった。
その後、第二期(〜8万年前)と第三期(5万年前)の噴火活動で、湖は少しづつ東側から狭められつつも、現在の形に近づいたのは第四期(〜数千年前)の活動によってで、すなわち神山と駒ケ岳といった現在もある山が隆起されて形成した事による。

しかしこの時は、こうした山々の出現によって、いちど北西方面に湖がグッと偏った。この北西の湖があった地域が現在の仙石原であり、いま芦ノ湖がある辺りは、その湖から流れる川の一部に過ぎなかった。

それが3000年ほど前に、神山の爆発によって大涌谷が生まれ、これによって決定的に現在の地形が完成する。
すなわち、北西にあったカルデラ湖を、吹き飛ばされた大涌谷の土石流が半分以上埋める一方、そこから流れた水が、いま芦ノ湖のある箱根の南方面に溜まって湖が出来たのである。地図A

仙石原と芦ノ湖は堆積物によって分断されたが、仙石原には今でも湿地帯が残っているし、芦ノ湖の方も、南部は大きな湖を形成しているが、仙石原に近い北部は湿地帯っぽくなっている。

こういう地形的な事はある程度の時系列が地学的に推理できるが、伝承となると難しいよね(^_^;)。

上古については前回2006年「10月のたわごと」<4日目、駒ケ岳「箱根神社元宮」>内を。
この時、ふもとの芦ノ湖にも五色のさざ波がおこり、蓮の花が咲き、菩薩や天女が舞い降りて踊り、蓮の花をつむいで羽衣を織って残したという。 これが芦ノ湖の弁天の由来とされ、今では市杵嶋姫命が祀られている。

さらにその後の「龍神伝説」については、2004年「11月のたわごと」<芦ノ湖>内をば(^^ゞ。
あ、ただ先にことわっておくと、この「龍ヶ島」、探したんだが、この湖のどこにあるのか発見できなかったの〜(^_^;)。「湖尻に近い湖面に鳥居が見える」と小田原商工会議所箱根青年部のサイトにあったので、きっとこの時見付けた鳥居がそうかな、とは思うのだが……↓。

お堂が見えたり
あの辺はホテル街かな?
何かの碑だ(゚.゚)。

この最初の「お堂」(ボケててスイマセン(^_^;))のある小山の裏、浜沿いに小さな鳥居が見えた。これまた写真がボケて見づらいので出さないが、もしかして「九頭龍神社」のある辺りかなぁ……と。

今言ってる「九頭龍神社」は、前日に行った「箱根神社(ふもとの里宮)」にあった「九頭龍神社」(2006年「10月のたわごと」<箱根神社、続き>内)とは違う場所で、地図で見ると位置的に、芦ノ湖北東のこの湖尻あたりに「九頭龍神社」の字があるにはある。
「箱根プリンスホテル」の敷地内にあるとも聞く。この「箱根プリンスホテル」は、この後出て来る駒ケ岳ロープウェー発着場の「箱根園」(2006年「10月のたわごと」<4日目、駒ケ岳「箱根神社元宮」>内も経営してるとか。で、「九頭龍神社」はこのプリンスホテル内のが元で、箱根神社のは分社という話も出て来る。

何しろこの「九頭龍神社」のある辺りが、恐らく「龍ヶ島」(龍と萬巻上人の戦場)だと思う(^^)。

左・山頂にポツと見えて来たのが駒ケ岳ロープウェー発着所かな、と(^^ゞ。

↓これね(^^ゞ。
その山裾の「箱根園」と、湖面を行く「バーサ号」

この「バーサ号」の方は、スウェーデンの王様が作った船に由来してるんだとか(^^ゞ。

ちなみにいま我々が乗ってる「ロワイヤル号」だが、17世紀フランスの戦艦「ソレイユ・ロワイヤル号」をモデルに作った船なんだとか(゚.゚)。艦内のアナウンスで「太陽王」という意味だと言っていた。

乗り心地はすごく安定していて、船酔いしやすい人でもこれなら心配要らないと思う(^^ゞ。

ところで、この船には奇妙な二人組(笑)がいて、まずその一人にこたつ城主がインタビューを試みた。↓
「ねえねえ、何やってるの?」

「アイツを狙ってるんだー!」↓
「銃を捨てなさい!」 「あっ、違うんだ、邪魔するな!」

「この銃は実はカメラなんだ〜」カシャッ
とかやってる内に「箱根港」に到着〜(^_^A)。。
(出演:船長さん、海賊風カメラマンさん、こたつ亭主、こたつ城主、でした)

箱根港に入ってくる、戦艦「ロワイヤル号」。

この「箱根港」は、前の日に「雪富士」を見た近く(^^)。あの辺りに停泊してた船に今自分達が乗ってるというわけ。

デッキから外を写す
湖から見える箱根「関所跡」の建物

この「関所跡」は元箱根より少し南側の今いる「箱根港」にある。「箱根港」と「元箱根」の間には「恩賜箱根公園」が挟まって、ちょっと隔てられている(ちょっとわかりづらいよね(^^ゞ)。地図B

撮影とゴッコ遊びばかりで、あまり留まらなかった室内に戻ると、お客はみ〜んな元箱根で降りちゃって(私らのせい(^_^;)?)、今度は遠慮なく船内を撮影〜。

借り切り状態(^^)。(パノラマ3枚・ほぼ180度)

亭主がここで熱いコーヒーとお菓子を買って来てくれたので、ポリポリ食べながら、今度は室内から続きの船旅を楽しむ(^^)。

中央に「恩賜公園」のある岬、右に「関所跡」のあった「箱根港」
(パノラマ3枚・ほぼ180度)

船は←に向かい、これより中央の湾内に入る。右が「恩賜公園」の岬。

今、湾内に入った所。左の水辺に小さく「鳥居」が見える。(パノラマ2枚)

湾内の鳥居を陸沿いに過ぎて行く。

パノラマ5枚(180度以上)。

箱根神社の鳥居かな?
九頭龍神社?

こんな具合に、陸沿いにあちこち鳥居が出て来る(^^ゞ。箱根神社の本殿から続く階段にも、まっすぐ芦ノ湖の見えた鳥居があったが(2006年「9月のたわごと」<箱根神社>内、それがこうして船からも拝める。

行きに見た碑(西岸)
そして湖尻方面に戻って来る

無事到着(^^)。遊覧船を降りる。

乗ってた「ロワイヤル号」を改めて撮影
先頭部・拡大



<宮城野、早川の夕霧と夜桜>

桃源台から大涌谷・強羅を抜けて、国道一号線の宮城野まで出る。日帰り温泉に行くの(^^)。

大涌谷の煙(^_^;)
夕方はまた霧に包まれた(笑)

この深い夕霧が、宮城野に着いてから、実に幻想的な風景を見せてくれた(^^)。


それがここっ! ↓宮城野の「勘太郎の湯」駐車場付近。地図C

パノラマ2枚

ここの桜はほぼ満開だった(^^)。ここに来て霧はますます濃くなり、他の風景が見えないだけに、ひときわ鮮やかで、しばらく見とれていたい風情だった。


しかし風呂に入らねば(^^ゞ。
ここ「勘太郎の湯」は、夢で不動明王のお告げを聞き、掘ったら温泉を掘り当てたという伝説をもつ地元のお風呂屋さん(^^)。

いつもは長風呂し夕飯まで食べるので、上がるとドップリ真夜中になってしまうのだが、どうも経営を任せてた人が代って、早く終わるようになったようだ。

それでも上がったらすっかり夜(笑)
帰りがけ川端に桜が見えたので行ってみる

ライトアップされて豪華!
霧で川向こうに自分達の影が出現!

海坊主って確か実体は、こんな具合に濃霧で写った自分達の影、って説があるよね(^^ゞ。
川自体は暗くて写さなかったが、海坊主状態の自分が写せてラッキー(笑)。

ここは地図でも示す通り、早川が宮城野で二手に分かれた支流の流れに当たる。

川べりの桜並木
もう一つ本流の夜桜もライトアップされてた

こっちは濃い紅色の枝垂桜(#^.^#)。
霧と合わさって幻想的だった♪



<帰路・夜の東京>

風呂屋で夕飯が食べられなかったので、ニノ平に出て、レストラン「ロワ」で夕食。

前に一度入った店で、アテにして来たんだが、何だかエライ高級レストランになってて、ちょっとしたもんを頼んで慌てて出た(^_^;)。

さぁ、あとは高速に乗って、ブンブン飛ばしてひたすら帰る。
あっと言う間に東京タワー(爆)→
ブレてるのは高速だからで、東京に霧は全く出てない(^^ゞ。

日頃は滅多に写さない東京。ちょっとだけ帰りの夜景をお届け♪
東京タワーの次は、レインボーブリッジが見える。↓
レインボーブリッジを渡る。→

ブリッジから見える夜景
さらに高速を進む

千葉県方面(田舎(^^ゞ)に向かって行く

地元の桜
まだ満開だった(^^ゞ

「あの暴風でだいぶ散ったかと思ってたけど、咲いてるね〜(^^)」
「ホントだね〜。その後も散らなかったんだね。寒かったのかな」
ちょっとした浦島太郎気分で、何とか地元の桜風景に帰って来た(^^ゞ。

この旅行に行く前後、たみい様から「太平記・小どんぶりセット」の写真が届いた(#^.^#)。今年はいずこもお花見気分だったんだね〜(笑)。



■5月・千葉県
<宗吾霊堂、1>


毎度ながら、今年(2006年)もドップリ疲れた状態でGWに突入(特に亭主が:笑)。
今年の「ダレ具合」は例年以上で、殆ど思いつきで「ウナギでも食いに行くか」。←確かこんな話で家を出た(笑)。
つまりフラリと行った先で、たまたまウナギ屋があれば入って食う、という感じ(^^ゞ。

しかしせっかくの休日だから、さすがに「近くのファミレスで」とまでは二人とも思ってない。
「ウナギと言えば、やっぱ宗吾街道かな〜(^。^)」
何しろそう遠くはないし、適度にドライブ気分も味わえるコースだから、フラフラとそっち方面に車は走り出す。

結局この日は宗吾霊堂、房総のむら、臼井城跡の道順で走って、「宗吾霊堂」だけわりと見た。これでやっと何となく勢いづき、翌日「房総のむら」「臼井城」にもあらためて行った(^^ゞ。
続けて、間はだいぶ飛ぶが8月、臼井城と連携したような場所にある印旛沼の城跡「師戸城跡」にも行ったので、これもこのシリーズで行きたいと思う(^^)。

まずは2005年「11月のたわごと」<すすきロード(千葉ニュータウン)>の通り、464号線を千葉ニュータウンを過ぎて、西から東へ。地図D

←「竜腹寺」の交差点。前はここまでしか道路が出来てなかったんだが(^^ゞ、今ちょっと先まで延びてるので、これをそのまま直進(ちなみにここを南に右折していくと、師戸城跡や臼井城跡の方向に出る)。

「角田」という所で道路が終わってるので、自然と右折路線に入ると、やがて右側ちょっと遠目に印旛沼が見える道路になる。

こんな道。これも突き当りを左に折れる。

その後右折する箇所はこんなトコ。↓

「境田交差点」と標識にある
その後は「うなぎロード」(^。^)
↑交差点名より「宗吾霊堂」というオドロオドロしい看板の方が目立つけどね(^_^;)。

「うなぎロード」(←注・この名は私がつけた(^^ゞ)は、同じく2005年「11月のたわごと」<うなぎロード(印旛沼〜宗吾街道)>内の通り。
鉄道だとどこからもちょっと遠そう(^_^;)。成田線の「下総松崎(しもうさまんざき、と読む)」が近いかな〜。

この辺り、印旛村で、よくこういう街灯を見掛ける。

←ナマズ!(笑)・拡大→

後で来た時、夜に撮った写真なので、これだけ妙に暗がりだけど、灯りがついてて雰囲気濃厚でしょ(^。^)。

このまま印旛沼を超えて成田に入ると見掛けなくなるので、ちょっと出してみた(^^ゞ。印旛村のマスコットらしい。

さて「うなぎロード」を通り過ぎ、「麻賀多神社」を超えたら突き当たった道を左折。曲がった途端に「宗吾霊堂」はあるので、車だと勢い通り過ぎてしまうかも(^^ゞ。
ここは鉄道だと京成本線の「宗吾参道」がわりと近いと思う。

我々は曲がってスグの駐車場に取りあえず入る。

↓駐車場前のお店。「義民」というお香を売ってた。佐倉宗吾にちなんだお香だろう。
そして「宗吾霊堂」の正門→
そんなに広くない道路に面した場所なので、車が無くなるのを待って撮影した。

入ると左側に続く出店の列
正面に大きな山門

祟りで有名な佐倉宗吾の寺なので、どんな雰囲気だろうと興味シンシンな一方、コワゴワな気持ちもあったが、来てみたら意外と観光ムード満載で、ちょっと驚いた(^^ゞ。

この出店で、帰りにお守りを買った→
このお守り、もちろん「宗吾山」と書いてあるんだが、この信仰はどっから来たものだろう(^^ゞ、「便所に下げておくと、便所関係の病気にならない」と聞いた。
こういうお守りって多いのかな。私は初めて聞いたので「珍しい!」と喜んだけど(笑)。
見ての通り、瓢箪が6個ついている。ふつうお札とかお守りって、こういう不浄の場に置かないものという固定観念があって、何となく気がひけたのだが、お店で再三「家に帰ったらスグおトイレにブラ下げて」と言われたので、そのようにさせて頂いている。

山門に入る前に、もう一つ、ここに来たらコレ!という感じの佐倉宗吾のお墓、これがナント、この出店の向かい側(つまり入って右側)にある。↓

←佐倉宗吾のお墓。「宗吾霊」とだけある。
↓一部拡大。「佐倉」とかけたんだろうね(^^ゞ、桜のマークだらけだった。

佐倉宗吾については、さっきも出した下の方だけど、2005年「11月のたわごと」<うなぎロード(印旛沼〜宗吾街道)>内を。

これだけ暗い悲惨な話の主人公の墓が、妙にド明るい露店の向かいに、しかもヤケに堂々と賑やかな風情の墓になってる事に、まず驚いた(笑)。
まぁ祟り神(って寺だけどねここは一応(^_^;))ってのはそういうものなのかもしれないけどね。

あ、そうそう、去年は書き忘れたけど、この堀田氏というのは、例の春日局の娘が嫁いで家運上昇した家。ちょうど三代家光の頃から、かなり露骨にこういう「ええ私、将軍の息かかってます」みたいな人が次々と千葉県を席巻した、ってな背景があるのかな(^^ゞ。

これより山門をくぐって境内に入るんだけど、この続きは次回に(^^ゞ。

次回は「宗吾霊堂」の続きと「房総のむら」。行けたら先に「師戸城跡」をっ♪

<続く>

2006年11月07日
 
     





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