<2013年・城主のたわごと1月>



2012年8〜10月、駆け足レポ二弾。晩夏〜秋(^^)。

そしていよいよ10〜11月! 北関東レポ開始だぁ〜っ!




     
  去年(2012年)の晩春〜晩秋(5月〜10末)、駆け足レポ第二弾(^^ゞ。
今回は、8月後半から10月末まで。我孫子と柏の間の手賀沼、道の駅や、権現古墳、雄大な湖畔の雲や、秋の利根川、ハロウィンの町など。

そして10末〜11初旬にかけて行った、上野(群馬県)レポの始まり始まり(^O^)!
大まか群馬なんだけど、最終日だけ下野(栃木県)も廻ったので、題して「上下野編」と名付けてみた(笑)。(←翌2月号(2013/02/28)にて、「上下毛編」と改名)
例によって、6回ぐらい連載になるかと(^^ゞ。

第1回の今回は、現地に向かう高速道路の風景から始まり(これも例によって(^^ゞ)、現地に到達し、最初に行った「生品神社」に到着する所まで!

今回も文章はまだそんなにナイので、文章については、前々回のGWミニミニツアーレポ「下妻編2」で、坂東に住むまでの親鸞の特集を読んで下さい(^_^;)ゞ。

2012年11月@<親鸞聖人「小島草庵跡」>内/A<「光明寺」(伝・親鸞お手植えの菩提樹)>内/B<「砂沼」遊歩道と「砂沼大橋」>内
↑わりと頑張って書いたのっヨロシク!(≧▽≦)



■2012年8月後半・千葉県柏市・鎌ヶ谷市
<日没・月・花火>


まずは、真夏の8月後半。
実はそれぞれ違う日に撮影したんだけど(笑)、見た目優先で、「昼→夕方→夜」の順に綴る(^_^;)ゞ

しいの木台通りのサルスベリ(紅)
サルスベリ(白)。真夏の花だねぇ(^^)

場所はこの辺かな→地図A

世田谷に住んでた頃、秋や冬は決まって信州に泊まりがけ旅行に出掛けてたので、他のシーズンは節約しようと(^_^;)、よく鎌倉など行っていた。何とか日帰りできる距離で、ブラブラ寺巡りしてればいいから、殆どタクシーも使わずに済むからだ(笑)。

寺社仏閣の多い鎌倉に、紅葉や雪見の名所が多いのは勿論だが、年中どこかの寺で何らかの花が咲く事でもよく知られている。

そんな鎌倉でも、真夏だけはどこの寺の花見カレンダーにも、「サルスベリ」と書かれていた(笑)。→製作年不明(笑)「鎌倉の四季」(特に「8月」注目:笑
こういう見事なサルスベリの花を見ると、我々夫婦は、いつも鎌倉の話をするのであった(笑)。

真夏の日没

コ・マ・オ・ク・リ(笑)

↑日頃、太陽がそんなに急速度で動いてる(動いてるのは地球だが:笑)ように思ってないけど、ホント日没となると、すごい急スピードで沈んでいくよね(^_^;)。

←幻想的な月と水辺の光景。
場所をハッキリ思い出せないけど、手賀沼か手賀沼周辺、あるいは沼に向かう途中、白井あたりかも。
下に揺らめくさざ波も、手賀沼や手賀川でなく、水田の水かも(^^ゞ。

夜通ると、水田でもこういう風景が肉眼ではよく見えるんだが、写真ではどうもこういう感じが撮れないので、これはよく写せた方なの(#^.^#)。

そして夏の夜空に上がるのは……ドド〜ン(≧▽≦)! 花火っ。

ちょうど夜ドライブ中に見付けて、「どこどこっ(≧▽≦)?!」と夜道を探し、わりと程良く見れる地点で亭主が車を停めてくれたので、ゆっくり撮影できた。(亭主の運転席からは見えにくかったかも(^_^;))

ただ同じような後続車両がドンドン来て、プレッシャー感じながらも、気強く粘って捉えた映像(^_^;)。
花火ってシャッターチャンスがめちゃくちゃ難しいから、何十枚か撮ったわよっ(笑)。
この「たわごと」でも、これほどよく撮れた打ち上げ花火は珍しい!

ヒュルルル〜パパンパン(笑)!! た〜まや〜(^O^)!

で、あとでネット検索してみたけど、ネット上によく出る、「夏の花火大会特集」みたいのには一切出て来なかった(笑)。
でも、だいたい佐津間あたりで打ち上げられた花火のようだった。あまり正確な場所はわからないけど、大津川があるので、この辺りかな→地図B

……てな感じに夏は過ぎゆき、そろそろ初秋へと移ろう(^^ゞ。

以上、関連事項は、
■花火
2011年1月<夏の花・森・夕焼・月・花火>




■9〜10月・千葉県柏市・白井市・松戸市・茨城県北相馬郡
<「権現古墳」と庚申塔(前原公園)>

例年だと、9月に夏休みを貰って旅行に出掛けてたが、去年(2012年)は、亭主も予定超過で、ついに夏休みが取れずに終わった(汗)。。

ただ、夏休みが9月までしか取れないから、「取れなかった」て言い方になるだけで、毎年、有給休暇だって使った事が殆ど無い(爆)。

夏休みも有給も両方取れたらいいなぁ〜、せめて取れなかった休み分、お給料に替えて欲しいけど、無理だね〜残業代だってナイんだもんね〜なんて思ったのは、もう何十年前の話だろう(爆)。

というわけで、今年は秋になってから、珍しく有給を使った旅行となった(^_^;)。
ただ単に、例年より1.3ヶ月ほど旅行に行くのが遅くなっただけだ。実質は何も変わらない(笑)。

それでも旅行の日程を空けるための慌ただしさは緩和され、そういう意味では、ほんの少しユトリのある秋だったかもしれない(笑)。

以下、写真は9〜10月。やはりそれぞれ違う日に撮影したんだけど(笑)、全体をざっと「秋の風景」という事でお届けしたい(^^ゞ。

まずは藤心の喫茶店「アンチーブ」(パノラマ3枚ほぼ180度)

地図Cヤフー←ここね(^^ゞ。写真は、9月も終わりごろ。
最後は手賀沼の中央に出るが、ここ藤心や増尾は、どちらかと言うと西側の領域。

←この日のランチ。メインは鶏肉の鴫焼きだが、カボチャの煮物やサラダに浅漬けと、野菜中心のヘルシーな美味しさ♪

ちょっと北上。地図D←こんな所に出てみる。
地図によっては名前が出て来ないが、「前原公園」という。普通にブランコとかある公園(^^ゞ↓

到着(^^)。周囲は「大津ヶ丘住宅」という団地(パノラマ4枚180度以上)

ちょうどバス停が前にある。「大津ヶ丘団地」か「大津ヶ丘四丁目」というバス停のようだ。

この「前原公園」、ちょっと覘くだけだと、滑り台とかブランコなどの遊具が見え、一見、団地の中の緑地公園のようだが、中に深く入ってみると……↓

奥の森にコンモリと隆起した一帯がある
近寄ると手前に石塔が並ぶのが見える

写真は9月中頃(^^ゞ。
向かって右傍らには、沼南町教育委員会による「沼南町の歴史をあるく 51 前原公園」という、平成4年(1992)の碑が建っている。

曰く、「この公園には、「権現古墳」と言う古墳が現状保存されています。この団地のある場所には、縄文時代から奈良平安時代にかけての集落跡が沢山あり、現在と同じく多くの人々が生活していました。古墳の前の石塔は全部で11基あり、道標庚申講として各所に建てられていたものをここに集めました。」

ズラー!と、かなり壮観(゚.゚)(パノラマ3枚ほぼ180度)

庚申講は、「猿田彦大神」「青面金剛」などと書かれた石碑と仏像の他は、表面が磨滅してる物が多かったが、特に「青面金剛」は、松戸から柏にかけて(多分もっと広範囲にあるだろうが)とても多く見る(^^ゞ。

教委の説明にもある通り、庚申信仰による事は言うまでもないが、「道標」として建てられた役割も大きいと思う。
この辺りは宿として栄え、物資の輸送ルートとしても発展した。

庚申塔の仏像(拡大)
その奥が「権現古墳」

古代は縄文集落も多い地域で、それらの痕跡(古墳)と江戸期の道標や庚申塔がこうして1ヶ所に集められ、団地の片隅にある光景というのも、町が出来た頃は「現代の風景」とされたのだろうが、今ではこれもまた「歴史の一環」と見ていい時代に入ったんじゃなかろうか(^^)。

ここは駐車空間が無いので、亭主が近くの公園の駐車場に車を停め、しばらくしてから迎えに来てくれるまで、私はここの撮影を終えて、さっきの道路に出て待っていたら、その前を通りかかった近所の方が、「ここはね、ちょっと前までは、なぁ〜んにもない田んぼや畑だけだったんだよ」と話しかけて下さり、戦中戦後の様子なども教えて下さった(^^ゞ。

この「大津ヶ丘」は、「大井」とも言われる辺りで、実は、将門の例の「王都伝説」の候補地でもある。
どうも茨城や千葉における将門伝承地には、古墳があるなど、かなり古くからの痕跡を留める場所に多い気がする。

大井の将門伝承地も、そのうちレポしてみたい(^O^)!

以上、関連事項は、
■藤心「アンチーブ」
2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>
2007年10月■2007年8月ごろ
2010年12月<藤心「アンチーブ」(喫茶店)>
2011年10月<夕雲・枯木立・雪>内
2011年12月<晩春から初夏にかけて>内
2012年10月<無難に近場で(笑)、まずは藤心>
■千葉北西部および茨城の古墳・遺跡(ざっと(^_^;)ゞ)
2006年8月<里見公園(国府台城跡)>内(明戸古墳石棺)
2006年12月<房総のむら>内(竜角寺古墳群)
2007年9月<手賀沼周辺散策・古墳と川べりの風景>内(水神山古墳)
   〃   <松ヶ崎城跡(柏市)>内(古墳跡)
2008年6月<子の神「延寿院」・子の神古墳>内(子の神古墳)
2008年8月<「廣幡八幡宮宗社」と「宮根遺跡」>内(宮根遺跡)
2009年10月<胤重寺>(七天王塚・前方後円墳)
2012年12月<手賀沼南岸・片山(北ノ作古墳群と南蔵院)>内(北ノ作古墳群)
■茨城・将門伝承地の古墳・遺跡
2008年9月<「常羽御厨・兵馬調練の馬場跡」と「馬場天満宮」>(石棺)
2008年10月<石岡市「常陸国府跡」>(舟塚山古墳群・箱型石棺)
   〃  <常総市「六所塚考」>(神子女(御子埋)古墳群・前方後円墳)




<大島田〜箕輪・「手賀大橋」と「道の駅しょうなん」>

さらにちょっと北上して、地図E←大島田あたりから、地図F←箕輪あたりまでの風景↓

和風の農家に竹林
左は「手賀沼病院」に行くルート

「手賀沼病院」というのは、「箕輪城跡」(地図G)の隣の敷地で、以前「箕輪城跡」のレポ時に話と写真で出した事がある(^^ゞ。その時は「手賀病院」と書いた。→(2006年8月<箕輪城跡>
今この分岐点には「手賀沼病院」という看板が出されている。あの時の親切なお医者さんは、まだお勤めかな(^^)。

この分岐点を通り過ぎるとすぐ、凄く大きな緑のトンネルがある↓

いつも目の前に来てから「あ、写せば良かった」と思うので、この日は身構えて写したのよ(笑)!
潜った所(ちょうどV字坂の谷間)に見えるのは、「道の駅しょうなん」の標識(^^ゞ→

↓左の駐車場はパチンコ屋(笑)
やがて手賀大橋と手賀沼が見えて来る→
左手前に見える看板と建物は、和風レストラン「みの太」↑。前に一度レポした事がある(^^ゞ。(2010年12月<梅雨の風情(湖と蛙と紫陽花)>

(中央部拡大)手賀大橋の左下にあるのが「道の駅しょうなん」

橋の下なので、あまりよく見えないんだよね(^_^;)。ちなみに、橋の右↑にあるのが「手賀温泉・満天の湯」

地図H←なぜか「しょうなん」としか出て来ないが、道の駅である(^_^;)ゞ

道の駅しょうなん」建物の後方に手賀大橋が←こう亘る(パノラマ2枚)

ここは、特にGWとか夏休みなど、トイレが混み合ってたり、次々と駐車場に車が入って来て、先がつかえてたり、このレストラン入口が人でごった返してる光景にちょくちょく出くわす(^_^;)。
多分、この辺りで唯一のドライブイン機能を果たしてる施設なんじゃないかな。観光バスなんかも高速のSAみたいに、よくトイレ休憩に使うようで、大型車輛専用の駐車場もある。

こんな地図が「道の駅しょうなん」で貰える(^^)↓

手賀沼周辺の地図↓字の上からクリックしてみて!(^O^)

字が小さいので、上から書き入れて、これまで行ってレポした所を各々リンクしてみた。
カーソルで字の上をなぞると、クリック出来るようにしておいた(^o^)v

他に「手賀沼八景」や、散歩コースが書かれている。
散歩コースは、@橋と自然と歴史、A文人と湖畔、B手賀沼復活の試み、C沼と自然と歴史、D将門伝説、E田園風景の中の歴史、の6コース。

で、ここ「道の駅しょうなん」は、↑の通り、手賀沼中央の「手賀大橋」の袂にある(^^ゞ。中には物産店とトイレ施設、大型駐車場、そして↓こんなレストランがついている。

レストラン「ヴィアッヂオ(Viaggio)」(パノラマ3枚ほぼ180度)

洋食は、手作り焼き立てパンやサラダ・コーヒー・ソフトクリーム類などあって、定食もある。意外と中華料理が美味しい(^^ゞ。
上の写真は、店内を一番奥の窓側から見ているが、ここから左を向くと……↓

そこはもう手賀沼(^^ゞ(パノラマ2枚)

ちょっと茂みがあって見えないが、右には手賀大橋が架かってる。
この位置からだと、白鳥型のボートが見えるので、発着場が近いのかなと(^^ゞ。ここからは湖も空もよく見えて、リゾート気分でお食事できる。

HPもあるよ(^^)。「道の駅しょうなん」。
大型連休などでなければ、そんなに混んでないし、食事がてら、ここで二人でノート広げて、亭主は仕事、私もたわごと作ったり読書なんかする(笑)。

←道の駅出ると、橋の左は手賀沼
↑右は「天然温泉・満天の湯」の二階部分

橋の先は我孫子市に突入〜!
右には「水の館」(恐竜の来そうな:笑)

地図I←満天の湯。地図J←手賀大橋。地図K←水の館

以上、関連事項は、
■手賀沼の史跡
2005年11月<将門神社>
2006年8月<泉「三夜堂」と「おせし様」>(龍泉院・弘誓院・箕輪城跡)
2007年9月<手賀沼周辺散策・古墳と川べりの風景>(松ヶ崎城跡・根戸城跡)
2008年6月<旧村川別荘・我孫子宿本陣>以降(延寿院・子の神古墳)
2008年11月<千葉県我孫子市「将門神社」(湖北)>
2008年12月<「将門神社・龍光院」(沼南)>(兵主八幡・六所神社・柳戸砦跡・高野館跡・布瀬城跡・香取鳥見神社)
2009年6月<「柴崎城跡」の周辺「柴崎神社」(我孫子市)>
2010年8月<旧手賀教会堂>
2010年12月<将門神社(沼南「龍光院」)>
2011年11月<沼南(柏市)「将門神社・龍光院」>

2012年12月<手賀沼南岸・片山(北ノ作古墳群と南蔵院)>




<手賀沼(曙橋)の雲・手賀川の白鳥>

この秋も、又々手賀沼が鏡のように空を写して、素晴らしい眺めだった(^^)。9月中頃。
地図L

湖面に映る初秋の青空と入道雲(パノラマ4枚180度以上)

湖面も綺麗だけど、この時は特に雲の湧き方が凄かったので、カメラを縦に持ち換えて、上空ごと撮ってみた。

スゴイ(゚.゚)。宗教画みたい(笑)(パノラマ縦5枚180度以上)

(左拡大)

(右拡大)

振り返って後方も撮ってみる(パノラマ5枚180度以上)

(局部拡大)

この夏(2012年)も凄く暑かったんだが、マイッタのは、その暑さが異常に長引いた事(*o*)!
疲れが出て、皮膚やら目やら膝やら、湿疹だ充血だ栄養補給だと通院が忙しくて、さらに疲れた(笑)。

その分こうして、秋になっても夏のような入道雲がいつまでも見られたと言うべきか……(^^;)。。

鏡のごとく空を映す湖面をすべる黒い水鳥
↑(拡大)カワウ? バン? 顔が白いからオオバンかな? 鳥の種類に疎くて(^_^;)ゞ

勿論いつも見る白鳥さん達も、この秋はいっぱい撮ったよ(^O^)! 下手賀川の発作橋周辺(地図M)に行ってみよう!

9月中ごろ
10月上旬

そして10月終わり頃。旅行に行く直前(^^ゞ

深まる秋とともに、白鳥の群れも数が多くなり、静々と長い行列を連ねて移動していく様は、何とも優美。

この年は、熱湯を車内に持ち込めるよう、保温ポットを買った(^^)。
これでユッタリと、手賀川と白鳥の群れを眺めながら、熱いお茶かコーヒーを飲む……あるいはおにぎりを頬張り、熱い味噌汁を飲むという、長年の夢を実現した!

……長年とか言ってないで、ポットぐらいさっさと買えば良かったのに(笑)。

昔これを「魔法瓶」と言っていた(爆)。今ポットの製品名を見ると、「象印マホービン株式会社」とあるから、完全な死語ではないようだ(^_^;)。
良かった、象印はまだあるんだね。ウカウカしてると日本の会社(メーカーに限らず)はすぐに、wikiで「日本に“かつてあった”企業」とか書かれちゃうよね昨今(汗)。

←再び曙橋周辺。10月上旬
↑フィッシングセンターの猫達

左の鳥達はコサギかな、ユリカモメ? アヒルもいる?(^_^;)
水草の合間にいっぱい群れてる事があるので、餌場があるのか……。

一方、右の写真の猫ちゃん達は、シッカリ餌を食べてるトコ(笑)。写真は9月初旬。
曙橋を渡った対岸「フィッシングセンター」(地図N)では釣り堀があり、よく猫達がおこぼれの魚を貰いに集まっている(笑)。

ちなみに手賀沼や手賀川の周辺には、かなり遠くまで行かないと、テイクアウト屋(コーヒー・ハンバーガー・弁当など)もファミレスも、スーパーもコンビニも無い。自販機ですら多くはない。

思うに、こうした野鳥や植物を保護し、沼や川の汚染を防止し、自然環境を維持する目的からじゃないかと思う(^^)。
ゴミの元になるような資源を、出来るだけ近くから出さないよう気を付けているんだね。

だから、この周辺で飲食物を持ち込んでも、ゴミは捨てずに家に持って帰ろう!(^O^)/

以上、関連事項は、
■手賀沼・手賀川・下手賀沼
2006年8月<手賀沼>
2007年7月<逆井〜手賀沼・栗ヶ沢>
2007年9月<手賀沼温泉「満天の湯」(爆)>以降
2008年4月<柏市・手賀沼>
2008年5月<年末(^^)>
2008年6月<黄砂吹き荒れる手賀沼>以降
2008年7月<逆井の梅花〜手賀沼(柏市)>
2008年8月<お花見続行(^^)>
2008年11月<千葉県我孫子市「手賀沼公園」>以降
2008年12月本文
2009年5月<古利根川・手賀沼・清遊湖>
2009年6月<手賀沼と発作橋(冬の白鳥)>
2009年8月<日頃の風景(手賀沼)から(^^ゞ>
2009年9月<初夏の布瀬と手賀川(^^)>
2009年12月<柏市「手賀沼」「下手賀沼」>
2010年7月<手賀沼と下手賀沼から、富士山・筑波山を>
2010年8月<手賀沼北岸(我孫子市)の桜模様(^^)>以降
2010年12月<梅雨の風情(湖と蛙と紫陽花)>以降
2011年1月<手賀沼の晩春〜初夏>
2011年4月<晩夏〜初秋・手賀沼までの空と雲>
2011年9月<柏市〜白井市、秋の夕暮れ><同じく、夕月・夜雲>および<日没>
2011年10月<クリスマス本番〜年末>以降
2011年12月<晩春から初夏にかけて>
2012年1月<ニョキニョキ歩き雲>以降
2012年7月<ハロウィンの頃まで>内
2012年8月<手賀沼「水の館」と「天然温泉・満天の湯」><真冬の手賀沼><梅の開花がすごく遅かった件>内
2012年9月<八柱霊園の南・手賀沼の南北岸・五香>
2012年10月<南北手賀沼の間「手賀の丘公園」「下手賀川」>以降
2012年12月<木下街道(県道59号・市川印西線)、A印西市編>以降




<利根川・今井・自衛隊基地>

今度は9月下旬。
手賀沼・手賀川より、ちょいと北上して、利根川に達し、「栄橋」(地図O)を渡って、茨城県は利根町に出て、利根川を茨城県側から撮影した。

行き方は、さっきの下手賀川を発作橋で渡って、手賀川を追いかけ、さらに「関枠橋」(地図P)で手賀川も渡って北上し、利根川に達したら川沿いを走る内に、「栄橋」には出られる。

が、この時は、「弁天橋」や「六軒橋」を渡って行った(地図Q)。
なんで二本も橋を渡るかと言うと、手賀川は発作橋あたりで下手賀川に分かれた後、そのほんの先から、すぐに「六軒川」と「弁天川」に分かれて、利根川に達する前に名前ごと変わってしまうの(^^ゞ。

何しろ「栄橋」から見下ろす利根川
渡って茨城県側から橋を振り返る

川沿いを行くと前方が二股に分離
左に行くと街に入る

一方右に行くと、利根川がよく見える

実はこの右の道は、「利根緑地運動公園」という所に達しているんだが、この日は終了時間だったのか、車輛止めがされていた。

この辺りには「柳田國男記念公苑」(地図R)「歴史民俗資料館」(地図S)などあるので、そのうち又訪れてみたい(^^)。

お次は一転して、手賀沼の南部、下手賀沼に連なる川の流域に広がる今井を通る道(地図T)。
よく「カトレア通り」(街道だったかな)と表示されてるので、地域ぐるみで植栽しているのかも。

こちらは10月末
この日は曇りでちょっと暗いが

今井は春には、この通りからも見える田畑の真ん中を流れる河川敷(下手賀沼に通じる)に、桜並木があって、夏〜秋にはカトレアも咲き、春も夏も秋も美しい風景が見られる(^^)。

農家からは農作物の看板や旗も立つ
種類は、トマトや卵、いちごもあったかな(^^ゞ

黄色いカトレアもよく見られるんだが、この日は赤いのばかり写ってる(^^ゞ。わりと交通量があって、あまりゆっくり写せる具合じゃないので、どうしてもこのように暗い日はブレが多くてね(笑)。

お次は自衛隊の基地。1枚目は10月下旬。ちょうど日没が綺麗だったので(^^ゞ。2枚目以降は9月初旬。

海上自衛隊下総航空基地(地図U
陸上自衛隊松戸駐屯地(地図V

駐屯地って書いたけど、どうも正確には住宅地(官内ではあるかも)のような……(^_^;)?

でも近付くと飛行機が
敷地の脇を抜ける踏切

飛行機? 戦闘機? 何しろ機体に「陸上自衛隊松戸駐屯地 今日もありがとう!」と書いてある(^^ゞ。
これは……自衛隊が地元に「ありがとう」なのか、地元が自衛隊に「ありがとう」なのか(笑)。

自衛隊って特別一定の地域だけを守ってるんじゃなくて、国全体を守ってるんだから、地域が御礼を言うのは変だと思うのよ。すると、自衛隊が地域に御礼を言ってるのかなぁ……。

(拡大)左奥のは「多用途ヘリ」ってのに似てるような(^^ゞ

たまにしか通らない道だけど、いつも見るなぁ……と思って検索してみたら、この飛行機はいつもこのような向きで停まってるらしく、他にも同じ写真を載せてるサイトやブログがちょくちょく見付かった(^^ゞ。わりと人気スポット?(笑)

旅客機と違って、日常では見られない物々しい飛行体だから、「ありがとう!」なんて親しみの言葉が書いてあると、何となくホッとはするよね(^^ゞ。

■利根川(メインのネタだけ(^^ゞ)
2006年1月<関宿城・周囲の「にこにこ水辺公園」>
2008年11月<千葉県我孫子市「利根川ゆうゆう公園」>以降
2009年11月<川口神社>
■今井の桜並木
2010年8月<今井の桜>
2011年11月<やや遅れて、今井の夕桜>
2012年9月<八柱霊園の南・手賀沼の南北岸・五香>
2012年10月<今井の桜>
■自衛隊
2011年11月<桜模様、各地>
2012年1月<ニョキニョキ歩き雲>




<今年の秋もハロウィン(^O^)!>

↑年明けたから、もう「去年」だけど(笑)、何しろこの秋もハロウィン飾りが各地で見られて、ご満悦でした……という画像(^^)。

まずは六高台の桜並木(地図W
ホンノリと色づいているネ(^^)

六高台はいつも桜シーズンしか写さないから、たまには秋の写真も(^^ゞ。

これで10月下旬! このところ温暖化で、秋や冬が来るのは遅いけど、このあと11月になっても蝉の声が聞こえたり、このように緑が青々したまま枯葉だけ出て散ったり、秋の到来が異様に遅かった(^_^;)。。

「くたびれたワン」
そして表題の……ハロウィン(≧▽≦)!

「かつ波奈」という千葉出身のとんかつレストラン(地図X)六実店

入るのはたま〜にだけど、夏みかん(八朔だったかな)のドレッシングがあったり、味噌汁には海鮮があったり、さりげなく千葉出身らしさが漂ってて気に入っている(^^)。

この時はハロウィン飾りが各所にあって、このオレンジ色が店の雰囲気にマッチしてて、イイ感じだった(#^.^#)。

お次は喫茶店「カフェ・シャコンヌ」と並ぶ……
ケーキ屋さん「スウィーツ・デイズ」!(^O^)→

地図Y←松戸市八ヶ崎の桜通りに面した「おっ母さん食品館」というスーパー駐車場の端にある(^^)

このハロウィン飾りの光景は、1年前だと、秋旅行の後にレポしたんだが、今年は1ヶ月以上旅行が遅れたんで、こんな所に、去年と今年の“若干の差”が出ているのだ!(笑)←大した違いじゃないか(^^ゞ

以上、関連事項は、
2012年7月<ハロウィンの頃まで>内




■10月末〜11月初・群馬県〜栃木県
<東北道〜北関東道>


例年より1.3ヶ月遅れの秋旅行開始(^^)。
旅程は3泊4日。レポは例年通り、だいたい6連載ぐらいで行ければっ♪

2011年は、長野県に行ってみようとか言ってたのが、震災があって、急遽、山形・福島・栃木に行く事に変えた。

なので、次の夏休みは長野かな、とも思ったんだが、年末、原発事故の放射能汚染で、赤城山(群馬県)の湖のワカサギ釣りが出来なくなり、観光に大打撃という話をテレビで見た。

恥ずかしながら、赤城山がワカサギ釣りの名所とは、初めて知った(^_^;)。風評被害への同情もあったが、ちょっと行ってみたくなった、というのも正直な所(^^ゞ。

2012年になると、春から夏にかけて、会津など観光地に来る人の数が、震災前の(あるいはそれ以上の)回復傾向を示しているニュースが続々と聞こえて来た(^^)<良かった!!

なので、今回は応援っぽい意識と言うよりは、ちょうど畠山義綱さん所で金山城跡のレポを拝見して、「群馬県に行ってみたい」と思ってたし、色々と物入りであまり遠出が出来ないのもあって(^_^;)、太田市から赤城山あたりに行ってみる事にした♪

というわけで、8月ごろ(だったか)宿を予約したが、9月に入ってから夏休みを取るのは無理と判ってキャンセルし(^_^;)、10〜11月に同じ宿を予約して当日を迎えた。

例によってまず外環に乗り、川口で東北道に乗り換えて北上し、埼玉から県境を越えて群馬に入ると……、

前方左手に唐沢山(たぶん(^_^;))
グングン近付いて来る

地図Z←今だいたいこの辺かなぁ……。群馬県には僅かにかする程度で、すぐ栃木県に入っている。

佐野藤岡で唐沢山に向かうようになるが
向かわず手前で大きく右に逸れ

岩舟JCTに至ったら
左折。北関東道に入り、トンネルを潜る

このトンネル(地図a’)が、さっきの唐沢山の下を通っている(^^ゞ。つまり左折したわけだね。

ここ数年、東北に続けて行ってたので、これまでは岩舟から先も東北道を進んでいた。
ここで北関東道に乗り換えるのは初めて! いきなり次々と山の中のトンネルに出くわすので、ちょっと緊張〜(^^;)。。

「唐沢山城跡トンネル」
出ると、佐野から足利へ至る道

「唐沢山城」は、伝説では「藤原秀郷の城」とされてるようだが、戦国期の「佐野氏」(秀郷の子孫)の城である辺りから確実という(^^ゞ。
つまりこの地域は、「将門の乱」で将門を倒した、藤原秀郷とその子孫たちの領域になるんだね。

栃木県の南西部・佐野市を通る

これより通る「足利」という地名も、鎌倉時代より後には、清和源氏の(足利尊氏を初代とする室町幕府将軍の)足利氏が有名となるが、平安期には秀郷流の、いわゆる「藤姓足利氏」の勢力が勝っていた。

ただ藤姓足利氏は、平安末にはどうも平家方に与していたようで、頼朝の挙兵以後は急速に衰え、同じ秀郷の子孫でも、小山氏など頼朝の御家人となった家が栄えていった。

「北郷トンネル」(地図b’
さらに南西部の足利市に入っている

「北郷トンネル」は、足利ICを越えた地点にあり、「足利城GC」(ゴルフ場ね(^^ゞ)のある山の下を潜る。
次の「大岩トンネル」までのちょうど左(南)辺りに、足利氏の居館跡「鑁阿(ばんな)」がある。

足利氏の史跡には今回は行かないけど、これより行く新田庄とは、隣あわせの領国(^^ゞ。
ちょうど途中に下野上野の国境があって、国が違うもんだから遠い感じがするが、すぐ隣(笑)。

つまり新田足利も、それぞれ国の端っこに領国した、という事だよね(^_^;)。。
端だからって損な場所に追いやられてた、とは限らないけど、平安期の下野では、何と言っても藤姓足利氏小山氏が幅を利かせてたので、藤姓足利氏の衰退無くして、尊氏に続く源姓足利氏の台頭は無かったようだ(^_^;)。

あとは足利市の町並みを過ぎ
正面に金山城を見て渡良瀬川を渡る

渡良瀬川を渡ると、再び群馬県に入る(地図c’
さっき一度、群馬県に入ってから、栃木県に入ったけど、それは群馬の南東部が栃木の南西部に張り出しているからなんだね(^^ゞ。→群馬県の形

以上、関連事項は……
■高速・東北道・磐越道
2007年2月<東北道〜磐越道・会津若松へ>
2007年11月<東北道・磐梯方面〜村田>
2008年1月<白石〜仙台〜松島>
2009年1月<まずは会津磐梯を目指す>
2009年12月<1日目・まずは岩手県まで一路目指す!>
2011年4月<まずは東北道で「西那須野塩原」まで>
2012年1月<まずは東北道で郡山まで>以降




<「太田桐生IC」から「生品神社」へ>

「太田桐生IC」で高速を降り
50号線を北上、「只上西」(地図d’)を左折

39号線「東国文化歴史街道」を行く
左の車窓からは金山城跡が見える(^^)

「金山城跡」とばかり書いてるが、盆地にポコンと隆起してるこの山(地図e’)はかなり広範囲を占め、北側に「金山城跡」がある他、「金山自然公園」「西山公園」「東山公園」などがあり、この旅行では中央「金龍寺」と、南端「大光院」に行った(レポは次回以降になるが(^^ゞ)。

周囲の寺々の看板が立ち並ぶ
右の丘には「厄除・米山薬師」と下にある

今通っている39号線は、「東国文化歴史街道」と名称され、道路じたいはそう広くもないし、交通量もそれほどじゃないが、途中あちこちに「妙満山・大慶寺(ぼたん寺)」や「慈眼山・瑞岩寺」など、大きなお寺の看板が出されて、どれも由緒がありそうで、「何だかスゴイ土地だなぁ(^_^;)」と思った。

そして、右に出した丘は、名の通り薬師如来の寺と思われるが、この見た目と言い、地図で見た形状と言い、明らかに「古墳」である(^_^;)。

群馬県は関東でも、巨大古墳の多い所と言える。
日本における巨大古墳は、その順位を殆ど西国に譲ってる……もっと言うと、100位までの内、奈良(34)・大阪(27)・岡山(10)だけがダントツに多いわけだが(笑)、そんな中、間を割って4番目に多い県として登場するのが、この群馬県(5)といわれる(^_^;)。(主な首長は毛野族と見られている)

レポは次回以降になるが、今回の旅行でもこの米山薬師古墳以外に、あと3ヶ所、古墳を見る事が出来た☆ミ

一方、左のだんだん遠ざかって行く金山城跡の山

つい金山城の山ばかり見てしまうが、道路の右側には、実は「木枯らし紋次郎」の里を再現したテーマパーク「三日月村」があるようだ。右と言っても、かなり距離があるようで、勿論ここからなんか見えないけど(^^ゞ。→地図f’

さらに進むと、長閑な田園風景から街中に入り、街灯に「新田の庄」なる文字を発見(゚O゚)!→
やがて道路を挟んで、左右に「新田の庄」が見えて来た!(左=本店・右=別館・寒山亭。地図g’)↓

わお!慌てて撮ったんで、今イチの出来だが、こっちは左の「寒山亭」ね→
もっとイイ写真は「新田乃庄」←お店のHPで見られる(笑)。

で、どうも郷土料理屋さんのようで、トップページから入って、あちこちクリックして読んでみると面白いよ(^^ゞ。

ちょっとかいつまんで述べると……↓

新田氏は初代・義重の頃(平安時代ね(^^ゞ。八幡太郎義家の孫)から、食の地の利に恵まれたこの地で、宮中の料理と食材を司る役職(大炊介)を拝命していた。源氏系図(義家以降)

多くの食材を整えたが、特に麦の食用に秀でていた。
後に「ほうとう」と言われる麺類も、元は餃子のように中に肉詰めして食すなど、「ぶと」という物から発展したという。(薬膳料理のような感じみたい)

麦は牛馬の肥料としても役立ち、戦場における名馬や、農耕や通行の便に用いる労働牛馬、宗教的に肉食が疎まれる前は、牛から食肉や乳酸品(酪・蘇・醍醐など)を得た。

しかし武家全盛の世となると、給料として支払うなどで、次第に米が経済価値の基準となり、貴族料理として喜ばれた麦も、米が無い時の代用品としてしか尊ばれなくなった。

特に戦後は、観光CMで、「ほうとう」が武田信玄の軍用食として宣伝され、発祥の新田の名で知られなくなった……といったような事が書かれている。(正確な点は、お店のHPで確認してね(^^ゞ→「新田乃庄」)

何かわかるような気がする。古墳時代には巨大な王権があった感じなのに、さっきも近くにあると書いた「三日月村」の「木枯らし紋次郎」なんて、一家が離散するぐらい「激貧の村」って描き方だもんね(ま、あれは創作だけど(^^;)。。)

やがて39号線から左折
到着。「生品神社」(^^)

裏の森に着いてしまった(^^ゞ。そっちに駐車場があるので(笑)。地図h’

テクテク歩いて横腹まで来た(パノラマ4枚180度以上)

え?ここが何かって?
ジャジャーン! 「新田義貞・挙兵の地(と伝説される跡地の神社)」じゃぁ〜!

↑を写してる背中側には、こんな橋が架かっていた。
←「生品橋」という。川には水が無さそうで、草ボウボウだったけど、周りにはコスモスっぽい花も咲いてて、秋の風情が濃厚(#^.^#)。

というわけで、この続きは次回!(は正面から入りたい(^_^;))
次回は、この「生品神社」から始まり、「新田荘歴史資料館」「世良田東照宮」「長楽寺」「明王院」の後に1泊、2日目の午前は「円福寺」「大光寺」まで行けるかなー!と(^。^)

以上、関連事項は、
2004年4月<まずは「新田義則(陸)の墓」>内


<つづく>

2013年01月23日
 
     





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