<2004年・城主のたわごと4月>




2002年7月箱根旅行の続き(^^)。

朝の箱根。新田義則の墓。そして久々の「彫刻の森美術館」♪




     
  去年の夏、デュアルブート作業につれて多くの画像を破損してしまい(汗)、その回復は未だに遅れてるが、なかなかアップできなかった写真をここまでは公開できるようになった。

にしても……たった一度の旅行を貧乏たらしく引き伸ばすのが「たわごと」の持ち味にせよ、ここまでレポアップが遅れると、どんどん写真の山は過去にうずもれて行くのであった(汗)。

さて、先月の「箱根編・再び」(2002年7月の旅)の続きである。



<朝〜>

翌朝、夕食はないが、朝食は焼き立てホヤホヤのパンっ!
クロワッサンやシュガーロール、その他いろ〜んな種類を焼き上げてくれて、好きなだけ取っていいんだよっ(^O^)。コーヒーもオレンジジュースも飲み放題だから、
「美味しい、美味しい、美味しいねっ!」
と朝っぱらから次々食う食う(笑)。

そして、前夜は到着が遅かったため知らなかった、ホテルの全容を改めて知る(笑)。
おおっ、なかなか豪華そうな……。
にも増して、箱根の朝は木の香りいっぱいで、実に心地よかったーー(^O^)!

朝はシトシト雨が降ってて、このテラス(中庭)に人は居なかった。

でもなかなか美しい中庭なので、中から写真を撮る人の影が……。



<まずは「新田義則(陸)の墓」>


お腹いっぱいになって、いよいよスタート!
どこに行くかは前夜の内にしっかり話し合って決めておいた。

「何と言っても、箱根といえば、彫刻の森美術館だぜっ!(^O^)」と私。
「ワンワン!」と亭主。←これが「話し合い」かい?(笑)

こたつ城主は子供の頃、何度も何度も箱根に来た。
それは父が仕事の都合でなかなか予定が決まらぬ年の夏休み、決まった頃には宿泊が満杯となってしまうだろう、との配慮で、何しろ箱根に宿を予約してしまうのである。

「お前ら、箱根ならいいんだろう」と父は言う(笑)。
「だよね〜!」。家族全員一致(爆)。
こんなワケで、最近事情は全く知らないが、子供の頃にあったものについてはよく知っている。

しかし「彫刻の森美術館」に向かう前に、今回はちょっと寄り道した。
「昨日の夜、夕飯食べに行った道に、南朝がどうとか、新田がナントカって書いてあった!」と私は主張。
「ああ、何かあったね、彫刻の森美術館に行く通りでしょ?」
亭主も前夜の夕食の途中、この標識を見た覚えがあった。

というわけで、車を出してものの何分で同じ標識を見つける。「彫刻の森美術館」の通り(自動車道)から階段を下りて小道に入り、美術館の隣接地を通り過ぎて奥にいく。

「南朝の忠臣、新田義則公の墓」の標識
(脇に小道に下りていく階段)
階段を下りて小道をしばらく行き、
標識を振り返る

やがて踏み切りにぶつかる。
線路にはエンエンとアジサイが(#^.^#)。
踏切を越えてなお行く
(さらに小道を進んで踏切を振り返る)

そして到着。左側にチラと鳥居、右側にチラと説明板。

左の鳥居(亭主たたずむ:笑)。
右の説明板。その奥にお墓。

説明板によると、

「新田塚

 応永10年(1403)、南朝再興の機会をねらって、底倉の湯でひそかに湯池を続けていた南朝方の武将、新田義則(義陸という説もある)は、入湯中を幕府方に襲われ、壮烈な最期をとげました。
 新田塚は、南朝最後の人といわれる義則が葬られた墓だと、伝えられています」

との事。「義則」は新田義貞の弟、 脇屋義助の孫だそうだが、この「義陸」というのは「義隆」じゃないかな、と思って撮った写真を確かめてみたが、やはり「陸」に見える。

「底倉って、昨日見た太閤の湯のトコ?」と亭主(詳しくは2004年3月「たわごと」を)。
「南北朝の頃には隠れ里で、秀吉の頃に拓けたのかねぇ」
なんて言いながら、元来た道を戻って「彫刻の森美術館」を目指し直す。



<箱根、「彫刻の森美術館」、1>

何十年ぶりだろう(笑)。小学生の時に来た。箱根で思い出すのはまずここと、あとは関所跡だろうか。
展示物も増えたようで、時々テレビで「こんなのあったっけ」と思う彫刻など見たが、入ってすぐ出逢う右のデカイ彫刻(人の三倍はあるだろうか)なんかは、子供の頃は無かったと思う。

入館料は高かった(汗)。大人1600円。美術鑑賞だから妥当なのだろうが、二人だとちょっとキツイ。

専門サイトを探したが、何度も読み込み直しを要する作りで、ココを気軽に訪れる気がしないのでは、と心配した。

ここは「一度来たらもう来ない」という場所ではないように思う。天気が違う、季節が違う、また私のように大人になって身長が変わるなど(これは後でわかる:笑)、微妙な変化で展示物への見方が大きく左右されるからである。出来れば、何度も足を運べる場であって欲しい。
例えば、同じく入ってすぐに出逢うこの銀色の門。↓
これは階段を上って中をくぐると、鐘の音が鳴る仕組みで、左の写真はその向こう側にたくさんの葉を髪の毛にした巨大な顔が横たわっている。
が、少し見方を変えると、右のように、その向こう側に別の人物が見えたりする。
下の彫刻も入場してすぐ目に入るが、真中の写真の通り非常に高い所にあるので、天に飛び立つようなポーズが遠い各地から角度を変えて目に入る。

今ではこうした「カラクリ劇場」は電気仕掛けの見世物が殆どだろうが、周囲の山や木々、霧、空気といった、箱根ならでは自然とともに楽しめる点がいいと思う(^^)。



今でも鮮明に覚えている子供の頃の記憶が、下の、ブールデル作「自由」「勝利」「力」「雄弁」の4体の彫刻である。

ブールデル作、4体の彫刻
(どれがどの名だったか覚えてなかったり(^_^;))

あたかも空の雲行きは、ちょうど「風雲、急を告げる」気配である(笑)。この中の一体を二つの角度から見てみようか。


上のごとく、まるで広大な空の下で苦悩する若者にも思わせるし、彼を囲む箱根の山々をして、何やら祖国に決意でも告げる勇者にも見える。
んがっ、この彫刻、実はかようにデカイ(爆)。

←子供の頃もコレやったんですがね、この比較をもって、この4体がいかにデカイかお判り頂けるかと。

子供の頃よりは(少しは)こたつ城主も大きくなったつもりですが、「いいや、石和(その他)で会ったが、アイツは小さい」とか仰る方々は、この彫刻と背比べした写真を送って下さい(爆)。

いやいや何しろ(笑)、一見すると自然の中で非常に小さく感じさせておいて、実際に近付くとかなり大きいというこの作りは、この大自然の中でなくては楽しめない味ではなかろうかと。

このブールデル4体あたりを最後に、入場したてで出逢う彫刻の群れを離れ、各コーナーに向かう。
上で「彫刻の群れを離れ」と書いたのは、紹介して来た3作品以外にも山ほど彫刻があるからなのだが(汗)、全て紹介するゆとりもないので、面白いと思った物と写真の出来がイイと思われる(これ必須)物だけご紹介。

右のように、ブールデル4体の彫刻は、場所を移すとまた別の風情を見せてくれるワケだが、こうした、場を写して改めて別角度から見る楽しみは、館内のアチコチで味わえる。

さて、ここは一体どこか。
それは下で遊んでるこたつ亭主をご覧頂ければお判りの通りで(笑)、子供の遊び場みたいなコーナーがある。

右のブールデル4体をご覧頂くとお判りの通り、ブールデル4体の右手を、やや低地に下りて行った場所にある。



さてブールデル4体に一度戻り、今度はその左手の方向に進んで行くと階段がある。
この辺りから、異様な物が地面に見え始める。


上のごとく「足跡」である。
これも幼い頃の印象に強く残っているから、他の子供がこれに沿って歩こうと、足の裏を無理にあわせて下りて行くを笑えない(笑)。

階段を下りてからも、かなり先までこの「足跡」は続いていて、左右に展示物は次々と出て来る(下の写真左)。
これらをこの「足跡」が、ちゃんと寄り道しながら見に行ってる跡が、また面白い。


他の展示物を面白く見てる内に「足跡」の存在を忘れがちだが、終息地はちゃんと上の写真(右)の通り、天国にでも続いてるようである(笑)。



上の「足跡」が通ってくる道にある人や馬の折り重なる彫刻(左)。裏(右)も堂々と見える。


木々と自然に囲まれた広場。




低地にある、水辺と森の中に入って来る。


振り返ると鬱蒼とした森林。そして渓流。


上の青い橋と赤い彫像は、ここのシンボルみたいによくパンフレットなどに使われてるのを見るが、実はこの通り、かなり鬱蒼とした緑の茂みと水辺に囲まれている。

右の写真の通り、渓流があちこちに見られて、「森」と言うより殆ど「山奥」(笑)。

ここにはなぜか仏像(?)など、日本の彫刻品が茂みのあちこちに隠れるように置かれていた。もしかしたら外国人がイメージした日本庭園だったのだろうか(^_^;)。

ここの他に、生垣で作られた迷路、組み立てトンネル、地下の部屋など、ちょっとした所に芸術家の創意、錯角を起こさせる工夫など施され、子供が喜びそうな趣向も多くて楽しかったが、とても全部は写真に収められなかった(^_^;)。

後編はまた次回〜。

<つづく>

2004年4月28日
 
     






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