「将門雑記(風と雲と虹と)」1(01〜07)
キャスト

平国香=佐野浅夫
貞盛の母=丹阿弥谷津子
平太郎・貞盛=山口崇
佗田真樹=藤巻潤
貞盛の爺や=永井柳太郎

平良兼=長門勇
良子=真野響子

平良将=小林桂樹
将門の母・正子=新珠三千代
平小次郎=水野哲(子役)
平小次郎・将門= 加藤剛(青年役)
平三郎・将頼=高岡建治
平四郎・将平=岡村清太郎
伊和員経=福田豊土

平良文=渡辺文雄

平良正=蟹江敬三

田原藤太=露口茂

鹿島玄道=宍戸錠
鹿島玄明=草刈正雄

源護=西村晃
詮子=星由里子
定子=新藤恵美
源扶=峰岸徹
小督=多岐川裕美

うかれ人の狩人=金内喜久夫

藤原純友=緒形拳
螻蛄(けら)婆=吉行和子
美濃=木の実ナナ
武蔵=太地喜和子
季重=沢竜二
季光=無双信

藤原忠平=仲谷昇
三宅清忠=近藤洋介
大中臣康継=村上不二夫
藤原仲平=永井智雄



この回の関連レポートは、「城主のたわごと」2008年8月<史跡と順路について>からおよび9月(冒頭部)からを(^^ゞ。

01話「将門誕生」

  民は将門がまだ生きていると信じ、坂東の荒野を駆ける野馬の背に将門の魂を見る。
  原作者・海音寺潮五郎は、将門を謀反人としたのは江戸期の水戸史学が初で、それまで一部の貴族しか彼を朝敵とはしておらず、将門は天皇に盾ついたのではなく、藤原氏に是正を求めたのであって、一般人は彼を英雄として崇め、神霊として称えて来た、と述べる。
  時は平安時代、各地の豪族は自領に富を貯え、律令制で始まった公地公民の制度は崩壊しつつある。頂点に立った藤原氏に対し、宇多上皇は菅原道真を重用して均衡を図るが、藤原時平が醍醐天皇を盾に、道真を大宰府に左遷。悶死した道真の祟りの落雷に京が震えた時、遠い東国で、平良将の子、小次郎(将門)が誕生。二人の兄は将門の誕生前に亡くなっている。
  子の誕生を民人達と喜び合う父の良将と、良将の弟の良文。民人との同席を嫌がる良将の長兄、国香。兄の国香と弟の良将の間を取り持とうと苦心する次兄、良兼
  小次郎は乗馬や弓に秀でた少年に育ち、弓の達人に出会うが、実は労役の辛さから逃げ出した「うかれ人」で、役人に連行される彼を小次郎は見守るしかなかった。
  やがて父の良将は鎮守府将軍に任じられ、小次郎を伴って陸奥に下向。小次郎は旅の途中で、縛られ馬で連行される田原藤太に出会い、太刀を献上する。
  やがて青年になった小次郎は、下総の豊田(将門の故郷)に帰郷し、鹿島玄明と出会う。



02話「恋あらし」

  久々に会った弟の三郎小次郎(将門)と同じく武道に秀で、末弟の四郎は学問に秀でていた。小次郎は留守の間、領地の管理をしてくれた伯父の国香を訪ね、国香の長男・太郎(貞盛)と再会。二人で筑波山の祭り「カ歌(かがい)」に出掛けたが、途上、鹿島玄道玄明の兄弟に遭遇。兄の玄道は女を太郎に取られた恨みから喧嘩を仕掛けて来る。
  どうやら太郎は相当な女たらしで、国じゅうで泣かせた女は何百だと、太郎の従者・佗田真樹は気を揉む。そんな太郎を源氏の息子()も、恨みを持って付け狙っていた。
  筑波山では神事が行なわれ、男女が入り乱れて踊った後、気に染まった男女同志が睦み合う。一人取り残された小次郎は、鹿島玄道に迫られて逃げ惑う女を救い、玄道と喧嘩をするが、殴り合った後の二人は爽快な気分で別れた。帰ろうとする小次郎の袖を、玄道から逃げていた女(小督)が捉え、小次郎と睦み合って名も告げずに去った。



03話「矢風」

  国香の長男・太郎(貞盛)爺やが待機する筑波山近くの小屋に、やがて小次郎(将門)と太郎が帰って来ると、太郎を付け狙って源護の長男・が追って来る。実は彼の妹で三女の小督は、太郎の数多い恋人の一人だったのだが、小次郎は太郎と小督の関係など全く知らない。
  逃げる小次郎と太郎を鹿島玄道玄明の兄弟が待ち伏せし、玄道と小次郎はまた喧嘩になるが、実は小次郎達を救うための兄弟の演出で、源氏の息子一派を誘い込む算段。案の定、広い草原で目立った彼らを標的にやって来た一派だが、4人は草深い中に行方を眩まし、陸奥で鍛えた小次郎の戦法が功を奏して、領地同志の境界川を渡って逃げ切った。
  父・国香に問い詰められた太郎は、小次郎と玄道の喧嘩が原因で、自分は加勢しただけだと言い逃れし、小次郎には「お前は陸奥に行けば済むが、自分達は土地の面倒から逃げられない」と言ったので、小次郎は心ならずも太郎を庇って嘘の証言をしてしまい、良将一家の土地管理の裏を探られたくない国香は、これ幸いと将門に恩を着せて陸奥に追い返した。



04話「筑波の楓」

  国香は源氏(嵯峨源氏)の頭領・源護に謝りに行くが、護は、むしろ誼を結ぼうと持ち掛ける。一方、陸奥の良将は、小次郎(将門)とともに来た使いの佗田真樹に、「源護に詫びの進物を届けはするが、小次郎には黙っていて欲しい」と頼む。やがて死を迎えた良将は、小次郎に「人とともに働き生きよ」と遺言した。民を思う良将の死を陸奥の人々も深く悲しんだ。
  下総の豊田に戻った将門(小次郎)を、国香・良兼良文良正兄弟が良将の跡取りと承認。父・良将の遺領を相続した将門だが、国香から戻るはずの領地が減っている。が嫁いだ時に実家から結納された土地まで無く、問い合わせても、国香は仮病を偽ってまともに面会しない。
  貞盛(太郎)国香の正室である自分の生母を呼び、国香と将門を会わせる段取りをしてやるが、国香は土地は馬と交換したとか、良将が生前に良兼にやったと言い逃れして返還せず、将門は国府に赴いて台帳を調べたが、未整理な資料を調べるのは苦労だった。
  将門は「カ歌」の夜に出会った女を見付け、それが源護の三女・小督鹿島玄明に教わり、小督が貞盛の恋人と知らず貞盛に相談。心中穏やかでない貞盛も、将門に恋文の書き方、館に忍ぶ方法を教え付き添ってやる。ついに小督の元に忍ぼうとする将門を父の源護が見咎める。



05話「平安の都」

  小督への思いを打ち明ける将門(小次郎)に、は「しかるべき仲人を立てろ」と追い返した。
  相変わらず仮病を装う国香も、将門の用件が領地問題でなく結婚の相談と知るや大喜びで請け合い、源護の元に出掛けて願い出たが、護は息子・との喧嘩沙汰の件が小督と貞盛(太郎)の仲に原因がある事を述べ、むしろ貞盛の嫁にと話す。
  護も国香も良兼も、泊づけに官位を得るべきと結論し、将門を上洛させようとした。この時に将門は、国香の館に連れて来られた良兼の娘・良子に、子供の時以来の再会をした。
  源護の家の長女・詮子、次女・定子、三女・小督が、いずれも結婚に真剣でなく、貞盛も坂東の田舎暮らしより、京で夢を適えようと野心に満ちているのに対し、将門一人が京に発つ悲壮な決意。家族や領地を置いて行く事に躊躇う将門に、弟・三郎は将門に代わって自分が家を見ると言い、末の弟・四郎も、兄の将門が京に上れば自分の学問の道が開けると賛成。
  京では、螻蛄婆などに密偵をさせ、京に出入りする者達を物色していた藤原純友が、懐から金子をくすねようとしたスリとその仲間を次々と退治する将門を見つけた。



06話「闇の群」

  将門に興味を持った藤原純友は、配下に将門の動向を探らせた。
  将門は京に来た初日、藤原忠平の門番に「東夷」と蔑まれ、郎党の伊和員経が掴ませた賄賂で、やっと内部に通されたものの、同室の同僚たちが何年も官位を得られずに、腐って博打に明け暮れるのを見守るだけの日が続いた。要領のいい貞盛の進言で、進物に馬などを追加して、やっと藤原忠平との対面が適った将門だったが、忠平の思い違いを正したり、官位を得たいと言い出した事が原因で、取次の家司・大中臣康継にこっぴどく叱られる始末だった。
  配下の季重季光兄弟を率いて、盗品を運ぶ盗賊の女首領・武蔵は、通りすがりの鹿島玄明の笛の音に、遠い過去の記憶がよぎる。玄明の方も幼い頃に母を亡くし、異母兄という玄道には会ったが、鹿島で神人に仕えた父も既になく、生き別れた同母姉を訪ね京に来たが、姉は行方がわからなかったので、螻蛄婆たち傀儡の集団と行動を供にしていた。
  盗賊を退治どころか噂話にも出ない侍所に怒る将門に、同僚の三宅清忠は「乱世で勇者は盗賊に、臆病者は乞食になる」と宥めるが、よく通り掛かる廃墟が元は皇子の住まいで、その姫すら行方知れずと聞いた将門は、藤原氏の権勢の凄まじさと都の退廃ぶりに衝撃を受ける。



07話「女盗有情」

  藤原忠平の文の使いという、やっと役目らしい役目を貰った将門だったが、僧侶に届けた文は「遊びの誘い」と聞いて落胆。その帰り、盗賊の押し入る館に踏み込み、武蔵の一党・季光を討ち取った。武蔵は藤原純友の恋人で、ともに藤原仲平に仕えて知り合った。純友が「将門は自分の友達だから許してやれ」と言うが、武蔵も季光の兄・季重も気が収まらない。
  盗賊討伐の功を認められた将門だったが、その新たな役目が、藤原忠平の五男(師尹)が貴族の娘の館で初夜を迎えるべく警護だった。貴族社会の退廃ぶりに嫌気が差す将門だった。
  そんな将門を呼び出した螻蛄婆は、途中に待ち伏せして弟の仇を討とうとする季重を撒いて、将門をある館に連れて行く。そこで将門との初対面を待っていたのは藤原純友だった。



<コメント>

大河ドラマ「風と雲と虹と」の原作は2作あって、一つが「平将門」、もう一つが「海と風と虹と」ですが、残念ながら、現在はどちらも絶版(^_^;)。古本でも購入するしか無さそうです。。

ちなみにドラマで最初から出て来る「土地問題」ですが、承平の乱にいたる原因にこれを充てているのは、「今昔物語集」からじゃないかと思います。
将門と将門の乱に関する史料は極端に少なく、唯一の原典と言えるのが「将門記」ですが、これも冒頭部分が欠落しているため、実は乱の発端については色々な説が言われています。

そのため、ドラマにして見せるには、その重要な動機や前提部分を形成しなければならず、この大河ドラマは、「将門記」に記される合戦の様相まで、20話も原作とドラマの構成力だけで乗り切っている作品です。
ここまでの所は、その前段階の内の三分の一ほどまでが描かれています。

また、将門より後の時代をちょっと匂わせるような話が出て来る所もあって、話の組み立ては興味深く思います。

例えば、これは伝説なんですが、討たれた将門の首が京からバウンドして戻って来る話が冒頭に出て来ます。
美濃あたりにこの伝説があると聞いた事もあるのですが……。(※1

実は、将門の乱の後で起きた「平忠常の乱」では、生前に逮捕・連行された忠常が、京に着く前に発病し、美濃で死去したので、その首だけ京に持って行ったら、降参した者だから晒し物にされず戻された、という話があるんですね(^^ゞ。

また逆に、将門より前の時代を匂わせる所もあります。菅原道真がそうですね。
将門の生年は明確ではないですが、一説に903年と言うそうで、これは菅原道真の没した同年なんですね(^^ゞ。将門が没した年齢を38歳とするのも、この903年生誕説に沿ってるのでしょう。

ドラマでは将門が生まれた時、父・良将はその父(将門の祖父)高望王の話をしてますが、将門が903年生まれなら、祖父・高望王の没年は911年(将門8歳)なので、高望王とは生きてる時代が被っているはずで、将門と対面するシーンがあってもいいハズですが、高望王の没年に諸説あるのかもしれません(^^ゞ。

将門の誕生地は不詳で、私の知る限り、茨城県取手市や千葉県佐倉市などに伝承がありますが、ドラマで言われた「下総」は茨城県南西部と千葉県の北部に跨った地域ですし、作中に登場する「豊田」は茨城県でして、将門の生年にもよるかもしれませんが、だいたい妥当じゃないかと思われます。
ドラマは後半になって、将門の本拠「豊田館」が、将門が生まれた時からある館のように言ってました。

ちなみに平氏の父祖伝来の地は上総(千葉県南部)で、ドラマでも平氏の領したのは「上総・常陸・武蔵・下総」の順と言ってます。祖父・高望王から分配された領地としては、長男と言われる国香が千葉県南部・上総の市原とも言われ、確かに一族の本願地に近いですね(^^ゞ。
そして良兼は東部の上総、良将は北西部の葛飾と北部の佐倉を分配されてます。
同様に、良文が中央の千葉市とも言われますが、良文は武蔵や相模に居たと見られています(千葉県にも多少の領地はあったのかもしれません)。

が、良将や将門が、国香を「しだの兄(叔父)」、良兼を「はとりの兄(叔父)」と呼び、「しだ」は「石田」でしょう(国香は常陸の大掾をしてました)が、「はとり」は多分「服織」で、現在「羽鳥」と地名される辺りでしょうか。ここまで来ると、もう常陸に入ってる気もしますが(^^ゞ、利根川の南、千葉県にも「羽鳥」という地名があるにはあります。

常陸に分け入った場所が領地という設定の場合、国香(か貞盛)・良兼・良正が常陸国主の源護から三人の娘たちをそれぞれ娶り、その結納として領地を得たようで、ドラマでは長女(詮子)は結婚先から実家に戻り、次女と三女は未婚として、未だ彼ら平氏一族との縁組は成立してなく、やや前後関係が錯綜してる気もしますが(^_^;)、諸説あるのかもしれませんし、婚姻関係に関わる話は後でまとめてやった方が視聴者にわかりやすいから、これでいいと思います。

さらにドラマでは、将門の父、良将が陸奥に鎮守府将軍として下り、これに嫡男の将門を伴っていき、この父・良将の死によって、将門は陸奥から下総に戻って来て、源護の三女との結婚のため、今度は改めて京に官位を得に行く、という話になっています。

が、将門は京に10年以上いたとも言われ、父・良将の死後に上洛したのではなく、むしろ良将の死によって、故郷の管理のため下総に戻って来たようで、父の良将の没年は918年(将門15歳)だから、10年以上も京にいたとなると、5歳まで陸奥にいたとしても、そこで覚えた武芸や戦法が役立つという設定は、本格的に無理があります(^_^;)。

ただ東北地方にも将門伝説は多岐に渡って存在しますし、天慶の乱と同年に起こった反乱には、藤原純友の乱の他に陸奥の俘囚の乱があります。そういう意味あいから陸奥をドラマの範囲内に組み入れるには、むしろ将門が陸奥で生まれた事にすれば良かったのかもしれませんが、全体を通して見ると、「陸奥で鍛えられた戦法・武芸」は重要な設定として効いて来るので、私としてはこれでいいと思います(^^)。

また、将門の父・良将の死期については、918年よりもっと後という説もあるようで、常陸の寺院に「鎮守府将軍」として建立の伝承もあるとかで、これは930年ごろなのだそうです(^^ゞ。
どうも全体から見ると、この後者の説で行ってる気がするんですが……。

すると、将門が903年生まれだった場合、ドラマの筋だと初恋が、後から振り返ると……28歳ぐらいでしょうか(^_^;)。
それまで、女の「お」の字も無かった、と(笑)。

しかし恋愛や戦闘技能など、青年期の将門が全編に渡って重要な伏線となり、ドラマの出来として見ると、非常によく練られた前段階だと思います。

何より冒頭に描かれる「夜の原野に野馬が走っている(感じがする)、その馬の背に誰かが乗っている(感じがする)」という心象描写は、かなりリアルに土地の雰囲気を伝えていると思います。
私も本放送当時は「どこにでもある事」と軽く思ってましたが、大人になった今は、アチコチの土地に住んだり、旅をしたりしている内に、「この空気って、もしかしたらかなり固有の土地のムードなのかな(^^ゞ」と思うようになりました。

どういう土地って上手く言えませんが……どこまでも湿地と葦の草原がエンエンと広がり、山は無く、空は凄く広く、濃霧がよく立ち上るが低地にのみ波を寄せるのみで、星は冴え渡り、風は乾ききって声と竜巻と砂塵を上げ、土手を築いて野馬を囲う程度の隔てがあって、丘陵ごと木々は遠慮を知らず高く高く聳え……といった土地です(^_^;)。

祠を祀るさえ許されなかった謀反人の魂が、精霊(神)としてその土地に深く根付く前提としては、「あそこを奔るあの野馬の背に(いつか自分たちを救ってくれる)霊が宿っている」と思うしかない、という感覚は、何百年も否定されずに生活臭の中に生きたと自然に思える発想です(^^)。

逆に、京に上った将門が味わう様々な戸惑いと苛立ちは、時代劇を見慣れていると「誰かに仕える以上、不服や個人の好みによらず懸命に努めるべきでは?」と思えるかもしれませんが、「絶対的な忠義心」や、「形で報われる主従関係」がまだ無い時代として見ると、逆に思い切り「現代」と通じる「よくある光景(^_^;)」と感情移入しやすいドラマになっているとも思います(笑)。

以上、2008/06/19



※1(2008/07/16追記)
どうも美濃の不破郡(岐阜県)ですか「御頭神社」というのが、そのようですね(^^ゞ。神田明神のサイトによれば「新選美濃志」というのに記載があるそうです(^^)。
他によく聞くのは(ネット上でもたくさん出て来ました)、同じ所でしょうか、岐阜の大垣市「御首神社」で、「射落とした後に祀った」とされてるようです。

有名な大手町(東京中心)の首塚では、「首が戻って来た」事になってて、「自力で」とも「誰かが持って来た」とも説明があり、全て合わせて「バウンドした」と書いてしまいましたが(笑)、勿論それぞれの場所で「ここに首がある」という事になってるわけですね(^^ゞ。

ちなみに美濃には、千葉常胤の子、胤頼から興った東(少輔)氏の領地もありましたので、無縁ではないかもしれませんが、同じ美濃でもだいぶ場所は離れてるようです(^_^;)。
また東氏の祖の胤頼は、相馬を興した(あるいは将門流を継いだ)師常と兄弟ではありますが、将門とは直接つながりません。

一方、忠常が死んだ場所は「野上」という事らしいんですが……壬申の乱とか関ヶ原で出て来る不破関の近くにこの地名があるようなので、一応こっちの方が首伝説には近いかな〜(^^ゞ。
また東氏から見ても、忠常は間違いなく先祖の一人に当たりますから、そういう意味ではまるで無縁ではないのかもしれませんね(^^)。