春のお休み編・第二弾(^^)。 3日目(箱根2日目)の続きからっ♪ <箱根神社、続き> じゃあ、いよいよ本殿に入る(^^)。 ここの主祭神は瓊瓊杵(ににぎ)尊、木花之開耶(このはなさくや)姫、彦火火出見尊(山幸彦)の三神。 で、前回(9月)も少し触れたが、ここは明治の神仏分離令によって「権現」の名を廃して「箱根神社」となり、それまで付近に沢山あった多くの社が統廃合された。よって摂社には祭神が異様に多い(^_^;)。 左宮・駒形神社 一座・高皇産霊尊、神農産霊尊 二座・天照大神(神明宮) 以後、各一座ごと・櫛御毛奴命・豊玉比売命・●●草葺不合尊 右宮・高根神社 菅原道真・乙橘姫・大山祇・譽田別・天児屋根・天太玉・天宇受売・稲倉魂大神 うっ、途中字が出なかった(^_^;)。「鵜葺草葺不合尊」に相当する神じゃないかと思うんだけど……。
この霊水は、駐車場のそばの売店で「龍神パン」を作るのに使われてるようだ。 ここの龍神は、特に縁結びに加護があると聞く。お水で作られる食べ物も水そのものも体に入れるといいのだとか(^^)。
実は龍神に青龍と白龍がある事を初めて知った(^^ゞ。 縁結びと関連するのかも?(笑) 龍を退治した箱根神社の祖、萬巻上人を称えると同時に、倒された龍もこうして祀り、中央の図にある通り、7月には壮麗な祭祀(鎮魂)も行われる。 龍神と萬巻上人の戦いと、その祭祀である「湖水祭」については、2004年「11月のたわごと」<芦ノ湖>内を。 縁結びに繋がったのも、元は龍と戦いあった萬巻上人のはじめたこの神社が、その魂を慰霊しつづけ龍神への信仰を保っている事と関係あるのかもね(^^ゞ。 あと上右「安産杉」は、古代から祭祀の象徴・栄木として崇められた木で、やがて健全な母胎に見立てて子孫繁栄を祈られるようになり、今でも「子授け・安産の杉」と呼ばれ崇拝されている。 また神代、高天原から降臨した瓊瓊杵(ににぎ)尊が地上で初めて出会った木花之開耶姫(富士山の神)と結婚し、彦火火出見尊(山幸彦)が誕生した。この親子三神が箱根神社の主祭神であるので、それが由来という事だった。 この三神を「箱根大神」と呼ぶのだが、その事は後で行く駒ケ岳にて(^^ゞ。 これら全てを抱合し、縁結びとして有名な龍神の霊徳と考えあわせると、霊水を体内に入れるのも、おそらくは「子宝が授かる」という所に帰結するのではないかと(^^)。 境内には他に「矢立ての杉」と「夫婦和合の槇」があり、あわせて「霊妙な三杉」と呼ぶ。
ちなみに萬巻上人は、749年に鹿島神宮を建立し、757年にここ箱根に来たと伝わる。 一方、坂上田村麻呂は758年に生まれ、東征に来たのは801年。 以後、源(八幡太郎)義家とその父、頼義による、前九年・後三年の戦いを経て、東に武家勢力が広まるが、何よりもこの箱根峠を越えて行く者にとって、箱根神社(権現)は東への旅を守る神とされたのだろう。多くの山岳修験者の信仰を集めた理由もそういう所にあるのだと思う。
こういう布教の過程で用いられたのが本地垂迹と言われ、これは「全国津々浦々にいる日本の八百万の神々は、実は仏さまが仮の(神の)姿で人々の前に出ていた」という説法に染めて仏教を広げたもの。わりと関東とか東北とか北の方には多い感じがする。 この本地垂迹によって、各地の民間の神様達が仏名になったとも言われ、そのため元の神様がわからなくなってしまった、という話もあれば、それゆえ消えずに残った、という話もあるが、何しろ神仏習合の形で続けていた箱根では、明治になって神仏分離を言われ、「権現」はやめたというわけ(^^ゞ。
これは駐車場付近の売店&軽食屋さんの昼食メニューなの(#^.^#)。 店の内外に「権現からめ餅」「箱根コーヒー」「龍神パン」の張り紙があって、前から一度入ってみたいと思っていたノダ!
この「箱根コーヒー」は、九頭龍の神授水でドリップしたコーヒー。 「龍神パン」は、同じく九頭龍の水と龍神酒に箱根神社にお供えした玉子を加え、練り上げたパン。 「白龍ベリー」は白龍神社の白龍をイメージしたメニューだそうで、白いクリームに龍の目がついているでしょ(#^.^#)。クリームの下はブルーベリーが敷き詰められてて、本当に目に良さそう☆ミ 「九頭龍ぜんざい」は青龍の方だね多分(^^ゞ。九頭龍の縁結びにあやかって、思いを込めて食べると願いが適う♪ お店の人がすっごく親切で、「龍神パン」を試食させて下さった上に、「龍神さまの水だから」とわざわざペットボトルに入れて下さったのだ! 貴重な御水をありがとうございました(^∧^)。 <芦ノ湖(元箱根・桃源台)> 神社を出て車を走らせていたら、途中、芦ノ湖の「元箱根」でドーン!と富士山を見た。 まるで巨大怪獣のように山向こうから姿をあらわす富士の山(笑)
雪を被ってて真っ白だから、威圧感もある一方、距離感の方はオボロになり、尚更ノッシノッシと近寄って来るような錯覚が走る(笑)。 周囲の風景はこんな感じ。(パノラマ4枚180度)
浮かんでる船は遊覧船。この「元箱根」は寄港の一つ。
この風景、箱根のガイドブック等でたまに見掛けるが、こんなに手軽に拝めるとは知らなかった(^^ゞ。もっと高い山の上からとか、芦ノ湖のどっかの島からとか、そういう場所から写してるんだとてっきり。。
そうそう(^^ゞ、ここ「桃源台」にも、この遊覧船は来ているの。 パノラマ2枚。他にも同じ型の白鳥ボートが行き交っていた。
ボートは足漕ぎ式で、そう遠くまで行けるタイプじゃないが、それだけに風や波の具合でドンドン流されて遠くに行かされた時は、戻りが心配(^_^;)。30分で1500円だったかな。戻って来れず追加料金だとキツイので、15分ぐらいで下りた(笑)。 パノラマ2枚
足で漕ぐのに必死だったが、今こうして写真を見ると「いい風景だな〜」なんてしみじみ思う(今頃っ:笑)。 <旧東海道と甘酒茶屋> 今度はまた元箱根あたりまで戻って来て、逆(東)方面、いわゆる「箱根旧街道」に行ってみる(^^ゞ。 元箱根(地図A)を東に行くと旧街道はスグ始まり、畑宿あたり(地図C)まで走らせて戻って来る。
宿ではまだツボミもいいトコだったから、ちょっと意外だったんだけど、この旧街道まで来ると山間の割には、桜が殆ど満開状態だった(^^ゞ。同じ箱根でも、ちょっとの場所の違いで開花状況が違うんだねぇ。 途中この「旧街道」をはじめ、箱根の道の歴史を書いた看板があった。↓
最後に青い線で描かれた道路は、現在の「国道一号線」。現在の「東海道」はこの道を指して言うが、今いる所は旧街道沿い(所々で交差する具合)に出来てる道だから、江戸期の面影が漂う(^^)。 それにしても、一番古い道というのが、「え(゚.゚)、あんなど真ん中のが一番最初?」とか驚いた(笑)。 たぶん子供の頃も何度も見た図のハズだが、意外と覚えてないもんだ(^_^;)。 途中から元に戻って行く
古来より東西の文化が途絶える地点として、この箱根が関門であり難所とも言われて来た。 同時に源頼朝や新田義貞主従など、敵の囲みを脱した類の伝承や逸話とか、あと戦国期だと、堀越公方・足利政知が超えられなかったとか、北条早雲がついに超えた等と、必ずこの「箱根」は「超えがたい壁」として象徴的に使われ続けた。 この箱根の「壁」は、こうして各時代の日本における転換期の歴史に深い繋がりを持ちながらも、常に通行路が設けられ続け、今日こうしてドライブがてら花見する観光客を呼ぶまでになったのだ(^^ゞ。 子供の頃この箱根の道を車で走らせ、父が「はっこねーの山〜は〜天下の険っ♪」の歌を教えてくれた。昔の言葉で意味はサッパリ判らなかったが(笑)、概ね「天然の難所」である事はわかり、それが長い歌にまでなってる事に「へ〜(゚.゚)」と子供心に感心した覚えがある(^^ゞ。 そして、ここ「甘酒茶屋」にやって来る。 パノラマ3枚(ほぼ180度)。左「甘酒茶屋」、右は「旧街道資料館」。
資料館はまだ開いてて、見学の人がわりと来ていたが、我々はここで甘酒茶屋の方で休憩(笑)。
名の通り甘酒を売っている。我々はおでんとか頼んで、食べた後はお土産を物色(^^)。 江戸時代、この付近で赤穂浪士の一人、神崎与五郎が、吉良邸の討ち入りに向かう途中、馬子にいいがかりをつけられる。大事な仇討ちの前なので、詫証文を書いた事が忠臣蔵「甘酒茶屋」のくだりとして講談・戯曲で有名になった。 証文は本当に残っていて、神崎与五郎ではなく同じ赤穂浪士の大高源吾であり、場所も少し離れた三島宿だったが、江戸時代この辺りは、畑宿と箱根宿の中間にあり、大名行列が小田原城下に入る前に休憩する茶屋があり、たいそう賑わっていた。箱根八里に13軒あったが、今ではここだけに残っている。
ここで亭主はスケッチ、私は読書と、思い思いの趣味タイムに没頭〜(#^.^#)。 実はこの日「そんな風に時間を過ごせる場所が箱根にはあるに違いない!」と無謀な期待を寄せて、各々スケッチブックや本を乗せて、車を走らせていたのだ(爆)。
これは江戸時代、多くの人が利用した石畳の道(^^)。今回はこのちょっと先までしか行かなかったが、これがエンエンと連なって、今でも箱根で一番有名な散策ルート。子供の頃ゼェゼェ言いながら歩いた覚えがある(笑)。 亭主は「今度はコレに挑戦する!」と張り切っていた(笑)。
各々の趣味に時を過ごしたり、石畳の道を散歩するうち、辺りはすっかり寒くなって来て、宿に戻って温泉に入ったり、近くに夕飯を食べに行ったりして、この日は夜を迎えた。 <4日目、駒ケ岳「箱根神社元宮」> 箱根においては3日目ね。雨となった(^^ゞ。 と言っても、箱根は元々ものすごく雨や霧の多い所。続けて滞在して毎日晴天だったら、それはよほど運がイイと言うべきかもしれない(笑)。 私達としては、晴れてる箱根もスバラシイが、やっぱ箱根はどことなく煙っている所、という印象が強いので、この日も「うぉぉぉ〜!」とか感動しながら旅を続行。 国道一号線もこの日は雨と霧に煙る
さて向かった先は「箱根園」と言って、元箱根や箱根神社のある辺りから近い場所。 地図E←の通りここから「駒ケ岳ロープウェー」が出てるので、これより駒ケ岳の頂上まで行ってみる。
↑ちなみに「通行止」となってる赤い表示だが、現在は毒性ガスが発生してるためだとロープウェー売店の人が教えてくれた。大涌谷が近い位置だからだろう。前は歩いて行けたのだと言う。
駒ケ岳までは、箱根園からはロープウェーで8分。湯の花側からはケーブルカーで5分。 ……と神社の案内板や買ったガイドブックに書いてあったが、要注意! ケーブルカーは今は廃止されてるようだ(^_^;)。これは上っちゃって参拝してから、戻って来て待合室で係員の人に聞いたの。去年の8月で営業終了とか。 知らなかったら、ケーブルカーをアテにして湯の花方面に行ってたかも(汗)。
この後、崖(じゃないかと思う、濃霧で全く見えなかったが)の脇の道を歩くのだが、物凄い暴風で吹き飛ばされそうに感じ、崖側じゃない方になるべく身を寄せて歩いた(^_^;)。ちと怖かった(笑)。
この駒ケ岳は、芦ノ湖の北東に位置する山岳地帯の一部で、 駒ケ岳の北には、さっきの地図にもあった通り、山岳が連なる先に神山があり、南には富士山が見えるこの山では、元宮において日本神道のもっとも原初的な祭祀を行っていると言う。 パノラマ4枚(180度)。
逆側パノラマ4枚(180度)。
見渡す限り、いま自分の歩いてる地面とその周囲しか見えず、何だか冥界に彷徨い出たような気分(^^ゞ。 やがて、吹き晒しの高台から、やや低い小さな盆地のような一帯に降りてくる。↓ 盆地の一帯。丘の先にウッスラ見えるのが神社。パノラマ4枚(180度)
逆側パノラマ4枚(180度)。やって来た道を振り返る。
↑この盆地の中央に建ってる建物が何かは知らないが、前日に行った箱根神社(里宮)には、スケート場があるような事が書かれていたので、これがそうなのかもしれない。 何しろこうして、ちょっと周囲を高台や建物に囲まれてる辺りに来ると、風が遮られるので、やっとデジカメのレンズを拭いたり、少し落ち着いて写真も撮れる(^^ゞ。 そして姿をあらわす箱根元宮。パノラマ5枚(180度以上)。
ここの話は前に蒼庚斎さまにも伺って、例祭の時の写真も見せて頂いた事があったが、その時も風の強さに難儀しながら祭祀が行われた様子であった。 今こうして、この物凄い濃霧の中を来ると、想像していた以上に「異界に来た」という気持ちに包まれた。
そこで、祭神は上記、天御中主大神、高皇産霊尊、神農産霊尊、までを造化三神。 さらに、瓊瓊杵尊、木花之開耶姫、彦火火出見尊、までを箱根大神として、麓の箱根神社(里宮)でも主祭神とし、今でもあわせて心願成就・除災招福・世界平和・交通安全を祈願する(^∧^)。 聖占仙人は山頂に神仙宮を祀り、修験の場所とした。続いて、利行上人、玄利老人といった仙人が神事・祭祀を継承し、神山を天津・神籬(かもまがき=神が降臨する処)、この駒ケ岳を天津・磐堺(いわさかい=神を拝する処)として、原始宗教が開始された。 これが箱根縁起に言う一番古い伝説で、萬巻上人が出て来る前の「上古時代」なのだが、考昭天皇は、いわゆる「欠史八代」と言われる2代〜9代に含まれる実在を疑問視される天皇の一人で、それでも日本書紀では、その期間に時代を割り振っているから、それで言うと、紀元前475〜393年という事になるし、江戸期〜現在までの史観(説が沢山ありすぎて全部は知らんが(^_^;))に照らしても、100〜300年代初期という事になろうか。 (神社には「今より2400前」と書記にのっとっていた→2006年−2400年=紀元前394年)
これら付近の大小の石は、「馬降石・馬乗石」と伝わり、箱根大神(瓊瓊杵尊、木花之開耶姫、彦火火出見尊)を乗せた白馬が降りた名残とされ、いわゆる「白馬(天馬)伝説」の所以となる。 岩肌には馬の形が刻まれ、そこに現れる春雪の形状によって、田畑の豊作・不作を占う、という信仰が生まれた。またヒズメの跡と伝わる窪みには、どんな日照りにも水が枯れた事がない、と伝わっている。 この高い山の上に、どうやってこんな石を持って来たのか不思議だから、昔の人が「空から降って来た」と想像しても無理はないが、それにしても白馬とは神秘的。少なくても馬がすでにいた時代の人の発想だとは思うが、なぜ鳥でなく馬なのか……? 全国にある「駒形神社=高麗(コマ)系」という話はアチコチで見掛ける(^^ゞ。それが牧(放牧)と関連する事もよく言われるし、日光(栃木)二荒山神社でも赤城山に駒形山があり、縁起に「馬王」という言葉が出て来るという。この箱根の駒ケ岳も、そうした高麗系の神社だと示すサイトも出て来た。 ちなみに箱根縁起の成立は鎌倉時代と言われ、頼朝の頃はもちろん萬巻上人が来た頃も、もう日本に馬は来てるから、もしかしたら龍神が信仰されてた基盤が土地には元からあって、龍神より前に、仙人とか白馬とか、あとこれは芦ノ湖の伝説には天女が舞い降りた話もあって、そういう良い神仏達が来てたのに、龍神が出て廃れたから退治した、とかいう事になったのかなぁ。 では、参拝も終わってそろそろ降りる(^^)。帰りのロープウェー内(パノラマ2枚)。
実はこれを何台か見送った(^^ゞ。 と言うのも、雨と湿気と高山の冷気でさんざん冷え、濡れた服を乾かすのに、待合室のストーブにず〜〜っと当たっていたのだ(笑)。
遠ざかる駒ケ岳頂上付近(パノラマ2枚)
パノラマ2枚。これがロープウェーの麓駅「箱根園」。
「寒かったよね〜」とか言いながら食べたカレーは美味しかったぁ(^^ゞ。 箱根園から見る芦ノ湖の風景(パノラマ3枚・ほぼ180度)
<大涌谷自然研究路、1> ↑これもページの都合(笑)で、二回に分ける(^^ゞ。
まずはドライブイン到着(パノラマ4枚180度以上)。大涌谷もスッポリ雲の中(^_^;)。
パノラマ2枚。奥に湯気と霧に煙る山、手前は岩肌の露出した原を温泉川が流れる
パノラマ2枚
昔は高い木の林があったが、この大涌谷が生まれてから、地熱があがり、有毒ガスが発生したため、ブナなどは枯れ、ノリウツギ、アセビ、リョウブ、サラサドウダンなど、強い木だけが残った。
なおも登り道は続く。先の閻魔台までは徒歩10〜15分程度で、道も緩やかだから歩いてて全然しんどくない(^^ゞ。行って見学して帰って来るまで入れても、40分か長く見ても1時間あれば充分。 ただ、この辺りから亭主が「喉の具合が〜〜〜」と言い始めた。何と言っても毒ガスを含むので、体質が合わないとか病気の人などには長居はお薦めしない(^_^;)。
というわけで、以後続きは次回(^^)。 2006年10月08日 |
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