<掲示板・議事録>

     
  「城主のたわごと」2014-07(茨城北部2)

2014年のメールの遣り取りから、ご本人に承諾を得たものを掲載します。
この「647」は、時期的には「644」と「645」の間に入ります。

メールの遣り取りについては、それほど時期に正確に編集してきた覚えがナイので(^_^;)、今回も編集した時期(今)を基準に、現状において最新版(最終番号)とします。

当時は理由あって出す時期を待った(まだ話が続くかも、みたいな期待もあり:笑)のですが、この前後ごろから、よくよくお知らせしている通り、こうした作業になかなか専念しがたくなってしまい()、とりあえず掲示板に載った記事を優先して載せ、メール掲載は後回しにしてました。

そうこうする内、あっと言う間に時間が経ってしまい、掲載が遅れてスイマセン。
この件と同じように、議事録掲載に相応しい内容のメールがあったかもしれません。お心当たりのある方は、ご連絡頂ければ、メールを探して対処を考えたいと思います。

 ちょくちょく「ご挨拶」や「たわごと」でも述べてますが、時と共に流れて探しにくいので、ここにも書いておきます。
体調や仕事・生活などの変動や、PC不具合も小さくないのですが、特に大きいのが、HPソフトの改悪です(つД`;)。。
画像ソフト改悪→「今週のご挨拶とお知らせ」2013年8月2014年3月
HPソフト改悪→同2015年5月6月7月2016年6月2017年1月4月



<こたつ城主 2014/08/08(Fri) 17:18>

林光明さま、お久し振りです。こたつ城主です。

早速ながら用件からで失礼します(^^ゞ。

アップしてからだいぶ経っちゃいましたが(^_^;)、
去る07/31にアップした「城主のたわごと」2014年7月号
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2014/07.htm
に、「六郎光明の屋形」をリンク紹介させて頂きました。

毎度ながら長いレポなので、探しにくいかと思いますが(^_^;)、
<金砂温泉〜西金砂神社の石像群「田楽舞」>の最後、
(ワード検索で探すなら、次の<「金砂城跡」と「西金砂神社」>の
すぐ上なので、そっちで探して貰う方が早いかも(^_^;))です。

趣旨は、「リアル!戦国時代」の「座シリーズ」で田楽について
書いておられる所との関連として……です。

今回、茨城県の北部、金砂神社を特集したのですが、そこで
行なわれる祭礼に「田楽舞」があり、自分的に興味を持つ理由
として、林さまのリアル戦国に拠る所が大きいものですから、
そのような事を書いた辺りで、紹介させて頂いてます。

ちょっと時間が経ってからのご報告となり、スイマセン(^^ゞ。

パッと見る限り、お神楽か祭礼などで行なわれる舞という感じで、
田楽舞の本来の姿にどれぐらい迫ってるのか判りませんが(^_^;)、
それと、実際に演じられてる所ではなく、写真ばかりですが、
私の知る限り、明瞭に「田楽舞」と書かれる物を見るのは殆ど
初めてです。ご興味がおありでしたらご覧頂ければ幸いです(^^)。



<林 六郎光明さま 2014/08/13(Wed) 21:35>

こたつ城主様 参ル

ご無沙汰しておりますm(_ _)m 加賀の林です。
リンクご紹介の件、有難うございます。
早速拝見させていただきました。

レポを拝見した限りですが、とても神事的要素の強い
田楽舞、という印象を受けました。
四方固めに始まり、種蒔き、獅子舞、と続くのですね。
きちんと四方固めをして、それから次に進むところなど、
非常に神事的な段取りを踏んでいると思いました。

種蒔きの部分も、笠で顔を隠していて、感染所作もあって、
田の精霊や稲穀霊への配慮も窺え、能登の農耕神事の
「あえのこと」をほうふつとさせる敬虔さが感じられ、
私も本当に行って、見てみたいと思いました。
このような部分にリンクして頂いて、本当に嬉しく思います。



<こたつ城主 2014/08/14(Fri) 22:36>

林光明さま、お返事ありがとうございました(^^)。

> こたつ城主様 参ル

> ご無沙汰しておりますm(_ _)m 加賀の林です。
> リンクご紹介の件、有難うございます。
> 早速拝見させていただきました。

長いんで恐縮したんですが、お返事は頂けなくても、
お報せするだけしておこうと思いました(^^ゞ。

というのも、先に述べた通り、リアル戦国で読んだ時から今まで、
ずいぶん気を付けているんですが、やはり田楽舞を旅行先で
見たのは初めてです。「神楽」「延年舞」「獅子舞」と名づいてる物なら
よく見ますが、「田楽舞」と明瞭に記載されてる物は無かったので。

> レポを拝見した限りですが、とても神事的要素の強い
> 田楽舞、という印象を受けました。
> 四方固めに始まり、種蒔き、獅子舞、と続くのですね。
> きちんと四方固めをして、それから次に進むところなど、
> 非常に神事的な段取りを踏んでいると思いました。

> 種蒔きの部分も、笠で顔を隠していて、感染所作もあって、
> 田の精霊や稲穀霊への配慮も窺え、能登の農耕神事の
> 「あえのこと」をほうふつとさせる敬虔さが感じられ、

本当に全てが「田植え」に機縁してる、という事にもちょっと驚きました。
「リアル戦国」に「猿楽よりメジャーだった」と書いておられる通り、
驚くほど「見せる」要素の強い舞だと思いました。

> 私も本当に行って、見てみたいと思いました。
> このような部分にリンクして頂いて、本当に嬉しく思います。

ちゃんと林さまのリアル戦国に行ってくれる人がいるといいんですけどね〜。
田楽のトコに直リンしようかと思いましたが、やっぱあれは「座」を初めに
飲みこんだ上で読まないと、全体像が感じ取れないので、
トップページからの導入にしました。

あと、宜しければ後ほど、↓こちらは議事録に載せさせて下さい(^^ゞ。
(文中の部分を繰り返しになるので省略します)



<林 六郎光明さま 2014/08/20(Wed) 02:08>

こたつ城主様 参ル

加賀の林です。
田楽舞に注目して頂いて、本当に嬉しい限りです。

> というのも、先に述べた通り、リアル戦国で読んだ時から今まで、
> ずいぶん気を付けているんですが、やはり田楽舞を旅行先で
> 見たのは初めてです。「神楽」「延年舞」「獅子舞」と名づいてる物なら
> よく見ますが、「田楽舞」と明瞭に記載されてる物は無かったので。

民謡や舞で「ささら」をたまに見ることがあって、これは田楽舞系かな?
と思うものはいくつかあるのですが、おそらく近世の段階で田楽と
いう名称を外し、江戸時代当時の流行を付け加えて、それが
伝承されてきているものが多いのだろうと思っています。

まあ、それが観客に支持されなければ存続できないという、
民間芸能の宿命と言えるのかもしれません。ですから、
田楽舞の伝統を保ち続けているものは非常に少ないようです。

> 本当に全てが「田植え」に機縁してる、という事にもちょっと驚きました。
> 「リアル戦国」に「猿楽よりメジャーだった」と書いておられる通り、
> 驚くほど「見せる」要素の強い舞だと思いました。

田舎の田楽が京都に流入したころは、軽業など曲芸的なものを
取り入れて、それで大流行したということですから、やはり
民間芸能の伝承の難しさを考えると、古式に近いものは
とても珍しいと思います。
良いものを発見されましたね。

>> このような部分にリンクして頂いて、本当に嬉しく思います。

> ちゃんと林さまのリアル戦国に行ってくれる人がいるといいんですけどね〜。
> 田楽のトコに直リンしようかと思いましたが、やっぱあれは「座」を初めに
> 飲みこんだ上で読まないと、全体像が感じ取れないので、
> トップページからの導入にしました。

いつもながらのお気づかい、本当に有難うございますm(_ _)m
ちょうどYahooのカウンタサービスから変更したところだったので、
拙サイトには珍しくカウンタの数が伸びているようです(笑)

> あと、宜しければ後ほど、↓こちらは議事録に載せさせて下さい(^^ゞ。

全然かまいませんので、ご自由にお使い下さい。
こたつ様のお役に立てれば嬉しいです。
また、本メールの田楽舞の部分も使われても構いません。
こちらこそ、お返事有難うございますm(_ _)m
恐惶謹言



<こたつ城主 2014/09/03(Wed) 13:55>

元々、出雲阿国とかに興味持ってたのもありますが、田楽舞は、
座シリーズで、猿楽との違いを読んで、初めて別物と認識したのが
小さくなかったと思います。でないと、写真や祭りで見る事があっても、
全部同じような物と思うだけで、細かく見ようとは思わないかと。

> 民謡や舞で「ささら」をたまに見ることがあって、これは田楽舞系かな?
> と思うものはいくつかあるのですが、おそらく近世の段階で田楽と
> いう名称を外し、江戸時代当時の流行を付け加えて、それが
> 伝承されてきているものが多いのだろうと思っています。

びんざさらは、東北の鹿踊で見た事があります。田楽なんですね(゜.゜)。

> まあ、それが観客に支持されなければ存続できないという、
> 民間芸能の宿命と言えるのかもしれません。ですから、
> 田楽舞の伝統を保ち続けているものは非常に少ないようです。

なるほど、民間芸能だからなのか(゜.゜)。
記載を残す必要性が高くないでしょうし、例の一遍の踊念仏などは、
そもそも時宗の根が、民間信仰から発した事があると思うのです。
時宗が生まれる頃までの民間宗教には、奈良・平安初期の仏教が
根強く残ってる感じがします。仏教と言うより、道鏡などが行なった、
呪術(医術)まがいの山岳修行っぽい物ですね。空也が出て、
山岳から都のような都市に混ざり込んで、念仏になっていったと
思います(だいぶ大雑把なまとめ方ですけど:笑)。

それと一昨年、群馬県(上野国)に行って、神道集の世界を特集した
んですが(http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2013/04.htm#b)、
芸能の世界では、この「唱導」の影響がずいぶんあると思いました。

元は比叡山ですね。実は日光も、あれは比叡山系でして(^_^;)、
よく先史時代(というか「記紀編纂で史料を消された」的な発想した
がる向きの人が、諏訪や日光には、古い独特の信仰が残ってるゲに
思いたがる奈良〜平安以前ごろ)の話と思うのは、南北朝期に成立した
神道集がベースにあると思います。元を辿ると安居院、信西の子孫。
やはり後白河院の今様好きあたりと関係がありそうです。

> 田舎の田楽が京都に流入したころは、軽業など曲芸的なものを
> 取り入れて、それで大流行したということですから、やはり
> 民間芸能の伝承の難しさを考えると、古式に近いものは
> とても珍しいと思います。
> 良いものを発見されましたね。

「四方固め」「獅子舞い」「種蒔き」「一本高足」の四段は西金砂神社で、
東金砂神社には、最初二段は一緒で、三段は「巫女舞」、四段は「三鬼舞」
なんだそうですφ(。。)m。

もしも金砂に残る物が、かなり古い形容を残してるのなら、鎌倉期に
寺域が激減してるので、どうやって残せたのかなーと改めて思います。
でも、本当に「獅子舞い」なんかは、他の地域で正月とかにやるのと
ずいぶん違うと言うか、ホントに田植えと獅子舞いが直結してますよね(^_^;)。
(獅子が田んぼを練り廻すとか、面白い事を考えるなーと:笑)

> 全然かまいませんので、ご自由にお使い下さい。
> こたつ様のお役に立てれば嬉しいです。
> また、本メールの田楽舞の部分も使われても構いません。
> こちらこそ、お返事有難うございますm(_ _)m
> 恐惶謹言

ありがとうございます(^^)。前に紫さまの記事も同じようにしたのですが、
編集させて頂いてから、一度、掲示板上に載せ、しかるのち議事録に
掲載という形になると思います。
掲示板はちょっと困るという事でしたら、そんなスグには取りかかりません
ので(^_^;)、ゆっくりお返事頂ければ結構です。

宜しくお願い致しますm(__)m。
 
     

     
  <林 六郎光明さま 2014/09/05(Fri) 20:21>

こたつ城主様 参ル

> 元々、出雲阿国とかに興味持ってたのもありますが、田楽舞は、
> 座シリーズで、猿楽との違いを読んで、初めて別物と認識したのが
> 小さくなかったと思います。でないと、写真や祭りで見る事があっても、
> 全部同じような物と思うだけで、細かく見ようとは思わないかと。

今ではほとんど原型が残っていないのと、他の芸能と比べても
超マイナーですからね、せいぜい料理の名前にしか田楽の名称は
使われなくなってしまいましたから…

> びんざさらは、東北の鹿踊で見た事があります。田楽なんですね(゜.゜)。

もともと田舎発祥の芸能で、びんざさら等の楽器にも、
単純素朴なものが使われていることが多いようです。
言葉は悪いですが、陸の孤島みたいな山奥とか、谷筋の突き当り
みたいな場所に遺されていることが多いような気がします。

> なるほど、民間芸能だからなのか(゜.゜)。
> 記載を残す必要性が高くないでしょうし、例の一遍の踊念仏などは、
> そもそも時宗の根が、民間信仰から発した事があると思うのです。
> 時宗が生まれる頃までの民間宗教には、奈良・平安初期の仏教が
> 根強く残ってる感じがします。仏教と言うより、道鏡などが行なった、
> 呪術(医術)まがいの山岳修行っぽい物ですね。空也が出て、
> 山岳から都のような都市に混ざり込んで、念仏になっていったと
> 思います(だいぶ大雑把なまとめ方ですけど:笑)。

当時、民間に流布していた仏教系の呪術とか神社系の祭祀とかが
微妙に混じり合ったものですね。当時の都市と言っても、夜は真っ暗
ですし、特に庶民の場合は住んでいる土地の空間認識じたいは
山地とあまり変わりはなかったはずですよ。
そう考えると、こたつ様のまとめ方も正鵠を射ていると思いますし、
宗教民俗学にもかかわってくるかな、と思います。

> それと一昨年、群馬県(上野国)に行って、神道集の世界を特集した
> んですが(http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2013/04.htm#b)、
> 芸能の世界では、この「唱導」の影響がずいぶんあると思いました。

> 元は比叡山ですね。実は日光も、あれは比叡山系でして(^_^;)、

神道集。あれは私も一度、通して読みたいと思っています。
南北朝期の成立ってのがまた面白いですね。太平記もそうですが、
あの時期あたりから、地方の家とか寺社が自分たちの系譜を
実際より古く見せる、ということをやり始めます。
太平記の場合は未曾有の社会的混乱が主たる要因ですけれど、
神道集は、そういう世紀末的な混乱の中での、一つの救済宗教の
姿を表わしているような気がして、とても興味深いです。

唱導の方は、起源がもっと古い、と言うか、仏教経典の読誦から
もろに転化したものでしょうね。これが日本の芸能に果たした
役割を考えると、ただただ驚くばかりです。

私の住む北陸は浄土真宗の金城湯池ですから、この歳になると
あちこちのお通夜とかで、参列者が和讃とかの読誦をさせられます。
抑揚が半端じゃなく、言葉よりもメロディで覚えているんですよ(笑)
そう考えると、中世の世界もかなり音楽的に思えてきます。

> 「四方固め」「獅子舞い」「種蒔き」「一本高足」の四段は西金砂神社で、
> 東金砂神社には、最初二段は一緒で、三段は「巫女舞」、四段は「三鬼舞」
> なんだそうですφ(。。)m。

> もしも金砂に残る物が、かなり古い形容を残してるのなら、鎌倉期に
> 寺域が激減してるので、どうやって残せたのかなーと改めて思います。
> でも、本当に「獅子舞い」なんかは、他の地域で正月とかにやるのと
> ずいぶん違うと言うか、ホントに田植えと獅子舞いが直結してますよね(^_^;)。
> (獅子が田んぼを練り廻すとか、面白い事を考えるなーと:笑)

「一本高足」なんかは田楽そのものですね。
田楽の場合は猿楽と違って、もともとが稲作農耕から来ていますし、
それに寺院よりも土地の氏神系の神社主体ですから、土地の人々の
共同体が中心となって行われることが多いです。
今で言うと、地元の集会所とか公民館に近いですね。
まさに地域に直結した祭りと言えます。
獅子と田んぼも、田んぼに入る悪鬼を獅子の霊力で追い払う、
という感覚なのでしょう。

> ありがとうございます(^^)。前に紫さまの記事も同じようにしたのですが、
> 編集させて頂いてから、一度、掲示板上に載せ、しかるのち議事録に
> 掲載という形になると思います。
> 掲示板はちょっと困るという事でしたら、そんなスグには取りかかりません
> ので(^_^;)、ゆっくりお返事頂ければ結構です。

拙文の切った貼ったは複数のメールなども含めて、全然かまいません。
こたつ様の編集で、自由になさってください。
恐惶謹言

<こたつ城主 2014/09/22(Mon) 14:25>

こたつですー!

> 今ではほとんど原型が残っていないのと、他の芸能と比べても
> 超マイナーですからね、せいぜい料理の名前にしか田楽の名称は
> 使われなくなってしまいましたから…

> もともと田舎発祥の芸能で、びんざさら等の楽器にも、
> 単純素朴なものが使われていることが多いようです。
> 言葉は悪いですが、陸の孤島みたいな山奥とか、谷筋の突き当り
> みたいな場所に遺されていることが多いような気がします。

> 「一本高足」なんかは田楽そのものですね。
> 田楽の場合は猿楽と違って、もともとが稲作農耕から来ていますし、
> それに寺院よりも土地の氏神系の神社主体ですから、土地の人々の
> 共同体が中心となって行われることが多いです。
> 今で言うと、地元の集会所とか公民館に近いですね。
> まさに地域に直結した祭りと言えます。
> 獅子と田んぼも、田んぼに入る悪鬼を獅子の霊力で追い払う、
> という感覚なのでしょう。

陸奥に境を接した地域に、色濃く田楽が残されている事が興味深いです。
田楽というと「田んぼ」=農業と思いますが、手近にある道具を楽器
あるいは祭祀具として用いるという点では「鹿踊」にも共通項がありますね。

鹿踊は東北じゅうに在るのですが、そのスタイルは地域ごとに全く
異なります。東日本大震災で被災地ボランティアをやってる方が、
毎年東北の踊りにまつわるカレンダーを送って下さるのですが、
鹿踊と言いながら、虎もあれば鹿もある、衣装も多種多彩で、
二年で24ヶ月分の写真でも、全ては出し尽くしてなかった程です。

中でも、岩手県の江刺と福島県の会津のが有名ですが、
山形県の山寺(立石寺)にも「ししおどり」が伝わってまして、
「鹿踊」の「鹿」も「しし」と読むので、原型は同じだろうと思います。

音は「しし」でも、とにかく西日本の「獅子舞」とは全く違います。
「獅子」が「田」に関係があるなら、「鹿」は狩猟に関係するかもしれません。

山寺では、慈覚大師円仁が寺を作るために、磐司磐三郎という狩人に
交渉して、山を立ち退かせるんです(^_^;)。磐司は熱借(福島県の阿津賀志山)
から日光山の戦いに加勢にいったと伝説される猿丸大夫の子だそうです。

狩人が居なくなると、殺されなくなった「しし」達が、円仁に感謝して
舞を披露したのが、山寺「ししおどり」の始まりだそうです。

磐司はその後、狩り場を求めて、さらに北上して秋田方面に行った、
とも言われていて、磐司にせよ猿丸にせよ、つまりは狩人伝説なので、
こうした鹿踊には、縄文以来の狩猟採集生活の名残りが伝えられて
いる……という見方もあり、全体的に、狩猟民による祭祀の色合い
を読み解く向きがあります。

踊念仏が出た時宗では、群れて移動する信者の間で、
食器など日常品を持ち歩く作法やしきたりについて規定があった、
と読んだ事があります(一遍か他阿真教が定めたのでしょう)。
こうした遊行の共同体から、器物を用いて踊る慣例が生まれ、
農村は、外から入って来た形を取り入れたのかもしれませんね。

> 当時、民間に流布していた仏教系の呪術とか神社系の祭祀とかが
> 微妙に混じり合ったものですね。当時の都市と言っても、夜は真っ暗
> ですし、特に庶民の場合は住んでいる土地の空間認識じたいは
> 山地とあまり変わりはなかったはずですよ。
> そう考えると、こたつ様のまとめ方も正鵠を射ていると思いますし、
> 宗教民俗学にもかかわってくるかな、と思います。

もう二年も前になりますが(^^ゞ、茨城県下妻の親鸞の小島草庵跡と
光明寺にいった折のレポにも、念仏と古代仏教の事を書きました。
それぞれ長文で恐縮ですが(^_^;)。。。

http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2012/11.htm#a
光明寺では親鸞と慈円について→http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2012/11.htm#b
往生要集から親鸞受難まで→http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2012/11.htm#c

> 神道集。あれは私も一度、通して読みたいと思っています。
> 南北朝期の成立ってのがまた面白いですね。太平記もそうですが、
> あの時期あたりから、地方の家とか寺社が自分たちの系譜を
> 実際より古く見せる、ということをやり始めます。
> 太平記の場合は未曾有の社会的混乱が主たる要因ですけれど、
> 神道集は、そういう世紀末的な混乱の中での、一つの救済宗教の
> 姿を表わしているような気がして、とても興味深いです。

> 唱導の方は、起源がもっと古い、と言うか、仏教経典の読誦から
> もろに転化したものでしょうね。これが日本の芸能に果たした
> 役割を考えると、ただただ驚くばかりです。

私も一冊買って読みました(^^ゞ。はじめは図書館で借りたんですが、
探したらコピーするのと同じぐらいの値段のが中古で見付かったので。

各地に伝わる説話の成立期は、意外と南北朝ごろと思わせるネタが
多いと気づくようになりました。前から世の中の殆どの話は、鎌倉末期から
室町中期ごろにかけての成立だなーと思ってましたし、母体は平安末から
鎌倉にかけてという事も多いのでしょうが、何か南北朝の頃に、それらを
取り入れるとともに、記紀神話と結合させたり、記紀からソースを混ぜたり、
確かに「古く見せる」事に入念になってるように思いますね(^_^;)。。

北畠親房が常陸に来て、何年も頑張ってるじゃないですか。
何かこれが関係してるのかなーという気もしなくないですが(笑)、
仏教に関しては、やはり南北朝以降、救済志向が高まったのも事実
なので、やはり世情不安が原因でしょう。

あと、多くの唱導話が比叡山から出ているに関しては、パトロンの貴族が
没落してしまったので、地方に投資者を求めざるを得なかった、と
推測されてました。上野国については、新田義貞の挙兵と深く関わる
長楽寺が新たなパトロンだったのでは……と見られています。
長楽寺:http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2013/02.htm#j

そう思って見ると、確かに各地域とも、南北朝の動乱後、その前の宗派を
しのぐ勢いで、新興の念仏や妙見信仰などが地域に起こって、
前からある寺社がそれらを取り入れたり、下手すると、前のに替わって、
寺の主流となってる傾向すら感じます(^_^;)。去年の秋にいった秩父神社
などは、ずいぶん古くからあるのですが、やはり南北朝以後は、
いきなり妙見が主祭神に跳ねあがっていました(笑)。

> 私の住む北陸は浄土真宗の金城湯池ですから、この歳になると
> あちこちのお通夜とかで、参列者が和讃とかの読誦をさせられます。
> 抑揚が半端じゃなく、言葉よりもメロディで覚えているんですよ(笑)
> そう考えると、中世の世界もかなり音楽的に思えてきます。

源信は観想と両立する思想で半ば行ってたのが、晩年は称名念仏に
だいぶ重きを置いたようでした。恐らくはそうした平安期の天台の流れ
から、天台による唱導、浄土教による和讃などが、だんだん遊芸化、
芸能化していったのでしょうね。だから説話より、音が先なのでしょう。

> 拙文の切った貼ったは複数のメールなども含めて、全然かまいません。
> こたつ様の編集で、自由になさってください。

ありがとうございます(^^ゞ。
また長くなっちゃってスイマセーーーーン\(>o<)/!



備考:
文中には特に記述してませんが(知ってる者同志の会話なので(^_^;))、林光明さまのサイトは、
「六郎光明の屋形」:http://www.geocities.jp/kaganosuke/
 ↑でして、このトップページに目次が出てますが、その内部で↓
「リアル!戦国時代」(冒頭文):http://www.geocities.jp/kaganosuke/real00.html
 ↑このさらにその内部に↓
「「座」シリーズ 猿楽の座 第1回 猿楽座の誕生」:http://www.geocities.jp/kaganosuke/real049.html

こんな風に田楽や猿楽の話が綴られています。
掲載日時 2017年06月03日(←2019/01/31追記)
 
     


ホーム