「城主のたわごと4月」が出来ました〜(^o^)

超地元(松戸)ネタが多い秋、晩秋の龍角寺!





     
 

上記の通り(笑)
貧乏も暇無しもあって、ほんっと超地元ネタ(≧▽≦)!
温かい目で見守って下さい。

地元に人魚伝説があるのを知ったのは、わりと大きくなってからですが、レポ内にも書いた通り、七不思議めぐりというのは子供の頃から小耳に挟んだ覚えがあります。

最後に、やっとちょいと遠出で、前も2〜3度やりましたか、「房総のむら」に出まして、そのまま龍角寺を、こちらは初めて訪れました。

宜しくご賞味下さい( ^,_^)φ″

04月30日

城主

 
     




また間が空きました。3月多忙でバテバテでした!

今回は山岡荘八『徳川家康』の話ですっ(`・ω・)=3





     
 

東日本大震災ならびに熊本地震の犠牲になられた方々に、今年も謹んで哀悼の思いを捧げたいと思います。
そして復興に向けて、今もなお努力されておられる被災者の皆さまに、改めてお見舞いを申し上げます。

又しばらくご無沙汰でした。
あの後は、3月の中頃までが猛烈に忙しかったです!!

「たわごと」出すのは間に合わないので、3月は「ご挨拶」だけ書こうと思ってましたが、年明け以降、休みなく忙しく気ぜわしかったため、心身ともにくたびれ果てて、長いこと、メタメタにバテバテのまま過ぎました。。(/*。*)/=3

やや立ち直った所へ、急用が出て来てしまい、結局「ご挨拶」抜きのまま、3月は終わっちゃいました!

3月も終わりに近づいた頃、「たわごと」にやっと着手(`・ω・)=3
でも、病状改善にもアレコレ時間を費やし、仕事も全く無くは無いし(家でやってますが)、主人が家で仕事してるので、主婦業も多忙になってるし、HPソフトも使いにくくなって(これはだいぶ前からですが)、以前のようには早く出来ませ〜〜ん(>_<)。。

それでも、そろそろ出来上がって来たので、「ご挨拶」もこうして書いてるわけですが、近況を書くにも、時間が経ち過ぎて所々やや記憶喪失ぎみ……(苦笑)。

「ご挨拶」って時折ネタをメモしてたんですが、今回は多忙すぎてその暇なく、こうして書いてる内に何か思い出したら書きましょう(^_^;)ゞ

イキナリ今の話からいきます(^^ゞ。今、山岡荘八の『徳川家康』を読んでますー。
2月中頃からです。今5巻に入ったトコ!

キッカケは……まだ去年の事でした。ちょっと天海(南光坊)について知りたくなって、前によくネットで見掛けた本があったよな〜と、古本を探したんですが……。

結局探してた本自体は、記憶違いか絶版か見つからず、別の本(学術書(^_^;))を図書館から借りて、だいたい初期の目的は達成したと思います(^^ゞ。

ただ、その本を読んでる内に、「天海って『徳川家康』に出てたよね」と思ったタイミングと、今年から始まった大河「おんな城主、直虎」のあのあたりの地域(三河・遠江)のドラマ展開が、ちょうど被ったんですねー。

被ってるのは、家康の幼少期というトコだけですから、そのまま先を読み進もうとは全く思ってませんでしたが(笑)、何しろ以上が読み始めるキッカケでした。

それと、ウチに本があったのが幸いでした。
ウチには『徳川家康』が、全26巻の内、6巻までがありました(^_^;)。。
何でこういう中途半端な揃い方をしてるかと言うと、26巻全部購入というのは、何となく勇気がいるといいますか……(^_^;)。。

「大長編」は、読み切れるか自信がないし、置き場所にも困りそうです。
当時は今みたいに、気軽に本を引き取ってくれる古本屋とか、家の近くにありませんでしたし……。

そういう意味では『真田太平記』も、よく買ったもんだな〜と思います。
ただこちらは、昔NHKでドラマ化された(1985年)のが良かったのと、その頃いつも寄ってた古本屋に、手頃な値段で積まれてるのを何度か見るうち、全巻まとめて購入する気になったんでした。

その時、頭の中にボンヤリ比較対象としてあったのが、『徳川家康』だったと思います!(笑)

つまり、「全26巻(=家康)に比べれば、全18巻(=真田)は少ない」という、物凄く単純な動機で買ったのでした(^_^;)。。
それと、手に取って両作を比べると、明らかに「家康」の方が字が小さいのに、ページ数は多かったんです。

つまり実質的には、『家康』は『真田』の倍ぐらいの量があるんじゃないかと……それぐらい『徳川家康』って大長編です!
一巻の巻末にある「あとがき」に、「世界で一番長い小説」だと書いてありました!

……で、『真田太平記』は、2年半だったか3年半だったか……何しろ読み終わるまでに、かなりの時間がかかりました( ̄∇ ̄;)。。。

その計算を単純に倍すると……
『徳川家康』は、5年とか7年とか掛かるって事ですよ( ;゚皿゚)ノ。。。<ムリムリ

買わなかった理由は以上ですが、逆に、6巻だけ買ってあった経緯は……。

何となく惰性でした(^_^;)。。
1〜2巻については、もしかすると東京に住んでた時にでも買ったのかも。
今でも値札シールを貼ったままです。1巻が100円、2巻は50円です(笑)。

わ〜安〜い。冷やかしで買ってみよっかなー、という感じ。
古本屋フラフラして、何も買う物が無いし……みたいな(笑)。

で、読みもしないのに、しばらく1〜2巻のみウチに置いてある内に、世の中からだんだん古本屋という存在……どころか、本屋自体が激減して……。

3巻から先については、忘れもしません。松戸の古本屋で買いました。
つまり千葉に引っ越して来た後です。
その時確か、本屋のオヤジさんに、「これ、見掛ける事が減って来ました。買うなら今の内」みたいな事を言われた覚えがあります。

全26巻を買い揃えよう、という決意にまでは至ってませんでしたが、「そうか、100円とかで買える最後のチャンスかもな(・・;)」とは思いました。
それで、立ち寄ると1〜2冊……それを二度ほど繰り返して、6巻まで買ったんですが……。。

結局読まないじゃんかっ(≧▽≦)!6冊どころか1頁も!」
と思ったんで、6巻でやめたのです。

やがてネット古本が買えるようになりましたし、世の中アマゾンも出来、ブックオフもあちこちに出て来ました。

それでも、まぁ、送料まで込みで100円は流石に無かったです。
「100円で買えたもの」という思いもあるわ、それ以上出した所で、相変わらず読み切る自信も無いわで、6冊のまんまでした……。

6冊だけでは売れもしないでしょうし、捨てるのも、いつかは全巻揃える日もあるかもしれないし……とか思うためにある6冊でした。

でも20〜30代の昔なら「老後の楽しみにとっておこう」とか悠長な夢を描けましたが、そんな余裕ある老後過ごせる世代じゃないです(苦笑)。

若気の至りみたいな6冊をチラ見しては、「私が『徳川家康』を読む日は一生来ないだろうな〜」と思う昨今でした(笑)。

それもこれも、「5〜7年は読む時間を費やす大長編だから」というのが、根拠だったんですが……。

何気に読み始めると……、意外とスラスラ進みます(゚.゚)
2月の半ばごろ何となく読み始めて、最初は「どうせ時間かかるから(^_^;)」と、ゆっくりしか進まなかったんで、1巻で1ヶ月かかりました。

これでも、「1ヶ月で読めるなんて意外(゚.゚)」と思いました。26巻だから、26ヶ月……2年チョイじゃないですかっ。5〜7年覚悟でしたからね!(笑)

2巻からは……早い時は10日で1冊読んでました!
それで、現在5巻に入ってます。早いです!1年チョイで読めちゃったり?(笑)
半分しかない『真田太平記』が2〜3年だったのに?!

……池波正太郎って、直木賞受賞した時、彼の受賞に反対する余り、海音寺潮五郎が受賞委員を辞退しちゃったんだってね(・・;)。。
海音寺がどういうトコを酷評したのか知らないけど、自分について言えば、『真田太平記』はドラマは凄く良かったのに、原作はホント読むのがしんどかった。。

あ、いかん。脱線した(笑)。それで、そうそう、山岡荘八の家康ね(^_^;)。

この僅か2ヶ月半で5巻目突入ですよ!
マズイです。あと1巻で買い置き分に達してしまいます(・・;)!
焦りましたね!一冊でも二冊でも、早く買い付けないと、毎日ドンドン残りの頁が減っていくのです(((( ;゚Д゚)))!

そして忙しくて、とても本屋になんかいく暇がないのです。
こんなに忙しいのに、なぜドンドン読むのか!その分寝ろよ、死ぬぜ!(爆)

何かのついでと見ればブックオフ巡りの結果、全巻には届かなかったけど、残り20巻の内、何とか18巻まで、全て一冊100円でゲット出来ましたっ(≧▽≦)!
ああああ、これで当面は安心して読み進められますー ε=(*。*A)。。

スラスラ読み進める理由……う〜ん、『サザエさん』のノリが近いですー(爆)
一言で言うと「惰性」。
でも「惰性を誘う」力量って、バカに出来ないんですよ?! そうやって次々と先を読ませるんだから、商業作家としては物凄い才能ですよ!

惰性にせよ、こんなに熱中できる自分もこれまた凄く意外ですっ!

……というのも、私は大河ドラマで、この山岡荘八の『徳川家康』をやった時、
「うわぁ〜ものごっつ性に合わん(^^;)。。山岡荘八の時代小説が好きな人って、世の中に多いみたいだけど、私には絶対に無理〜( >_<)×」
と、早くも兜を脱いだんです。。

後で、そう感じた理由について書きますが、結論だけ先に言うと、案の定当たってた部分も無くはないです(笑)。
ここについては、世の多くの山岡ファンと相容れない部分だと思います。

その反面、誤解してた所も結構あります。少なくないです。

そうですね〜。。当たってた部分と誤解してた部分が、ちょうど半々ぐらいか、もしかして、誤解の方がやや多かったような気もします。

この点については、この先、所々書くとして、他に、読むようになった理由は、一つは値段(^^ゞ。

一冊100円の今だから読む(買う)んであって、150円したら26巻はキツイです。。
100円になったのも、最初の二冊からして100円でしたから、ずいぶん前の事ですけど、今までは読む気が起こりませんでした。

(元は480円でした。ネットでは「700円台+送料」で出てきます。中古で「1円+送料」も巻によっては見ますが、送料が260円はします)

次の理由は……私にとっては「今が旬」!
一つは、自分が関東の戦国期にわりと精通して来た事は言えると思います。

二つ目に、偶然とはいえ、大河ドラマで「直虎」をやってるからです。
今年の「直虎」は楽しく見てます! 毎週、始まるのを楽しみにもしてます。

三つ目は、今ならネット検索で、かなり詳しい史実が確認できる事です。
これは読む理由として、かなりデカイです!
実は大河『徳川家康』と私の相性の悪さも、史料との兼ね合いが下地にあったんだな〜と思う所がいっぱいあります!

それが今は、小説に出て来るアレコレ変なネタが史実的にどうなのか、ネットで確認しながら先に進め、制作の裏事情がわかって、付き合いやすいです(((つ^o^)つ

史料」と言ったのは、「後世の付会」や「土地や氏族の伝承」なども含め、「史実ではないが、原作者は取り入れた(信じたか、無視しがたかった)んだろうな〜」と思うからです(^_^;)。。

一つ例を示すと、結城秀康の生母が、家康の正室・築山殿によって、裸体で木に縛り付けられて折檻される話がそうです。
作中「お万」とされますが、この呼び名は史料にもあるようです。
上記はどうも、伝説に色濃く残る逸話のようなんですね……。

ただしwikiなどで詳しく見ると、築山殿に対する悪い評価が定着した結果の作り話……という感じのようです。

根拠とされた史実は……、

@築山殿と家康が別居してた事、
A築山殿が家康側によって成敗され、築山殿の産んだ家康の長男・信康自害に追い詰められた事、
Bそして、お万はとある神社の神主の娘で、築山殿の侍女でもあったようです。

ここから遡って、「侍女あがりのお万を、嫉妬深い築山が虐待した」という後付けが出来た……、という事ですね。

お万が結城秀康を産んだトコまで、まだ読んでないので、このあとの「こじつけ」がどう展開するのか知りません。

が、結城秀康には双子の兄弟がいて、秀康でないほうの男子は家康に認知されず、ヨソに養子に出された、という話がネット上で確認できます。
双子は「畜生腹」と言われて嫌われたので、そういう結果になったようです。

秀康自身も出生は双子であった事にかわりないので、家康に忌み嫌われ、それが次男でありながら嫡子となりえなかった(三男の秀忠が二代将軍の座に就いた)理由とも言われるそうです。

が、現代人には受け入れがたい過酷な親の態度であり、差別的な認識でもありますので、小説の主人公の考えとするわけにいかないですよね(^_^;)。。

(一方、私が読んだ本には、「築山殿の折檻によって、双子の一人は死産、生き残ったのが結城秀康」と書かれてました。
別の成人漫画誌では、お万は家康の側室となりながら、別の男性と不倫して秀康を産んだので、家康が秀康を認知しなかった、という話になってましたね……)

wikiによると、木に縛り付けられたお万を救出したが本多重次(作左衛門)とありますが、これも『徳川家康』には取り上げられてます。

そこで、『徳川家康』では、本多作左が急に登場し、あれこれと意味不明の屁理屈をこねはじめ、家康の閨閥の監督官のような立場になるのです(^_^;)。。

そこを、原作ですら無理があるのに、大河ドラマで、原作にある台詞を咀嚼せずドラマに入れてるので、もう不可解を通り越して、屁理屈だらけのワケわからん展開をしてしまうんです。。。

ただ、このような、「史実に沿わない伝説を取り上げたから自分と相性が悪かった」というわけじゃないです(^_^;)。
これはこれで、コッテリと作り上げてくれればついていける面白い逸話です(爆)。

私がアレルギーを覚えたのは、信長や家康を後の天下人たらしめるために、最初からレールが敷かれてるという、不自然極まりない設定と、その上に乗っかった展開です(^_^;)。

家康が生母の腹の中にいる時から、先物買いみたいに、信長と家康を結び付けようとしたり、二人を良き指導者に教育すべく、遠い国にまで行って画策したりする。

その中心人物、竹ノ内波太郎とその配下というのが、ちょっと車を出せばコンビニ弁当が買える時代の人の感覚すぎて、ついてけないのです(^_^;)。。

今回知ったのは、感覚はスマホとコンビニの時代の安直さに溢れてるのに、『徳川家康』が書かれ始めた時期は、1950年で、まだまだ戦中の焼け野原の爪痕が、そこかしこにタップリ残ってる頃だったようです(^_^;)。。(なのに感覚がコンビニ:汗)

私が批判的だったのは、何も竹ノ内波太郎とその周囲のみではなく、全体的に無理のある結合が多く、その理由づけが、無理の上にも無理を重ねすぎて、理論破綻を起こしてる所が多すぎたからなんです(^_^;)。。

もし、山岡荘八ファンが、このように屁理屈がエンエンと並べられることを好む人たちなら、私とは絶対に合わないです(^_^;)。。

しかしながら、「半分以上は誤解」とわかったのもまさにここで、原作を読んでみると、意外や、山岡荘八自身は、こういった腐った屁理屈に対し、かなり批判的な視点を持っており、所々で辛辣な評価や裁定を与えてるんですね(^_^;)。。

例えば、この竹ノ内波太郎と随風(のちの天海)の会話を、明智光秀が聞いて、「稀有壮大な言葉を吐いて、自分の言葉に酔ってるだけだ」と、腹の底で一刀両断なんです(笑)。

癖のある部分も無いではないけど、一定の理性を失わない範囲で行なっているので、それほど気にせずに読み進められるのではないかと思います。

そこがドラマでは、イチイチ引っかかったんですよねぇ……。

家康の父・松平広忠に、母・於大(水野氏)が嫁ぐ前、広忠の室であった「お久」という女性が、同じ松平一族の出で、しかも既に広忠の男子を産んでいながら、於大の輿入れを受けて、側室に位を落とす話がある(そこから話が始まる)んですが……。

家康の異母兄弟(父・広忠の側室の子)たちというのは、どうも家康の異父兄弟(母・於大再婚相手・久松氏との間に産んだ子)たちと、史料的に混同があるようです(^_^;)。

そこで一応「お久という異母兄弟の母」も、創作に取り込んだのかもしれません。

しかしwikiには、家康の異母兄弟を産んだ「お久」は、「広忠よりかなりの年配で、子供を産める年齢じゃないから、存在が疑問」とありました。

そして広忠と於大夫婦が離婚させられた後、松平家に残された幼い家康を育てる大叔母(祖父・清康の妹)というのが突然登場し、その名も、「緋紗(ひさ)」と書くのです(^_^;)。。

原作においては、史実検証が十分でない所があったかもしれません。
あるいは書いてる内に、「実は父の側室じゃなくて、大叔母の間違い」と気づいて方向転換したのかもしれません。

しかし広忠の側室で、家康の異母兄弟の母である「お久」は、小説でもドラマでも、於大が離縁されて居なくなった後、不自然に登場しなくなります(^_^;)。。

実質的には、大叔母の「緋紗」だけを最初から出せばよかったのだと思います。

原作の連載中には、混同とは気づかずに書き進めてしまったのかもしれませんが、大河ドラマになったのは連載が終わってから16年も経ってます。「お久」が登場した連載開始から数えたら、33年経ってるんです(^_^;)。。

つまり、原作の『徳川家康』は、違和感を感じる部分については、作者の視点をさりげなく書き込んで、ちゃんと批判が行われているにも関わらず、大河ドラマになった時には、原作を全く無批判に取り入れてしまってるんです。

私が言いたいのは、仕切り直す時間は充分にあったんだから、スタッフ側がちゃんと検証して、ドラマ化すべきだったんじゃないか……という事なんです(^_^;)。。

もっとヒドイのは、ずいぶんミスキャストの多い大河ドラマだったんだなーという事。

特に、於大の大竹しのぶ、家康の滝田栄(子役も含めて)は、ずいぶん原作に合致してないです(^_^;)。。
これは、「俳優が悪い」という意味じゃありません。私は二人ともすごく上手な俳優だと思ってます。

が、充分な大人の女性でありながら、幼女的な迫真の演技が光る大竹しのぶに、14歳で既に賢婦人だった於大の役を宛がうのは、役も俳優も殺してしまう結果しかなかったと思います。

滝田栄の家康も同じですね……「従来のイメージを脱却して、若々しくて新鮮な家康」という具合に言われましたが、そういう家康である必要があったのかどうか……いや、無かったと思います(笑)。

『徳川家康』の家康は、よく「家康」と言われてイメージされる、あの小太り老成して、鈍重ささえ感じる、ちょっと何を考えてるのかわかりにくい男子です。

……と、長くなりましたが、ここまで読んでいただくと、私の言いたい事がおわかりかと思いますが、そうです!今年の大河『おんな城主直虎』の家康(阿部サダヲ)こそが、『徳川家康』の家康なんです!

あと三河の家臣団というのも、大河『徳川家康』では妙に美化されてしまってたんだなーという事がわかりました。

この事についても、もっといっぱ書きたいのですが、凄く長くなっちゃいました(^_^;)。。
……そのうち、一席、コーナーでも儲けようかな(笑)

そのうちホントにやるかもしれません(爆)
今は一言だけ……。

これもだいぶ昔、『半蔵の門』(原作・小池一夫/作画・小島剛夕)という成人漫画がありました。
私はこれも1〜2巻しか読んでないんですが(^_^;)、ここに、人質時代の少年家康の、三河の家来の間に交じる孤独な姿が描かれてました。

三河の岡崎城に一時墓参に行き、周りじゅう本来は家臣なのに、主君たる家康は、その家臣らに「今川の影におびえる情けない大将」と見下されてしまうんです(^_^;)。
この家康にとって、真に喜怒哀楽を見せあえるのは、木登りなど教えてくれる服部半蔵の他にいないんですよね。。

で、今年の『直虎』にも関係する話で、『徳川家康』(大河&原作)でも、今年の『直虎』でも、省略されてしまった逸話(伝説か史実かわかりません(^_^;))がありました。
直虎の曽祖父で、直親には祖父にあたる井伊直平(前田吟)の死因です。

wikiを貼っておきますね(^^ゞ。井伊直平 お田鶴の方(飯尾連龍の妻・椿姫・徳川家康の亀姫)
直平を毒殺した、この女性は、『徳川家康』では家康の初恋の人として描かれてるのですが、実は魔女エピだったんですねー。。。そして築山殿が椿をいっぱい植えて、その菩提を弔ったという逸話が、鶴姫・亀姫として『家康』の原作に出された背景にあるんですねー!知らなかったです!

さて、そろそろ「城主のたわごと」の続きに戻ります!
この後、今月中には出せるつもりでいますが……。
(何か思い出したら書くと言ったんだが、結局何も思い出せなかった。。ぬはは)

04月26日

城主

 
     





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