上記の通りですー! 前回の「武蔵千葉氏展」ほど歴史ねたオンリーじゃないですが、今回も11月に行った、地元の史跡巡りに参加した話題です。 史跡巡りと言うよりは、ウォーキングと言う名目でした(^^ゞ。なのでレポも歴史については程ほど……にしようと思いながら、やっぱり書き込んでるシーンもチラホラ(笑)。 そして、年の瀬に向けて、紅葉、手賀沼、クリスマス・イルミネーション……と、去年も暮れていった様子をお届けします。 宜しくご賞味下さいませ(#^.^#)。 次回は出来るだけ来月に出て来たいと思いますー! 06月12日 城主 |
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こんにちはー(^。^)ノ 6月ですー
今年(2016年)は、関東甲信越が5日に梅雨入りしたと気象庁が発表したそうですが……。 いつだったか、「気象庁が梅雨入りを発表するのは、事後に行う事となった」といった報道を聞いた覚えがあります。 つまり、「それまでは毎年、事前に予報してた」という意味だったと思いますし、その話を聞いた時、「これまで毎年そうだった」と、自分も思った覚えがあります。 しかし、「毎年そういって当たらないんだから、事前の予報は意味がない」 「梅雨入りしてから、事後発表で充分」 といった声が、その時に多かったような……。(テレビの街角インタビューみたいのだったか、ネットで見たんだかがウロですが(^_^;)) 何しろ、それからと言うもの、「いつの間にか梅雨になった(^_^;)」という具合に雨の季節を迎えていると思います。 去年の6月を振り返りますと……パソ修理の事を言ってますね。φ(。。)m その後、修理に出してませんっ(≧▽≦)。。 お下がりのパソコンでコト足りてしまって、出すのが面倒になってるのが一番の理由ですが(笑)、こうやってる内に機種も中身も古くなり、手間や修繕費に見合うか疑問になっているのもあり……。 ただ、これは去年も言った事ながら、HPソフトだけは旧バージョンの方が圧倒的に良く、今バージョンを使うようになってから、物凄く手間が増えて(多分前の2倍近く時間かかってる(^_^;))、とにかく更新しづらくなりましたねー(>_<)。。 この頃は、亭主も自主HPの必要性から、同ソフトを使うようになりました。 常に多忙な亭主なので、ほんの初動の手っとり早く動かせるトコだけ、ものの20分程度ですか、パパパパと横合いから教えてやりました。 会社でHP作りには何度も携わっていた亭主、飲み込みも早く、あっという間に使いこなしましたが、やはり「新バージョン良くない(-_-;)」と、夫婦そろって不興です! しかし、今年は「多忙になるっヽ(`Д´)ノ!」を前提に、掲示板の休業に踏み切ったのに、その後エンエン体調が改善しないままの日々が続いてます(^_^;)。。 これもね〜〜どうも、パソコンと関係があるゲな事を、これまでもちょくちょく述べて来ました。 「多忙ヽ(`Д´)ノ!」になってないのに、休業に踏み切った事も、体調に起因してるとも言って来た所ですが……。 いよいよ、「パソコンによる体の酷使」部分を重視した薬を、このほどは処方されてしまいました( ̄▽ ̄;)。。<アゼン。。 まぁ、他の症状が改善されたと見ての、次なる目的を持つ処方……という所もあるかもしれません(と思いたい)。 思うに、効能書きだけ見ると、その点が極端に目立ってるんであって、更新作業の禁止を申し渡されてるわけじゃありませんので(^_^A)。 ただ、こうなってくると、体調が改善して就業などに及べたとしても、その先が著しく不安です。。 だって、ホームページなんか作ってたイマドキの女子(もうババアだが:笑)が、すぐに就ける仕事となると(雇って貰えるかはともかく:爆)、フツーにパソコン入力がありますやんかっ。。 あ、そうそう、ホームページと言えば……。 この頃……メールがわりといっぱい来ます(^O^)!<わ〜い♪ お便り下さった皆様、ありがとうございますm(__)m。<ガバ 議事録作成に使わせて貰いたい〜と思いつつ、かような体調(パソ軽減推奨)により、今の所、更新作業(たわごと)だけに専念してます。 なので、議事録にする段は頂いた方に持ち掛けておらず、今はメールやりとりのみになってます(^^ゞ。 「将門雑記」や「嵐待つ」(@「作品の広場」)や、「城主のたわごと」2012年3月(佐原義連墓所)などの感想を頂きました。 他にも色々、東北とか千葉県内とか、クリスマス・正月七福神めぐりや桜祭りなども(^^)。 重ねて御礼を申し上げますm(__)m。<かたじけなく メールは、これまでもちょくちょく頂く事がありましたが、この所多いのは、掲示板をお休みしてる事と関係あるのかなー? 別に掲示板やってても、読者メール頂ければ嬉しいですけどっっ!!! 病気治ったり、生活が元に戻れたら、また掲示板再開しようかと思う事があるんですが、そうなると、もうメール来ないのっっっ(≧▽≦)???!!! というわけで、このところメールにかなり重きが行ってマス(^_^;)。 それも、どこで話してもウケそうもない古河公方とか義経北行とか、超マイナー路線ウハウハで、個人的には熱いですっ(≧▽≦)。。 *それでパソによる体調云々だと(爆)* さて、去年は何言ったか見ようと思って、さっき1月から見てたら……去年の1月、歯の詰め物が取れた話をしてます(・・;)。。 実は最近、また取れました(爆)。 近所の歯医者が、何度行っても「何度も取れるようならアレだけど、しばらくこれで様子見ましょう」と、くっつけるだけで帰してくれるので、「良かったー(^O^)」と毎度思うんです。 だって歯の治療、憂鬱ですもんねっ(>_<)。。 でも思えば、結構この話って、何度も「ご挨拶」で言ってるなーと(^_^;)。 治療しないで済むのはホッとするので、いつもそれ以上は気にしないですが、歯医者が「何度も取れるようなアレ」と言いつつ、いつも持っていくと、くっつけるだけで、ちゃんと診てくれてるのかなーと気になる事があります。 というのも、時々ネット上、「こんな人は要注意!」みたいなノリで、「長年放置していると、死に至る可能性も!」とか記事を見るからです(・・;)。。 その「放置」というのが、「虫歯」だったか、「取れた詰め物」だったか、これまたウロ覚えなんですが、今検索して調べた限り、どうも「詰め物」のような気がします。 パパパと探し当てた記事を読んだだけなので、正しさについては自己責任でお願いします(^_^;)。 色々読んだ物を繋ぎ合わせると、確かこんな感じに書かれてました。 歯の治療が大嫌いな人が、歯の詰め物が取れても、それほど痛みを感じないし、飲み食いに不便も感じなかったので、歯の詰め物が取れたまま放置して何年も経過した。 するとある時、顔の半分が動かなくなって、怖くなって歯医者に行ったら……、 「あと数ミリで脳に達して、死亡するところだった」 (か重い脳障害を患う所」という表現だったような……) と言われた!!! たかが歯の故障と侮らず、歯医者に行きましょう〜〜といった内容。 う〜ん。怖い(((( ;゚Д゚)))。。。 しかし、歯の詰め物が取れたまま、歯医者に行かずに何年も放置……という行為も、私に言わせりゃ、歯の治療を受ける以上に勇気のいる行動です(^_^;)。。 そして今回、探し当てた歯医者さんのブログでは、「詰め物が取れても、1〜2週間の放置では、虫歯にはならない」とありました。 ただし、虫歯は少しづつ進行するので、一ヶ月で初期の虫歯、三ヶ月で穴があく程の虫歯になるんだとか……。 それとはまた別のページで、年を取っても歯が丈夫なら、元気で過ごせる率が高くなる!と謳う記事もありました。 でもこれは何十年も前からよく言われてる事なので、「知らなかった(*o*)!」という人は居ないでしょう(^_^;)。。 ただしそこには、「歯が丈夫」を保つ条件として、「歯に損傷が少ないのは、やはりマメに手入れをしている人」というデータが載ってた点が、補助要因でした。 歯磨きも勿論そうでしょうが、「ちょくちょく歯医者にかかって、治療など、こまめに手入れして貰っている」という事でした。(医療関係の宣伝バイアスが多少入ってたとしても(^_^;)) そういえば、いつも詰め物が取れた時しかお世話にならないと思ってたけど、一度だけ、「前来られた時も気になってましたが、実はちょっと欠けがあるので(その時もそう言われた)、今回は削って作り直します」と言われ、二回ぐらい通った事があったっけ(>_<)。。 ……と言う事を、今思い出しました(笑)。 削ってる時は、一部響く所があったけど、神経抜いてるので麻酔はせずに完了し、確か二回目に行った時には、作った詰め物をはめただけだったような……。 こういうのが「こまめな手入れ」なのかな?(笑) *な〜んだ(^_^A)* 終わってしまうと、ちょっと削ったか、取れた詰め物を接着剤でつけただけだったか、忘れてしまう程、小さな違いなんですけどね(^^ゞ。 というわけで、一回一回をきちんと通えば、忘れてしまう程軽い治療で済むから、放置せずに行きましょう……という話でした(^^ゞ。 ちなみに、詰め物がしょっちゅう取れるのは、堅い物や歯にくっつきやすい物を食べるからだそうで、昔はキャラメル(特に不二家ミルキー(^_^;))だったのが、この頃はグミが多いらしいです。 私も実は、枸杞の実をクチャクチャ噛んでたんです(>_<)。。 でもこれね(^。^)、目の改善にいいんですよ。漢方薬にもよく入ってます☆ ブルーベリーもいいけどね。 しかし健康のために食べてた物で、他の部位に問題が起こるとは……。 年齢ごとに健康保持のため、やりたい事が出来ないとか、仕事も出来ないとかだけでなく、健康保持のために必要な事も出来なくなる……と。。 よく、文学・芸術・芸能の有名人が、この頃は活躍の話を聞かないとか、逝去の折に晩年の日常が明かされたとか、最新作が云々……とかのたび、健康維持や闘病に裂かれる時間を思う時があります。 時間をふんだんに使って創作に専念できる老後ばかりじゃないんですよね……。 そうだ。そういえば、作曲家の冨田勲氏が亡くなりました! 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 特集番組を見たのですが、亡くなった日の制作打ち合わせのテープが残されていて、驚きました! 直前までお元気だったんですね。。 よくテレビドラマのテーマ音楽が取りざたされますが、冨田勲の音楽は、今思えば私の子供時代、あらゆる所で自然と聞いたと思います。 今思えば、その中で、特に私に特別な印象を作ったのは、大河ドラマ「天と地と」「新平家物語」「勝海舟」でした。 「徳川家康」だけは、大人になって見たという印象。私はそれぐらいの世代です(^^ゞ。 特に「天と地と」は、小学校1年の時の放映でしたが、途中から入院してしまい、つい最近まで最終回が見れませんでした。 それでも病室の天井を見ながら、あのテーマ音楽が何度も頭の中に流れたものです。 その後は、「徳川家康」をやった時に、大河ドラマのテーマ音楽レコードを買うまで、14年間も、「天と地と」のテーマ音楽を聞けず、部分的にしか思い出せませんでした(複雑なメロディーですしね)。 しかしレコードを買ってからは、信州や越後などに行き、山に霧や厚い雲がかかるのを見るたび、この曲を思い出したものです。 主音となる琵琶の鋭い響きを、厳粛で清涼感のある広がりで包み込む独特の音響でした。 あの川中島の霧と犀川・千曲川のせせらぎを、西洋楽器で表現したことは、今思えば驚きです。 しかしながら、私が音楽家として冨田勲を認識したのは、ドビュッシーのピアノ曲をシンセサイザー編曲によって演奏したアルバム「月の光」でした。 初めてこれを聞いたのは、兵庫県芦屋の中学校で、音楽の授業の時でした。 今思うと、これを学生に聞かせた音楽の教師も、大した冒険家でした。 当時、シンセサイザーは「子供のオモチャ」程度の扱いでした。 比較的こうした物に理解を示す人ですら、「ピアノで聞く方がいい」と言ってたのをよく覚えています。 しかし私にとって、このアルバムは絶対でした。 なぜなら私の家は相当なクラシック音楽愛好一家でしたが、私にはドビュッシーとの出会いはありませんでした。 ピアノ教師には、ドビュッシーの楽譜を与えられた(指定された)事はありませんでしたし、家にもレコードが無かったか、あっても(そして聞いても)、冨田勲のシンセサイザー曲を聞くほどには、心を動かされる事は無かったと思うからです。 タイトルに使われた「月の光」も、あのシンセサイザー喋りで有名になった「ゴリウォークのケークウォーク」(「子供の領分」6)や、「アラベスク第1番」を聞かなければ、ドビュッシーに関心を持ったのは、相当に遅れたと思います。 社会人2年目にして実家を出てからは、貧乏で、ピアノを持たない時間が長かったですが、結婚した時に買いました。 でもドビュッシーを知らなかったら、ピアノを買ったか怪しいです。 こう考えると、大袈裟な話、私に音楽の目を開かせてくれたのは、ドビュッシーであり、そのドビュッシーに強力な導引をしたのは、ほかならぬ冨田勲氏でした。 色んな事を思い出します……。 この先も、思い出すごとに書くと思いますが(笑)、今、一つだけ言うと、それは泉鏡花の原作を画像化した映画「夜叉ヶ池」(1979年)ですねー。 この映画に、冨田勲の「月の光」から、 ・「雪の上の足跡」(前奏曲1-6) ・「沈める寺院」(前奏曲1-10) 「展覧会の絵」から、 ・「古城」 ・「バーバ・ヤーガの小屋」 「火の鳥」から、 ・「牧神の午後への前奏曲」 (これは「火の鳥」の曲ではなく、ドビュッシーの曲で、冨田勲のアルバムタイトル「火の鳥」の中に収録されている、という意味です) ↑これらが使われてました。 これ以上無いほどの日本情緒と、これ以上無いほどの新世界の合体でした。 今ほど撮影技術が向上しても尚、これほどの別世界同志が合わさって一つの世界観を作り上げている映画って、見たこと無いです(^_^;)。 加藤剛演じる男性と、坂東玉三郎演じるその妻という配役で想像が届く通り、舞台演劇の色合いが濃い映画でした。 が、そこに日本の山奥の民家村が背景となり、さらには海底の魚類たちを大勢の役者が演じ、さらに冨田勲のシンセサイザーが音楽を担当する、という、極めて珍しい作品でした。 (撮影は確か、飛騨高山の白川郷にある茅葺屋根の合掌造りの村と、ブラジルかどっかの砂漠地帯とナイアガラ滝じゃないかな(^_^;)) この映画、不思議な事に、初めから最後まで録画して持っているのです。 もう20〜30年も前ですけど、深夜映画でやっていて、私の記憶では、「たまたまテレビをつけたらやっていた」と思ってたんですが、ビデオには初めから最後まで入っているので、予めセットして録ったんでしょうね……。。 新聞を見て、「面白そうな映画だ」と思い、予約して録画したのかもしれません。 wikiによると、封印映画となって、↑この一回限りしかテレビ放映されなかったようです(^_^;)。。 それをたまたま録ってたんですね。。 でも古いテープだったので、しばらくぶりに再生したら(再生機がよく保った(^_^A))、最初の方はバシバシ雑音と画像の乱れが入りまくってますが、再生の仕方を何度も何度も駆使して、何とか一繋がりに見られる流れにして、それを時々見て喜んでます。。 この映画が作られた時、恐らく冨田氏は既にかなりの大物で、映画音楽に使えるかどうか……といった所だったんじゃないかと思います。 しかし当時、こういう別世界同志のコラボといえば、その第一人者が冨田勲氏でした。 何とか、この映画のテレビ放映か、テレビがダメならせめてDVD発売して貰えないでしょうか……。。 ふぅ。昔の作品ばかり懐かしがってちゃダメですかね(つД`;)。。<うっ 今のドラマも少し……。 前回も最終回とスピンオフが終わって、ちょいと感想を書きましたが、『あさが来た』を今でも時々思い出します。 あのドラマの良かった所は、日頃は仲良くやってると思われがちの両替(銀行)一家が、その内部で始終対立を繰り返している点でした。 対立しながらも、折り合う所では折り合いながら、日常を過ごしていく様子も面白かったし、そうするうちに又新たな敵が登場する緊張感も良かった……。 これほど敵の多いヒロイン像は、女性ドラマに多くなかったんじゃないかと思います。 しかし、敵が多い事を、「可哀そうなヒロイン」として描くのでもなければ、視聴者が得る結論にも、必ずしもヒロインへの同情を前提に作ってなかった点は秀逸でした。 初めの頃、下手な結果に終わらなければいいケド……と、ちょっと不安を持ちながら半年見たのは、ヒロイン「あさ」に課題づけされた「柔らかい心」というテーマでした。 よく歴史の最初のページを開いたとか、革命的な偉業を成し遂げた人物というと、何しろ古臭い因習とか無能なダメ男を、ズバリズバリと切り捨てる展開になりがちです。 そういう単純なドラマは、長く見るとなると面白みに乏しいし、主役となると嫌味ですらあります。 なので、「名作」を目指すとなると、「一見新しいタイプだが、甘いも酸いも持ちあわせた人格者」というキャラを背負わせるわけです。 一番マズイのはそれを「台詞だけで説明」する作りです(^_^;)。。 もうどうしようもなく安っぽいドラマになります。(大河「利家とまつ」や「風林火山」がこれ) そうなるなら、やらない方がマシです。 「あさ」は、この辺の処理が、かなり上手かったです。 ヒロインは、柔らかい心を底辺には持ちながら(あるいは持つよう心掛けながら)、最後まで頭に来る奴には遠慮なく怒りまくっていました。それで良いんです(笑)。 あとは……。「真田丸」ですね! 面白く見てます!ドラマ自体には、それほど文句は無いのです。 ……が、 「真田太平記」をCSで再放送しちゃってるのがイタイかもっ(≧▽≦)。。 CS時専では、何もこれ一本に限らず、今年は大河ドラマ総集編を、過去50作分だったか全部放送するようで、うちも片っ端から録りまくってますが、見るのが遅れてます(汗)。。 で、「真田太平記」は、「大河ドラマ」じゃないんですが(笑)、過去のどの大河ドラマよりも大河ドラマの本家本元的な作品である事は間違いなく、これと比較して、「今年の真田丸の方が上」と言い切るのは、さすがに難しいです(^_^;)。。 でも、三谷幸喜氏は挑戦する人なので、時専の再放送を「望む所よっ\(>o<)/」と思ってるかもしれません。 だからこの頃、こうも思うようになりました。 この再放送、「真田丸」を1年やり終るのを待って再放送したら、何言われるかわかったもんじゃなかったなーと(^_^;)。。 「真田丸」で真田が面白いと知った。興味を持った。昔のドラマも見てみようという気になる。 ↑凄くありそうな事だし、大勢がこうなると思います。 その結果、「きっと真田丸やってる1年は、真田太平記の再放送は避けたほうが無難と誰かが言ったんだろうねー」ぐらいの意地悪は言われかねないです(^_^;)。。 今年の「真田丸」は充分に面白いです(^^)。 だから変な事を言われる隙を作らない方が無難ですよね。 で、「真田丸」の大河ドラマストーリー後篇のキャスティングを見たんですが……。な、な、なんと……(*o*)! 浅利陽介←一昨年「軍師官兵衛」でも小早川秀秋でしたが、今年の「真田丸」でも同役だそうですっっ!! さすがは三谷幸喜(≧▽≦)! 私もこれほど適役の小早川秀秋役者を、これまで見た事がありません!(笑) ただ一つ、読み進んでちょっと心配した事があります。 石田三成挙兵の折、(真田父子は犬伏の決裂の頃)、小松殿が伝説(?)通り、沼田城で昌幸・信繁父子の入城を拒む下りで、時代考証家同志に意見の違いがある(あった)そうです。 小松殿が昌幸・幸村父子を追い返したのは、沼田城と見られていますが、この時期、大名の妻子は大坂城の近辺に人質として残されていたハズなので、このエピソードは虚である……という理論のようです。 その書き方が、今発売されてる「真田丸」大河ストーリー後篇に来て、未だに完全に決着がついてないまま……という感じに読めるのです(^_^;)。 たぶんネタばれを避けて、出された結論が書かれてないだけ(どっかに書いてあるのを私がまだ見付けてないだけかも(^^ゞ)だと思います。 どうしてこんな所にいちいちビクつくかと言いますと……。 どうも「平清盛」「花燃ゆ」などで、史実解釈が曖昧なまま、ドラマがスタートしてしまい、行く先々で、テキトーに決着をつけていったのかなー(^_^;)と強く疑えたからです。 勿論、歴史検証的な決着はつかないままで結構なんですが、ドラマ作成のスケジュール的には、一年前にはどっちで描くか決まってて当然な決定事項と思います。 いや、過去には、ドラマ撮影中に急な変更が出たとか、その急場をこのように凌いだから、返って名場面が出来たとか、そういう神話がいっぱいあるのはよく存じてますが(^_^;)、最初から「変更すればよい」を掲げると、今の現場は必ずコケます。。 ……このごろ……(-_-;)。。 今私が言った「いついつまでに決まってて当然」という、この感覚から、著しく逸脱している日本人が急増してる事に強い恐れを感じています。 最近は、人工知能が持て囃されてますけど、その凄さより、人間社会の退化があまりに早い事に、恐怖を感じます(・・;)。。 ・何事も早めに対処する事。 ・対処とは「決定事項」を経るのが目的である。(ただテーブルを囲むのは、「会議」ではなく、「集団休憩」である) ・決定された事を素地に、実現可能なスケジュール(タイムテーブル)を作る事。 ・それを全ての関係人員に周知しておく事。 ↑こういう作業工程、小中学校を卒業するまでには完璧に身につけて下さい。 (本人に無理なら、身につけるまで社会に出さないよう、教育機関と家庭に義務付けて下さい) てな感じで、今回もこれより「城主のたわごと」に戻って続きをやります。 頑張ってこのあとスグ出したいと思ってますので、待っててねー(^O^)/~
06月10日(2016/06/11追加) 城主 |
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