<2020年・城主のたわごと12月>




2018年11〜12月は、クリスマスの街・神田明神・年末の風景

そして2019年1月、毎度、正月は定例・松戸七福神(^O^)!





     
  冒頭は定例通り、宣伝(^o^)↓

日常編は文章も少ないし、日常編だけ読まれてもそんなに嬉しくないので(笑)、ここで恒例・前レポの宣伝を行う(^。^)。

〜おしながき〜「古河〜足利〜新田編」(2019〜2020年)
「5月のたわごと」(古河〜足利〜新田1)
■茨城県古河市〜栃木県足利市〜群馬県太田市
<まずは「古河公方(古河総合)公園」を目指す>
<満福寺(古河公方・足利成氏の墓)>
<古河から三毳山に向かう>
<「三毳山神社」(里宮)と「三毳不動尊」>
<城山公園(佐野城跡)>
<佐野「天命」(天明町)〜足利「只木山」(多々木町)>
<足利(栃木県)〜新田(群馬県太田市)> 
<「台源氏館跡」(新田義貞・誕生伝説地)>↓

「8月のたわごと」(古河〜足利〜新田2)
■群馬県太田市・前橋市
<藪塚温泉(1日目夜〜2日目朝)>
<藪塚温泉〜桐生市南西部〜赤城山麓>→
<赤城山を登る(南西ルート)>
<赤城神社(小鳥島)>
<赤城山大沼、大洞観光街>
<赤城山下山、太田市方面に向かう>
<青蓮寺(新田岩松氏居館跡)>
<義国神社(源義国の墓所)>
<次回は……(予告編)>↓

「1月のたわごと」(古河〜足利〜新田3・千葉北西部)
■2018年4月初旬・群馬県太田市・邑楽郡、茨城県古河市
<金剛寺>
<尚純萩公園(新田岩松尚純夫妻の墓所)>
<小泉城跡>
<龍泉院(富岡氏菩提寺)>
<古河の日帰り温泉で風呂&夕食(^_^A)>
読んでねっ(≧▽≦)!(既に読まれた方は今回のに進んでネ(^^))
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そして、東北・北関東の旅もヨロシクね!

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各種お得な交通手段
「お得に東北へ行こう!」

リンク貼ったけど、「東北観光博」は自民政権はやらないみたい。「閉幕」になってますた(^_^;)。
旅*東北」なるサイトが後を引き受けてるっぽいけど、バナーがない(^_^;)。。
東北の歴史」というページが史跡巡り向きって事みたい(説明が殆どないけど。。)

この前後も……、

松戸の中根城跡・上本郷城跡・上本郷館跡ウォーキング(2017年4月号)、北総の龍角寺に松戸戸定邸(4〜6月号)、東京の清澄庭園・手賀沼の鷲野谷城跡(8月号)、松戸の根本城跡、萬満寺(9月号)、茨城の東林寺城跡(2018年1月号)、船橋の米ヶ埼城跡、東京の秋葉原〜湯島聖堂〜聖橋〜駿河台(同8月号)、東京・駿河台〜皇居〜平将門首塚(同11月号)、印西の笠神城跡(南陽寺)・小林城跡(2019年2月号)、関宿オフ会(2020年5月号)

など、小ネタ史跡巡りはあったので、ご覧になりたい方はメニューからどぞ( ^^) _旦~~

あとは、その前からの流れ通り……↓

〜おしながき〜「埼玉〜栃木南編
「4月のたわごと」(千葉北西・埼玉〜栃木南1)
■8月・埼玉県川口市、栃木県栃木市・佐野市
<川口「長徳寺」、@裏門〜本堂>
<川口「長徳寺」、A三重塔〜仁王門>
<川口「長徳寺」、B仁王門・参道・山門>
<東北道で茨木まで移動>
<皆川城址>
<金剛寺(皆川氏菩提寺)>
<佐野市葛生、お昼ご飯(^O^)>
<佐野氏菩提寺「本光寺」>
<佐野氏本城「唐沢山城跡」に向かう>
「6月のたわごと」(栃木南2・東京)
■8月・栃木県佐野市
<「唐沢山城跡」到着、@枡形・天狗岩>
<「唐沢山城跡」、A竜神宮・大炊井・神橋> 
<「唐沢山城跡」、B神橋・桜の馬場・南城> 
<「唐沢山城跡」、C本丸・二の丸・三の丸>
<「唐沢山城跡」、D和合稲荷・組屋敷・避来矢山>
<唐沢山を降り、西に向かう>
<「興聖寺」(清水城跡)>
<樺崎寺跡〜佐野やすらぎの湯(^_^A)>
良かったら読んでねっ(≧▽≦)!

もういっちょ前のも出しておく↓

〜おしながき〜
武蔵千葉氏編
湯島天神(天満宮)編
2016年「4月のたわごと」(東京板橋)
■10月・東京都板橋区
<板橋区郷土資料館@「武蔵千葉氏展」>
<板橋区郷土資料館A「旧田中家住宅」>
<赤塚城跡「本丸〜滝不動」>
<「松月院」(伝・武蔵千葉自胤の墓)>
2017年「2月のたわごと」(東京湯島〜千葉北西部)
■8月・東京都千代田区・文京区
<「湯島天神(天満宮)」@〜参道両脇〜>
<湯島天神(天満宮)A〜社殿・男坂・女坂〜>
■8月〜9月・千葉県柏市・松戸市
<夏から初秋へ>
良かったら読んでねっ(≧▽≦)!

スゴイ久し振りっ(・・;)!
何でこんなに間が空いたのかは、「今月のご挨拶とお知らせ」に書いときました。
そこにある通り、前回(5月号)の更新の後、7月ごろから「そろそろ取り掛かろう」とし、8月、9月、10月、11月と過ぎたんです(笑)。

「たわごと」も最初は、写真選びからスタートするので、それがだいたい終わって、この台紙を用意したのは、10月がお初。
途中で月越えして11月、そして11月では終わらず、ズルズル伸びて、この12月のに張り替えです(笑)。

ただ、この所スッカリ追いついてなかった、関連リンクの張りつけ作業を、6月〜8月にやってたので、サボっていたわけではありません( ̄^ ̄)

さて、今回のお品書きは……、
クリスマスの街、師走の神田明神と湯島天神の参拝。後は年末年始の日常風景。
そしてお正月は、この年(去年だね(^_^;))も七福神巡り。

レポ期間は、2018年に11月から、明けて2019年1月まで。
うおぉぉ(*o*)、もう二年前かー! 書いてなかったもんなーここ。

でも今年(2020年)は、コロナであまり外出してないし、しても近場ドライブばっかで、そんなに写真も溜まってないんじゃないかな。
だから、どっかで追いつけないかな、と(^。^)<気楽な性分w



■2018年11〜12月・千葉県柏市・松戸市、東京都
<手賀沼の水神宮と日の出橋>


よくレポする手賀沼の、これまたよくレポする曙橋付近(地図)から西に、テクテク歩いて15分ぐらい行くと、手賀沼最南端(地図)、土手の上に「水神宮」という小さな祠が祀られている。

周囲の道路側から土手の上に見る
水神宮」とある

手賀沼の最南端で、陸地にグッと迫る部分なので、決壊除けのような祭祀だろうか。

前、2015年8月<手賀沼・西側「藤姫ウナギ伝説」>で紹介した、藤姫の伝説を示す幾つかの石碑が、物語の順に沿って、この先の道々に出て来る。
今回はそこまでは行かないけど、上のような石祠を見ると、手賀沼は昔は水難も多く、もっと広大で高波も催したので、こういう大蛇伝説が付き物だったのかもなー、と想像した。

ここを過ぎて、尚↑前進していくと、橋に出会う↓

日の出橋」(染井入橋)から東方向の水面を見渡す(パノラマ4枚180度以上)

欄干に「日の出橋」と書かれ、「名前の無いこの橋、日の出がきれいに見れる場所なので日の出橋と命名しました!」と紹介されていた。

その一方、「染井入橋(そめいいりばし)」とも書かれていて、曙橋から、彼岸花と日本水仙が植えられている事が説明されている。
(どっちの名で呼べばいいのかな(^_^;))

反対側(西)はちょうど日没
空には夕月が上る

↑一方、橋の反対側(進行方向・左)は、右側に広がる湖面とは対照的に細い小川となっており、休日にはよく釣り人が竿を傾けて座る土手が囲む。
「日の出橋」の「日の出」は、湖になってる方向に見えるのだろうが、そんなに朝早くここに来る事は無いので(^_^;)、せめて反対側の綺麗な日没と夕焼けを見るのが精いっぱい(笑)。

この湖を囲むような沿道は遊歩道で、サイクリングは許されてるが、車の往来は一切ない。
右の写真は、この角度で写真を撮ろうと、外国人夫婦が道にしゃがみこんでいたので、同じ姿勢をやってみたら、ススキと夕月が上手いこと撮影できた(^o^)。

外国の方が好む日本の文化や風景って、微妙に日本人のそれと異なる事を多く感じるけど、この風情は間違いなく日本情緒そのものなので、「エライ!(`・ω・)=3」と喜んだ(笑)。

帰り道の車道で見た運送車
(拡大)メデタイ絵柄

恵比寿サンと大黒サンだね(^^ゞ。大きい鯛を手に、背景に富士山を称えて、これからお正月を迎えるにあたって、何ともお目出度い気分になれた(笑)。



<冬の紅葉・クリスマスツリー・満天の湯>

さてさて、11月から12月へと向かうと、町は急速に紅葉が増し、街中にはクリスマス飾りが増えて来る(`・ω・)

逆井(柏市)の毎年綺麗な紅葉並木↓
こちらも毎年、大きい銀杏の木が黄色い絨毯を敷き詰めて、見応えがある(*´ω`*)→

こちらは、高柳新田「野馬除緑地」の上を通る道路↓

緑地を背景に紅葉樹がよく映える(#^.^#)(パノラマ5枚180度以上)

前回の最後にやった「関宿オフ」の前後あたりから、町にはクリスマス飾りが出ていた。

街のあちこちにクリスマスのツリーやタワーが(#^.^#)

三つ目のツリーは、ガソリンスタンドの待合室にあったもの。
車を整備か点検か掃除をして貰ってる間かと。

このスタンド、今もあるにはあるけど、こういう整備・点検は事業撤退しちゃったんで、近頃は別のスタンドで面倒を見て貰ってて、この大きいツリーも、これが見納めだったなーと(;_;)。。

真ん中のタワーは、これも、このクリスマスにはまだあった、「オウル五香」のエントランスホールだけど、これまた翌年(2019年)春に閉鎖され、でもこっちは半年後の秋に、「プラッツ五香」て別の店舗になったんで、今もこんな飾り付けがされてるんじゃないかと(^^ゞ

←これまでも、ちょくちょく取り上げて来た、「天然温泉・満天の湯」(スーパー銭湯ね(^^ゞ・地図)。

毎度この季節には、有り得ないぐらいのクリスマス・ネオンを使って、手賀沼の湖を表現する(笑)。

←これは駐車場に面した入口。和風の門構え。

ここからネオンの海に浮かぶイルミネーション庭を眺めながら、玄関に向かう。光の庭に入ってみよう↓

早速出迎えるイルミ庭、右に玄関
玄関口から振り返る

光のカモシカあり、雪だるまあり、流星あり、光るツララも滴るし、雪の結晶も降る中、低地には青々と手賀沼の泉が湧き出ている。
近頃は、マシュマロ風の丸い腰掛まで置かれて、年々イルミネーションの種類は増える一方だ(笑)。



<クリスマス・イルミネーション特集(^O^)>

調子づいた所で、引き続き毎年恒例のクリスマス・イルミネーションに輝く、街の様子をお届け!
手法は、この前年(2017年分・2018年11月号)も使った、明るい写真(フラッシュ無)と暗い写真(フラッシュ有)を掛け合わせた画像と、見栄えのイイどっちかを選んだ画像でお届け(^^)

↓左は暗(F有)・右は掛け合わせ↓

↓左は明(F無)・右は不明(たぶん明(F無))↓

こちらは、明暗掛け合わせ↓

例によって、個人のお宅もあるので、地図はこのイルミネーション特集では載せない(^_^;)。

近くもあるし、かなり遠くで撮った物もある。

期間も11月中旬から12月中旬までとマチマチ。

この先も、しばらく暗(F有)が続く。

↓幼稚園の庭のライトアップ
ここも毎年、お菓子の家のよう(#^.^#)→

次の2枚は、明暗の掛け合わせ↓
このおウチも毎年スバラシイ( ^O^)//→

ホントここはスゴイので、前から、ど真ん中から、後ろから、三枚激写( ^^)σ只 <カシャッ

ど真ん中(暗・F有)
通り過ぎざま(明暗・掛け合せ)

ちょっとディズニーランドを思わせるキャラクター仕立てで、屋根の上に小さい観覧車があるトコなんて、遊園地のような楽しさ(笑)。

ウチの方、ミッキー&ミニーなどディズニー・キャラよく見掛けるけど(クリスマスに限らず)、全国的な傾向だよね(^_^;)。
もしかして、千葉にディズニーランドがあるから、特に多いのかな?



<クリスマス・イルミネーション特集・パート2(`・ω・)v>

続けて参ります(^^ゞ。はじめの二枚は、明暗・掛け合わせ。

右の、窓の中まで電光を入れてるのは、美容室なので殊に派手

何枚か撮ったが、明(F無)を選んだ。車が入っちゃったけど

これより数枚は、前年(2017年)もレポしたスゴイおうち(*o*)
表通りだけでなく、おウチの側面も、お庭の中も全部がディズニーランド状態。↓

まずは苦労して掛け合わせたパノラマ(全体)から(`・ω・)(パノラマ2枚)

以後、暗(F有)が続く。

局部。雪だるまに降り注ぐ雪カーテン、カドで出迎えるサンタ

↓左は庭の中。黄色いのはピカチュウみたいよ(^^)

↓門の左塀上の兵隊と馬車。右はちょっと通り過ぎておウチの側面↓

塀の上に並ぶお人形達を拡大

このクリスマスのイルミネーション、5〜6年前だったかな、全体的に世代交代っぽい移り変わりがあった。
その前は毎年、定番のように同じおウチ(や、お店)が同じ飾り付けをしてくれてたのが、ある頃に2〜3軒、翌年にまた2〜3軒と減ってゆき、「クリスマスが地味になったね(^_^;)」と亭主と寂しがった。

これをやめちゃう理由って、電気代とかかなぁ?
子供がいた家で、子供が大きくなって、あまり喜ばなくなったとか?

ところが、この二年前ぐらいから、また新たな「王者」たちを発見できた。
前に定番で回ってたルートを変えたり、アチコチ細い路地まで練り歩いて探した、という事も功を奏したかもしれないが(笑)。

新たな「王者」が出て来てくれるのは有難い!
(こっちが勝手に掘り起こしてるだけかもしれんが(^_^;))



<師走の神田明神(^人^)>

神田明神には「年に一度はお参りせねば」と思いながら、「前に行ってから一年経った」と気付いてから予定を組むので、ここんとこ毎年、行く季節が違う(^_^;)。

それにしても、12月に行った事って滅多にない……と言うか、初めてかも?

東京へ向かう。スカイツリー↓が見えて来る
到着。神田明神の大鳥居

この日はわりと曇ってたかも。写真がどれも少し暗めで、いつもよりチョットだけ明度を挙げている。
こうやって空見ると、朝から雲が多いもんなぁ〜。

で、到着した後は、ホントは大鳥居の向こう側の道路から写さないと、「到着」の映像じゃないハズだが、大鳥居の内側に見える道路は交通量が多く、急いで曲がって入らないと後続の迷惑になるので、入って振り返って内側から大鳥居を写している(^_^;)。

というわけで、そこから後ろを振り返ると……↓

ド〜ン!「神田明神」(地図)の正面「随身門(パノラマ3枚ほぼ180度)

門を潜ると、正面に本殿(拝殿)に続く参道(パノラマ5枚180度以上)

今回の注目は、向って左に新築された「文化交流館」だ。
前回訪れた時(2017年8月)は、まだ工事中だった→2018年8月号

この工事が完了し、立派にオープン直前を迎えていた。
ただ、この日はまだ中には入れず、この週末からオープンの予定だったようだ。
もうちょっと後で来てれば(≧▽≦)。。

ちなみに、向って右は、本殿の横にちょっと見えてるのが「明神会館」なる結婚式場。
その右の二階建てが「社務所」、さらに右(一番端)に「神楽殿」の並び。

で、残念ながら、「文化交流館」には入れなかったが、前と違う点は確認できて……↓

←建物の前の大黒サンの石像を後ろから見れる事と……
↑建物の一階・端に、少彦名命の波乗り像が、専用の壁画スペースに納まって、宇宙感でてる事(笑)

以上の二点は、やや驚きをもって眺めた。
まず大黒さん(大国主命)の大きな石像は、以前からこの位置にあったが、その後背には、駐車場だったり二階庭園だったりが、スグ迫っていて、こうして後姿をジックリ拝見できるスペースは、以前には皆無だった。
なので、この眺めが驚きなのだ。

つまり、「文化交流館」は後方にあった隣スペースを整理した上に建てられており、境内は前より全体的に広々としている。

もう一点、波乗り少彦名命の彫像は、比較的新しいご神像だが、こちらは前に在った場所から、ちょっと移動している。
前は、この大黒さんの左手に、「鳳凰殿」という社務所&待合室&売店があって、その間のスペースに鎮座していた記憶がある。

「文化交流館」は横に広く幅があって、前は「鳳凰殿」の真後ろに、「水神社」と二つの「八雲神社」などの摂社が軒を並べていたが、今は、その「鳳凰殿」は取り払われて↓

「文化交流館」の隣に、「水神社」「八雲神社」が並ぶ(パノラマ4枚180度以上)

水神社は、正式名「魚河岸水神社」。江戸日本橋の魚市場と交易の守護に始まる。
二つの「八雲神社」とは、「小舟町八雲神社」は塩干肴や乾物、「大伝馬町八雲神社」は太物問屋(反物)の流通業者が、各々、天水桶を作って祀ったという。

このさらに右先に「江戸神社」があり、祭りの神輿が奉納されている。

さらに進んだカドに「浦安稲荷神社」を置いて、今度は本殿の背後にズラッと並ぶのが↓
まず左端に、神田祭りに用いる神輿の奉納されてる「奉安殿」があり、次に見える鳥居は、「三宿・金毘羅神社」、「末廣稲荷神社」、そして真ん中の通路を挟み、中央やや右が「合祀殿」。一番右に見える建物が「祖霊社」である。↓

「奉安」「三宿金毘羅」「末廣稲荷」〜通路〜「合祀」「祖霊」(パノラマ4枚180度以上)

前回訪れた時、「合祀殿」が新設されてる事を述べた。
前年に訪れた時のレポを丸々コピペすると↓

合祀殿」なる社が新設されてた
前は「籠祖神社」があった場所だ

↑と言っている。

隣の「末廣稲荷神社」のさらに隣には、「三宿稲荷神社」と「金毘羅神社」が合祀され、三宿稲荷には「内山稲荷」が合祀されている事が書かれていたが、こちら「合祀殿」は、かつては「籠祖神社」が単体で祀られていた覚えがある。

それが前回、神田明神をレポした頃から、「籠祖神社」を含めた7社を合祀して、この「合祀殿」とされた事まで述べた。
今回は、立っていた新しい案内板から、改めて転写しておきたい。↓

     
  籠祖神社
御祭神:猿田彦神・塩土老翁(しおつちおじ)神
御神徳:導きの神・海上安全の神・籠造り職人始祖の神
御由緒:寛政7年(1795)亀井町(日本橋小伝馬町周辺)の籠職人たちによりお祀りされた。塩土老翁神は、山幸彦(神武天皇の祖父)に竹籠の船を与えた神で、そこから籠職人たちに崇敬されたのであろう。現在も籠祖神講の人々により祭祀が行われている。

八幡神社
御祭神:誉田別(ほんだわけ)命(応神天皇)
御神徳:必勝祈願・新願成就の神
御由緒:江戸幕府が崇敬した境内の旧社で、連雀町(神田須田町・淡路町周辺)の町人によりお祀りされた。八幡神は武の神として有名で、源頼朝や徳川家康など歴代の武将が崇敬したため、全国各地にお祀りされている。

〜つづく〜
 
     

この日はアカリちゃんに逢えた!
隣の公園にお散歩に行くトコだった☆彡

このところ夏に来る事が多く、夏だとアカリちゃんは避暑のため、千葉のマザー牧場に草を食べに行っちゃうんだよね(^_^;)。
でもこの時は12月だったんで、アカリちゃんをバッチリ見られて嬉しかった。
係の人が途中で、隣の公園にお散歩に連れ出すところも見られた。

     
  〜つづき〜

富士神社
御祭神:木花咲耶姫命
御神徳:安産・子育て守護・火難消除の神
御由緒:文化12年(1815)神田塗師町(鍛冶町周辺)の町人によりお祀りされた。富士山に祀られた神で、海幸彦・山幸彦の母神様。御神名は「桜や梅の花が咲くように美しい女性」を意味する。

天神社
御祭神:菅原道真命・柿本人麻呂命
御神徳:詩歌・文筆・学問の神
御由緒:菅原道真公は、平安時代の貴族で、右大臣や太政大臣を歴任し政治家としての手腕を発揮する傍ら、学者・詩人としても優れていたことから、学問の神様として崇敬された。
柿本人麻呂公は享保年間(1716〜)に、「江戸砂子」の著者・菊岡沾凉により御神像がお祀りされた。柿本人麻呂は飛鳥時代の歌人で歌聖と呼ばれ三十六歌仙の一人であります。このたび詩歌に秀でた両祭神を合祀し、天神社として、勧請しました。

大鳥神社
御祭神:日本武尊
御神徳:開運招福・国土安穏・文武の神
御由緒:文政年間(1818〜)に社殿が建立され、柿本人麻呂命の神像と共に合祀勧請されたと伝えられています。日本武尊は国内を東奔西走し、大和朝廷の統一に貢献された日本の英雄神です。各地の大鳥神社は、おとりさまと親しまれ、十一月酉の日には、酉の市が行なわれている。

天祖神社
御祭神:天照大御神
御神徳:日本の総氏神・皇祖の神
御由緒:古来より神社境内にお祀りされ、湯島横町の町人により崇敬されていました。天照大御神は、伊勢神宮のご祭神で、皇室の祖神であるとともに日本の総氏神でもあります。全国的に天祖神社・神明宮としてお祀りされています。
 
     
     
  諏訪神社
御祭神:建御名方命
御神徳:五穀豊穣・交通安全・開運長寿の神
御由緒:古来より此の地にお祀りされていたが、享和2年(1802)日本橋本町三峰講中により社殿が造営されお祀りされた。
建御名方神は、神田神社の一の宮御祭神大己貴命の御子で、大己貴命とともに葦原中津国を治めた武勇の神様です。

江戸時代に勧請された、右の神々は、関東大震災・戦災により社殿を焼失し、以来神田明神の本殿を仮御座として奉斎されてまいりました。
「平成の御造替事業」の締め括りに、七社の御神霊を奉鎮する「合祀殿」として、新たに御造営いたしました。

平成24年11月24日建立・遷座
 
     

向かいの駐車場に稲荷の小さな祠がある→

この日は、久々に御祈祷をお願いしようと社務所に頼んだら、待合室を結婚式場の「明神会館」に指定された。

「初めて入るよねっ!」と、こたつ夫婦は喜んで中に入り、借りた専用の上着を着て、ロビーのソファーでウキウキと待った。

この日は確か、自動車を新調した後だったので、交通安全のご祈祷をお祈りしたのだ。
(あと商売繁盛だったよ確か:笑)

いつもは年末に返送する「師走大祓」の「人形(ひとがた)」も、この日は手持ちで社務所に提出した所、小さいカワイイ茅の輪を下さった(^o^)v

参拝もご祈祷も無事に終わり、家に溜まってた、古い注連飾り御札御守りを、お焚き上げ用ボックスに入れ……、

「あ・と・は(^o^)」
「クリーム餡蜜っ(≧▽≦)!」

さっきの随身門を出て大鳥居までの路地、左側に「三河屋」(土産屋)があります(^^)<ウキウキ
上・亭主「餡蜜」、下・こたつ「クリーム蜜豆」→
オイチイ>( ^,_^)φ″

美味しく食した後は、真っすぐ湯島天神詣で。↓



<湯島天神>

営団地下鉄・千代田線で、「神田明神」は「新御茶ノ水」(JRだと「御茶ノ水」)駅、「湯島天神」は「湯島」駅が最寄り。

ウチらは車で行ってるが、湯島の方は近くの有料駐車場を使うので、あまり長居は出来ない(^_^;)。

到着「湯島天満宮」(地図
長い参道の先に本殿(拝殿)

この本殿の向かって左の脇に、渡り橋廊下が社務所に向けて架かっており、この下を潜って、裏に廻ると、背後の回廊と摂社にも廻れるようになっている。↓

こんな感じ。中央から右にかけて、本殿と拝殿と渡り橋廊下(パノラマ5枚180度以上)

この回廊にズラリと並ぶ「蟇股」(かえるまた)の彫刻が、どれも色彩がすこぶる鮮明で、かなり新しい感じがするので、最近修繕したのかもしれない。

意匠と言い、色鮮やかさと言い、毎年感心するので、今度境内じゅう全部撮影したいと思っている(`・ω・)<ファイト

蟇股に彫られる竹林の猛虎
絵馬には白牛に乗った菅原道真。その胸に梅紋(^^)。

一つだけ残念なのは、ここの資料館。
明らかに神社本庁の危ない思想本が並んでて、すこぶる汚らわしい

史実における菅原道真は、お世辞にも庶民の味方とは言い難いが、安倍晋三のような強権指向に牛耳られつつあった朝廷において、ただ一人、帝に頼みにされた事から、ハメられ左遷されたあげく、死後、怨霊に化した人物である。

道真の冤罪は、摂関藤原(時平)が仕立てたものでないにせよ、菅原道真を天神と崇める人々には、藤原氏の横暴への怒りが渦巻いていたに違いない。

今上天皇陛下のご即位に、得意満面に万歳三唱してる安倍の太々しい態度を思い出すと、権力を私(わたくし)する大臣に対する、当時の人々の複雑な思いが胸に迫る。

嘘つき安倍
の息がかかった臭い本など並べると、祟りに逢うぞよ。悔い改めなさい!



<夜の東京Xmasイルミネーション>

……さてこの後は、前に住んでた世田谷方向に車を進める。
冬の日暮れは早く、あたりはすっかり夜風景。

途中に繰り広げられるXmasモード。大手町に続く道

超高層の摩天楼街が続く中、階下に大型ツリーを飾るビルも(#^.^#)↓

背丈の何倍もある巨大ツリー(拡大)
やがて行く手に東京タワーが見える↓

(拡大)東京タワー
そして「国会議事堂」(地図)ライトアップ!

このあと、世田谷に着いて、前に住んでた時にお世話になってた整体治療院にお邪魔(^^ゞ。



<世田谷・用賀の「たつみラーメン」>

治療院の帰りは毎度、前に住んでた辺りを軽くドライブして夕飯を食べたり、帰路に着いてウチの近くで食べたりするんだが、ここの所は、前住んでた頃によく行ってた、用賀のラーメン屋に立ち寄る事が多い。

桜新町の「増田屋」(懐かし〜!)
そして用賀の「たつみ」ラーメン

桜新町「増田屋」(地図)は、蕎麦を中心とした定食屋さん。
結婚する前は、亭主と一緒に飯を食った事がある(^_^;)。

用賀の「たつみ」(地図)はラーメン屋さんで、こちらは結婚後、東京にいた最後の頃に、よく食べに行ったお店。

他にもいっぱい外食した店があったんだが、年々ドンドン閉店してしまい、今も当時を偲べる店が減ってしまった。。

そんな中でも、若い頃に通ったこういうお店が今でも営業してると、嬉しく懐かしくて、後何度来れるかな〜と言いつつ、来れる内に来てみたりする。

この日は「たつみ」の方に入った。

亭主「チャーシュー麺
こたつ「ネギ味噌ラーメン

メニューは、「塩味」「醤油」「味噌」の三種類をベースに、各々「プレーン」「ネギ」「チャーシュー」「ネギチャーシュー」の4種のトッピングメニューがある。
このうち、塩味には「たつみラーメン」「青菜麺」、醤油には「支那ソバ(細麺)」「ワンタン(麺の有無は選択)」の特別メニューがある。

さらに「白湯」味もあり、「スタミナ麺(ニンニク入り)」「雷ラーメン」があって、後者は辛さを追加できる。
他に餃子、ご飯、チャーシュー丼の追加メニューも頼める。

時間は11:00〜15:30、18:00〜24:30で、日・水・祝のみ、11:00〜23:00(中休み無し)
ランチは11:00〜15:00らしいが、実はランチ時に来た事無いので、どういうメニューか知らない(^_^;)。

……何か凄く詳しく書いちゃったっ(≧▽≦)!
二年も前の訪問なので、今はこれと違ってる所もあるかもしれないけど(笑)。

ペニンシュラ東京地図
↑「和田倉門」前交差点(地図

後は、元来た道を帰路に着く。

平将門と菅原道真のご加護があって、クリスマスが我が家にもやってきた(^^)↓

←サラダ・ローストチキン・ケーキ
↑(拡大)ケーキは半分手作り(≧▽≦)

毎年たいした事はやらないが、この年は特に手抜きで(笑)、御馳走と言えばチキンだけ。
こういうタレに浸したローストチキンって、クリスマスには必ず売り出すけど、通常は見ないよねー(^_^;)。

そして右の「半分、手作りケーキ」も毎年恒例になってきたけど(笑)、スポンジケーキもホイップクリームも出来合いのを買って来といて、当日、こうやってデコレーション。

上に乗せる果物は、イチゴが欲しい所だけど、クリスマスは死ぬほど高いんで(≧▽≦)、100円ぐらいで買える缶詰のフルーツを乗っけた上から、湯煎で溶かした板チョコをかける。
キウィだけは安いんで、彩りのため追加計上。

あと、子供用のシャンパンを、ポポンッ!と音たてて開けて……
カンパ〜イ!>( ^O^)/∀☆∀\(^O^ )<カッシャーン!

一年お疲れ様でした。良いお年を〜(^o^)



■2019年1月・千葉県松戸市・我孫子市
<謹賀新年、「松戸七福神巡り」>


明けまして、おめでとうございます\(^O^)/

これが、やっと、去年の正月だからね(^_^;)。。
今(2000年暮れ)に追いつくのはいつでしょう。。

←毎年恒例「おせち・もどき」(笑)

黒豆・数の子・昆布巻・チョロギだけ正月コーナーで、うんと前に買っとき、あとは総菜コーナーから、なるべく日持ちの長いおかず類をチョコチョコ買い足して、重箱に詰める。
こんなお重でも亭主は大喜びで、パクパク美味しそうによく食べる(笑)

さて、今年も松戸七福神のスタート(^nn^)<ゴッソサン
最初は八柱「徳蔵院」(地図
石段登って正面に本堂、そこから後ろを振り返ると、石段の脇に「寿老人」→
この年も盛大に「松戸七福神」の幟が囲む

例年は、七福神像を出来る限りアップで写してるが、今回は七福神の周囲の雰囲気も伝えようと、七福神のお顔などは小さくなるが、少しロングで提示する(^^ゞ

次も同じく八柱の、今度は「圓能寺」(地図
↑こちらは山門入って正面の本堂。
←この本堂に向って左に、この「福禄寿」像がある。さっきの寿老人と同じく、幟がいっぱい(^^)

↑本堂の右手前にある七福神のレリーフ↓
↓所かわって「医王寺」(地図

三カ所目は、北上して北小金「医王寺」、右上の写真は、本堂に伸びる参道沿いにある小さい祠。赤い社に狐の像なので、稲荷かな(^^ゞ。
この祠の後ろ、塀の向こうに「ハウス城跡」というアパートが見え、名の示す「城」は、恐らく高城氏の本拠「小金城(大谷口城)」だと思われる。

改めて、「医王寺」本堂↓
その右脇に「毘沙門天」像(^人^)→
この年も、このお寺の甘酒を美味しく頂いた♪

←続けて「弁財天」を拝む。
銭洗いが出来るよう笊も柄杓も遣水もある。
↑お寺は同じく北小金に近い「華厳院」(地図
本堂は弁天さんで右折して登った石段の先に聳える。開いた扉の奥に地蔵菩薩の像が安置。

西に出て江戸川に近い「金蔵院」(地図)・本堂↓
本堂に向って左脇に「恵比寿」→
ここに来る時はいつも夕方に差し掛かった頃で、夕日に恵比寿の豊漁が照らされて何ともメデタイw

お次は「布袋」のいる
善照寺」(地図)。松戸駅に近い

↑ちょっとブレちゃったね、ごめん(^^ゞ
「松戸七福神」は、「松戸市の七福神」という意味らしく、松戸駅のある「松戸」は、七福神の配置では、西南の端になるんだよね(^_^;)。

最初の2寺で、南方の八柱からスタートし、北上して北小金の2寺、西に向かって江戸川の近くで1寺、そして西位置のまま南下してきて、松戸で2寺……という、以上のルートが毎年のコースに定着している。

八柱の「圓能寺」は店じまいが凄く早く、午後4時過ぎると御朱印や縁起物の販売など終了してしまう。(3時でも危ないかも(^_^;))
なので、八柱を早めに済ませるのがコツ。

あとは、ここ松戸駅の周辺は、午前に廻すと道路渋滞に遭って、他を廻る時間が無くなるので、逆に朝一は避ける方が無難(^_^;)。

なので、今回コースの「八柱→北小金→江戸川→松戸」が定例になっちゃってる。

が、朝を避ければ松戸の渋滞は緩和するかもしれないので、「八柱→松戸→江戸川→北小金」とか、最後に廻さなければ「圓能寺」も受付てくれるだろうから、「江戸川→北小金→八柱→松戸」とか、「江戸川→松戸→八柱→北小金」なんてのもOKかも?

最後は、同じく松戸の「宝蔵院」(地図)↓本堂
これも幟をいっぱい掲げた「大黒天」→

今年も良い一年でありますように(^人^)
(去年だけどね:爆)

本堂の賽銭箱の横に、巨大な数珠がぶら下げてあって、引っ張るとパチパチと大きな弾ける音が発って縁起が良さそう(^^)

以上をもって、今年の初詣も無事に終了(^_^A)

この松戸七福神巡り、始めた3〜4年ぐらいは段取りが読めず、上に書いた通り、大渋滞に遭ってしまったり、早々に受付終了される寺があったりで、一日以内に廻れなかったものだ。

初年は、4日間に渡ったんじゃないかな。
翌年は3日間、さらに翌年は2日間……みたいな感じに、だんだんコツが掴めてきて、今では、昼前ごろ家を出れば、夕方までに全部を廻れる、「松戸七福神巡りのプロ(`・ω・)=3」を自称している(笑)。



<1月の下手賀川・古利根川>

この年の正月は、三が日が火・水・木だったので、続く4日(金)も休みを取れば、スグ土日になって、続けて連休にできるラッキーな週めぐりだった(^^)

もっとも我が家は、独立して4回目の正月で(^_^;)、「休みを貰う」とかいう感じではない(笑)。
休みとは、それが続けば、何のことは無い「失業状態」を意味するだけだ:爆)

ただ、仕事先の会社は、カレンダーに沿って盆暮れ土日祝を意識した営業活動をしてるので、世の中の動きに従ったスケジュール周りになりやすい。

亭主はだいたい、暮れのギリギリまで仕事と格闘してるので、年が明けると、ナントカ七福神巡りだけは敢行するが。それ以外の正月三が日は、もぉバテバテで寝正月となる。
4日ごろになると、ガバッと飛び起きて、大晦日までにやりきれなかった大掃除の続きをこなす(笑)。

てわけで、連休最後の週末は、おせちも食い終わったし、仕事始めを迎える前にリフレッシュをかねて、近場ドライブに出てみる。

鯛と金扇の注連飾り
下手賀川・発作橋地図)付近

この発作橋あたりで、手賀川から下手賀川が分流するが、水流で餌でもたくさん集まるのか、橋から餌を撒く人も多いしで、白鳥がよく集まっている(^。^)。

周囲は土手と水田地が広がるのみで、地平線が見え、特に冬場は大気が澄み切って、北に筑波山、南西には富士山がよく見える。
南西に浮き上がる富士山
北にはクッキリと筑波山

松戸駅近くに「戸定邸」なる明治以後の徳川家・別荘があり、最後の将軍徳川15代慶喜の舎弟・昭武の所有であった。

そこからも、北に筑波山、南に富士山が見えたと伝わり、この二山が南北に見渡せる事が、この界隈の上流邸宅における最高条件だった事が知れると教わった事がある。

今でも高位置にあるビルやマンションの窓からは、両方向両山の絶景が見下ろせるのかもしれない。

が、残念ながら、その両位置を臨める立地を、我々夫婦は、この季節(正月明け)の、この位置(手賀川と下手賀川の合流点)しか知らない(^^;)ゞ
毎年ここで仰ぎ見られるだけで、光栄・幸運だと思ってるけどね(^_^A))

この日、さらに北上して、たま〜に来る古利根川に来てみた。↓

川の中まで桟橋が伸び、釣りしやすくなっている(パノラマ5枚180度以上)

いつもは、ここまでしか来ないが、たまに、これより奥(今見ている場の後方)に歩いてみる事がある。
川に沿って、ちょっとした森の中を進む道が伸びている↓

ドラム缶みたいのが水中に落ちてたり(^_^;)(パノラマ4枚180度以上)

ドラム缶は金属製か。これは何て言うんだろう。

この道の、川とは反対側の崖の壁側に、「波除(なみよけ)不動尊」という、我孫子市教育委員会の案内板(2004年12月)が立っているので、上に登ると見れるんだろうな、と思いつつ、何だか茂みが深く、ゆく先もずいぶんな暗がりに思えて、いつも何となく控えてしまう(^_^;)。。

この日も見に行くのはやめてしまったが、案内板によると、江戸時代、利根川の出水で崖の崩落に悩まされていたが、享保3年(1718)、ここに不動尊を安置したところ、不動尊のいる場は崩落が無くなったので、「波除不動」「波切不動」と呼ばれ、親しまれて来たそうだ。

せめて案内板のある、崖側あたりだけでも写してみたが、真っ暗でブレまくったので今度また(^_^;)。

近年使用してるデジカメ(ニコン)は、かなりの暗がりでも、わりと明るく撮れる点は助かるが、明るい場では色が飛んでしまったり、一定の暗さを超えて暗くなると、突然ブレがひどくなるトコが難点だと思う。。



<佐倉の干支中華まん>

一度、「ふるさと納税」をやってみようと思い付き、12月までにネットで返礼品カタログ・サイトを見て、「干支中華まん」を選んだ。

送られて来た品物を見たら、食べてしまうのが勿体ないほど細工が凝っていたので、さんざん撮影してから食べる事にした(笑)。

まず、送られて来たラッピングされた状態を並べてみる


ラッピングを外して撮影( ^^)σ只 <カシャッ

↑左ナナメ上のネズミ色が年(ネズミ)、あとは右上周りに、年(ウシ)、年(トラ)、年(ウサギ)、年(タツ)、年(ヘビ)で一番右端まで来て、あとは下段が右から、年(ウマ)、年(ヒツジ)、年(サル)が下の中間で、さらに右に、年(ニワトリ)、年(イヌ)、年(イノシシ)が左端。

ラッピングで、それぞれに貼ってあった可愛いシールは↓

子年(ネズミ)
丑年(ウシ)
寅年(トラ)
卯年(ウサギ)
辰年(タツ)
巳年(ヘビ)

午年(ウマ)
未年(ヒツジ)
申年(サル)
酉年(ニワトリ)
戌年(イヌ)
亥年(イノシシ)

どこの「ふるさと納税」かと言うと、同じ千葉県の佐倉市
佐倉には「歴史民俗博物館」(佐倉城跡)もあるし、臼井城跡公園もあるから、近隣住民としての応援意識の一方、やっぱり、この「干支中華まん」が欲しかった点も大きい(^O^)

製造&販売は、佐倉の中華料理屋「みろべー」さん(地図)で、店自身のサイトは見付からなかったけど、商品ページは見付かった→「干支中華まん」ギフトページ

上の写真は、送られて来た直後、ラッピングから出して並べて撮ったから、まだ冷凍状態で、ちょっと蝋細工の人形みたいだが……。

これを毎週4個づつ蒸し器で蒸して、夫婦で食べたから、食べる前、蒸したてホカホカの中華まん達も、イチイチ写真に撮影したのよ〜。
どぉ? ふっくら、フワフワ(^。^)→

最初の週は、ネズミ・タツ・ニワトリ・サルを頂いた。

2週目はウサギ・トラ・ヒツジ・ヘビ
3週目はウシ・イノシシ・イヌ・ウマ

写真で見ちゃうと、今イチ、ふっくら加減や表面の張りなんかが、冷凍の時のと違いが伝わらないかしらっ(≧▽≦;)。。

それと、触り心地や食感のみならず、味も伝わらないよねっ!
でも! そこは……

同封されてきたパンフに詳しく書いてあるの! ↓

肉・白餡・黒餡ぐらいまではともかく、チーズサツマイモリンゴチョコホワイトチョコパインココナツミルクカボチャカスタードと、中華まんって今そんなにっ(≧▽≦)?!

さてさて、えらく久しぶりの更新となった今回の「たわごと」もようやく終わりが近づいて来た(^_^A)

上の「干支中華まん」は正月料理も食い終わり、仕事も始まった1月の後半から、週に4個づつ食べ始め、2月初旬には食べ終わった。

が、次回は1月にちょっと戻って、この凧が上がる正月の空の下、牛久沼からお届けしよう→

「凧、た〜こ、あ〜がれ♪」

牛久にある「金竜寺」というお寺に行った。
横瀬(由良)氏が上野国から遷して来た、新田義貞の墓所がある。

続けて次回は、桜が咲く頃まで行こうと思う。
新年号の選定が話題になった頃だ。(懐かしい〜まだ「平成」だったのよね)

手賀沼に新しく出来た「野菜レストラン」、白井七福神の一つ「佛法寺」、そして毎度おなじみ「常盤平桜祭り」や「今井の桜」などお届けしたい!

(なるべくコロナ前に居座って、現コロナ禍を一時でも忘れようという魂胆w)

2020年12月20日

<つづく>
 
     





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