<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」2011-11(柏・白井・松戸編1)、2

     
  <北畠具顕さま 2011/12/05(Mon) 19:00>

たわごと読了。

今年は大変でしたね。

わがほうも東海、東南海、南海の焦らしプレイに戦々恐々の毎日ですが
地震があるたびに震度が3か4であろうものなら
「あれ、実は東海じゃね?」
という会話で期待を膨らませてはため息をつくことしばしばです。
事あるときは東北の自衛隊が助けに来てくれることになっており、今年起こるといったいどうなるものかと冷や冷やでした。

桜は・・・そういえば今年はそんな気分にもならずに見てませんでしたね。
きれいに咲いてたんですね。



<こたつ城主 2011/12/06(Tue) 18:54>

>北畠具顕さま

「城主のたわごと11月」読了ありがとうございましたっ(^O^)!

大変な年となってしまいましたね。。
このたびの震災は、当初から範囲が非常に広かったです。
「たわごと」にも書きましたが、あの夜の内に新潟や長野、数日の内に静岡と、さらに広い範囲に強震が及んだので、本当にヒヤヒヤさせられました!
東海地方の人が冷や冷やしても無理ありません。東南海もそうでしょうが、首都直下型も、誘発の危険性を随分いわれました(^^;)。。
こう言うと、もうその危険は去ったかのようですが、専門家は「一年後でも注意」と言ってたので、まだまだ気をつけなくてはならない期間なのでしょう。。。。

自粛ムードが云々いわれた折、「まぁ経済への影響とかあるだろうけどぉ〜」と頭では分かりつつ、正直私も、あまりそういう気分になれないクチでした(^^;)。。

でも桜は咲きました☆ミ 写真では今イチかもしれませんが、遅れ馳せながら、どうぞご覧になってって下さいまし♪
今ごろながら、春の香り、桜茶など、どうぞお召し上がりを>( ^^) _旦~~



<Syoさま 2011/12/14(Wed) 23:32>

こたつ城主さま、こんばんは。
アッという間に時が流れて前回の書き込みから早、1ヶ月が経っていたのですね。・・光陰矢のごとしです(@_@)

ご多忙の中、ご丁寧な密書やわが城にも立ち寄っていただき
丁寧な感想やアドバイスなど恐悦至極に存知まする。m(__)m
『更新歴』は、参考にさせていただきたいと思います。
城主さまの更新歴は確かに便利でわかりやすいです。
コラムが多くなったらとっても便利ですもんね。
自分もあのコラムはどこだった??って迷子になる時がありますもん(^^ゞ爆

リンクのアドレス・HN・文など変更も確認いたしました。
わかりやすく紹介していただき、ありがとうございます。

城主のたわごとも拝見いたしております。
相変わらず全コラムの写真や文章構成などコラム作成の丁寧さに感服いたします。

2011年は
鳥取県境港市の「水木しげるロード」から始まり
不幸にも東日本大震災があって城主さまのレポの端々に
震災の余波が感じられます。

ところで、ぬりかべって尻尾があったんですね(^^ゞ
鬼太郎は見ていたのですが 尻尾は気づきませんでした。
しかし、「水木しげるロード」にはたくさんの妖怪がいるんですね。電車も妖怪ペイントで詳細なレポを楽しませていただきました。(*^-^*)

クリスマス・年末年始・冬景色。そして、東日本大震災などなど・・おせち料理とイルミや夕焼け空、不思議な夜空が印象的でした。
恒例にされている松戸七福神巡りもいいですね。
ご亭主殿にサービスしているワンちゃんはタロ、ジロのどっちかなと思いました(^^ゞ爆

こちらでも昭和30年ごろまでは伏見七福神があったのですが法性寺(毘沙門天)が廃寺になったので根絶してしまいました。

今は、伏見五福めぐりがありまして、毎年、元旦に娘とめぐって可愛い干支の絵が書かれた朱印色紙と土鈴を頂いております。12支の色紙を集めたいです。o(*^▽^*)o

将門神社・龍光院
将門神社を祀るお寺なんですか・・珍しいですね。
廃仏毀釈を逃れたかな(^▽^;)

平将門は桓武天皇の血を引く一族で藤原忠平に仕えて検非遺志になる野望を抱いていたが失敗して関東にくだったそうですね。

京都の四条新町に見過ごして仕舞う程の小さな神田明神さんの祠があります。
ここは、討たれた将門の首だけが持ち帰られた時に埋められたも晒されていた場所と伝えます。(胴体は岩井市の延命院。東京大手町に首塚)
ある晩、「おのれにっくき京の町、いつかは復讐してくれん」と目を見開いて言い放ち、将門の首が天高く舞い上がって 東の方に飛び去っって行ったと伝えます。 (@_@)

神田の名は、東京の神田明神が将門を奉っているので、その名がつけられたのかもしれません。

城主のたわごとのレポにたくさんの美しい桜の写真と放射性ヨウ素の画面が並んでいるのも日本の現状なのですね。
一日も早く復興、復旧がなされます事を念じます。
たわごと、またゆっくりと楽しませていただきます。m(__)m



<こたつ城主 2011/12/15(Thu) 16:56>

>Syoさま

最初お名前見て「おおっ外国人が来てる!」と思っちゃいました。犬夜叉さんか〜(笑)。
あ、URLも入れられましたね。良かった良かった(^_^A)。
いやいや〜ホント時間が経つのは早いですね〜もう年末です、ヤベ(>_<)。。

はい、リンク紹介欄はちょっと工夫させて頂きました。
総合トップページを設けられたのは、なかなかの快事でしたよね(^^)。
コラムについてはメールでもご説明頂いて、「なるほど(゚.゚)」と思いました。
更新歴の件、レス頂いてたのに、メールでも重ねて言っちゃって、スイマセン(≧▽≦)。。書き始めの時は、投稿の直後だったもんスから(^_^;)ゞ。

>自分もあのコラムはどこだった??って迷子になる時がありますもん(^^ゞ爆

わかりますっ(≧▽≦)。。私もそうです(爆)。長年やってると、見せ物以上に、日記というか、備忘録と化してる事を痛感します(笑)。

そして「城主のたわごと11月」ありがとうございます(^O^)!
おおおおっっ!水木ロードですか。今年1月号からご覧頂いたんですねっ(*o*)。。ありがとうございます〜東武ワールドスクウェアとか随分前から読んで下さってたようで、もぉホントにm(__)m<土下座
水木ロードの妖怪の多さ、結構時間も体力も要りますよ〜(笑)。

>ぬりかべって尻尾があったんですね(^^ゞ

この台詞、どれぐらい昔だったかなぁ……私も友達に言った覚えがあります。
子供の頃から知ってた妖怪キャラを、自分としては「大人になった」と自覚してから「尻尾があった」と知ったので、「とんでもなく時間が経ってから知った!」と衝撃だったんですが、そうは言っても、せいぜい大学、いや高校か中学だったか……今思えば、それも子供時代でした(笑)。

おせち、イルミ、七福神巡りと、毎年レポするんですが、やっぱ去年は……夜空が凄かったです(^^;)。。
その事は、今振り返ると、震災の前から騒いでたな〜と思います。

七福神巡りって、どの地域でもあって、皆さんご当地の七福神巡りをされ、レポを載せられると、見ていて楽しめますし、話も、どの神様はウチではこんなだとか、寺がこうだとか、立派な史跡巡りでは、あまり出ない話も出たりして(笑)。



<こたつ城主 2011/12/15(Thu) 16:58>

>Syoさま、2(続き)

伏見七福神の毘沙門のお寺が廃寺ですか(>_<)。。法性寺……平安末あたりで凄くよく見た気がする寺名なので、一瞬、後白河法皇がらみかと思ったら……法住寺でした(爆)。義仲に焼かれちゃった(^^;)。
でも、五福に十二支とは。七にはならなくても、福を集め歩くのが楽しいですよね☆ミ

そうそう、七福神は神仏習合時代の名残が強いので、廃仏毀釈の話も地域によっては付き物かもしれませんね。
将門神社がどうだったかは、そういや聞いた事ないですが、このほどお寺の方とお話する機会もありましたので、今度聞けたら聞いてみようかな(^^)。

しかし大抵の将門神社は、非常に厳重に隠された跡が感じられますし、沼南の将門神社も、青年館の建物に前を塞がれ、横合いを盛り土で覆われて、ちょっと見付けにくくなってますから……やはり隠されてたんでしょう。明治の宗教政策(運動)とは限りませんが。

>「おのれにっくき京の町、いつかは復讐してくれん」と目を見開いて言い放ち

いや〜この話を京の方に直接聞くと、何か凄味がありますね(笑)。
神田明神と言うんですか、京でも(゚.゚)。それは知らなかったです。胴塚と首塚は仰せの通りで、胴を「身体(からだ)」と言うのが訛って「かんだ」という説もあります。
「城主のたわごと」2008年10月 http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2008/10.htm#c
<坂東市「国王神社」>と<取手市「延命院・神田山・将門胴塚」>

将門は生粋の関東(坂東)人で、祖父・高望王が関東に根を張りました。
高望王の子の世代だと、まだ京と関わりも強かったかもしれませんが、将門の世代あたりから、京での出世は難しい代に入っていたのか、出世できないから戻って来た、という見方が強いです(^_^;)。
ただし叛乱の原因を、「官位を得られなかった事」に結びつける解釈になったのは、南北朝ごろのようで、父の跡を継ぐため(土地の管理のため)だったと考えられています。

仰せの通り、忠平とおぼしき人物(殆ど100%と言っていいかと)に仕えた事が、本人が書いたとされる書状から伺え、ただ既に叛乱は坂東において起こしていたので、忠平との主従関係の縁を頼りに、朝廷への弁解を試みていたようです。鎮圧されましたが(^_^;)。

>たくさんの美しい桜の写真と放射性ヨウ素の画面が並んでいるのも日本の現状なのですね

私も編集しながら、つくづくそれを思いました(>_<)。
家でニュースを見る時と違って、桜を見る時は「春だ〜(^O^)」と思ってたんですが、現状は同時並行なんです。。。
早く心ゆくまで花見を楽しめる日本に戻って欲しいです(-_-;)。。
 
     

     
  <Syoさま 2011/12/19(Mon) 10:02>

こたつ城主さま、おはようございます。
私目の長々の戯言に二部構成のご丁寧なレス、痛み入ります。m(_ _)m

はい、お蔭様でURLをリンクできました!(〃 ̄ ̄ ̄∇)=3
ぬりかべにシッポを見つけたのはカルチャーショック?!^_^;爆 もしや・・鬼太郎にも?探しましたがパンツはいてるのでわかりましぇ〜ん?!(;^_^A爆 でも鬼太郎のシッポは前かと・・ゞ( ̄∇ ̄;)おいおい。。。ただただm(¬0¬)mシラ〜
爽やかな朝に大変、とっても失礼いたしました・・・

城主のたわごと 震災以前の岩手、福島などなども楽しませていただいています。
どのコラムも読み応えありですね。作成のご苦労推察します。

私的には、新撰組副長・土方歳三、会津藩藩主・松平容保が好きです。

松平容保の墓所を始めて拝見いたしまた。
一番高い所にあるんですね・・
激動の幕末に京都守護職を拝命され孝明帝の信頼も篤かったのですが・・・朝敵の汚名を着せられてしまった方。
勝てば官軍、負ければ・・力の正義は世の常でございます。

京都の金戒光明寺に会津藩本陣があったので会津墓地があり鳥羽伏見戦など京で亡くなられた御魂を祀られています。
紅葉時分に訪ねると参らせさせてもらっております。
遠く会津の地を感じられるように鶴ヶ城などの写真や絵が
たくさん飾られています。

京都には新撰組関連史跡は、結構あるのですが
松平容保の史跡はこのお寺が一番だと思います。

2010年最初のたわごとコラム・「蝦夷征伐戦」
田んぼアートの美しさに目が釘付け(◎◎;)
>「跡呂井」で、蝦夷の勇将として名を残す「阿弖流爲(アテルイ)」に由来すると伝わる。・・
阿弖流爲(アテルイ)の名にまたまた目が釘付けに!^_^;

京都・清水寺に「北国の雄・アテルイ、モレの碑)」があります。
なぜかなと思えば・・
寺伝によれば鹿狩りに来た坂上田村麻呂が此処で修行中の僧・延鎮に出会い殺生を戒められ延暦17年(798年)、一宇の仏堂を建てたことが由来
田村麻呂とアテルイとの因果が大きいからですね。

「北国の雄・アテルイ、モレの碑)」の解説には
アテルイ、モレは、平安律令政府の東北征服戦争に対してゲリラ戦で頑強に抵抗した蝦夷(えみし)の首長と副将で、征夷大将軍・坂ノ上田村麻呂の軍に帰順、将軍が両雄の武勇と器量を惜しみ、戦後の蝦夷経営に登用すべく朝廷に助命嘆願したが、許容されず両雄は河内の国で処刑された。

平安建都1200年を期し、両雄の故地、岩手県水沢・江刺地方出身の関西在住者や地元の有志が両雄の鎮魂・顕彰の碑を1994年に建立しました・・・余談ですが、映画『もののけ姫』に登場した主人公・アシタカは蝦夷(えみし)の末裔だったと記憶しています。 もののけ姫のアシタカはアテルイがモデルでは・・と(^^ゞ

最後に、レポに出てくる美味しものと旅するご亭主殿の後姿が・・いいですよ!(^_^)

あっ、またまとまりのない戯言を長々と・・ご容赦くだされm(_ _)m
ここ数日、随分と冷え込んできましたのでお体ご自愛で・・



<こたつ城主 2011/12/19(Mon) 18:42>

>Syoさま

文書ソフトか掲示板の不具合でエラー出る事があるので、だいたいの長さで分ける事にしてます。この頃あまり出ないんですが、一度出ると再起動するまで直らないんで(^_^;)ゞ。

私もぬりかべを後ろから見たのは、初めて(少なくても3Dでは)と思います(^_^;)。尻尾も、話には聞いた事あったのを思い出しましたが、ああして見た覚えは(多分)なく、「13559」で「見た事あったかな(゚.゚)」と言ってます↓(だいぶ頁が下ですが)
だいたい、後ろ姿を見られるような妖怪と思ってなかった気がします(笑)。誰かに聞いたのも、妖怪辞典か何かの話じゃなかったかな……。

Syoさまは京の会津ファンでいらっしゃるんですよね(^^ゞ。
いや〜ご丁寧にご覧頂きありがとうございますっ(^O^)!
はい、松平容保のお墓は、「たわごと」2007年2月<会津藩主松平家墓所>
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2007/tawagoto-02.htm#f
を見て下さったんだと思います!実は、その次の月(3月)<天寧寺>の中に、
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2007/tawagoto-03.htm#c
近藤勇の墓もあるんです(^^ゞ。土方歳三の碑も建ってました。
東京の三鷹にも墓があるようですが、当時は賊軍として追われてたからか、一先ず会津藩に葬ったのではないかと思います。

京都にも会津がいた痕跡を残す史跡があるんですね〜(゚.゚)。
会津の鶴ヶ城の写真まで飾ってあるなんて!何か感激ですわ〜(^O^)!
Syo様の所に行ったら、是非コラムのご紹介お願いしますね!

会津の話は、近年だと大河「新選組!」(2004)(もう新しくない作品になりつつありますが(^_^;))で少しやりましたが、今、時専chで再放送してる「獅子の時代」(1980)にも濃厚に登場しました。
まぁ、単なるイジメですよね(苦笑)。

でも「朝敵の汚名を挽回した」という地元の想いが達成された瞬間が、↑の<天寧寺>の上<会津松平氏庭園「御薬園」>にも書いた通り、会津松平氏のご出身の秩父宮のお妃様が、帰郷された折に宿泊された建物が、記念に移築されてるんです(#^.^#)。
あと、福島も何度か行く内、武士の悲哀とは別に、農民の底力を思わせる歴史がその後も続いたんだな〜とも思います。
もちろん会津藩の名残も色濃いですよ〜(#^.^#)。会津の殿様のお声がかりで始まった駄菓子屋さんなど、今も続く老舗の店にこの秋には寄って参りました☆ミ



<こたつ城主 2011/12/19(Mon) 18:44>

>Syoさま、2(続き)

「城主のたわごと」の中でも、我ながら、2010年1月号は、わりと頑張ったんです!(笑)
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2010/01.htm
冒頭に出した胆沢城(鎮守府)跡の傍にある「奥州市埋蔵文化財調査センター」で、「跡呂井(あとろい)」の陣跡や住居跡と伝わる神社など、案内されていて(もちろん伝承レベルですが)、わりとウハウハ!でした!何も残ってない風でいながら、行くと何かに出会える旅なんて、何年ぶりだったか!(≧▽≦)

>鹿狩りに来た坂上田村麻呂が此処で修行中の僧・延鎮に出会い

おおっ、この話は私も田村麻呂の話を書いた時に、何度か見ました!
京のアテルイ名残りの地もあるんですね〜!なるほど、やはり清水寺ですね(^^ゞ。
武将に殺生禁断を説くという、日本史的にもかなり早い時期の(話の成立がいつかはともかく(^_^;))縁起ですよね。清水寺は京でも最古に属す縁起を持つ寺と言えるのでしょう。

2010年4月の<厳美渓温泉で最終泊、3日目夜〜4日目朝♪>から始まり……
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2010/04.htm#e
その後の達谷窟にいたる、かなり長い頁を使って、東北の坂上田村麻呂伝承を綴りました。
思うに、岩手でこれほど濃厚な伝承が語られて来た一端に、京の清水寺信仰が深く関わっていたのではないかと思っています。
凄く長文なのが恐縮ですが、わりと最後の方に「坂面伝母礼麻呂」というのが出て来ます(^_^;)。田村麻呂とモレ(盤具公母礼)が混ざっているのです(笑)。
長い時間の間にそうなっちゃったんでしょうか。

>平安建都1200年を期し、両雄の故地、岩手県水沢・江刺地方出身
>の関西在住者や地元の有志が両雄の鎮魂・顕彰の碑を1994年に建立

これは初耳です(゚.゚)。同じく2010年1月の<神明社(伝アテルイ居住跡)>には、「アテルイ王・千二百年祭記念碑」とされ、、平成元年(1989)の日付があるのですが、同じ時期に発した企画なのか、興味深いです!

蝦夷に関してはイメージが色々ありましょうが、地元の水沢では、開拓農民としての姿を基準としていました。私もそう思ってます(^^ゞ。

>最後に、レポに出てくる美味しものと旅するご亭主殿の後姿が・・いいですよ!(^_^)

ありがとうございます〜(笑)!
ホントに凄い寒さで、こたつから出られません(*o*)。。Syoさまもお風邪などくれぐれもお気を付け下さい! 帰宅後の手洗い必ず!ですぞ!(笑)
 
     



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