「山岡荘八『徳川家康』雑記」(「ご挨拶」から、8)

「今週のご挨拶とお知らせ」(2018年6月で述べた事から〜

     
 
〜前略〜

さてさて、今月も(つーか2ヶ月ペースなので、「今シーズンも」と言うべきか)、山岡荘八の『徳川家康』の話から行きましょうか。

『徳川家康』は、今23巻です。
……う〜ん、読むには読んでますが、あまり読み進めてません。
前回、4月のご挨拶でも言いました。21巻に入った途端、止まった、と……。

同じような感じです(^_^;)。
気持ちは先に進みたいんですが、なかなか前に進まず、凄いスローペースにちょっと気持ちが萎えてます。

と言っても、小説の進度(展開)が遅いというより、私の読むスピードが急激に遅くなっただけだと思います。
しかし遅くなる原因は、スラスラ読み進む気がしないのだから、私のせいでもありません(笑)。

特に何が原因で読む気がしないと言う程、目立って悪い所があると思いませんが、強いて言えば、ドラマが少ない気がします。
なんかこう……観念論だけで書き進められてる感じ(^_^;)。。

以前スローペースになった巻を振り返ると、大きいイベントをすぐ後に控える段になると、こういう感じになります。
本能寺の変とか、関ケ原とか、今回は大坂の陣ですね。

執筆者の手間を考えれば、当然ですね。
大イベントを書くとなると、前準備が大変だと思います。

何しろ調べ物をしなきゃならん。史実の詰めは勿論、背景や背後描写に必要な材料集め。
文章書く段に着いてからは、史実に対する解釈、主人公の姿勢、ドラマ作り、キャラクターの組み合わせ、あれもこれも詰めなきゃならん。
とても、連載を書き続ける片手間に出来る作業と思えません。

わかりますよ。さぞ大変でしょうね。
『徳川家康』という小説は、要するに、信長・秀吉・家康の「三英傑物語」です。
三人分つまり三年分の大河ドラマを、休むことなく書き続ける。いや〜大変でしょうね。

それを、それほど悪くなったと思わせずに、読者を引きつけ続けて、大合戦も繋げて書く……まさに神業でしょう。

しかし、その大変さであるとか、長い労作を続けて来た疲労であるとかに原因があるわけでもない気がします(^_^;)。

信長が死に、秀吉も居なくなり、家康一人になってしまった事が少なからぬ原因だと感じます。

信長が死んだ時は、正直ホッとしました。
信長と家康の関係は、表面的には良好を装いつつ、嫡男信康の切腹あたりを巡って影が差してました。

去年の『おんな城主直虎』でも終盤やってましたよね。あんな感じです。
だから信長が死ぬとホッとしたのかもしれません(笑)。

一方、秀吉と家康の関係は最後まで良好に描いてました。
信長はそれほど魅力的に描かれてませんでしたが、秀吉は物凄く魅力的な人物に描かれてたので、その秀吉が死ぬと、小説全体の精彩が失われた点は否めません。

つまり行き詰る理由の一つは、単純に、秀吉を描く山岡荘八の筆が乗ってたからだと思います(爆)。

ただ、そのために、先の運びが難しくなってしまったのかもしれません。

家康は信長の織田家は滅ぼしません。むしろ信雄のために秀吉に盾ついてやります。
それに対して、秀吉の豊臣家は滅亡させてしまいます。

だから織田家より、豊臣家の方が「悪い奴だったんだから滅ぼされても仕方ない」という理屈で書きそうな気がします(^^ゞ。

しかしそうしなかった。

信長の遺児・信雄に味方の段も、信長への追慕というより、信雄を泳がせて秀吉の出方を見るという、ズル賢い選択ゆえでした。
一方、秀吉へのシンパシーは強く、秀吉政権の失敗は、何もかも朝鮮征伐を何となく始めてしまったが故……という解釈でした(実際その通りだろうと思います)。

そのため、家康は「秀頼の豊臣家を滅ぼしたくない」という老後を送るハメになってます。
この辺りが、何となくダラダラと観念論で話を進める(というか、観念論の連続ゆえに話が進まない)展開に陥って、2〜3巻過ぎちゃったと思うのです(^_^;)。。

そこに一つ加えて言うと、信長が死に、秀吉が死ぬと、もはや何でも家康の思い通りに出来る世の中になってしまってる事も、停滞感の原因だと思いました。

『徳川家康』に描かれる家康には、秀吉の死後、石田三成以外に目立った敵は居ません。

そんな事無いでしょ! まだ豊臣家を倒さないと、完全な天下制覇にならないでしょ!

……と思われるかもしれませんね。他ならぬ私自身も、そう思ってました。

しかし『徳川家康』における、秀吉死後から関ケ原までの家康の「天下盗り」への名分は、他の創作物にはあまり見かけない理由です。

それは、肩透かしに思える程、意外な理由です。
すなわち、「死に臨んだ秀吉が、家康に政を任せると遺言したから」というものです(^_^;)。
名目的な所で言うと、「五大老筆頭」というのが該当しますかね……。

普通は……、「秀吉は、家康が秀頼に天下を取らせてくれると信じていた」←まずこれが来ますよね。

それでも家康に天下が入った理由として、「徳川が豊臣に次いで力を持ってたから」、「秀頼は若年だったから」、「石田三成が嫌われてるから」、「家康が大勢の信を集めてるから」……と言った所ですよね?

ところが最後の一つを除いて、その他は、この小説で殆ど柱に立ててません(^_^;)。。

何しろ「秀吉にまで認められた天下人」という線に沿って進むのですから、家康がわざわざ天下盗りに乗り出していく必要が無くなります(^_^;)。。

高台院淀殿秀頼も認めてます。
(辛うじて大野治長が少し違いますが、基本は大きく違わないです)

世間には、「秀頼が大きくなったら政権を返す」と解釈されてる向きもありますが、殆ど「妄想」とか「デマ」と呼ぶに相応しいです(^_^;)。

秀吉と家康との間にそういう約束はないし、両家の奉行もそれを知ってますから、騒動の種が存在しません(笑)。

時折、精神的に不安定になる淀殿が、思い付きのようにその妄想に捕らわれますが、これが意外と、家康を慕う余りの嫉妬が発端……といった意外な描き方です(^_^;)。。

では、なぜ家康が大坂城を攻めるのか……。
現在そこに至る展開部に来てるので、まだ確実な所は読んでません。

が、これまでの展開は、大久保長安の私曲と、欧州キリスト教勢力の新(英蘭)旧(西葡)対立を、「騒動の種」の下地にしようと、何しろ枚数を重ねてましたね(^_^;)。
(この辺りが、何かグッタリと、読み進むスピードが衰えた所でした)

大久保長安は家康の六男・忠輝の家老です。
忠輝は、四男・忠吉と五男・武田信吉が亡くなって以降、将軍秀忠のスグ下の弟になるので、これと豊臣秀頼がくっついて大坂城に立て籠もると、不穏な空気を招きかねない、みたいな感じですか(^_^;)。

結局の所、天下が徳川の下に固まるとなると、大坂城不満分子が集まりやすい。そうした空気を問題視するにおいて、史実の大坂の陣へと繋がってゆく……というわけです。

最終的には合致するんだろうと思いますが、途中に、火の無い所に煙を立ててる感が、何かと読み咎めてしまって、なかなか先に進めません(^_^;)。。

しかし思えば、秀吉の死後から大坂の陣終結までの流れって、反家康の側からばかり見てきた傾向があったので、そこが、目をパチクリさせる原因でもあるんでしょう(笑)。

家康側から見れば、当然、豊臣家も大坂城も、

「バンバン騙して、ドンドン陥れて、ジャンジャン攻め落とせ」
↑こういう姿勢でいるものだと思ってましたから、そうじゃないと言われても、気持ちがついていかないんです(爆)。

ところで、話はだいぶ前に戻りますけど、関ケ原の前哨戦で、伏見城を任された鳥居元忠が、西軍の攻撃に晒され、玉砕する段がありました。

この小説における家康にとって、正直、三河者ってどうでもいい存在です(爆)。
だから鳥居元忠が死ぬのを、家康は通り一遍悲しそうには描くんですが、基本はどうでもいいです。心ここにあらずです(^_^;)。

鳥居元忠にとっても、家康に天下を取って欲しかったか、果たして疑問です。
何かそれより、久々に戦雲の真っただ中に身を置ける事に興奮してるだけに読めてしまいました(爆)。

家康が江戸に幕府を開き、徳川が天下を治める存在になると、従来の三河者の重臣たちの影は薄くなります。
だからこの描き方は、なかなかリアルなのかもしれません(爆)。

ところで、この伏見陥落は凄く有名で、石田三成を主人公にした、司馬遼太郎の『関ヶ原』でも大きく取り上げられてましたが、さすがは家康を主人公にした『徳川家康』ですから、それにも増して、もうコッテリと描かれてました。

で、このほど話題にしたのは、その伏見城に、甲賀衆らが鳥居元忠と共に立てこもって戦うのですが、落城間際に西軍に通じて落城の契機を作るんです。

『関ヶ原』には、伏見城に甲賀衆がいた話、西軍に内通して伏見落城に協力した話など、読んだ覚えが全くないんですが(笑)、今調べてみたら有ります!
でもたった2ページです(≧▽≦)。。

『徳川家康』は……φ(。。)m、11ページです。
どちらも甲賀衆の出ている間のページ数ですから、伏見城攻防の全体となると、それぞれさらに多い配分だと思います。

この話って、NHK時代劇ドラマ『風神の門』に(1980年放映)出て来る、かなり主要な設定でした。

……この作品は、NHKの時代劇ドラマ原作(司馬遼太郎・著)では、物凄く内容が違います(^_^;)。

ドラマはかなり細かい点もよく覚えてますが、原作は、スイスイと楽しく読んだわりに、内容を殆ど忘れてしまってます(^_^;)。

なので、この先、細かい点で間違った発言もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。
ざざっとですが、今手に取って、必要な個所のみですが確認しました。

伏見落城と甲賀衆について、ドラマ『風神の門』では、甲賀者の娘「お国」というくノ一が出てきて、主人公の霧隠才蔵(服部才蔵=伊賀者)と恋仲になるんです。
この「お国」は、幼い頃、伏見落城を体験し、甲賀忍者によって救出され、忍者として育てられました。

甲賀者の親というのは母親で、父親の名を「鳥居俊岳」としており(俳優は佐藤慶が演じて)ました。

この「鳥居俊岳」は、原作でもドラマでも「鳥居忠政」の事です。φ(。。)m

元忠には、忠政の他にも男子がいますが、wikiで見ると、忠政の兄は、元忠戦死の時には既に亡く、忠政が後を継いだようですから、『風神の門』にある大坂の陣の頃には、忠政の兄が出て来れないのは確かでしょう。

この鳥居俊岳とお国の父娘は、ドラマでは大変に強い印象を放っていて、忘れる事はまずありませんが、原作となると、殆ど覚えにありません(爆)。

実は今確認してみるまで、原作に鳥居俊岳が出て来た事は、スッカラカンに忘れてました(^_^;)。

ついでに言うと、今言った「お国」も、原作で読んだ覚えが全くありません(爆)。
いつの間にか「ドラマのオリジナルキャラ」と思ってました。
しかし、これも確認したら、ずいぶんと登場しておりました(^_^;)。

ただし、設定がドラマとは全く違います。
原作での「お国」は、俊岳の娘ではありません(汗)。。

原作では、秀吉の使う甲賀忍者・望月喜太夫と、秀吉の侍女・幾野の間に生まれた娘で、幾野の父で祐筆だった・佐治助右衛門夫婦の娘(つまり母方の祖父の養女)として育ちます。

成長した「お国」は、佐治助右衛門が懇意であった大野治長に引き取られ、治長の妹・隠岐殿の侍女になる点はドラマと符合します。

が、鳥居俊岳(忠政)とは関りありません。ドラマで実の父娘である鳥居忠政とお国は、原作では全くの赤の他人です。

しかし鳥居俊岳については、原作の『風神の門』においても、やはり伏見城における、甲賀者内通による落城の悲劇はキッチリ書かれてます(私は今日までスッカリ忘れてましたが(^_^;))。

ただし原作では、お国の実父どころか、伏見落城の忌まわしい過去ゆえに、「以後、鳥居家では忍者を使わない掟」を固く守っている、という逸話に仕立てられてます。
つまり鳥居氏と甲賀忍者とは、完全に敵同志と言えます(^_^;)。。

ドラマの登場人物で、原作にも出て来た覚えがあるのは、霧隠才蔵(伊賀忍者)、青子(今出川晴季の娘)、隠岐殿(大野治長の妹)、獅子王院(忍者)ぐらいです。

今見ると、他にも両作ともに出て来る登場人物がたくさん居ますが、上記の4人しか覚えてないです。
これ以外に重なる人物がいたとしても、ドラマに出て来た人物は覚えてますが、原作の方は、記憶に残らなかったように思います(^_^;)。。

理由は、原作では、わりと通りすがりっぽい人物が多かったためじゃないかと思います。

主人公の霧隠才蔵にとって、原作においては、隠岐殿はともかく、青子も獅子王院も、そして鳥居忠政もお国も、みな通りすがりの存在に思えました。
ドラマでは違います。密な人間関係に描かれていて、皆よく記憶に残りました。

「覚えている」と言った、上記の4名についても、「ドラマと同じだから覚えている」と言うより、むしろ「ドラマと違う(^_^;)」と驚いた事で覚えてるキャラばかりです。
特に獅子王院などは、ドラマでは殆ど原型をとどめてないです(爆)。同じなのは名前だけ(笑)。

……脇道に逸れました(^_^;)。。

何しろ、ドラマ『風神の門』では、お国が鳥居元忠と甲賀忍者らしき女性との間に生まれた娘という設定が、原作にはない異色の立場を形成しているため、ドラマのストーリー性が強く記憶に残る作りになっているのです。

伏見落城と甲賀衆という、一見異色の取り合わせに、司馬遼太郎自身が気付いて、自作の『風神の門』にも取り上げていながら、深い関係に発展させてませんでした。

それがドラマにするにあたり、鳥居氏と甲賀忍者という結びつきを大きく取り上げたのは、山岡荘八の『徳川家康』での濃厚な描写の影響じゃないかな……と、少し思いました。

ドラマ『風神の門』は、オープニングタイトルで見る限り、その原作を、司馬遼太郎の『風神の門』と『城塞』の2作に充てる、と謳ってます。

が、同名の原作とはあまりに内容が違いすぎて、どちらかというと、『城塞』の方がドラマに近いかな、とすら思ってました。

以前その事は、ご挨拶でも書いたかもしれません(2005年5月〜2006年2月のご挨拶に、ちょくちょく書いたようです(^^ゞ)。

(そういや、『城塞』には大野治長の姪(治長の妹の娘)「お夏」というのが、ほぼヒロイン級で登場します。これもドラマで活躍する女性陣モチーフの足しになってるでしょうか)

しかし、ドラマに現れる大坂の陣に至る時代背景には、『風神の門』や『城塞』とはちょっと異質な素材があって、役者の登場はないですが、大久保忠隣、三浦按針、高山右近、本阿弥光悦などの説明は、どうも『徳川家康』の設定に非常に近く感じます(^_^;)。。

それと、ドラマの前半では、忍びの世界の過酷さ、スリリングな競り合い、ハードな展開の連続で、そこまでは原作のムードも漂うのですが、後半は明らかに違う色合いに変化し、そこが多くの人が引きつけられたドラマの魅力だったと思います。

ドラマ全体に流れる、どことなく下世話な情愛話(良い言い方が見つからなくて恐縮です(^_^;))が司馬遼太郎の作風にあるクールな雰囲気と、明らかに異なってたと思います。

こういう話は、やはりどちらかというと、山岡荘八ベースのネタじゃないかなーと思います。

ただし、一つだけ大きく違う点は、当たり前ですが、『徳川家康』では、豊臣家の滅亡についても家康に正当性があるのに対し、『風神の門』は真田方の話ですから、徳川も家康も「悪の権化」です(笑)。

徳川から出て来る色合いは、何としても豊臣を滅ぼそう、そのためならどんな汚い手段も選ばない、といった悪辣きわまる描き方をされてる点で、すこぶる対照的です(^_^;)。。

この大きな違いを描く原点としては、『城塞』『風神の門』を原作にあげる事が相応しい、という建前なんだと理解します。

なので、ドラマ『風神の門』においては、徳川内部においても、例えば鳥居忠政と板倉勝重は、前者が善で後者が悪といった対立軸がありますが、『徳川家康』で描くとなると、正反対に覆るでしょうね(^_^;)。

……と、この文章を書いてる内に、『徳川家康』もちょっと読み進んでまして、今、片桐且元が大坂城に、例の三つの条件……@淀殿を人質に出す。A大坂城を出て他に移る。B秀頼が江戸に行く←どれかにしろという話を出す所まで来ました。

これも、実は最初からAを家康に要求されてたのに、且元が大坂城内で言い出せず、徳川方(京都所司代も含め)と行き来を繰り返すばかりでいる内に、家康に「同じことを何度も言わせるな!」と面会謝絶され、大蔵卿局正栄尼には「且元に訊くだろう」と思って、笑顔で対面した……という下りになってます(^_^;)。。

ま〜このへんは、家康側から見れば、こんな感じだったのかもしれない、と思わせる向きには仕上がってますが……。

やっぱ、全体的には苦しいですね。。

例の「国家安康、君臣豊楽」が呪詛だの言うのも、どうも方広寺の大仏供養を機会に、浪人らを大坂入城させる計画を豊臣家が狙ってるので、それをさせないための供養中止であり、無理なイチャモンである、という説明でして……。

この辺りは、どうなのかな〜〜〜(^_^;)。。

それならそれで、徳川家の方からも説明する使者を出すなり、家康自身が説得の手紙を書くなり、いくらでも手段はあったと思ってしまうので、悪辣とまで言わないまでも、「意地悪」か「不親切」だなーと思いますね(^_^;)。。

こういう点が、大坂の陣が近づいて来るにつれ、『徳川家康』に首を傾げ、『風神の門』『真田太平記』などに力を感じる所なんでしょうね(笑)。

(ちなみに連載の時期は、『風神の門』が1962年まで。『徳川家康』が1967年まで。『城塞』は1971年までのようです)

ただ『おんな太閤記』なんかでも、意外なぐらい、『徳川家康』の線に沿った展開があり、徳川の持ち出して来る理屈にも、高台院などの立場から見ると、妙な説得力を感じるんですよね(^_^;)。。

それは、豊臣家と徳川家が、秀吉の妹や子、家康の子息や孫娘を介して親族になってる点を踏まえると、豊臣家にとって、実は大坂に入城してくる浪人衆が邪魔というのはあったんでしょうね。

今読んでる大坂の陣への段取りに、柳生宗矩が多く登場する点も注目です。

柳生宗矩と言えば、何と言っても、NHK大河では『春の坂道』。
それから、大久保長安の事件の前後には、伊達政宗も少なからず登場しましたが、政宗は大河ドラマでは『独眼竜政宗』でやりましたね。
この二作とも原作は山岡荘八。

どちらも『徳川家康』ほど大長編ではないので、じっくり描く事が可能だったと思います。
比較すると、『徳川家康』は力作であり、他の映像作品には多くの影響を与えた可能性も高いのに、残念ながら大長編すぎたため、大河ドラマにおいては原作を活かしきれてなかった、と思います。

黄金の日日』『おんな太閤記』などにも、ずいぶん影響を与えたのでは、と思う設定やシーンが幾つもあります。
今後も気が付く事があったら、書いてみたいと思います(^^)。


〜後略〜

(2018年06月19日・記/07月22日・掲載)

城主

 
     


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