「山岡荘八『徳川家康』雑記」(「ご挨拶」から、7)

「今週のご挨拶とお知らせ」(2018年4月で述べた事から〜

     
 
〜前略〜

近況と言えば……そうそう、山岡荘八の『徳川家康』の読書報告もしばらくぶりでした(笑)。

確か前回(1月)、17巻まで来てると言いましたφ(。。)m。
現在、22巻に入った所です。先月まで忙しくしてましたが、ここのご挨拶自体ずいぶん久々なので、これだけ間が空けば、それぐらいは進むものです(^_^A)

前も述べたかと思いますが、関ケ原は18巻に終結し、石田三成も見つかって処刑されました。

そうですね……。この小説における石田三成は、作者が思い入れて書いてるようには思うんですが……。

全体的に「先に行けば真意がわかる」という期待に乗せて、先を読ませる手法なので、小説の登場人物は、誰も彼も、込み入った表現をする者が多いです。
だから三成一人の特徴ではないですが、三成は特にその傾向が強かったです(^_^;)。

大河ドラマでやった時、家康に諭されて三成が泣いてしまうシーンがありました。
これが小説の解釈では、感涙ではなく、悔し泣きなんですねっ(*o*)。

あげく、学習成果なく、生来の(問題ある)性格に戻ってしまう三成像と感じました(笑)。

関ヶ原が終わるまで、そして終わってからもしばらくの間は、戦後の色合いがどうなるかという興味で、かなりのスピードで読み進んだのですが、つい先日読み終わった21巻で、ピタリと止まりました。

それまで月に2冊以上の勢いで読んでたのが、21巻に来て、ピタリと止まり、この一冊で50日以上かかってしまいました(^_^;)。

なぜでしょう?
その辺りで、確定申告が佳境に入って、読書どころじゃなくなった、というのはあります。

逆にその前までは、忙しい癖に、何かの合間にこたつに座ると、つい小説に手を出す……という傾向がありました。
試験の時に限って、つい漫画を読みたくなるアレですね(笑)。

確定申告が終わってからも、その前に溜まった雑事に追われ、忙しさは解消しなかったので、読書どころじゃないモードはしばらく続行しました。
むしろ日常が落ち着かなくなって、読書時間がすごく細切れになってしまい、集中しにくくなった、というのも原因に思えます。

だから、特に21巻だけがつまらなくて読み進む気がしなかったのか、純粋には比べられませんが、何か集中できない壁にぶつかったのは事実です。

特に、三浦按針やらソテロやら、やたらと国外の人が登場して、日本以外の覇権争い(貿易戦争)の作り話ばかりエンエンと書かれるようになったからかもしれません。

石田三成が死んでから、登場人物の主流は、大久保長安にチェンジしました。
大河ドラマでも覚えがあるんですが、この人物は、全体から浮いてます(^_^;)。
ただ最初に、家康が「大賀弥四郎を思い出す」という設定には、「なるほどー」と思いました。

思ってたほど、加藤清正や福島正則は出て来ません。
織田有楽片桐且元はわりと出て来ます。千姫秀頼はもちろんよく出ます。

今振り返れば、二代・秀忠の性格設定が、前に一度で行われた辺りが、その後もなかなか余韻が効いてて、ウマイと思いました。
時期は秀吉の生前で、お江与と婚姻する前あたりでした。
そこで、今後もだんだん登場してくると思しき土井利勝が登場してました。

注目のお江与春日局の対立なんかは、どう描くのかなーと思ってましたが、意外な事にこの小説では、お江与を賢婦人として料理してます。
ここはなかなか好感ですね。

淀殿も、よく描かれるような悪女ではなく、むしろ家康に好意を持ってると言ってイイぐらいですが、姉妹を比べれば、妹の方が遥かにデキがイイ、という解釈ですね。

それと、大河ドラマでは、何と言っても、家康の妻と言えばお愛の方(西郷局=秀忠の生母)という感じに描いてましたが、小説では、必ずしもそうは言えないです。
お愛の登場期間が長くないからですね。

代わりに、お亀の方(尾張・徳川義直の生母)はよく出て来ました。
お愛に比べると、添え物という感じですが、名前の登場頻度は高いです。

しかし主流は大久保長安ですから、その妻という創作になってる、本阿弥光悦の従妹(於こう)の登場シーンばかり異様に多いです。……正直ちょっと飽きます(爆)。

5冊も読んだのに、今回は感想が短くて恐縮ですが、過渡期の描写が長い辺りで、感想の言いようが思いつかないので、本日はこの辺で(^^ゞ。


〜後略〜

(2018年04月21日・記/07月22日・掲載)

城主

 
     


ホーム
 壁紙「篆刻素材AOI」