「山岡荘八『徳川家康』雑記」(「ご挨拶」から、9)

「今週のご挨拶とお知らせ」(2018年8月で述べた事から〜

     
 
〜前略〜

さて……。
既にお気づきの方もおられるかもしれませんが、実は、スゴイ久々に『作品の広場』に新作を追加してます(^O^)!

題して、『山岡荘八「徳川家康」雑記』!

う〜ん、何となく『将門雑記(風と雲と虹と)』の隣近所みたいな、いいかげんな命名ですよね(≧▽≦)。
その通り、「それほどヤル気のあるコーナーではないから」というのが正直な理由です(爆)。

入って見て頂ければおわかり頂けるかと思いますが、この「ご挨拶」で書いてた事から、山岡荘八の『徳川家康』の感想の部分だけ抜き出して、『作品の広場』にペーストしただけ……ですっっ( ̄▽ ̄;)。。

チョコチョコ作業はやり溜めてたんですが、FTPアップしたのは……更新歴によれば、07/22ですφ(。。)m
ここで書いた内容の他に、コーナートップのご挨拶と、メニュートップの「はじめに」に、それぞれご案内の文章を載せてます。

双方に「今後も続ける可能性」をあげ、特に「はじめに」の方には、「あらすじ」を書こうかと思ってるような事を書いたんですが……。

厳密に言うと、著作権どうかなぁ……という感じがあります。
山岡@家康は、『将門雑記』に比べれば、歴史解説の必要もなければ、その気も今イチです(^_^;)。

平将門は、私にとって地元でもあり、信仰や伝説の対象でもあり、演劇などとの混同も甚だしいジャンルです(^_^;)。。
だから、結構リキを入れて何冊も学術書を読んであのコーナーを書きました。
我ながら、まぎれもなく歴史解説を目的にした物でした。

そして将門については、一般の方にはイメージしにくい時代&人物ですし、伝説や演劇との区別もわかりにくい。
そうした中、『風と雲と虹と』は唯一、イメージしやすい映像でした。

さらに、原作は古書でも手に入りにくい程、世の中に出回ってなかったです(半泣き)。。
自己顕示的な言い方で恐縮ながら、ネットで騒がなければ、気付いて貰える存在ですらなかったのです(涙)。。

このように取り上げるべき強い根拠があり、理由も複数、重層的にあったので、迷わず題材に選びました。

比べると、徳川家康という人物は、多くの作品で映像化されてます。
その人生の後半は江戸に住まいするものの、前半は三河や駿河と、私の地元じゃありません(^_^;)。

そして、徳川家康という人物やそれを書いた山岡荘八の大長編は、時代が経ったとは言え、私ごときが宣伝しなくても、充分に知名度もあり、今後も読んでもらえそうな作品ですよ(^_^;)。。

100円にこだわるから手に入れるのが大変だっただけで、400円だとか700円だとか払えば、今でも新品のが手に入ります(笑)。

さらに、山岡@家康でやるのは、たぶん「あらすじを書くだけ」で終わる気がします(^_^;)。歴史の検証など、本腰入れてやる気は、あまりありません(笑)。

自分的に必要な記録なら、自分で書いて自分だけ「むふふ(=^m^=)」と見ればいいんだし、皆さまのお役に立つ意義があるなら、作者(山岡荘八)の死後40年が過ぎ、あと10年すれば権利は無くなるので、その後でもいいような気がします(^_^;)。

ただ、現在の所、「二度読み」の必要と意欲はあるので、「二度読み後の感想」というのは書くと思います。

感想なら権利には触れません。
感想を言おうとして「あらすじ」を書いてしまうのはどうのこうのと言ってるサイトもありますが、悪質な意図がうかがえる物でもない限り、感想レベルでそこまで言うのは、どうなのかな(^_^;)、と思います。

創作物でも、推理物やSFものなんかはともかく、歴史に関わる物ついては、検証の余地を猶予されてしかるべきです。

どの時代劇ドラマでも取り上げる解釈で、衣装・場面のデザインも一致してるのに、その根拠を調べると、当時史料に無く、伝説や古い創作物(歌舞伎・能・謡・浄瑠璃など著作権が切れてる物)で定説化された逸話にも無い……という事が時々あります。

それらの下地に、過去の小説とか時代劇ドラマテレビ・映画)が該当するケースを、巷に見ます(^_^;)。

誰々の作品から始まった風潮、ブーム、印象、連想など、それ自体が歴史の一要素になる以上、踏襲するにせよ、リメークするにせよ、新たに創り起こすにせよ、検証の必要が不可欠なのです。

……ま、堅苦しい話は、この辺までにしときましょう(笑)。
何しろコーナーの継続方法については、おいおい考えていく事にします(^^ゞ。

というわけで、今回も山岡荘八徳川家康』の感想です。
現在、25巻です。
だいぶ終わりに近づいてます。全26巻なので、次に出て来る「ご挨拶」では、「読後の感想」を言ってる気がします。

大坂の陣が、冬のも夏のも終わり、真田幸村も、淀・秀頼母子も自刃。大阪落城。豊臣家は滅びました。

真田幸村が意外でした。

大河『徳川家康』における真田幸村とは、まるで違う感じがしたからですが、もう一つ意外なのは、ドラマ『真田太平記』の幸村に一番近く感じたからです。
原作の『真田太平記』よりも近く感じました(笑)。

まず大河ドラマの『徳川家康』における真田幸村がどうだったのか……。

一言で言うと、ヤル気満々の豪傑という感じ。
若林豪が演じてたので、目に熱を帯びて、どこか怒りをたぎらせ、怒りの根拠に野心のような物がチラつき、それゆえ、ちょっと脂ぎった印象すらありました。

そこにナレーションで「この世から戦が無くなるはずがないと信じる真田幸村」という紹介が被さるので、尚更、「私的感情から豊臣家を戦闘に駆り立てている張本人」のように感じました。

これは、真田幸村(信繁)という人物を悪人に仕立てあげ、家康をカッコ良く見せる必要性から……という感じがしておりました。

そう思って振り返れば、原作においても、『徳川家康』では、徳川が真田にヤラレる話は、ことごとくカットされてました。

第一次神川合戦も、第二次神川合戦(秀忠が巻き込まれて、関ヶ原に遅刻した時の合戦)も、ほんの半行程度で片づけられ、大坂冬の陣における真田丸の攻防に至っては、「大坂城内外で小競り合いが散発」と書かれるのみで、幸村の陣名としては書かれますが、そこで徳川軍が大敗した話なんか全く出て来ません(汗)。。

意図的に避けてたように感じました。

だから、どの作品でも、真田幸村を無欲で冷静な好青年として描くの対し、原作の『徳川家康』では、幸村を野心的・好戦的な人物に描いてるんだろうな、と長く思ってました。

ところが、原作における真田幸村は、そういう感じじゃないです。
ドラマ『真田太平記』で幸村役を演じた草刈正雄の起用は、もしかすると、『徳川家康』のドラマ化の時から、考えられてたんじゃなかろうかと思うほどでした。

草刈正雄という人は、後にはすこぶる野心的な役や、時には悪役ですらシレッと演じ切る役者になりましたが、『風と雲と虹と』や『真田太平記』に出てた頃は、全然そんな感じじゃありませんでした。

すこぶる爽やかなイケメン俳優で、「涼しげ」とかいう表現がピッタリでした。
今だと、ディーン・フジオカなんかが近いかなぁ……。

「この世から戦が無くなるはずがないと信じる真田幸村」という解釈は、原作にも何度か書かれてるんですが、そう書かれて感じるような、悪意も家康への挑戦的態度も、全く無い人に思えました。

むしろ家康の束ねる天下を盤石な物にする手伝いをするため、とかいう山岡荘八らしい、意味難解な屁理屈が述べられてます(汗)。

最後にいくまでに、若林豪の幸村像にもっていくつもりだったのかもしれませんが、途中から、山岡荘八が幸村に惚れてしまって、果たせなかった感じがしました(笑)。

夏の陣はシッカリ描いてましたけどね……。

そうそう、大坂の陣、とくに夏の陣は、司馬遼太郎の『城塞』とは、ずいぶん違う感じがしました。

特に違いを強く感じたのは、夏の陣初盤の、塙団右衛門(直之)と木村重成の戦死に至る紀州戦あたり(塙は04/29で「樫井の戦い」と言うらしっす。重成の戦死はその後の「八尾・若江の戦い」で、05/06だとか)。

この辺だけ、特別に『城塞』を100ページほど再読しちゃいましたっ(≧▽≦)!
そうだなー。塙団右衛門に関しては、司馬遼の筆の乗り方が尋常じゃなく(笑)、敵方の浅野勢より、味方へのライバル心むき出しの様が読み応え濃厚です!

とても長い文章ですが、途中で本物の敵に出会うあたりで、戦国の老巧な武人らしい用心深さが出たり、ライバル出現に理性が吹っ飛んだり、緩急のつけかたが絶妙です。

ただ木村重成に関しては……好き嫌いが出そうな所ですが、山岡荘八の方が(良い悪いはともかく)心理面の追及が深く、よって登場も長く描かれてます。

木村重成の父って、関白秀次に連座で死んだんですね……。他の作品にも書いてあったかもしれませんが、ハッキリ印象に残ったのは、『徳川家康』が初めてでした。
印象に残る理由は、やはり、関白秀次の事件を、同じ小説の中で描いて来た流れの影響が強いと思います。 *長編の強みですね*

あと、そうそう、ドラマの『徳川家康』と『真田太平記』で、冬の陣を和睦で終わらせるについて、淀殿が諸将に対して演説(説得)をするシーンがあり、両作とも、セリフが全く同じなのに驚いた覚えがあるんですが……。

案の定、このシーンは、山岡荘八『徳川家康』が、ほぼ100%出典だと思いました。
(下地の史料が何かあるにせよ)

というのも、原作の『真田太平記』に、このシーンは丸々ありません(爆)。
脚本は『風神の門』(ドラマ)の金子成人ですが、当時のNHK時代劇は、脚本によらず、場面や音響の使いまわしがスタンダードでした(^^;)ゞ

それから……、他の作品で読むのと大きく離れ、織田有楽斎が際立って味わい深い人物として描かれていた事が印象に残ってます。

有楽斎にビックリさせられるのは、まだ茶々と呼ばれていた若い日の淀殿が、秀吉の持ってくる縁談を悉く撥ね付けるのに対し、叔父でありながら、茶々に思いを打ち明けたりする場面でした。

ここで意表をつかれたため、その後の「皮肉屋」という面が、「裏にどういう意図があるんだろう(^_^;)」とか深読みしてしまい、なかなか馴染めなかったんですが、関ヶ原の後は、家康に下るよう心を砕く、面倒見の良いオジサンになってました。

しかしその後、常真入道(織田信雄)や片桐且元など、大坂城を退去する人が続出する中、有楽斎も退去してしまい、落城に至る大坂城内の人間模様に参加しなくなるのが残念でした。

大野治長がこれまた驚きで(笑)、そもそも大坂冬の陣に至る経過が、大野治長の淀殿への妙な意地を出発点にしてるなどは、ちょっと山岡荘八でなければ書かない設定に思えました。

山岡荘八の中で、築山殿と淀殿が重なる事は、ずいぶん前から何となく予想がついてたんですが、そういう権高い女性が、必ず寵臣を閨に侍らせるという図式、悪女登場という定番は、他の時代小説でもありそうなので、特に意見は言いません(^_^;)。

ただ、こうした設定が、この小説の場合は、その時の判断をした(判断を誤った)理由づけとして、一時しのぎ的に使われてるという特徴があります。

大野治長と治房の兄弟の仲たがいは、夏の陣勃発の頃、すっかり城内の主導権を治房が握ってるという展開に発展し、これも少なからず驚きました。

読書ペースは、ここ数冊ひどく衰えてましたが、やはり大坂の陣が始まると、進み方が早かったです(笑)。

残り、一冊チョイになりました。
思ってたより長くかかったので、早く読み終えたい反面、ここ一年半ほど続いてた世界が終わると思うと、終わるのが勿体ない、という思いも交錯します。


〜後略〜

(2018年08月20日・記/10月21日・掲載)

城主

 
     


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