早速「城主のたわごと1月」出来ましたヨン(^。^)
去年(2012)夏〜秋、そして群馬〜栃木レポ連載開始です!
あいな、今年も「城主のたわごと」頑張りたいと思います!今年も宜しゅう(^。^)。
早速「城主のたわごと1月」が出来ました。
前回から駆け足で、晩春からの近隣レポして来て、今回は夏の終わりから秋までです(^^ゞ。
そして、いよいよ今年も秋の旅行編を開始!
今回は群馬県が主なんですが、最後に栃木にも寄るので、「上下野編」と題してみました。
美味しくご賞味下さいませ(^^)。
次回も、なるべく同時期(できれば前倒し)で行きたいと思ってま〜す♪
01月23日
城主
明けましておめでとう&今年も宜しくお願いしまーす!!
「議事録」(だいたい)2012/10/21〜11/20頃の更新です。
更新は上記の通りです〜♪
皆様、遅れ馳せながら、明けましておめでとうございます!\(^O^)/
今年は殊の他出て来るのが遅くて……思えば、これまでで最遅いですか(笑)φ(。。)m。
いいですよね。1月いっぱいはお正月ですもん\(^O^)/。節分も旧正月っつーぐらいですからね(笑)。
我が家では、屠蘇散を多めに購入しておいて、年中、「たま〜にお屠蘇」なんかやってますよ(爆)。うははは(^_^;)。。
今年の正月は……大型連休でしたよね〜っ(≧▽≦)。スゴイいっぱいお休みしました。
しかしちょいと捻挫してしまい、病院に行ったりもして、ちょい大変でした。。
あああ、年始の不運が今年いっぱいに広がりませんように〜〜〜(^∧^;;)。。。<将門さま〜、あ、でもその捻挫、神田明神でしたんですがね(爆爆爆)。。
皆様も怪我には充分……あ、そうそう、ちょうど一週間前ですか〜すんごい豪雪で(*o*)!
滑って転んだとか、車を途中で乗り捨てたとか、凄いニュースが次々とあって驚きましたね!
この土日、あれから一週間近く経ってるのに、まだ全然溶けてないんで、ビックリしちゃいました!
去年も一度降った雪がいつまでも残ってて驚いたんですが……この所、温暖化とか言われる割に、すごい寒さ厳しいんで、気をつけたいですね!
あとは……そうそう! ノロ・ウィルスが猛威を奮ってますね〜(・・;)!
あれって通常の石鹸とか消毒液では殺菌されないんですってねー(>_<)。。
石鹸で手を洗った後、塩素系の……って、つまりは漂白剤ですよね? 水でう〜んと薄めて手にかけて、軽くこすりあわせて、それから長々と洗い落とすと多少は効くそうです。
漂白剤なんて、スゴイ手荒れしそうなんで、私は洗い落とす時すごくいっぱい流してます!!
インフルエンザも猛威なので、出来るだけ予防接種に行った方がいいかと(^_^;)。。
一回でいいと言われてるんで、一応やりに行きましたけど……去年は何となく効きが悪かった気が……(汗)。
ただ今年の正月はたくさん休めたので、溜めに溜めたビデオ(って言う人古いですね。DVDと言うべきですね:笑)もわりと消化できました(^o^)!
そうですね〜(^。^)。まずは正月2日、テレビ東京の「白虎隊」を見ました!
わりと面白かったです!
「白虎隊」と言いつつ、白虎隊の話は殆ど無くて、西郷頼母の話でしたねっ(笑)。
わりと出来のイイ時代劇なんで、ちょっと驚いて最後のクレジットタイトルっつんですか見たら……うわ、
重光亨彦
ですよっ。そりゃ……これぐらい作れちゃう人だからなぁ(^_^A)。
……文句のつけようのない出来でした、はい(^^ゞ。
強いて文句を言うなら、容保は水戸から入った養子ですが、西郷家はれっきとした保科氏の流れなのです。
そこを系図とか出して、もっとハッキリ示してくれてもいいかな〜、とは思いました(^^ゞ。
えと、西郷頼母の西郷家に流れる保科の血筋というのは女系であります(^_^;)。
前に「城主のたわごと」2011年8月で、「亀ヶ城」や「土津神社」のレポした時、保科氏については色々述べました。
保科正之は二代・徳川秀忠の実子ですが、保科氏の当主となります。保科氏における祖父にあたる保科正直には正勝という弟がおり、その子・正近の娘が西郷家に嫁いで産んだ「西郷頼母(近房)」を初代として、九代目が幕末の「西郷頼母(近悳)」です。
2011年8月
<亀ヶ城(猪苗代城)>内
←保科正直が出て来る辺り(保科氏についてはもうちょっと上から見て下さい(^^ゞ)
そして問題は、その弟・正勝の子・正近なんですが、これは保科正之の後妻・聖光院(藤木万子)と結託して、後に流罪となった人物なんですよ(^_^;)。
2011年8月
<会津郷土料理と猪苗代湖(^O^)>内
←ちょうどその辺の事はこの辺りから
2011年8月
<白河に向かう>内
←さらに保科正近は、これにいう「保科民部」というのがそれです(^_^;)。
まぁ、この通り、ちょっと色々と曰くがあるので、あまり説明に出さない方がむしろいいのかなぁ(笑)。
他にも史実的な説明がもうちょっとあった方が良かったな、せっかく良いドラマなのに、勿体無かったな、と思う点は無くも無かったですが、文句と言えば、それぐらいです(^^ゞ。
まぁ今年の大河「八重の桜」もそうなんですが、東北は震災があったのです。その復興の少しでも助けになるために、観光的な側面もあってドラマを作るのですから、
いい加減な物を作ってはならない
と
強く
思います。
NHKの正月時代劇「御鑓拝借〜酔いどれ小籐次留書〜」も凄く良かったですよ(゚.゚)!
話が面白かったです。時代劇って底辺にある心情の部分は、これらの通り素朴な物であっても、ドラマの作りようで、幾らでも楽しく見れるんですよね〜(#^.^#)。
そういう当たり前の事が、わりと上手に達成できてる二作品だったと思います(^o^)。
あと、前回もお話した「アテルイ伝」が始まりましたね〜☆ミ
ふむふむ、今の所、わりと快調な滑り出しに思えます。全4話で、あと二話で完結なので、終わったら感想を述べましょうか(^^ゞ。
アテルイに関しては……、
2008年2月
<「多賀城」政庁跡と城前地区>内
←アテルイらの前時代からの流れ
2010年1月
<「胆沢城(鎮守府)跡」と「鎮守府八幡宮」>内
以降
←アテルイの頃
2010年4月
<厳美渓温泉で最終泊、3日目夜〜4日目朝♪>内
以降
←いわゆる坂上田村麻呂伝説
こんな感じです(^^ゞ。多賀城・胆沢城の歴史、そして達谷窟における伝承を書いてあります。
今年は大河ドラマも「八重の桜」と会津物で、ようやく震災復興に向けて新たに踏み出せる一年となる事を心より祈念致します!!
あ、大河と言えば、「平清盛」がやっと終わりましたね(^_^A)。
何か二年ぐらいやってた気がします(笑)。なぜか12月の終わりまでやってたんで、本当に長かったですよ(汗)。
総括ですが……もう、あまり考えるのも面倒くさいので、思いつくままに列挙(笑)。
@「武士の世を作る」
西光に「信西とは大違い」と罵倒されたり、伊藤忠清に「武士の世は作れなかった」と指摘されると、それが「的をついているから激怒して死罪を命じる」という展開は、「伏線の処理」には出来てるんでしょうが、「ドラマにしなきゃ描けない事」ではないです(^_^;)。
ドラマにするからには、
(1)「平家がどのような武士政権を目指したか」を示し、その結果、
(2)「どのような摩擦が起きたか」を描き、
(3)「平家の崩壊はその結果起きた」と締め括るべきです。
A「そこからの眺め」
「頂点に上ると見える風景」と未来提示が出た時点で、「ロクな事はない」というフラグが立ったわけで、見る気がしなくなった人はこの時点でいっぱい居たハズなんです。
しかしそうやって多くの視聴者を削ぎ落した後、それでも見る人にとっては、「どんな苦労や悲劇が待っているのか」が興味の対象となるわけです。だから……↓
権力の頂点に上ったら上ったで、そこには一般人には無い苦労がある。
↑このように描くべきでした。
なのに結局、「上り詰めた途端、精神的に目が見えなくなった」という話にされてました。
つまり、我々視聴者は全員「ケムにまかれた」わけですね(苦笑)。
B「王家の呪われた血」
白河院が璋子を可愛がって清盛の生母を殺したように、清盛は仏御前を可愛がって祇王祇女を殺そうとする。
つまり清盛は、「王家の呪われた血とやらを越える事が出来なかった」という話でした。
糞くだらない
エセ純文学志向
だと思います(笑)。
時代の大権力者を「中身の無い薄っぺらい人間」として描く事が、あたかも「文学的」であるかのような勘違いをしてるだけです。
C「遊びをせんとや生まれけん」
「この程度の人間が言う「遊び」だから、所詮は現代人がゲームに入れ込む程度……つまり「双六」にしか文化の営みを見出す事が出来ませんでした」という話になってました(^_^;)。
「英雄ではなく、等身大の人間像」にこだわるのは大河ドラマの伝統ですが、ここ10年余り、平均的な日本人よりかなり低めに設定される事が増えました。
若年齢層の能力や精神性の低下を言い訳(ダメ人間に共感を得るべく内容も落としている、という言い訳)にしているようですが、世の中、
本当にそんなにダメな人間ばかり多いんですか?
どうも私には、製作側の人的な質が低下してる事が原因に思えるんですけど……。
もしかして、映像部門にコンピューターグラフィックの人間を多く投入してる事が原因でしょうか?
父母・兄弟・友達・恋人・夫・妻・我が子・孫・上司・部下・同僚・地域の人々との間で、楽しい人生を築く、その間に面白い遊びが生ずるのであって、楽しい交流が描けなければ、「遊び」も描けません。
前半、清盛と義朝や信西との間には、ホンノリとそれっぽい楽しげな交流がありましたが、後半にその芽が伸びきらなかったのは、やはり……↓
D後白河院
何と言っても大失敗の決定要因は、この人の描き方が軽率で安易すぎた点です。
まるで使い古されたロボットアニメにでも出て来そうな、安っぽくて無意味で頭の悪い悪役です。
正直その前の白河院や鳥羽院も「?」という感じだったんですが、何と言っても後白河の登場で、全てを帳消しにしてくれるだろう、という期待があったので、後白河がどうしようもない腰折れとなった事で、ドラマ全体が決定的に座礁してしまったと思います。
後白河院と建春門院(滋子)については、今までもさんざん述べたので、これまでにします(^_^;)。
信西がわりとよく描けてので、やはりせめて、「あの信西がなぜか溺愛してる皇子」という事にすれば良かったのだと思います(^_^;)。
そうすれば多少なり、西光など院近臣や清盛が後白河に執着する心情の補強になったかもしれません。……遠からず破綻したでしょうけど。。。
E伏線と餌
↑去年の清盛にだけ関わる話じゃなく、この頃の大河に感じる点でもあるんですが……。
特に大河ドラマのように長い話は提示する伏線も大掛かりだから、一度で視聴者を連れていくのが難しいため、第一話は長めの時間を取って放送したり、第二話との前後篇のスタイルを取るなど、色々と技を駆使して、初盤のドラマを形成します。
「伏線」率の高いドラマは、どうも視聴率があまり高くないな〜と思う事が多いです(^_^;)。
伏線が多いという事は、描くべきテーマの内容が多く、名作たりうる確率も高いのですが、次々と「紹介事項」ばかり提示され続ける方は、どうしてもちょっと飽きてしまうんでしょうね(笑)。
大河ドラマを見る人は、少し気長に付き合う覚悟を持ってますから、それでも見てくれるんですが、他のドラマだと、一話目が退屈だと、それきり見放してしまう人が多いです。
そこで、「とりあえず興味を持って貰うネタ」を提示します。ドラマ畑にも専門用語があると思いますが、ここではわかりやすく、「餌」と表現します。
「餌」に視聴者が食いついたら次回におびきよせ、一度では提示しきれなかった伏線の続きをさらに繰り出して、やっと全体像を呑みこませるわけです。
「伏線」が、「最後(か中盤)まで持って行くテーマ」なら、「餌」は「どこか途中で置いて行く設定」と言えるかもしれません。つまり途中までしか尾を引かない内容になります。
先月と先々月お話しした「恋するハエ女」が、この「餌」の出し方が絶妙でした(笑)。
大河ドラマで、初盤の伏線提示が一番長く行なわれたのは「新選組!」でした。全部が提示し終わるまで9話ぐらいかかりました(^_^;)。
伏線だけで引っ張っても、あまり面白味のある話に出来ませんから、そこで数々の「餌」が登場しました。
「新選組!」はこれが凄く上手かったと思いますし、伏線も後に行くと大きな効果を上げるので、わざわざ「失敗点」とあげつらうのは気が引けるのですが、実際には「長すぎる初盤」(伏線提示期間)は、反省すべき点に入れるべきなんでしょう(笑)。
対して、去年の「平清盛」は、最初に出した「伏線」だけで一年を綴った点、所々に「これより、この伏線を処理します」と言わんばかりに、過去の画像を出して説明した点は評価できるんですが、一年間あまり大きくない伏線にこだわった余り、全体の話が小作りになってしまいました。
8月9月を過ぎても、尚、生い立ちのトラウマに関わっている主人公像は、いかにもスケールが小さいです(^_^;)。
さらに追加して言える事は……↓
F清盛の「誤り」は正せないハズがない
↑これなんですよ(^_^;)。うさぎ丸だか鱸丸だか、幾らでも間違いを正せる人が周囲にいるのに、正せないまま日々が過ぎて行く……そんなハズはないです(笑)。
これは、後白河と最後の双六をするシーンにも言える事なんですが、「武士を道具に使わないでくれ」と清盛が頼むわけですが、その程度の事なら、これまで何度でも言えただろう、という気がするんですね(^_^;)。
何かそのように簡単には出来ない「事件」なり、「設定」なり(例えば新選組で言えば、「局中法度」がそうです:笑)、そういった物が全く起こらないまま時間が経過してしまう事も、そう感じさせる原因なんでしょう。
つまり「餌」ですね。
比叡山の天台座主だとか、時忠なんて人材は、恰好の餌になりえたと思いますけどね。
信西や義朝の代わりとなりうる相手と思って、清盛が宗教に没頭してしまうとか、時忠の策謀に溺れてしまうとかね(^^ゞ。
ただ、こうした「餌」を用いる場合、途中で視聴者に、「これはもう要らなくなった」とハッキリ示さないとなりません。
そうしないと視聴者は、何(誰)を覚えてなくてはならないか、何に神経を集中させて見なくてはならないかがわからなくなり、去年のように、だんだん嫌気が差して来るのです。
この点も、「恋するハエ女」が上手かったです。
最初に提示した事件が終息し、次の段階に移るのに合わせ、主人公の意識が現在の次元から未来の次元に移っている事がハッキリわかるドラマにしているからです。
ドラマ畑では、「主人公の決意を顕すシーン」とか位置付けるそうですが、特に決意を述べる必要はなく(^_^;)、要は「主人公が今どの方向を向いてるか」を示す事が重要なのだと思います。
例えば、「もはや若い頃のように、燃えるような恋に身をやつし、憧れだけで前進するような事は無くなりました」といったナレーションをつけるとか、「子供の頃から心の支えにしてきた風景を自ら捨てる」といったドラマ展開にする事です。
ここ数年の大河ドラマは、この辺りが出来てない(か希薄)と感じる事が多いです。全体的に長丁場のドラマ作りに慣れてない、と感じます。
去年の「清盛」の場合は、清盛が「誤った道を歩いている」事を早めに提示する必要がありました。
もしかしたら、「清盛自身」がそれを「自覚している」か「自覚できてない」か←ここで迷っていたのかもしれませんが、全体的には「謎めいて見せるのが高尚」といった浅はかな思い違いで、ドンドン滑って行き、深層崩壊したと思います。
G重盛
清盛の「誤った方向性」を示唆する上で、重要な役割だったのですが、結果的にはこれも結局滑ってしまったと思います(^_^;)。
重盛には、朝ドラ「ゲゲゲの女房」で中盤のかなり中核的な役割を果たす、若手漫画家志望(水木しげるのアシスタント)の役を演じた人を起用してました。
どうしても「この役者が出るなら(^^)」といった、やや好意的な見方もあったせいか(笑)、途中の冷静そうな重盛像の頃は悪くなかったです。
というのも「清盛」では、家盛や頼盛など腹違いの弟達との葛藤も描いたので、重盛も前妻の子という事で、途中までは興味を持って見ました。
が、中盤からケリのつけかたに至るまでが、いかにも消化不良のまま流れました(^_^;)。
原因の一つは、どうも少し熱演すぎたから、という点も言わざるを得ないです。
やはり重盛は、よく言われる通り、「沈着な小松内大臣」のまま行った方が、「清盛に正統性が乏しい」事が伝わりやすかったと思います。
もうちょっと付け足すと、「温厚で控え目で上品」……こんな感じで良かったと、今頃思えて来ます。
もちろん役者だけの責任ではありません。
主人公の清盛に諫言する役なものだから、「常識に縛られ、先見の明に乏しく、理想走って現実を無視し、現実に負けてしまう」といった味付けにしてしまったのは脚本の責任だと思いますし、「壊れて行く重盛像」にまで仕立てたのはメークや演技指導の負うところが多いと思います。
また、理想と現実の狭間に懊悩する重盛像なんかを描いて、視聴者を後続に引っ張る遣り方なんかは、かなりあざといと思いました。正直ここでかなり離れました(-_-;)。。
そして、いざ重盛が死の床にふすと、急に後白河がやってきて意地悪を言ったり、重盛をあんなに冷たく放置していた清盛が、重盛の所領を取り上げられて激怒……という展開は、いかにもご都合主義に過ぎて、もぉ白けてしまいました(^_^;)。。。
結局「どこかまで見させれば勝ちなんであって、騙されて見た奴の負け」なんていう思想では、視聴者に見放されても仕方ないのではないでしょうか?
H「史実(や史料)にあるから出て来る」だけの人達
↑これもまた、去年の「清盛」だけに限らず、ここ近年の大河ドラマ全般に言える事なんですが……。
本来なら伏線に絡めていくべき、端の登場人物……すなわち、祇園女御、常盤御前、義経、弁慶、奥州藤原秀郷、摂関藤原氏などが、先ほど言った「餌」にすら成り得ずに通り過ぎてしまいました(^_^;)。
これらは、「史実にあるから」という登場に過ぎず、この頃の大河ドラマにとみに増えた「嫌な面」だと思います。
話の中心に絡まないのに、まるで戦闘ゲームのように次々と登場人物があらわれ、「これが史実だ、何か文句あるか」と乱暴な態度を示すんですね(^_^;)。
「家に閉じこもっていたり、結婚もせず家庭も持たない人にとっては、人間なんて車を運転する画面に現われる絵の一部に過ぎない」とかいうような事が言いたいのかもしれませんが、「そんな後ろ向きな事をドラマで訴える意味って何?」と思います(^_^;)。。
こういう作りのドラマを喜ぶ人も問題なんでしょう。
そういう人が本当に多いのならばね(^^ゞ。自分の知ってる歴史人物が映像化されるだけで狂喜してしまう、という
稚拙な精神構造
です。
I源氏物語と外国映画
源氏物語の世界でしか平安時代をイメージできてない脚本に、外国映画からしか映像技術を学べてない画面でした。
西行が老女と云々という最終回などは、いかにも源氏物語ですよね(^_^;)。。
または源氏物語を漫画化した「あさきゆめみし」の各々キャラのイメージですかね。
画面に関しては、全体の10〜15%以内に留めれば、良い効果となりえたのかもしれませんが、これは去年の大河全体に言える事なので、新たに項を起こすと↓
J●カの一つ覚え
この頃「料理の鉄人」が復活しました。
これは、1つの食材でフルコースを作る、という特異な料理方法が披露される番組なんですが、指定食材をほんのエッセンス程度にしか用いないメニューもあれば、ふんだんに使う料理もあります。
しかし、一品目も刺身、二品目も刺身、三品目も刺身……という出し方はしないわけです(^_^;)。
同じように、塩辛、塩辛、塩辛という献立や、天ぷら、天ぷら、天ぷらというメニュー、アイスクリーム、アイスクリーム、アイスクリームという組み合わせも無いですよね(^^;;)。。
つまり、1つの食材にあらゆる方向から光を当てて、その可能性を充分に引き出す……という料理を提供するならわかるんですが、1つの調理法にあらゆる食材を押しはめるので、
全ての可能性を殺す
……という料理になってしまうのです。
「清盛」は、全体的に
レパートリーの貧弱さ
が目に余りました(^_^;)。さらに↓
K「創作料理」を名乗る胡散臭さ
↑最近これが増えたそうです(笑)。しかしその実態たるや、「レア」というより「生焼け」、「煮込み」というより「焦げ過ぎ」の料理を出された気がします(^_^;)。
製作サイドが「これまでの大河には無い」を吹聴するのを聞くと、どうも「一風変わった料理を食わせてやってるんだ」という、強烈な自我意識を感じるのですが、こういう高飛車さの延長が、さらに後半の構成に影響したのではないか、と感じます。
そもそも、このような
過剰なナルシズム
は、
詐欺志向の強い人間に多い
です。
使いたいモチーフを適当に用い、史実や原典が気に入らないと、「過去の大河ドラマにもあった」などと言い訳する癖に、辻褄があう話にするために史実や伝説を用いるわけでも、創作するわけでもないのです。
ひたすら、自分ら制作者の「偉大な創作性」を顕示し、そこ
に
浸って酔ってるだけです。
L登場人物によるナレーション
↑これも、去年の「清盛」に限らず、「武田信玄」以後の大河がよくやる手法になってしまいました。
成功したのは残念ながら「武田信玄」(信玄の母・大井夫人)のみで、「北条時宗」(時宗の妻・覚山尼)などはわりと合ってた気がしますが、中には何の意味があったのか、正直ちょっとわからない作品も多かったです(^_^;)。
全体の構成をよく考えて使用した方がいいのではないでしょうか?
特に現代人に対して、時代の説明をする場合、これでは幅が効かないのに、どうしてこの手法をまねるのか、全く理解できないです(^_^;)。
「武田信玄」で25作目。大河ドラマでまだ半分ですから、伝統でも何でもないし、もし第一作から伝統的に使われた手法であっても、無理や無駄があれば、さっさとやめるべきです。
ってか、もうキッパリやめましょうよ。殆どの作品において「頂けない」です(^_^;)。
二度とやらない方がいい
ぐらいじゃないですかね(笑)。
さてさて、今月も、そろそろお正月モードを脱しないとなりません。。
……って、いつまで連休モードなんだよ!と言われちゃいそうですね。もう下旬ですよっ(*o*)!
でも……あ〜あ\(>_<)/。休みが長ければ長いほど、通常モードに戻るのが嫌ですよね〜(笑)。
というわけで、皆様もお風邪、そして私のように怪我などせぬよう、充分にお気をつけ下さいませ!!
私もこれより、また「城主のたわごと」の更新に戻ります(^_^A)。
今月もこの後すぐ出せると思います(^O^)。待っててね〜!!!
01月21日
城主
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