<2011年・城主のたわごと2月>




2010年8月、山陰妖怪ツアー・第二弾(^^)。

鳥取県境港「水木しげるロード」の妖怪・続き〜♪




     
  前回からスタートした「山陰(鳥取・島根)・妖怪ツアー」の続き(^^)。

「妖怪ツアー」と云っても、怪談伝説の残る城や合戦場の跡を廻るわけでも、怨霊がらみの寺社・墓所・心霊スポットを廻るのでもなく(笑)、前回も話した事情により、「水木しげるツアー」になっている(^_^;)。

ではでは、引き続き、鳥取県の境港市「水木しげるロード」パート2〜(^。^)v



<水木しげるロード2・南側「しげぇーさん通り」まで、2>

地図A←境線「境港駅」。すなわち「水木しげるロード」のスタート地点を指している。


↑「水木しげるロード」マップ。
←←←←←←←←←←←┐
駅=水木しげるロード==↑
→→→→→→→→→→→┘
↑こんな進路を取る

前回は、最初の交差点である、「カランコロン通り」(左)から、「しげぇーさん通り」(右)に向かうブロンズ像の「河童」「袖引小僧」までを見た。→(拡大)

その後、交差する“通り”は、「もくもくれん通り」「おやじ通り」「べとべとさん通り」「なんじゃもんじゃ通り」と、全てが水木しげるネタのストリート名。

「水木しげるロード」対岸(北側)は、「妖怪神社」など(パノラマ3枚)

有名な(?)「妖怪神社」は、↑家々の立ち並ぶ間の、小さい空間を割って存在する(^^ゞ。対岸には後で廻って来るので、その時に「妖怪神社」も取り上げるねっ♪

やや拡大「一反木綿」と「鬼太郎」が見える(^^ゞ

この「妖怪神社」の界隈は、特にメインスポットの雰囲気に富み、昔ながらの古めかしい町並みが残り、二階に「一反木綿」と「鬼太郎」の絵看板(野々村電機工業梶jのあるお店も見えるね(^^)。

……もっとも、ここだけに限らず、長い長い「水木しげるロード」全域に、鬼太郎がらみのこうした絵柄のある店や看板は、いちいち並べられないほど多い(^_^;)。

前回は「袖引小僧」で終わった。その後、「033・ねこ娘」(水木キャラ(^^ゞ)が入るが、これは「妖怪大全」には無いから、さらに次に進むと……

……ズーン!「塗壁」!(笑)
後ろっ!
山頂型の台座にいた。これは水木キャラだけではなかったんだね(笑)。

人気のない道や森、夜の海岸などで、人の行く先を壁で塞ぐ。会った人は前後に進めないが、棒で下を払うと消える。

水木しげる氏も南方戦線の敵中に近い暗い密林で、この「塗壁(ぬりかべ)」に出会い、動転して20〜30分もがいたが、疲労困憊して休むと消えたという。
色は真っ暗で、押した感触はコールタールのようだったという。
日本では、筑前(福岡県)遠賀郡の海岸に出たことがある。


←「家鳴り」は、縦長型の椅子状の台座に。
家鳴り」は、地震でもないのに家が鳴りきしみ、ドア・ガラス戸・障子・襖などガタガタ揺れ、ピシピシ、ドンドン、バタバタ音をたてる。「ポスターガイスト」と言われ、世界中にある現象。
アメリカではガラス瓶の蓋が飛んだり、家具が動くなど5週間続いた。

こちらは山頂型の台座の上の「朱の盆」→

家鳴り」(左)は、アメリカのケースだと、警察 ・学者などが究明しても原因不明の内に鳴り止んだという。
日本では「小鬼」のイタズラと思われ、古い武家屋敷や農家、京都によく起き、昭和初期に北陸で起きたケースは、科学者の調査の結果、台地の共鳴現象とも言われた。

隣(右)の「朱の盆」は、奥州(福島県)の諏訪の宮に出る妖怪で、噂に知っていた若武者が、そこを早く通り過ぎようと道を急いで、前を行く同年代の若侍と道連れとなった。
早速、噂の妖怪の事を話すと、その若侍は、
「それは、こんなものでしょう」
と振り向いた顔も目も真っ赤で、額にツノ、髪は針となり、口は耳まで裂けていた。
若武者は気絶したが、意識を取り戻して家に帰り、女房に話すと、女房が、
「その“朱の盆”というものは、こんなものでしたか」

と、同じ恐ろしい顔をしてのけたので、ついに若者はショック死した。

同じ話を、私は江戸の「のっぺらぼう」とか「貉(むじな)」の話として聞いたけど、色んな話があるんだね(゚.゚)。

この青バスも、鬼太郎キャラが描かれてたから、「妖怪バス」なんだろうね(笑)→
境港の町並みは、古い旅館も多く、情緒タップリ(^^)。

←続いて、山頂型の台座に乗ってる「海女房」。

「海人」(海坊主)という丸坊主が舟に上がった時は、喋らず動かないようにしないと、大風で舟を覆す。「海女房」はこの妻とも考えられ、福岡県宗像郡では「海女」とされ、漁民も海上で徒歩するのを目撃している。
「頭髪、鼻、水かき付の手足があり、言葉を言わず、与えた飲食物も食わず、陸地で数日生きられる」と古書にいわれ、人魚に類するともいう。
古老は、「普段は海に棲み、骨がオランダ人のいう「ペイシムレル」という、古来より珍重された血止めの妙薬になる」という(しかしこの薬、魚の歯の粉末など、偽物が多い)。
島根半島の平田市近い「十六島」(うつぶるい)では、塩漬の魚を食べるのを発見した人が、退治のため人を集める間に、桶は空になっていた。

そして「しげぇーさん通り」との交差点(パノラマ2枚)

地図B←いつも通りのサイズなので、徒歩ベースだと殆ど変りないが、拡大して貰えば、駅から少し距離があるのがわかる。
だいたい、この「しげぇーさん通り」あたりが、水木ロードの中間じゃないかと(^^ゞ。

この橋の上に乗ってるのが、「38、39・鬼太郎と目玉おやじ」で、橋を渡す水路の両脇が「しげぇーさん通り」というわけ。
「しげぇーさん」は、「水木しげる」の事だね(^^ゞ。「ゲゲゲの女房」では、「水木しげる」の母(ヒロインにはお姑さんで、竹下景子が演じていた)が、よく「しげぇーさん」と呼んでいた(笑)。



<水木しげるロード3・南側「もくもくれん通り」まで>

←上記「しげぇーさん通り」(左)と「038・039鬼太郎と目玉おやじ」の後は、次の「もくもくれん通り」(右)に向かう南(下)側をこれより見る。
←山頂型の台座の上に乗ってるのが「川猿」。

川猿」は、猿と河童と川獺の合体したような妖怪で、静岡県に出る。

体中に魚の臭気があって河童に近いが、頭には皿がない。
猿と河童はよく喧嘩をし、河童が猿の尻子玉を取るとも、猿が河童を捕まえるともいう。河童は十二刻、猿は二十四刻、水に潜れる。
石川県の老人は、外出中に猿になりすまされたので、葬式をあげると、葬式の嫌いな猿は逃げ出したという。
「川猿」は、河童や猿より少し賢いようで、酒好きな点は川獺に似てる。
急所は股と目。皮膚や肉をかき破る攻撃力を持つ。臆病だが、自分を助けてくれた人の顔は忘れない。


←目玉おやじを前面にした酒屋さん。妖怪酒をガラス戸にいっぱい並べている。
↑お休み処「鬼太郎茶屋」は一反木綿やねずみ男♪

酒屋さんの並べるお酒は、地元の酒造「千代むすび」の地酒(#^.^#)。鬼太郎キャラを酒瓶のデザインや名前に多用している。「鬼太郎」「目玉おやじ」「ねずみ男」「こなき爺」「砂かけ婆」を象ったツボが、「鬼太郎五人酒」と銘打ってあった。

他にも、「ゲゲゲのいも焼酎」(鳥取県弓ヶ浜「金時」)「鬼太郎純吟」「こなき純米」「おやじ極楽大吟」「ぬりかべ焼酎」「ねこ娘の梅酒」。確か「一反木綿」も見た気がするけど……。「河童の三平」の「河童吟醸」もあった(^^ゞ。

さて、妖怪像に戻ろう。次も同じく「山頂型」に乗ってる2点↓

←1点目「幽谷響」。
こちらは「白溶裔」→

まず、「幽谷響やまびこ)」は、山や谷の「こだま」を妖怪に見立てた名前で、全国各地に多種ある。会津では「幽谷響」(「山彦」とも書く)、静岡では「山の小僧」、鳥取では「呼子(よぶこ)」「呼子鳥」、九州では「おらぶ(叫ぶ)けそうけ」など。

会津の山で、狩人が鉄砲を撃つと、それが当たって倒れた獣は確認できた。
が、音の方は一本足の小僧となって、狩人にぶつかった。危ないから注意すると、小僧も注意し返してくる。名を聞くと「幽谷響」と答えた。

「幽谷響」って、わりとカワイイ顔して、鬼太郎たちと一緒に歩いてるシーンとか、水木マンガで見た覚えがあったので、亭主に聞いたら、「“呼子”と書かれてるのを見た事あるよ」と教えてくれた(^^ゞ。

白溶裔(しろうねり)」は、廃屋や空家に放置され、雨もりや湿気・ほこりで発酵した古雑巾が、悪臭を放つ妖怪となったもの。
夜ひとりでに飛行し、何も知らない旅人が空家を宿にしようと、戸をあけると、その口のまわりにヌルヌルしたものでからみつき、すさまじい悪臭と不気味さで気絶させてしまう。
台所を清潔にするよう教訓するため存在するのかもしれない。古い蚊帳も同じような妖怪になるという。

←輪状に繰り抜かれた台座の、輪の中にいた「倉ぼっこ」。

東北地方で、防火の神と見なされている。近火があって、荷造り・片付が間に合わない時、髪を長く垂らした見なれぬ女が荷物をまとめて倉へ入れ、自分も中へ入って内側から戸を閉じる。

つまりこれが火災から家や財産を守る神で、この倉の隅には棚があり、上に5〜6寸(約15〜18センチ)四方の箱が、古くから置き場を変えず、触れられる事もなく在ったという。

火災が無くても、倉で働く者がにわかに大小便を催して、倉から飛び出したり、夜に金棒を引く音がすると、「倉ぼっこ」のいる倉とわかり、4月14日に祭りが行なわれて、灯明・菓子・音楽などで厚く祀り、倉をもつ家から火災除けの守り札を出したり、その霊験が信じられたりした。

「水木しげる文庫」は、漫画は勿論……
「ぬりかべ」毛布も!(笑)

さすが「水木しげる」専用の本屋さんだけあって、かなり古い漫画もあり、復刻版だけど、ウチらも懐かしがって買い物した(^^)。
上の写真の通り、本だけでなく、各種グッズも豊富で、ぬりかべ毛布は他では見ない気がして……(と言っても、店は多いし時間は無いしで、他もあまり見れてないが(^^ゞ)。

また妖怪像に戻ろう。

これが、自分的に「山脈型」と呼んでる台座で(笑)、2体のブロンズ像が背中合わせに、それぞれ山頂に立っていた↓
一体が「川獺の化物」↑
そして背中合わせのもう一体が「足長手長」→

足長国にいる「足長」は、手長国にいる「手長」を背負って、海の魚を取る。足長の足の長さは二丈(約6m)とされ、手長もほぼ同等だろう。
九州の平戸城の西北2里(約8キロ)に神埼山があり、近くの海辺で、晴れた静かな夜に、火をかかげて彷徨う足長(長さ約2.7mだったという)を見た者が、事情通の従者に聞くと、
「足長に会うと、必ず天気が変わる」
と言われ、信じられない思いだったが、その通りに急な黒雲と強い雨に見舞われたという。

川獺の化物」は、加賀・能登(石川県)の城の堀に出た。
堀近くに、笠をかぶった美女がいたので、女好きの若い男が声をかけ、家に誘い込んだ。
が、気味悪くも思い、仲間に任せた所、女は笠を取らず、若い男が戻らないと知るや、笠を取った。
すると、両眼から強い光を発する、60〜70歳の恐ろしい老女となっており、夜中、大声をあげた若い男は、室内で殺され、その性器を引き抜かれていたという。

「妖怪大全」には、「川獺の化物」の被害にあう者が、「女好きの男」になってるけど、「ガイドブック」では「酔っ払いをたぶらかして殺す」とか「自ら酒を買いに出る」とあるので、だらしない性情の者を懲らしめる妖怪って事かな……(^^ゞ。

ちょっと珍しい半円(上部向き)の山脈型に……
拡大「毛羽毛現

毛羽毛現」(けうけげん)は、上は「希有」、下は「希見」や「怪訝」とも書き、国語辞典では、「めったにない」「珍しい」「不思議」な事とある。
日当たりの悪い中庭や湿気た床下にいて、人のいない時に、便所の手水鉢の水を飲む。日光が当たらないからか、これの棲む家は病人が出る。
水木しげる一家は、この妖怪の死体を富士山の山小屋で見つけた。軽く、毛だけで、頭も足も尾も内臓もなく、毛の他を全てを食べられた物のようだったという。


この富士山の山荘というのは、「ゲゲゲの女房」でも出て来た(^^ゞ。
どん底の貧乏から、一転して売れっ子漫画家となった水木しげるが、多忙すぎて子供とも殆ど話せなくなってしまい、一大決心して富士山に出掛ける話だった。夜、「妖怪が出そうだ〜」とか言いあってるシーンもあったよね(笑)。

←「海坊主」は「山頂型」台座のてっぺんにいた。さっきの「海女房」の旦那サンだね(^^ゞ。

別名に「海法師」「海小僧」「海入道」と多種あり、日本の海域の広範囲に出る。

巨大で黒く、目が光ったり嘴(くちばし)がある者もあるが、基本的に目・鼻・口・耳はなく、小さくヌルヌルして、魚が化けたともいわれる。

これに遭ったら、声を出さず目を瞑らないと、船をひっくり返される。東北では、漁の後、海の神に初物を捧げないと、海坊主に船を壊され、船主が浚われる。

が、中国地方では、小さく怖くない印象がある。大力の男が夜の浜辺で、海に引き込まれる前に逃げれたとか、体をこすりつける「海坊主」を捕らえて縄で縛ったとか、漁船の網にかかったとか、体長は10センチぐらいとか、「体をこすりつけるのは“かゆい”から」と説明する古老もいる。

そして「もくもくれん通り」にも到達→



<水木しげるロード4・南側「おやじ通り」>

←「もくもくれん通り」が終わって、次の「おやじ通り」まで進もう(^^ゞ。ちなみに、この「おやじ」は鬼太郎の父「目玉おやじ」の事だろう(笑)。
↑早速ながら、次の妖怪「木葉天狗」。
縦長型・椅子状の台座をサーフィンしていた(笑)。

「ガイドブック」には、烏天狗が大天狗の家来で、「木葉天狗」は烏天狗の仲間で、下っ端であるとも、年取って白くなった狼とも書かれている。
「妖怪大全」には、鼻の高い天狗は近世の考案で、古くは日本の山野の神で、怪力をもち、極端に清浄を好み変幻自在で、夜更け、駿河と遠江(静岡県)の大井川の土手で、川面に5〜6匹上下しながら魚をとったという。

別名「境鳥」といい、鳥に似た姿で、幅六尺ほどの鳶のような翼を広げ、尾羽もあって、嘴(黒が上等とか)もあるが、鼻は高くなく、顔も手足も指も人に近く、目も正面についていた。

雨ふり小僧
すっぽんの幽霊
小豆洗い

雨ふり小僧」は、縦長型の椅子状の台座にいた。

「雨師」(雨を降らせる神)に仕える子供で、雨の野原に現われ、喜んで駆けまわる。妖怪より神に近い。
帰宅途中の男が、傘を被って提灯を持った「雨ふり小僧」と行き会い、傘を奪って走り、家に着くと、傘は頭から離れなくなったという。
東北の話では、狐が、魚と交換で降雨を頼んだ所、雨ふり小僧が承知し、提灯を振ってにわか雨が降ったので、狐は娘を「狐の嫁入り」させる事が適った。


ここで、「050・鬼太郎」「051・鬼太郎のゲタ」「052・目玉おやじ」が連続してドドッと入り、私が行った時は、カメラを構える人が最も多い地帯で(^^ゞ、私も写したが、人が入らない時は全くない程だった(笑)。

次に行こう(^^ゞ。
すっぽんの幽霊」は、半円型を下向きに繰り抜かれた洞窟の下から、天井を支えるように逆ブリッチしていた(^_^;)。

江戸時代、「すっぽん」は痔に効くとされ、専門店も多かったが、噛みつくと離れない「すっぽん」は執念深く、食べられた恨みから「すっぽんの幽霊」になって現われた。
江戸時代の名古屋グルメ3人男が店に行くと、すっぽん屋の足が長く、顔も「すっぽん」に似て、幽霊のようだった。店から帰宅した男は、炬燵に入っても震え、2〜3日震えが止まらなくなって、とうとう「すっぽん」を食べなくなったとか……。

次の「小豆洗い」は、縦長型の椅子状の台座の上で、小豆を研いでいた。

←これも実は境線の「弓ヶ浜」駅で、「あずきあらい」駅となってる、妖怪駅だ。

小豆を洗う妖怪は全国版で、「小豆」を研ぐのは、祭用の食品だからと説く人もいる。
「水木しげるロード」でも、なぜか2体いる(^^ゞ。

川のほとりか橋の下で、「ショキショキ」と小豆をとぐような音をさせ、地方によっては蝦蟇が化けたとか、「小豆婆」と呼ぶ地方、「米とぎ婆」という所もある。

境線の各駅名(順次記載追加)
米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港

小豆洗い」は、「小豆とごうか、人とって食おうか、ショキショキ」と歌い、近づく人は水中に落ちた。
東北では百姓の嫁取りの時、貧乏で赤飯も炊けず、小豆洗いが台所で音をたて、赤飯を山のように置いて行ったという。大晦日の晩だけ出るという地方もある。
山梨の甲府では貉(むじな)の仕業とされ、1キロ離れても音が聞こえて来たという。


朝ドラ「ゲゲゲ」でも、この「小豆洗い」は出て来たよね〜(#^.^#)。ちょうど人生の「谷間」を超えるみたいな意味合いも兼ね、なかなか名シーンだったと思ふ!
でも「人取って食う」ような、怖い妖怪なんだねー(笑)。

そいや箱根の芦ノ湖では、湖神(龍神)に捧げる御供(ごく)が赤飯だった。あれも水の妖怪と小豆だ(^_^;)。
他の供物(野菜・果物・魚類)は一切無く、赤飯のみをいっぱい乗せて、真夜中の暗い湖水を、何艘かの船で捧げに行く。
龍神は荒々しく人を飲む火山神だから、元は生贄(人身御供)を捧げていたのが、どこかで赤飯に変わったようにも思える行事だ。(2004年11月<芦ノ湖>内以降)

次の「お歯黒べったり」は、縦長「山頂型」の上に乗っている→

お歯黒べったり」は夕闇せまる町はずれ、人気のない神社や寺、まれに家の中にも出る。美しい着物姿や、花嫁姿の事もある。
この「お歯黒べったり」を最後にして、今度は「おやじ通り」と交差する。その界隈↓

はじめは顔を隠しているが、見せるや、目鼻がなく、口だけの女の妖怪(何も無いのが「のっぺらぼう」、僅かに何かあるのが「ぬっぺふほふ」)。
口の中は、白い歯の裏にお歯黒が塗られ、人を驚かしては、ニタニタ笑う。
正体は狸か貉(むじな)とも言われ、お歯黒をつけた女の執念が集まった幽霊という人もいる。




<水木しげるロード5・南側「べとべとさん通り」まで>

↑もっとも、「べとべとさん通り」は、北側に差し込む路地の名で、南側にも対面する路地はあるが、こちらにも該当するのか、地図で見る限りハッキリわからない(^_^;)。
←つまりこんな風に、北(上)に伸びる路地と、南(下)に入る路地が微妙に互い違いになっているんだね(^^ゞ。
さて、「おやじ通り」を過ぎると、早速出会うのが、「かみきり」と「一反木綿」の2体がいる、山脈型の台座だ。

人間が獣や幽霊と結婚する話は多いが、こういう結婚をしようとすると、どこからともなく現われ、人間の方の髪を切るのが「かみきり」だ。
明治7年(1874)のは新聞沙汰にもなった。事件が起きる前にも、「黒髪切り」という怪事があったという。
新聞に乗った事件は、東京の本郷三丁目の奉公人「ぎん」が、屋敷裏の共同便所に入ると、寒気とともに髪の毛が面上にふり乱れ、切られた。
ぎんは悲鳴をあげて、近くの愛知県士族の宅へ走りこみ気絶。介抱されて意識を戻したが、病になり親元へ引き取られた。
皆で現場に駆け付けた便所には、「ぎん」の髷が落ちていたという。


そして、同じ山脈の山の一つに取り付いているのが……ド〜ン!
一反木綿」だぁぁ〜!!(笑)
「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズではお馴染みのレギュラー・キャラだが、これも水木しげる考案のキャラってワケではなく、元々日本に伝わる妖怪なんだね(^^ゞ。

朝ドラ「ゲゲゲの女房」では、ヒロイン村井布美枝(武良布枝さんがモデル)が、夫・水木しげるに「一反木綿に似てる」と言われ、鬼太郎マンガに詳しくない世代にまで浸透(笑)。

これも境線の「上道」駅で、妖怪駅「一反木綿」駅となっている。

←電車の窓越しに写すので、上部が光っちゃった。あまり上手じゃないけど、やや補正した(^^ゞ。

一反木綿」は、一反ほどの白布の妖怪。鹿児島県の大隅地方に現われた。
見た目は、風にあおられ夜空を飛ぶ干し物のようで、恐ろしくないが、人の前に落ち、首に巻きついたり顔面を覆って、息の根を止めてしまう。

すばやく脇差で切った男もいて、白布は消えたが、男の手には血しぶきがついていたという。
大坂の淀川、天王寺あたりに出た白い物は、丸くも長くも見え、昼から2時間ほど20〜30も飛んで、地に落ちたのを拾うと、蜘蛛の糸より太い糸で編まれており、揉むと消えたという。

米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港

続いて、山頂型の台座の上にいた、「石見の牛鬼」↓
これも境線の「中浜」駅の、妖怪名駅「牛鬼」駅になっている→

米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港

石見(島根県)魚津浦で、夜釣をしていた男が、海から赤子を抱いて現われた女に、釣れた魚を次々ねだられ、腰刀までバリバリ食べられたあげく、赤子のお守を頼まれた。
女は海中に消え、かわりに荒波とともに、頭が牛、体は土蜘蛛の真っ黒で巨大な怪物「牛鬼」が吠えて現われ、追い掛けて来た。
女に抱かされた赤子は石のように重くなり、手から離れない。
この時、男の家から、代々の銘刀が鞘を脱ぎ、虚空を飛んで、「牛鬼」の首に刺さった。
助かった男は、残された鞘を神として長く祀った。


ここに、「059・ねずみ男」が入る。かなり大きくて、一緒に記念撮影している人が多い(^^)。

目玉のついた妖怪人力車(^^ゞ↓
記念撮影用の「百鬼夜行」(笑)→
「百目」や「手の目」も一緒だね(^^ゞ

山頂型の台座に「うわん
輪の中に「油すまし
山頂「カシャボ

うわん」は実は声だけの妖怪で、姿はなさそう(^^ゞ。青森県に出るそうだ。
蝙蝠や蝦蟇などがいそうな、人のいない古屋敷に棲み、夜道を通りかかったり、久しく住み始めた者に、「うわん」と声を発して驚かす。
それだけだが、寝泊りする者は声がうるさくて眠れない。しかも、一定の者いがいには、なぜかその声は全く聞こえない。

油すまし」は何をする妖怪なのか、「すまし」の意味は何なのかわからないが、油に関係する妖怪の類はとても多く、油(灯火)が貴重だった事と関係があると思われる。
熊本県天草の草積越という山道に棲んでいたと伝わっていたので、明治の頃、孫をつれた老婆が通りかかり、
「昔はここに、“油すまし”という妖怪が出たそうな」
と話すと、ガサガサ音をたてて、
「今でもいるぞ!」と出て来たという。

カシャボ」は、紀伊(和歌山県・三重県)で、「ドンガス」とか「ガオロ」などと呼ばれる「河童」が、冬になって山奥に入った時の異名。由来は、「火車」とも、「くすぐる」の方言(かしゃぐ)とも……。
芥子坊主(頭頂毛を残したもの)の頭をふると、ガチャガチャ鳴り、青い衣をきていて、6〜7歳ぐらいのかわいい子供に見える。性質も人なつこく、熊野の家では、谷に入って来る時、家の外で石を打ちつけ、来訪を知らせるという。
カッパなので、戸口に灰をまくと、水鳥のような足跡を残すし、牛馬を連れ去ったり、害する。




<水木しげるロード6・南側「なんじゃもんじゃ通り」まで>

「べとべとさん通り」の対岸の路地を渡ると、最後の「なんじゃもんじゃ通り」との交差点に向かう。

最初に出会う「豆狸」→。
椅子型の台座の、腰掛け部分が盛りあがった突起の上にいる。
豆狸」は東国に少なく、西国に多い。
羽織っているのは、自分の睾丸に息を吹きかけて引き伸ばした物で、八畳敷きもある。


元禄(1688〜1704)のころ、魯山という俳諧師が、日向(宮崎県)の高千穂で友が出来、宅に誘われてご馳走を振舞われ、歌会を催した。
魯山は部屋が八畳あるのにちなんだ歌を詠み、その友も上手く返し、魯山、友人と続けて挙句となった。
魯山は一服しようとして、うっかり煙草の吸い殻を畳に落としてしまった。
すると、途端に畳がまくれ、魯山は土の上に放り出された。見渡すと家は無く、辺りは野原だった。


狐に比べてちょっと間抜けな感じがする狸だが、この「豆狸」は普通の狸と違って賢く、風流を解するようだね(゚.゚)。
この「狸」も「河童」と並んで、「日本妖怪大全」に、実に多くの種類が書かれている。狸の格好をしていないものでも、「狸の仕業」となってる妖怪(怪奇現象)も多い(^^ゞ。

こっちは、「天井なめ」→
洞窟っぽい輪の中にいて、天井を舐める舌が、天井に反射して気味が悪い(笑)

天井なめ」は、舌も背丈もヒョロ長く、痩せている。ただでさえ掃除の届きにくい天井を、舐めてシミをつけ、ますます汚くする妖怪。
人のいない間に出現し、人に発見されると天井の抜け穴から逃げるのが通常だが、館林藩(群馬県)の舘林城の秋元家は、天井の蜘蛛の巣を、「天井なめ」を使役して舐め取らせたという。
水木しげる氏は、子供の頃に妖怪話を聞かせてくれた「のんのんばあ」に、この「天井なめ」と「天井下がり」(天上の破れ目から笑う妖怪)の話を、よく聞かされたそうだ(笑)。


ここに「065・家獣」「066・067・魔法陣の悪魔くんとメフィスト」が入る(^^)。先に進もう。

←続けて「針女」は、縦長の椅子状の台座にいた。椅子状の台座は、縦長・洞窟型の内部にある事が多かったが、この辺りから、椅子だけの形状の物が多くなった。

針女」は一見、美しい娘で、「濡れ女子」「笑い女子」ともいい、出たのは四国の宇和島の、山出村、広見町、三間町など、城辺町の桜岡は特に頻繁に出た。

道を通る若い男にニタリと笑い掛ける。「やかましい」と大声で一言どなると消えるが、うっかり笑い返すと、長髪を振り乱して襲いかかり、髪の先の鈎針で男を引っかけ、連れていく。こうなると、大男でも身動きできなくなる。
襲われる直前、一目散に逃げて家に籠った男が、夜明け、大戸を開けると、そこに鉤で傷つけた無数の疵あとを見た。これを教訓に、土地では障子戸でなく、板の大戸を閉めるようになったという。
が、執念深いので、逃げても一生つきまとわれる。


←「土転び」。半円型(上向き)の台座に、山のような突起が出来てて、その上にあった。
これも境線の「和田浜」駅の妖怪駅名「つちころび」駅になっている。
←写真がちょっとブレてゴメン(^_^;)。
↓これで、境線の妖怪駅も半分が埋まったね(^^ゞ

米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港

土転び」は、中部地方や中国地方、あと九州でも名を知られる。
旅人を守る峠の神といわれ、峠を歩く旅人が、何か追い掛けてる気がして走り出すと、藁打ち槌のような姿で、旅人より早く転がり落ちて、待ち受けているが、悪さはしないので、ただ通り過ぎれば良い。
が、避けようとあえて道を変える旅人は、山中に迷いこんでしまうという。
原因もなく峠で石が転がり落ちる現象を、怪に見立てたと考えられる一方、九州では、「野槌(丈の短い蛇・つちのこ、中部地方の道の怪、野霊)」と混同され、「全身に毛が生え、上から旅人に転げかかって襲う」ともいい、鳥取県中津の山間では、「槌転び」という蛇が、「足元に転がって来て噛みつく」ともいう。


↓「座敷童子」は縦長の椅子状の台座にいた。又これも境線の妖怪駅である↓
←「富士見町」駅の妖怪駅名「ざしきわらし」駅である(^^)。

座敷童子」は、岩手県遠野はじめ、東北地方の妖怪。

家の中に、オカッパ髪で子供の姿で出る。これのいる家は繁栄し、居なくなると没落する。
岩手県の小学校では、夜9時ごろ机や椅子の間を潜って遊んでるのを目撃され、ともに遊んだ児童すらいるが、子供には見えても大人には見えない。

米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港



<水木しげるロード7・「本町アーケード」>



「水木しげるロード」は、最後に交差する「なんじゃもんじゃ通り」を渡った先は、「本町アーケード」という商店街になって、行き止まり……つまり、折り返し地点となっている。

「商店街」と言っても、これまで通った全域が、旅館街も含め「大きな商店街」とも言える(^^ゞ。
だから、「一番奥にある専門の商店街」と言うか……見た目で言えば、「ここだけ屋根がついている」という言い方が正しいかな(笑)。

このアーケードに入って、ようやく折り返し、今度は駅方面に戻って行きながら、北側の妖怪像を見て歩く事になる。

地図C←折り返し地点を指している。これも通常のサイズのままだし、徒歩移動だから殆ど変わらないが(^^ゞ、若干動いてはいる。

この界隈、「べとべとさん通り」−「なんじゃもんじゃ通り」−「本町アーケード」は両側とも、ちょっとしたお祭り気分の一帯で、北側に折り返すと、すぐ「水木しげる記念館」もあり、その裏路地に入った所に「妖怪楽園」もあって、妖怪世界もピークに達した感が強い(^^)。

↓これが「本町アーケード」入口、アーケードに入る→

このアーケード(商店街)内にも、妖怪ブロンズ像は続けてあり、まず「071・丸毛」「072・だるま」があって、続けて「金霊」がある。

この「金霊」の乗ってる絵柄入りの台座、この辺りから俄かに出て来るスタイル。「羊羹型」とでも呼ぼうか(笑)。

金霊(かなだま)」も、入った家は栄え、出て行った家は滅ぶ。うなって飛ぶといい、正直者や善人の家に来る。関東地方に出る。
文政8年(1825)、千葉県の大井村で、青天に雷鳴が響き、10mほど行って落ちた現場には、穴があいていた。15センチほどの深さに、鶏卵ほどの玉が光っていたのを、
早朝に苗代を見に行った丈助なる百姓が、手ぬぐいで掘り出した。

これを最後に、アーケードの一番奥……すなわち折り返し地点まで行き着き、後は同じくアーケードを戻って行く。
ちなみに下の風景、行き着いた所だったように覚えてる。再び地図C

古びた路地の奥には→
(中央拡大)境水道に停泊する船(^^)

さて、折り返すと、まず「074・大元神」があり、そろそろ「水木しげる記念館」に差し掛かるのだが、その前に本町アーケードのちょっこしレポ(^O^)/
この本町アーケードも、これまで以上に濃厚な妖怪商品がひしめく商店街だが、ひときわ目を引いたのが……

ドーン!目玉かき氷!(爆)
じっと見つめる目玉(^_^;)
スプラッタな味わい(笑)

↑目玉の和菓子は1個350円。かき氷とセットで550円(笑)。
かき氷のソースは、これは抹茶味だけど、他に2種類ぐらいあったと思う(^^ゞ。

「妖怪食品研究所」と銘打ち、白衣を着たガイコツが立つ傍で、せっせと目玉和菓子とかき氷を作って、道行く人々に売っている。当然ながら「夏季限定」とあったから、通常はグリーンティとか、冬だと抹茶とセットかな(笑)?

上に乗る目玉の和菓子がお土産としても持ち帰れる商品、「妖菓、目玉おやじ」。
製造元の「彩雲堂」は、かなり遠い地域にも(特に松江など旅行した人に)、「島根と言えば……」と思い浮かべられる事の多い、「若草」という和菓子の会社(^^ゞ。

←これがその「若草」。食べちゃってから「写真(^^ゞ」と気付いた。下3個無くてゴメン(笑)。

手に乗るサイズの四角い求肥に、抹茶色の特殊な砂糖粉をまぶしてある。

松江藩主・松平不昧公の頃よりの伝統的な和菓子製法を研究し、明治になって復活させた。

一反木綿に乗る鬼太郎と目玉おやじ→
商店街じゅう鬼太郎グッズであふれかえってる(笑)

そして、目玉かき氷の隣が、「水木しげる記念館」↓だった。かき氷も、そこの広場で食べた♪



<「水木しげる記念館」と「妖怪楽園」>

↑「水木しげる記念館」は本町アーケードの通りに面してあり、「妖怪楽園」はその裏手にある。
まず「水木しげる記念館」の前の広場には、「075・076・のんのんばあとオレ」「077・078・山高帽の水木先生」「079・080・鬼太郎(赤ん坊)とお父さん」といったブロンズ像が並ぶ。

水木しげる記念館」の庭(パノラマ3枚・ほぼ180度)

実は記念館の正面の写真を撮ってなかったみたい(^_^;)。。スゴイ人が多かったから、カメラを構えても上手く写せないまま、中に入ったような気もする(笑)。
(正面の映像はこちらを→記念館外観@「水木しげる記念館」より)

館内も撮影は憚られるので、かわりに、この庭の置き石・灯籠・樹などの影に潜んでいる妖怪チャンたちを、ちょっこし見てごしない! ↓



記念館は思ってた以上に面白かった(^^)。ブロンズ像を見て歩くだけでは、どういう妖怪か詳しくはわからないので、「日本妖怪大全」を買ったのだが、実感的には、ああした妖怪展示場の中に身を置くのがいいねっ☆ミ

例えば……「天井なめ」がなめる天井に、窓ガラスがあって、その上を歩けるようになっているのだ(^_^;)。。
あと、貸本時代の鬼太郎のストーリーとか説明してあって、「ふ〜ん(゚.゚)」と読み込んでしまったり(笑)。

記念館の裏手に廻れる路地からは
ゲゲゲの妖怪楽園」にも行ける!(^O^)

小さい公園のような空間に出店が並んで、飲食物や土産物を売っている。
←入るとまず、一反木綿の滑り台をはじめ、立体キャラ達がお出迎え♪ その後方に見えるのは、鬼太郎の家かしらっ?(笑)

一反木綿の背中で遊ぶ子供たち↓
その後方、鬼太郎ハウスの隣、敷地の隅には、「永禄塚」なる慰霊場が祀られている→

戦国時代の天文20年(1551)、大内義隆が家臣・陶晴賢に攻められ、自害すると、ポスト大内氏をめぐり、この弓ヶ浜半島も各地で、毛利氏尼子氏の覇権争いによる激しい攻防戦にまみれ、永禄年間(1558〜1570)は、数多い兵や民の命が失われた。

それゆえ慰霊塚が多く残っているが、時代の流れか、人々の記憶から忘れられようとしているので、御霊の供養、地域の平和・繁栄の祈願、さらに地域の人々の心の拠りどころとなる事も兼ね、慰霊塚(祠)建立実行委員会により、境港市栄町の有志など寄進を集め、大湊神社の祭祀で、平成19年(2007)、この「永禄塚」が建立された。(事務局は大湊神社の社務所にあるようだ(^^ゞ)。(大湊神社はたぶんココ→地図D(詳しくは拡大))

戦に加わった兵の中には、水木しげる氏の先祖・武良家もいたそうで、「永禄塚」と書かれた石碑には、水木しげる氏の字で、以下の言葉が彫りこまれている。
「永禄年間 尼子毛利合戦の場跡
もののふ達を労い 塚を祀る 水木しげる」

こちらはメインの建物。芝居小屋風だね(^^)→
遊戯のできる縁日小屋や仲見世ふうの土産コーナーもある。

←名物の一つ「妖怪茶屋」の「妖怪ラテ」♪

水木しげるロードには、飲食店もたくさんあるから、飲み食いには困らないが、基本は歩道なので、こういう集合場もあるといいね☆ミ

本町アーケードの見学はこれでおしまい(^^)。再び「妖怪ブロンズ像」めぐりに戻ろう!



<水木しげるロード8・北側「もくもくれん通り」まで>

↑「本町アーケード」から出ると、まず「なんじゃもんじゃ通り」を渡る。妖怪の会議や学校、音楽会、海辺などの様子を描いた銅板レリーフが5枚ほど並び、「べとべとさん通り」に達する。

以後は、「べとべとさん通り」→「おやじ通り」→「もくもくれん通り」までに並ぶ妖怪ブロンズ像を見て歩こう(^^)。

まず「べとべとさん通り」を過ぎると、「081・サラリーマン山田」に会うんだけど、これは水木キャラだね(^^ゞ。

次が、下の「ひょうとく」で、羊羹タイプ(絵柄が描かれた黒石)の台座の上にいた。↓

東北地方で、柴刈りに出た爺さんが、山で見付けた穴を塞ごうと柴を詰めると、ドンドン入って、三ヶ月分の柴を費やした。
穴から美女が出て柴の礼を述べ、誘うので、後に続くと、立派な館に柴が積まれ、ご馳走も出て、土産に貰ったのが、臍ばかりいじっている、醜い子供だった。
家に帰り、火箸で子供の臍を突くと、金の小粒が出て来た。一日三度、取り出す内に、爺さんは大金持ちになった。
隣の欲張り婆さんが、留守中に金を盗もうと臍を突くと、強く突きすぎて、子供は死んでしまう。
お爺さんが悲しんでいると、子供は夢に出て、「自分に似た面をかまどの柱にかければ繁盛する」と教えた。これが「ひょうとく」である。

これも羊羹型の台座にいた……
コロポックル」。こちら↓は境線の駅

コロポックル」駅は、「博労町」駅の妖怪駅名
米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港

コロポックル」は北海道の伝承にある神に近い小人で、日本で唯一のコボルト(小人)伝説。
アイヌ語で“蕗の葉の下に住む人”という意味で、北海道の蕗の葉は大きいので、何人も葉の傘の下に入れる。
いたずらも悪さもせず、気だてよく、アイヌの近くに集落を作り、裸で暮して、アイヌに入れ墨を教え、幸運を呼ぶシンボルだったが、悪ふざけをしたアイヌに怒って、北の海に去ったという。
アイヌが来る前に北海道に住んでいた、背の小さい種族らしく、日本人の祖先か、イヌイットに類似した石器時代人という分析もある。


←「かに坊主」も、羊羹型の台座にいた。

甲斐(山梨県)東山梨郡下岩下に“かに寺”と呼ばれる寺があり、坊さんが何人来ても一晩で居なくなるから、無住寺となっていた所へ、どこからも宿泊を断られた旅の僧が、廻りに勧められて泊まった。
夜中、物音で目をさますと、一人の坊主が難問答をしかけて来るので、「かんにん坊」と三連呼すると、問答坊主は消えた。

翌朝、村人たちが来て、旅僧が無事なので驚いた。
“かに寺”の怪事を知った旅僧は、皆に池の水を抜かせると、畳二畳もある大蟹が現われ、池の底には人間の骸骨がたくさんあった。
村人たちが大蟹(かに坊主)を退治すると、寺は平穏になった。


大きな「鬼太郎下駄」の店の前に
鬼太郎(コスプレ)が登場し
子供と記念撮影

「085・魔女の花子」(水木キャラ。「河童の三平」に出て来る)を最後に、「おやじ通り」との交差点を渡り、次の「もくもくれん通り」を目指す。

たんころりん
一つ目小僧
岩魚坊主

三像とも「羊羹型」の台座の上にいたが、最後の「岩魚坊主」だけ、それを椅子状にした台座だった。

まず、「たんころりん」から(^^ゞ。
宮城県仙台の二十人町の旧家に、数本の柿の木があったが、年寄りばかりで、成った実を取れず放置していたので、不愉快に思った柿は、夕暮れ時に大入道に化けて、袂いっぱいに入れた柿の実を落としながら歩き、旧家の柿の木の前で姿を消した。古老の説明では、これが「たんころりん」という事だった。
「柿男」も同様で、赤い顔をして夜、雨戸を叩くそうだ。


次は「一つ目小僧」。
江戸の四谷に住む鶉(うずら)商人が、麻布で古い武家屋敷から鶉を求められ、一室に通された。屋敷の家人は貧しそうでもないのに、襖は破れ、天井には雨漏り跡がある。
いつのまにか、十歳ぐらいの子供が床の間の掛け軸を取って、広げたり巻いたりを繰り返す。自分が損じたと疑われては厄介と、子供をたしなめると、「黙っていよ」と振り返ったのが、「一つ目小僧」だった。
驚いた鶉商人は気絶したが、気を取り戻して屋敷の人に話すと、年に4〜5度出るそうで、「黙っていよ」も決まり文句という事だった。


岩魚坊主」。
岐阜県の恵那の付知(つけち)・加子母(かしも)では、川に山椒の皮汁を流して魚類を捕る。“毒もみ”といって、村の若者たちが谷川で、その準備を整えていると、坊主が来て、“毒もみ”をやめるよう説教した。
若者たちは適当に相槌を打ったが、坊主が居座るので、昼食に食い残した団子やご飯や汁を出すと、坊主は平らげて、ようやく立ち去った。
あれは山の神ではないかと、忠告どおり“毒もみ”を中止した者もいたが、気にせず続行した者もいて、大漁を得た。
中に、六尺(約1.8メートル)あまりの大岩魚があって、村里に持ち帰って集まり、腹を裂いた所、坊主に食べさせた物ばかり出て来たので、誰もこの大岩魚を食べなかった。


この後、「089・算盤小僧」「090・閻魔大王」を経て、「もくもくれん通り」に達する(^_^A)。



<水木しげるロード9・北側「しげぇーさん通り」まで>

←北側、左(←)方向に戻るルート。「もくもくれん通り」を渡ると、最初に出会うのが「龍(竜)」。やはり羊羹型の台座の上にいた。
」は、中国から伝わった水神(海神・竜神)で、中国では竜巻の時に、竜神が昇天すると思われた。
雲を呼び、大雨・洪水を起こすと言われ、
特に漁民が信仰した。
方法は、特定の日に祭りをしたり、金物を海に落としたり、神酒を供えて、海の安全を祈るが、逆に雨乞いでは、竜神のすむ淵の水を汲んで、氏神や水源地にまいたり、竜神をわざと怒らせて雨を降らせようともした。

ある伝説では、いつも渚で海を眺めている男が、竜神に瓶を貰ったので、倉にしまい、村の病人に少しづつ与えていたが、妻が汚物と思って、割ってしまった。
男はカケラを集めて池のほとりに捨て、また渚に行くと、竜神がまた出て、瓶のカケラの捨て場に生えた草(ヨモギ)で、人の病を治すよう、その方法も詳しく教えた。
その通りに病を治したのが、「灸」のはじまりという。


そして「べとべとさん」(笑)!
境線米子空港」駅の妖怪駅名「べとべとさん」駅

米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港

特に昔、奈良県によく現われたが、全国各地にいると思われる。
水木氏も子供の頃、一人で夜道を歩いたり、静かな夜に、兄弟二人でわざと下駄の音を響かせて歩くと、音を止めても、いつまでも後ろから足音がついて来た事があるという。
道のかたわらによって、
「“べとべとさん”、先へおこし」というと足音が無くなる。提灯をさげて歩いてる時も、ピタピタ足音がついて来るといい、この場合は、道を譲っても、
「先は暗くて歩けない」
と弱気なことをいうそうで、「提灯を貸してやる」というと、提灯を借りて先に行き、翌朝、提灯は返されている。


この「べとべとさん」が、朝ドラ「ゲゲゲの女房」の1〜2話に出て来て、長い伏線にもなった妖怪だね(^^ゞ。
他に、「小豆はかり」「一反木綿」「天井なめ」「貧乏神」「いそがし」「ぬりかべ」「天狗倒し」「小豆洗い」「目目連」など、多くの妖怪が出て来た。

「093・寒戸の婆」がここに入る。

←「枕返し」は、山脈型の台座の上にいた。

枕返し」は名の通り、寝る前は人の頭の下にあった枕を、朝起きる前までに、とんでもない方向に運ぶ妖怪で、旅館の部屋で死んだ霊の仕業という。
その霊とは、生前は盲人だった。通された宿の部屋で、誰も見てないと思って懐の金を出して数えていたが、宿の主人が大金を見て欲を起こし、盲人を山道に案内して殺した。
「枕返し」は静岡県に出たが、東北では、「座敷童子」の仕業と見る地域もあり、壁から小仁王の姿で出て来る。
北海道では、水木しげる氏自身が「枕ながし」に遭い、泊まった宿の傾いた部屋の隅で目覚めた事があるという。

私はこの「枕返し」の伝説を、山形県の山寺(立石寺)の山頂、「中性院」の話としても見た(^^ゞ。丸子氏一族の老女霊の仕業という事だった。→(2009年2月<立石寺(山寺)、仁王門〜三院〜三堂>内

妖怪ポスト。水木ロードのアチコチで見た(笑)。投函すると、妖怪消印が押されて届くみたい(^^)。
↑こっちは神戸ベーカリーの「鬼太郎パン」(#^.^#)

「095・いそがし」がここに入る(朝ドラ「ゲゲゲ」にも出て来たね(^^ゞ)。

←続く「異獣」は、縦長型・椅子状の台座にいた。

異獣」は新潟県の山中で、山稼ぎの者にしばしば目撃されている。

十日町のちぢみ問屋から七里(約28キロ)の堀之内の問屋へ、白ちぢみを届ける急使の竹助が途中、石に腰かけ焼き飯を食っていると、頭の毛が中ほど白く、背中まで垂れ、人より背中の大きい猿に似た異獣が、谷の笹をわけて近くに来た。
が、襲う気配もなく、焼き飯を欲しそうに指さすから、与えると、嬉しそうに食べたので、帰りも焼き飯を与える約束をすると、異獣は竹助の荷物を軽々と持って険しい山道を運んでくれ、目的地の近くで荷を返すや、疾風のように去ったと記録に残っている。

再び「しげぇーさん通り」(^^)(パノラマ4枚・180度以上)

↑この橋の欄干で、「097・ねずみ男」が(↑)ゴロッと寝そべっている(笑)。
行き(南側)でも言った通り、この交差点がほぼ中間。戻りコースもだいぶ戻って来たね(^^ゞ。再び、地図B(詳しくは拡大)



<水木しげるロード10・北側「妖怪神社」界隈、1>

行きのと同じ↓。今度は逆に、「しげぇーさん通り」(右)から、「カランコロン通り」(左)に戻って行く。

その間に、行きには対岸に見た、さっきの「妖怪神社」がある。今回はその辺まで(^^ゞ。

まず「しげぇーさん通り」を渡ると、最初に出会うのが、有名な「児啼爺」(笑)。
山頂型の台座の上にいた。

児啼こなき」は、阿波(徳島県)の人けのない深山で、赤ん坊の泣き声をたて、驚いて赤ん坊を抱こうとした人にしがみつく。
しがみつかれた人が動けない内に、赤ん坊は50貫にも100貫にも(188〜376kg)重さを増し、抱いた人は死んでしまう。

泣き声は「オギャーオギャー」だが、「ごぎゃ啼き」と呼ばれる妖怪は、「ゴギャーゴギャー」と啼いて山中をうろつき、一本足ともいい、これが泣くと地震が起こる。
「児啼婆」と呼ばれるものは老婆で、つまんで家に連れ帰った老人が、釜に入れて焚くと、中で泣く声は赤ん坊のものだが、蓋を取るとカボチャだったという。
宇和島には、山に捨てられた赤ん坊が、「ノツゴ」という妖怪になった言い伝えもある。

これも、境線の「余子」駅の妖怪駅名「こなきじじい」駅である。右の写真(↑)は、ちょっと手ブレ気味でゴメン(^^ゞ。

境線妖怪駅も、だいぶ埋まって来たね!o(^^)o
米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港

泥田坊」も山頂型の台座に。
境線後藤」駅の妖怪駅名「どろたぼう」駅

米子
博労町
富士見町
後藤
三本松口
河崎口
弓ヶ浜
和田浜
大篠津町
米子空港
中浜
高松町
余子
上道
馬場崎町
境港

米どころの北陸だが、貧しい男は荒れ地から田を起こし、季節を問わず必死に働いた。やっと米が取れ、徐々に生活も人並みになった所で、病没してしまった。
その子供は逆に怠け者で酒びたり、父ゆずりの田畑は放置されたあげく、他人に売り飛ばされた。
買った人は喜んで、月夜に田を見回ると、泥田の中から、「田を返せ、田を返せ」と叫ぶ妖怪が出て、月夜は毎晩、恨めし声で叫ぶようになった。これが「泥田坊」で、一つ目で色黒の老人だったという。


←また「妖怪ポスト」(^^)。鬼太郎を呼べるかな?(笑)
←この「鉄鼠」は、上向きの大きな半円型の台座にいた。
台座に二つの山脈があり、その谷間にいた。比叡山(滋賀県)に出た妖怪だからかな?
平安時代、白河天皇は后に跡継ぎを得るべく、効験で知られた三井寺の頼膏に祈祷を命じた。
懐妊の暁には褒美は願いのまま、と約束した所、頼膏は百日間、寺にこもって祈り、后は皇子を出産した。
白河帝は大喜びで、頼膏に望みを聞くと、頼膏は三井寺の戒壇(僧侶に戒をさずける儀式を行うところ)の建立を願い出た。

すると三井寺(寺門派)とは犬猿の仲の比叡山・延暦寺(山門派)が横槍を入れ、帝も両門派の紛争の元と憚って、頼膏の望みは却下された。
頼膏はこれを恨み、断食を開始。帝は使者を遣わしてなぐさめようとしたが、頼膏は「皇子を道連れにする」と宣言して死に、せっかく生まれた皇子は衰弱死してしまった。
その後、比叡山には頼膏の乗り移った大鼠が、無数の鼠を従え、経典など食い破ったという。


この「皇子」が史実の誰か書かれてないが、中宮・藤原賢子は次代の堀河天皇の前に、その兄・敦文親王を生み、堀河天皇の生まれる前、1077年に亡くしてるようだ。

また「戒壇の建立」というのは、長年の三井寺(天台宗寺門派・園城寺)の悲願で、この後の鎌倉期も、朝廷のみならず、幕府まで引き込んで、長く戒壇問題は続いた。。。
つまり、比叡山を追い出されてる寺門派は、比叡山にある戒壇を山門派に独占されてるから、確か、東大寺の戒壇を借りて、授戒を行なってたみたい(^_^;)。。

そして、いよいよ「妖怪神社」に来た(^O^)。

ナント、一反木綿の鳥居!
目玉のお手水(笑)
ご神体……だよね(^_^;)

こう言ってはアレだが、もしかして唯一喪中でも参拝して良さそうな神社(爆)。
敷地は凄く狭い(^^ゞ。2000年に作られた神社で、御神体は欅と黒御影石を組み合わせたものだとか。

神社を囲む両脇の建物の壁には、「御身体(御神体?)の目玉石」と「妖怪念力棒」があり、案内板も建てられてあった。

「目玉石」は、御身体(御神体?)を設置する前に、水木しげる氏が「この石に目玉をつけたらいい」と言っていたのが、いよいよ設置される時、ちょうどその場所が、本当にポロリとめくれ落ちたのだそうだ(・・;)。。

私も「ゲゲゲの女房」を見て知ったのだが、「墓場の鬼太郎」(「ゲゲゲの鬼太郎」の前身作)で、鬼太郎が誕生した時、死んだ父親の目玉が落ちて鬼太郎を見守っている……という設定があったんだね(^^ゞ。

何かそういう、親の愛情みたいな霊的パワーが宿っている……という意味で「不思議な出来ごと」を記念して、はがれ落ちた部分を「目玉石」と名付け、参拝者が触って力を得られるように、壁に設置した台に置かれていた。

↓「目玉石」と、沢山の御賽銭。
妖怪念力棒→
願い事を書くと護摩供養を得られる。

「妖怪神社」を出て最初に会うのが、この「ろくろくび」。一風変わった横長・洞窟型の中で、天井に頭をつかえていた(^_^;)。。

「飛頭蛮(ろくろくび)」は大抵が女で、喉に紫の筋がある。昼間は普通だが、夜だけ首がのび、体は寝床で、首だけ鴨居の上に乗せて寝たり、獲物を求めて行き、寝ている男や、小屋に繋がれた馬の股間から精気を吸い取る。昼まで元気だった馬も、くたくたになって、使い物にならなくなる。

肥後に赴いた和尚が、民家に泊まって念仏を唱えていたら、民家の女房の首が抜け、窓の破れ目から飛び出したが、夜明けに首は元に戻っていたという。

首が伸びるタイプと、抜けるタイプがあるようだね。。

次回は「水木ワールド@山陰」の妖怪レポ・シリーズ最終回。
「水木しげるロード」(続き)の後、中継地点の米子や、奥さま・武良布枝さん(「ゲゲゲ」の配役名では「村井布美枝」だったね(^^ゞ)の故郷・安来(島根県)にも出て、無事帰国(^_^A)。
その後、去年は秋、北栃木〜南福島にも行ったんだけど、そこまでは無理かな〜!(笑)

以上、関連事項は、
2004年11月<芦ノ湖>内以降
2009年2月<立石寺(山寺)、仁王門〜三院〜三堂>内
2011年1月<まずは米子まで>以降


<つづく>

2011年02月19日
 
     






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