<掲示板・議事録>


     
  「城主のたわごと」2008-02(多賀城)2010-01(巣伏村の古戦場跡)


<Syoさま 2013/01/04(Fri) 10:09>

ここからは余談になりますが、ご容赦を・・
新春時代劇・白虎隊楽しみました。
こたつさまに紹介いただいた 北国の雄・アテルイも楽しみにしています。

こたつさま承知の清水寺にアテルイの慰霊碑があるのですが、アテルイが処刑されたのは、大阪枚方市牧野辺りと聞きます。
私のところから京阪電車で駅が6つ目ですかね。
田村麻呂は十数年にも及んだ蝦夷制圧戦での二人に敬意を持って恩賞を与え帰すつもりで
連れ帰ったのですが、田村麻呂の願いとは裏腹に処刑されたことで、
アテルイを連れ帰ったことを後悔し続けたと聞きます。
またチャンスがありましたら探訪してみたいと思います。

長々と失礼いたしました。。。/(^◇^;)



<こたつ城主 2013/01/05(Sat) 13:39>

>Syoさま、2(つづき)

私も今年はテレ東、NHKともに正月時代劇が凄く良かったです!
アテルイも良い出来だと嬉しいのですが……そろそろ録画予約できる時期になりましたね(笑)。
清水寺のアテルイ慰霊碑、Syo様のレポで拝見した時は嬉しかったです。処刑場の大阪枚方市牧野にも何かそうした物が建ってるのでしょうか。レポの機会を楽しみにしてます(^^)。
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2010/01.htm#a
↑だいぶ下の方になりますが、<巣伏村の古戦場跡(胆沢側)「田んぼアート」><巣伏古戦場「中陣・後陣」跡地><神明社(伝アテルイ居住跡)>と続き、最後の「神明社」で、アテルイの最期を書きました。
田村麻呂は奥地の蝦夷への呼び掛けにもアテルイの存在が不可欠と思ってたようです(;_;)。



<Syoさま 2013/01/15(Tue) 20:14>

こたつ城主さま、お寒うございます。
首都圏は積雪で大荒れのようですが、こたつさまは大事ないでしょうか・・
こちらは愛宕山、比叡山などは積雪していますが、市内は穏やかでございます。

さて、以前にこたつさまに申していました
大阪府枚方(ひらかた)市の牧野公園にある「阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)の墓」と伝えられている「蝦夷塚(えみしづか:首塚)」と片埜神社(かたのじんじゃ)を訪ねてきました。

こたつさまにもご覧頂いた清水寺の境内にも「阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)之碑(顕彰碑)」があります。
こたつさまに知らせて頂いたBS時代劇で仁でお馴染みの大沢たかお主演の「火怨・北の英雄・阿弖流爲(アテルイ)伝」(毎週金曜日20時〜 全4回・各43分)が始まり阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)の関心度が一気にヒートアップ・・(^^ゞ

こたつさまもご承知のように
今から1200年以上も前の奈良時代、東北地方で金が採掘された事がきっかけで朝廷が、本腰を入れて東北地方へ大規模な侵略を開始しました。
以来、数十年もの平安時代初期までの長きに渡る戦いは一進一退の攻防が続きますが、度々の朝廷の侵略に対して、蝦夷は地元の利を生かしたゲリラ戦を展開し善戦しました。

しかし、長引く戦いで郷土の豊かな自然や田畑、人民などの多大な犠牲に心を痛めて遂に時の征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の元に阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)は、同行を志願した500余人を率いて投降したと伝える。
二人は田村麻呂に従い平安京へ向かい、田村麻呂は朝廷に対して、二人の命を救うよう助命嘆願したが、
桓武帝始め朝廷は、「野生獣心反覆無定」助命すれば蝦夷は野獣の心を 持つ者たちだから、虎を野に放つようなものであるとして、聞きえ入れてもらえず、
延暦21年8月13日(802年9月17日)、阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)は河内国(枚方市)で処刑されたというのが当地だと伝えます。

処刑された夜、多くの都人が北東の空へ流れていく輝く星を見たと伝えます。
将門は首が飛び去ったのですが・・・(・・;)
きっと、ここから二人の魂が遠く離れた日高見に帰っていたのでしょう・・・
枚方市牧野と東北に地方に今も伝わるそうです。

詳細を記すコラムはまだ先になるかと思いますが(^^ゞ
掲示板に写真など紹介していますので 見るだけで結構ですのでお気楽にご覧あれm(__)m
http://6548.teacup.com/miyakoweb/bbs

初めて訪ねたのですが、地元の方たちによって塚の手入れと花が手向けられて手厚く綺麗に守り続けられている「阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)の墓」と伝えられている「蝦夷塚(えみしづか:首塚)」 に手を合わさずにはいられませんでした。合掌

蝦夷塚(えみしづか:首塚)を訪ねた事で「火怨・北の英雄・阿弖流爲(アテルイ)伝」も少し違った感情で鑑賞できるような気がします。(*^-^*)

「阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)の墓」と伝えられている「蝦夷塚(えみしづか:首塚)」を訪ねてきたご報告まで・・
長々と失礼いたしました。
極寒の昨今、どうぞ風邪など体調を崩されませぬように・・・



<こたつ城主 2013/01/16(Wed) 21:10>

>Syoさま

寒いですねぇ〜(*o*)。はい、大変な大雪となりました! この寒さの中で停電もあったようで、都内では車乗り捨てとか多数出たようで、大混乱だった模様ですね!
私は実は一週間ほど前、ちょいと捻挫してしまい、雪だと地面が凸凹して障るので、今はじっとしてます。そちらも積雪ですか。。お互い足元には注意しましょう!

おおお! 大阪枚方のアテルイの墓に行かれましたか!
「片埜神社」と言うんですねー。「蝦夷塚」!わお! いかにもそれっぽいですね!

はいはい、「アテルイ伝」、私も早速見ました! 何か四回ぐらい見ちゃいました!(笑)
ヒートアップされてますか(^^ゞ。私も意外と面白かったです(笑)。歴史として伝わってる内容からはだいぶ創作で間を繋いでますけど、話は変にひねった所が無くて、この先も楽しみです。
一個前の投稿で示した通り、「伊治公呰麻呂の乱」からシッカリ導入されてましたね!
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2010/01.htm
ドラマの最後が「伊治公呰麻呂の乱」です。あれに出てた「伊治城」も、↑に示した「えさし藤原の郷」にあった通りの場所に思えます(笑)。

アテルイについては、↑の通りなんですが、胆沢城に行く前に多賀城に行ってまして、
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2008/02.htm#f
↑アテルイより前の、600年代ぐらいからの東北の事を書きました(^^ゞ。

>処刑された夜、多くの都人が北東の空へ流れていく輝く星を見たと伝えます。
>将門は首が飛び去ったのですが・・・(・・;)

なるほど、そのような伝承が……。都の人にも鮮明な記憶となっていたのですね。
また後ほどゆっくりと拝見させて戴きます。本当に綺麗なお花。大事にされてますね〜。
Syo様も寒い中をお疲れ様でした。さぁさぁ甘酒など御一つ( ^^) _旦~~
アテルイとモレも、星空から凍てつく雪の大地を見下ろながら、一献重ね合っている事でしょう。胆沢の資料館で見た通り、蝦夷の社会でも農耕を営んでいた事がわかって来てますので、きっと陸奥の美味い地酒で(^^)。

ご報告ありがとうございました。
Syo様も、お風邪や怪我や食中毒などに充分にお気をつけ下さいネ(^^)。
 
     

     
  「城主のたわごと」2013-01(利根川〜松戸・上下毛編1)


<こたつ城主 2013/01/23(Wed) 18:09>

題名:「城主のたわごと」2013年1月

↑アップ出来ました! 宜しくお願いします!(^o^)ノ

※ 過去更新状況
12/23「城主のたわごと」2012年12月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<Syoさま 2013/02/08(Fri) 20:34>

こたつ城主さま、こんばんは〜
私めが登城させていただく時は、関東に降雪しているような気がいたしますが・・・積雪はいかがでしょう?(^▽^;)

<2013年・城主のたわごと1月>
本年の第一弾のレポ拝見いたしました。
おぉ〜百日紅の木から始まり見事な真夏の日没や〜
更に後続の車のプレッシャーをものともせず?
ヒュルルル〜パパンパン!!た〜まや〜 花火〜(^O^)!
夏の夜空に大輪の花を咲かせる花火も見事でござりますな〜\(●⌒∇⌒●)/
そのあとは、美味いものグルメと相変わらず、しかと要所を押さえておられますな〜(^_-)

権現古墳
古墳前の石塔11基は道標や庚申講として各所に建てられていたものを一同に集められたのですか・・猿田彦大神、青面金剛などの石仏神碑が壮観で権現古墳より存在感がございます。

こたつさまのレポに度々登場する手賀沼周辺じゃ〜
ガラス張りの明るいレストラントに天然温泉
白鳥だけでなくカワウに鴨にサギに・・・ニャンコまでおりますな〜 野生の王国か?!(^▽^;)

戦闘機? 機体に「陸上自衛隊松戸駐屯地 今日もありがとう!」と書いてあるのがいいですね〜(*゜▽゜)/
ただ、現役の飛行機に見えない気がしますが・・・
先の震災や天災などの災害復旧や尖閣警戒行動など
やっぱり▽ありがとう▽ ヽ(#^ー゜#)vですね。

次に・・
こちらでは三上山の大ムカデ退治で知られる藤原秀郷の城という伝説があるのですか
藤原秀郷は平将門を討伐した方でございますな・・
更に木枯らし紋次郎の三日月村があるんですね。
あっしには関わりのないことでござんす?!と言って
長い楊枝をフッと吹いてたな〜 それがまたピシッと狙った所に刺さってましたね。(^▽^;)

最後は新田義貞・挙兵の地まで
北関東もバラエティーに富んだところでございますね。
これだけ書きましたが
リンクされている親鸞聖人と浄土真宗などとっても参考になりました。
親鸞さんは京・伏見日野の出身なので関心があるのですが
「四体仏」の「欽明」「用明」の両天皇と「聖徳太子」、そして「親鸞」の四仏や親鸞と聖徳太子に関しての説明も勉強になりました。
また浄土宗と真宗・時宗などもよくわかりました。
いつもながら、製作の資料や知識、手間が半端ないなと感服しております。

暦の上では春でございますが
まだまだ寒さ厳しい時節、こたつ家も風邪など召されませぬよう・・・ご亭主殿共にどうぞご自愛ください。

Ps.2月10日放送予定の『八重の桜』に
幼馴染が旅籠の女中役で出演しているとのことで
ご多忙とは思いますが、意識して見てやってください。
照姫やといいんやけど・・・(^^ゞ爆



<こたつ城主 2013/02/12(Tue) 20:20>

>Syoさま

Syoさま、こんにちは! 連休中、何やら出が多くてレス遅れてスイマセン!
雪と共に現れる。雪女か雪男か(笑)!少しは降ったでしょうか。「降るもハズれ降らぬもハズれ天気予報」が巷の声のようで(^_^;)ゞ

「城主のたわごと1月」ありがとうございます\(^O^)/!
去年も1月号は、夏の汽車ポッポ入道雲から始まり、最後に秋旅行編に突入となりましたが、今年もそんな塩梅でスタートと相成りました!
打ちあげ花火は、あんなに綺麗に写真が撮れるのは珍しいのです(#^.^#)。
毎年見に行きたいんですけど、子供の頃、車の渋滞が凄くて(>_<)。。恐らく今でもそうでしょう。なので最初から諦めてしまうのですが、それでも子供の頃は、家の二階ベランダから見れましたが、今は高い建物が増えてしまい……今でも高層ビルの高層階からだとよく見えるんでしょうが……ですから偶然ながら道ゆきに出会って、建物の合間から見渡せる場に粘れたのは、凄いラッキーなんです!

権現古墳、小さな盛り土に過ぎないんですけど、ああして庚申塔類が並ぶと古代王朝のお墓みたいですよねぇ(゚.゚)。
公園風ですが、団地の奥にあるんので、何となく入らない場所でした。でも古墳に庚申に道標と、古くからの生活臭が改めて感じました。

藤心の喫茶店や手賀沼の道の駅では、わりとヘルシーな食事を提供してます(^^ゞ。
特に道の駅のレストランは空と湖が一望で、本当に明るい雰囲気です(^^)。
手賀沼の周囲に来る人は、休日には子供とキャッチボールしてたり、スケボーの人も見掛けますが、殆どは散歩・ジョギング・写真・そして野鳥ウォッチングの人が多いです!鳥の種類に詳しいと、素敵な場なんだと思います(笑)。

>戦闘機? 機体に「陸上自衛隊松戸駐屯地 今日もありがとう!」
これ陸上自衛隊の航空機(http://www.mod.go.jp/gsdf/equipment/air/index.html)で調べたんですけど、色は黒く塗ったとして、形としても同型の物が無いような……(^_^;)。Syo様の仰る通り、現在使われてる機種ではないんでしょうね。
横に見えるもう一台の方は、「多用途ヘリコプター」というのが似てると思うんですけど。
救助や警備の活躍には、本当にお礼を言いたいですね(^^)。



<こたつ城主 2013/02/12(Tue) 20:21>

>Syoさま、2(続き)

「藤原秀郷の作った城」と伝承される城跡は、さすがは地元という感じで、栃木には少なくないですね。
大抵は藤姓足利氏や小山氏・佐野氏といった秀郷の子孫の中でも大豪族や、それらの支流の築城ではないかと思いますが、城の謂れの最初には、必ず「藤原秀郷」の名が冠されています(^_^;)。

木枯らし紋次郎は創作で、三日月村も再現テーマパークですが、新田は名所テンコ盛り過ぎて、行き切れませんでした(つД`;)。
そのかわり亭主が、この日の宿で木枯らし紋次郎の語り部分をネットで見付けてくれ、部屋で聞き入りました♪私も見た事はあるんですが、詳しい部分を覚えてなかったので、「近くに来たんだなぁ」なんて気分を味わいました(笑)。

新田義貞・挙兵地の続きは次回となりますが(^。^)、群馬は昔、長野や山梨に武田や上杉関連の史跡巡りに行ってた頃、「その周辺」という固定観念があったのです。
それが今回は、長年に渡り東北ツアーを極めて来て、東北の南、栃木の西という視点を持てて、改めてやって来ると、本当にバラエティーに満ちた所だと思います♪

前々月、たわごと11月号の親鸞の話も、また改めて再読して下さって、ありがとうございます!!
そうそう(^^)、親鸞さんは京の出身なんだな〜と、Syo様の所に行くと改めて認識します。
あと京都の観光ガイドブックなど見ると、法然の痕跡地が現在もなお信仰地として、他の寺社とは別格と位置付けられてる感じがします。
私ら関東の者から見ると、宗教の世界に入ったら、滋賀も京も讃岐も大きな違いは無いように思えてしまうんですが、摂関藤原氏の宇治における浄土文化の醸成と言い、京における浄土教の歴史は、格別に根の深く太い物なんだな〜と改めて実感する所であります。

節分は超えましたが、まだまだ冬は寒さが続きますね(>_<)。
Syo様も無理しすぎて遭難などされぬよう(笑)、お互い気を付けて冬を越しましょう!
 
     



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