<掲示板・議事録>


     
  「城主のたわごと」2009-01(下総3手賀沼南岸2・福島〜山形編1)、2


<北畠具顕さま 2009/02/21(Sat) 20:07>

たわごと読了。

いつも思うのですが「宗論ほど盛り上がれば盛り上がるほど、周りは面白いものはないな(笑)」と。

両大師が口そろえて罵ってるてのがねぇ・・・。
裏を返せば、それくらいイタイと頃を疲れた、のかもしれませんけど。
「師匠もおらんと、東北の山中にこもりやがって!!!」みたいなのをきくとねぇ(苦笑)



<こたつ城主 2009/02/23(Mon) 15:55>

>北畠具顕さま

土日おらなんで(^∧^)。
「城主のたわごと1月」ありがとですっ(^O^)。

最澄・空海の対照的な性格(姿勢)を炙り出す上でも、徳一とのやりとりは「そこに現われた絶好の第三者」みたく注目されるようですが(笑)、仰る通り、当時の仏教界においても、東国がどう見られてたのかも、同時に何となく伺い知れますね(^_^;)。。

東北においては、仏教の入って来る前からの流れと何となく融合してる感じもウッスラと感じ、元祖的な宗教心の野太さみたいのが伺い知れて、そういう地場から次々と質問を連発したってのも、なかなかに興味深いです(笑)。
 
     

     
  「城主のたわごと」2009-02(福島〜山形編2)


<こたつ城主 2009/02/26(Thu) 19:26>

題名:「城主のたわごと」2009年2月

↑アップしました〜宜しくお願いします(^^)。

※ 過去更新状況
01/29「城主のたわごと」2008年1月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<小野寺維道さま 2009/03/06(Fri) 01:23>

どうもです。

先日はありがとうございました。楽しく散策できました。

立石寺拝見しました。慈覚大師の本が出されてので買おうと思ったのですが、高くて買えません(泣)。
http://www.koshi-s.jp/shinkan/090115_2-shinkan.htm
とても気になるのですが・・・。

日吉神社、実は行ったことがあります。比叡山の麓にあります。本家は「ひよし」と読ませますが、「比叡」の「ひえ」をあらわすようですね。
近江商人、先日もお話が出ましたね。スゴイです。

比叡山根本中堂の法灯の話はテレビでやってました。山寺から分けてもらって1300年間燃え続けているとかいってました。コレでしたか。ふむふむ。

レポ見て山寺に行きたくなってしまいました。

また次回楽しみにしてます。



<こたつ城主 2009/03/06(Fri) 20:31>

題名:明日か明後日

↑おらぬかと〜毎度(^^ゞ。

※ 過去更新状況
02/26「城主のたわごと」2008年2月
01/29「城主のたわごと」2008年1月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を


>小野寺維道さま

先日は何から何まで、本当にお世話になりましたm(__)m。
予想より遥かに盛りだくさんで、そうそう、近江や霊山や色んな話が出ましたねっ(笑)。
私達も一日、タップリと楽しさを満喫しました(^O^)。

本、高いですね〜(>_<)。ご希望の内容に則してるか判りませんが、立石寺の寺伝では、天童の方に、慈覚大師のお供衆が6人居住した事が伝わってるそうで、この人達も磐司磐三郎と同じく下野国の、それも慈覚と同じ三毳の出身か、比叡山の坂本出身ではないか、と推測されてました(^^ゞ。

ただ「日枝神社」については、元は習合されてましたから、立石寺としては厳密には「慈覚の頃は、釈迦・薬師・阿弥陀の三尊だった」という事にも思えます(^_^;)。
つまり「山王権現」は江戸期の言い方で、「日吉神社から」というのも、明治以後の神仏分離につれて出て来る話なのかもしれません。

ただ、慈覚の6人のお供衆達は麻を植え、布を織っていたと伝わり、立石寺縁起にも、慈覚大師が麻布3000反を朝廷に献上した記録が残ってるそうです。
これはそちらで書いた方が良かったかもしれませんね(^^ゞ。よく麻につれて、渡来系の話が取り沙汰される事があるので(笑)。

何しろ立石寺と下野国の関係は、古くに遡れるように思いました。
立石寺は厳密に言えば「慈覚自身が開祖ではない」という説もありますが(^^ゞ、東北の多くの寺社は天台宗が元祖で、その初期に慈覚の弟子達が伝道した事は確かでしょうから。

根本中堂の堂内ちょっと憚るムードだったので写してませんが、「不滅の法灯」は、入口からしてド〜ン!と書いてあって、立石寺で重要な伝承なんだな〜と思いました。
でも比叡山(延暦寺)の話をやる時にも出て来るんですね(まぁ、そうでしょうね(^_^;))。



<林 光明さま 2009/03/09(Mon) 20:29>

「たわごと」拝見しました。
>お賽銭の前の布袋サマ
なんかツヤツヤしていて、思わず自分もさすりたくなるような布袋サマですね(笑)

>不滅の法灯
比叡山の法灯の方は見に行ったことがあるのですが、不滅の法灯の伝灯は、当時の関東天台の重鎮だった天海和尚が肝いりしたのかもしれませんね。
まあ、何にせよ、平和の象徴が残っているっていうのは良いことですよ。

根本中堂は6割がブナ材ですか…ブナは建築材としてはどちらかと言うと不向きな木材なのですが、きっと当時の山林のあちこちに巨木が林立していたんでしょうね。非常に興味深く思いました。

それにつけても五大堂のパノラマ、すごいですね。こういうのを見ると、私も行きたくなります。
なんとかと煙は、高いところが好きなものですから(笑)



<YORIさま 2009/03/09(Mon) 20:57>

こたつさん、こんばんは〜(^。^)

城主のたわごと、拝見しました。
立石寺、いつ拝見しても本当に懐かしいです(^_^)v
でも今となっては、家内とあの急な山道や石段をひたすら登った記憶ばかりが強く残っていて、細かい所はほとんど記憶に残っていないんですよね(^^ゞ…ははは、情けないでしょ〜?!(笑)

でもこたつさんのレポートを読んで、はじめて知る事柄がいっぱい出てきました。
こたつさんは、隅々までいつもきちんと写真を撮ってるな〜!と感服しました(笑)

ここでも麻賀多神社で話に出た「祓戸大神」の事が出てきましたねヽ(^o^)丿
こたつさんのレポートを読んだ事もあって、麻賀多神社には一度ゆっくり行ってみたいと思ってるんです(^^♪
(実は最近、麻賀多神社のすぐ近くまで行く機会があったのですが、その時は残念ながら行けなくて…涙)

「姥堂」に祀ってある石仏?、確かに恐い顔してますね(笑)
そうそう「恐い」で思い出しましたが、、、
「納経堂」と「開山堂」へ向かう道も高所恐怖症の私にとっては恐かったです。
写真で見るだけでも恐いですもんね〜^_^;

それから、円仁(慈覚大師)の遺骸を安置したと伝えられる入定窟。
たぶんそれに違いないと思うのですが、以前訪ねたとき「何だろう?」と思って中を覗いたような記憶があります(笑)
でもその時は中が暗くてハッキリ見えなかったような・・・こたつさんもひょっとして覗かれましたか?(笑)

>山形と言えば、やっぱ芋煮よねっ!!(≧▽≦)

おっ!芋煮!!いいな〜♪美味しそう!!
私は残念ながら食べれなかったんです〜(笑)

ところで、山寺ワインのお味は如何でしたか〜?(^^♪
 
     

     
  <こたつ城主 2009/03/10(Tue) 18:05>

>林 光明さま

「城主のたわごと2月」ありがとうございます〜♪
ツヤツヤ布袋サマのお迎えで、まずニッコリしてしまう山寺でした(笑)。

比叡山・延暦寺は滞在時間が短かったものの、私も行った事あります(^^ゞ。
天海は、次回アップ予定の羽黒山で絡んで来ますが、山寺では、「明治の神仏分離で、羽黒(出羽三山)は神社に、立石寺(山寺)は寺にそれぞれ分かれた」という話で、その感触から羽黒と山寺が「同じエリア」と受け取れたので、羽黒に影響を及ぼした天海が、立石寺にしてる可能性はあると思います(^^ゞ。天台宗ですしね。
天海には色んな説が混同してますが(笑)、一応陸奥出身という説もあり、幕末〜維新の頃に日光東照宮の神像を移した背景にも、何か繋がる面があるのかもしれませんね。

ブナ材というのは珍しいんでしょうか(^^ゞ。わざわざ材質をあげて「日本最古」と書かれてたので、私も「そういやあまり聞かないような(゚.゚)?」と思いました(笑)。

山寺は、根本中堂のある平地あたりでは普通の大きなお寺なんですが、山の石段を登り始め途端、やたらとスゴイんですよ(^_^;)。ロープウェーとか車道で一気に行くのではなく、途中のだんだん変わって行く風景が体感できる所が良いです。
写真では今イチかな〜と思いましたが、確かに五大堂の出て来る辺り、「いつの間にこんな所に(・・;)」という雰囲気になってる感じがします(笑)。
アクセスが大変でしょうが、林さまも山形か宮城にいらっしゃる折には是非(^^)。


>YORIさま1

「城主のたわごと2月」ありがとうございます〜♪
東北旅行も何だか三年連続になっちゃいましたが(笑)、その最初の頃でしたかね、YORIさまが立石寺にいらしてるのを見て、「あ、そうそう、東北行くなら山寺行かなきゃ」と自然〜に思ったまま、結局行っちゃいました(^^ゞ。

>でも今となっては、家内とあの急な山道や石段をひたすら登った
>記憶ばかりが強く残っていて、細かい所はほとんど記憶に残って
>いないんですよね(^^ゞ…ははは、情けないでしょ〜?!(笑)

いやいや、よぉ〜く判りますわ!(笑)
行ってみたら意外とスイスイ登れちゃって、さすがに子供の頃とは違うな〜とは思いましたが、あそこは登るのが大変とか言うより、何しろいったん山に入ると、とにかく黙々と上に上に登るんです(^_^;)。下手に止まると後ろから来る人に迷惑ですもんね。
ただ子供の頃、頂上近くに来た時には殆ど喋らなくなるほど、「まだあるの〜?」と思った覚えがあるものですから(笑)、登っては休みながら慎重に進みました。
後続の人に道を譲って、ちょっと脇に逸れ、一呼吸つくたびに撮影という感じで(^^ゞ。



<こたつ城主 2009/03/10(Tue) 18:07>

>YORIさま2

麻賀多神社の近くまで、というのは、こないだ佐原にいらした時でしょうかね(^^ゞ。
あの辺り、うなぎ屋も美味い店があるので(笑)、香取鳥見神社ですか、おいでになる時には、ちょっとお知らせ頂けましたら〜♪
もうちょっと地元の事に詳しくなるといいんですが、なかなか灯台下暗しとやらで、あまり役に立たないと思いますけど(^_^;)。。

「姥堂」の「奪衣婆」はマジでスゴイ顔でした(^_^;)。
登るのに必死で、ここを通った時には謂れをあまり気にしてなかったのですが、後で振り返ると、いかにも「ここで脱いでけ〜!」と言われてるような(^_^;)。。

「納経堂」「開山堂」「五大堂」の三堂がある辺りは、特に五大堂が飛び出ていて、私も登る前に麓から見て「ホントにあそこに登るんか?」とビビッてました(爆)。
何しろあまりにスゴイ断崖なので、「東宮記念殿」から続く道になると、亭主は全く平気な様子でしたが、私は端っこあたりで足がすくんでました(^_^;)。。
「入定窟」は「納経堂」の下にあり、どうも崖の裏側っぽく、ガイドにある写真で見る限り、丸っきり崖の向こうからしか見えない具合に感じるんですが、もしかして「開山堂」に上がりこんで奥を覘くと、ちょっとでも見れるんでしょうか(^^ゞ。

芋煮、実はウチのすぐ近くでも食べれるお店があるようなんです〜!
やはり山形出身の方がやってるお店のようで……。今年の「天地人」の宣伝番組でも盛んにやってたので、そのうち関西でも……無理かなぁ〜(^_^;)。
山寺ワインは、ちょっと高級な味で、高かったけど美味しかったですよー!



<北畠具顕さま 2009/03/13(Fri) 23:46>

たわごと読了。

蝉の声のお寺ですね。
「山寺」と聞くと「猫を毬代わりにした坊さんの歌」が思い出されてしまうのですが、あっちは一般的な山のお寺でスモンね(笑)。
東北行ったことはありますが、「中尊寺」しか言ったことないんですよ。
うらやましいお話でした。

それにしても、斯波氏てのは一族内紛の絶えないおうちですね(笑)。
本家も分家も喧嘩ばっかりって感じです。



<こたつ城主 2009/03/15(Sun) 06:41>

>北畠具顕さま

「城主のたわごと2月」ありがとうございます〜♪
蝉の声が聞こえたかどうか……階段上りに必死でこれまた記憶にないという(爆)。
ウチに帰ってからは、10月だったかな、まだ蝉の声が聞こえて驚いたりしたものですが、山寺はわりと寒かったです(^_^;)。
中尊寺も子供の頃に行きました。立石寺と同じ時だったかも〜?(笑)

斯波氏は特に応仁の乱が全国版なので、そこで目立ってますよね(^_^;)。あと信長が出て来る頃にまた言われ(笑)。
東北では、特に山形県に入ると、どこ行っても斯波氏の名が出て来ます。
それほど出羽の南北朝以後の歴史にとって母体的な氏族でして、山寺の火災を取り巻く状況説明としては「最上諸族の争い」とあるので、そのように記しましたが、ザックリ「最上地方の諸豪族」と読んでおくのが無難かもしれません(^_^;)。
 
     


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