<掲示板・議事録>


     
  「将門雑記(風と雲と虹と)」47〜52


<こたつ城主 2009/01/19(Mon) 16:49>

題名:「将門雑記(風と雲と虹と)」47〜52話(最終回)

↑アップしました〜昨日です(^^ゞ出してスグ外出したぁ〜(笑)。
「作品の広場」に入ってます〜♪

「将門雑記(風と雲と虹と)」47〜52話・関連事項
「城主のたわごと」2008年10月<石岡市「常陸国府跡」>以降

※ 過去更新状況
12/26「城主のたわごと」2008年12月
12/15「作品の広場」の「将門雑記(風と雲と虹と)」40〜46話
(↑関連事項「城主のたわごと」2008年10月)
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<林 光明さま 2009/02/07(Sat) 22:46>

どうもお久しぶりです。加賀の林です。
「将門雑記」最終回、本当にお疲れ様でした。
中でも特に興味深かったのは、将門は元々祟り神とはされていなかったことでした。

特に気になったのが、
>@鎌倉幕府執権5代・北条時頼が赦免を得て慰霊を許可した、建長5年(1253)。
>A鎌倉末、時宗遊行二代・真教が将門を供養した1303年。以後、芝崎道場(現・神田明神)。

このあたりの時期、なんか突然に慰霊や供養が出てくるので、なんか祟りかご託宣らしきものがあったのかな、なんて思ってしまいました。
実際、時宗の教義から言っても、将門供養なんて非常に珍しいことだったと思います。 こういう部分、とても興味深く感じました。



<こたつ城主 2009/02/08(Sun) 06:20>

>林 光明さま

「将門雑記」ありがとうございました〜☆ミ
お蔭様で、最後まで何とか行けました(^^)。
また「風と雲と虹と」は、時代劇専門チャンネルですが、03/18から再々放送が決定しました♪

時宗の真教の名を林さまの「加賀一向一揆」で見掛けたのは、もう2年前でしたっけ(^^ゞ。
今回はちょっと違う視点から述べたので外しましたが、時宗に繋がると言われる空也が慰霊に関わっている、という伝承もあるにはあるようです。

が、祟りについては、実際かつ具体的に言われ出したのは、明治以後〜戦後らしいんです(^^ゞ。
ただそれだと、あまりに間が空き過ぎてしまうので(^_^;)、遡ってみた過程で、私も鎌倉中〜後期ごろ、ホントに何かあったのでは……と思いました(笑)。
これ言うと、「将門雑記」に書いた事とは矛盾してしまいますが……、
「いやいや、ホントに何かあったのかもしれないよ〜(^。^)」(爆)

ただ真教については、家康の先祖の世良田親氏が鎌倉の北条氏に背き、信州で浪々して真教の得度で「徳阿弥」と号し、芝崎道場と神田明神に参詣して「徳川」の家名を授かった、という伝承がついてるので、この辺りにもちょっと何か感じてみながらまとめてみました(^^ゞ。
 
     

     
  「城主のたわごと」2009-01(下総3手賀沼南岸2・福島〜山形編1)


<こたつ城主 2009/01/29(Thu) 19:39>

題名:「城主のたわごと」2009年1月

↑アップしました〜宜しくお願いします(^^)。

※ 過去更新状況
01/18「作品の広場」の「将門雑記(風と雲と虹と)」47〜52話
(↑関連事項「城主のたわごと」2008年10月)
12/26「城主のたわごと」2008年12月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<小野寺維道さま 2009/01/31(Sat) 01:52>

どうもです。
たわごと拝見しました。

「恵日寺(慧日寺)」
昔本で読んだのですが、藤原不比等のお兄さんは僧で「定恵(定慧)」とか言っていたような気がします。
字が似ているなと思いながらよんでました。
徳一さんは藤原氏のご出自でしたか。



<こたつ城主 2009/02/01(Sun) 02:54>

>小野寺維道さま

「たわごと1月」の方も、早速ありがとうございます!
不比等のお兄さんそうでしたね。ま、出自については、慧日寺では慎重に「確証はない」としてます(笑)。
徳一は筑波山にも寺を建立してるんですよね。前に筑波山に行った時、ロープウェー乗り場で……霊水だったかしら、やはり大きな看板が出ていて目をひきました。
こちらもやはり廃寺だったかと思いますが、こっちの再建はどうなのかな〜(^_^;)。



<林 光明さま 2009/02/07(Sat) 22:46>

どうもお久しぶりです。加賀の林です。
「たわごと」も拝見しました。
阿夫利神社の神楽殿、おそらく二間四方程度の大きさじゃないかと思いますが、初期の猿楽能の舞台もこの程度の大きさだったんだろうなあと思いました。
舞台の大きさとしては現在の能舞台の半分くらいの大きさですね。

慧日寺の復元金堂は、赤と緑と白のコントラストが、学生時代を過ごした奈良の寺院を髣髴とさせて嬉しかったです。
それと、屋根の葺き材についての説明も、詳細でとても参考になりました。有難うございます。



<こたつ城主 2009/02/08(Sun) 06:20>

>林 光明さま

「城主のたわごと1月」も、ありがとうございます!
私も「古い猿楽能の舞台ってこんな感じ(^^)?」と林様に視線を送りつつ(笑)。
千葉にも伊勢流の神楽が伝わってる件は、そちらでも書いてはみましたが、やはり現物を見て頂く方がわかりやすいですものね(^^ゞ。
はい、大きさはあんな感じで、楽音も同じ舞台上で奏でられてました。なかなかスピード感もあって、昔、出雲大社で見た神楽舞を思い出しました。

慧日寺の復元金堂は、私も昔の建築物は詳しくないんですが(^_^;)、私のような素人にも判るように、資料館のパンフやビデオで丁寧に説明がされていました。
特に、風土を検討して材質や組み立てを選定してる点などは、今後こうした再建物を行なう場合の考証に、一石を投じてるかもしれませんね♪



<YORIさま 2009/02/14(Sat) 00:37>

こたつ城主さん、こんばんは。
無沙汰しっぱなしで申し訳ないです(^^ゞ
今日は関西では大荒れの天気で、夜になってからは嵐のような風雨になっております。 春一番なのかなあ?^_^;

城主のたわごと、ゆっくりですが拝見させて貰っております。
阿夫利神社のお祭のようす、賑やかな声が今にも聞こえてきそうですね(^。^)
神輿を地面に落とすと言うのが凄いなと思いました(゜o゜)
神輿同士をぶつけ合ったりとか、お祭りなどの神事ではこう言った激しいのが多いですね。

福島〜山形のレポートもいよいよ始まったんですねヽ(^。^)ノ
慧日寺の事は詳しく知らなかったんですがとても勉強になりました。
しかしすごい勢力のお寺だったんですね!
磐梯山慧日寺資料館に行けば慧日寺の盛衰がよく分るんですね。私も一度行ってみたくなりました(^_^)

山寺、一度しか行ったことがないのですが、懐かしい思いがよみがえってきました(笑)
そうかあ、こたつさん達は山寺の麓で泊ったんですね。
こんな神聖な土地で休養できたなんて羨ましい〜〜(笑)
肉や魚もいいけど、たまにはヘルシーな山菜料理も良いですよね〜(^^♪

今回も知らない事が多くてすごく勉強になりました。
そしてとても楽しく拝見させて頂きましたよ。
では次回続きも楽しみにしてます♪(^。^)



<こたつ城主 2009/02/16(Mon) 18:20>

>YORIさま

土日おらなんでスイマセ〜ン!(^∧^)
ウチの方も急にスッゴイ温かくなりましたっ。物凄い気温差で体温調節が変になりそうです(笑)。大風も吹きましたよっ。窓開けてるとブンブン物が飛んでしまい〜(汗)。。

「城主のたわごと1月」ありがとうございますっ(^O^)。
ダンジリとか御柱祭りとか、怪我人が出そうな激しい祭りが各地にありますが、神輿そのものを叩き落すというのは私も知らなかったので、前の週に現地の方に聞いた時は、「その瞬間は境内の奥まった場所で、人目を避けてやるのかな〜(^^ゞ」とか思ってました。 それが目の前で「ドッスーン!」ですからねっ。「ホントに聞いた通り(・・;)」とビックリでした(笑)。

>神輿同士をぶつけ合ったりとか、
そうそう、あと神輿を担いで練り歩く道筋、日頃から金を溜め込んでるとかで評判の良くない家にぶつけて、わざと壊して「祟り」って事にするとか、小泉八雲も書いてます(笑)。

福島〜山形レポもありがとうございます〜♪
私も「そんなスゴイ勢力だったんだ(゚.゚)」と思いました。
会津に越後の城氏と結んだ僧兵の一大勢力があったと知ると、奥州藤原氏がいつの間にか栄え、いつの間にか滅んだ、という印象がある中、ボンヤリながら地勢図が少しは埋まったような気も(^^ゞ。
慧日寺の再建は長い時間がかかるかと思いますが、だんだんと在りし日の面影に近付いていく事を思うと先が楽しみですね。はい、YORI様も一度ぜひ(^^)。

そうそう、YORI様が立石寺の話をされてた頃から、ウチでも亭主とよく山寺の話をしてたんです♪
そちらで立石寺の写真を拝見した時も、「関西から行ったんだ〜(゚.゚)」と感心してました。 私らは、泊まった宿の目の前が山寺だったので、夜じゅうベランダから、闇の中にウッスラとそびえる山が見れて、凄く良い気分でした。
私らは山菜や川魚料理が大好きで(#^.^#)、そういうメニューだと、ちょっとお安くなってる宿が多いのも嬉しいです〜(爆)。似たような感じでも、精進料理になると、また別料金だったりしますがね(^_^;)。。
 
     


ホーム