<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」2009-03(福島〜山形編3)

     
  <こたつ城主 2009/03/26(Thu) 19:35>

題名:「城主のたわごと」2009年3月

↑アップしました〜宜しくお願いします(^^)。

※ 過去更新状況
02/26「城主のたわごと」2008年2月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<YORIさま 2009/04/02(Thu) 22:00>

こたつさん、こんばんは(^^♪

城主のたわごと、「福島〜山形レポ第三弾」拝見しました。
いよいよ山形城が登場しましたね♪(^。^)
ヤッタ〜!見てみたかった〜(笑)

北畠神社の祭神には、猿田彦神がいるんですね。
実は縁あって、伊勢神宮の「猿田彦神社」に今年行ってきたばかりです。
道案内の神様で、天狗のようなお顔をされているそうですね(笑)
ところで、13号線の左の写真、車が走っていると道路の模様がとっても幻想的に見えますね(^。^)

山形城、まだ行った事がないんです(^^ゞ
いつか行ってみたい城です。
城址には桜の木もあるのかな?桜が似合いそうな雰囲気です。

光姫の子の義春の話、面白いですね。
いったい本当の父親は誰なのかな〜?ヽ(^。^)ノ
私も義春のことをもっと知りたくなりましたワ。

長谷堂城にも行きたくなりました。
今人気?の直江兼次が活躍した城ならば、若い女性も訪れる人が増えるのではないでしょうか(笑)

最上義光はやっぱりすごい武将だったんですね!
もし天下を取っていたら、それこそ300年続く「最上幕府」?なんてのを開いた事でしょうね♪!

松山温泉も良さそうですね!料理が美味しそうだなあ〜♪
温泉の写真、場所柄なかなか撮れないですよね(笑)
私も温泉に行った時など、何とか湯船の写真を撮りたいのですが、やっぱり難しいですね(笑)

清河神社の所も興味深く読ませてもらいました。
俵藤太の子孫の屋敷跡や、義経伝説があると言うのが山形ならではと言う感じがします。

出羽三山の羽黒山のレポートでは、霧に包まれた神社がとても神秘的で幻想的ですね(*^^)v
定年迎えたら(いつの話?笑)、私も絶対に訪ねてみたいなと思いました(^。^)



<こたつ城主 2009/04/03(Fri) 21:35>

題名:明日か明後日

↑おらぬかも〜毎度(^^ゞ。


>YORIさま

こんにちはー「城主のたわごと3月」ありがとうございます〜!
今回は何となく道案内の神様ルートでしたが(笑)、天狗と言えば、羽黒の能除上人の顔も異形で、さすが修験&山岳仏教の地という感じで、はい、かなり萌えました(爆)。

そうですね〜雨や霧の影響もあるかもしれませんが、何か移動途中の風景まで幻想的と言うか、何とも捨てがたくて(^^ゞ、今見ても、また行きたくなっちゃいます♪

ところで山形城がお目当てだったんですね(゚.゚)。20年以上前に行った時には、石垣だけの広場だったんですが、その頃のお城の本にも、確か桜の写真があった気がします(^^ゞ。
今度行ったら、さらに大手門が出来てて、パンフレットの写真でも、城郭を囲む桜の花と背景の真っ白い雪の山脈が美しく、まるでお菓子で出来た城みたいです!!

光姫が山寺に行った理由は「一番優れた霊場と考えたから」て事らしいですが、その合間に、イキナリ史上人物の実名が出て来ると、「何があったんだろう(^_^;)」とか「子供を生んでから行くワケには行かなかったのかな」とか、妙に気になりますよね(笑)。

今回は羽黒に出るのに、どうせどっかから高速に乗らなきゃいけないから、山形にもちょっと寄ろうか(^^ゞという考えだったので、山形城しか行かなかったのですが、城下町なので、周辺の寺や神社や博物館を廻れば、長谷堂城の戦いも最上義光の事も、もっと詳しく判ったのだろうな〜と思います。
(今年の大河でも、少しは取り上げてくれるのかな〜?)

松山温泉は今回取った宿の中で、一番どういう宿かよく判らなかったのですが(^_^;)、行ってみたら大きな宿泊施設で、料理も温泉も凄く良かったです(笑)。
温泉の写真ですけど、よく専門にアップしてくれるサイトを宿泊前の参考にさせて貰うのですが、これ個人でやってる人って、よほど苦労して撮ってるんだろうな〜と、私もつくづく感謝します(^_^;)。やっぱ目で確認しないと雰囲気つかめませんからね〜。。。

清河も、これまた山形と同じく、「周辺も色々ありそ〜(≧▽≦)」と思う良い場所でした!
義経伝説は東北じゅうによくあるんですが、奥州藤原氏の子孫伝承とかまでなると、ちょっと足を伸ばさないと出会えない印象があるものですから、わりと感激したり!(笑)

羽黒山は、写真では今イチ伝え切れてないかもしれませんが、もぉ実に神秘的で、これは本当に感動しました!
出羽三山は範囲がデカイですから(^_^;)、「初めてなのでちょっと行ってみるだけ」と思ってましたが、あれにハマッて、三山修行のツアーに何度も行く人の気持ちが、ちょっと判ってしまったり(笑)。



<小野寺維道さま 2009/04/07(Tue) 22:32>

ご無沙汰です。

旅行記拝見いたしました。
山形城、羽州探題のお城だけあり立派ですね。
別称が「霞城」でしたか。初めて知りました。
「霞」とか言う名前を別称にもつ城は多いですね。
「鶴」も多いですか。
宮城に「計須見(けすみ)城」と言うのがあり、「霞城」とも書くようです。少し訛っているのかな?今度見てきます。こちらもきっと霞がかっているかも知れません。

清河八郎。
こんな人でしたか。ありがとうございます。
名前だけは聞いたことがありましたが、どんな人だったかまでは知りませんでした。
江戸で安積艮斎に付くとはなかなかエリートですね。志士たちの経歴や日記に艮斎の名前をよく見かけます。
道半ばで世を去ってしまいましたが、維新まで残っていれば、数少ない東北出身者として新政府の要職に就いていたことでしょう。残念です。
ここの記念館も、行ってみたいですね。



<こたつ城主 2009/04/08(Wed) 18:37>

>小野寺維道さま

こんにちは〜「城主のたわごと3月」ありがとうございます(^O^)。

>宮城に「計須見(けすみ)城」
ほぉほぉ(゚.゚)、なるほど訛りというのはあるかもしれませんね!
霞の名の城は多いですか。「霞んでる」と言うと存在感が薄いみたいな感じするけど、お城に霞がかかるのって何か縁起がいいんでしょうかね(^^ゞ。
山形では霞は無かったのですが、羽黒に言ったらすんごい霧で、確かに神がかりっぽいムードは濃厚でした♪

山形城の別名「霞城」は、音だと「かじょう」なんですけど、羽黒に行くと「霞状」ってのが出て来るですっ(笑)。
これは別当が、山内の山伏の在庁職権限を保証する発給文書で、その認める勢力範囲の事を「霞場」と言うようです。多分これも「かじょう」じゃないかな〜と(^^ゞ。
だから山形城も、もしかしたら語源は「霞場」だったかな〜なんて思ってみたり(笑)。

清河のある庄内は、よく小野寺さまのお話にも出て来る場所ですね(^^)。
最上川が素晴らしかったです。でも、あの辺りは移動距離が結構スゴイので(^_^;)、途中に寄ってゆっくり見学というのも、なかなか時間が許さないですよねぇ。。
幕末は短い期間に大勢の人が出ますが、その中でも吉田松陰と同い年で、比較的早い時期かな。新選組の旗上げの頃、切った張ったの人が出て来る中、お勉強も大層出来た人だったのですね。庄内は結局、戊辰で降伏組になっちゃうのもあって(^_^;)、地理的にはポツンと一人離れてますが。。
 
     

     
  <まさのすけさま 2009/04/10(Fri) 09:04>

こたつ城主様

大変ごぶさたしております。
城主のたわごと拝見しました!
僕も昨年、山形に行ってきました!
で直江兼続や前田慶次が詩を奉納した場所で有名な亀岡文殊に行った際に、偶然特別に直接手に触れて閲覧出来る事に。しかも撮影許可まで頂けました。

なんか感動ものでしたぁ!



<こたつ城主 2009/04/10(Fri) 21:05>

題名:明日か明後日

↑おらぬかも〜毎度(^^ゞ。

※ 過去更新状況
03/26「城主のたわごと」2008年3月
02/26「城主のたわごと」2008年2月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を


>まさのすけ様

お久し振りです〜ご無沙汰してます〜お元気そうで何より(^^)。
山形は今、旬なんですかね(笑)。
亀岡文殊……米沢よりちょっと北の方ですね……m(。。)m<検索



<北畠具顕さま 2009/04/14(Tue) 22:52>

たわごと読了。

最上か・・・・、やっとわかるのが出てきた(笑)
政宗のおかげでちっとばかり損な役回りばっかり
回されてる気がしますが(笑)
この人も親父と喧嘩し息子と喧嘩し、娘を嫁に出したら殺されて、波乱万丈なお方でしたねぇ。

清河さん、あの人って大概えげつなく書かれるでしょ。
なに見ても謀略家みたいにかかれてますからねぇ。

蜂子太子。
恐ろしい顔してるでしょ。これでもかってくらい(笑)。
お墓は宮内庁管理になってるのですか・・・。
そういえば、一休さんのお墓も宮内庁管理で入れなかったりしますよねぇ。
どこまで広げる気なのだ、宮内庁(笑)と心配になったりします。



<こたつ城主 2009/04/15(Wed) 18:53>

>北畠具顕さま

>最上か・・・・、やっとわかるのが出てきた(笑)
「山形城」の前に、「北畠神社」出してるのにさっ!(笑)

最上氏も清河八郎も、ちとダーティなイメージで描かれますかねぇ(笑)。
最上に関しては、義光までかなり衰退してたんですねぇ(^_^;)。。
義光の代に急に名が出て来て、伊達なんか政宗までにも続々出て来るんですが、政宗の頃には、伊達と最上ばっかりという感じも(笑)。
娘は駒姫ですね〜丸でこっから暗くなったかに受け取られがちですが、その後の関ヶ原で、ド〜ン!とデカくなって……収拾が取れなくなったんかなぁ〜とか(^_^;)。。
清河八郎は……えげつなくはないですが(爆)、謀略家みたい暗くないと言うか、むしろ目立ちたがりって感じかなぁ(^^ゞ。そんな時代でもあったでしょうが(笑)。

>恐ろしい顔してるでしょ。これでもかってくらい(笑)。
自分で「能除+蜂子皇子」やってみた(≧▽≦)!
ホテル八乙女:http://www.yaotome.co.jp/legend/
↑下の方の真ん中ですね。今だとユニークと言えなくないけど、昔は恐かったんじゃないかな〜って御顔ですわよねぇ(^^;)。。いつごろ描かれた絵なんだろう。。
墓は博物館の傍にあるようで、はい宮内庁の管轄になってます(^^ゞ。だから墓と言うより「御陵」と呼ぶのが正式みたいです。
一休さんもそうでしたかっ(笑)。……で、皇子って「御陵」でいいんでしょうかね(^_^;)。。
 
     


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