<掲示板・議事録>


     
  「マハーバーラタ」


<たみいさま 2006/11/16(Thu) 21:45>

マハーバーラタ、
字は大きいし、分かり易いのに、
頭の中は、こんがらがったままで、(ーー;)。
ワヤン、美しいです、芸術品だと思います。
普通に市販されている物なら、壁に張ってもいいなぁ、なんて思いました。



<こたつ城主 2006/11/17(Fri) 19:50>

>たみい様

マハーバーラタ、ありがとうございます〜。
字は大きくても、登場人物が異常に多くて把握しにくいですよね(笑)。
古事記に比べれば、登場した人間が隈なく活躍する話ではあるかと思います。
ワヤンは、時々CMや海外紀行番組で登場するんですが、これもまた物凄い人形の数が多く(^_^;)、それでも一体一体がまさに芸術品なので、壁に貼ったりすると物凄く迫力ある飾りになります。そのくせ平面の強みで殆ど場所を取らない点が、特に秀逸です(笑)。
 
     

     
  千葉県柏の温泉♪


<こたつ城主 2006/11/23(Thu) 21:47>

題名:「今週のご挨拶とお知らせ」更新

↑しました。他に各議事録類。

あと今日から亭主が休みに入ってます(^^ゞ。少し出方が不定期になるやもしれません。



<たみいさま 2006/11/24(Fri) 09:59>

今週のご挨拶から:

>いや〜〜驚いた(^_^A)。こんな近くにそんなに効く温泉(ってか、そりゃ湯アタリだって話もあるが:笑)があるなんて。

バカ効き温泉と言う噂を聞いて、感動しておりましたが、
そうか、、湯アタリねぇ・・(^_^;)、アリかも。
しょっぱいと言う事自体、こたつむりには刺激が強過ぎだし〜。



<こたつ城主 2006/11/24(Fri) 19:56>

>たみい様

近場の温泉(柏市)はかなり塩分が強いので、「塩茹でになった」部分は否定しないです(爆)。
近いうちにまた行ってみます(^^ゞ。湯あたりも続けると効能になる事を信じて(笑)。
 
     

     
  「城主のたわごと」2006-10(箱根)


<小野寺維道さま 2006/11/25(Sat) 00:52>

先日の箱根旅行記でとりあげられていた、大高源吾の詫証文ですが、手前が先日購入しました旧佐倉藩士の依田学海が書いた「学海余滴」にも「大高源吾の詫証文」と言う項目がありました。「余滴」を何度も読んだのですが、古文体なので訳がわからず、こたつさんの旅行記の内容と読み合わせてみて理解できました。ありがとうございます。



<こたつ城主 2006/11/25(Sat) 21:09>

>小野寺維道さま

>「大高源吾の詫証文」

そちらで話しておられた佐倉の学者さん(?)の話ですね(^^ゞ。
そうなんだ〜(゚.゚)。あれって講談・戯曲で「神崎与五郎」にされてるようなので、意外と大高源吾ってのは、地元(箱根)あたりでしか案内されてない史実だったのかも?
役に立ったなんて、きゃ〜私の方こそ嬉しいです〜(#^.^#)。
 
     

     
  「城主のたわごと」2006-01(関宿)


<YORIさま 2006/11/30(Thu) 23:58>

こんばんは。
いよいよ12月=師走ですね〜(^^ゞ。世の中、気ぜわしくなりますが、身体に気をつけてあと一月を乗り越えましょう(^_^)v

先日、関宿城を見に行く事が出来ました。
こたつさんの旅行記を帰ってきてから拝見して、動物のモニュメント?があるのを後で知りました(笑)(^。^)
惜しいことしました!行く前にチェックしておけばよかったナ〜(笑)

で、簡単ですがちょっとレポってみましたので、またお暇なときに覗いて見てくださいね(^^♪



<こたつ城主 2006/12/01(Fri) 20:10>

>YORIさま

あい、12月は毎年忙しいんですわ(^_^;)。
毎年前倒しで忙しくなって行くんですが、今年はギリギリまで暇だったので(笑)、これからがぁぁ〜〜。。。

関宿にもう行かれたんですね(゚.゚)! おおおお。
そうそう奇妙な動物コーナー(笑)。「1月のたわごと」ですね(^^ゞ。ありがとうございます。川原に広く場所を取れたので、公園として整備して出来たのでしょう。
私もよく行っちゃってから、後でネットとかで知って「行く前に知ってれば〜〜」て事多いですよ〜。でも特に遠い所に行くのって、その前段階で結構バタバタするんですよね(^_^;)。いいや〜もう行っちゃえ!ってなりますよね〜(^^ゞ。
私なんて近いのに、その後、資料館(お城の中)にまだ行けてないんですよ〜。
宿題が各地で増えちゃう(笑)。私もまた行きたいな〜関宿!
 
     

     
  「城主のたわごと」2006-12(利根川〜印旛沼)1


<こたつ城主 2006/12/11(Mon) 16:54>

題名:「城主のたわごと12月」アップ

↑しました〜。宜しくお願いします(^^)。



<たみいさま 2006/12/12(Tue) 22:05>

旅行記、拝見しました。
宗吾霊堂の本堂、立派ですね。
山門札が、「公爵・徳川家達」、の奉納と言うのも、驚きと言うか思いがけない気がしました。
そうですよね、389ヶ村、10万の領民と言うのは、凄い事です。
好んで悪政をやるヤツって絶えないもんですねぇ・・。

ついでなので、(?)、徳川家達の田安家の事を検索して、始めて色んな事、(基礎的な事?、常識?)、を知った次第です。

房総のむら、
旧学習院初等科の建物は凄いと思いした。
中で学んでいた子供達のお血筋も、さぞや、と。。

名主の家、民家巡り、は楽しそうです。
お城巡りよりもよっぽどね。
連綿と続いた、「家族と生活」、が感じられるでしょ。

時代劇コーナーは、日光江戸村を思い出します、(^_^)。
かんざし屋さんと言うのは、見てみたいですね。

武家屋敷や農家の通りも、って言うか、
実際の村に近い広さですよね。
言われれば、新撰組の中で見たような・・。

印旛沼公園、臼井城、師戸城:
>何しろ「城主については明らかでない」という「不明点」が「明らかに」されていた。千葉県に多い傾向だ(笑)。

明らかになっていたとしても、多くの城、(特に中小かな)、は、とても城主の変遷を覚えられません、(ーー;)。
豪農や庄屋の家などは、入った途端に、「人」、を感じるのだけど、城は、「城そのもの」、が主人公と言う気がします。



<こたつ城主 2006/12/13(Wed) 19:01>

>たみい様

「城主のたわごと」ご覧下さってありがとうございます〜(^^)。
本堂の「徳川家達」は、私も見た時は「誰(^_^;)」と思いました(笑)。

>(基礎的な事?、常識?)

何の事かわかりませんが、たぶん常識って事もナイんじゃないかと(笑)。
アレですよね(^^ゞ、田安家には一橋家から養子が入って存続(家達は養子の子孫)、その一橋家は最後は慶喜が水戸から養子に入って繋げます。(この話じゃないのかな(^^ゞ)

何しろ十六代の徳川宗家が「宗吾霊」ってな、それもかなりデカイ門札を寄贈ってのは、どういう経緯(なり心情なり)があったのか、ちょっと興味が沸きますよね(^。^)。
穿って見れば、時の政権に正道を求めて散った一卿民に、一平民として生きる決意を重ねたのかぁ〜!……な〜んて具合に(^^ゞ。

「房総のむら」は敷地は広いですが、歩き回るだけならそう時間はかかりません。
周囲にはまだ自然がいっぱいあるので今はピンと来ないですが、都市化していけば貴重な「村」になるかも。

学習院校舎。今でも千葉県には市川に皇室の鴨場ってのがあるようです(^^ゞ。昔はもっと沢山あったんでしょう。
http://www.kunaicho.go.jp/12/d12-06.html

民家めぐりは昔はよくやってました(^^ゞ。気軽に行けるし、そんなに人出もナイし、他方ああいう作りの旅館に泊まるとなると金がかかりますからね(爆)。
簪(かんざし)作りは、よほど撮影させて貰おうかと思いましたが、暗い部屋の中でやっておられるので、フラッシュを焚くのが気がひけて(^^ゞ。

印旛沼「師戸城」。師戸氏というのは、さすがにあまり聞かないです(^^ゞ。
臼井城の臼井氏ぐらいになると、ちょっと小耳に挟む事もありますが……。
ただ行ってみると、そこに城があった理由は何となく実感が沸きました。師戸城と臼井城は次回やりますネ(^^)。



<たみいさま 2006/12/14(Thu) 13:40>

「徳川家達」、から検索を始めて、
初めて分かった基礎的な事、(^_^;)。

御三卿、その始まりとは、
八大将軍吉宗の子供たちだったのですね。。
清水家なんて、全く初耳でした、(ーー;)。

>何しろ十六代の徳川宗家が「宗吾霊」ってな、それもかなりデカイ
>門札を寄贈ってのは、どういう経緯(なり心情なり)があったのか、
>ちょっと興味が沸きますよね(^。^)。

ええ。かなりの人物だったようですしね。
この方が徳川内閣を組閣するチャンスがあったと言う事にも少なからず驚きました。それって、実現を見たら凄い事だもの。。

亡くなったのが1940年なんて、ついこの間ですよね。
だって、その数年後、私が生まれてるもの、(^_^;)。



<こたつ城主 2006/12/14(Thu) 20:13>

>たみい様

あ〜〜御三卿かっ!
ありゃ(^_^;)、込み入った事を書いちゃったかも。。。
そうです。4代、5代、7代とも男子相続ができなかったので、吉宗以降の流れを。
あ〜でも御三家ほど知られてないかも(^^ゞ。私もそんなに知りませんよ。
だって「暴れん坊」だって吉宗までの話ですもんねぇ(笑)。

家達。結構活躍してた人なんですね。
徳川内閣と宗吾の門札はどっちが先かにもよりますが、いずれにせよ新しい時代の流れに何を思っていたのか、意外な所から伺い知れるかも?(笑)
宗吾は直訴したのであって徳川の敵ではないんですよね(^^ゞ。むしろ一揆になるのを止めて……と美談に描かれてる感じがします(赤穂浪士とは違うのよね:笑)。
 
     



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