<掲示板・議事録>


     
  千葉・松戸「本土寺」


<YORIさま 2006/08/29(Tue) 22:38>

残暑お見舞いを兼ねてご挨拶に参りました(^。^)

本土寺の事を聞かせて頂き有難うございました。
有名なお寺だったんだなとあらためて思いました。今度千葉に行ったら行ってみたいと思っています(^^♪
時期的には紅葉の頃が良いみたいですね〜ヽ(^。^)ノ



<こたつ城主 2006/08/30(Wed) 18:59>

>YORIさま

昨日は汗びっしょりでした(^_^A)。

本土寺は地元でも「アジサイ寺」で有名なんですが、ツツジなど他の花の季節もすごく綺麗なようです。と言う私も、実は人出の多い時期に行った事がなくて(^^ゞ、ただ紅葉は綺麗ですよ〜(^^)。わりと遅くて、12月ごろまで紅葉してます♪
意外と松戸の歴史に関わる文献とか、この本土寺から出てる物が多いようで、そちらで書いた武田信吉の母の墓もあり、そういう意味でも重要な寺なんだな〜と思います。
 
     

     
  「城主のたわごと」2006-09(松戸編・神田編・箱根編)1


<こたつ城主 2006/09/08(Fri) 20:12>

題名:「城主のたわごと9月」更新

↑しました〜♪ 宜しくお願いします(^^)。
他に「今週のご挨拶とお知らせ」。



<蒼庚斎さま 2006/09/11(Mon) 01:20>

こんばんは、こたつ城主様。
サイト閉鎖以来かなりご無沙汰しちゃってますが、お元気ですか?一応準備中なのですが、メインよりも脇のコンテンツばかりやってるので、どうにも公開の踏ん切りがつかず状態でおります(笑)。

たわごと拝見しました。
今年も箱根に来られたのですね。
今回は曽我兄弟にも触れられて、ちょっと嬉しい気がしました(笑)。
ここの曽我神社ですが、以前、ここの例祭・傘焼き神事の時のこと。
神事前早朝の雷雨で、突然、神社後ろの杉に落雷。裂けた枝が社殿に覆いかぶさってしまって、あわや今日の祭事は中止かと思われたのですが、特に建物に大きな破損は無く無事催行されました(まあ、コンクリ社殿の中の社殿も「たわごと」で触れられているように石でできてるので丈夫なのではありますが・・)。
さすが、勝名荒神(笑)という気がした思いがあります。
ちなみに、小田原市下曽我の曽我兄弟供養寺の城前寺では、仏式の傘焼祭で、同じ傘焼祭りでも神仏の儀式の違いが見れて面白いです。ちなみに箱根神社では、燃やす唐傘を鶴岡八幡宮などより頂いているようでした。今、使いませんものね。



<こたつ城主 2006/09/11(Mon) 15:46>

>蒼庚斎さま

ごめんなさい! ↑これ何て読むんでしたっけ(^^ゞ。ソウコウサイ?

で、「たわごと」、よくぞ見つけて下さいました! 読んで下さってありがとうございます。
そ〜なんです〜(^^)。去年はお陰様で温泉巡りを楽しめ(ホントにありがとうございましたm(__)m)、わりと箱根全域を把握できたので、曽我神社どうようにお話しを伺ってた箱根元宮にも到達したんですっ!
これは次回やりますので、チェックして下さい〜〜〜〜(笑)。

曽我兄弟の墓にご案内頂いてから……何年経ったでしょうね(^_^;)。4年ぶりかっ!
あのあと箱根はドライブや温泉に行く程度で、長く箱根神社の写真も出さないままだったので、亭主から「たわごとに写真載せてないだろ」と指摘され(笑)、今回は丹念に撮り、前に買った「龍神物語」とも照らし合わせ、曽我兄弟の事もやっと頭に入りましたっ(^^ゞ。

こたつ的には「たわごと」にも書いた通り、伝わってる年表にブレが無いのであれば、曽我兄弟は頼朝・義経兄弟の事を意識してたのかな……と思いました。
……とすると、頼朝に対する曽我兄弟の思いは、ナポレオンに対するベートーベンみたいな「心の変化」があったのかしら〜(笑)。
そこで気になるのは、「勝名荒神」とは、慰霊目的で祀ったのはわかるんですが……祟ったんでしょうかね(^_^;)。



<たみいさま 2006/09/11(Mon) 17:04>

旅行記、拝見しました。

地元編に置きましては、桜も元よりですが、あのペットボトル型のランドセル状リュック(?)に引かれました。
欲しいと思いました。フツーに売り出しても絶対に売れると思います。
あと、万博のような屋台も珍しいんじゃありませんか?。

神田明神は桜の名所で、宴も出来るようになっているとは知りませんでした。
本殿は勿論の事、鳳凰殿も何と立派な事。
名所旧跡の溜まり場なんですか・・そんな所へ何で私は一度も行ってないのかしら・・と、あらためて思いました。

曽我兄弟、縁の河津町にも銅像が立っています。
古い人なら、(^_^;)、兄弟の事を知らぬ者は居なかったような気がするのですが、今ではかなり忘れられた存在かも・ですね。

私の想像では、(読んだ本の影響もありますが)、かなり粗野な兄弟で、母親は苦労したんだろうと思います。
歴史に見るまでも無く、双方が優れていても、これ又、難しい問題が発生したりして、兄弟とはやっかいなもので御座いますね。



<蒼庚斎さま 2006/09/11(Mon) 21:23>

読みは「そうこうさい」です。
またしても読み難いHNでスイマセン。
ちなみに、メルアド(表示はされないようですが)はブログのフリーメールのを登録してますが、以前からのニフティのアドレスも使用しておりますので、まずはお知らせまで(こたつ様のメルアド変更告知の時にお返事しそびれてしまってまして失礼しました)。

曽我兄弟ですが、一族が武士団を形成している時代ですから、私は、それほど源家のみを意識することも無いかなと思うんですが、それでも、頼朝や北條氏は同じ伊豆に所縁ありますから、思い巡らすことは少なくなかったでしょうね。父親の仇を憎む思いは同じでしょうし。それだからこそ、将軍家も養家の曽我家を罰しなかったのかもしれません。少なくとも曽我物語の感じでは。

とはいえ、公式には将軍の重臣を殺した反逆者として処刑されたお方ですから、荒神とされたのも曽我五郎の武勇に加えて、そういった背景があるからなのかな・・・。私も特に今まで気にしていなかったので良く存じません。

ところで、神田神社の社務所、ぱっと見た感じが首里城みたいに感じてしまいました(笑)。行った事ないんですけど。



<こたつ城主 2006/09/12(Tue) 19:13>

>たみい様

「たわごと」いつもありがとうございます〜(#^.^#)。
ペットボトル・グッズ、いいでしょぉ〜(^。^)。あれは商品名をちょっと変えて作ってあるんです。FantaをFankyみたいに。中に何か入れられるとカバン代わりに使えそうだし、見掛けた人が「そういや喉が渇いた」とジュースを買うから、パクられた飲料メーカーにとっても損にはならないですよね(笑)。

神田明神はここ数年でしょうか、次々と境内が華麗になりました。
名所旧跡ってのは、自分でも書いてて、あまりに字が多くてビックリ(笑)。
でも決して広くはないですよ(^^ゞ。狭い境内にギッシリ詰まってるんです。最近では鳳凰殿とエビス様の像が新装されて、「どこにそんな場所があったかな」と不思議なほど。

今日は実家に行ったので、曽我兄弟の話をコピーして貰って来ました(^^ゞ。今帰って来たトコで、それはまだ読んでないんですが、母も「あまり知らなかった」と言ってて、地域で知名度に多少違いがあるんでしょうかね。

粗野(゚.゚)。あ〜そういう事なのかな。概要をざっと知った時、何となく尻の座りが悪いような……上手く言えませんが、そんな印象があったんです。 日本三大仇討ちの一つと言われますが、その中では最古ですから、まだ一定の美学なりが成熟してないとでも言うか……。その辺りが自分なりに理屈をつけたくなる原因かなぁ?


>蒼庚斎さま

いいえ〜HNやメアドの件、ありがとうございます(^^)。
そうそう、私の方はメールでお知らせの通りです〜。今後とも宜しゅうに♪

たみい様へのレスでも書いた通り、今日は曽我物語のコピーを貰って来たので、話を巡る複雑な家系関係(がありそうですね(^_^;)冒頭を読む限りでも)については、これから読んでみますが、それはさておき、新機構(この場合は鎌倉幕府)の成立期って、まだ規範が混沌としてるせいか、その初代の家族関係に注目する心理が働いたのかなと、ふと思ってみました。これは古くは律令を整える過程の朝廷の周辺にも蠢いていたように思えます。
下世話な言い方をすると、ワイドショー的になる(笑)と言いますか。

>将軍家も養家の曽我家を罰しなかった

この辺りは、たみい様の話をくっつけると、母親の苦労を思いやって……なんて事があったのかなぁ?

ただ、そうですよね。この時期は「処刑」と聞いて、何となく割り切れない思いが残った程度だったんでしょうね。仇討ちが武士の鑑とされ、切腹が誉れで、その他の処刑が恥、と定まって来たのはもう少し後世でしょうから。

神田明神は、20年以上前から参拝してますが、こんなに華麗な彩りになったのはわりと最近のような覚えがあります(^^ゞ。
ただ、境内の伸びやかな、そして何となく活気のある雰囲気は昔から変わらないです。
 
     

     
  <蒼庚斎さま 2006/09/13(Wed) 22:51>

>この辺りは、たみい様の話をくっつけると、母親の苦労を思いやって……なんて事が
>あったのかなぁ?

そういう風な公式理由にした可能性もあるかなと。ただ、この曽我兄弟の夜襲事件は、吾妻鏡にはホンのちょっとしか出ない記事ですしね。
作家の永井路子さんが提唱してから、今でも時おり紹介されている説の一つ「曽我兄弟の私怨を利用した工藤祐経ほか頼朝側近の暗殺」クーデター説というのがありますが、これだとすると、事件の収束を図るために(類する御家人の反発を防ぐため)そういう風な納め方が一番無難だったから、と考えたりも・・・。確かに、この事件に関連つけられて、弟の範頼などが失脚してしまったりしてますからね。

神田明神、ここ最近行ってません。首塚はたまに寄ってますが(笑)。



<小野寺維道さま 2006/09/14(Thu) 11:17>

どうもです。
旅行記拝見致しました。
将門ゆかりの神田明神ですね。一度だけ行ったことがあります。将門は新皇と称しましたが、天皇の子孫なのでこの称号の名乗りには正当性があったといいます。
そういえば千葉県は日蓮関係の寺院が多いですよね。



<一海さま 2006/09/14(Thu) 14:59>

こんにちは。一海です。
旅行記拝見しました。何だか縁日を歩いている気分になるような楽しいレポでした。
その中でもペットボトルリュック、あれ、本当に良いですよね^^私だったら爽健美茶のリュックが欲しいです^^それと鯛とすり身焼きもとても美味しそうでした。



<こたつ城主 2006/09/14(Thu) 19:53>

>蒼庚斎さま

がんばって「曽我物語」を読みましたっ。
兄弟が幼い頃に親の仇のチクリで頼朝に処刑されそうになったり、贔屓の遊女が、権勢者の和田をさしおいて曽我の兄に肩入れしたり、勘当した母に生い立ちからの心情を綴ったり、ますます義経ですわ(笑)。

事件は義経の後を追う時間ですが、話は義経記のマネという線で成立期を探りましたが……確実なのは「当時〜南北朝時代以前」で、伝達者は巫女や比丘尼。つまり箱根が修験道であった事から、怨霊(御霊)信仰が母体のようです。
曽我兄弟は多いに祟り、頼朝が祀ったとか(^_^;)。ただ祟りってのは祀る側の言い訳が作用するので、頼朝は曽我兄弟を神として祈るフリして、実は義経(を始め手に掛けた内輪の人々)に謝ってた?(笑)

>「曽我兄弟の私怨を利用した工藤祐経ほか頼朝側近の暗殺」クーデター説

うんうん(^^)、北条氏が何かと曽我兄弟を庇った、という下りですね。

神田明神ね。今度は首塚レポもしたいと思います〜(笑)。


>小野寺維道さま

「城主のたわごと」お読み下さって、ありがとうございます(^^)。

>将門は新皇と称しましたが、天皇の子孫なのでこの称号の名乗り
>には正当性があったといいます

ここ私も実は……京に攻め込んだワケでもなし、討伐されたら抵抗するなって事かい?と(^^;)。。となると詐称がイカンのでしょうが、将門としては「分家のつもり」が言い分になって来るでしょうから(笑)、「東皇」ぐらいなら良かったんでしょうかね。
その後、鎌倉が皇子を将軍に迎えたり、いま東京に皇居がある事を思えば、まんざら外れた発想でもなかったワケですが(^^ゞ。
あと日蓮ですが、妙見信仰と繋がりがあるという話をどっか見たような……。



<こたつ城主 2006/09/14(Thu) 19:54>

>一海さま

「城主のたわごと」ご覧下さって、ありがとうございます〜(#^.^#)。
ペットボトルのリュック〜(笑)。良かった。ストーカーまがいの事をしてまで撮った甲斐がありました!(爆)
撮る時は「また見付けた!」と一瞬なんですが、後で見ると……同じデザインのがあったり(^^;)。実際は日本茶のを背負ってる子が多かったんだけどな〜!!(>_<)

鯛のすり身は頬張ると鯛の味が広がりました。来年も出るといいんだけど、ああいう地方の出店って一回で消えていく事が多くてねぇ(^_^;)。
 
     



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