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「猫天地伝」
作/こたつむり
〈9章〉63p
山でうまれて山の神になった。
海に育まれて海の神になった。
山の神と海の神が力をあわせて平らな陸をこしらえ、
そうして人が陸に生をうけ、子を生み育てた。
その歌は、料理屋におとずれた旅芸人が歌って聞かせたことで、二柳毛の耳にはいってきた。
二柳毛が聴き入っているのを見付けて、旅芸人が、知っている歌かと歌いおわってから声をかけるので、二柳毛は穏やかにほほ笑みながら、
「昔、母が歌っていた歌です」
と、答えて、
「そう。母が歌っていたのは、この歌だったんだ」
低くつぶやいた。
おかしくなってきて、二柳毛はひとり笑った。
そうだ。わかっていたことだ。母の歌とまったく違う歌だったのに、自分で自分に同じ歌だとこじつけてきただけなのだ。初めからわかっていた。何もかも自分でわかっていながら、猫天地にはついぞ言わなかった。いや、自分でも認めてこなかった。二柳毛はそう思ってしばらく笑い、やがて旅人の琴を借りて歌いはじめた。
山で生まれた猫天地。海に入った猫天地。
死んで残った骨さえも、砂漠に消えて無くなった。
空を飛んだ猫天地。炎となった猫天地。
骨が砂漠に消えようとも、心の火まで消せはしない。
何の歌だと旅人たちは首をかしげて聞いた。二柳毛も首をかしげて、
「さあ」 としか答えず、
「ずいぶんと弾いてないので、琴の奏で方も忘れてしまいました」
話を変えてそう言い、店の奥にひっこんでから、母の形見の琴をもってきた。
仙山から持ち帰って以来、弦がすべて切れたままだった。旅芸人は、
「ひどく反っくり返ってしまったな」
顔をしかめ、親切にも自前の弦を出して、四苦八苦しながら二柳毛の琴に取り付けてくれた。
「まだ弾けますか」
二柳毛がそう聞くと、旅芸人は、
「ああ、弾ける。そんな簡単に壊れるものじゃないよ」
そう答え、料理代を支払って去っていった。
二柳毛が旅に出たのは、この日からだった。
世情がようやく安定にむかうと、巷で大いにもてはやされるようになったのは、『猫天地伝』という歌であった。
これは現皇帝の武勇を彩るような内容に満ち満ちていたために、公にも認められ、新しい時代によく適って人々に流布された。
現皇帝、歓竜帝が、わがもとに身を寄せて亡くなった前王朝さいごの皇帝のかたきを討つために、張蒙師なる悪辣な仙人の幻術と戦う。その戦いに活躍した英雄が猫天地であるので、『猫天地伝』という名で知られた。
砂漠を行き来する旅の者によってよく伝えられたが、もとは素朴な筋書であったのが、流布されるうちに歌のほうに勝手な尾鰭がついて、物語は豊富な内容へとふくらんでいった。
作者はそれをことさら怒らない。と、いうより、作者の名は誰一人知らなかった。べつに作者が誰であっても、人々にとってはおかまいなしであったからだ。
しかしただ一人、作者を探して旅をする者がこの世にいた。その者は『猫天地伝』の内容より、作者本人に用があった。
「私に用がある人間が、まだこの世にいたのか」
二柳毛(にりゅうもう)はおどろいたフリをして見せたが、実際のところ、彼がこの歌を歌って流れあるいた目的は、この人間に会うためであったのだ。
二柳毛は出掛けていった浜辺で、ようやくその目的を果した。
潮風に長い髪を吹かれながら、待っていた相手は、
「やっぱり毛だったんだ」
と言ったし、二柳毛も、
「おまえは、又、女になったのか」
と、それほど驚いた様子もなく、仲よく二人で砂浜に腰掛けた。
「『あの世』に行って、天戒師に会ったんだ」と、猫天地。
「きっと『陽気』を私から抜いて、楽阜にあげてくれたんじゃないかと思うよ。何しろ私は砂漠のど真ん中で、このとおり女になって生き返ってた。それもこれも、私の骨を大事に持ってくれていた人がいたからなんだよ」
「へえ……それは」
二柳毛は、あいかわらず何気ない様子を取り繕って、
「また、酔狂な奴がいたもんだな」
すると、猫天地は目をクリンとさせて、
「毛じゃないか」
と言った。
「毛が、ずっと私の骨壷を、赤ちゃんをだっこするみたいに持っていてくれたんじゃないか。私は知ってるよ。死んだばっかりのときは、ボンヤリしてると自分の残した物に行ってしまうものなんだ。私にはそれがホネしかなかった。だから空を飛んだり森に行ってみたりして、寂しくなってくると、私はいつでも毛の懐に入って休んでいたのさ。あったかいカンジだったよ」
「それで私に何の用だ」
二柳毛はあわてて話を変えたが、猫天地は再度、目をクリンとさせて、
「用があるのは毛のほうだろう? あんなに私を生き返らせたがってたじゃないか。悪い奴らに盗られそうになったとき、骨壷をさんざん庇って、そう言ってたよね」
「そ……それも知ってるのか」
「うん。それで、あんなにがんばるからには、きっと毛は、私に大事な用があると思ったんだ。それなのに生き返ったとたん、毛がどこにいるのかわからなくなった。探すのには手掛かりが無くて大変だったよ」
何の用だといわれて二柳毛はこまった。何のために会うのかということを、今度こそ思いつかなかったからである。
そこで二柳毛は思いきって顔をあわせ、
「実はな、猫天地」
と言った。
「なんだい?」
「もう一度……もう一度だけでいいから、おまえに会いたかったのだ」
「だから何でさ」
おなじことを聞かれて、二柳毛は唇をかんだが、
「会いたかった。それだけだ、猫天地。用なぞない」
「用がない?」
「そうさ……」
うなずいてから二柳毛は、ひくひくっと啜りあげ、あわてて手で目を隠した。