「猫天地伝」
作/こたつむり


〈9章〉62p

  その都度、二柳毛はギョッとした。
  耳にはまだ、ゴオゴオと風の音が聞こえてくる(気がしていた)し、目をあければすぐさま砂の雨が降ってくる(夢を見ていた)のだ。
  人声をまじかに聞いて、ギョッとしていたわりに、彼は眠りから覚めてはいなかった。
  そして本格的に覚醒してくると、彼は、
「返せ、返してくれ」
  を連発していた。
  なぜなら彼が手探りで求めても、どこにも骨壷が無かったからである。そのころになると二柳毛は、自分が室内にいることを完全に認識していた。
  ついに目覚めきったとき、そばにいた人間の袖をやにわににぎり、
「お願いです。アレを返して下さい」
  と、涙をながして嘆願していた。
「ああ、やっと、しゃんとしてきたな」
  相手は老人だったが、恰幅がよく、一見暮らし向きの良い人間のように見えた。しかし見わたすと、その部屋は粗末なつくりで、家具らしきものはほとんど無かった。老人は、二柳毛を落ち着かせるように、
「アンタがよく寝言で言ってた骨壷ね。あんたを見付けたときには、そばには無かったよ」
  と、まず教えてくれた。
「無かった? 本当ですか」
「ああ、本当だ」
  うなずいてから老人は、哀れむように苦笑し、
「そんなもの盗ったって、何になる?」
  と、付け加えた。
  二柳毛は、まだ痛む脇腹が板と布で固定されているのを知り、
「あなたには医者の心得があるのですね」
  すると老人は、首を横にふった。
「私の名は王達だ。ここは料理屋の別室でね。ここの主人に世話になって暮らしているのだから、医者というほどのもんじゃないだろう」
  おもに料理屋の手伝いをして生計をたてているという。
「私の名は二柳毛です」
  二柳毛も名乗り、ことによるとこの名は今、国賊として追われる部類に入るかもしれない名だと言って、これまでの経緯を話したが、
「ここには役人は来ないよ」
  と、王達はなんの根拠もなくそう決め付け、さも、心配性の男だな、と言わんばかりに取り合わなかった。……ばかりか、
「なあに、これも何かの縁だ。一人で住んでいてもわびしいから、話相手ができて良かったと思っているのさ」
  ずいぶんと気楽に、そう言ってくれた。
  その言葉どおりに、王達は、間借りした二部屋の内の一部屋に二柳毛をおいてくれ、治療をほどこしつつ身のまわりの面倒も見てくれたのである。
  二柳毛は生まれてこのかた、他人になんの条件もなく親切にされたことが無かった。そうした幸運が、この世にたまにはあるとは知っていたが、自分の身のうえに起こるようには思えていなかった。いつのころからか、そんなことをアテにしない生き方が身についていたゆえに、こうして厄介になることをうれしく思う反面、ときおり相手の行為に甘えつづけていなければならない状態に戸惑った。
  その気分は、体が回復するごとに強まり、王達の話相手という立場が苦痛に思えてきた。はやく借りを返したいという思いが、一日じゅう寝ている部屋に充満して彼を悩ませはじめた頃、動けるようになったから仕事を手伝いたいと申し出た。
  王達は快く料理屋の主人にかけあってくれ、二柳毛は、掃除と皿洗いをさせてもらうことになった。
  元気になり、毎日皿を洗ったりゴミを燃やしたりしながら、二柳毛は、仙山で猫天地に看病してもらった日々をよく思い出した。あのときの自分は少しも苦痛を感じなかった。猫天地の行為を、他人の親切などとあらためて思ったことがあの日々の中には無かった。振り返れば、すでにあのとき、全く意識せずに猫天地の好意をうけいれていた自分に、今さら気が付いた。

  砂漠の中間に位置するこの町には、旅する商人が頻繁に訪れる。彼らは利益とともに様々な情報をもたらす。ある日、そうした客足がピタリと途絶え、いわゆる商売あがったりの時期がつづいた。
  そのあと、幾度も軍馬がおとずれ、この町をあたかも占領するかのごとく町じゅうの家という家に宿泊した。さすがにそういう時だけ王達は、二柳毛に、隠れて部屋から出てこないよう忠告をした。
  二日も滞在すると、軍は次の場へ移動した。皇帝の軍がくるときもあれば、西国軍がやってくるときもあった。
  しかし運良く、この町の周辺で戦がおこることはなかった。軍隊が訪れなくなると、商人たちがふたたびこの町をおとずれた。彼らの話に出てくる皇帝は、いつのまにか『煕王子』という昔の名に後もどりしていた。
  一番この名を聞かされたのは、戦に負けつづけた煕王子がついに都を脱出し、夜陰にまぎれて逃亡したときだった。
  この日から煕王子の消息は途絶え、彼は王朝さいごの人となって歴史の舞台からその名を消した。しかし彼は、王朝を終わらせた恥ずべき皇帝という汚点を後世にのこさずにすんだ。なぜならこの王朝はじまって以来、彼にいたるまで、印綬をたずさえぬ皇帝は彼一人しかいなかったからだ。
  歴代の皇帝の名は、彼の父、飯聞帝までが歴史に認知された。煕王子の消息は不明だったが、都に取り残された皇太后(飯聞帝の皇后)は岱泰王によって捉えられ、むごたらしい死刑を受けた。佞臣との姦淫罪によるものとされた。これが煕王子の母であった前皇后にまで疑いが遡り、前皇后もまた姦淫によって煕王子を産んだため、煕王子は成長にしたがってこれを知り、やがて謀反を起こして実父でない飯聞帝を岱泰に追放した、と過去に遡って記録された。
  むろんこうしたやり方は、すべて新王朝を確立した岱泰王によるものだろう。岱泰王は、亡命してきた飯聞帝の強い退位願望によって帝位を譲られ、新しい王朝を築いた、と公には記された。
  皇太后が捉えられた時には、東南方面に長く勢力を維持していた孫楢(そんなら)も、すぐさま兵を挙げ、押し迫った岱泰の勢力と対峙したが追い出せず、領国に戻ると、以前より自身が皇帝に推挙しつづけた飯聞帝とは別の流れの皇帝一族を慌しく擁立し、すぐさま新皇帝から禅譲を受ける態を繕って自身が皇帝となった。
  が、さらに別の皇帝一族から皇帝があらわれ元の都に来た。一説にはこれが、岱泰から落ち延びた楠打王(煕皇子の弟)とも言われる。これを孫楢が攻め込んで死に追いやったため、一説にはこの時をもって笛唐(てきとう)王朝の滅亡とも言われる。
  やがて孫楢の起こした国は孫楢の死をもって閉じ、その後を岱泰が接収したため、岱泰の勢力は爆発的に増長し、やがて北国(園扁の後地)も完全に服属させ、長く四分五裂したり北と南に引き裂かれた全土は、ついに統一された。
  岱泰王は歓竜帝と呼ばれ、彼を初代にしてはじまる王朝は、建国当時は手を結んでいた東南族を、前王朝どうようにやがては迫害しはじめた。
  ゆえに東南族は元より、新王朝に追われた者も多く蘭季島に逃れた。それがため蘭季島の原住民は移民によって圧迫され、あるいは蘭季島に討伐の人員がさしむけられたりで、さらに東の大海に流れていった。そうした話の起こるたびに、魔神を仰ぎ仙女に見立てた女性を首領とした一団が楽土を求めて東の島々を目指した、という風聞が後からついて来る事が多かった。
  歓竜帝は日に何百人もの反乱者を処刑することで、大いに世間をふるえあがらせたが、処刑者たちの一人に、あの李幹の名があることを二柳毛は知った。しかしそのようにして、今日は誰が殺された、こんどは誰が標的にされたと、商人たちがもたらす数多い名前の中に、二柳毛の名が浮かんであがることはついに無かった。


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