「猫天地伝」
作/こたつむり


〈9章〉61p

「なんだ、二柳毛。おまえは死にたいのか」
  二柳毛は言った。
「まるで自殺行為だ。いや、死にたいわけではない」
  寒くなってきた。
「死を欲するわけではない。強いていえば……」
  なにしろ砂漠なのだ。このまま夜になれば凍え死ぬだろう。
「死んでも別にかまわない。そうだ。死んでもよいと思っているのだ」
  そこで二柳毛は身をふせもせず、暴風になりつつある中をまたもや歩きはじめた。
  砂に膜を張られた空には、それでもときおり夕日が見え隠れする。二柳毛はときおりそれによって方向を決め直しながら、ひざまで砂に埋まりかけた足をひきぬいては歩を踏みだした。
  唐突に前途から、三つの人影がやってくるのが見えた。
  相手がたも二柳毛の姿を認めたようで、やはり難儀しつつ近付いてきた。三人のうちの一人が、風の音にさからって声をあげ、
「おい。銭を出せ」
  と言った。二柳毛は、
「砂漠で夜盗をやっているのか」
  と、聞いてから首をかしげ、
「砂漠でいたずらに体力を浪費するのは得策ではないぞ。やるなら、荷駄でも襲え。私は金目のものは何ひとつ持っていない」
  こうした二柳毛らしい理屈の組み立ては、三人にとっては余計なお世話であったのだろう。ものも言わずに二柳毛にとびかかり、まず背に負っている琴を盗った。つづけて携帯していた飲料水や食糧、そして銭を残らずとりあげる。
  二柳毛があまりにも抵抗しないので、一人が、
「その骨壷には、何が入っているんだ」
  二柳毛に、というよりは、仲間にむかって言った。もう一人が応じて、
「ご先祖の遺骨でも入っているんだろう」
  と、今度は二柳毛に言い、すぐに、
「なんだ、おまえ。変な奴だな。琴に骨か? どこに行くんだ」
  二柳毛が、
「仙山だ」
  と答えると、相手は急に怒気をあらわにし、
「仙山? ここからどれぐらい先だか知ってんのか。おい、正気か。こいつ、嘘ついてやがるな」
「いや、本当だ。仙山の天戒師様に、この遺骨を蘇生していただきに行くのだ」
  二柳毛が骨壷を手に入れながら、都にすんなり戻らなかった根拠は、まさにここにある。
  しかし盗っ人三人は、まるで相手にしてはくれず、ジロジロと骨壷を見たあげく、
「それの中に、お宝を入れてやがるな」
  と、決め付け、またしても取り上げようと飛び掛かってきた。
「待ってくれ。これは勘弁してくれ」
  初めて二柳毛は抵抗したが、あっという間に砂の上に顔をおしつけられ、さんざん殴られたり蹴られたりして、結局むりやりもぎ取られてしまった。
「返せ! 返してくれ」
「おい、本当にホネだぜ」
  さっそく中を見た一人が、他の二人に呆れたように言った。他の二人もたいそう落胆したようで、
「なんだ。もったいぶりやがって。気を持たせるんじゃねえ」
  俯せに倒れている二柳毛の横腹を蹴り、
「どうする? 殺しちまうか」
  盗るだけ盗った果てに、残酷なことを言い出した。
「やめとけ。こういう頭のおかしい奴を殺すと、取り憑いて祟るって聞いたぜ」
  一人が気味悪そうに言い返す。そこにもう一人が、
「おい。これは琴だ。琴だが、弦がぜんぶ切れてやがる」
  今ごろ荷をあらためて、そう言い、砂の上にドサリと琴を放った。
  三人は二柳毛(にりゅうもう)と骨壷と琴だけを残して、さっさとそこを去っていった。二柳毛の言うとおり、無駄な物は少しでも、持って歩くだけで体力の消費になると踏んだのだろう。
  倒れふしたまま、二柳毛は息も吸いかねていた。あたりは本当に砂嵐の様相を帯びはじめる。
  これではこのまま死ぬと二柳毛は思った。そしてこのまま死ねば、なんのためにあの無頼漢どもから骨壷をとりもどしたのかわからなくなると思った。自分が死ねば骨壷の中身が誰のものかを、この世の誰が知り、そしてさらに、それを仙山にもってゆき蘇生させようなどとしてくれるだろうか。そう思って二柳毛は、しばらく吹きすさぶ砂嵐に息をとめたり、口をあけ、砂ごと息を吸って呻き声をもらしてみたりを繰り返した。
  そのうちにハタ、と思う。
  待てよ。果して生きていたとて、本当に蘇生の術などこの世にあるのか。又、だいたい、さっきのように盗まれたり、あるいは自分が殺されたりする機会は今後も増えるかもしれないではないか。
  それより、このまま死んでしまうってのはどうだろう。死ねば自分の魂はあの世に行くだろう。そうすれば同じくあの世に先立っているにちがいないこの骨壷の中身と、お互いラクをして会えるというものだ。
  やがて凍てつく夜を迎えるこの砂漠にこの身をさらしておけば、しばらくの間はそうとう苦しむだろうが、いつかそれも終わりの時が来るにちがいない。どうせ肋骨が折れてしまっているのだ。わざわざ激痛をこらえて、いつ果てるとも知れぬ荒野を歩きつくしたあげく、結局いのち尽きるより、ここで寝そべってうなっている方がよほどマシだ。
  そこで二柳毛は、もう立ち上がるのをやめにしたのだ。意識はとたんに朦朧としはじめた。傷付いていること以上に、夥しい疲労が彼の二十本の指先にまで充満している。
  眠れ、眠れ、二柳毛。そしてそのまま死ね。
  そう言い聞かせて目をとじ、ずいぶん長い時間が経った。
  やがて嵐が、やや沈下した。ゴオゴオと、ときおり耳近くで誰かにさけばれているような激しい音が眠りをさます。
「いや、ちょっと待てよ」
  二柳毛は再び考えをめぐらせはじめた。おそらく眠った……いや、熟睡しただろう。まぶたは重く、手足はピクリとも動かなかった。
「しまった。死んだのか」
  と、うわずる声を我が耳で聞き、ついで指を砂地に這わせて体内の激痛を確認すると、
「死ねば行けると言われているあの世というのは、本当にあるのか」
  今しがた浮かんだ疑惑を、疲れきった頭の中に呼びさます。
「誰がそれを確認したんだ。死んだ者に教えてもらったとでもいうのか。それはいったい、どこの誰の説だ」
  だいたい、あの世に行ったにちがいない大勢の人の中から、どうやって猫天地一人をさがせば良いのだ。
  こうしてはいられない、と二柳毛はうごめいた。これでは本当に死んでしまうと思った。
  そして何度もあの世を疑って地を這いずり、やはり信じてみることに変更して休息するのをくりかえし、ついに気絶したのだ。

  もう、かまうもんか。恥ずかしくもなんともない。どうせ砂漠なんだ。誰もいない。思いっきり泣き声をあげ、呻きまくってやればいい。
  二柳毛はそう思っていた。
  ところが、いつごろからだろう。彼が呻きついでに、
「この野郎! 骨壷を返せ」とか、
「ウルサイ奴らめ。行くならみんな、さっさと行っちまえ」
  などと、言葉にして出すと、たいへんに気持ちの良くなる罵詈雑言を吐きだすたびに、誰かに肩をおさえつけられ、
「まあまあ、何があるんだか知らんが、まったく……」
  と、舌打ちされたり、
「動くな。それじゃいつまでたっても直らんぞ」
  などと戒められるのを聞くようになった。


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