「猫天地伝」
作/こたつむり


〈9章〉60p

  これですべてがわかった。二柳毛はうなだれて、
「賊徒と共鳴し、王朝に盾つくつもりなのか」
  すると兵士はこたえて言う。
「あのまま先生の布陣に属しておれば、東南族に攻めこまれ、ただ座して死を待つのみだったでしょう。もとより東南族と通じていたという嫌疑はかけられてしまったのです」
「相手は東南族だぞ。このまま彼らと蘭季島にでも立て篭もる気なのか。第一、東南族と通じていた証拠などないし、それを都の皇帝にご説明申し上げれば……」
  とまで言ってから、そんな事をする気は全く無かった癖に、と自分でも苦笑し、その場限りの屁理屈には、もはや誰もついて来ない事に納得すると、もはやいっそ心も軽くなり、
「兵士のなかには都に家族のいる者とて多かろう」
  と長く心に咎めていた心配を口にした。
「都に帰りたいと申し出た者は、そのまま敢えて脱走を許可しました」
「いや、軍の中には、あくまでも東南族を討たんと覚悟を決めてついてきた者も大勢いたはずだ」
「はい、それゆえに」
  兵士は言った。
「先生の率いてこられた部隊の兵は、半分以下に減りました」
  二柳毛は首を垂れて、
「相討ちか」
  と言い、そのさなかによくぞ眠りこけていられたものだと、つくづく薬の威力を思い知った。
「も、多少はありました。が、仲間割れというべきでしょう。去った者達がどこへ行ったか追及するゆとりもありません。我々も急がねば」
「反乱の首謀者は誰だ」
  そう聞いてしまってから、二柳毛(にりゅうもう)は、聞かなくてもわかっているという風に首をふった。
  二柳毛が一服もられた昨夜には、まだ東南族は上陸していなかった。嗅がされた薬は捕虜として連れてきた東南族が携帯していたものなのだろうが、捕虜自身が二柳毛の寝台にまで侵入してこられるはずがない。あと、薬の扱いに慣れ、しかも自分の近辺に出入りできていた人間といえば、残るは一人しか思いあたらない。
「すぐに引き取ると約束する。だからひとまず、さっきの頼みを聞いてもらいたい」
  二柳毛は、老人のようにしゃがれた声で三たび頼んだ。

  こころよく応じたのか、渋りながらも仕方がないと出てきたのか、その無表情な顔つきからは見当もつかなかったが、とにかく園慕は舟の甲板に立ち、夫を見下ろした。
「二柳毛どの、もはやこれまでです」
  と、彼女も同じことを言う。二柳毛も、
「なぜ、私を殺さなかった」
  同じ問いかけを繰りかえした。
  園慕はチラッと二柳毛の抱いている骨壷を見遣り、
「その中身のようになりたかったわけですか」
  と、冷たく言った。
  二柳毛は、フウッとため息をつき、
「園慕よ」
  と呼び掛けて、地にひざをつき、両手をつき、一度深々と頭を垂れてからもう一度妻を見上げ、
「返してほしいものがある」
  園慕はこのとき、甲板に立ってからはじめて表情らしい色をその顔にあらわしかけたが、それが一定の色に決まらぬうちに再び元の無表情にもどり、舟の奥に身をひいて姿を隠した。
  しばらくしてもどってきた彼女の手には、布の袋におさまった赤ん坊ぐらいの大きさからなる丸い物体があった。
  二柳毛はそれを見て、さらに、
「たのむ」
  と言い、またしても頭を地につけた。
  するとその真近かに、ドカンと大きな音をたてて丸い物体は落ちてきた。二柳毛は這いずり近寄って、それを両手におさめた。
  琴であった。

  海岸を離れると、周辺には荒れ果てた寒村のみが散らばっている。
  二柳毛は、堂々と軍をひきつれてきた道をトボトボとあともどりし、日の暮れる前から宿をもとめて貧しい一屋をたずねたが断られた。
  この反乱騒ぎがとうに知れ渡っているのだろう。点在する家のどの家人もが、扉を叩いても出てさえ来なかった。やっと一軒、銭をだしたら食糧を恵んでくれた者がいたが、家には寄せても貰えず、やがて森閑たる道を一人で歩くハメになった。
  そろそろ暮れかけた中を、ものすごい地響きをたてて多くの騎馬が近付いてきた。二柳毛は近くの山のふもとに身をよせ、やや山すそを登った草むらに潜むと、
「皇帝側の軍だな。今ごろ来ても手遅れだ」
  と覗き見していたが、やがてその辺を通り過ぎてゆく軍団の様子がどうもおかしい。
「追っ手にしては慌てたものよ」
  追っているというより、何かに追われているようにも見える。
  すると案の定、皇帝軍の行き過ぎたあとから、またしても人馬の近付く気配がおこった。
  茂みから道に下りかけた二柳毛はあわてて元にもどり、また木の陰に入って様子見をする。そのうちに、
「あ! あれは李幹!」
  と、思わず叫びあげそうになった。
  李幹の前後のみ大量の松明がかかげられ、李幹の顔ははっきりと見てとれた。そしてその後からは何騎もの武装兵がつづき、手んでに灯火を持っている。彼らのかかげている軍旗がその明かりに照らしだされるのを見て、二柳毛はさらに驚愕した。
「岱泰(だいたい)軍だ」
  軍隊の行き過ぎるのを待ってから、二柳毛はついに茂みを出た。
「ついに岱泰王が謀反をおこしたのだ」
  彼は直感した。人が通る街道は、すぐさま軍馬に埋めつくされるだろう。そしてこの読みが正しければ、
「西国(岱泰)は蘭季島の東南族と手を組むだろう」
  これは以前から読んでいたことだった。都は、西北と東南から挟撃ちされるだろう。それに乗じて北の園扁の残党ども(この時は既に別の王朝になっていた)も踏み込んで来るはずだ。そして、こうなったら今の王朝はだめになる、と彼が頭のなかで組み立ててきた構図に、まさに突入しはじめていた。
  彼の行ける道は砂漠にしか無かった。

  夜をなんとか山で過ごしたが、軍に見付かる恐れを感じ、明ける前に山を下り、あとは熱砂と熱風のなかを二柳毛は南下していった。一日歩きつくすうちに夕刻をむかえ、砂漠の気温は急降下していく。それでも二柳毛は休まずに歩いた。日があるうちは見渡すかぎりの砂地を前に進もうとした。
  ところがまだ暮れきらぬうちに日は蔭った。砂嵐というほどではなかったが、砂塵が舞いあげ、暮れてゆく太陽を覆ってしまったからである。
  こうなると方角がわからなくなる。ただでさえ無謀な旅をさらにつづけるのは、もはや不可能でさえあった。


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