「猫天地伝」
作/こたつむり


〈9章〉58p

  すると、ようやくこの時になって、洞窟の外から、真っ暗闇のなかを煙に咳きこみながら数人が来る気配がした。声をしのばせながらも、
「魔神を……魔神を……」
  と、ささやきあっていることから、散鬼は、
「戻って来やがった東南族だな。骨をもって逃げる気か」
  と決め付け、がむしゃらに祭壇めがけ、文字どおりめくらめっぽうに突っ込んでゆく。
  麻亜(まあ)、霙和も散鬼を助太刀した。どうやら相手も三人らしく、一対一のとっくみあいが三組。もうもうと煙のたちこめる暗闇にむせながら、あっちに転がりこっちにぶつかる。東南族のうちの一人がまだ非力な少年であったことから、形勢は散鬼たちに傾いた。
  散鬼は少年をくみふせて気絶させると、手があいたので麻亜と二人がかりでもう一人を、さいごは三対一となったので、すぐに片がついた。
  三人は手探りのまま、祭壇から骨壷らしき壷を素早く手に入れると、さらに手探りで洞窟を出口にむかい、ようやくほのかな明るみを見たころ、出口の方から、
「観念して出て来い。ここはすっかり包囲されているのだ」
  キンキン声が洞窟に響きかえって聞こえてきた。
「あっ。あの声には聞きおぼえがあるぞ」
  散鬼はそう言って、満面に喜色をあらわして後ろからくる二人をふりむき、
「猫天地の部下だ。前によく猫天地の家にも来てた奴だよ」
「じゃ、味方だな」と、麻亜と霙和。
  ところが、ようやく出口を出て、しめって澱んだ空気から解放された三人の前に、兵士たちは手んでに槍の穂先を向けたのだ。
「なんだ。どういうことだ」と、三人。
「散鬼か。手荒なようだが、こうするしかない」
  と、兵士たちのうしろから姿をあらわしたのは、
「あ! 二柳毛。なんでここに」
  二柳毛は冷たい視線で兵士たちに目配せする。兵士たちは二手にわかれた。一手はあいかわらず槍をかまえ、もう一手は肩にぶらさげた縄をとりだして、散鬼たちを縛ろうとした。
「ちょっと待て。なんのマネだ」と、散鬼。
「散鬼。悪いことは言わない。早く猫天地の居所を教えるのだ」
  二柳毛は、すでに揉み合いはじめている兵士と散鬼に近付いて、そう言った。
「居所? 猫天地(ねこてんち)の?」
  散鬼はキョトンとした。手にもっている、たった今盗みだしてきたばかりの骨壷を、まじまじと見詰めてから、
「この中だよ」
  と、さし出す。
  しかし二柳毛は冷然と首をふり、腕をくんで、
「ウソをつくな」
「ウソじゃないぞ」
  と、横合いから麻亜が肩をいからせた。
「はじめは棺桶の中に入れてあったんだが、お祈りしても、ちっとも魔神にならなかったんだろうな。東南族の野郎どもが火葬にでもしたのか、とにかく今はこういう恰好に収まったんだ」
「さっき、その東南族とさんざんやりあって奪い返したところだ」
  霙和も憮然として付け足した。
「まさか!」
  二柳毛はさけび、よろめくように近寄って、散鬼から骨壷をうけとった。
「火葬? また焼いたのか、かわいそうにな」
  散鬼(さんき)はうめくように言った。
「猫天地は、自分で燃えて死んだのさ。なにもまた焼かなくたって、元々まっ黒こげだったんだ」
「猫天地は……死んだのか」
  二柳毛はやっと、それを口にした。
「ああ、そうさ。しつこいヤローだな。イヤなことを何度も言わすなよ」
  散鬼は唇をかんで、ちょっと涙をこらえ、
「持っていきたいなら持ってってもいいぞ。だが兄貴の骨だけは、この人たちに渡してやんな」
  そう言って首をしゃくり、麻亜と霙和を示した。

  二柳毛が猫天地の骨壷を受け取った洞窟から先の道程も、兵士たちは黙々と付き従ってきた。
  が、蘭季島を前にして、やにわに二柳毛は進まなくなった。
  むろん、軍もなりをひそめるしかない。
  兵士たちは皆、首をかしげる。ここまでのところ、各地の東南族を相手に、連戦連勝してきたからだ。
  二柳毛を尊敬して流れた「鬼神」の定評も、結局は東南族という邪魔者を退治する過程における箔付にすぎない。蘭季島は、海にへだてられてはいるものの、目と鼻の先という距離にあった。そこまで来て、いざ、いよいよ敵の本拠への攻撃に対して沈黙している二柳毛(にりゅうもう)に関しては、これまでとは打って変わって、すぐさま悪い風評がとびかいはじめる。
「二柳毛は臆したのではないか」
  と人々は囁きあった。
  従軍してきた園慕は、夫の前に進みでた。
「蘭季島を攻めないのであれば、このまま速やかに都に凱旋するべきでしょう」
「凱旋とは、勝ち戦のあとにするものだ」
「今までに、東南族をかなり討ったではありませんか」
「いや、この部隊は、あくまでも蘭季島に攻めよせるために兵の数をそろえたのだ。目的地に達してもいない内に、都にもどるの皇帝陛下にお目通りするのというわけにはいかない」
「それでは……」
  と、園慕にとっては、あいかわらず気のすすまない方向ではあったが、
「蘭季島を攻めたらいかがです。このままこうしていれば、いつかは逆に攻めかけられましょう」
  そう言って、海を指でさした。
  今2人が立つ丘の上からは、蘭季島はちょうど水平線上に見える。海はその手前に、ところどころ小島をうかべ、その周囲にときおり、小さな舟が見え隠れする。
  明らかに、東南族のくりだす偵察隊である。二柳毛はこれを追い討ちもせず、されるままに偵察されているのである。
  はじめのうちは、はるか遠くに一艘二艘、見えたかと思えばさっと遠のいてゆく様子であったのが、ここ数日の内に敵も気を大きくしたようで、ギョッとするほど近付いてくる時がある。舟の上に小さな人影が動く様が見てとれることすらある。射程距離ぎりぎりという辺りまで漕ぎだしてきた時には、兵士たちは色めきたったものである。
  悪い風評はさらに追加された。
「あるいは二柳毛は、ひそかに東南族と通じたのでは」
  何しろ、二柳毛などという上司もにわかづくりの上司なら、猫天地というのも、一度も兵をひきいて戦を行ったことのない『幻の将軍』にすぎないから、そのもとに編成されたこの兵団も、にわかづくりの寄せ集め部隊である。
  それでも、英雄猫天地のかたきを討つためという大義に浸っていられる内はよかった。二柳毛の作戦も功を奏したが、兵士たちは旧来からの敵でもある東南族を相手に善く戦ってくれた。このじてんにおいて二柳毛は、強い指導者というよりは、彼らにとって先頭に立つ同朋のような存在になりえていた。
「けれども今は、逃亡者とて出かねない様相なのです」
  と、園慕は言った。
 

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