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「猫天地伝」
作/こたつむり
〈9章〉57p
ところで、あまり取り沙汰されないものの、当初、園慕が首をかしげた、なぜ東南族が猫天地将軍のかたきであるのかという疑問は、そのまま残されたのであった。
人々は憶測した。それは幾通りもの筋立てを持ったものだが、最終的には、
「東南族の奴らはきっと、猫将軍を裏切って張蒙師の手助けをしたのだ。つまり猫将軍を死に至らしめたのは東南族にちがいない」
という筋にまとまっていった。
なぜ憶測に頼るのかといえば、二柳毛が『かたき討ち』の根拠について、堅く口を閉ざして語らないからである。
今回の場合、とくに勝てば勝つほど、二柳毛の沈黙は何か特別に価値のあるものとして人々にうけとめられてきた。
「二柳毛には鬼神が宿っている」
というわけだ。鬼神はペラペラとしゃべらない。
散鬼は暗く湿った牢屋のなかで目ざめた。
二つの顔が、彼を覗いている。
「やれやれ、やっと目が覚めたか」と、麻亜(まあ)。
「持ち出す骨壷が三つに増えるかと思ったよ」と、霙和。
「骨壷?」
ハタ……と、牢屋の暗い天井を見詰めてから、散鬼は、
「東南族めに、してやられた!」
跳びおきて叫んだ。霙和が、まあまあと宥めるように散鬼の両肩をおさえて、
「今ごろそれを言ってもはじまらんよ、散鬼。いいか、俺たち三人は、東南族にグルグルに縛られてエンエン連れてかれたあげく、ここに放りこまれたんだ。これから先あんたが何を言っても、俺たちはもう、東南族だけは信用しないからな」
元々この気の毒な楽阜の郷友二人は、ただでさえ東南族にはさんざんな目にあってきたから、やっと自分達の言い分が正しかった事を証明した、と言わんばかりである。
「今度ばかりは俺も心に決めたよ」と、散鬼。
「あいつらは、今まで面倒みてきた俺に盾ついた、とんでもねえ恩知らず野郎どもだ!」
散鬼と麻亜、霙和(えいわ)がこんなに立腹しているのは、彼らが言うとおり、彼らは東南族にすっかり裏切られてしまったからだ。
岱泰の塔の前で、火事に気付いてやってきた軍隊にさんざん掛け合ったあげく、しばし待たされてから、散鬼たちはようやく楽阜と猫天地の遺体をひきわたされた。霙和の言った『骨』というのは、楽阜と猫天地の遺体をさしている。岱泰の軍は焼死体を哀れみ、棺桶を用意してそこに納めてくれた。
泣き哀しみながらも遺体をひきとった一行は、ひとまず家族や仲間の待っている都にむかった。
はじめの関所を越えると、そこからは長い山岳路がつづく。東南族に異変がおきたのは、この山中においてだった。
「魔神だ!」
と、東南族の一人がさけんだ。
「魔神だ。魔神だ。魔神が目覚める」
つづいて次々と、東南族たちは騒ぎはじめたのだ。
これに、かつて東南族たちにひどい目にあわせれた麻亜と霙和は色をなしたが、
「いつものアレだ」
と、東南族をよく知って来た散鬼は取り合わない。
実際、散鬼の今まで見てきた東南族たちの『神懸かり』といえば、とつぜん祈祷に没頭しはじめて、黒雲をまねきよせたり変な香を焚いたりはするものの、自分たちだけで勝手に盛り上がったあげく全員が気絶して倒れる……というもので、大きな痛手をこうむった覚えはない。
ところがこの時はちがった。いや、違ったように見えたのは生まれてはじめて東南族たちと敵対したがゆえだろう。
なぜなら東南族たちは、いきなり散鬼、麻亜、霙和をとりまいて、遺体となってしまった楽阜と猫天地を奪いにかかったからだ。
狭い山道において揉み合いがはじまった。このさなか三人は気絶し、縄で馬にしばりつけられてここまで連れ去られた。
散鬼は東南族に裏切られたことだけはわかったが、実はこの当時、なぜこうも奇怪な成り行きになったのかが、よくわからなかった。わからないうちに気絶した彼が、いま目を覚まして思い出してみると、急に頭から湯気が出そうになった。
「そうだ。あいつらに変な粉をふりまかれた」
恐らく眠り薬か何かだろう。そうと気付けば、ますますもって、こんなに腹の立つ話もない。腕力ならばそうそう簡単にしてやられる自分とは思えなかったからだ。
「兄貴と猫天地の体を取り戻さなければ……」
散鬼は怒りを振り切るようにこれを言い、格子戸から外を見た。
格子戸の外が、これまた広い洞窟か何かの中なのだろう。そうとう暗い。この牢屋から狭い一本道が続き、その先に焚かれた篝火が二つ、真っ先に目に入った。その火に囲まれた中央に、組み立てられた木造物が大きな影となりながらも浮かんで見えた。その周囲には絶えず東南族がウロついて見張っているという。霙和がその木造物を指さして、
「あれは祭壇らしい。あの上に……」
楽阜と猫天地の遺体が置かれてあるのだという。
「何ということだ」
散鬼の悔しさはこの時点で絶頂に達した。格子戸に阻まれていなければ、三十歩ていど先という距離だ。夜になると、東南族たちはこの祭壇ごとおもてに引き出し、祈祷を開始していたという。
「それがどういうわけか、今は骨壷になっているようなんだ、持ち出すなら都合がいい」
と、起きたばかりの散鬼(さんき)に説明しつつ、麻亜は、
「東南族はマヌケだ」と言った。
「この格子戸は木で造ってある。しかもあいつらは、この中に入れる前に、俺たちの身体検査をやっていない」
ニンマリと笑って、小刀を懐から出した。
「いや、マヌケなのはおまえの方だ」
霙和は溜息をついて麻亜に言った。
「そう思って、この格子戸に、あいつらの目をぬすんでは傷をつけてきた。散鬼の眠りこけてる間もな。そしてもう、体一個ぬけだせる程度まで内がわから切り込みを入れた。あとは、ドンと体当りすれば、この戸は壊せる」
しかし、と霙和(えいわ)は絶望的に顔をくもらせ、
「いいか。この洞穴の出口は、おそらくあの祭壇の向こうにある。骨壷をさらって出口を出れば、その向こうにいるだろう大勢の東南族たちに再びとりまかれ、また同じ目に合わされるだけだ」
格子戸など、あってもなくても同じことだと霙和は締めくくった。
そこへ、パンパンと何か弾けるような乾いた音が発ち、人々のにわかに騒ぎたてる声が聞こえてきた。
「あれは爆竹の音だ」
散鬼たちは格子戸にかじりついて外の様子をうかがったが、東南族らしき人々の叫び声が祭壇の向こうから相次いで聞こえ、すぐに洞穴じゅうに煙が充満しはじめ、何も見えなくなった。
ようやく煙が薄れて来ると、二つあった篝火の内一つが消えているのが確認できた。その近くに絶えずいた東南族の影が全く見えなくなっている。
「おい。何だか知らんが、今だ」
と、三人は格子戸に体当りした。牢屋を脱出し一本道を進むと、やはり祭壇近くには誰も見えない。しかし念のために、一つだけ灯っている篝火をすばやく消し、あとは手探りで祭壇の方向にすすんだ。