「猫天地伝」
作/こたつむり

〈9章〉56p

  呼びかける猫天地に、楽阜はしばらく答えてこなかった。が、やがて、
「俺は、くやしいのだ」
  言葉がはきだされると同時に、炎がドオッと音をたてて雲をつきぬけ、天のさらに高みへその触手をのばした。
「張蒙師のことか」
「そうだ、猫天地」
「わかるよ。くやしいのは私も同じだ」
「俺はだまされた」
「そうだ。騙された」
  猫天地はそう言って頷こうとしたが、うなずく首がもう無かった。
「美青蘭と楽阜のかたきは討ったし、あいつは死んだけど、それでもまだ悔しいよ。あいつの言いなりにやってきたことは、取り返しがつかないんだ。そんなことの全部を取り消せない内に、楽阜も私も死んじまった」
  そう言って地団太を踏もうとしたが、こんどは足が無いのに気付いた。
「俺は生まれかわりたい」
  と、楽阜が言った。
「もう一度地上に生まれかわって、一からやり直したい。しかし生まれかわるには、陽気が足りないのだ。猛烈な執念にとりつかれすぎて、この場を抜け出られないからだ」
「そうか。わかったよ楽阜」
  猫天地は納得し、とつぜん大声をあげて、
「天戒師。どこかで聞いていたら、願いをかなえておくれ」
  と、怒鳴った。
「私の陽気を全部、楽阜にあげておくれ。そうすれば私は魔神にならずにすむし、楽阜は生まれかわれる。いくら祈祷しても私が『フッカツ』しなければ、いつか東南族の人たちも諦めるよ」
  すると楽阜が、
「ちょっと待て、猫天地。おまえはそれでいいのか」
  と、止めだてした。
「なんでさ」
「それだとおまえは生まれかわれない。成仏もできない」
「いいよ」と、猫天地。
「楽阜がしたくない『ジョウブツ』は、私もしたくないよ。それに私は生まれかわったって、どうせおんなじさ」
「何が同じなんだ?」
「だって、あいつは……張蒙師は、死物狂いになって何かしようとする人間を利用してきたんだ。この世にあんな考えの人間がいるかぎり、私みたいにバカな人間は、いつでもいいように使われて、また同じ目を見るんだ。それだったら、もう生まれてこない方がマシだよ」
「今度こそ、利用されたりしない生き方をすればいいのだ」
「どうやってだい?」
  すると楽阜は、うーむ、と炎の中でうなり声を発してから、
「もっと賢くなればいい」
  賢く、と言われて猫天地は、
「毛みたいにね」
  と答えてから、すぐに自信がなくなり、
「何かひとつだけに必死になるんじゃなくて、ああやって落ち着いて、いろんなことを考えにいれて……」
  もう一度生まれたら、あの時こうしていれば、いやそれとももっと前か……と考える内に首をふり、
「いや、だめだよ楽阜。私にはとうてい無理だ。生まれかわっても、せいぜい一生懸命になんかならない、シラケてヤル気のない人間をやるしかないんだ。そんなの生まれかわってもつまらないよ」
「猫天地。それはちがう」
  楽阜の声は大きく響きわたった。
「求める心を利用する人間がまちがっているのだ。求めること、そのものを失ってはならない。それを失ったら、人は生きていけないではないか」
  自分たちは、たまたま利用されたのだ。利用されても利用されても、負けずに又なにかを求めていけばいい。何度もくり返したその先に、ようやく何かをつかむかもしれないじゃないか。
「それを生まれかわって証明したい」
  懲りずに生身の体でやり直したい。楽阜はそう言った。
  そして、その瞬間、火の海はパッと消えたのだ。
「楽阜!」
  猫天地は狂喜し、楽阜を探したが、楽阜はどこにも居ない。
  かわりに風が吹いている。砂ぼこりが激しく舞い上がる。さっきまで広がっていた雲さえも一片のこらず消え、あたりは荒涼たる砂漠と化した。
「楽阜! 天戒師!」
  猫天地の声は、砂嵐に吸いとられて消されるだけだった。しかしやがて、遠くからある風にのり、またある風に妨げられつつ歌が返ってくる。

  ……火に薪をくべる旅人は去った。
  旅に行きおくれた私は、また山に残される。
  そうして火は、いつか燃えつきるだろう。

  海にあっては波に消されて永らえない。
  山にあっては燃え広がって大禍をなす。
  火は、旅にあって燃えつづけるしか方途がない。
  旅に行きおくれた私は、旅をもとめて山をおりる。

  海辺にあってこそ人は火を焚きおこす。
  大火があればこそ山は生まれ変わる。
  旅にあってはあまたの危険をはねかえす。
  ましてや人の心にともされた火は、いつまでも消えない。

  新しい皇帝が東南族を擁護すると知った時、国じゅうの東南族と領地を接する民からは、国策を憂える声が日増しに強くなってきていた。
  だから、ついに、皇帝が猫天地部隊をして東南族討伐という、結局はもともと王朝のとっていた方針をなぞらえると聞いて、期待がにわかに起こったのも無理はない。
  しかしその指揮をとる人物が、かたき討ちを名文に立ち上がった大義あり、といえども、戦争などしたことのない二柳毛であると知れたときには、期待は失望へと堕ちたのである。
  東南族は決して無力な部族ではない。むしろ好戦的で、ひとたび敵対すれば一般市民を虐殺したり、時には放火や略奪、人攫いといった行為も平然とやってのける凶暴な集団に化すのである。またその戦法も当てずっぽうではなく、時には人質を取るといった戦術めいた動きを見せることすらあった。
  それゆえ、戦の仕方もわかっているのか不明だった二柳毛が、いざ行軍を開始するや、意外や意外、東南族の巣を的確にたたき、一般人と賊徒を見分ける術もわきまえているし、民が東南族に連れ去られようものなら、追撃をかけて逆に東南族のすみかを次々と焼き払い、ついには人質をみごとに救出する作戦を成功させた時、人々のふみにじられた形になっていた期待は、今や以前にも増して、
「万歳、二柳毛。将軍、猫天地のかたきを討て」
  という声になって、東南族いがいのすべての人々の熱い応援に変わったのだ。


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