「猫天地伝」
作/こたつむり

〈8章〉54p

  やがて、李幹からも手紙がとどいた。それによると、
「猫天地将軍は岱泰への途上、関所に立ち寄り、当方は馬を用立てした。岱泰へ向かったことは、その先にある関所からの連絡もあり、確認済である」
  と、あたかも二柳毛が疑ってかかるのを見越したように前置きがなされ、
「岱泰王は猫天地将軍の死を、たいへん悼んでおられると聞く。猫天地将軍は、岱泰と都の皇帝陛下にとって敵である張蒙師の討伐をなされ、その命を失われた。それゆえ岱泰王からは、英雄の葬式を執り行いたい旨が当方にも届いたが、事件後、塔の門前に待ち受けていた将軍の身内の者たちが、その遺体を渡してほしいと懇願したので、やむなく彼らに引き渡したとの連絡が、ついで入った」
  と、結ばれている。
  李幹(りかん)は英雄の義挙を手伝った功労により、岱泰王より昇進への推薦を受けている。これについて当人がどう思っているのかは手紙には全く書かれていない。ただ淡々と事実を……あるいは、命じられたことをその通りに伝える手紙だった。
  二柳毛はまず、散鬼や東南族たちの住居をおとずれたが、何ら連絡は入っておらず、逆に町の人々にとりまかれて質問ぜめにあう始末だった。
  岱泰に延びる各沿道を徹底的に調べ、連絡をとったが、東南族の一団が通過した関所以外については、まるで情報が集まらない。
  現在、都の周辺には、都の善政をしたった東南族たちが故郷から続々と集まりつつあり、その連中と、猫天地の遺体をひきとった者たちの区別がつきにくく、また猫天地たちが商人に変装していたのも情報の妨げとなった。
「散鬼(さんき)はどこに行ったのだ。麻亜や霙和も一緒だっただろう。なぜ彼らの動向まで揉み消されているのだ」
  いらだつ二柳毛のもとに、噂が伝わる。
「都の周辺にあつまりつつある東南族たちは、ふたたび都を急襲しようと計画している」
  これまでもこうした噂は何度か出た。だいたいが東南族たちを嫌う者たちの流す虚言にすぎないのだが、噂が出るたびに都の動揺をおさえるべく工夫せざるを得なかった。
  二柳毛は即座に皇帝に目通りを願った。
  そして皇城からもどってきた時、二柳毛は、なぜか軍の総指揮者に任じられていた。これを聞いて驚き、口だしをしたのは妻の園慕だった。
「あなたが軍隊を指揮なさるというのは、本当ですか」
「本当だ」と、二柳毛。
「一体なんのための行軍なのですか」
「我が同朋、猫天地将軍の敵討ちだ。皇帝も許可なさった」
「敵討ち?」
「私は皇帝の臣だ。猫天地(ねこてんち)将軍は皇帝の義弟だ。また将軍は私の恩人でもある。皇帝の許可が頂ければ、私が猫天地将軍の仇を討つのは当然の倫理である」
  園慕は首をかしげ、
「かたきと言われる張蒙師は、猫将軍とともに亡くなったと聞いていますが」
「しかし将軍の遺体は収容されていない」
「遺体を誰が収容したのです」
「東南族だ」
「それであなたは、誰を討ちにゆくのです」
「東南族だ」
  園慕は息をのんで驚愕する。
「どこの東南族を討つのですか」
「蘭季島だ」
  それは東南族の本拠地ともいうべき島であった。美青蘭の故郷の地である。
  そもそも彼らが東南族と呼ばれる所以は、彼らがこの地の東南の果てから来る所にあったが、彼らは、内陸周辺と海の島々に連れ出されたり、あるいは彼ら自身からやって来たりして、その本拠地を長く知られてはいなかった。が、彼らの故郷が、海を遠く隔てた所にある事が徐々に知れ、こんにちでは、この蘭季島がそうである事が判っている。
「東南族を殲滅しなければ、都の平安は保たれない。それゆえに彼らの本拠地を制圧するのだ」
  園慕は、何を言っているんだという顔で、激しくかぶりを振り、
「そんなことをすれば、都に今いる東南族の人たちの不信を招くでしょう。あるいは都に集まりつつある東南族たちも、噂されている都の襲撃をむしろ決行しようとするかもしれないではありませぬか」
  それとも、と園慕は夫に食いついて、
「もはや東南族を見殺しにしなければ、皇帝の威信は保てないとでもおっしゃるのですか」
  第一、と園慕はさらに声を強め、
「蘭季島などに攻め寄せて、果して東南族たちに勝てるのですか。あなたは戦争などしたことがないではありませんか」
  もう必死だった。園慕(えんぼ)は夫が冷静さを失っていると思った。頭を冷してもらわなくては大変なことになる、と言葉をつぎ足して翻意をうながしたが、二柳毛はすわった目をして、
「私は、猫天地将軍のかたきを討ちにゆくのだ」
  とだけ答える。
  園慕は途方にくれた。
「あなたは、たびかさなる世間の批判にさいなまされて、節度を失ってしまったのです」
  言い聞かせはじめる。
「たしかに東南族や現皇帝の政策に反感をもつ人は多いと言えます。けれども善政の理念は、そうすぐには人々に受け入れられないのではありませんか。遷都への批判は多々あっても、本当は、無理やり住民をつれてゆくより、ついていける者だけを連れてゆくというのは、むしろ善政なのです。いつか、この遷都計画は正しかったと、きっとみんなにわかってもらえるでしょう」
  今は短気をおこさず、これまでどおり東南族を擁護する政策をとるべきだと、園慕はさんざんに主張した。
  しかし二柳毛は、あいかわらず、
「私は、猫天地将軍のかたきを討つ」
  これを繰り返すのだ。
  何を言っても無駄だった。園慕はしばらく呆然自失としていたが、やがて、何もかもあきらめたように溜息をつき、
「ならば、その蘭季島に、この私もお連れください」
  と、夫に従軍の許可を願い出たのだ。
  女性が戦地におもむくことは普通ではありえない。しかし意外にも二柳毛は、
「好きにするがよい」
  アッサリと許可をあたえ、妻を尻目に大股で家を出ていった。


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