「猫天地伝」
作/こたつむり

〈8章〉53p

  とたんに、ギイッと応える大鷲の奇声が近付いてきた……と、身構えた猫天地は、闇の背後から肩に一撃をうける。バサバサと大鷲は、羽音とともにまた闇に消えた。
  肉を食いちぎられて、猫天地は城の屋根から転げ落ちそうになった。
「猫天地!」
  美青蘭がサッと衣の裾を延ばして猫天地の身体に絡ませ、落とさせない。
「妖婦め。よくも弟子をたぶらかしおったな」
  張蒙師の声には嫉妬と憎悪がこもっている。
  猫天地もまた、張蒙師への怒りがいっきに噴き出した。
「妖婦じゃない。美青蘭は仙女だったんだ。それを、おまえが」
  そこへまた、ひとたび遠のいていた大鷲が、闇を旋回してもどってくる。猫天地は、
「目を覚ませ! おまえも張蒙師に操られてるんだ」
  と怒鳴ったが、大鷲はするどい爪をこんどは猫天地の顔に向けてきた。
  ガリッと大きな音がたって、猫天地のひじから血が吹き出る。
  とっさにおのが顔をかばった猫天地は、右腕に傷を負ったのだ。同時に美青蘭の衣が引きちぎられた。
  こんどこそ屋根から落下する猫天地を、またしても美青蘭の衣がまきついて救った。
「妖婦! 邪魔だ!」と、張蒙師の声。
  すると、夜雲をぬって幾本かの光線が降り注いできた。
「ああ!」
  美青蘭がそのうちの一筋を浴びて、叫び声をあげた。
「美青蘭! どうしたんだ」
  猫天地は苦しそうに身をくねらせる美青蘭を見てさけんだ。同じ光を浴びても、猫天地には何も感じられなかったからである。
「どうだ。幽霊」
  張蒙師の声が勝ち誇ったように放たれる。
  美青蘭は息をあえがせながら、
「あれは……あれは……太陽光なのです」
  と答え、身悶えて、
「かつて、太陽光をもって魔神と対峙した私が……今は……」
  すると、美青蘭の言葉をひきつぐように、張蒙師は、
「そうだ。今は太陽におびえる哀れな幽霊になりさがったのだ。どうだ、妖婦」
  と、さらに光を招きよせ、降らせた。
「きゃあ!」
  美青蘭の幽体は、一瞬にして消えた。
「美青蘭!」
  猫天地は叫びながら、ついに断ち切れた衣とともに地に転がりおちた。衣は風にのって舞い上がり、光線をあびて消滅する。
  おおー魔神よ。おおー魔神よ。
  東南族たちの祈りの声があがった。
  空は、どす黒い雲と太陽の光が交差して、まさに天を奪いあうかのように青白く凄まじい電気を放った。
「ギイッ」
  大鷲は翼を痙攣させる。東南族のかもしだす黒煙と妖気をなんとか避け、太陽光を求めてさまよったが、張蒙師の声は、
「行け! 猫天地を食い殺すのだ」
  と容赦なく大鷲を叱咤する。
  大鷲は地面からにらみつけてくる猫天地にむかって、急降下した。
「この野郎!」
  猫天地は大鷲のくびを両手にとらえ、腕をからませて動きを封じた。さらにその巨体によじのぼって背に飛び乗る。大鷲は苦しがって再び急上昇し、黒雲をぬけ出た。
「美青蘭(みしゅらん)!」
  猫天地の頬を涙がつたっていった。
  呼んでも叫んでも、もう美青蘭の姿はこの世のどこにも無かった。美青蘭の姿を吸い取った太陽にむかうかのように、猫天地は大鷲とともに高く高く天をのぼってゆく。
「美青蘭、美青蘭、美青蘭ー!」
  いくつも雲を乗り越え、もう息もできないほど上りつめると、やがて光の洪水が重く押しよせ、次の瞬間、それは猫天地の越えてきた厚い雲を押しのけ、いっせいに地上にふり注いだ。
  夜は、一瞬にして開いた。
  地上の東南族たちは、この光に圧倒されて次々と気を失った。
「見ろ! 猫天地が!」
  散鬼がさけんだ。
  地上の人々は全員、あっと声を放った。
  猫天地の体は炎につつまれていた。火の粉を飛び散らせ、やがて大鷲にまで火の手はうつって、羽根を一枚一枚めくれあがらせる。
「朱雀だ!」
  誰かが言った。
  大鷲……いや、朱雀は両翼を大きくひろげ、猫天地とともに西国城の屋根をつき破り、あたりを火の海と化しながらも、ついに張蒙師の居室へと突入していったのだ。
  全身に火のまわった朱雀が張蒙師を発見した。張蒙師は手に宝剣をにぎりしめ、激しい憎悪を目にたぎらせて迎え撃つように叫んだ。
「この裏切り者!」
  しかし朱雀は静止しない。そのまま張蒙師の腹に、くちばしで鋭く一撃をくわえた。
  ギャッと声をたてて張蒙師は一度たおれ、すぐに空中に舞い上がり、よろめきながら逃げだした。しかし間に合わない。
「待て、猫天地。待て」
  張蒙師の腹からは、無残に内臓がとびだした。腹圧が空いた穴を広げてしまったようだ。
「待ってくれ。わしは岱泰王と、その道士たちに利用されている。言われたとおりにしなければ死ぬかもしれなかった。これは本当だ」
  逃げられないと悟ったのだろう。張蒙師はふりかえり、弁解した。
「太上皇を殺したのも、あの連中に術を授けたのも、みな彼らに太刀打ちできぬとわかって命令どおりにやったことだ」
  猫天地の耳にこの声がとどいたかどうか。彼は朱雀ともどもメラメラと燃えさかり、ひたすらに張蒙師にくみついてゆく。
「おのれ!」
  張蒙師(ちょうもうし)はよろめきながらも、宝剣で、火だるまになった猫天地を突き刺した。
  ゴツッと乾いた音をたてて、猫天地の、すでに髪の毛を燃やしつくした真っ赤な頭部が転がりおちた。
  猫天地はとっくに事切れていたのだ。それでも朱雀と炎で接着された彼のからだは、なおも張蒙師に吸い付いて離れない。炎はすぐに張蒙師にも点火された。
  猫天地と朱雀と張蒙師は、一体となって塔の床をころがり階段を下った。火の手はあたりに燃えうつり、業火が三者の体を真っ黒に焼け染めていった。

  猫天地の死の報を二柳毛にもたらしたのは、岱泰からの使者であった。
「岱泰の陰謀だ」
  二柳毛は、この報らせを信じなかった。


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