「猫天地伝」
作/こたつむり


〈7章〉47p

  猫天地は悪口雑言の止まらない二人をなんとか宥めようとして、二人と二柳毛の間に入ったが、麻亜はきっぱりと首をふって、
「将軍。せっかくのご好意ですが、我々はここで世話になる気はありません」
  霙和は立ちふさがる猫天地よりも、むしろ奥にいる二柳毛を再びにらみつけ、
「楽阜は文句ひとつ、エラそうな屁理屈ひとつもちださず、俺たちをさがしだしてここまで連れてきてくれたんだ。その楽阜が頼んだ。猫将軍もひきうけた。それを横から余計な口出しするんじゃねえ」
  二人はまるで示し合わせたかのようにそろって背をむけ、おのずから戸口をめざして歩く。
「どこへ行くのさ」と、慌てる猫天地。
「楽阜のあとを追います。楽阜が許してくれなくても、あるいは猫将軍が同行を拒否なさっても、我々は行きます」
  この言葉を最後に、二人は戸をあけて出ていった。
  猫天地は反射的に二人を追い掛けようと、戸口にむかって駆け出した。
「待ってくれ、猫天地」
  二柳毛はそう言って止め、おもむろに懐から小さな物をとりだした。
「何さ」
「印綬だ」
「えっ!」
  それが皇家にとって、いや、国にとってどれほど重要な物かは猫天地にだってわかっている。猫天地は戸口からひきかえし、まじまじと二柳毛の手のひらにある印綬を見詰めた。
「そんな大事な物を、どうして毛が……」
「大事な物なんかではない。これは偽物だ」
  そう言って、二柳毛はポトリと床に印綬を落とした。
「これはあのとき、元皇帝が空から落とした物とはちがうものだ。だが、あのときの印綬も結局にせ物だということがわかった。こうした偽物の印綬が皇城の内部から、いくつも出てきたのだ」
「どういうことだい」
「つまり印綬は今、皇城にはない。さすれば現皇帝陛下は正当なる皇帝ではない。もちろんこの事実を知っている者はごく僅少だ。しかしこの事実を知っている者のすべてを信用できるわけではない。誰を一番警戒するべきか。言わずと知れた、これらが偽物であることを誰よりもよく知っている元の皇帝だ」
「じゃあ、それを元の皇帝がみんなにバラしちまったら……」
「ああ、大恐慌になる。しかしバラされてはいない。その証拠に何も起きてはいない。何故バラさないのか。何故なにも起こらないのか。それは私にも皇帝陛下にもわからない」
  ここまで言ってから、二柳毛は猫天地をはっきりと見詰め、
「美青蘭は張蒙師に殺されたのだ」
「なんだって!」
「前から言いたかったのだが」
  と、二柳毛は猫天地の視線をまともにうけて、
「猫天地。張蒙師を信じすぎるのは危険だ。いや、張蒙師は怪しい」
  意外なことを言った。
「どういうことだい」
  猫天地は気色ばむ。しかし二柳毛は少しも気圧されず、
「彼は、いざという時には姿をあらわさない。おかしいとは思わぬか。美青蘭が皇城において魔神と対決させられているときも、おまえが妖術使いを退治したときも、人を利用するだけ利用して、自分はいつも安穏としている」
「そんなことはない。張蒙師は美青蘭を助けようとして、たくさん傷をおった。命からがら抱虎山に帰ってきたんだ。いくら毛でも、そんな疑いかたは許さないよ」
「そうか。それなら、それも芝居だ。美青蘭の死を確認しているのは、張蒙師一人なのだからな」
「ちがうよ。毛は、それこそ誤解しているんだ。だいたい張蒙師は私と楽阜にとって、たった一人のお師匠さまなんだよ。楽阜はともかく、私なんて、なにしろ天戒師だって見放したダメな弟子だったのに、張蒙師だけは、こんな私にちゃんと楽阜と同じ術を授けてくれたんだ!」
「それも怪しい。なぜそんなおまえに、それほどの術を授けるのだ。そこまでする必然性がどこにある」
「それは、私が楽阜と結婚しようとして……」
「実際に結婚できたか。どうだ、猫天地」
  問い詰められて猫天地の頭の中は、都にやってきたばかりの時から今までのことがグルグルと忙しくめぐった。
「おまえはその術のおかげで強くなったが、そのせいで誰も味わうことのない孤独をなめさせられているのではないのか」
  二柳毛は、決定的なことを言った。
「そうさ。だからこそ……」
  猫天地は考えをめぐらせるのを唐突にやめた。目をつむり、深呼吸すると、
「わかったよ、毛。張蒙師が『アヤシイ』なら、なおさら私は楽阜を追っていかなければならない。だって、毛の言うことが正しければ、楽阜は今度こそ危ない目に会うかもしれない」
  決意すると猫天地は、今度こそ戸口にむかって歩み寄った。
「待て。行くな。どうしてだ」
  二柳毛は叫んだ。
「なぜ、もう少し待てないんだ。軍隊を引き連れていくのでもいい。楽阜を助けに行くのでもいい。それならそれで皇帝陛下にわけを話し、許可を求めてからにしても遅くはないはずだ」
「私は楽阜についていって、張蒙師を助けたいんだ」
  猫天地は、あいかわらずここに来たばかりの時と同じことを言った。
  二柳毛は溜息をつき、首を何度もふり、
「猫天地。なぜ何も聞かない。私はつい昨日、散鬼(さんき)にどやしつけられた。遷都の費用がかかりすぎる。今はそういう余裕のある時ではない。そう文句をつけられた。散鬼は、それを猫天地にも言ってあると言っていた。私はおまえから何も言われていない」
  それだけではない、と二柳毛は言った。
「今の二人の様子からすると、楽阜もまた、私や皇帝陛下に疑惑か反感でも抱いているのだろう。無理もない。私は長年楽阜に会っていない。会わずにいれば誤解も生じるだろう。しかしそんな事はどうでもいい。別に誤解をときたいとも思わない。だいたい誤解もへったくれもない。私は弟皇子(楠打王)を迎えに出してまで太上皇(飯聞帝)のご帰国を願った皇帝陛下に、太上皇(飯聞帝)を幽閉するよう奏上しご理解を得た。むしろそれを岱泰(だいたい)王に依頼するべきだとも申し上げた」
「そうか、やっぱり」
  猫天地は首を垂れて、しかしそれでもやはり、それ以上なにも言わなかった。
  二柳毛は熱をおびた目で、猫天地を凝視し、
「おまえは私も皇帝も信じていないのか。実の父親を幽閉する皇帝陛下にはついていけない。それがおまえの本音なのではないのか」
  しかし猫天地は頑固に戸口の方向をにらんで、二柳毛を見ようともしなかった。
「どうして、わかってもらえないのだ」
  二柳毛はさけび、荒々しく壁を殴った。ふりかえると、猫天地は二柳毛のほうに向きなおし、ひどく沈着に二柳毛の視線をうけて、
「ちがうよ、毛。毛の考えがわからないんじゃないんだ」
「それなら、私がまちがっていると言うのか。猫天地、もしそうなら……」
  まちがいを指摘してくれ、と二柳毛が言いかけるのを猫天地は首をふり、
「それもちがう。毛はきっと正しいんだ。前に毛が言ってたとおり、毛は以前の、仙人だったときの毛ではないんだ」
「以前? 仙人だった時? なんのことだ」


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