「猫天地伝」
作/こたつむり


〈7章〉45p

  ようやく町並をはずれ、代々皇帝の墳墓にたどりついた。ここには人がいない。かつて盗賊どもがたむろしていた場所である。
「美青蘭!」
  代々皇帝の眠っている墓の方角に向かって、猫天地はさけんでいた。
  そこは深い森に包まれて、奥に何があるのかなんて猫天地にはわからなかった。が、少なくてもそこにあるのは美青蘭の墓ではないはずだ。
  それでも猫天地には、相手が墓というだけで充分だった。美青蘭の墓など、どこにも無いからである。それでとりあえず猫天地は、死んだ何人かの皇帝に向かって、思いのたけを聞いてもらう。
「私には、もう美青蘭がいないんだ。こんな私にまだ生きていろって言うのかい? もういっぺん海にでも潜ったら、美青蘭は怒るかい? それとも又、私を助けにきてくれるかい?」
  すると、
「猫天地!」
  と、声が返ってきた。しかしそれは、期待していた美青蘭の優しい声音とは、似ても似つかぬ野太い男のものだった。
「誰さ」
  猫天地はムッとした。せっかく誰もいない所にたどりついたと思ったのに、もう誰かが邪魔をする。猫天地はどこに行っても顔をおぼえられる存在になっていた。しかし今の猫天地にとっては何もかもがうっとおしい。
  しかし猫天地の仏頂面は、やがて森の影から現れた人影に激変した。
「楽阜!」
  ボサボサの頭にたくましい肩。ほこりっぽい麻の服を別れたときのまま身につけて、さあ俺だ、ここに来い、とばかりに両手を広げ、そこに立っていたのはまぎれもなく楽阜その人だったのだ。

  楽阜は長い間さがし歩いた苦労が報われ、郷里の仲間を三人見付けだしたという。
  三人しか居なかったと言うべきだろう。調べつくしたところ、その他の仲間たちはどうやら、この世に命をつなぎとめがたい不運に見舞われたことが判明した。生きて再会できた三人の内、一人は岱泰(だいたい)に生き延びて根をおろしたため同行がかなわなかった。そこで楽阜は、残る二人と旅をしぬいて、ようやく今、都にたどりついたのだ。
  都は歓喜のるつぼとなった。
  通りを囲む塀には貼紙がはられた。縁起のよい紅の模様に縁取られた紙に、
「楽阜凱旋」
  と書かれて、前に楽阜のいた倉庫に近寄るほどに増える。そのそばには夜目でもわかるように堤灯がぶらさげられた。
『都の英雄、楽阜(がくふ)と猫天地』は、二人そろうとますますもって人々の人気を集め、三日三晩ひっきりなしにあちこちの家からもてなしをうけ、御馳走ぜめにあった。どの通りもお祭りさわぎで賑わい、山海の珍味を大盤ぶるまいする富豪もいれば、表通りで遠慮なく酔っ払う大酒飲みもいる。大道芸人たちの楽の音が、この賑わいをさらにわきかえらせていた。
  これに、楽阜についてきた二人の郷友は目を見張ったものだが、やがて楽阜や猫天地とともに都の人々から親しまれる存在となるのに、たいした時間はかからなかった。
  二人はそれぞれ、麻亜(まあ)、霙和(えいわ)と名乗り、楽阜に紹介をうけると猫天地に深々と頭をさげた。楽阜がともに頭をさげ、
「この二人を、猫天地。なんとかおまえの才覚でおまえの部下にでも取り立ててやってくれないか」
  と頼んだ。
「なにを言うんだ」
  と、猫天地は半ば怒り、
「私なんかより、よっぽど楽阜の方が『将軍』のガラだよ。皇帝にはヨロシク言っとくから、楽阜の方こそおエライさんになって、二人を家来にしたげなよ。それで私も一緒に楽阜のもとで働かせておくれ」
「そうだとも」
  と、散鬼も大いにうなずいた。
  元々、都じゅうに伝染した『楽阜凱旋』のお祭り騒ぎの大元締……つまり火付け役になったのは、他ならぬ散鬼である。彼は慕いつづけた兄貴の無事で元気な姿を見ては、未だに、ぐしっと涙ぐみ、
「このまま二人のお仲間と、ずっとずっと都に居てくれよ」
  を繰り返す。
  ところが歓待をうけるさなか、始終気もそぞろがちだった楽阜は、ついに困ったような顔になり、
「実はな、猫天地。こうしてばかりも居られないのだ」
  と、猫天地を誘いだす。
「気がきかねえ奴ばっかりだ。俺んちに来てくれ」
  すぐさま散鬼は弟分風を吹かせて、みんな遠慮してくんな、とばかりに二人を連れ去った。
  散鬼は、猫天地がまだ女性だった頃から楽阜とも猫天地とも付き合いがある。猫天地が楽阜と結婚したがってた事も、それゆえに張蒙師の弟子となった経緯も知っている。未だに、慕いあう二人、という見方で楽阜と猫天地を見るような見方がどこかにある。
  それで楽阜と猫天地は、散鬼の家において、やっと二人きりの語らいの場をもったのだが、入った部屋の戸をしめるや楽阜は、
「妙な噂を聞いた」
  と、かなり顔面を蒼白にさせてすぐさま持ち掛けた。
「我々の師が、岱泰において幽閉され身の危険にさらされているというのだ」
「えっ! 張蒙師が?」
  猫天地も、いっきに酔いがさめる。
「ウワサだ」
  落ち着け、とばかりに楽阜は立ち上がる。猫天地の肩をおさえ、ふと、そのまま背にまで手をのばした。
「楽阜!」
「猫天地!」
  二人はガシリと抱擁しあい、今さらながら再会を喜びあった。美青蘭(みしゅらん)のいない今となっては、猫天地に人肌の温かさをもたらしてくれる人間は、楽阜と張蒙師だけとなってしまった。
「張蒙師を助けに行こうよ」
  と、猫天地は楽阜の首ったまにしがみつきながら言った。
「噂でもなんでもいいじゃないか。私は張蒙師には本当の本当に世話になりっぱなしだったんだ。助けに行って、それで何でもなかったんなら、それがわかるだけでもいいよ」
「そうだ」
  と楽阜も、今さらに思いを同じくしたようだった。
「あの師を幽閉するほど力のある者が、この世にいるとは到底信じがたいが、実はこの噂は、岱泰に住みついた仲間から別れのまぎわに聞いたのだ。よほどに真偽を確かめに行きたかったが、なにしろここまであの二人を安全に連れて来なくてはならなかった。とにかく都に来て、おまえに会おうと思いつめて、ようやくそれを果したのだ」
「あの二人のことなら、散鬼がめんどう見てくれるさ」
  すると楽阜はうつむき、
「あいつにも自衛団のひきつぎをさせて、苦労をかけた」
  と、心苦しそうに言う。猫天地は、それは本当にそうだった、と改めて思い、
「毛ならどうだい? 毛は今や皇帝の家来なんだ。きっと引き受けてくれるさ」
  と明るく言い直した。
「二柳毛か」
  楽阜は眉間にしわを寄せ、おもむろに腕組をする。


44p

戻る

46p

進む