「猫天地伝」
作/こたつむり


〈7章〉44p

  もっともそこのところ、確帝も二柳毛も気配というものに敏感であったから、確帝は、幾つか考えうる要素のひとつにとらえておこう、といった具合に返事をする傍ら、その場で二柳毛を皇帝の部下に任命したし、二柳毛も、皇帝にこう言われた以上ありがたく拝命し、妻の一件についても、何はともあれ卑賎の身に余るありがたきご配慮、といった表現をもちだしてさっさとその場を辞し、あとは命に従い園慕を招きよせる手配をして、何ら駆引きをしたわけではない、という所を公にしめしたのだった。

  皇帝より臣の位を賜った二柳毛は、一人忙しい日々をすごしはじめた。
  猫天地は二柳毛の指図によって開始された建築現場に、ポツネンと立つことが多かった。そこでは、『猫天地将軍の住まう館』が日々つくりあげられつつある。
  日をおうごとに豪壮華麗さを増す建築物を見るたびに、彼はあっけにとられてしまうのである。一体ここに、どんな高貴な人が住まうのだろうと当人の猫天地ですら思うのだから、これを見た人々はみな、それ以上に首をかしげていることだろう。
「評判悪いぞ、猫天地」
  案のじょう、散鬼(さんき)がやってきて、そう教えてくれた。
「だろうな」
  猫天地も否定はしない。
「おい、他人事じゃない。ここはおまえの館なんだ」
  散鬼はちゃんと猫天地の額にゆびをさして、
「確かに柳先生のおかげで、東南族の人たちはずいぶん優遇されるようにはなったさ。でもあの人はずいぶん強突張の欲張りだよな。こんどの皇帝はみんなの苦労を気にして、立派な王宮は造りたくないって言ってるそうじゃないか。それを陰から柳先生が反対して、結局おっきな建物をつくることになったらしいな」
  朝儀に参加している猫天地は、これが決議されたのを実際に見て知っているから頷くしかない。
  国土を二分し、都を遷し、新しい都となる地に王宮を造らなくてはならない。朝儀では一方的にこう発表がなされ、猫天地は、ふうん、と思った。
  建築じたいは景気にも悪くないのだが、遷都というのは膨大な出費と人力が要る。一部の景気には悪くないが、攻め込まれたわけでも持ちこたえられないわけでもないのに、住む場所を変えるというのは、世間に同意を得にくいものだ。散鬼はこのことをまずあげ、
「今まで、あっちこっちで戦争ばかりしてたんだ。御殿づくりなんていう無駄使いは、もうちょっと余裕のあるときにでもしてもらいたいもんだ」
  怒りにまかせ、こう付け足した。猫天地はこの付け足しの部分に、
「そうだ」
  と、初めて決意した。
「毛に、こういう時こそ、国の威信をしめさねばならぬ、とかなんとか言われて、そういうもんなのかなあって思ってきたんだけど、今はそういう余裕のある時じゃないんだ」
  ついに腹が決まったのである。
「散鬼。ありがとう。おまえは頭は悪いけど、考えは正しいよ」
  毛はまちがっている、とつぶやくと、猫天地はそのままブンブンと二柳毛の家へ向かっていったのである。

  憤然とやってきた猫天地を、ようやく東北の地から呼び寄せられて都に住みついた園慕が出迎えた。二柳毛が留守であったからだ。猫天地は、二柳毛が帰ってくるのを待つことにした。
  おや……と猫天地が思ったのは、二柳毛の住む敷地内に莚をしいてすわりこみ、何やら楽しそうに語り合いつつ、しきりに手作業をしている人々がいたからだ。見覚えのある顔ばかり。都に住む東南族の人々だった。
「あれは何をやってるんだい?」
「はい。あの人たちは香草に手をくわえて薬をつくっているのですよ」
  園慕はニコニコと笑って、そう答えた。
「東南族はいろいろな香草を使って呪術を行ってきたそうですが、それだけ薬草の効能や使用に詳しいということだと、夫は言うのです。その知識や習練を、人に害をなすものではなく人助けになる方向に切り替えれば、今よりももっと多くの人にうけいれられる人達になる……と、これが夫の考えなのです」
  夫というのは、言わずと知れた二柳毛のことである。
  やがて二柳毛が帰宅したが、猫天地は、すっかりさっきの気負いを失っていた。
「毛は医者をやってたから、あんな事を思い付いたんだね」
  猫天地は、問答を開始するより前に、夕日を浴びてもなお薬づくりに励んでいる東南族たちを指さした。
「あれは園慕(えんぼ)の考えでもあるんだ」と、二柳毛。
「私よりも、よほどに園慕は薬草や医学の知識があるのだ。何しろ私が仙山に行って帰ってこなかった長い間、彼女は私にかわり、多くの人を治療して生計を成り立たせてきたのだからな」
  そう答えると、二柳毛はふりかえって妻にほほ笑みかけた。
  園慕もほほ笑み返しながら、台所に行き、やがて飲茶の用意をととのえて戻ってくると、莚の上で作業しあう東南族たちに声をかけて、おやつをふるまう。
  ふいに二柳毛が、
「猫天地。私のせいでおまえに迷惑をかけているかと思う」
  と、逆に切り出した。
「現在、岱泰(だいたい)との間は円満にはこんでいるように見えるだろうが、虚々実々の腹のさぐりあいをしているというのが実情なのだ。猫天地将軍の館は、今でこそ都の中心地にあるが、遷都を果したあとは、国の再北端に位置する重要拠点となる。岱泰には一番見えやすい場所だ」
  軍備もととのえなくてはならないし、軍事だけにテコ入れしているように見えてもならない。西国の警戒心をあおらずに、しかし、いざという時には国境の堅固な守りの役目も果さなくてはならない。
「贅沢をきわめているように見せてはいるものの、あれで実は細工が多い。装飾物にはそれほど経費がかかってはいないのだ」
「そうだったのか」
  猫天地は機先を制されたのと、はじめから二柳毛を疑ってかかった自分を恥じたのとで、肩をおとした。
「しかし私は猫天地の力になりたくて、この都にやってきたのだ」
  二柳毛は、猫天地の伏せがちの顔をのぞき見るようにして言った。
「そのことを、忘れないでほしい」
「わかっているよ。押し掛けてきて悪かった。園慕によろしく伝えておくれ」
  猫天地はそう答えると、そそくさと辞した。
  猫天地は朝儀というものに参加しなくてはいけなくなった。将軍になったのだから、兵士たちを従わせ、その調練もやらなくてはならない。また皇城に近い敷地に新しく住まう将軍の館を設けなくてはならない。ところがこうした事柄に、猫天地はチンプンカンプンなのである。そこで二柳毛がそばに居てくれ、何かれと教えてくれることは、猫天地にとっても実に助かることだった。
  しかし帰りの道々、猫天地は釈然としなかった。二柳毛に対してではない。自分に対してだった。
「何が不満なんだ、猫天地」
  猫天地はまず、自分で自分にそう言った。
「みんなが仲良く、幸せに暮らせることがおまえの望みだったんじゃないのか」
  石ころを蹴飛ばしてみた。
「そして、その通りになったんじゃないか。良かった。うん、そうだ。何も文句なんてないはずだ。それなのに……」
  腕をくんで立ち止まる。
「私はちっとも幸せじゃない」
  ふいに猫天地の冷えきった頬を、ダラダラと涙が覆っていく。
「そうだ。私は幸せじゃない。私にはもう誰もいない。独りぽっちだ。毛には園慕がいる。散鬼にも東南族の人たちにも家族や友達がいる。でも私には……私には……」
  猫天地は走りだした。行く先が自分にもわからなかった。こんな事ははじめてだった。今までは、いつでも誰かがそこに居てくれることを望んで行く先がきまってきた。それが今はただ、人の一人もいない所に行きたいのだ。


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