「猫天地伝」
作/こたつむり


〈7章〉43p

  紅賈王(煕皇子)が国に復帰を果し、皇城の清められた玉座についたその日の内から、都ではもっぱら東南族の活躍が噂されるようになった。
  東南族はかつて都に魔神とともに侵入し、この世に悪をもたらした。それが、長い間王朝にはびこって多くの人々を悩ませつづけた妖怪どもを殲滅したのだから、東南族にとって汚名返上、社会への存在意義をも示したようなものである。
  やがて紅賈王が正式に即位を果たし、確帝(かくてい)と成ると、妖術使いによって遠ざけられ放免されていた有能な部下たちはすぐに呼びよせられ、逆に、不正義の粗悪な土壌にのっかって私腹を肥やしてきた役人どもは追放の憂き目にあった。
  この場合、一番に手を付けられた土地と言えば、確帝の異母弟にあたる楠打(なんだ)王の支配する国であった。楠打王は蘇由殊(そゆこと)の娘の子であり、外祖父にあたる蘇由殊の悪事が一番色濃く行われた国であったため、都に戻され復権を果たした者達が多数送り込まれ、旧勢力との摩擦は避けられないと見られていた。
  が、やがてその楠打王が父の太上皇(飯聞帝)を慕って、西国の岱泰(だいたい)に行ってしまうという事件が起こり、世間は多少動揺したものの、確帝(煕皇子)が素早く百官を招集し、
「太上皇は世の動揺がおさまったら、再びこの国にお迎えする所存だと話した所、楠打王が迎えに行くと申したので、行って貰ったのだ」
  と落ち着いて説明したため、すぐ動揺は静まった。
  二柳毛には、新皇帝を支えて働くべく重要な地位が用意された。だが、二柳毛は猫天地の部下になりたいと猫天地に申し出た。
「私の部下?」
  この話を聞いたとき、猫天地は西国にむけて旅立つ支度をしている最中であった。
「そうだ、猫天地。皇帝陛下もおまえの働きには、将軍の位をもって報いたいと仰せだ」
「将軍?」
  猫天地は首をかしげた。二柳毛もそういう猫天地に首をかしげ、
「それより、一体どこに何をしに行くのだ」
  と聞いた。
「張蒙師のとこに行くんだよ。張蒙師は岱泰(西国)に大鷲をつれて行っちまったから、私は旅をして追っ掛けるしかないんだ」
「張蒙師?」
  二柳毛は何か言いたいような顔をしたが、猫天地は、そんなことより、と先に口をだした。
「世の中だんだん良くなっていくんだ。そろそろ奥さんを呼んだげなよ」
  ところが、二柳毛は、
「そうだろうか」
  と又しても首をかしげる。猫天地はキョトンとして、
「どっか問題でもあるのか」
「何かおかしいとは思わぬか、猫天地」
「おかしいって、何が?」
「ずいぶんとあっけなく新展開となったものだ。あれほど国の憂いとなっていた妖怪が死んだ。あれほど嫌われていた東南族が受け入れられ、あれほど苦難の立場におられた煕皇子は、今や皇帝になられた。私の知るかぎり、国や王朝の動乱というものは、こう簡単に決着したためしはない」
  こう言われても、猫天地には答える術がない。うまく行ったんだからいいじゃないか、と思いつつ、
「とにかく私は、将軍なんてものになるつもりはないよ。これから岱泰に行くんだ」
「岱泰に行って何をする」
「さあ」
  そう聞かれても、猫天地にもわからない。そこで、
「このままここにいたって、私のすることはもう無いよ。煕皇子は皇帝になったし、皇帝になれば東南族の人たちが住みやすい国をつくってくれるって、皇子は約束してくれたんだ。私の出る幕じゃない」
「猫天地。私はおまえの話に心を動かされて都まで来たのだ」
  二柳毛(にりゅうもう)は目を大きく見開いて、声を強めた。
「それなのに、物事を半ばのままに他人まかせにして放りなげるつもりなのか」
「けれども毛、私は政治のことはさっぱりわからないんだ。こっから先は妖怪退治も無いだろう? やっぱり私の出る幕じゃない」
「猫天地。このまま本当に何もかもうまく行くと思っているのか。世の中そんなに甘くはないぞ。東南族だって、この先いつまでも安定して暮らしていけるとは限らない。何か起こったときのために備え、活躍のときを待ち構えているという生き方だってあるはずだ。おまえは都にとどまり、新しく作られる国が完成するのをせめて見届けるべきだ」
  猫天地は首を垂れ、わかったよ、と小さくつぶやいてから、
「そのかわり、とにかく園慕を呼んであげなよ」
  とだけ持ち掛ける。すると二柳毛は顔をふせ、
「私は猫将軍の臣下になるのだ。将軍の奥方が亡くなられた矢先に、臣たる私が妻を呼びよせ所帯をかまえる気にはなれない」
  そう答えて任務にもどってゆく。
  この言葉は猫天地にとって衝撃だった。そこで新皇帝に目通りを願い出た。
  まだ新体制ができあがってはいないから、即位を果たした確帝は毎日が大忙しだったが、取り次ぎの者に『猫天地訪問』と聞くと、気軽に招きよせてくれた。
  対面がかなうや、猫天地は、
「私は美青蘭以外の人と結婚できる体じゃないし、その気もないんだ。奥さんナシの私の部下になったら最後、毛は一生奥さんと暮らせないことになる。そこんとこ、あの石アタマをなんとかギャフンと言わせるようなスゴイ理屈を、頭のいい皇帝陛下なら言ってくれるんじゃないかと思ったんだ。なんとか頼むよ」
  と、言い散らした。
  皇帝の側近たちはこれを聞いてまずは目を丸くしたが、やがて猫天地の天衣無縫ぶりに、皆、ほほ笑みはじめた。
  確帝も同様に笑い、その場で二柳毛を呼び付け、ことさら『スゴイ理屈』はもちださず、即刻郷里から妻を呼びよせるよう指示してくれた。
  すると二柳毛は、
「さすれば猫将軍はともかく、是非に皇帝陛下におかれましては皇后をお立てになられますよう、伏してお願い申しあげまする」
  ひざを折り、床にぬかずいて、さしでがましいことを言った。
  鷹揚な皇帝は無礼をとがめはせず、むしろ、
「うむ。皇后ともなれば、誰でもよいというわけにはまいらぬが、まずは二柳毛の意見をきこうか」
  と応じてくれた。そこで二柳毛は、
「西国の岱泰王には、見目麗しい姫君が何人かおられると聞き及びます。この際、国を二分したあかつきに、互いが後顧の憂いとならぬよう、西国王の姫君をお取り立てとなられ、親戚の間柄となっておかれることが肝要かと存じます」
  と答え、さらに平伏した。
  猫天地(ねこてんち)は一瞬、見たこともない隣国の姫君とやらを、もしも皇帝が気にいらなかったとき、あるいは逆に、その姫君のほうが皇帝と結婚したくなかった場合はどうするんだ、と言いそうになったのだが、親子ゲンカも並とちがう人たちのことだから、結婚も並とはちがうのかもしれないと思いなおし、言葉をのみこんだのである。
  こんな風に考えたのは猫天地だけであり、居並ぶ他の人々は、二柳毛をむしろ警戒したのだ。
  なぜなら、二柳毛は官職にこだわらず猫将軍の臣の立場に甘んじているように見せながら、こうして猫天地の知恵がいたらぬ隙をぬって皇帝に直問をゆるされ、皇后推挙などという、彼らにとっては(猫天地とちがって)むしろ当然にして政治的手段に口を出しているからなのであった。


42p

戻る

44p

進む