「猫天地伝」
作/こたつむり


〈6章〉42p

  豪雨と雷は、関所にも同様におとずれた。
「まさに天の配剤」
  西国軍の将軍たちは暗闇にまぎれて、全軍を関所の城壁ちかくまで移動させることに成功した。が、そこで雨風はピタリと止み、例の虹がようようと山にかかる。
  大手門にまで到着したものの、関所の守りは堅牢にして攻めあぐねた。
  岱泰軍は城壁に投石を浴びせかけ、関所側からも次々と石が返って来た。高低の差で関所からの攻撃の方が優勢で、近寄る兵には矢の嵐で的確に防戦した。
  夥しい兵が傷付き、また命を失う者も出た。
  猫天地が大鷲にのってやってきたのは、こういう所であった。
  うっかり近付くと、矢が飛んでくる。それを避けて大鷲は、ギイッと鋭く高鳴くと、雲の中にとびこんでしまうのだ。
  とたんに視界は真っ白になる。
  猫天地は軍の編成というものを全く知らない。この広い平原のいったいどのあたりに二柳毛や紅賈王がいるのか見当もつかず、いたずらに大鷲を飛ばして雲間をさまよった。
  やがて雲の下から、ドオッと何か大きな音響があがり、やがて人々の喚声とわかった。猫天地はあわてて大鷲の首をたたき、
「もう一発、頼むよ」
  と、急降下していった。
  雲の下では、西国軍が関所の抵抗を打ち破るために、まさに人海戦術をもって城壁に攻め登る所であった。兵士たちが次々と攻め寄せた。いよいよ肉弾戦に突入する。
  紅賈王はやや後方の輿に乗っていた。その後には、二柳毛がつき従い馬上にあった。
  猫天地が降りていったのは、まさにこの頭上だった。
「煕皇子。二柳毛。見てくれ。こいつはもう死んだんだ」
  喉もかれんばかりに大声で叫び、驚いてふりあおぐ軍隊めがけて、ドサッと妖術使いの死体を投げおろした。
「これが証拠だよ。こいつが一番悪い奴だ。だからもう戦争はしないでくれ」
  地に降り立つと、猫天地はそう言って通せんぼでもするように両手を横にひろげて、紅賈王の前に立ちはだかった。
  紅賈王はそれを見て目を見張った。長い年月、自分を苦しめてきた肉の塊を、今、目の前にしている。
  無言の王のかわりに、二柳毛が馬を寄せ、
「猫天地。たいしたものだ」
  とまずは声をかけてから、ゆるりと馬を降り、
「しかしここまで来て、攻撃の手を緩める事は出来ない」
  冷静に猫天地の頼みを却下してのける。
  これに憤慨して猫天地は、
「なんでだよ!」
  と地団太をふんで叫んだが、すぐに小指の布きれを握って自分を堪えさせる。
  美青蘭の形見が巻き付けてある。猫天地は二柳毛をじっと見詰め、
「毛。私は戦争の仕方はよく知らないよ。でも散鬼たちは、戦争になるからって言って、家をとびだしてフラフラしはじめているんだ。どっか都いがいに頼れる親戚とか知り合いとか、そういうのがいる人はいいよ。おんなじ都の人でも、あそこに住んでいる人たちはみんな、自分んちが壊されたり火事にでもなったりすれば、もう行くところがないんだ」
  すると、ようやく我を取り戻した紅賈王がすすみ出て言った。
「よく心得ている。住民にかける迷惑には、のちのち充分報いるつもりだ。失ったものを届けでてもらえば、あとで必ず補償するのだ。猫天地」
「失ったものったって、これは間違いなく自分のものだって言えるものなんか、あそこに住んでいる人たちは持っちゃいないよ。正しいやりかたで手に入れた住み家じゃないって言われたら、すごすご出て行くしかないんだ。それに皇子の言ってんのは、戦争に勝ったときのことだろ? 負けたらどうしてくれんだよ。勝ったって、その前に殺しにくるのは皇城から来る奴らかもしんないさ。敵が殺したんだから、自分たちのせいじゃないってなことを、あんたたちは言うんだろ? それより最初っから戦争なんかしないでくれた方がよっぽどいいよ」
「しかし猫天地、今ここで兵を引き上げれば、追撃される恐れがあるのだ」と二柳毛。
「ちきしょう、あっちに誰か命令しとくれよ、もう戦争なんかしても無駄だって」
  このときである。にわかに周囲からワアッと喚声があがり、大勢の兵士が、
「人だ! 空に人がいるぞ」
  と叫ぶ声が伝わり、各々が天を指差すその方向に……、
「あっ。張蒙師!」と、猫天地。
  張蒙師(ちょうもうし)はきらびやかな衣装をまとった老人をかかえて、空に静止していた。張蒙師はうなずき、天から、
「わしはずっと皇城にいたのだ。蘇由殊やその配下から、皇帝陛下をお守りするために」
  と、猫天地に声をかけてきた。
  張蒙師に抱きかかえられた老人の顔を見て、はじめて紅賈王は我を忘れてさけんだのである。
「お父上!」
  皇帝その人だった。皇帝は空にあって言葉を発した。
「紅賈王。長きにわたり苦難をなめさせたものだが、これよりは帝位をまこと継ぐがよい。この事態を収拾させるために、朕がかわりに西国に身を寄せよう。国と民の安寧を祈る日々をおくり、二度と再び都には帰るまい」
  つづけて懐から印綬を、ポイとこともなげに落とした。
  皇帝を証明する品である。本来ならこれを継承するにあたりいくつも面倒な手続きを要し、継承したあかつきには何日も祝賀を催すほどの品であった。
  猫天地とともにいた大鷲は、嬉しそうな奇声をあげて主人のもとへ舞い上がる。しかし張蒙師はそれには乗らず、かわりに抱きあげていた皇帝を乗せてやり、
「皇帝陛下はわしが岱泰にお連れする。兵を退くのだ。これで岱泰との関係にも問題なく、さらなる混乱も起こらぬだろう。争いはもうやめよ」
  おごそかに言うと、さっと上空に姿を消した。つづけて皇帝を乗せた大鷲も上昇してゆく。
  呆然とこの様子を見守っていた人々から、にわかに歓声があがり、やがてそれは声をあわせて、
「万歳。紅賈王。万歳。猫天地」
  とまとまった。紅賈王は、
「都の入り口をかためる将軍や兵士たちに使いを出し、万事平和に皇城に入れる手筈をととのえよ。これより先は侵攻ではなく、祖国への帰還である」
  と、ついに言ったのだ。


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